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2020年3月

2020年3月30日 (月)

アビイ・ロード(2)

 ザ・ビートルズのアルバムを1963年の「プリーズ・プリーズ・ミー」から1970年の「レット・イット・ビー」まで順に聞くたびに、これは人間の一生を表しているなあ、といつも思っている。一生といっても赤ん坊からではなくて、15,16歳の若者が老人になって亡くなるくらいまでの期間を想定してしまうのだが、初期の若々しさや初々しさが、時が過ぎるとともに段々と落ち着いてきて老成し、そしてついには命が尽きてこの世から去っていってしまう、そういうイメージが湧いてくるのである。C6efa3fd2d0401199cbdc18c1d98451c

 それはアルバム・ジャケットの移り変わりを見ればよくわかると思う。1964年の「ビートルズ・フォー・セイル」あたりから彼らの顔つきが変わり始め、65年の「ヘルプ!」を経て、同年の「ラバー・ソウル」になると、ちょっと別のバンドじゃないかと思われるくらい変わっていってしまう。もちろん顔つきだけでなく、楽曲の傾向もインド音楽やストリングスの導入、テープの逆回転やサイケデリック・ミュージックの影響など、複雑なものになっていった。

 そして「アビイ・ロード」である。このジャケットもよく知られているように、アビイ・ロード・スタジオの前にある横断歩道を4人が歩いているんだけれど、先頭を歩くジョン・レノンは司祭、次のリンゴ・スターは黒い服なので葬儀屋、ポールは1967年1月に自動車事故で死んでしまったと噂されていたので死人、最後を歩くジョージ・ハリソンは墓堀り人夫と暗に仄めかされていた。駐車中のフォルクスワーゲンのナンバーが、もしポールが生きていれば28歳になるはずだという意味で、"IF28"になっているとまで言われていた。実際は、この日は暑くて、ポールは思いつきでサンダルを脱いで裸足になっただけだったのに(裸足は"死者"を意味するマフィアの符号といわれている)。1969年8月8日午前10時頃のお話だ。71dk9bbpanl__ac_sl1000__20200216003101

 "アビイ・ロード・セッション"は、前回も記したように、1969年の7月から本格的に始められた。決していいムードで進んでいたわけではなく、4人のメンバーはかなりの緊張とプレッシャーを感じながらも、レコーディングを進めていった。
 アルバムのタイトルは、当初「エヴェレスト」と名付けられ、ジャケット写真も現地まで言って撮影しようという案まで出されたが、当然のごとく却下された。実際は、「エヴェレスト」という名前は、エンジニアのジェフ・エメリックが当時吸っていたメンソールのたばこの銘柄であり、ネパールにある山とは無関係だったからだ。

 ただ、ポールはエヴェレストは世界一高い山だから頂点を意味する、最高点だし、このアルバムの内容に当てはまるよ、と一時は支持していたようだ。そして結局は、シンプルに「アビイ・ロード」になったのである。もちろん、これは今までお世話になっていた、そして今もなおレコーディングをしているスタジオにちなんで名づけられたものだった。001

 このアルバムで目立った活躍をしたのは、ポールだけでなく、やはりこの人ジョージ・ハリソンを忘れてはならないだろう。彼はこの時期シンセサイザーに興味を示し始め、このレコーディングにも大型ユニットのシンセサイザーを持ち込んだのである。だからこのアルバムでは、シンセサイザーも演奏している。ザ・ビートルズ時代では、レノン&マッカートニーの陰に隠れてあまり目立たなかったジョージだが、実は進取の精神に富んでおり、シタールやシンセサイザーなど、その当時の先駆けとなるようなものを好んで取り入れているのだ。あるいはその逆かもしれない。彼が取り上げたことによって注目され、時代のトレンドになった可能性もあるだろう。

 そのシンセサイザーは、"Maxwell's Silver Hammer"や"I Want You(She's So Heavy)"の後半部分、自分自身で作った曲である"Here Comes the Sun"、"Because"などで聞くことができる。特にジョンの作った"Because"では、全面的にムーグ・シンセサイザーが使用されていて、ギターとユニゾンで奏でられている。コーラスはジョンとポールとジョージの3人だ。ベートーベンの「月光」のコード進行を逆からたどったとされていて、1時間くらいでレコーディングが終わったという記録が残されている。

 それにジョージはまた、このアルバムにおいてレノン&マッカートニーに匹敵する、いやそれ以上の歴史に残る傑作を2曲も残している。みんな知っている"Something"であり、"Here Comes the Sun"である。
 "Something"は当時の妻だったパティ・ボイドに捧げられていて、"Come Together"とのダブルA面としてシングル・カットされた。ジョージの曲が、ザ・ビートルズ時代でシングルのA面になったのはこれが最初で、そして最後になった。ギターはジョージ自身だが、ピアノはジョンが弾いている。
 
 それにしてもパティ・ボイドという人は、何というラッキーな人というか、ある意味、ポピュラー音楽史上に名を遺した女性の一人になった。しかも自らは表現せずに、対象者としてだ。ギリシャ神話に出てくる音楽・文芸の神ミューズとは彼女のような存在なのかもしれない。"It's All Too Much"もパティに捧げられているし、あのエリック・クラプトンの歴史的名曲"Layla"や、日本でもヒットした"Wonderful Tonight"もパティについて歌われたものだった。

 "Here Comes the Sun"では、今まで長い長い冬が続いてきたけれど、やっと太陽が顔を出したと歌われていて、ポールはこれを聞いて、初期の頃のように、みんなが集まってお互いがよくわかっている方法で曲作りが進んで行くことを意味していると喜んでいたそうだ。ただこの曲は、レコーディングが嫌になったジョージがアビイ・ロード・スタジオを抜け出して、エリック・クラプトンの家で作った曲だった。だから、ポールの考えと少し違うのではないかと考えられる。実際は、ザ・ビートルズ解散後のことも視野に入れての自分自身のことを歌っているのではないだろうか。ちなみにこの曲でも、ジョージはギターとシンセサイザーを担当していた。005

 そして、このアルバムが完成までこぎつけることができたのは、やはりポール・マッカートニーのおかげだろう。"Oh! Darling"では声をからして迫力を出すために、1週間毎朝スタジオに出てきて歌っていたし、ジョンの曲だった"Come Together"ではエレクトリック・ピアノを、"I Want You(She's So Heavy)"ではアレンジを行い、実際に自分で歌ったりもしていたそうだ。

 さらには後半の"You Never Give Me Your Money"から続く一連のメドレーは、まさにこのアルバムの白眉だろう。このメドレーのおかげで、このアルバムの価値がさらに高まったはずである。当時はすでにプログレッシヴ・ロックというジャンルが確立されつつあったが、こういうメドレー形式もプログレッシヴ・ロックに影響を与えたに違いないだろう。「アビイ・ロード」は「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」とは違ってトータル・アルバムではないけれど、怪物バンドが放った最後の輝きという点では、トータル・アルバムと言ってもいいのかもしれない。

 "You Never Give Me Your Money"はもちろんアラン・クラインを含むアップル社や自分たちの財政上のトラブルを歌ったもので、"A Day in the Life"のように、いくつかの曲を一つにまとめたもの。"Sun King"はジョンの曲で、元のタイトルは"Los Paranoias"と付けられていた。一部はスペイン語で歌われているが、単語を並べただけの様だ。"Mean Mr. Mustard"と"Polythene Pam"は、インドでジョンが作った曲で、いずれも未完成のものだった。この曲の原型は「ホワイト・アルバム」50周年記念盤の"Esher Demos"に収められていた。

 "She Came In Through the Bathroom Window"は実際にあった事件に基づいて作られた曲で、ポールの家にファンが侵入し、父親の大事な写真を持って行ったという実話を脚色している。確か、映画「Let It Be」でも歌われていたんじゃないかなあ、ちょっと記憶がはっきりしないけれど。"Golden Slumbers"は、16世紀のエリザベス朝の劇作家トマス・デッカーの詩にポールが曲をつけ、一部歌詞を付け加えたもの。続く"Carry That Weight"もポールの曲で、これもまたビジネス上の問題について歌ったものだった。

 でも、リスナーとしては、あるいは自分のように英語がよくわからない人にとっては、そんな経済的な問題ではなくて、なんか人生における生き方というか、処世訓のような意味を心の中で期待していたし、そのように捉えていた。当時のザ・ビートルズは、若者にとっての教祖のような、そして教師のような、また親のような、そんな側面も含んで見せてくれていたのである。

 そして"The End"である。果たして彼ら自身は、これで終わりと思っていたのだろうか。雰囲気的にはこれでザ・ビートルズも終わりだろうという漠然とした思いはもっていたように思える。でも、ポールだけは解散はしないと思っていたに違いない。彼は最後までザ・ビートルズを守ろうとしていた。だから彼の言葉にはこうある。『僕がザ・ビートルズをやめたのではない。ザ・ビートルズがザ・ビートルズを去っていったんだ』

 とにかく、この曲ではフィナーレを飾るように、リンゴのドラム・ソロからポール、ジョージ、ジョンの順番でギター・ソロをとっている。この終りの3曲、"Golden Slumbers"から"The End"までは全員そろってレコーディングされた。1969年7月30日のことで、4人そろってのレコーディングとしては、この日が最後になった。002

 "Her Majesty"については面白いエピソードがあって、もともとはメドレーの中の"Mean Mr. Mustard"と"Polythene Pam"の間に収められていたのだが、最終的にはカットされた。ところが当時の慣習で、完成したマスターテープからカットされたものは、すべてリールの最後のリーダー・テープに残しておいてメモ書きを残すというものがあって、担当のエンジニアだったジョン・カーランダーもそうしたのにもかかわらず、何故かメモが無視され、"Her Majesty"が最後にくっついたテープがアップル社に回され、そのオリジナル盤がポールによって試聴されたのである。

 ポールは全部聴いて帰ろうと立ち上がった時に、この曲が聞こえてきてびっくりしたという。でも、それもまた楽しいだろうということで、"Mean Mr. Mustard"の最後のコードが入った"Her Majesty"が残されたわけだ。今ではポールによるアンコール・ナンバーという位置づけだが、実際はメドレーの中の一曲だったのである。71bdcieitgl__ac_sl1106_

 とにかく、レコードでいうところのサイドBは、最初の2曲は除いて、残りの"You Never Give Me Your Money"から"Her Majesty"までは、まるでジグソー・パズルを組み合わせるかのような感じで構成されていた。しかもそのパズルが100%完璧にマッチしていたのである。まさに偶然の産物とはいえ、偶然が重なれば必然になるわけで、これはもうなるべくしてなったとしか言えないのではないか、そう思っている。ちょうどロウソクの炎が燃え尽きる時に、それまでとは違って一段と大きい炎に燃え上がるように。

 自分は、真面目に自分の葬儀の時には「アビイ・ロード」を流すようにお願いをしている。たぶん家族葬だから、もともと親族は少ないし、自分が死ぬときはほとんどいなくなっているだろうから、家族以外は誰も来ない。安心して流せるわけだ、自分は聞くことができないけれど。だから、どういう死に方をするかわからないけれど、もし病気なら死ぬ前に何度も聞くだろう。自分にとって「アビイ・ロード」とは、そういうアルバムなのである。
 また、これを作った時のジョンは誕生日が来ていなかったので28歳、ポールは27歳だった。ジョージにいたっては26歳で、最年長のリンゴは29歳だった。つまりみんなまだ20代だったのだ。やっぱりザ・ビートルズは史上空前のバンドだったのである。800x_image_20200216003801

 

 

[お知らせ]
 突然ですが、今回を持ちましてこのブログ「ろくろくロック夜話」を終了いたします。こんなつまらないブログでも13年間も続いてきました。最近ちょっと疲れてきて、あまりいい内容が書けなくなってきたと思うので、ここらへんで終わりにしたいと思いました。だから最後のテーマも「アビイ・ロード」にしました。
 一度でも読んでいただいた人に感謝いたします。ありがとうございました。たぶんもう再開はしないと思いますが、ひょっとしたら、どこか違うところで、何かしているかもしれません。ブログはやめてもロック・ミュージックはやめられません。死ぬまで聞き続けることでしょう。最後に、世界中の皆さんが健康で、平和な人生を送れるように願っています。それでは、さようなら。お元気でいて下さい。

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2020年3月23日 (月)

アビイ・ロード(1)

   いよいよ終りに近づいてきたようだ。今回と次回は2週にわたって、ザ・ビートルズの実質的ラスト・アルバムになった「アビイ・ロード」のことについて記そうと思う。何しろ、自分の葬儀の際には、このアルバムを流し続けてほしいと近親のものにも随分前から伝えているくらい、このアルバムが大好きなのである。

 記憶が曖昧で申し訳ないけれども、確かレコードで発売されていた時には、それに付随していた帯に『A面の野性味、B面の叙情性』と書かれていたような気がするのだが、レコードのA面ではジョンの印象が強くて、"ロック"していたし、B面では例のメドレーの印象があって、ポールのイメージが強かった。Thebeatlesin19691280x720

 それに、いまさらこんなことを言うのも変だけど、あのザ・ビートルズのラスト・アルバムなのだ。発売順では1969年の9月に「アビイ・ロード」が発表され、1970年5月には「レット・イット・ビー」だったが、「レット・イット・ビー」のオリジナルは、"ゲット・バック・セッション"として知られていて、これは1969年1月にレコーディングされていたから、やはり「アビイ・ロード」の方がラストになる。「アビイ・ロード」のレコーディングは、69年の2月以降から始められたからだ。それにまた、確かに1970年に入っても「レット・イット・ビー」のレコーディングは行われたが、4人そろって行われたことはなく、断片的な追加のレコーディングだった。ということは、やはりザ・ビートルズとしてのアルバムとしては、「アビイ・ロード」の方が実質的にはラスト・アルバムになるのではないかと考えている。 Thebeatlesletitbe_0

 これもまたみんな知っていることだけど、ザ・ビートルズの「ホワイト・アルバム」あたりから、メンバー間の仲が悪くなり、亀裂が入り、口論まで行われるようになった。途中で、ジョージ・ハリソンやジョン・レノンがレコーディングに参加しなくなったり、公然とバンド脱退を口にしたりするようになった。

 普通のバンドなら、もうこれで終わり、解散するはずだ。アルバムを作るなんてありえないし、せいぜい解散ライヴを行うくらいが関の山というもの。それをこのザ・ビートルズは、スタジオ・アルバム1枚分を作ってしまったのだ。しかもそのアルバムの水準が、これはもう当時のアルバムとは比較できないほど素晴らしく、ザ・ビートルズの過去のアルバムと比べても遜色ないというよりは、一、二を争うほどの素晴らしい内容の出来栄えだった。まさに怪物バンド、こんなバンドは唯一無二の存在だし、もう二度と現れないだろう。Unnamed

 「アビイ・ロード」がどれほど素晴らしいのか、どれくらい歴史的な価値があるのか、自分の表現力では伝えようがない。職業作家なら正確に記述することもできるだろうが、一介のブロガーでは、しかも自分のような素人には、どうしようもなく無力である。だから、歴史的に検証したり、楽曲的に解説を加えるのではなくて、自分の心の浮かんだことや、今まで知り得た知識を使って、自由気ままに、思いつくままに記してみたいと思う。

 1969年1月に行われた"ゲット・バック・セッション"は、未完に終わった。レコーディングは行ったものの、そのままほったらかしにされてしまった。ザ・ビートルズにしてはそれまであり得なかったことで、いかに当時の彼らに集中力が欠けていたというか、やる気がなかったかという結果だろう。あるいは、作品作りよりも他にやることがあって、それどころではなかったということか。

 だから、そのセッション記録は、最初はグリン・ジョンズが担当したものの、みんな納得しなかった。それでジョン・レノンが当時親しかったフィル・スペクターにお願いをして、プロデュースしてもらったのだ。ジョンやジョージは納得したものの、もともと初期の頃のように何度もダビングするのではなく、ロックン・ロール・バンドとしての荒々しさや情熱が発揮されるものを望んでいたポール・マッカートニーは、承服しなかったのだ。だって"Get Back"なんだから、原点に返ろうよと言っているのに、コーラスやストリングスなんかは必要なかったはずだ。7c99f1bc6ba36943ff9e26ad41ff10d3

 時系列的に見ると、1969年2月には悪名高きアラン・クラインがマネージメントを行うようになるし、3月にはジョンがヨーコ・オノと、ポールがリンダ・イーストマンと結婚している。また逆に、ジョージは妻のパティ・ボイドと大麻所持で逮捕されているし、リンゴは映画「マジック・クリスチャン」でピーター・セラーズと共演をしていた。だから、レコーディングどころではなかったのかもしれない。

 こういう状況を疎ましく思っていたのが、ポール・マッカートニーだった。"ゲット・バック・セッション"もポールの提案で、もう一度デビュー当時の原点に戻ろうと、他のメンバーに呼び掛けて実現したものだった。それが未完に終わったのだから、これはこのままでは終われないと考えたのだろう。それで、ポールはジョージ・マーティンの所を訪ねてニュー・アルバムのレコーディングに協力してくれるように頼んだのである。そして、ジョージ・マーティンは、全員が協力してくれるならという条件の下で、引き受けたのだった。 95415e0657c0446a9332698885c4d427

 本格的なレコーディングは、1969年の7月から始まったが、その年の2月くらいからいくつかの曲のレコーディングが始まっていた。例えば、ポールの"Maxwell's Silver Hammer"であり、ジョンの"Mean Mr. Mustard"の原型になった"Dirty Old Man"などだった。
 ところが一説によれば、この時レコーディングされたマスター・テープが盗難にあってしまい、取り戻しはしたものの、なぜか税関のX線検査で録音されていた曲が消去されたと言われている。真偽のほどは定かではないが、当時の雑誌にはそういう記載があったという(The Rolling Stone誌69年9月17日号)

 また3月にはジョンの"I Want You(She's So Heavy)"が出来上がり、4月になると、ジョージの"Something"のファースト・テイクが録音され、ポールの"Oh! Darling"も始まっていた。5月ではリンゴの"Octopus's Garden"やポールの"You Never Give Me Your Money"のデモ・テープも制作されるようになったのである。だから、当時のレコードのA面の主な曲の原型は、この時期に作られたものであり、だからサイドAは1曲1曲が独立した印象を与えてくれるのだろう。"A面の野性味"には、こういう背景があったのだ。

 それで結局7月になってから、彼らはロンドンのEMIスタジオに集まり、60年代初期のやり方でレコーディングを開始していった。ポールはこう述べている。『トンネルを抜けつつあった。またみんなで集まって、よくわかっているやり方に戻って、すごくうれしかったんだ』
 しかし実際は、2人や3人の時には和やかな雰囲気でレコーディングが進んでいったが、4人揃うとなぜか険悪なムードになり、些細なことで言い争いが始まったようだ。リンゴはあまりスタジオに来なくなったし、ジョンはヨーコとの共同作業、つまりプラスティック・オノ・バンドの作業があって、これまた徐々に顔を出さなくなっていった。

 さらには、ベイシック・トラックが録音されると、それにオーヴァーダビングをつけるために、ジョンやジョージは、もちろんポールも含めて、それぞれが自分のスタジオに持って帰り、そこで作業をするようになった。そうなると、これはもうソロ・アルバムの作成とほとんど変わらなくなってしまったのである。これでは"ゲット・バック・セッション"の二の舞になってしまう、これはよくないぞ、そう感じたのがポール・マッカートニーだった。Imagesjouzjb3n

 だから、最初から最後までバンドを引っ張っていったのはポール・マッカートニーで、彼の情熱というか、最後まで続けようとする強い信念が、ザ・ビートルズをザ・ビートルズたらしめていたのである。
 しかし、運命の女神は皮肉なもので、7月にジョンとヨーコ、先妻の子のジュリアン・レノンは、ジョンの運転する車で事故にあってしまい、特にヨーコは背骨を折るほどの重症になって、しばらくは寝たきり状態になったのである。ジョンのそばにいたいヨーコは、体は動かせなくてもベッドは動かせると考えて、レコーディング中のスタジオにベッドを運ばせて、その中で生活するようになった。

 関係者が言うには、ベッドの上にはマイクがぶら下がっていて、それはヨーコが何か伝えたいときのために、用意されたものだった。また、彼女を見舞うためのお客さんがひっきりなしに訪れてきてかなり騒がしかったようだが、メンバーはそんな状況の中でレコーディングを続けていった。そういう状態の中で緊張感を保つには、人並み以上の集中力が必要だろう。よくまあ、あんな素晴らしいアルバムが出来上がったものである。

 さらには当時20歳だったアラン・パーソンズは、ヨーコは誰かに使いを出してもらって食べ物を持ってこさせていて、時々寝ていたと言っている。ジョンが横にいる時もあったし、いない時もあったが、でもどう見ても、あれはホテル暮らしにしか見えなかったよ、と当時を振り返っていた。

 ザ・ビートルズのリーダーは、名実ともにジョン・レノンだったから、誰もジョンには気兼ねして言えなかったのだろう。ポールは、ジョンには頭が上がらなかったから、びっくりしたようだが彼女のそばで仕事を続けるしかなかった。彼は言う、彼女を避けて歩くしかなかったんだよ、そのベッドをのかせ、なんて言えないよ。ジョンの彼女なんだから、と。

 同時に、音楽面だけでなくて、財政的な面でも危機的な状況にあった。彼らが設立したアップル・レコードは放漫経営で赤字続き、倒産も時間の問題といわれていたし、当時の英国の税金制度による破格の徴収率も問題になった。だから稼いでも稼いでも湯水のように消えていってしまうのである。

 ポールは、ビジネス面ではきつくなっていって、自分たちが稼いだものをすべて失ってしまいそうだった、と述べていた。実際は印税が入るからすべて失うことはないだろうけれど、その印税も彼らの版権を所有していたノーザン・ソングス社が売却に出されたため、自分たちで管理できなくなってしまったのは事実である。そのうえお金だけでなく、ザ・ビートルズまで失いそうになったのだから、ポールにしてはかなり深刻な状況だっただろう。さらに彼はまた、必死の思いで稼いだ、朝から晩までずっと音楽活動に励んでいたよ、僕らはすごい働き者だったからとも言っていて、職人集団のように完璧を目指して音楽活動に取り組んでいた。その完璧さを求めるがあまりに、結局はバンド内に亀裂が走ったのである。 Images6n0j5hk0

 そんな中でもレコーディングは続けられた。ポールの作った"Maxwell's Silver Hammer"なんかは2日半もかかってやっとレコーディングが完了したという。プロデューサーのジョージ・マーティンは、時間がかかりすぎると本気で怒ったらしい。最初の予定では、午前中2曲、午後2曲録音するつもりでいたからだ。つまり荒削りのようなライヴ感覚を生かしたレコーディングが目標だったのだろう。"ゲット・バック・セッション"の趣旨がそうだったのだから。

 ただし、この"アビイ・ロード・セッション"では、ジョージ・マーティンと約束したように、4人がそろうことももちろんあった。リンゴ・スターの作った"Octopus's Garden"では、ピアノがポール、リード・ギターがジョージ、ギターのアルペジオを弾いているのがジョンで、コーラスはポールとジョージだった。泡の音は、リンゴ自身がストローでコップの水を吹いて作っている。上記にもあるように5月に一度録音されたが、7月にもう一度レコーディングされている。

 アルバムの最終ミックスが行われ、完成したのは1969年の8月20日だったが、その日もザ・ビートルズの4人が立ち会っている。そして、それがザ・ビートルズとして4人がそろった最後の日になったのである。
(To Be Continued...)

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2020年3月16日 (月)

WHO

 「WHO」といっても「世界保健機構」のことではない。確かに、新型コロナウイルスは世界中に猛威をまき散らしていて、なかなか収束の道筋が見えないのだが、このブログは音楽、特に洋楽が中心なので、保健衛生とは無関係である。
 それで「WHO」とは、イギリスのロック・バンド、ザ・フーの新しいアルバムのタイトルだ。ザ・フーだぞ、ザ・フー、もう活動中止というか、永遠に活動しなくなっただろうと思っていたのに、何とまあ、ほとんど新曲でニュー・アルバムを発表してくれたのだ。これはもう奇跡的なことではないだろうか。また、チャート・アクションも良くて、英国ではアルバム・チャート3位に、米国ではビルボードで初登場2位だった。81dpka3wzql__ac_sl1400_

 何しろ元は4人組だったのに、ドラマーのキース・ムーンは1978年に、ベーシストのジョン・エントウィッスルは2002年に、それぞれ亡くなっていて、結局残ったのは、リーダーのギタリスト、ピート・タウンゼントとボーカリストのロジャー・ダルトリーの2人だけになったのだ。
 しかも現在は、ピートは74歳、ロジャーは75歳の老老コンビだったから、これはツアーはもちろんのこと、新作を期待するのは100%無理だろうと思っていた。ところがどっこい、ロック・ミュージックの神様は、不可能を可能にする力を持っていたのだ。これを世の中の人は、"奇跡"と呼ぶのだろう。

 ピートは2014年に始まった「結成50周年記念ツアー」終了後、長期の休みを取ったが、その時に、新曲をレコーディングしない限り、もう二度とロジャーと一緒にはツアーには出かけないと決心したようだ。そして、ザ・フー向けの曲は書けないけれど、ロジャー・ダルトリーのための曲ならまだまだ書けるだろうと考えて、曲を15曲準備したという。74歳にしてこの創造力、やはりロック・レジェンドは、常人とは違う何かを持っているのだろう。こういうのを世間の人は、"天賦の才"と呼ぶのだろう。

 ロジャー・ダルトリーは、送られてきた曲をピート・タウンゼントのソロ・アルバム用の曲だと勘違いしてしまい、最初はスルーしていたそうだ。それでピートから『これらの曲はお前のために書いたんだよ。おまえのための曲だ』と何度も力説されて、ついに歌うことを説得させられたそうである。もちろん説得の効果だけでなく、曲自体の出来も良かったからだろう。アルバム発表後にロジャーは、このニュー・アルバムは「四重人格」以来のベストなレコードだと言っていたからだ。2b68da21804b961b8062f34645107a40

 それにまた、曲自体の良さだけでなく、ロジャー・ダルトリーの声の調子も良かったから、レコーディングに踏み切ったのだろう。ロジャーは、2年前にソロ・アルバム「アズ・ロング・アズ・アイ・ハヴ・ユー」を発表していて、ピートはアルバムを聞いた途端、ロジャーの調子の良さを実感したそうなのだ。当時73歳ぐらいだったから、年齢を気にさせないほど良かったのだろう。

 ピートは、ザ・フーに合う音楽を書こうとしたのだが、その時、あらためて"ザ・フーとは何か"と考えたらしい。彼は、ザ・フーは存在しないと考え、今のザ・フーは自分(ピート)とロジャーだけだと思ったというのである。そして、この新作アルバムについても、『ザ・フーの今までやってきたこと』を再現すべく取り掛かったらしく、その時にザック・スターキーとピノ・パラディーノをスタジオに呼んで、一緒にレコーディングを開始したのだが、決して"ザ・フー"になることはなくて、それはあくまでもピートとロジャーとザックとピノの4人組であって、ザ・フーではないということを力説していた。なるほど、今のザ・フーは2人組のユニットというわけだ。

 それでこの13年振りのニュー・アルバム「WHO」には11曲(日本国内盤には15曲)収められている。1曲を除いて、いずれもピート・タウンゼントの作品か共作になっている。
 何しろ冒頭の"All This Music Must Fade"からしてカッコいい。カッコいいだけでなく、まさに"ザ・フー"ともいうべき作品だと思う。曲にもキレがあるし、ノリもいいし、アルバムの1曲目にふさわしいのだ。ロジャーのボーカルも全然年齢を感じさえないし、ほとんど衰えを感じさせない。これが75歳の声なのだろうか、25歳でも十分通じるのではないだろうか。さらにまた歌詞がいいのだ。
「俺は気にしない
俺はお前らがこの歌を嫌いになることはわかっている
そしてその通りだろう
俺たちは本当に仲良くやってこなかった
新しくないし、変化もない
お前らのパレードのような出来事を明るく照らしたりもしない
それはただの単純な一節さ

全てのこんな音楽は消えていくだろう
手刀の刃のように欠けていくだろう
全てのこんな音楽は消えていくだろう
ちょうど刀の刃のように欠けるだろう

俺は消えていきつつある
そして二度と戻ってこないだろう
白鳥のように
俺は本当にまったく愛想がよくない
俺はブルーじゃないし、ピンクでもない
ただの灰色で、心配症だ
そしてほんの一瞬のように見えるんだ

お前たちのものはお前たちのものさ
俺のものは俺のものなんだ」
(訳プロフェッサー・ケイ)

 この自己認識の的確さ、表現の正確さが、21世紀の今でも通用するところがすごい。さすがザ・フーであり、ピート・タウンゼントの持つ感性の鋭さの表れだろう。
 この逆の立場をとったのが、1970年代半ばに勃興したパンク・ロックの持つ意識だった。当時のパンク・ロッカーやバンドたちは、もうお前たちの時代は終わった、1曲、5分も6分もあるような曲なんか聞いていられねえ、退屈なんだよ、もっとシンプルにスパッと言いたいことを言えよ、と言っていたのだが、あれから約50年たって、この曲はそのパンク・ロックに対するアンサー・ソング的な性格をも有しているし、この曲自体、オールド・ロッカーによるパンク・ソングなのだと思う。A1967661141574498_jpeg

 つまり、ザ・フーはその表現方法の中に、パンク・ロック的な意識を内蔵しており、いつの時代にも変わらずその考えを発揮してきたのだ。1964年のデビューからずっと、意識していたかどうかは別として、体制を批判するものとして、あるいは現状維持を忌み嫌うものとしてのパンク・バンドの立場や表現を維持してきたのではないだろうか。

 以前といってももう40年近く前になるが、あるコミック誌にザ・フーを模したようなシーンがあった。主人公の男性がロンドン市内で追ってから逃げているときに、高級レストランに逃げ込んできた。そこはドレスコードがあり、ネクタイ着用じゃないと入れないところだった。主人公は着の身着のままだからネクタイなんかはしていない。困ったところに、ザ・フーと思われる風貌の一団が到着してきた。彼らも公演が終わった直後なので、ネクタイはしていない。すると、その場を察知したロジャー・ダルトリーっぽい人が、それならこれでいいだろうと言って、ロンドンブーツのひもをとって首に巻いたのだ。一本は自分用に、もう一本は主人公用に…

 いまだにこのシーンを覚えているのは、このしぐさというか対応が、いかにもザ・フーらしいからである。この機転の巧みさや旧体制に対する反抗心などが、このコミックの一コマ一コマから垣間見られたのである。このコミックを描いた人もザ・フーのもつパンク的な部分を鮮やかに切り取っていたと思っている。O0500040113562061756

 このアルバムには、そういう反骨精神が脈々と息づいている。だから新鮮に感じるのだ。2曲目もそう。"Ball And Chain"とは文字通り、囚人に着ける足枷のことだ。キューバにあるグアンタナモ収容所のことが歌われている。ニュースでも知れ渡ったように、湾岸戦争の捕虜やテロ組織の人たちが入居させられて、ひどい拷問を受けたところである。もともとの曲は、ピート・タウンゼントの2015年のベスト盤に収められていたもので、今回リリースするにあたって再録したのである。ボーカルはロジャー・ダルトリーだ。このアルバムから最初にシングル・カットされた。

 音楽的にもザ・フーの魅力があふれていて、"I Don't Wanna Get Wise"ではポップな一面を見せてくれるし、"Detour"では1曲の中に転調が目立っていて、まるで70年代のロック・オペラの超コンパクト版を聞いているかのようだ。
 また、"Beads on One String"は哀愁味を伴ったミディアムテンポの曲で、はっきり言って"美しい曲"だ。こういう"美しさ"は今どきのロック・バンドでは表現できないのではないだろうか。単にメロディラインが綺麗だというだけでなく、曲の持つ雰囲気やアレンジなど、曲全体が美しいのである。最近のコールドプレイにも、こういう曲をやってほしかったと思ってしまった。

 またストリングス付きのロック"Hero Ground Zero"にはこう表現されている。
「俺はヒーローだ
グラウンド・ゼロ
最後はどんなリーダーも
ピエロになってしまう

あるゆるロック・スターは
映画を作りたがる
しかし闇の方が
光より安全なんだ

俺は戻るつもりはない
洒落た音楽に
この昔の丘の頂上から
飛び立つのさ」

 このアルバムには、テーマもコンセプトもストーリーもないとピート・タウンゼントは言っていた。ただピートと弟のサイモンが、歌声を新たに甦らせたロジャーのために刺激とやりがいと展望を与えようと書いた曲を集めたと述べていたのだが、ザ・フー流のバラード曲である"I'll Be Back"については、ロジャーは気に入ったものの、自分には歌えないと思ったようで、この曲のボーカルについてはピート・タウンゼントが担当していた。ザ・フーとモータウン・サウンドのハイブリット版である。

 ピートの弟のサイモン・タウンゼントが書いた曲が"Break the News"であり、テンポの良いアコースティック・ギターをバックに歌われていて、この曲もなかなかの佳曲である。途中のギターのアルペジオやハンド・クラッピングもいい味を出しているし、ハードなイメージのあるザ・フーにしては意外性があってよかった。

 "Rockin' in Rage"には、タイトル通りの憤りというか怒りが込められていて、まさに60年代後期にザ・フーが歌っていたような曲の再現だった。それに、単なる"怒り"だけでなく、それに至るまでの過程も含まれていて、最初から最後までハードであるならば、それはハード・ロックになってしまうが、ザ・フーの場合は緩急をつけた"ハード"なのである。昔からのファンならわかってもらえると思う。

 "She Rocked My World"は、異国情緒が味わえる想定外の曲だ。何となく南欧州の雰囲気で、アル・ディ・メオラが出てきてもおかしくはない。どこかでギター・ソロでもあるのかと思っていたけど、何もなかった。もともとザ・フーには長いギター・ソロなんかないし、むしろカッティングのキレの良さや曲全体の調和が美点だったから、それはそれでいいのだろう。

 確かにこのアルバムには、テーマやコンセプトはないかもしれない。また、壮大なスケールの曲も含まれていないだろう。でも、強いてあげるなら、60年代の生き残りバンドから今を生きる若者(もしくは全世代)に向けての強力なメッセージが含まれたアルバムに違いない。それは、我々60年代組は、こういう風にサバイバルしてきて、こんな決意をしているんだよ、お前たちはどう生きていくんだいと挑戦状をたたきつけているようだ。190313_rg_the_who_shot_1_042

 恐るべし、ザ・フーである。こんな爺さんたちにどう立ち向かえばいいのだろうか、どう応えればいいのか、乗り越えて行けるすべはあるのか、考えさせてくれるアルバムでもある。

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2020年3月 9日 (月)

コールドプレイの新作

 昨年の秋に、コールドプレイの新作「エヴリディ・ライフ」が発表された。このアルバムは、いわゆるコンセプト・アルバムで、"サンライズ"と"サンセット"の2部形式に分かれていて、一日24時間を描いている。こういう企画は、コールドプレイにとっては初めての試みのようで、今までのアルバムとは一線を画している。A1ikwr302xl__ac_sl1500_

 何が彼らをこういうアルバムにさせたかというと、彼らがワールド・ツアーをしていた2016年から2017年当時では、アメリカのトランプ大統領の出現やイギリスのEU離脱問題、それに中東のテロ組織との戦いやそれに伴う難民問題、キリスト教徒イスラム教の対立、さらには自国第一主義(逆に言えば排他主義)にポピュリズムの問題等々、政治的、宗教的、思想的に分断や対立が深刻化していったときで、そういったことを乗り越え、対立から融合への道を模索するために、アルバム制作を開始し、彼ら流のメッセージを込めているのである。

 このアルバムには荘厳な雰囲気を湛えた曲や、アメリカ南部のようなゴスペル曲も含まれているし、2曲の人種問題に言及した曲や銃規制を訴える曲などのメッセージ性を伴った曲もある。バンドのベーシストであるガイ・ベリーマンは、「クリスはもっと怒りを表現したいんだ。僕らが作ったアルバムの中で"ペアレンタル・アドバイザリー"のステッカーが貼られた初めてのアルバムなんだ」と言っていたが、今までよりも一歩踏み込んで、メッセージを発している点では評価されるだろう。

 さらには、旅客機の移動による二酸化炭素の排出が気候変動の大きな要因の一つとされていることから、このアルバムに関してのワールド・ツアーは行わないらしい。彼らは「今後、サステナブルなツアーを模索し、環境にプラスの影響を与えられる方法を考えていく」としており、ある一定の目途が立つようになれば、ツアーを行うのだろうが、それまでは封印するようだ。それこそ1960年代のツアーのように、バンかマイクロバスをレンタルして、楽器を乗せて移動するという気持ちなのだろうか。イギリス国内ならまだしも、それじゃ来日公演は無理だろう。ここ日本では、しばらくは彼らの姿をステージで見ることはできないようだ。Maxresdefault_20200125174501

 でも思うに、世界中のどんな地域でもコールドプレイの演奏する姿を見たいと思っている人はいるだろうし、インターネットで見るよりは、実際の生の姿や演奏に触れたいと思う人は、数えきれないほどいるだろう。そういうファンの姿にどう応えていくのだろうか。そんなファンよりも飛行機の排出ガスの方が、気になるというのだろうか。社会正義を体現するのはいいのだけれども、ミュージシャンという立場を忘れないでほしいし、それとこれとは別問題のように思えるのだが、どうだろうか。

 それと、このアルバムを一聴した限りでは、どうもメッセージ性の方が音楽性よりも前面に出されていて、ロック・ミュージックの持つダイナミズムとか疾走感や衝動性が伝わってこないのである。ある意味、観念性の強いアルバムであり、彼らのメッセージを支える音楽性が脆弱なのだ。だから聞いていくにつれて、だんだんと暗く沈むようになってしまう。

 こういう観念性の強いアルバムというのはプログレッシヴ・ロックにはよくあるもので、例えばジョン・アンダーソンの「サンヒローのオリアス」、マイク・オールドフィールドやタンジェリン・ドリームの一連のアルバムには、そういう傾向が強い。それらのアルバムの特徴は、耽美的で、静寂性は伴っているものの、やはりロック本来の破壊性や衝動性にはほど遠い。感動はあっても、スカッと爽やかな感覚には浸れないのである。

 もし、これがU2なら、同じような問題意識を持っていたとしても、表現方法は異なるだろう。もっとロック寄りのアルバムを制作するに違いない。また、これがもしアメリカのバンドであるグリーン・デイだったら、どうだろうか。あの問題作「アメリカン・イディオット」で時のブッシュ政権を痛烈に批判した彼らなら、おそらく違う音楽性でメッセージを放出していくであろう。
 確かに、バンドの姿勢というか、バンドの音楽性によっては、表現方法が異なってくるのは事実だし、そのバンド本来の音楽で勝負するのが本来の姿なのだろうから、コールドプレイがこの「エヴリディ・ライフ」で表現したような音楽性を非難することはできないだろう。ただ、それを好むか好まないかは個人の問題であり、個人の嗜好なのだから、好き嫌いをとやかく言うつもりはない。自分にとっては、このアルバムは合わないというだけのことである。

 アルバムの1曲目は"Sunrise"で始まる。これは"Viva La Vida"のような室内管弦楽団風の曲で、こういう音楽を"チェンバー・ロック"というのだろう。ゆっくりと、まるで朝日が昇るかのように、徐々に徐々に彼らの世界観にいざなっていく。続く"Church"から彼らの流のロック・ミュージックが始まる。朝の祈りにしてはちょっとリズムが強い気もするが、今までコールドプレイの音楽を聞いてきた人なら、安心して聞くことができるだろう。途中でアラビア語で女性が歌っている箇所があり、まさにイスラム圏とキリスト教圏の対立を超克するかのようだ。

 曲間もなしに、次の曲"Trouble in Town"が始まる。これは人種間の対立を歌っていて、アメリカのアフリカ系アメリカ人が有無を言わさずヨーロッパ系アメリカ人の警官から射殺されている現実を歌っている。ダークな内容なので曲調も暗いし、途中で警察官の実際の音声も挿入されているのでよりいっそう既視感が強くなっていく。最後は、ズールー語でネルソン・マンデラを讃える子どもの声で終わるのだが、何となく無理にくっ付けた感じがして、どうせならもっとシンプルに終わらせてくれた方が、印象度は強かったのではないだろうか。

 "Broken"は、直球のアメリカ南部のゴスペル・ソングだ。まるで初期のレオン・ラッセルかデラニー&ボニーの曲のようだ。曲のどこかでクラプトンのギターでも聞こえてくるのかと思った。"Daddy"は文字通り父親を求める歌で、バンド・リーダーのクリス・マーティンが2人の子どもの父親だからという理由もあったのだろう。ピアノを主体にしたスロー・バラードで、ジョン・レノンの"Mother"に対抗して作られたのだろうか。曲の雰囲気が似ているので、そう思ってしまった。ただし、クリスの方は声を押さえて静謐の中で歌っていて、決してシャウトはしていなかった。また、クリス自身はこの曲のモチーフは3つあって、1つは自分自身のこと、1つは今まで父親を失ってきた人を数多く見てきたこと、もう1つはアメリカにおける刑務所産業複合体についてであり、たくさんの法律に人種差別が織り込まれていて、その結果、子どもたちが父親を奪われているということらしい。いずれにしても、シンプルで美しいバラードである。

 "Daddy"のあと小鳥の声が挿入されて、"Wonder of the World/Power of the People"が始まるのだが、これは曲自体が未完成で、アコースティック・ギター一本で歌われていて、まだデモの段階らしい。それならアルバムに収録するなよといいたくなるのだが、彼らの感性のなせる業というべきか。"Arabesque"は前半のクライマックスとも言うべき曲で、思想的にはイスラムとキリスト文化の融合を訴えており、音楽的にもフィーチャーされたサックス・ソロが、現実の悲劇と痛みと哀しみを表現している。パワーを秘めた曲でもあり、このアルバムで、コールドプレイの表現したいことが集約されている曲でもある。曲の後半のサックスはフェミ・クティという人が演奏していて、彼はアフリカ系の人の解放と平和のために戦ったフェラ・クティの息子だった。フェラ・クティは"音楽は武器、音楽は未来の武器"と述べていて、この曲にもこのメッセージが歌われていた。また、ベルギー人のストロミーという人も歌っている。

 前半最後の曲が"When I Need A Friend"で、ピアノをバックに、エコーのかかったアカペラのコーラスで歌われている。これにも雨音や街のざわめきなどのSEが加えられている。2分35秒という長さなのだが、静かな曲だったせいか、自分にはもっと短く感じられた。71os3tkjial__ac_sl1200_

 後半の"Sunset"は"Guns"から始まる。学校の始まりのようなチャイムのあと、ザ・フーのピート・タウンゼントが弾いているようなアコースティック・ギターに乗ってクリス・マーティンが歌っている。文字通り、銃規制の曲で怒りを込めて歌っているようなのだが、それならもっとシャウトするとか大声で歌うとか、何かしら表現方法はあると思うのだが、そこまで至っていない。内に秘めた炎というものだろうか。

 "Guns"は1分55秒と短く、あっという間に終わって次の"Orphans"が始まる。これは孤児のことを歌っていて、歌詞の中ではダマスカスと限定されていたが、もちろん戦争孤児や難民のことも含まれているのだろう。悲惨な内容の割には意外とポップで、思わず口ずさんだりもできるだろう。それはもちろん、ちょっと不謹慎だと思うけど。ちなみに"Arabesque"と"Orphans"は両面シングルで発表された。

 "Eko"はピアノとアコースティック・ギターによるアコースティックな作品で、これまた軽くて耳になじみやすい。彼らのポップな一面が垣間見られる曲だろう。"Cry Cry Cry"はジェイコブ・コリアーという人とのデュエット曲で、何となく60年代のモータウン風か50年代のキャンディ・ポップな魅力を伴っているややスローな曲。"Old Friends"はアコースティック・ギター一本で歌われるフォーク・ソングだろう。この辺は2分台の曲が続く。

 "Bani Adam"は輸入盤ではアラビア語で表記されていて、ベートーベンの"月光"のようなピアノ・ソロからエレクトロ・ミュージックへと一転する。"Bani Adam"とは13世紀のイスラムの詩人サアディーという人の作品で、かつてはオバマ大統領も演説で引用したほどの著名な作品の様だ。歌というよりも朗読のようで、もちろんアラビア語でなされている。
 その詩の朗読を受けて、"Champion of the World"が始まる。ミディアム・テンポの明るい曲で、何となく心がホッとしてしまった。この曲は当時10代だったクリスが経験したことを基にしていて、宗教に夢中だったクリスが周りの子どもたちからいじめられたことを歌っている。「いま大変な思いをしている若者たちに向けて、君ならできるって言っているんだ」と語っていたから、肯定的な内容なのだろう。だから曲のメロディーも明るくなっているのだろう。

 そして最後の曲は、アルバム・タイトルでもある"Everyday Life"だ。この曲もシングル・カットされていて、スローなリズムと美しいメロディを包み込むかのように室内管弦楽団が繊細なアンサンブルを披露している。"Sunrise"という曲と呼応しているかのようで、そういう意味では、確かに円環的手法のプログレッシヴ・ロックを踏襲している。

 彼らのファンなら言うことはないだろうが、個人的には、いまひとつ気持ちが晴れないのだ。彼らの初期に見られたようなギター・ロック・サウンドを再び期待していたのだが、2008年の「美しき生命」の成功以降、観念的というか思想性が重厚過ぎて音楽性が押されているような気がしてならない。確かに、曲自体は素晴らしいのだが、アルバム全体を通して聞くと、ロックのカタルシスを得ることができないのだ。
 ただ、このアルバムはセールス的には大成功で、アルバム・チャートでは全英1位、全米7位を記録した。歪んでいるのは、私の感性なのかもしれない。Rs18403353049468

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2020年3月 2日 (月)

ルイス・キャパルディ

 この手の音楽って、欧米人は大好きなんだなあ、そんなことを考えながら初めて彼のアルバムを聞いてみた。"彼"というのは、スコットランド出身のシンガー・ソングライターであるルイス・キャパルディという人だ。個人的な感想としては、"第二のアデル"か、もしくは"第二のサム・スミス"だろうか。71bliz2w1ll__ac_sl1500_

 欧米人は、特に、アメリカ人は、こういう音楽を聞いてゴスペルを想起するんじゃないかな、曲の雰囲気やたたずまいは、これはもう立派な教会音楽でしょう、足りないのは"コール&レスポンス"だけのような気がする。
 一方、イギリス人はこの手の音楽を心のどこかで待ちわびているような気がする。国民性といっていいのかわからないけれど、どっかで内省的というか、自己を見つめる視点というか、マイナーな調べに乗って生活を振り返るような、そんな気分にさせられるし、そういうひと時を望んでいるのかもしれない。

 だってイギリスは島国だし、外から攻められる危険性は少ないわけで、そうなると自分たちの人生や生活にどうしても目が行くわけでしょ、だから、仕事が終わるとパブに行っては音楽を聴きながらバカ騒ぎ?をすることもあるわけで、たまに騒いで、でもいつもというわけではなく、やはり時々、自分の人生を見つめ直すんじゃないかな。

 それにイギリスは階級社会だし、労働者階級の人は、本人が意識してそこから抜け出そうとしない限り、死ぬまで労働者階級に留まるわけで、そうなったら騒いで憂さを晴らすか、諦観というか、「明日は明日の風が吹くさ」というあきらめにも似た感情がどこかに渦巻いているような気がする。普段は表に出さないけれど、ある時フッとそういう気持ちが表に出て、こういう音楽を聴きたくなるのかも。自分はイギリス人じゃないけれども、自分がそういう社会で暮らしているのであれば、そう思ってしまうだろう。

 そんなことはどうでもいいんだけど、ちょっと気になったので、この手の音楽の流れを見てみると、次のような感じになると思う。
アデル       ・・・2006年デビュー、当時18歳、売れ始めたのは2008年、20歳の時
エド・シーラン   ・・・2004年デビュー、当時13歳、売れ始めたのは2011年、20歳の時
サム・スミス    ・・・2007年デビュー、当時15歳でも売れ始めたのは2012年、20歳の時
ルイス・キャパルディ・・・2017年デビュー、当時21歳あっという間に人気に火がついてしまった

 こうやってみると、上の3人は、みんな若い時から歌っていたり、演奏していたりと、それなりに下積みがあるというか、頑張っていたんだなあということがわかるけど、ルイス・キャパルディの場合は、いきなり売れてしまったという感が強いんだ、これってやっぱりネットの影響のせいだろうね。
 彼の場合は、自宅で録音していた曲をYouTubeなどでアップしていたところを見つけられて、レコード契約がないのに2017年3月にシングルを発表していて、その後デジタル配信になり、続けて違うシングルを発表して世界的に売れてしまったみたい。今はもう誰でもミュージシャンになれる時代になってしまった。Images_20200201224801

 となると心配になるのが、いわゆる"一発屋"というレッテルが貼られることなんだけれども、たぶんもう少し売れるんじゃなかな、そんな気がする、根拠はないけれど。たとえば、ジェイムズ・ブラントなんかは2005年に"You're Beautiful"が世界中でヒットしたけど、その後はメジャーな扱いはされなくなったよね、でも、コンスタントにアルバムは発表しているし、"You're Beautiful"のようなキャッチーな曲はないけど、シングルやアルバムはチャートの上位に顔を出している。きっと根強いファンがいるんだろうと思うけど、ルイス・キャパルディもそんな感じがするんだ。

 彼はシンガー・ソングライターの扱いなんだけど、1970年代のシンガー・ソングライターというのは、本当に自作自演で、ひとりで曲を書いて、歌って、演奏して、場合によってはアルバムのプロデュースもしたりと、文字通りの"自作自演歌手"だった。でも、今のシンガー・ソングライターというのは、アデルやエド・シーランの場合を見ればわかるように、バックに強力なサポート体制があるんだよ。

 ルイス・キャパルディの場合もニック・アトキンソンやエド・ホロウェイ、エミリー・サンデーを手がけたEMSというプロデューサー集団がバックアップしていた。これはもうほぼ完璧な支援体制じゃないだろうか。それだけ才能に恵まれているというか、可能性を秘めていると見込まれたわけだから、ルイスも大変だと思う。

 だから、そのサポート体制が維持されている限りは、ルイス・キャパルディは売れ続けるし、それなりに人気も保っていけると思う。基本はルイス・キャパルディの場合も自分で曲を書いているんだけど、やっぱり曲はアレンジされるんじゃないかな。それがどの程度なのかはわからないけれど、今はいいけど、サポート・チームが口をはさみ過ぎると、彼も嫌になるだろうし、ミュージシャンとしてのプライドもあるだろうし、素直にアドバイスを受け入れられなくなる時が来るかもしれない、そういうときに、どうなるんだろう。

 ミュージシャンとしてのプライドが肥大化してしまえば、傲慢になる場合もあるだろうし、そうなったらサポート体制もなくなるかもしれない。それに、今の音楽業界って厳しいから、セールスが下降してしまうと、すぐにほかの売れそうな新人ミュージシャンやバンドを探してくるだろう。音楽の質よりも話題性が先行しているからね。そうなったら厳しくなるだろうなあ。 Imagessdhavpah

 それにイギリスって流行に敏感というか、流行のサイクルが早いから、そんな中で人気を保っていくのは大変だと思う。パンク・ロックなんかあっという間に終わってしまったし、ヒットを飛ばして売れたバンドもやがては解散してしまう。90年代のブリット・ポップ時代のブラーやオアシスがいい例だよね。

 逆にいえば、そんな中で生き残ってきたミュージシャンやバンドは世界的に有名になっていくのだろう、U2やレディオヘッド、コールドプレイなんかはそうだよね。共通点は、楽曲の良さと微妙に変化球を入れるところだろう。同じ傾向の音楽をやれば、たちまち飽きられると思っているから、音楽的方向性をアルバムごとに替えていくんだろうね。ストーンズなんかは基本はロックで、アメリカ南部のブルーズなんかをルーツに持っているけど、ロック一辺倒じゃなくて、ブルーズっぽい曲やソウルフルな曲、ディスコ調の曲まで取り入れるんだから、それだけの懐の深さが必要だと思う。
 ルイス・キャパルディの場合も、そういうキャパシティの広さを発揮してほしいね。"キャパルディ"じゃなくて"キャパシティ"に変えればいいかも、冗談だけど。

 彼の場合は、もちろん曲がいいというのは当然としても、声が印象的というか、けっこう野太いんだよね。見かけは若いし、清潔感があって、そんな感じには見えないんだけれど、声は綺麗じゃない、特に、声を張り上げて歌うときは少しザラツキ感があるんだ。でもそれがまた印象的で、心に染み入ってしまうんだよね。こればっかりは才能というよりは、持って生まれた天賦の才のようなものなんだろうね。この声がある限りは、彼は売れると思う。

 それに、体型がまた面白くて、見かけと歌のギャップがあっていいんだと思う。デビュー時のアデルのようだね。あそこまで体型は太くないけど、スマートでダンディというわけじゃなくて、もっさりとしてちょい太というところがいいのかもしれない。これが痩せたら逆に人気が無くなるかも。
 それにSNSで発信されるメッセージもユニークで面白いと評判がいいようだし、PVもちょっと変わっているし、そのギャップがいいんだろうね、いろんな意味で。今は注目されているから、彼の一挙手一投足が話題になるんだけど、やっぱりシンガーなのだから歌で勝負してもらいたいし、いい曲を、みんなの記憶に残るような曲を末永く歌ってほしいと思う。Lewisgettyimages1126250775720x480

 彼はスコットランドのグラスゴー出身で、9歳の時にギターを買ってもらい、11歳から曲を書き始め、パブなどで歌い始めたらしい。17歳から本格的に音楽活動を始めたようで、やはり自分のキャリアを自覚して、それに賭けたのだろう。それはやはり作曲能力と自分の声の素晴らしさに気づいたからに違いない。11歳の時に書いた曲が"The Show Must Go On"というタイトルだったというから、その時点で彼の人生は約束されたものになったに違いない。

 最後に、具体的な数字を示して、彼の今までの音楽的成果を確認したいと思う。2017年に発表したデビューEP「ブルーム」は、全世界で1億2000万回以上もストリーミング再生された。そして2018年に出されたシングル"Someone You Loved"は、全英シングル・チャート7週連続首位に輝き、全米でも1位になっているし、世界19カ国でプラチナ・シングル・ディスクに認定された。

 この曲を含むデビュー・アルバム「ディヴァインリー・アンインスパイアード・トゥ・ア・ヘリッシュ・エクステント」は、2019年5月に発表されて、すぐさま初登場全英1位になり、通算6週間1位を獲得した。しかし、いったん首位から陥落したものの、今年になっても人気は衰えず、先月、再び首位に返り咲いている。617ghz67oql__ac_sl1168_
 日本では約半年遅れでこのアルバムが発表されたが、セールス的にはどうなんだろう。イギリスでは、デビュー・アルバムを発表する前からアリーナクラスのツアーが企画され、チケットは約1秒で完売したという。願わくば、商業主義に毒されずに、その豊かな才能を最大限発揮しながら、納得の行くまで自分の音楽的キャリアを追求していってほしいものである。

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