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2020年3月 9日 (月)

コールドプレイの新作

 昨年の秋に、コールドプレイの新作「エヴリディ・ライフ」が発表された。このアルバムは、いわゆるコンセプト・アルバムで、"サンライズ"と"サンセット"の2部形式に分かれていて、一日24時間を描いている。こういう企画は、コールドプレイにとっては初めての試みのようで、今までのアルバムとは一線を画している。A1ikwr302xl__ac_sl1500_

 何が彼らをこういうアルバムにさせたかというと、彼らがワールド・ツアーをしていた2016年から2017年当時では、アメリカのトランプ大統領の出現やイギリスのEU離脱問題、それに中東のテロ組織との戦いやそれに伴う難民問題、キリスト教徒イスラム教の対立、さらには自国第一主義(逆に言えば排他主義)にポピュリズムの問題等々、政治的、宗教的、思想的に分断や対立が深刻化していったときで、そういったことを乗り越え、対立から融合への道を模索するために、アルバム制作を開始し、彼ら流のメッセージを込めているのである。

 このアルバムには荘厳な雰囲気を湛えた曲や、アメリカ南部のようなゴスペル曲も含まれているし、2曲の人種問題に言及した曲や銃規制を訴える曲などのメッセージ性を伴った曲もある。バンドのベーシストであるガイ・ベリーマンは、「クリスはもっと怒りを表現したいんだ。僕らが作ったアルバムの中で"ペアレンタル・アドバイザリー"のステッカーが貼られた初めてのアルバムなんだ」と言っていたが、今までよりも一歩踏み込んで、メッセージを発している点では評価されるだろう。

 さらには、旅客機の移動による二酸化炭素の排出が気候変動の大きな要因の一つとされていることから、このアルバムに関してのワールド・ツアーは行わないらしい。彼らは「今後、サステナブルなツアーを模索し、環境にプラスの影響を与えられる方法を考えていく」としており、ある一定の目途が立つようになれば、ツアーを行うのだろうが、それまでは封印するようだ。それこそ1960年代のツアーのように、バンかマイクロバスをレンタルして、楽器を乗せて移動するという気持ちなのだろうか。イギリス国内ならまだしも、それじゃ来日公演は無理だろう。ここ日本では、しばらくは彼らの姿をステージで見ることはできないようだ。Maxresdefault_20200125174501

 でも思うに、世界中のどんな地域でもコールドプレイの演奏する姿を見たいと思っている人はいるだろうし、インターネットで見るよりは、実際の生の姿や演奏に触れたいと思う人は、数えきれないほどいるだろう。そういうファンの姿にどう応えていくのだろうか。そんなファンよりも飛行機の排出ガスの方が、気になるというのだろうか。社会正義を体現するのはいいのだけれども、ミュージシャンという立場を忘れないでほしいし、それとこれとは別問題のように思えるのだが、どうだろうか。

 それと、このアルバムを一聴した限りでは、どうもメッセージ性の方が音楽性よりも前面に出されていて、ロック・ミュージックの持つダイナミズムとか疾走感や衝動性が伝わってこないのである。ある意味、観念性の強いアルバムであり、彼らのメッセージを支える音楽性が脆弱なのだ。だから聞いていくにつれて、だんだんと暗く沈むようになってしまう。

 こういう観念性の強いアルバムというのはプログレッシヴ・ロックにはよくあるもので、例えばジョン・アンダーソンの「サンヒローのオリアス」、マイク・オールドフィールドやタンジェリン・ドリームの一連のアルバムには、そういう傾向が強い。それらのアルバムの特徴は、耽美的で、静寂性は伴っているものの、やはりロック本来の破壊性や衝動性にはほど遠い。感動はあっても、スカッと爽やかな感覚には浸れないのである。

 もし、これがU2なら、同じような問題意識を持っていたとしても、表現方法は異なるだろう。もっとロック寄りのアルバムを制作するに違いない。また、これがもしアメリカのバンドであるグリーン・デイだったら、どうだろうか。あの問題作「アメリカン・イディオット」で時のブッシュ政権を痛烈に批判した彼らなら、おそらく違う音楽性でメッセージを放出していくであろう。
 確かに、バンドの姿勢というか、バンドの音楽性によっては、表現方法が異なってくるのは事実だし、そのバンド本来の音楽で勝負するのが本来の姿なのだろうから、コールドプレイがこの「エヴリディ・ライフ」で表現したような音楽性を非難することはできないだろう。ただ、それを好むか好まないかは個人の問題であり、個人の嗜好なのだから、好き嫌いをとやかく言うつもりはない。自分にとっては、このアルバムは合わないというだけのことである。

 アルバムの1曲目は"Sunrise"で始まる。これは"Viva La Vida"のような室内管弦楽団風の曲で、こういう音楽を"チェンバー・ロック"というのだろう。ゆっくりと、まるで朝日が昇るかのように、徐々に徐々に彼らの世界観にいざなっていく。続く"Church"から彼らの流のロック・ミュージックが始まる。朝の祈りにしてはちょっとリズムが強い気もするが、今までコールドプレイの音楽を聞いてきた人なら、安心して聞くことができるだろう。途中でアラビア語で女性が歌っている箇所があり、まさにイスラム圏とキリスト教圏の対立を超克するかのようだ。

 曲間もなしに、次の曲"Trouble in Town"が始まる。これは人種間の対立を歌っていて、アメリカのアフリカ系アメリカ人が有無を言わさずヨーロッパ系アメリカ人の警官から射殺されている現実を歌っている。ダークな内容なので曲調も暗いし、途中で警察官の実際の音声も挿入されているのでよりいっそう既視感が強くなっていく。最後は、ズールー語でネルソン・マンデラを讃える子どもの声で終わるのだが、何となく無理にくっ付けた感じがして、どうせならもっとシンプルに終わらせてくれた方が、印象度は強かったのではないだろうか。

 "Broken"は、直球のアメリカ南部のゴスペル・ソングだ。まるで初期のレオン・ラッセルかデラニー&ボニーの曲のようだ。曲のどこかでクラプトンのギターでも聞こえてくるのかと思った。"Daddy"は文字通り父親を求める歌で、バンド・リーダーのクリス・マーティンが2人の子どもの父親だからという理由もあったのだろう。ピアノを主体にしたスロー・バラードで、ジョン・レノンの"Mother"に対抗して作られたのだろうか。曲の雰囲気が似ているので、そう思ってしまった。ただし、クリスの方は声を押さえて静謐の中で歌っていて、決してシャウトはしていなかった。また、クリス自身はこの曲のモチーフは3つあって、1つは自分自身のこと、1つは今まで父親を失ってきた人を数多く見てきたこと、もう1つはアメリカにおける刑務所産業複合体についてであり、たくさんの法律に人種差別が織り込まれていて、その結果、子どもたちが父親を奪われているということらしい。いずれにしても、シンプルで美しいバラードである。

 "Daddy"のあと小鳥の声が挿入されて、"Wonder of the World/Power of the People"が始まるのだが、これは曲自体が未完成で、アコースティック・ギター一本で歌われていて、まだデモの段階らしい。それならアルバムに収録するなよといいたくなるのだが、彼らの感性のなせる業というべきか。"Arabesque"は前半のクライマックスとも言うべき曲で、思想的にはイスラムとキリスト文化の融合を訴えており、音楽的にもフィーチャーされたサックス・ソロが、現実の悲劇と痛みと哀しみを表現している。パワーを秘めた曲でもあり、このアルバムで、コールドプレイの表現したいことが集約されている曲でもある。曲の後半のサックスはフェミ・クティという人が演奏していて、彼はアフリカ系の人の解放と平和のために戦ったフェラ・クティの息子だった。フェラ・クティは"音楽は武器、音楽は未来の武器"と述べていて、この曲にもこのメッセージが歌われていた。また、ベルギー人のストロミーという人も歌っている。

 前半最後の曲が"When I Need A Friend"で、ピアノをバックに、エコーのかかったアカペラのコーラスで歌われている。これにも雨音や街のざわめきなどのSEが加えられている。2分35秒という長さなのだが、静かな曲だったせいか、自分にはもっと短く感じられた。71os3tkjial__ac_sl1200_

 後半の"Sunset"は"Guns"から始まる。学校の始まりのようなチャイムのあと、ザ・フーのピート・タウンゼントが弾いているようなアコースティック・ギターに乗ってクリス・マーティンが歌っている。文字通り、銃規制の曲で怒りを込めて歌っているようなのだが、それならもっとシャウトするとか大声で歌うとか、何かしら表現方法はあると思うのだが、そこまで至っていない。内に秘めた炎というものだろうか。

 "Guns"は1分55秒と短く、あっという間に終わって次の"Orphans"が始まる。これは孤児のことを歌っていて、歌詞の中ではダマスカスと限定されていたが、もちろん戦争孤児や難民のことも含まれているのだろう。悲惨な内容の割には意外とポップで、思わず口ずさんだりもできるだろう。それはもちろん、ちょっと不謹慎だと思うけど。ちなみに"Arabesque"と"Orphans"は両面シングルで発表された。

 "Eko"はピアノとアコースティック・ギターによるアコースティックな作品で、これまた軽くて耳になじみやすい。彼らのポップな一面が垣間見られる曲だろう。"Cry Cry Cry"はジェイコブ・コリアーという人とのデュエット曲で、何となく60年代のモータウン風か50年代のキャンディ・ポップな魅力を伴っているややスローな曲。"Old Friends"はアコースティック・ギター一本で歌われるフォーク・ソングだろう。この辺は2分台の曲が続く。

 "Bani Adam"は輸入盤ではアラビア語で表記されていて、ベートーベンの"月光"のようなピアノ・ソロからエレクトロ・ミュージックへと一転する。"Bani Adam"とは13世紀のイスラムの詩人サアディーという人の作品で、かつてはオバマ大統領も演説で引用したほどの著名な作品の様だ。歌というよりも朗読のようで、もちろんアラビア語でなされている。
 その詩の朗読を受けて、"Champion of the World"が始まる。ミディアム・テンポの明るい曲で、何となく心がホッとしてしまった。この曲は当時10代だったクリスが経験したことを基にしていて、宗教に夢中だったクリスが周りの子どもたちからいじめられたことを歌っている。「いま大変な思いをしている若者たちに向けて、君ならできるって言っているんだ」と語っていたから、肯定的な内容なのだろう。だから曲のメロディーも明るくなっているのだろう。

 そして最後の曲は、アルバム・タイトルでもある"Everyday Life"だ。この曲もシングル・カットされていて、スローなリズムと美しいメロディを包み込むかのように室内管弦楽団が繊細なアンサンブルを披露している。"Sunrise"という曲と呼応しているかのようで、そういう意味では、確かに円環的手法のプログレッシヴ・ロックを踏襲している。

 彼らのファンなら言うことはないだろうが、個人的には、いまひとつ気持ちが晴れないのだ。彼らの初期に見られたようなギター・ロック・サウンドを再び期待していたのだが、2008年の「美しき生命」の成功以降、観念的というか思想性が重厚過ぎて音楽性が押されているような気がしてならない。確かに、曲自体は素晴らしいのだが、アルバム全体を通して聞くと、ロックのカタルシスを得ることができないのだ。
 ただ、このアルバムはセールス的には大成功で、アルバム・チャートでは全英1位、全米7位を記録した。歪んでいるのは、私の感性なのかもしれない。Rs18403353049468


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