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2020年3月30日 (月)

アビイ・ロード(2)

 ザ・ビートルズのアルバムを1963年の「プリーズ・プリーズ・ミー」から1970年の「レット・イット・ビー」まで順に聞くたびに、これは人間の一生を表しているなあ、といつも思っている。一生といっても赤ん坊からではなくて、15,16歳の若者が老人になって亡くなるくらいまでの期間を想定してしまうのだが、初期の若々しさや初々しさが、時が過ぎるとともに段々と落ち着いてきて老成し、そしてついには命が尽きてこの世から去っていってしまう、そういうイメージが湧いてくるのである。C6efa3fd2d0401199cbdc18c1d98451c

 それはアルバム・ジャケットの移り変わりを見ればよくわかると思う。1964年の「ビートルズ・フォー・セイル」あたりから彼らの顔つきが変わり始め、65年の「ヘルプ!」を経て、同年の「ラバー・ソウル」になると、ちょっと別のバンドじゃないかと思われるくらい変わっていってしまう。もちろん顔つきだけでなく、楽曲の傾向もインド音楽やストリングスの導入、テープの逆回転やサイケデリック・ミュージックの影響など、複雑なものになっていった。

 そして「アビイ・ロード」である。このジャケットもよく知られているように、アビイ・ロード・スタジオの前にある横断歩道を4人が歩いているんだけれど、先頭を歩くジョン・レノンは司祭、次のリンゴ・スターは黒い服なので葬儀屋、ポールは1967年1月に自動車事故で死んでしまったと噂されていたので死人、最後を歩くジョージ・ハリソンは墓堀り人夫と暗に仄めかされていた。駐車中のフォルクスワーゲンのナンバーが、もしポールが生きていれば28歳になるはずだという意味で、"IF28"になっているとまで言われていた。実際は、この日は暑くて、ポールは思いつきでサンダルを脱いで裸足になっただけだったのに(裸足は"死者"を意味するマフィアの符号といわれている)。1969年8月8日午前10時頃のお話だ。71dk9bbpanl__ac_sl1000__20200216003101

 "アビイ・ロード・セッション"は、前回も記したように、1969年の7月から本格的に始められた。決していいムードで進んでいたわけではなく、4人のメンバーはかなりの緊張とプレッシャーを感じながらも、レコーディングを進めていった。
 アルバムのタイトルは、当初「エヴェレスト」と名付けられ、ジャケット写真も現地まで言って撮影しようという案まで出されたが、当然のごとく却下された。実際は、「エヴェレスト」という名前は、エンジニアのジェフ・エメリックが当時吸っていたメンソールのたばこの銘柄であり、ネパールにある山とは無関係だったからだ。

 ただ、ポールはエヴェレストは世界一高い山だから頂点を意味する、最高点だし、このアルバムの内容に当てはまるよ、と一時は支持していたようだ。そして結局は、シンプルに「アビイ・ロード」になったのである。もちろん、これは今までお世話になっていた、そして今もなおレコーディングをしているスタジオにちなんで名づけられたものだった。001

 このアルバムで目立った活躍をしたのは、ポールだけでなく、やはりこの人ジョージ・ハリソンを忘れてはならないだろう。彼はこの時期シンセサイザーに興味を示し始め、このレコーディングにも大型ユニットのシンセサイザーを持ち込んだのである。だからこのアルバムでは、シンセサイザーも演奏している。ザ・ビートルズ時代では、レノン&マッカートニーの陰に隠れてあまり目立たなかったジョージだが、実は進取の精神に富んでおり、シタールやシンセサイザーなど、その当時の先駆けとなるようなものを好んで取り入れているのだ。あるいはその逆かもしれない。彼が取り上げたことによって注目され、時代のトレンドになった可能性もあるだろう。

 そのシンセサイザーは、"Maxwell's Silver Hammer"や"I Want You(She's So Heavy)"の後半部分、自分自身で作った曲である"Here Comes the Sun"、"Because"などで聞くことができる。特にジョンの作った"Because"では、全面的にムーグ・シンセサイザーが使用されていて、ギターとユニゾンで奏でられている。コーラスはジョンとポールとジョージの3人だ。ベートーベンの「月光」のコード進行を逆からたどったとされていて、1時間くらいでレコーディングが終わったという記録が残されている。

 それにジョージはまた、このアルバムにおいてレノン&マッカートニーに匹敵する、いやそれ以上の歴史に残る傑作を2曲も残している。みんな知っている"Something"であり、"Here Comes the Sun"である。
 "Something"は当時の妻だったパティ・ボイドに捧げられていて、"Come Together"とのダブルA面としてシングル・カットされた。ジョージの曲が、ザ・ビートルズ時代でシングルのA面になったのはこれが最初で、そして最後になった。ギターはジョージ自身だが、ピアノはジョンが弾いている。
 
 それにしてもパティ・ボイドという人は、何というラッキーな人というか、ある意味、ポピュラー音楽史上に名を遺した女性の一人になった。しかも自らは表現せずに、対象者としてだ。ギリシャ神話に出てくる音楽・文芸の神ミューズとは彼女のような存在なのかもしれない。"It's All Too Much"もパティに捧げられているし、あのエリック・クラプトンの歴史的名曲"Layla"や、日本でもヒットした"Wonderful Tonight"もパティについて歌われたものだった。

 "Here Comes the Sun"では、今まで長い長い冬が続いてきたけれど、やっと太陽が顔を出したと歌われていて、ポールはこれを聞いて、初期の頃のように、みんなが集まってお互いがよくわかっている方法で曲作りが進んで行くことを意味していると喜んでいたそうだ。ただこの曲は、レコーディングが嫌になったジョージがアビイ・ロード・スタジオを抜け出して、エリック・クラプトンの家で作った曲だった。だから、ポールの考えと少し違うのではないかと考えられる。実際は、ザ・ビートルズ解散後のことも視野に入れての自分自身のことを歌っているのではないだろうか。ちなみにこの曲でも、ジョージはギターとシンセサイザーを担当していた。005

 そして、このアルバムが完成までこぎつけることができたのは、やはりポール・マッカートニーのおかげだろう。"Oh! Darling"では声をからして迫力を出すために、1週間毎朝スタジオに出てきて歌っていたし、ジョンの曲だった"Come Together"ではエレクトリック・ピアノを、"I Want You(She's So Heavy)"ではアレンジを行い、実際に自分で歌ったりもしていたそうだ。

 さらには後半の"You Never Give Me Your Money"から続く一連のメドレーは、まさにこのアルバムの白眉だろう。このメドレーのおかげで、このアルバムの価値がさらに高まったはずである。当時はすでにプログレッシヴ・ロックというジャンルが確立されつつあったが、こういうメドレー形式もプログレッシヴ・ロックに影響を与えたに違いないだろう。「アビイ・ロード」は「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」とは違ってトータル・アルバムではないけれど、怪物バンドが放った最後の輝きという点では、トータル・アルバムと言ってもいいのかもしれない。

 "You Never Give Me Your Money"はもちろんアラン・クラインを含むアップル社や自分たちの財政上のトラブルを歌ったもので、"A Day in the Life"のように、いくつかの曲を一つにまとめたもの。"Sun King"はジョンの曲で、元のタイトルは"Los Paranoias"と付けられていた。一部はスペイン語で歌われているが、単語を並べただけの様だ。"Mean Mr. Mustard"と"Polythene Pam"は、インドでジョンが作った曲で、いずれも未完成のものだった。この曲の原型は「ホワイト・アルバム」50周年記念盤の"Esher Demos"に収められていた。

 "She Came In Through the Bathroom Window"は実際にあった事件に基づいて作られた曲で、ポールの家にファンが侵入し、父親の大事な写真を持って行ったという実話を脚色している。確か、映画「Let It Be」でも歌われていたんじゃないかなあ、ちょっと記憶がはっきりしないけれど。"Golden Slumbers"は、16世紀のエリザベス朝の劇作家トマス・デッカーの詩にポールが曲をつけ、一部歌詞を付け加えたもの。続く"Carry That Weight"もポールの曲で、これもまたビジネス上の問題について歌ったものだった。

 でも、リスナーとしては、あるいは自分のように英語がよくわからない人にとっては、そんな経済的な問題ではなくて、なんか人生における生き方というか、処世訓のような意味を心の中で期待していたし、そのように捉えていた。当時のザ・ビートルズは、若者にとっての教祖のような、そして教師のような、また親のような、そんな側面も含んで見せてくれていたのである。

 そして"The End"である。果たして彼ら自身は、これで終わりと思っていたのだろうか。雰囲気的にはこれでザ・ビートルズも終わりだろうという漠然とした思いはもっていたように思える。でも、ポールだけは解散はしないと思っていたに違いない。彼は最後までザ・ビートルズを守ろうとしていた。だから彼の言葉にはこうある。『僕がザ・ビートルズをやめたのではない。ザ・ビートルズがザ・ビートルズを去っていったんだ』

 とにかく、この曲ではフィナーレを飾るように、リンゴのドラム・ソロからポール、ジョージ、ジョンの順番でギター・ソロをとっている。この終りの3曲、"Golden Slumbers"から"The End"までは全員そろってレコーディングされた。1969年7月30日のことで、4人そろってのレコーディングとしては、この日が最後になった。002

 "Her Majesty"については面白いエピソードがあって、もともとはメドレーの中の"Mean Mr. Mustard"と"Polythene Pam"の間に収められていたのだが、最終的にはカットされた。ところが当時の慣習で、完成したマスターテープからカットされたものは、すべてリールの最後のリーダー・テープに残しておいてメモ書きを残すというものがあって、担当のエンジニアだったジョン・カーランダーもそうしたのにもかかわらず、何故かメモが無視され、"Her Majesty"が最後にくっついたテープがアップル社に回され、そのオリジナル盤がポールによって試聴されたのである。

 ポールは全部聴いて帰ろうと立ち上がった時に、この曲が聞こえてきてびっくりしたという。でも、それもまた楽しいだろうということで、"Mean Mr. Mustard"の最後のコードが入った"Her Majesty"が残されたわけだ。今ではポールによるアンコール・ナンバーという位置づけだが、実際はメドレーの中の一曲だったのである。71bdcieitgl__ac_sl1106_

 とにかく、レコードでいうところのサイドBは、最初の2曲は除いて、残りの"You Never Give Me Your Money"から"Her Majesty"までは、まるでジグソー・パズルを組み合わせるかのような感じで構成されていた。しかもそのパズルが100%完璧にマッチしていたのである。まさに偶然の産物とはいえ、偶然が重なれば必然になるわけで、これはもうなるべくしてなったとしか言えないのではないか、そう思っている。ちょうどロウソクの炎が燃え尽きる時に、それまでとは違って一段と大きい炎に燃え上がるように。

 自分は、真面目に自分の葬儀の時には「アビイ・ロード」を流すようにお願いをしている。たぶん家族葬だから、もともと親族は少ないし、自分が死ぬときはほとんどいなくなっているだろうから、家族以外は誰も来ない。安心して流せるわけだ、自分は聞くことができないけれど。だから、どういう死に方をするかわからないけれど、もし病気なら死ぬ前に何度も聞くだろう。自分にとって「アビイ・ロード」とは、そういうアルバムなのである。
 また、これを作った時のジョンは誕生日が来ていなかったので28歳、ポールは27歳だった。ジョージにいたっては26歳で、最年長のリンゴは29歳だった。つまりみんなまだ20代だったのだ。やっぱりザ・ビートルズは史上空前のバンドだったのである。800x_image_20200216003801

 

 

[お知らせ]
 突然ですが、今回を持ちましてこのブログ「ろくろくロック夜話」を終了いたします。こんなつまらないブログでも13年間も続いてきました。最近ちょっと疲れてきて、あまりいい内容が書けなくなってきたと思うので、ここらへんで終わりにしたいと思いました。だから最後のテーマも「アビイ・ロード」にしました。
 一度でも読んでいただいた人に感謝いたします。ありがとうございました。たぶんもう再開はしないと思いますが、ひょっとしたら、どこか違うところで、何かしているかもしれません。ブログはやめてもロック・ミュージックはやめられません。死ぬまで聞き続けることでしょう。最後に、世界中の皆さんが健康で、平和な人生を送れるように願っています。それでは、さようなら。お元気でいて下さい。


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ブリティッシュ・ロック」カテゴリの記事

コメント

お気に入りに登録して、知っているアーティスト、興味のあるアーティストは読んでいました。ブログを読んでCDを買ったアーティストもいます。長い間お疲れ様でした。
寂しくなりますが、お元気で。

投稿: rios | 2020年4月 1日 (水) 15時38分

コメントありがとうございました、riosさま。お気に入りにまで登録していただいて申し訳ありません。少しでも参考になったのなら、今までアップしてきた甲斐があります。お金になるわけでもなく、ほとんど自己満足でやってきましたので。
 rios様もお元気でいて下さい。ひょっとしたらまたどこかで再開するかもしれません。今までありがとうございました。

投稿: プロフェッサー・ケイ | 2020年4月 1日 (水) 22時07分

こんにちは。
最近このブログを知りましたが、
休止ということでとても残念です。
詳細な記事の多くには、感銘しました。
ありがとうございました。
青春時代を思い出しました。笑
私の好きなバンドは、
PinkFloyd、KingCrimson、それにFleetwoodMac

FleetwoodMacの来日コンサート、
1977年の名古屋市公会堂に行ったのを
ふと思い出しました。
家のどこかにコンサートパンフレットがあるはず・・・
探してみよっと!

また、いつか再開されることを
期待して待ってます。

投稿: ピンクフロイド | 2020年4月 2日 (木) 12時22分

こんばんは。
足跡を残したと思ったらすぐの終了とのこと汗、とても残念です。
先日はオサリヴァンの話でウンチクを垂れさせていただきましたが、私もまずはビートルズ…という人間で、Abbey Roadは本当にalltime好きなアルバムベスト3からは絶対に外れない作品なので、楽しく記事を拝見させていただきました。
折も折、アビーロードの横断歩道で、新型肺炎で人出が少なくなった機を選んだかのようについ先日、white lineが引き直されたという記事がネットで話題になっていましたね…
中には結構知らなかった話もあってとても興味深く読ませていただきました。
私感でしかありませんが、"Her Majesty"を最後にこっそり入れたのは、どう考えても確信犯だと思います笑
こんな歌詞の曲収録して大丈夫かな?まあ大丈夫だろう。でもまぁ…みたいな笑
やはりこのアルバムの凄いところはB面だと思いますが、やはりジョージ・マーティンによるところも大きいのかな。
もちろん素材を作ったのはB4ですけど、例えばCarry That Weightの後にYou Never Give Me Your Moneyのワンコーラスを入れたり…とかは、曲を作った人にはなかなかできないアイデアではないでしょうか。
ポールが奮闘して何とかこの歴史の残る名盤を完成させるに至ったという点は非常に同感です。
このアルバムの作成でB4が最後に会った後、最大のニアミス?笑は、73年のリンゴのアルバム"Ringo"ではないでしょうか。
私が生まれて初めて買ったアルバムです爆
リンゴ・ポール・ジョージは同時に集まってレコーディングしていますし、ジョンとの共演もありました…。
このアルバムも、私はalltimeベスト3に入れたいです。(もう1枚はエルトン・ジョンかなぁ…)

70年代のアーティストの中でも特に好きなグループの1つがアメリカです。「金色の髪の少女」、「名前のない馬」の2曲はビルボードでNo.1になっていますが、古典的名曲ではないでしょうか。
言うまでもなく、70年代にジョージ・マーティンが手がけたグループの中でも最も成功した1つでしょう
もう1つ、こちらはあまり有名ではないかも知れませんが、70年代後半に活躍したAmbrosiaというグループです。
こちらのプロデュースはAlan Personsです…
"How Much I Feel"と"Biggest Part Of Me"という2曲のTOP3ヒットがあります。
ちょっとマイナーな世界に入ってしまいますが、先日のコメントのハリケーン・スミスと同様、辿っていけばBeatlesに行き当ります。
何と言うか、ビートルズの凄さを改めて感じさせられました。

数年前から時々拝見させていただいていましたが、これまでたくさんの面白い記事を執筆していただきありがとうございました。そしてお疲れ様でした。

興味があるようでしたら、こちらに書き添えるメールアドレスまでご連絡下さい。
気が向いた時に思い出語りに花が咲かせられるかも知れないので…

投稿: ぴょん太 | 2020年4月 4日 (土) 21時49分

ビートルズを取り上げると言うことは・・・まさに原点にせまっているなぁーーと静観しておりましたが、(私自身はリアルタイムには、ビートルズにのめり込まずに批判的に見ていた男で、むしろC.C.Rに向いていました。それでも爆発的にのめり込んだのは、ピンク・フロイド、キング・クリムゾンですので・・・) そうゆう事だったんですね・・・これはコロナウィルス騒ぎで沈んでいるときに、更に残念ですね。取り敢えずは終了でなく、休止であって欲しいです。
お恥ずかしいことに、ケイ様のブログは中身が多くていつも一週間に二日かけて読んでいました。この作業のなくなるのも寂しいです。
とにかく興奮するようなロック界の出来事があるのが、再びケイ様を刺激してくれることになるのだろうと・・しばらくお待ちしています。

投稿: photofloyd(風呂井戸) | 2020年4月 5日 (日) 12時35分

 ピンク・フロイドさま、コメントありがとうございました。黄金期のフリートウッド・マックのライヴに参加されたということで、うらやましい限りです。当時のスティーヴィーは可愛らしかっただろうし、リンジー・バッキンガムもワイルドな演奏を披露していたことと思います。やっぱりその時代とともに音楽を聞くことができるのが一番ですよね。もうフリートウッド・マックもオリジナル・アルバムを出すのは厳しいと思うけれど、「噂」前後のアルバムはまさに必聴に値する名盤だと思っています。
 ピンク・フロイドさまも健康に気を付けられてください。ご縁があれば、再会したいと思います。

投稿: プロフェッサー・ケイ | 2020年4月 5日 (日) 19時11分

 ぴょん太様、コメントありがとうございました。機会があれば、ジョージ・マーティンについても調べてみたかったですね。確かにアメリカは日本でも売れましたし、なぜか"H"で始まるアルバム・タイトルもユニークでした。アンブロージアも最初はプログレ風でしたが、徐々にポップ化していきました。それもジョージ・マーティンのせいかもしれません。
 もう一つ、ジェフ・ベックのアルバム「ブロウ・バイ・ブロウ」も忘れられません。これもジョージ・マーティンのプロデュースでしたが、このアルバムの大ヒットのおかげで、ジェフ・ベックが再び第一線に返り咲いたような印象があります。当時のフュージョン/クロスオーヴァーの流行のおかげもあったようですが…

 いずれにしても、ザ・ビートルズやそのファミリーの影響力には脱帽ものです。こんなバンドは二度と現れないでしょう。

 ぴょん太様もお元気でいて下さい。生きていればまたどこかでお会いすることもあるでしょう。ロック談義をしたいものです。ありがとうございました。

投稿: プロフェッサー・ケイ | 2020年4月 5日 (日) 19時26分

 お世話になりました、風呂井戸さま。こんなブログにコメントよせてくれて、いつも感謝していました。決してコロナに感染したわけでもなく、親族にもそんな人はいませんのでご安心ください。

 風呂井戸さまには私の分まで頑張ってほしいと願っています。ジャズ以外でも音響機器やシネマ、写真など幅広いジャンルを専門的かつ具体的に記されていて、本当に素晴らしいと思っていました。これからも風呂井戸様のブログには寄らせていただきますので、その時はよろしくお願い致します。

 いつまでもお元気でご活躍ください。風呂井戸さまのおかげで頑張ってこれたと思っています。本当にありがとうございました。

投稿: プロフェッサー・ケイ | 2020年4月 5日 (日) 19時33分

残念です。でも、いつも真摯な記事を書くのに大変な労力を費やされているのだろうなと思ってました。多分、少し疲れられたのでしょう。私も、今の音楽業界は低迷していると思います。リラクッスしてただ音楽を楽しんで下さい。またの復活を期待してます。

投稿: 川崎の晴豚 | 2020年4月22日 (水) 03時37分

 川崎の晴豚さま、コメントありがとうございました。とうとうこの日がやってきたかという感じです。始まりがあれば終りがあるのは当然のこと、万事に当てはまる真理です。とりあえずここで一旦区切りをつけようと思いました。
 最初は思いつくままに勝手に記していましたが、そのうち感想文ではなくて、客観的な事実も入れるようになり、徐々に時間をかけて書くようになりました。そうすると迂闊なことは書けなくなって、自分の力量を越えてしまいました。1週間に1本はアップするということを自分に課せていたので、それもまた結果的に自分を苦しめてしまったようです。

 おっしゃるように今はダウンロードやストリーミングが主体になってしまい、昔のような爆発的な大ヒットというものが少なくなってしまったように思えます。確かに音楽業界は下火ですし、その中でもロック・ミュージックを取り巻く環境は悪化の一途をたどっているようです。

 しかし、それでもロック・ミュージックの力を信じています。ロックが時代と関わり、相互に影響を与えながら生き延びていくことを願っていますし、その時代にあったヒーローやヒロインが生まれることは間違いないでしょう。

 どうか晴豚さまもお元気でいて下さい。今までコメントを寄せていただいてありがとうございました。今まで続けて来れたのもそんなコメントがあったからでした。こころから感謝いたします。そして、また会える日を楽しみにしております。

投稿: プロフェッサー・ケイ | 2020年4月22日 (水) 22時13分

初めてコメントします。たくさんブログ読ませて頂きありがとうございました。13年間お疲れ様でした。
ブリティッシュロックに興味を持ち始めた新参者ですが、読みやすい文章でどの記事も引き込まれました。
大変なご時世ですがご健康をお祈りしております。

投稿: じろう | 2020年4月25日 (土) 03時38分

 じろう様、コメントありがとうございました。せっかくコメントをいただいたのに、ブログを続けることができなくなって誠に申し訳なく思っています。
 また、つたないブログに目を通していただいて感謝しております。少しでも何かの参考になれば続けてきた甲斐もあるというものです。

 自分は今のところまだ元気なのですが、少し休みたくなったので、このブログをお休みしました。今後はどうなるか分かりませんが、ロック・ミュージックは生涯現役で聞き続けていきたいと思っています。

 じろう様も聞き続けて下さい。そのうちどこかで会えることを楽しみにしております。重ねてコメントありがとうございました。お元気でいて下さい。

投稿: プロフェッサー・ケイ | 2020年4月30日 (木) 21時33分

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