ジョー・ボナマッサ

 今年の印象に残ったマイ・ベスト・アルバム・シリーズ第6弾は、ブルーズ・ギタリストのジョー・ボナマッサのアルバムである。

 ジョー・ボナマッサといってもあまり多くの人は知らないと思う。彼は日本では配給元がないというか、契約しているレコード会社が存在しなかったのである。だから今まで彼のアルバムの国内盤は発売されていない。

 しかし今年の秋に「ベスト・オブ・ジョー・ボナマッサ」というアルバムがエイベックスより発売されて、やっと日本でも陽の目を見ることができた。これをきっかけに彼の人気は高まっていくものと思われる。

The Best Of Joe Bonamassa Music The Best Of Joe Bonamassa

アーティスト:ジョー・ボナマッサ
販売元:tearbridge international
発売日:2009/09/02
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 彼は今まで7枚のスタジオ・アルバムと2枚のライヴ・アルバムを発表している実力派ブルーズ・ギタリストなのだが、今年でデビュー20周年を迎え、5月には20周年の総決算ということでロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでクラプトンと共演している。

 デビュー20周年とはいえ、驚くなかれまだ32歳である。7歳にしてスティーヴィー・レイ・ヴォーンのフレーズを弾きこなし、10歳の時にはB.B.キングをして“稀な逸材”と言わしめたジョーは、12歳でそのB.B.キングの前座を務めデビューしたのだった。

 ただアメリカでは天才ギタリストと騒がれ15,6歳ぐらいでデビューしても、やがて音楽的に行き詰まりを感じてしまい、人気も大きく下降線を下って尻すぼみになってゆくということは、よくあるパターンである。

 1985年に17歳でデビューしたチャーリー・セクストンや1997年に16歳でデビューしたジョニー・ラングなどはその良い例である。確かに彼らは今でもコンスタントに活動中ではあるが、以前のようなネーム・ヴァリューはもう見られない。やはりこの業界で人気を保つのは並大抵の努力だけでは難しいのだろう。(チャーリーの2007年の「明日への轍」は渋い名盤である!)

 ところでジョーの音楽性なのだが、これがまたブルーズという枠に収め切れないほどの才能を秘めていると思われる。
 自分が聞いたのはベスト盤だから、良い曲が厳選されて収められているはずで、どの曲もいい曲だとはわかるのだが、ブルーズ臭はほとんどなく、むしろ良質のブリティッシュ・ロックの優秀なギタリストのアルバムを聞いている錯覚に陥ってしまった。

 誤解を恐れずにいうと、“ブリティッシュ・ロックを演奏するスティーヴィー・レイ・ヴォーン”という感じなのである。9曲目の"Sloe Gin"なんかは、もろブリティッシュ・ロックの湿った質音と泣きのギターが堪能できる名曲なのである。これはもう完全に21世紀のブルーズ・ロック・ギター・アルバムなのだ。

 また3曲目の"Woke up Dreaming"ではアコースティック・ギター1本で表現していて、これがまた緩急見事な演奏だし、7曲目の"The Ballad of John Henry"はストリングスも入っていて、まるでゼッペリンの"Kashmir"なのである。こういう表現の幅広さもまた彼の魅力なのだろう。

 本人は子どもの頃からレッド・ゼッペリンやクリーム、ロリー・ギャラガー、フリー、ゲイリー・ムーアなどを聞いていたらしい。だからニューヨーク州生まれのアメリカン人なのだが、その音楽性はブリティッシュ・ブルーズ・ロックに影響されているのであろう。このアルバムでもロリー・ギャラガーの"Cradle Rock"を演奏している。

 ちなみに2000年には「ニュー・デイ・イエスタディ」というソロ・アルバムを発表したが、このアルバム・タイトル曲はあの超有名なイギリスのバンド、ジェスロ・タルの曲から取ったもので、この辺の感覚が今までのブルーズ・ギタリストとは違うようだ。

 だから良質なブリティッシュ・ロックと豪快なアメリカン・ロックがうまい具合に折衷されていて、新鮮に聞こえるのである。自分のような年寄りにも新鮮に聞こえるのだから、若いリスナーにとってはもっとエキサイティングでフレッシュに聞こえるのだろう。

 とにかくスティーヴィー・レイ・ヴォーン以来の逸材であることは間違いない。9月には来日公演も行ったようだし、日本でもますます人気が出てくるであろう。今後の彼の活躍が大いに期待できるし、次のオリジナル・アルバムが待ち遠しいが、日本では果たして発売されるのだろうか。それだけが心配である。

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ヴァン・ヘイレン

 8月もいよいよ終わりに近づいてきた。今年の夏は天候不順で、日照時間が少なかったようだが、暑さだけは相変わらずである。残暑厳しき折とはまさに今のような時期にふさわしい言葉である。

 それで夏といえば“ハード・ロック”である。それでこの頃は“アメリカン・ハード・ロック”について書いてきた。本当は前回で最後にするつもりだったのだが、“おまけ”としてやはりこのバンドは避けて通れないということで、1978年にデビューしたヴァン・ヘイレンについて述べてみたい。

 当時のアメリカは、日本でもそうだが、パンク/ニュー・ウェイヴかディスコ・ミュージックが流行っていて、ハード・ロックなどはさっぱりだった。せいぜいリッチー・ブラックモアが結成したレインボーくらいだろうか日本で流行っていたのは。しかしアメリカ市場ではリッチーの手腕をしても売れなかった。彼らがアメリカで注目され始めるのは1979年「ダウン・トゥ・アース」発表後からであった。

 そういうハード・ロック不毛の地で、めざましい評価と圧倒的な注目を集めたバンドがあった。それが4人組のバンド、ヴァン・ヘイレンだったのである。

 彼らはヴァン・ヘイレン兄弟を中心にカリフォルニアで結成されたバンドだった。もともとは兄のアレックス・ヴァン・ヘイレンがギターを、弟のエドワードがドラムスを練習していたのであるが、弟がドラムの借金を返すためにアルバイトをしている間に、兄のアレックスがドラムを叩き始めて、その結果兄がドラムス、弟がギターを担当するようになったといわれている。

 それはともかく、アメリカ中の若者がディスコ・ミュージックに飽きて、新しい音楽に飢えているときに彗星のように登場してきたのである。そういうタイミングもよかったのかもしれない。もしくは歴史に残るミュージシャンやバンドは、そういう星のもとに生まれてくるのであろうか。

 とにかく1stアルバム「炎の導火線」は衝撃的だった。それまでの既存のハード・ロック・バンドとは違って、曲が短くシンプルで、その分逆にインパクトがあった。そして何よりギタリストのエドワード・ヴァン・ヘイレンの演奏するギターの音に痺れ、衝撃を受けたのである。

Van Halen Music Van Halen

アーティスト:Van Halen
販売元:Warner Bros.
発売日:2000/10/02
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 今ではライトハンド奏法といえば、その辺のアマチュア・ミュージシャンでも知っている演奏法だが、当時は斬新で革命的な出来事だった。プロのミュージシャンでも1stアルバムの"暗闇の爆撃"には驚かされ、どうやって演奏しているのかわからなかったといわれている。

 のちにこの演奏については、ジェネシスのスティーヴ・ハケットの方が早く始めたというのがわかったのだが、その当時はそういう呼び方は無かったし、世の中に認知させた功績ではエドワード・ヴァン・ヘイレンの方に軍配が上がるであろう。問題は誰が始めたかではなく、誰が広めたかではないだろうか。

 またボーカル担当のデヴィッド・リー・ロスの“エビ反る姿”(いまでは死語!)やジャンプしてほぼ180度開脚する姿をジャケットや写真で見るにつけ、なんとまあ若々しいのだろうと思ったりもした。

 彼らは最初はブルーズを基本とするバンドだと思っていた。デビュー・シングルがキンクスの"You Really Got Me"だったし、同じ1stにはもうひとつのブルーズのカヴァー曲"Ice cream Man"もあったからだ。

 しかしMTVの興隆とともに、徐々に彼らは方向転換を行い、よりポップに、より売れることをめざしていった。その象徴となるアルバムが1984年に発表されたアルバム「1984」だった。

1984 Music 1984

アーティスト:ヴァン・ヘイレン
販売元:Warner Music Japan =music=
発売日:2008/12/17
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このアルバムからは"Jump"が初めて全米No.1になったし、アルバム自体も20世紀の終わりまでに1000万枚以上の売り上げを記録するというモンスター・アルバムになった。

 しかし、このアルバムを最後にオリジナル・メンバーでグループの顔でもあったボーカリストのデヴィッド・リー・ロスは自己のキャリアを追及するために脱退した。後任には元モントローズのボーカルを担当していたサミー・ヘイガーが加入することになったのである。

 彼の加入によって、バンドはさらに上昇し、高度安定期に入った。自分は個人的にはマッチョでおバカなふりをするデヴィッド・リー・ロスより、経験と分別のあるサミー・ヘイガー加入後のヴァン・ヘイレンが好きだった。
 事実、初めての全米No.1アルバムは、サミーが加入して初めて発表されたアルバム「5150」だったし、シングルでも"Why Can't This Be Love"、"Dreams"、"Can't Stop Lovin' You"、"Poundcake"などなど数々の大ヒット曲があったからである。

5150 Music 5150

アーティスト:ヴァン・ヘイレン
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2005/08/24
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 サミー・ヘイガーは1996年に脱退し、エドワードも喉頭癌にかかり、バンドは解散状態に陥った。以後、ボーカリストが代わったり、デヴィッドやサミーが出たり入ったりして、定まらない状態にあるようだ。

 またオリジナル・メンバーのベーシスト、マイケル・アンソニーがくびになり、代わりにエドワードの息子のヴォルフガングがベーシストとして加入したりと何かと慌しいようである。
 ちなみに息子のヴォルフガングは今年で18歳ということらしい。メンバーが固定してもこの状況では、ニュー・アルバムの発表などは難しいようである。やはり20年以上も一緒にやれば人様にはわからない事情も抱えているのであろう。

 とにかく四半世紀にわたって、カリフォルニアのハード・ロック・バンドからアメリカを代表する、いや世界のハード・ロック界を代表するバンドに上り詰めたヴァン・ヘイレンである。ロックの歴史の1ページを築いた偉大なるバンドといっても間違いないと思うのである。

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ブルー・オイスター・カルト

 70年代のアメリカン・ハード・ロック・バンドについてのコメントが続いているのだが、今回は最後にアメリカ東海岸を代表するバンド、ブルー・オイスター・カルト(以下BOCと略す)について述べさせてもらうことにした。

 このバンド、アメリカン・ロック史上で初めてヘヴィ・ロックという呼び名が使われたバンドといわれているのだが、実際はちょっと違う気がする。バンドのプレゼンテーションとしては有効だったかもしれないが、アルバムを聞くだけではハード・ロックと呼ぶにしても無理があると思う。

 彼らの1stアルバム「ブルー・オイスター・カルト」は1972年に発表された。音的にはハード・ロックというよりも、普通のロック・バンドが演奏しているという感じである。
 彼らが有名になったのは、音楽性よりもその歌詞の持つ世界観が今までに無いものを含んでいたからであった。

 狂気への誘い 狂気への誘い
販売元:セブンアンドワイ
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 アルバムの曲の邦題を見るとわかるように、彼らの歌詞には“悪魔”、“地獄”、“汚れた天使”などの言葉を含むオカルト的な世界観や終末観が描かれていた。この路線はアルバムを発表するごとに深くなっていった。要するに“アメリカ版ブラック・サバス”といった感じである。

 彼らにもサンディ・パールマンという黒幕がいて、彼は詩人でありながらBOCをマネージメントし、曲作りやアルバム・プロデュースにも参加している。バンドのこういう方向性はこのサンディ・パールマンが掌握していた。

 ところがアルバム・ジャケットや歌詞はダークで黙示的な世界観に満ちているのだが、音的には結構明るくて、ニュー・ヨーク出身のバンドには思えないのである。
 また印象に残るようなメロディやリフも少なく、目立つギター・ソロも皆無に等しいといった感じである。はっきり言って、当時はどこがいいのかよくわからなかった。

 彼らがメジャーになるのは1976年に発表されたアルバム「タロットの呪い」がヒットしたからである。このアルバムに収められていた曲"The Reaper"が全米12位のヒットとなり、日本でもブレイクした。

Agents of Fortune Music Agents of Fortune

アーティスト:Blue Oyster Cult
販売元:Sony Japan
発売日:2001/06/27
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 このアルバムでも“懺悔”、“死神”、“吸血鬼”などの言葉が飛びかい、相変わらずの暗くて暴虐的な言葉が綴られている。

 だから彼らの音楽は、ある意味、歌詞と曲調がアンビバレンツな感じになっていて、そこが受けた原因の一つかもしれない。
 また、当時の音楽雑誌にも写真付きで載っていたのだが、彼らはライヴ・バンドとして定評があったようで、実際1972年から1982年までの10年間で3枚もの公式ライヴ・アルバムを発表している。

 またライヴのハイライト部分では3人のメンバーがギターを演奏し、いわゆるトリプル・ギターとしてステージ上に君臨し、聴衆をクライマックスに導いたそうである。ギターを演奏したのは、エリック・ブルーム、ドナルド・ルーザー、アラン・レニアーの3人だと思われる。
 ちなみにどうでもいいことだが、アランは博士号を持つ才人で、一時期ニュー・ヨーク・パンクの女王、パティ・スミスと交際していたミュージシャンであった。

 実際にライヴ音源などを聞いてみると、音はかなりハードでグイグイと聞く者を引っ張ってくれる。アルバムでは3分少々の曲が6分にも8分にもなる。演奏自体はしっかりしているので、安心して耳を傾けることができる。こういう点でも多くのファンを獲得することができたのであろう。

暗黒の狂宴~B.O.C.ライヴ(DVD付) Music 暗黒の狂宴~B.O.C.ライヴ(DVD付)

アーティスト:ブルー・オイスター・カルト
販売元:ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
発売日:2007/10/24
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 個人的な意見をいうなら、BOCはブルーズ系のハード・ロック・バンドではなく、キッスなどと同じメロディアスでポップ系のハード・ロック・バンドであった。そして彼らが売れたのはもちろんシングル・ヒットのおかげもあるのだが、盛り上がるライヴ活動を地道に続けていったからだと思っている。

 広大なアメリカ大陸で売れるためには、ラジオで広範囲に繰り返しオンエアするか、地道にライヴ活動をするしかない。70年代に売れたロック・バンドは、みんなその道のりを歩んできた。そしてラジオの役割は今ではインターネットへと移っているのである。

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モントローズ

 前項でアメリカン・ハード・ロックには2つの潮流があるのではないかと述べた。1つはブルーズ・ロック系のバンドであり、もう一つはブルーズよりもポップ寄りのバンドである。

 もう少し考えてみると、アメリカという国は自由主義であり、自由主義ということは自然淘汰の国ということである。一般的に“The Land of Opportunity”(万人に機会ある国)なのだから、努力と運で一生食いっぱぐれのない大富豪にもなれば、その逆もありうるということだ。

 だから“売れて何ぼ”の世界である。売れれば会社も十分にバックアップしてくれるし、売れなければ、すぐに切捨てられてしまう。つまり“売れる”ということは、それだけ多くの人から支持されていると会社は判断するからであろう。

 だからアメリカのバンドには、“売れる”ということが至上命題なのだと思う。これはポップスとかハード・ロックとかプログレッシヴ・ロックなどのジャンルに関係ないと思うのである。

 それでマウンテンやグランド・ファンクなどは売れた部類のバンドだったので、それなりのレコード会社のバックアップもあったのだと思うのだが、多くのバンドは売れなかったので、アルバム2,3枚で解散してしまった。“アメリカはハード・ロック不毛の地”といわれたのも結局は売れなかったからである。

 それで70年代中期に一世を風靡したけれど売れなかった悲劇の?バンドがあった。その名をモントローズという。
 このバンドはギタリストのロニー・モントローズという人を中心に結成されたもので、彼以外のメンバーは当時はまったくの無名だった。しかしボーカル担当は後にヴァン・ヘイレンに加入したサミー・ヘイガーであり、ドラマーは後にウィルソン姉妹のいたハートに加入したデニー・マッカーシーだった。

 またギタリストのロニー・モントローズは、サンフランシスコでは名うてのセッション・ミュージシャンで、エドガー・ウィンター・グループではリック・デリンジャーの後釜として活躍していたほどだった。

 1stアルバムの「ハード★ショック!」は1973年に発表されたのだが、多くの予想に反してブルーズ色のない、それこそハード路線一直線といった感じのアルバムだった。

Montrose Music Montrose

アーティスト:Ronnie Montrose
販売元:Warner Bros / Wea
発売日:1989/01/10
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 1曲目の"Rock the Nation"や2曲目の"Bad Motor Scooter"などは、もろアメリカン・ハード・ロックといった感じだし、3曲目の"Space Station#5"もちょっとスペイシーな部分はあるもののハードな楽曲だった。ブルーズ色が無かったのも、ロニーがサンフランシスコ出身という影響もあったのかもしれない。

 ところがハード・ロック大好き人間には受けたのだが、チャート的には芳しくなかった。たぶんノリのよい曲はあるのだが、似たような曲が多くて中途半端な印象を与えたのだろう。

 続く1974年に発表されたアルバム「ペイパー・マネー」は、その部分を反省してか、時にはアコースティック・ギターを使用したり、時にはメロトロンを弾いたりと(演奏はニック・デカロ)工夫を凝らしている。しかし音楽性が多様化した割には、残念ながら売れなかった。

Paper Money Music Paper Money

アーティスト:Montrose
販売元:Warner Bros.
発売日:1988/07/22
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 内容的にはインストゥルメンタルあり、アコースティックあり、バラードありと結構自分では好きなのだが、“決めの1曲”というものが無かったのは事実かもしれない。
 そしてサミー・ヘイガーはこのアルバムを最後に脱退し、ソロ活動に励み始めた。

 多少のメンバーの変更もあったのだが、翌75年に無事に3rdアルバム「ワーナー・ブラザーズ・プレゼンツ」を発表した。これはアルバム・ジャケットが印象的で、内容よりもそちらの方が話題になってしまった。

Warner Bros Presents Montrose Music Warner Bros Presents Montrose

アーティスト:Ronnie Montrose
販売元:Wounded Bird Records
発売日:2002/09/17
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 アルバム・プロデュースもそれまでの2作はドゥービー・ブラザーズなどを手がけたテッド・テンプルマンだったのだが、このアルバムではロニー自身が手がけている。そのせいかやりたい事をやりましたという印象が強い。

 メンバーもキーボーディストを入れて5人組となり、再出発したという意欲は伝わってくるアルバムではある。1曲目の"Matriarch"などは疾走感がありなかなかの出来だし、バラード系も上手に配置されていて、今聞けば結構いけるのではと思ったりもした。個人的には3枚の中で一番好きなアルバムである。ただやっぱり売れなかった。

 70年代という時代性を考えれば、やはりシングル・ヒットは欠かせない売れるための条件である。そういう意味では、どういうロック・ミュージックをやろうと、シングル・ヒットがあるかないかは大事なのである。

 そしてグランド・ファンクやマウンテンはシングル・ヒットはあったのだが、モントローズにはそれがなかった。結局、最後はそこが分岐点になるのではないだろうか。もし1曲でも売れていれば、状況はかなり変わったに違いないと思っている。

 それでも彼らは4枚もアルバムを発表することができた。これは異例な事で、配給会社のワーナー・ブラザーズの好意だったのかもしれない。
 事実、1987年にモントローズは再結成されるのだが、そのときはワーナーではなく、ポニー・キャニオンから発売されている。そしてこれも売れずに、このときは当然のごとくアルバム1枚で終わってしまった。

 結局、1973年から76年までの短い期間での活動で終わったモントローズだった。世界に通用するアメリカン・ハード・ロック・バンドは、1978年のヴァン・ヘイレン登場まで待つしかなかったのである。

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マウンテン

 前回のグランド・ファンク・レイルロードのところで思いついたのだが、アメリカン・ハード・ロックには2つの系譜があるのではないだろうかと考えた。

 それはブルーズ・ロックをルーツとするものと、スカッとポップで軽やかなハード・ロックである。
 具体的にいうと、前者はジョニー・ウィンターやスティーヴィー・レイ・ボーン、エアロスミスなどで、その遺伝子はブラック・クロウズなどに受け継がれている。
 一方、後者ではグランド・ファンクからキッス、ヴァン・ヘイレンなどを経由して、ボン・ジョヴィなどに継承されている。

 ただ最近のアメリカでは、ブラック・ミュージックやメロディアスなインディ系が強くて、いわゆる正統的なハード・ロック・バンドというのはあまり見られない。これも歴史の流れなのかもしれないが、残念なことである。

 多種多様な民族で構成されているアメリカは、音楽的にも多様性に満ちており、サザン・ロックやブルーズ・ロックなどにはまだまだ根強いファンは存在している。だからアメリカン・ハード・ロックもしっかりと根付いて、経済のサイクルのように、時が来れば一気に花開くに違いない。ただ、いつその時が来るかは未定なだけである。(それが一番問題なのだが…)

 それでそのブルーズ・ロックの系譜を持つバンドに、マウンテンという名前のロック・バンドがあった。1969年に結成されているから、グランド・ファンク・レイルロードとほぼ同じ時期にあたる。

 このバンドのメインはギタリストのレスリー・ウエストという人で、写真を見るとまるでプロレスラーのようにでかかった。当時の人は、レスリー・ウエストとは言わずに、“レスラー・ウエスト”と呼んでいたという。それくらいでかかったのである。何しろ体重120㎏はあったという。写真で見ると、何となくアンドレ・ザ・ジャイアントのように見えなくもない。

 最初は3人組だったのだが、後に4人組になる。昔のロック・バンドには優秀なマネージャーやプロデューサーが陰で操っているという場合が多く、あのビートルズにはブライアン・エプスタイン、ローリング・ストーンズにはアンドリュー・オールダム、グランド・ファンク・レイルロードにはテリー・ナイト、そしてこのマウンテンにはフェリックス・パパラルディがいた。

 正確にいうと、フェリックスはマネージャーではなくて、ミュージシャンかつプロデューサーであった。あのクリームの2ndアルバム以降をプロデュースしたのは彼であり、時にはキーボードなども演奏していた。

 それでクリームの後継者としてマウンテンを企画したというのが定説になっているのだが、実際、フェリックスはベース、キーボード&ボーカル担当として設立当初のマウンテンに加わっている。

 1970年に発表された彼らの2枚目のアルバム「勝利への登攀」は、キーボーディストを加えて4人組として制作されたアルバムであり、このアルバムのヒットで彼らは認められていった。

Climbing! Music Climbing!

アーティスト:Mountain
販売元:Sbme Special MKTS.
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 私自身もこのアルバムに収められていた曲"Mississippi Queen"を後になってラジオで聞いて彼らの存在を知ったのである。もちろんそのときは彼らは解散していたのだが。
 このアルバムには他にもジャック・ブルースが作った"Theme for An Imaginary Western"やアコースティック・ギターも使用した"For Yasgur's Farm"などの名曲が収められている。

 一応彼らの最高傑作といわれているのが翌年に発表された3rdアルバム「ナンタケット・スレイライド」といわれている。
 基本的には前作と同じ路線なのだが、セカンドよりもキーボードが目立っているようで、アルバムタイトル曲の"Nantucket Sleighride"は何となくユーライア・ヒープの"July Morning"を思い出させてくれる。

Nantucket Sleighride Music Nantucket Sleighride

アーティスト:Mountain
販売元:Columbia/Legacy
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 またハード・ロック一本槍だけではなく、ホンキー・トンク調のピアノが聞こえるカントリーっぽい曲もあり、表現方法も拡大されてきたようだった。この辺はやはりアメリカのバンドならではであろう。イギリスのバンドならアコースティック路線に走るのだろう。

 しかし何といっても一番の利き所はやはり"Nantucket Sleighride"で、5分50秒の曲がライヴでは30分にも及ぶのであるから、彼らの代表曲に違いない。

 本来ならここで彼らは更なる飛躍を行う予定だったのだろうが、メンバー間の音楽的相違といういつものありふれた理由で、1972年に解散してしまった。

 解散後もレスリー・ウエストはジャック・ブルースとマウンテンのドラマーとともにウエスト、ブルース&レイングを結成し、3枚ほどアルバムを発表しているが、その後マウンテンの再結成に参加した。

 そして残念ながらフェリックス・パパラルディは、マウンテンの曲作りやアルバム・ジャケットのデザインもした愛妻のゲイル・コリンズに、1983年6月拳銃で射殺された。つまらない口論からの悲劇だったらしい。

 レスリーはフェリックス亡き後もマウンテンを継続していて、アルバム発表やライヴを行っている。
 レスリーの影響を受けたミュージシャンは多く、ランディ・ローズやマイケル・シェンカー、パット・トラヴァース、エイドリアン・ヴァンデンバーグ、エース・ヒューレイなどがいるそうだ。

 ともかく70年代初頭のアメリカン・ハード・ロックを代表するバンドだったことには間違いない。GFのようにポップ路線に転換せずに、一途にブルーズに影響されたロックを追求していった姿勢は立派だと思うのである。

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グランド・ファンク・レイルロード

 最近のTVCMを見ていると、昔流行った洋楽が使用されていることに気づかされることが多い。

 例えば“お父さんイヌ”で有名になった某℡会社は、SMAPの5人を使用してCMを制作している。この会社は今期の決算では他の会社を抜いて契約数がNo.1になったようで、やはり斬新なCMが効果を奏したのだろう。

 それでSMAPを出演させての最新CMではBGMとしてグランド・ファンク・レイルロードの"The Loco-Motion"が使用されている。
 グランド・ファンク・レイルロードというのは、1969年から1972年まで使用されたバンド名で、この曲を発表したときにはグランド・ファンク(以下GFと略す)と名乗っていた。

 この曲"The Loco-Motion"というのは、元々は1962年にゲリー・ゴーフィンとキャロル・キング元夫妻が作詞作曲し、リトル・エヴァという人が歌って全米No.1になった曲。そして1974年5月にGFは、この曲を再び全米No.1に押し上げたから、リバイバル・ヒットをさせたことになる。しかも2週にわたって全米No.1だからたいしたものであった。

Shinin' On Music Shinin' On

アーティスト:Grand Funk Railroad
販売元:Toshiba EMI
発売日:2003/02/06
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 確かにメロディは明るく覚えやすいし、歌いやすい。内容もみんなで踊って楽しもうというきわめてシンプルなもので、子どもでも歌えるものになっている。“ロコモーション”というくらいだから、機関車のような直線的な、ときどきお尻を振りながらの振り付けで踊るのであろうか。

 GFはギタリストのマーク・ファーナーとドラマーのドン・ブリューワーが中心となって結成したバンドで、最初はそれにベーシストのメル・サッチャーが入っての3人組だった。
 彼らにはテリー・ナイトという元は同じバンドで演奏活動していた人がいて、彼をマネージャーにしてバンド運営等をまかせていた。

 その彼の指示だと思うのだが、ハードな全米公演活動や年2枚アルバムを制作するという強行スケジュールのおかげで、彼らはイギリスに対するアメリカ側の回答というようなポジションを与えられ、アメリカを代表するハード・ロック・バンドになってしまったのである。

 もちろん曲もよかったのだろうが、やはり敏腕マネージャーの営業方針がよかったのだろう。単なるロック・バンドではなくそれに付加価値をつける方向性がよかったのだと思う。
 この場合の付加価値とは、レッド・ゼッペリンやクリームのようなイギリスのバンドに対抗できるアメリカのバンドということだ。

 基本的にアメリカという国は移民の国である。だから国民の求心力を高めるためには敵を外に作ればいいのであって、この場合の敵はイギリスのハード・ロック・バンドであった。彼らに対抗できるようなバンドを求めていたという隠れた欲求みたいなものがリスナーたちにもあったのだと思う。
 それで一旦人気に火がつけば、あとは燎原の火が燃え広がるかのようにグランド・ファンク・レイルロードを求める声がアメリカ中に高まっていったのである。

 テリーも(そしてバンドメンバーたちも)、意識したかどうかはわからないが、自分たちにそういう姿を求めていったのだろう。そして筋肉質でマッチョなイメージとともにGFはアメリカを代表するバンドに名実ともになって行ったのである。

 しかしテリーとGFは1972年に仲違いをしてしまう。これも予想なのだが、金銭的なトラブルだと思う。何しろ敏腕マネージャーだったテリーにすれば、お前たちをここまでビッグにしてやったのだというプライドもあっただろうし、そうなるとそれなりに分け前を要求したに違いない。

 それで1972年からは“レイルロード”を取って、“グランド・ファンク”という名前になり、キーボーディストを加えて4人組にし、リンダ・マッカートニーの実兄であるジョン・イーストマンをマネージャーにして再出発を行った。そして生まれたのが"We're an American Band"の全米No.1ヒットだったのである。

アメリカン・バンド Music アメリカン・バンド

アーティスト:グランド・ファンク・レイルロード
販売元:EMI MUSIC JAPAN(TO)(M)
発売日:2008/12/10
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 だからGFは1973年の9月と74年の5月に全米No.1を獲得している。そしてこのヒットの影にはアルバムのプロデューサーだったトッド・ラングレンの手腕があった。

 自分のアルバムはヒットしなくても、他人のアルバムはヒットさせることに定評のあるトッド・ラングレンである。“音の魔法使い”といわれていたらしいが、実際にイギリスのバンドであるXTCやバッドフィンガー、トム・ロビンソン・バンド、アメリカのミートローフ、ホール&オーツ、チープ・トリックにニューヨーク・ドールズとジャンルを問わずにプロデュースをした。噂では落ち目になると彼に頼めといわれるくらいトッドは信頼されていたらしい。一時的ではあるが、必ずヒットすると信じられていたようである。

 それはともかく、GFは70年代の前半を代表するアメリカのバンドであった。実力を備えていたのは確かだが、それプラス上手なイメージ戦略に乗っかって大成功をしたバンドといってもいいのではないだろうか。

 これは余談だが、"The Loco-Motion"が収められていたアルバム「輝くグランド・ファンク」(Shinin' On)は、今でいう3D仕様になっていて、アルバムに添付されていたメガネをかけて見ると、浮き上がって見えた。たぶん今のCDにはそういうふうにはなっていないのだろう。是非オリジナル仕様で発売してほしい。TVCM効果も手伝ってきっと売れるに違いないと思うのである。

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リチャード・マークス

 しかし最近のTVのワイドショーを見ると、本当に種が尽きないというか、次から次へと新しいニュースが登場してくる。確かに見ていて飽きないから傍観者には面白いのだが、話題の中心地が日本の首都、東京なのだから、よく考えてみると不気味であり、あと5年もすれば地方都市でも普通にみられる事件になっていくだろうと思うと、空恐ろしいものがある。

 ロックの世界では非合法の麻薬なんか当たり前であり、むしろそのおかげで発展してきた部分もある。大麻やモルヒネ、LSDがなければビートルズの「サージャント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」は生まれていないだろうし、その後のサイケデリック・ロックやプログレッシヴ・ロックの興隆はなかっただろう。またローリング・ストーンズは曲つくりや話題作りに困窮したに違いない。

 しかしその麻薬のせいで、急死したミュージシャンは数知れないし、来日公演できなかったミュージシャンもかなりの数に上った。彼らは麻薬をファッションとしてではなく、自己表現としてまたは自己実現として使用した。だから文字通り自分たちの人生を賭けて薬物に手を出していたのである。

 決して麻薬を肯定するつもりはないのだが、欧米のロック・ミュージシャンと日本の芸能人の麻薬に対する認識の違いは、天と地の違い以上のものがあると思う。日本の芸能人は創作表現活動に結びついていないのだ。

 日中の暑さに当てられて、以上のようなつまらない事を考えていたのだが、真夏の夜を涼しく過ごすための音楽第2弾ということで、今回は1987年に発表されたリチャード・マークスのデビュー・アルバム「リチャード・マークス」を紹介したいと思う。

 なぜこのアルバムが真夏にふさわしいのかというと、これはもう完全に個人的な主観である。このアルバムが売れていたとき、自分がよく聞いていたときが1987年の夏だったからである。

 当時自分は全世帯約20世帯という離れ小島に住んでいた。島には自動車がなく、自動車がないというのは道路がないからで、またあったとしてもギアを入れたらもう着いてしまうくらいの大きさの島なのであった。

 当然のことながらコンビニもなければ食堂もない。あるのは雑貨屋1件だけで、そこではインスタントのカップめんや数種類のお菓子が売られていたに過ぎなかった。

 だから夜になると本当に真っ黒になる。灯りは島の入り口にある電灯と、遠くの海岸線に浮かぶ街の灯りぐらいだった。そのきらめく灯りを見ていると、なぜ自分はこんなところにいるのだろう、自分はこれからどうなるのだろうかと不安にさいなまされるほどだった。

 そのときに自分の心を癒してくれたのが、リチャード・マークスのアルバムだったのである。
 彼は1963年生まれだから、まだ40代半ばである。父親は地元では有名なジャズ・ピアニストで、母親は歌手だった。だから子どものころから彼の周りには音楽が溢れていたのであろう。自然と彼もその方面に進んでいったようである。

 彼の歌手デビューは23歳のときだが、10代の後半からライオネル・リッチーやケニー・ロジャーズなどに曲を提供していたらしい。そうやって着実に人脈を広げ、地盤を築き、ついに念願の自作自演のデビュー・アルバムを発表したのである。

リチャード・マークス ■ リチャード・マークス リチャード・マークス ■ リチャード・マークス
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 とにかく曲がいい。1曲目から弾けるようなアップテンポのメロディアス・ロック"Should've Known Better"で始まり、癖のある"Don't Mean Nothing"が続く。サックスの響きが印象的な"Endless Summer Nights"が3曲目に配置されている。3曲ともシングル・カットされて大ヒットしている曲だ。またバラードの"Hold on to the Nights"は、シングル・チャートで1位を獲得している。

 それ以外にもメリハリのあるメロディがある"Lonely Hearts"や当時流行していたチープなシンセやストリングスが目立つ"Heaven Only Knows"などが収められていて、まさにヒットすべくしてヒットしたアルバムだった。

 1990年までは彼の全盛時代で、出す曲出す曲すべてヒットという感じだった。特に2ndアルバムは1stよりも売れて、全米No.1にもなったのだが、自分は1stの方が印象深いのである。

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 その後アルバムが売れなくなってからは、また作曲家、プロデューサーとして活動を再開し、今でも活躍しているようである。

 今でも思い出深い理由は、このアルバムのロック的なものが昼間の暑さを、バラードが夜の静けさを表している(と感じている)からかもしれない。そして遠くの灯りを眺めながら暮らしていた島での生活とダブって思い出させてくれるからだ。
 だから今でもときどき愛聴している好盤である。もちろん聞くときは夏季限定なのである。

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セシリオ&カポノ

 梅雨が明けた途端に、日本の芸能界から様々なニュースが流れてきている。すべて麻薬・覚醒剤関係のニュースなのだが、おかげでクリントン元大統領の訪朝問題や初めての裁判員制度のことなどは影が薄くなってしまった。日本の拉致問題の関係者にとってはちょっと悔しいのではないだろうか。

 だからひょっとして、自分が今飲酒運転をして捕まっても、新聞の扱いはほんの少しになるのではないかとよこしまな事を考えているのだが、捕まるのも損な話しだし、芸能人なんかは麻薬問題で何度も逮捕されても一定の期間を過ぎれば、すぐにまたTVやビデオ、DVDに出演している。そういう土壌では一回くらい捕まっても逆に名前が売れるという皮肉な結果にもつながるから、もう少し何とかしてほしいものである。

 民間と公務員の給与ベースを同じようにするのなら、民間人と芸能人の薬物違反の処置も同じにしてほしいものである。

 そういう憤懣を胸に秘めながら、この暑くなってきた夏を如何に過ごそうかと考えていて、それにピッタリな音楽を3回シリーズで紹介したい。

 まず第1回目はハワイ在住のミュージシャン、セシリオ&カポノが1977年に発表したアルバム「ナイト・ミュージック」である。

 Cecilio & Kapono/Night Music Cecilio & Kapono/Night Music
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 ハワイのミュージシャンといえば、以前紹介したカラパナが有名であるが、この2人組のデュオも負けず劣らず有名である。

 1977年といえば、世界的にAOR(アダルト・オリエンティッド・ロック)が流行していた時期で、TOTOやボズ・スキャッグス、スティーヴ・ミラー・バンド、あのフリートウッド・マックでさえもそういう扱いをされていた。

 このアルバムは彼らにとっては3枚目のアルバムで、一躍世界的に彼らを有名にしたアルバムでもある。
 彼らはもともとこのアルバムの中にあるような音楽をやっていて、AORに便乗してこういうアルバムを制作したわけではないし、むしろ時代と彼らがうまくリンクした結果だと思っている。

 音楽的にはカラパナと同じように、ハワイアン・ミュージックとは違って、どちらかというと“ウェスト・コースト・ミュージック”と呼ばれる音楽に近くて、綺麗なハーモニーと美しいメロディが際立っている。

 特にキーボードとストリングスの使い方が上手で、彼らのセンスもさることながらアレンジャーとして名前が載っているニック・デカロの手腕の賜物であろう。

 このアルバムの中でも、アルバム・タイトル曲の"The Night Music"、ストリングスが美しい"After the Omen"、ボス・スキャッグスの歌で有名な"We're All Alone"、アルバムの最後を飾るいかにもハワイをイメージさせる曲"Sailin'"など、どれもヒット・シングルになりそうな曲が目白押しになっていて、このアルバムが有名になったわけが理解できる。

 とにかくタイトル通り、昼間の暑さが通り過ぎたあとの都会のネオンを眺めながら聞いてもいいし、夜の涼しさを期待しながら昼間に聞いてもいいだろう。
 夜でも昼でも、いつでも涼しさを味わえるアルバム、それがこの「ナイト・ミュージック」である。今後も聞きながら、涼しい気持ちで、世間の出来事の顛末を見続けていきたい。

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ロール・オン

 やっと梅雨も空け、いよいよ灼熱の8月がやってきた、と思っていたのだが、今年は冷夏ということで、はたしてどこまで暑くなるのかよくわからない。暑いのはいやなのだが、せっかくの8月なので、人的被害や作物への悪影響がない限り、暑くなってほしいものである。

 そういう暑さを乗り切るために、涼しさよりもむしろ“暑さには暑さを”ということで、じっとりと汗をかきながら?涼しくなるアルバム「ロール・オン」を紹介したい。

 このアルバムを発表したのは、アメリカの南部の吟遊詩人、J.J.ケールである。今年で齢70歳ということだが、“老いてなお盛ん”の言葉通り、彼にとっては14枚目のオリジナル・アルバムということになる。

ロール・オン ■ J.J.ケール ロール・オン ■ J.J.ケール
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 以前にも彼についてはこのブログで述べたので彼のバイオグラフィーみたいなものは省略させてもらうが、とにかく相変わらずのJ.J.節を聞くことができてうれしい。
 呟くような歌い方や、エフェクターの少ないアコースティック・ギター中心の演奏などは、もはや芸術的な域に達している。これはもうアメリカの至宝、人間国宝ではないだろうか。

 この最新アルバムでも"Strange Days"や"Leaving in the Morning"、"Old Friends"ではそういう彼の歌声を聞くことができる。しかもほとんどの曲が3分の前半で、あっという間に1曲が終わってしまうのだ。この感覚はいまだに70年代のアルバムつくりを行っているとしか思えない。

 また古希を迎えた人とは思えないほど、ミドル・テンポやアップ・テンポの曲が多く、曲だけ聞くならバリバリの現役ミュージシャンと思ってしまう。3分間の曲作りといい、曲の展開といい、音楽に対する愛情は一向に衰えていないのである。この点がいつも彼に惹かれてしまう要因だと思う。

 彼は、2006年に発表されたアルバム「ザ・ロード・トゥ・エスコンディード」で2007年度のグラミー賞最優秀コンテンポラリー・ブルーズ・アルバムを獲得したのだが、基本的にはこのアルバムはエリック・クラプトンとの合作だった。クラプトンの方が彼を慕っているのである。

ザ・ロード・トゥ・エスコンディード Music ザ・ロード・トゥ・エスコンディード

アーティスト:J.J.ケイル&エリック・クラプトン
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2006/11/08
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 そしてこの「ロール・オン」でも1曲だけアルバム・タイトル曲で、クラプトンがギターを弾いて共演を果たしている。

「もし今晩日が差さずに
雨が降り始めても
嘆いちゃいけない
ただの曇り空さ

さあ出かけようぜ
パーティを開くんだ
裸で踊ってもいいぜ
誰も気にしちゃいないさ

さあ、続けよう
このまま転がり続けるんだ
さあ、続けよう
このまま転がり続けるんだ

お前の気持ちがヘヴィでも
心が折れそうになっても
気にしちゃだめだぜ、ハニー
街に出れば大丈夫さ」
(訳;プロフェッサー・ケイ)

 もう70歳だからトレーラーハウスで暮らしているわけではないだろう。噂では自分のスタジオも持っているくらいだから、それなりの生活をしているはずである。
 しかし、歌い方や歌っている内容や相変わらずで、この変化しない姿がたまらないのである。“いぶし銀”の輝きとはまさにこのことを指していうのであろう。

 この人の歌や音楽を聞くと、不思議と暑さを忘れるのである。彼の出身地は南部に近いオクラホマ州だし、音楽自体も泥臭くて暑苦しいし、夏とは正反対の音楽のように思えるのだが、それでも夏になると聞きたくなってしまうのである。

 それは彼の音楽に対する愛情自体が普遍だからであろう。たぶん彼が生きている限り彼の音楽は変わらないであろう。そういう安心感が湿気の多い日本の夏を快適なものに変えてくれているに違いない。このままあと10年でも20年でも頑張って欲しいミュージシャンである。

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ホット・ツナ

 今年の夏はなかなか夏らしい夏にならない。ふつう夏というと、炎天下に揺らぐかげろうや水平線にむくむくと浮かび上がる入道雲を連想させるのだが、7月下旬から急に雨降りや曇りの日が多くなり、カラッと太平洋高気圧に覆われる日が少ないのである。

 それで暑い日にはせめて気持ちだけでも涼しくなろうと思い、暑さを紛らわしてくれる音楽を聞くのだが、このぶんではいったいいつになったらそういう気分になるのだろうか。

 ジェファーソン・エアプレインから派生したグループにホット・ツナというグループがあった。ジェファーソン・エアプレインのギタリストとベーシストが中心になって結成したグループである。結成は1969年で、ギタリストのヨーマ・コウコネンとベーシストのジャック・キャサディにとっては、ジェファーソン・エアプレインに在籍したままでの活動であった。

 今でいうサイド・ビジネスみたいなものだろうか。ちょっとした息抜きの意味合いもかねて、彼らが好きな音楽を自由に演奏したのであろう。彼らの好きな音楽とはブルーズであった。

 彼らが1970年に発表した1stアルバム「ニューオーリンズ・ハウスのホット・ツナ」はかなりの上出来で、他の人に薦めたくなる名盤である。一度聞くと二度、三度と聞いてしまうに違いない。

ニューオリンズ・ハウスのホット・ツナ(紙ジャケット仕様) Music ニューオリンズ・ハウスのホット・ツナ(紙ジャケット仕様)

アーティスト:ホット・ツナ
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発売日:2008/09/24
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 アルバムの発表は70年だが、収録は1969年9月になっている。つまりこのアルバムはデビュー・アルバムにして実況録音盤なのである。タイトルの“ニューオーリンズ・ハウス”とはサンフランシスコの近くバークレーというところにあったクラブの名前で、そこで録音されたものだ。

 デビュー盤がライブ盤というのは珍しく、あのトニー・ケイのいたバジャーの1stアルバムがそうであるが、自信がないとなかなかできないことである。

 しかもこのアルバム全10曲なのだが、ヨーマ・コウコネンはすべての曲をアコースティック・ギターだけを使用して演奏している。だから一つ一つの音がクリアに聞こえてくるし、聴衆の前なのでごまかしが聞かないのである。これがこのアルバムの良いところであろう。

 ギタリストがアコースティック・ギターを使って演奏するということは、演奏技術に自信がある表れである。エレクトリック・ギターではアンプやエフェクターを使用して、ある程度音をごまかせるからだ。だからテクニックがなくても上手に聞こえる場合もある。

 ところがアコースティック・ギターではそういうわけにはいかない。しかもライヴだから人前でとちるわけにはいかないから、けっこう緊張したと思うのである。

 このアルバムには彼らのオリジナルは2曲しかなく、あとは他人の曲やトラディショナル曲をアレンジしたものである。中にはエリック・クラプトンも歌った"How Long Blues"も収められていて、聞き比べをすることができる。こちらの方がゆったりとした感じがした。
 また専任のハーモニカ奏者がいて、ますますブルーズ臭を醸し出してくれるのである。

 自分としてはこの1stの雰囲気が大好きだったので、この調子で2枚目、3枚目を発表して欲しかったのだが、2枚目は日本語のタイトルからして「エレクトリック・ホット・ツナ」になってしまった。残念である。

 確かに同じようなアルバムを発表してはミュージシャンとしては失格かもしれないが、いきなりエレクトリックになって、しかもハーモニカだけでなくエレクトリック・ヴァイオリンも加わり音に厚みを増したのである。その分、いい意味での素朴さが無くなってしまったのが悲しかった。せめてエレクトリックとアコースティックとバランスよく収録して欲しかった。

 ヨーマとジャックは趣味が高じて、1972年にジェファーソン・エアプレインを脱退してしまった。そしてホット・ツナとしてその後もアルバムを発表している。
 結局、1978年まで活動をして、一旦ここで休止している。しかしその後もホット・ツナとしてアルバムを発表しているし、1989年には再結成したジェファーソン・エアプレインにも参加している。現在でも2人はホット・ツナとして活躍しているようである。

 70年代の彼らが最も“HOT”だった頃のベスト盤は手軽に入手することができるので、興味のある方は聞いてみるのもいいだろう。

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アーティスト:ホット・ツナ
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 ただ彼らのベスト・アルバムはいまだに1stだと個人的に思っている。アルバム・チャートも30位まで記録したし、何より聞いていて気持ちいいからである。こういうゆったりとした緊張感というのは格別で、なかなか他のアルバムでは味わうことができない。

 暑苦しい夏になっても、このアルバムを聞くと、何となく涼を覚えるのである。そういう不思議な魅力を持ったアルバムが「ニューオーリンズ・ハウスのホット・ツナ」だった。

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