2019年11月25日 (月)

シーンズ・フロム・ザ・サウスサイド

 「シーンズ・フロム・ザ・サウスサイド」は、ブルース・ホーンズビー&ザ・レインジのセカンド・アルバムのタイトルで、1988年に発表されたものである。今回このアルバムを取り上げたのは、結構気に入っていて、今年の夏はよく聞いたからである、30年以上も前のアルバムなのに。91q1islgl__sl1500_

 ブルース・ホーンズビーについては、以前このブログでも取り上げたのだけれどもう一度確認すると、アメリカのバージニア州出身で、現在64歳。若いころから様々な音楽に興味を示し、1984年には"ブルース・ホーンズビー&ザ・レインジ"を結成して本格的に音楽活動を開始した。翌年には当時のRCAレコードと契約を結んでアルバムを発表することになったのだが、これにはヒューイ・ルイスの後ろ盾があったからだと言われている。ヒューイ・ルイスが彼らの演奏を聞いていたく気に入ったようで、レコード会社に推薦をしたらしいのだ。A25441014574280383471_jpeg

 1986年にデビュー・アルバム「ザ・ウェイ・イット・イズ」を発表するのだが、これがアルバム・チャートで全米3位となる大ヒットを記録し、第29回グラミー賞では最優秀新人賞に選ばれるという快挙を達成している。そしてそれから2年後に、彼らはセカンド・アルバムとなる「シーンズ・フロム・ザ・サウスサイド」を発表したのである。

 もともと彼らの音楽は、ブルース・ホーンズビーのピアノ演奏が基盤になっていて、彼のリリカルで華麗な指使いやジャズやブルース、カントリー・ミュージックを一緒くたに詰め込んだようなアメリカ南部独特のメロディなどが、多くのアメリカ人の琴線に触れるのであろう。だからデビュー・アルバムは300万枚以上売れたし、いまだに彼らの代表作として売れ続けている。

 このセカンド・アルバムも、デビュー・アルバムに負けず劣らず優れていると思う。全9曲だが、そのうち6曲を実の兄のジョン・ホーンズビーと共作している。ジョンとはデビュー・アルバムでも9曲中7曲を一緒に作っていて、あの"Mandolin Rain"もジョンと一緒に書いた曲だった。A1jccr1zxel__sl1500_

 アルバムの冒頭の曲"Look Out Any Window"は2枚目のシングルになった曲で、チャート的には最終的に35位にまで上がっている。ゆったりとシンセサイザーが響き渡り、そしてあのピアノ・タッチが聞こえてくる。デビュー・アルバムの延長線上にある曲調だが、ブルース・ホーンズビーのピアノ・タッチはますます冴えわたっていて、曲を際立たせている。

 2曲目の"Valley Road"は1曲目よりもテンポが速い。その分、ブルースの指も鍵盤上で踊っている。彼の故郷のバージニアで生活している人々の暮らしぶりや喜怒哀楽を描いているようで、その内容が当時の人々の感情を揺さぶったようだ。このアルバムからの第一弾シングルとして発表されて、チャートの5位まで上昇している。

 3曲目の"I Will Walk With You"では肩ひじ張ったような感覚が消えて、リラックスして歌っているように聞こえる。1、2曲目がシングルとして用意されていたせいなのかもしれないが、ブルースのピアノだけでなく、間奏のギター・ソロも目立っていて、その調和というかバランスがいい。
 次の"The Road Not Taken"は7分以上もある曲だが、一向にその長さを感じさせない。アコーディオンも効果的に使われていて郷愁を誘うし、ブルースのピアノ・プレイも長くフィーチャーされていて、聞きどころが多いのだ。

 "The Show Goes On"も7分30秒もある長い曲だが、これがまた人生を振り返させられるような感動的なミディアム・バラード曲である。ここではミュージシャンという立場から、自分の人生を振り返り、そこからさらに前を向いて生きていこうと歌っているが、聞く人にとっては、それぞれの人生に置き換えて聞いているはずだ。だからメロディもいいけど、曲の内容もまた優れていると思う。この曲はまた、1991年のロン・ハワード監督の映画「バックドラフト」でも使用されていた。250x250_p2_g2770165w

 "The Old Playground"もまたデビュー・アルバムの曲を彷彿させるようなテンポの良い曲調で、ピアノだけでなくオルガンのような音を出すシンセサイザーもまた目立っていた。
 7曲目の"Defenders of the Flag"でフィーチャーされているハーモニカはヒューイ・ルイスが吹いていて、ブルース・ホーンズビーとヒューイ・ルイスの良好な関係がうかがえる。のちにブルースはヒューイ・ルイスのアルバムのプロデュースも担当していたから恩義を感じていたのかもしれない。またこの曲での歌い方は、何となくボブ・ディランに似ていたが、曲のメロディがディラン調だったからそうなったのだろう。

 そして次の曲がヒューイ・ルイス&ザ・ニューズが歌って全米No.1になった"Jacob's Ladder"だ。ヒューイ・ルイスのバージョンは、1987年に発表されてNo.1になったが、ブルースはその時のアレンジは気に入らなかったらしい。しかし、このアルバムでもほとんどアレンジを変えることもなく普通にセルフ・カバーをしていた。自分的にはエンディング部分のギター・ソロがカッコよかったので、できればもう少し長く演奏してほしいと思った。

 アルバムの最後を飾るのが"Till The Dreaming's Done"で、この曲もまたゆったりとした大陸的な雰囲気を湛えていて、まさにアメリカ南部と言うか、ミシシッピ川を汽船で下りながら河岸の風景を眺めているような(そういう経験はないけれど)、そんな感じを味わうことができる。とにかくこの当時のブルース・ホーンズビーの曲は、イントロのピアノ部分を聞けばすぐに彼のシングル曲やアルバムの中の曲と分かるほど特徴的であり、印象的でもあった。

 とにかく、彼のピアノ演奏にハマってしまえば、もうこれは虜になってしまうこと疑いなしである。ロックの分野で、ピアノの音色を聞いて誰だかわかるピアノ・プレイヤーは、ブルース・ホーンズビーとニッキー・ホプキンスぐらいではないだろうか。Hqdefault_20191019235801

 この後ブルース・ホーンズビーは、グレイトフル・デッドのツアー・メンバーを担当していたが、徐々にロック・ミュージックからジャズの世界に移行していった。一説では、グレイトフル・デッドのライヴでサイケデリックなソロなどをやっていく中で、インプロビゼーションの奥深さに開眼したそうだが、どうなんだろうか。

 おそらく彼が、再びこのような音楽、つまりアメリカ南部の音楽に影響を受けたロック・ミュージックのアルバムを発表することはないだろう。そういう意味では、アメリカン・ロックにおける貴重なレガシーともいうべきアルバムだと思っている。

| コメント (0)

2019年11月18日 (月)

CS&N

  秋の夜長にふさわしいアルバムはないかと探していたところ、何となく当てはまりそうだったのが、このアルバムだった。クロスビー、スティルス&ナッシュの1977年のアルバム「CS&N」である。これはどうでもいいひとり言だけど、バンド名にはカンマが必要で、アルバム名にはカンマはなかった。つまりバンド名は"C,S&N"で、このアルバム・タイトルは"CS&N"だったのである。ホントにどうでもいい話だ。51bzfrvkgl

 このアルバムは、C,S&N名義のスタジオ・アルバムでは1969年の歴史的名盤の「クロスビー、スティルス&ナッシュ」以来になるもので、なかなかの好アルバムだと思っている。確かに69年の「クロスビー、スティルス&ナッシュ」があまりにも素晴らしすぎるので、その陰に隠れてしまっている感はあるのだが、1曲1曲を見ていくと、中にはこれは聞き逃せないという曲もある。結果的には、ビルボードのアルバム・チャートで最高位2位を記録しているのだから、セールス的にも成功したであろう。(ちなみに69年の「クロスビー、スティルス&ナッシュ」の方はチャート的には6位で終わっている)61ulvbalktl

 このアルバム発表前のC,S&Nは、ニール・ヤングを含めたC,S,N&Yの再編ツアーが終わったあとで、各自がそれぞれ好きなことを行っていた。噂では、この時の模様を収めたライヴ・アルバムが計画されているとか、1970年の「デジャ・ヴ」以来のスタジオ・アルバムを発表するかもしれないといわれていたのだが、結局、そのような話は立ち消えになり、デヴィッド・クロスビーとグレアム・ナッシュの2人はソロ活動と並行して2人組としても精力的にライヴなどを行うようになった。

 一方のスティーヴン・スティルスは、これまたソロ活動を行いながら、元ザ・バーズのクリス・ヒルマンや元フライング・ブリット・ブラザーズのアル・パーキンスらとともに、マナサスというバンドを結成してアルバムを発表していた。だから3人がそれぞれのやり方で音楽活動を行っていたわけだ。

 ところが、1976年にロサンゼルスで行われたクロスビー&ナッシュのライヴにスティルスが飛び入りして、アンコールの時に3人で"Teach Your Children"を歌ったのである。これが切っ掛けとなって、また3人でやろうということで、親しいミュージシャンを集めてアルバムをレコーディングした。それが「CS&N」だったのだ。

 このアルバムには12曲が収められていて、3人が曲を持ち寄ったもので構成されていた。基本的には、自分が作った曲は自分が中心で歌っていて、C,S&Nの代名詞である美しいボーカル・ハーモニーがつけられている。
 冒頭の"Shadow Captain"はデヴィッド・クロスビーの曲だが、この曲では3人が一緒に歌っていて、まるで1969年からの夢の続きが行われているようだ。まさにC,S&Nならではの芸当だし、彼らの魅力が満ち溢れている曲だろう。こういう曲をファンは待っていたに違いない。

 続く"See the Changes"はスティーヴン・スティルスの曲で、彼が中心となって歌っている。スティルスらしいアコースティック・ギターを中心とした曲で、彼のソロ・アルバムの延長線上にある曲だ。最初の曲もそうだが、この曲も当時のアメリカの世相を歌っている。当時は建国200年を迎えていたアメリカだったが、ニクソン大統領は国民を欺き、次のフォード大統領の経済政策は功を奏せず、失業者は増え、国の財政も悪化していった。200年前に誰もが夢を抱き海を渡ってきたものの、200年後の現実はその夢を打ち砕くものだった。

 ロック・ミュージック史的には、60年代後半のフラワー・ムーヴメントにおける自由への解放が、単なるドラッグ・カルチャーとして扱われてしまい、ロック・ミュージックは時代の中で意味をなさないのではないかと危惧されるようになり、かわってシンガー・ソングライターたちが個人の内面を中心にして時代と対峙するようになっていった。そういうモチーフがこの2曲には表れているし、このアルバムを貫くテーマになっているのではないかと考えている。

 3曲目の"Carried Away"はまさに晩秋にふさわしい曲で、ナッシュのピアノ弾き語りにクロスビーがハーモニーをつけている。また、途中に挿入されるハーモニカもナッシュが演奏していて、これまた涙を誘うのである。
 続く"Fair Game"はスティルスの曲で、ボサノバっぽいノリで歌われている。当時はマナサスというバンドでも活動していたので、その影響が出たのだろう。この曲はシングル・カットされていて、チャートでは43位と健闘している。アコースティック・ギターのソロもまたスティルスが演奏していて、彼はエレクトリック・ギターよりもアコースティック・ギターの方が慣れているのかもしれない。

 "Anything at All"はデヴィッド・クロスビーの作った曲で、ボーカルは彼一人で歌っていて、ハーモニーを残りの2人で担当している。これもまたピアノ中心の静かな曲で、心を癒されてしまう。

 当時のレコードのA面最後を飾る曲がグレアム・ナッシュの作った"Cathedral"で、ナッシュとクロスビーで歌っている。最初はナッシュがピアノの引き語りで歌うのだが、途中からアップテンポに移り、壮大なストリングスが添えられて、奥行きのある荘厳な音空間を創り出している。このアルバムの中で一番長い曲(5分15秒)でもあり、一説では、ナッシュが故郷イギリスのウインチェスター大聖堂を訪れた際の経験をもとにしているという。ただ、その時のナッシュはドラッグでトリップしていたというが本当だろうか。Slide11969

 続く曲は、"Dark Star"というスティルスの手によるもの。リード・ボーカルも彼自身である。途中のエレクトリック・ピアノが黒っぽい雰囲気を醸し出していて、アメリカ南部のリズム&ブルーズに影響を受けているようだ。当時のスティルスのバンドであるマナサスのアウトテイク作品のような気がする。

 このアルバムの中で一番メロディアスなのが"just a Song Before I Go"で、聞きやすいといえばナッシュの曲だろう。さすが"Bus Stop"をヒットさせたホリーズに在籍していただけのことはあって、こういう短くてポップな作品はお手の物だろう。ハワイでのコンサート前に雨が止むのを待ちながら、ピアノを使って20分程度で書き上げた曲といわれている。シングル・チャートでは7位を記録した。

 "Run from Tears"もスティルスの曲で、彼のエレクトリック・ギターが前面に出ていて、ミディアム・テンポながらもハードなイメージを抱かせてくれる。10曲目の"Cold Rain"もグレアム・ナッシュの曲で、彼の弾くピアノがメインのバラード曲だ。この曲も2分32秒と短くて、出来ればもう少し長く聞かせてほしいと思ってしまった。

 このアルバムには、デヴィッド・クロスビーの書いた曲は3曲しかなくて、そのうちの1曲は、このアルバムのレコーディングにも参加しているキーボード・プレイヤーのクレイグ・ドージとの共作だった(Shadow Captain)。残りの2曲のうち1曲が"In My Dreams"だった。この曲も最初はボーカル・ハーモニーで始まり、静かに流れていく。3分過ぎからドラム・サウンドが前面に出てきて、それまでのミディアム・バラードが崩れていく。全体的にはマイナー調ではあるものの、前半と後半では印象が変わってくる。デヴィッド・クロスビーは、こういう展開のある曲を得意としているようだ。

 そして、このアルバムの最後を締めくくるのが"I Give You Give Blind"で、イントロからスティルスのエレクトリック・ギターと、これまたスティルスが演奏するエレクトリック・ピアノが曲を際立たせていて、彼らとしては珍しいロックン・ロールの曲に仕上げられている。バックのストリングスが曲に性急感や圧迫感を与えている。メインはスティルスが歌っているが、ナッシュとクロスビーもハーモニーをつけていて、こういうテンポの良い曲でも綺麗なハーモニーは合うということが分かる。

 このアルバムの良いところは、"一粒で3度おいしい"というところだろうか。3種3用の味わいというか、3人の個性が曲に表れていて、それぞれのソロ・アルバムを手に入れたような気がしてしまう。だからバラエティに富んでいて聞いてて飽きない。何度でも繰り返し聞いてしまうというマジックを備えている。Csnbio2
 逆に言えば、それが短所でもある。アルバムに統一感がなく、散漫な印象を与えることも考えられるのだ。特に、アルバム後半はそう聞こえてしまう。理由は簡単で、リード・ボーカルがメインになっていて、ボーカル・ハーモニーが聞かれないか、薄いのである。1969年のアルバム「クロスビー、スティルス&ナッシュ」との違いはこの点である。C,S&NもしくはC,S,N&Yの一番の特徴は、何と言ってもあの美しいハーモニーだった。69年のアルバムにはそれが強調されていたが、このアルバムでは前半はそれが聞かれるものの、後半になるにつれて減少してしまう。その点が残念だった。

 原因の一つは、アルバム制作までに時間がなかったということだろう。あるいはC,S&Nとしての計画性がなかったということも挙げられるだろう。最初からセカンド・アルバムとして準備していれば違ってきただろうが、さあ、もう一度3人でアルバムを作ろうと思っても、時間的な余裕がなければ、とりあえず手元にある曲をアレンジして使おうということになってしまう。そういう意味では、最初から意図的に計画していれば、もっと違ったアルバムになっていたに違いないのだ。

 ただ、それでもこのアルバムの素晴らしさは変わらない。曲の一つ一つが優れているからである。秋の夜長にはマスト・アイテムの1枚だと思っている。

| コメント (0)

2019年10月28日 (月)

ホワイト・ストライプス

 自分はこのバンド、ザ・ホワイト・ストライプスのことは深く聴き込んだわけではないのでよくわからない。でも、このバンドやバンドに所属していたジャック・ホワイトのことについては、今のロック・シーンを語るに触れざるをえない重要なことなので、あえて今回ここに記すことにした。
 なーんて堅苦しく始まったけれども、要するに、ザ・ラカンターズつながりでここにたどり着いたというわけである。ただし、いつかはこのバンドについて触れざるを得ないだろうと思っていたことは確かで、これなくして今のアメリカン・ロックは語れないだろうと思っている。150302whitestripes640x426

 ザ・ホワイト・ストライプスが結成されたのは、1997年のミシガン州デトロイトだった。デトロイトといえば、ロックン・ロールというよりもどちらかというと、ソウル・ミュージックやラップ・ミュージックのイメージが強い街だ。モータウン・レコードもデトロイトから生まれたし、エミネムもデトロイトで育っている。

 ただし、ロックン・ロールと全く無縁の街かと言えばそうとも言えず、60年代後半にはMC5というロック・バンドが活躍していたし、イギー・ポップもミシガン州出身だった。キッスには"Detroit Rock City"という曲をヒットさせた実績もある。まあ、とにかくデトロイトには様々な音楽シーンがあったということだ。
 そんな音楽シーンを横目にザ・ホワイト・ストライプスは生まれたわけだが、当時姉弟と言われていて実際は夫婦だったメグ・ホワイトとジャック・ホワイトは、自分たち流のロックン・ロール・ミュージックを追及していた。

 デビュー当時は、メグがドラムを叩き、ジャックがギターを演奏するという姿が斬新で、自分なんかは90年代のザ・カーペンターズだなどと訳の分からないことを口走っていたのを思い出してしまった、音楽性は全く違うというのに。

 1990年代の後半は、"ロックン・ロール・リバイバル"というブームが一時的に流行していて、ザ・ホワイト・ストライプスもその流れの中で出てきたような感じになった。でも実際は、そんなブームとは関係なく、ブームがあろうとなかろうと彼らは頭角を現してきただろうし、そして売れたことは間違いないだろう。20180201164348

 彼らが売れた理由は、他にもある。一つは芳醇なアメリカン・ロックの源流の中からベーシックなものを取り上げて、それを21世紀の今の形にあうように作り替えたことだ。具体的に言うと、アメリカ人の心のどこかに潜んでいる郷愁を見つけ出し、それを揺さぶり、顕在化させたことである。もっと言うと、カントリー・ミュージックやブルーズ・ミュージック、ゴスペル・ミュージックなどをブレンドし、再解釈して提示させてくれたのである。そのセンスが、他のバンドやミュージシャンとは一線を画していたことだ。

 もう一つの理由は、リフの印象度である。彼らというかジャック・ホワイトの創造するリフの鋭さや印象度は、かの有名なジミー・ペイジのものと比べても遜色はないだろう。
 ジミー・ペイジは、自分のリフを瓶詰にして売ればかなり儲かるだろうと不遜なことをのたまわっていたが、確かにそれは否定できない。しかし、そのジミー・ペイジが、ジャック・ホワイトのギターのリフやテクニックは今のロック・シーンを代表するものであるというお墨付きを出しているわけで、如何にギタリストとしてのジャックの評価が高いかが分かると思う。だから2009年に「ゲット・ラウド」という映画で、ジミー・ペイジと共演できたのだろう。

 とにかくそんなジャック・ホワイトは、当時のデトロイトの音楽シーンがラップ・ミュージック一色に染まっていたことが嫌で嫌でたまらなくなり、自分たちで何とかしようということで、当時レストランで働いていたメグと知り合って、バンドを結成したのである。
 だから、彼らが"ロックン・ロール・リバイバル"というブームに便乗したというのは間違いで、むしろ彼らの方がそういうブームを作ろうと思っていたのだ。それで、自分たち流のカントリー・ミュージックやブルーズ・ミュージックを作り上げようとしたことが、非常に斬新だったわけである。

 彼らが2005年に発表した5枚目のアルバムに「ゲット・ビハインド・ミー・サタン」というものがある。全英・全米ともにアルバム・チャートの3位を記録し、グラミー賞では「最優秀オルタナティヴ・ミュージック・アルバム賞」を受賞しているが、このアルバムを聞くと、どういうふうにして彼らがロックン・ロールを再構築していったかがよくわかると思う。21世紀風のアメリカン・ロック・リバイバルなのである。714h1ef1okl__sl1425_

 まず冒頭の"Blue Orchid"である。ジャックはファルセットで歌い、メグが破壊的なまでにドラムを連打する。バックの演奏はギターとドラムだけで、ベース・ギターはギターで代用されている。たったそれだけのシンプルな構成なのに、一度聞いたら忘れられない"リフ"の姿がそこにあるのだ。自分はこの曲をラジオで聞いて、即購入を決意した。それくらい印象的だったし、カッコよかった。やはり、ロックン・ロールにはカッコよさが付随してこないと良くないと思っている。カッコ悪いロックン・ロールは聞きたくもないし、時間の無駄だと思う。

 この曲は最初のシングルに認定された曲で、わずか2分37秒しかないけれども、カナダではチャートの首位になり、英国では最高位9位を、米国では43位にまで上昇した。
 続く"The Nurse"ではマリンバが使用されている。マリンバだよ、マリンバ。ロック・ミュージックでは珍しい楽器だが、要するに木琴みたいなものだ。昔々、ジェスロ・タルというイギリスを代表する素晴らしいプログレッシヴなバンドがライヴで使用したことのある楽器だ。
 このアルバムでは、このマリンバが随所で使用されていて、この曲ではマリンバがメインで、ところどころに破壊的なドラムとノイジーなギターとピアノが断片的に使用されていた。こういう手法がロックン・ロールの再解釈と言われる由縁だろう。

 ジャックはマルチ・プレイヤーで、ギターからベース、ドラムにキーボードと多種多彩である。もちろんここでのマリンバもジャックが演奏していた。3曲目の"My Doorbell"はこのアルバムからの2枚目のシングルになった曲で、ミディアム調の力強いまともなロックを聞かせてくれる。ちなみにこの曲は2006年のグラミー賞にノミネートされた。

 冒頭の3曲には曲間がなく、連続して聞こえてくる。だからアルバムに疾走感が満ち溢れていて、そういう意味でも"ロックの初期衝動"を感じさせるアルバムに仕上げられている。また、スタジオにこもり、レコーディングをする中で曲を完成させていっており、しかもわずか2週間で全曲のレコーディングが終わっている。だから、オリジナルのアイデアに近い原曲の姿がむき出しにされているような感じがするのである。

 4曲目の"Forever for Her(is Over for Me)"にもマリンバが使用されていて、しかもこの曲はバラードなのだが、全く違和感なく曲とマリンバがマッチしていた。こういうセンスが天才的なのだろう、ジャック・ホワイトという人は。
 次の"Little Ghost"はアップテンポのカントリー・タッチの曲で、曲をリードしているのは、ジャックのアコースティック・ギターとメグのタンバリンだ。この2種類の楽器とボーカルだけだから、何という安上がりというか、ボブ・ディランでもデビュー当時しかこういうレコーディングはやっていないのではないだろうか。でも似合うのである、彼らの演奏となると。

 3枚目のシングルになったのが"The Denial Twist"で、これはザ・ホワイト・ストライプス流ロックン・ロール、いやブルーズ・ロックといっていいだろう。とにかく古典的なブルーズではなくて、ブルーズに影響された曲でもある。でも、ロック・ミュージックは基本的にはブルーズに影響を受けているわけで、2分35秒しかないこの曲世界には人々の情念や怨嗟、諦観などで満ち溢れているようだ。

 一転して、バラードに戻る"White Moon"もブルーズに影響を受けていて、呟くように歌うジャックの姿と音数の少ないメグのドラム、ダビングされたジャックのピアノが哀愁味を感じさせる。続く"Instinct Blues"には"Blues"という言葉が示すように、まさに現代版ブルーズだ。スローな曲調だがしなやかで、パワフルである。しかも"極端に"といっていいほど音数が少ない。ナイフで削ぎ落としたかのようにソリッドでエッジが立っている。形式は典型的なブルーズなのだが、70年代以前では想像もできないほど、モダンでメタリックだ。自分たち流の再解釈なのだろう。それに歌い方が何となくロバート・プラントに似ていた。20070619_jmc_a29_809

 "Passive Manipulation"は、メグのリード・ボーカルと若干の装飾音で飾られた曲で、35秒しかなかった。後半のエンディングへと転換する分岐点の役割を果たしているのかもしれない。それを証明するかのように"Take,Take,Take"では、再び力強いジャックのボーカルを聞くことができる。途中転調してパーカッションがリードする場面も用意されていたが、基本はジャックのボーカルだった。本当にこのアルバムでは、バックの演奏をシンプルにしていて、その結果、むき出しのサウンドを味わうことができるのだ。意図的にアレンジされたのだろう。

 11曲目の"As Ugly As I Seem"では、ジャックのアコースティック・ギターとボーカルが前面に出ていて、メロディアスでややポップな雰囲気を醸し出している。全体的にロックの初期衝動で覆われたアルバムではあるが、この曲と最後の曲だけは例外で、60年代終わりのフラワー・ムーブメントを思い出させてくれるようだった。むしろこの曲の方が万人受けすると思ったのだが、彼らはシングル向きではないと考えたようだ。

 "Red Rain"は、このアルバムの趣旨に戻ったような曲調で、再びメグとジャックの共闘体制が敷かれていく。とにかく、ジャックのエレクトリック・ギターはどこまでも破壊的で衝動的だ。それはこの曲に限ったことではなく、エレクトリック・ギターが使用されている曲ではすべてそうだ。だからその分、パワーがあり、ロックン・ロールのもつ原初的な力強さや呪縛性を改めて感じさせてくれるのである。恐るべし、ザ・ホワイト・ストライプス。

 そしてラストは、叙情的なピアノ一台をバックにジャックが歌う。"I'm Lonely(But I Ain't That Lonely Yet)"という曲は、まるでザ・ホワイト・ストライプス流"Amazing Grace"である。つまりこの曲はゴスペル・ミュージックなのである。最後まで聞いた人は心が洗われていく思いがしたに違いない。たぶんリスナーは、アルバム冒頭から曲を聴き続けるうちに、自分の人生とオーバーラップさせながら、現実生活における様々な辛苦や辛酸を思い出したに違いない。しかし、その苦しみも最後のこの曲で救われるというわけである。何となく安直なキリスト教的解釈ではあるが、ダンテの「神曲」のような、そんな荒廃さと荘厳さを兼ね備えたようなアルバムだと思っている。71x4zlb4oel__sl1260_

 というわけで、なぜザ・ホワイト・ストライプスが受け入れられたのかという意味というか理由が、このアルバムには秘められている。このアルバムだけにとどまらず、彼らの創り出す音楽には、ちょうど灰の中から生まれてきた不死鳥のように、ロックン・ロールを自分たち流に再解釈して新たに生み出していくという物語が備わっているからだ。それは既存の音楽に飽き足らなくなってきたキッズにはもちろんのこと、概ね50年代から70年代を生きてきたロック・リスナーたちにも新鮮さを伴って受け入れられていったのである。

 ザ・ホワイト・ストライプスは、残念なことに2011年に解散してしまったが、ジャック・ホワイトの再解釈の旅はまだまだ続いている。次はどんな意匠を伴ってアルバムを出して来るのか、楽しみでならない。

| コメント (0)

2019年10月21日 (月)

ブレンダン・ベンソン

 ザ・ラカンターズのメンバーの一人であるブレンダン・ベンソンについて調べてみることにした。彼は1970年生まれだから、今年で49歳になる。生まれはルイジアナ州のハーヴェイというところで、父親は溶接工、母親はメキシカン・レストランのウェイトレスをしていたそうだ。Brendanbenson19a35a471c6641feb0aea6900f2
 彼が音楽に目覚めたのは、父親の影響らしい。父親は膨大なレコード・コレクションを擁していたようで、ブレンダンが子どもの頃からデヴィッド・ボウイやT・レックス、イギー・ポップなどの音楽を聴かせていたという。なかなかのロック通のようだ。しかし残念なことに、その父はブレンダンが7歳の時に亡くなってしまい、以降は母親によって育てられている。ブレンダンには父親のレコード・コレクションが残されたのである。

 それらの音楽の影響で、高校生になるとバンドを結成し、様々な場所で演奏するようになり、徐々に自作曲なども披露するようになって行った。高校を卒業すると、一念発起してロサンゼルスに旅立ち、音楽で身を立てようとしたがうまく行かずに様々なアルバイトをこなしながら、曲作りに励んでいった。
 彼はまたマルチ・ミュージシャンでもあるのだが、ギター以外のキーボードやベース・ギター、ドラムスなどをこなせるようになったのもこの時期の経験によるところが多い。不遇の時代を迎えても、夢をあきらめずにコツコツ努力していったから幸運の女神も微笑んでくれるようになったのだろう。

 結局彼は、26歳でデビュー・アルバムを発表することができたのだが、その時のCDの帯にはこう書かれていた。「ジェリー・フィッシュ、ベン・フォールズ・ファイヴを凌駕するメロディー・センス、サンフランシスコから彗星のごとく現れたシンガー・ソングライター、ブレンダン・ベンソンの溢れる才能を凝縮したデビュー・アルバム」51elpxxdr2l

 ジェリー・フィッシュの名前があるのは、当時同じサンフランシスコに住んでいたジェイソン・フォークナーがこのアルバムに関わっていたからだろう。彼は13曲中7曲でブレンダンと一緒に曲を書いているし、ブレンダンのデビュー・アルバムの後押ししたのも彼のおかげだと言われている。ジェイソン・フォークナーといえば、ジェリー・フィッシュのオリジナル・メンバーで、デビュー・アルバム発表後に「自分の曲が採用されないから」と言ってバンドを脱退した人でもある。たぶんジェイソンは自分と共通の何かを感じたから、ブレンダン・ベンソンの応援を買って出たのだろう。

 1996年に発表されたデビュー・アルバムは、基本的にはスリー・ピース・バンドとしてレコーディングされていて、ブレンダン・ベンソンのギター&ボーカルとウッディ・サンダースのドラム、マイケル・アンドリューズのベース・ギターというシンプルな構成だった。また、ジェイソン・フォークナーの応援のおかげだったのか、ヴァージン・レコードから発売されていて新人としては破格の扱いだった。

 しかしこのアルバムは、残念ながら売れなかった。理由は簡単でヒット曲がなかったからだ。どの曲も平均点レベルであり、悪くはないのだが、この1曲というものがないのである。アマゾンのCDレビューには一家に一枚的なことが書かれていたが、個人的には別に聞かなくても他に聞くべきものがあるんじゃないという感じで、数回聞いてお蔵入りさせていた。当時はこういう感じのアルバムが数多く出回っていて、どれを聞いても同じような感じがしたせいもあったからだろう。

 バンド形式で作られているとはいえ、基本的にはブレンダン・ベンソンのシンガー・ソングライター的な資質が発揮されているアルバムだった。1曲目の"Tea"、続く"Bird's Eye View"と、いずれも1分8秒、1分28秒と短く、曲というよりはイントロが続くみたいな感じで、構成的にはオッと言わせるものがあった。しかもこの2曲はポップだったし、2曲目と3曲目が続いていて3曲目の"Sittin' Pretty"はシングル・カットされたくらいだから、これまた耳に馴染みやすいポップな曲だった。

 続く"I'm Blessed"もパワー・ポップな曲で、躍動感がありフレッシュさを感じた。ただバラード系の"Crosseyed"が4分22秒と長くて、ここで一度澱んでしまう。あくまでも個人的な感想なのだけど、ジェイソン・フォークナーと一緒に作った曲よりも、ブレンダン・ベンソン個人の曲の方が出来栄えがいいような気がするのであった。
 例えば、アルバム冒頭の2曲もそうだし、7曲目の"Got No Secrets"などはレゲエ風のアップテンポの曲で、ノリが良いのだ。続く"How 'Bout You"などもこれぞまさにパワー・ポップともいうべき曲だったし、恋人のことを歌った"Emma J"も独特の低音のリフが印象的だった。

 だからブレンダン・ベンソンの曲だけで構成すれば、もっと売れたのではないかと思っていたのだが、そうならなかったことで、ヴァージン・レコードからは契約を切られ、次の配給元を探さないといけない羽目になったのである。

 自分は、このデビュー・アルバムと2009年に発表された4枚目のソロ・アルバム「マイ・オールド、ファミリア・フレンド」の2枚を持っていて、どちらかというと後者のアルバムの方が好きである。81kshcczuwl__sl1256_
 2009年といえば、ザ・ラカンターズが世界的な成功を収めた後になって発表したことになる。ザ・ラカンターズが結成されたのが2005年で、次の年にアルバムが発表されているからだ。ただ、この「マイ・オールド、ファミリア・フレンド」のレコーディングは2007年に行われていて、ザ・ラカンターズのファーストとセカンド・アルバムの発表の間にレコーディングされたことになる。ただ、発表されたのは2009年だから、ザ・ラカンターズの活動を一区切りした後に発表したのだろう。800x_image_20190907184801

 全11曲で40分というコンパクトな構成だが、曲の密度は恐ろしく高く、デビュー・アルバムから比べれば格段の進歩が伺えた。まずシングル・カットされた"A Whole Lot Better"からしてギターのコード・カッティングがまるでピート・タウンゼントである。もちろんテンポもよくアルバムの冒頭にはふさわしい曲だし、続く"Eyes on the Horizon"もミディアム・テンポながらも聞かせてくれる曲に仕上がっている。何しろサビのフレーズと、挿入されるギター・ソロがよく計算されていて素晴らしい。この2曲を聞けば、このアルバムを購入してよかったと誰しもが思うに違いない。

 3曲目の"Garbage Day"なんかは、まるでフィリー・ソウルである。バックのストリングスが華麗で甘くて都会的なのである。これは間違いなくヴァン・マッコイかスタイリスティックスの世界だろう。この曲もいいし、ハモンド・オルガンがフィーチャーされたバラードの"Gonewhere"もまた何となくポール・マッカートニーの匂いを感じさせてくれる。

 このアルバムから2枚目のシングルになった"Feel Like Taking You Home"はブレンダン・ベンソンとディーン・ファティータとの共作で、どことなくザ・ラカンターズのアルバムに収録できなかったアウトテイクのようだ。それにディーン・ファティータという人は、ジャック・ホワイト関係のバンドのデッド・ウェザーのメンバーでもあるし、ザ・ラカンターズのライブではキーボードも担当しているミュージシャンでもある。ザ・ラカンターズの新曲ですよといっても十分通用するだろう。

 "You Make A Fool Out Of Me"は、アコースティック色の強い曲で、ギターの弾き語りから始まり徐々に音が重ねられていく。今頃の秋の季節に聞くにはぴったりの曲だろう。この曲もバックのストリングスが美しい。70年代のシンガー・ソングライターの曲にストリングスを重ねたらこう成りましたよという曲だろう。

 後半は一転してロック調に戻る。"Poised And Ready"はまさにパワー・ポップといっていいし、何しろメロディックでカッコいいのだ。次の"Don't Wanna Talk"もミディアム調でシングアロング出来そうなメロディラインを持っているし、途中転調してアクセントも持たせている。まさにブレンダン・ベンソンの独壇場だろう。

 8曲目の"Misery"については、イギリスのパブ・ロック風で、ニック・ロウやデイヴ・エドモンズ、初期のエルヴィス・コステロの影響を感じてしまう。これまた名曲だし、この時期のブレンダン・ベンソンには汲めども尽きぬ曲のメロディやアイデアが湧き出ていたのではないだろうか。
 このアルバムの曲は1曲を除いてほとんどが3分台の曲で、その1曲というのが"Lesson Learned"という曲だった。このミディアム・バラード・タイプの曲だけは4分29秒もあり、ギターよりもキーボード(正確にいうとオルガン)が目立っていた。

 そしてアルバムの最後を飾るのがこれまたエッジの効いたロック調の"Borrow"という曲で、メロディの跳ね具合が妙にカッコいいのである。やはりロック・ミュージックは、カッコよくないと良くないよねという当たり前のことを再認識させてくれた。中間のギター・ソロはこのアルバムでも一、二を争う迫力とカッコよさを備えている。ちなみにこのアルバムは、ビルボードのアルバム・チャートでは初登場110位を記録している。71rbudpgkil__sl1257_

 やはりブレンダン・ベンソンは、自分の力でやった方がいい曲が生まれるのではないだろうか。この「マイ・オールド、ファミリア・フレンド」を改めて聞いて、これは21世紀のパワー・ポップの名盤だろうと思っている。ブレンダン・ベンソン自身はシンガー・ソングライターとしてデビューしたかもしれないが、実際はパワー・ポップの職人肌を持つロック・ミュージシャンなのである。ジャック・ホワイトとバンドを結成したのも何となくわかるような気がした。

| コメント (0)

2019年10月 7日 (月)

ザ・ラカンターズの新作

 今年の上半期に発売されたアルバムで印象に残ったシリーズの最後を飾るのは、アメリカのロック・バンド、ザ・ラカンターズの「ヘルプ・アス・ストレンジャー」である。
 知っている人は知っていると思うけれど、このザ・ラカンターズというバンドは、アメリカ人ミュージシャンのジャック・ホワイトとブレンダン・ベンソンの2人を中心とした双頭バンドである。Raconteurs2018_header  ジャック・ホワイトといえば、現代ロック・ミュージックの復興の祖として崇められているように、22歳の時に当時の妻であったメグ・ホワイトとともにホワイト・ストライプを結成すると、瞬く間に全米で人気を獲得し、やがてその火は世界中へと燃え広がっていったのである。そして、2005年にはホワイト・ストライプと同時並行で、旧友同士といわれているが、ブレンダン・ベンソンほか2名とともに、ザ・ラカンターズを結成して、翌年にはデビュー・アルバムを発表してしまう。

 よほどの才能の塊なのだろう、ジャック・ホワイトという人は。2009年には専任ボーカリストを加えた新しいバンドであるザ・デッド・ウェザーも結成して、一時は3つのバンドを掛け持ちし、その合間にソロでの活動を行うというまさに八面六臂の活動を行っていた。さらには、ジミー・ペイジとU2のエッジとともに映画「ゲット・ラウド」に出演したり、ソロ・アルバムを発表しライヴ活動を行ったり、はたまた自身のレコード会社を立ち上げたりと、一体いつ休むのだろうかと周囲が不安に思うほどワーカホリックな生活を送っている。Jackwhite2920x584

 ブレンダン・ベンソンの方はというと、ジャック・ホワイトほどではないにしろ有名なミュージシャンで、1996年のデビュー・アルバム「ワン・ミシシッピー」ではいくつかの曲で、元ジェリーフィッシュのメンバーであるジェイソン・フォークナーと共作していた。それからもわかるように、どちらかというとポップでマイルドなロックンロールを志向するミュージシャンだろう。今まで6枚のソロ・アルバムを発表してきている。
 ただ、ジャック・ホワイトとは旧友といってもブレンダン・ベンソンの方が4歳ほど年上の48歳だ。そして共通する点では、ジャックもブレンダンもギターからキーボード、ドラムス、プロデューサー業と何でもこなせるマルチ・ミュージシャンということだろう。そういう点でも意気投合したのかもしれない。P01bqlwl

 それでザ・ラカンターズは、2006年と2008年にアルバムを発表しているが、何しろメンバー4人とも忙しい人たちで、セカンド・アルバム発表以降は、なかなか揃うことができずにバンド活動は停止中だった。ところが、昨年からタイミングがあってきたのか、レコーディングを開始し、11年振りのアルバムを発表後は来日公演まで行っている。やはり物事は進むときは一気に進んでいくのだろう。一気呵成とはまさにこのことである。

 このサード・アルバムに当たる「ヘルプ・アス・ストレンジャー」では、25曲から30曲ぐらいが用意され、その中から厳選された12曲がレコーディングされた。ジャック・ホワイトが言うには、『どの曲もいい感じで、一瞬でダブル・アルバムが作れる勢いだった。次のアルバムに良さそうな未完成の曲が今も手元にたくさんあるよ』と述べている。

 このアルバムは、1曲を除いて基本的にはジャックとブレンダンが曲を作っていて、まるでレノン&マッカートニーのような感じでアルバム制作に臨んだらしい。ブレンダンは雑誌のインタビューで、『お互いを補い合っているんだ。ほとんど虎と羊の関係というか、陰と陽の関係みたいなもの』と述べていた。おそらくは、ジャックが虎でブレンダンの方が羊ではないだろうか、たぶん。そしてまた今回のアルバムでは、どちらかが曲を持ってきて他の人からアイデアをもらう形で進行し、最終的にメンバー全員で音作りに加わり携わったという。

 また、7曲目の"Hey GYP"だけは、イギリスのシンガー・ソングライターであるドノバンの作品であり、1965年のシングル"Turquoise"のサイドBに収められていた曲で、イギリスのバンド、ジ・アニマルズもカバーしていた曲だった。こういうマイナーな曲をも探し出すセンスはおそらくジャック・ホワイトに起因するものだろう。彼は以前にも、シェールの"Bang Bang"やラヴの"A House is not A Motel"などを探し出してきてはカバーしているからだ。719jb78yapl__sl1200_

 もともとジャック・ホワイトという人は、古典的なブルーズやカントリー・ミュージックの再解釈に長けた人で、伝統的なブルーズの手法などを踏襲しながらもそこに現代的でノイジーなサウンドを持ち込むことで、アメリカン・ロックの再興を果たしたミュージシャンだった。だから、アナログに異常なまでにこだわっており、レコーディング機材はもちろん、ギターのエフェクト類までもアナログで済ませている。自分のレコード会社を立ち上げたと言ったが、これは文字通りレコードを中心に制作、販売を行う会社であり、CDだけでなくレコードでも自分たちの作品を発売しているのだ。

 だから、曲のフレーズやサビなども60年代風なところも目立っていて、オールド・ロック・ファンは思わず涙腺が緩くなり、歓喜の涙を流してしまうところもある。このアルバムの冒頭の"Bored And Razed"もタイトルからしてゼップの"Dazed And Confused"を思わせてくれるし、実際の音もゼッペリンぽくってカッコいいのだ。やはりロックは、カッコよくなくてはいけないというお手本だろう。メロディは素晴らしいし、リフは強力で破壊力がある。1回聞いただけでノック・アウトされてしまった。今どきこういうパワフルで印象的な曲を表現できるのは、このバンドしかいないのではないだろうか。(ちょっと言い過ぎたか)

 ブレンダンが一番気に入っている曲が"Help Me Stranger"で、ブレンダンとジャックはギターとボーカルを担当し、ベーシストのジャック・ローレンスは手でベース・ペダルを演奏し、ドラマーのパトリック・キーラーはスネアをさかさまにして叩いていたという。そういうアグレッシブというか普通でない演奏方法などもブレンダンを魅了させたのだろう。

 3曲目の"Only Child"はお約束のバラードで、アコースティック・ギターが主体になり、それにベースやドラムス、キーボードの音が重ねられていく。実はジャックがアルバムの中で一番好きな曲がこれで、メロディーのみならず歌詞も気に入っているらしい。また、ソングライティングからプロダクションまでメンバー全員で力を合わせてできた曲だと自負をしている。

 "Don't Bother Me"もユニークな曲で、"Don't Bother Me, Bother Me"と何度も繰り返すフレーズが新鮮味でもあり、同時に破壊衝動をもたらしてくれる。1曲の中に転調がいくつもあって複雑な構成になっているが、最後まで聞くと一貫してロック的だと納得できる。特に最後のギター・ソロから短いドラムの連打のところは、まるでザ・フー、しかも60年代後半のキース・ムーン在籍時の様子を想起させてくれた。この曲もまたカッコいいのである。

 ザ・ローリング・ストーンズ主演の映画のタイトルに似ている"Shine the Light On Me"はピアノのリードで始まるミディアム・テンポの曲だ。普通に演奏すればお涙頂戴のバラード風になるのだろうが、それをいったん壊してドラムとベースで盛り上げていくという力業がまさにロックンロールだろう。

 続く"Somedays"のような郷愁を覚えるようなメロディを持つ曲は、ブレンダン・ベンソン主導で作られた曲だろう。ただ、この曲も個性的である。序盤や中間のギター・ソロ後に入る轟音ギター・フレーズの方が目立っていて、ある意味、ロックの持つ衝動性や破壊性がいかんなく発揮されているのだ。普通のポップ・ソングならここまでのアレンジは必要ないだろうが、そこはやはりザ・ラカンターズである。一筋縄ではいかないのだ。

 そして"Hey GYP"が始まる。ドノバンの元歌はブルーズ調だったのだが、ここでは初期のザ・ローリング・ストーンズのようにハーモニカも使用され、躍動感のある曲に仕上げられている。黒っぽい雰囲気だし、途中のごちゃごちゃしたギター・ソロも何となく下世話で猥雑な感じがした。演奏上手なストーンズといった匂いがプンプンするのだ。

 "Sunday Driver"はファースト・シングルに選ばれた曲で、これもまたキレのあるリフとサウンドが荒々しい。中間のハーモニーがザ・ビートルズ的であり、また後半はオルガンも使用されていて、何が出てくるかわからないところがこのバンドの優れたところだろう。こういう何でもありのモダンなロックンロールというところが若者にも支持される由縁だろう。

 そのシングル化された"Sunday Driver"のサイドBが"Now That You're Gone"である。この曲はバラード・タイプの曲で、メロディアスで耳に残る曲だ。ギター主体の音作りでシングルに相応しい曲といえる。中間のギターソロがカッコいいし、ベース・ギターもしっかりと自己主張している。まさにメンバー全員で作りましたよというような曲だ。

 続く"Live A Lie"は2分20秒の短い曲で、この性急感はまるでパンク・ロックだろう。ただ単なるパンクではなくて、よく練られ考えられたパンク・ロックの曲だ。ギターのアレンジが巧みで、普通のパンク・バンドではこの表現は難しいと思う。また、エンディングがスパッと切れるところも清々しい。理想的なパンキッシュな曲構成ではないだろうか。

 "What's Yours is Mine"もリフがゼッペリンぽくって、完全に意識しているよなあという感じがした。こういう過去のお手本を参考にしながらも、そこから自分たちのオリジナリティを生み出していくという方法が、60年代を生きたオールド・ファンだけでなく今を生きる若者にまで感動と興奮を与えているのだろう。この曲も2分台と短いが、あえて長めにアレンジをせずにコンパクトにまとめているところが、現代のロックンロールの特徴のような気がする。昔のような重厚長大はヘヴィメタ部門では受けるだろうが、いわゆるオルタナティヴ・ロックでは違うのだろう。

 そしてアルバムの最後を飾るのは、"Thoughts And Prayers"だ。ロックンロール色は薄く、アコースティック・ギター主体なのだが、特徴的なのはゲスト・ミュージシャンのフィドルがフィーチャーされている点だ。また、シンセサイザーの音なのか、時々、装飾音も入ってきて曲を盛り上げている。例えていうなら、ソロになった今のロバート・プラントが好きそうなサウンドだ。エンディングのフィドル・ソロは圧巻だし、それと他の楽器との調和が見事である。エンディングに相応しい曲といえるだろう。71qlcb9dl__sl1200_

 21世紀の今となってみれば、1950年代のロックンロール誕生から2010年代までのロック・ミュージックを俯瞰できるわけで、その中でよいものや参考になるものを拾い上げていくことは簡単なことだろう。しかし、それが受けるとは限らない。そこにオリジナリティというものがないと、単なるパクリで終わってしまうからで、そんなものには洋楽ファン、特に耳の肥えたファンは見向きもしないだろう。

 ジャック・ホワイトやザ・ラカンターズが受けるのは、単なるオールド・ミュージックの焼き直しに終わらず、そこに現代的なセンスやオリジナリティを持ち込んでいるからだ。だから彼らは広い層から支持されるのである。11年ぶりの新作となったアルバムだったが、イギリスのチャートでは8位を、アメリカでは初登場1位を記録していることが何よりの証明ではないだろうか。

| コメント (0)

2019年9月30日 (月)

スプリングスティーンの新作

 「今年上半期の印象に残ったアルバム」シリーズの第6弾は、今年の6月に発表されたブルース・スプリングスティーンの新作「ウエスタン・スターズ」である。81zgsbrhf9l__sl1417_

 このアルバムは、スプリングスティーンの19枚目のスタジオ・アルバムに当たり、前作の「ハイ・ホープス」から5年の間隔があいており、しかも全曲オリジナル曲で占められてアルバムでは、2012年の「レッキング・ボール」以来、7年振りになるという。
 しかも、楽曲が制作されていたのは2010年頃から始まって、中断を繰り返しながら2015年頃まで行っていたようだ。スプリングスティーンは多忙なミュージシャンでも知られるが、個人の趣味性の高いアルバムと、「レッキング・ボール」のような社会性や時代の空気を反映したようなアルバムとを同時並行しながら進めていったようだ。

 本来なら2016年頃に発表することも考えていたようだが、途中で長期間にわたるツアーや自伝の出版、未発表音源を加えたボックスセットの発売、さらにはニューヨークのブロードウェイでの舞台演奏などなど、様々な活動に取り組んでいて、結果的には2019年にずれ込んでしまったのである。Resize_image

 そして今回のソロ・アルバムのモチーフについては、2017年12月号の雑誌「ヴァラエティ」のインタビューで次のように述べていた。『70年代の南カリフォルニアの音楽に影響を受けている。グレン・キャンベル、ジミー・ウェッブ、バート・バカラック、そういった類のレコードだ。みんながそれらの影響を聞き取るかはわからない。でも、それが僕が心に描いたものだ。それが1枚のアルバムをまとめる特別なものをくれたんだ。(中略)このアルバムは、キャラクター主導型の曲と、広がりのあるシネマティックなオーケストラのアレンジを特徴としていた僕のソロ作品への回帰だ。宝石箱のようなアルバムなんだ』

 スプリングスティーンの口から「宝石箱」という言葉が飛び出して来るとは思っても見なかったが、それ以上に、「広がりのあるシネマティックなオーケストラのアレンジ」という言葉にも驚嘆してしまった。今までストリングスを使ったアレンジはあったが、基本的にはステージで再現できるサウンドということで、Eストリート・バンドにはピアニストを含む2人のキーボード奏者が在籍していた。だからストリングスもキーボードで再現していたのだが、オーケストラとなると話が違ってくる。

 確かに、ソロ・アルバムだからストリングスでもオーケストラでも何でもいいのだが、今までのスプリングスティーンのソロ・アルバムは、いずれもアコースティック色が強くて、オーケストラとは無縁のような気がした。だから、事前の予想では、ついにスプリングスティーンも”フランク・シナトラ化”したのではないかと危惧していたのである。

 それに上に出てきていた”ジミー・ウェッブ”や”グレン・キャンベル”などは適度にポップで適度にカントリーっぽいサウンドだったし、バート・バカラックに関してはまさにアメリカン・ポピュラー・ミュージックのヒット・メイカーであり、いまだに現役のレジェンドでもある。彼の曲の特徴としては、複雑なコード進行やオーケストラを多用したアレンジの精巧さなどが挙げられるが、そうした影響を反映しているのがスプリングスティーンの新作なのだろうか。実際に音を聞くまでは、複雑な心境だった。

 そして、アルバム「ウエスタン・スターズ」には2つの意味が込められていて、1つはそのもの通り”西部地方の星”であり、もう1つは”西部劇の映画スター”という意味だった。内容的には統一感があって、アメリカ西部をヒッチハイクする若者からあてもなく放浪を繰り返す人、アリゾナのトゥーソンからの恋人を待つ労働者、鳴かず飛ばずで年老いてしまった西部劇の役者、ハイウェイ沿いにあるカフェでの情景など、アメリカ西部を中心に映像的な情景が歌われていて、こういうところは、今までの彼のソロ・アルバム、「ネブラスカ」や「トンネル・オブ・ラヴ」、「デヴィルズ&ダスト」を踏襲しているかのようだ。

 さらに曲の登場人物においても、裕福な青年や成功した人々のことを描いてはおらず、孤独な人生を歩んでいる姿や、愛と悲しみ、人生の悲哀を背負い込みながらも希望を失わずに生きていく様子などが描写されていて、確かに時代性や社会性は反映されてはいないものの、人間としてのいつの時代でも変わらない不変性、道徳性や尊厳性などがテーマになっている。そういう意味では、スプリングスティーンの吟遊詩人のようなストーリーテリングの妙技が味わえるのである。だから、”アメリカの良心”とも言われるスプリングスティーンの本領が発揮されたアルバムといってもいいと思う。

 そして音楽性については、これは賛否両論あるに違いない。特に、オーケストラの導入に当たっては、本当に必要だったのかどうかが吟味されるだろう。個人的には、もう少しアコースティック色を強めてもらって、その上でアクセントとして導入もありかなと思ってはいるのだが、スプリングスティーンの声質とオーケストラがマッチングするのだろうかと疑心暗鬼だった。

 ただ、基本的にスプリングスティーンのソロ・アルバムは抑制されていて内向的だったし、今回はバート・バカラックの名前まで引き合いに出してアルバム作りを行っていたのだから、オーケストラが目立つのも仕方がなかったのだろう。71rtf1oltol__sl1200_

 冒頭の"Hitch Hikin'"から西部への旅が始まる。アコースティック・ギターのアルペジオから低く響くストリングスに繋がれて、その中でスプリングスティーンの声がこだましている。この曲はアルバムの導入曲だろう。そしてアルバムの方向性を示している。
 続く"The Wayfarer"から徐々にオーケストレーションが顔を出してくる。"Wayfarer"とは高速道路で料金を払う人のことを指していて、それを街から街へ流れて行くというから、”さすらい人”という意味になるのだろう。
 ここでのオーケストレーションは少し抑え気味のようで、間奏では聞かせてくれてはいるものの、あくまでも”ちょっとしたアレンジ”といった味付けだった。ただこの曲に必要なのかというと、そこは個人の見解に左右されると思った。

 アリゾナ州トゥーソンからの恋人を待つ労働者のことを歌った"Tucson Train"では、もう少しオーケストラが目立ってくる。ミディアム・テンポの曲にオーケストラが絡むとどうしても目立ってしまうようだ。ただそんなに違和感があるかというと、個人的にはそうは思わなかったが、これも個人の見解だろう。
 そしてアルバム・タイトルの曲"Western Stars"が始まるのだが、この曲は素晴らしい。かつてはジョン・ウェインとも共演した西部劇の役者が酒浸りの生活を送りながらも、いまだに端役で映画に出続け何とか糊口をしのいでいる物語だが、これがバラードのせいもあるだろうが、結構泣ける話なのである。ここでのオーケストレーションは似合っていると思った。

 軽快な"Sleepy Joe's Cafe"ではアコーディオンやオルガンも使用されていて、何となくメキシコ音楽のテックスメックスのような気がした。しかもポップなのだ。ジミー・ウェッブやグレン・キャンベルの影響を受けているのだろうか。
 "Drive Fast"には"The Stuntman"というサブタイトルがついていて、文字通り、映画やドラマのスタントマンのことを描いた曲。ゆったりとしたややスローな曲で、スタントマンとしての悲哀や先の見えない仕事への嫌悪と愛着、愛憎あわせ持った主人公の内面が丁寧に描かれていて、これもまた佳曲である。決して目立たない曲だが、こういう曲のおかげで"Western Stars"などの曲が目立つのだろう。

 土地管理の仕事を請け負い、野生の馬を追いかけている"Chasin' Wild Horses"では、スティール・ギターとオーケストラの絡みが印象的だ。オーケストラの空間的な広がりをバンジョーやスティール・ギターが支えている。こういうアレンジは、スプリングスティーンのアルバムでは珍しいのではないだろうか。
 "Sundown"とは実際の地名なのだろうか。よくわからないのだが、愛する人を待ち焦がれながらも一人で暮らしている男の姿が何とも哀愁をそそるのだが、このアルバムでは珍しくスプリングスティーンの熱唱を聞くことができる。スプリングスティーンが声を張り上げて歌えば、当然のことながらオーケストラも一緒に盛り上げようとする。こういうところは、バート・バカラックを見習ったアレンジなのかもしれない。

 一転して"Somewhere North of Nashville"では、再びアコースティック・ギターがフィーチャーされて静かなバラード調になる。ナッシュビルにやってきた男は何をしでかしたのだろうか。1分52秒と非常に短い曲でもある。
 ”今朝目覚めたら、口の中に石が入っていた。それは私がついた嘘の数でもある”と歌われる"Stones"。このバラード曲でもオーケストレーションが施されていて、重厚な作品に仕上げられていた。ただ、個人的にはできればアコースティックな作品として聞いてみたかった。そうするともっと生々しい感情が伝わってきそうな気がしたのだ。

 "There Goes My Miracle"というと何となく期待を持たせるような明るい内容のようだが、スプリングスティーンの声は高らかに響くものの、歌詞的には”私の奇跡が逃げていこうとしている、私は探している”というあまり楽しくないものだった。この時のオーケストレーションはかえって悲惨さを醸し出しているようだ。
 最初にシングル・カットされたのがメジャー調の"Hello Sunshine"だった。確かに明るいポップな曲で、ジミー・ウェッブやグレン・キャンベルが歌っても違和感はないと感じた。しかし、これも”日の光よ、ここにいてくれ”と哀願するような内容で、あえて明るく歌われている。バックのスティール・ギターとオーケストレーションがここでもマッチングしていた。

 最後の曲が"Moonlight Motel"だった。日の光の次は月光ということだろうか。この曲はエンディングを飾るに相応しいアコースティック・ギターがメインの曲だった。スプリングスティーンの西部の旅は安っぽい場末のモーテルで締めくくられるのだが、もちろんここで終わるのではなく、一休みした後、また孤独の旅路へと出かけるのだ。そのための安息の場所なのだろう。スプリングスティーンのバラードはどれも心揺さぶられるものだが、この曲もまた彼の名曲リストに加えられるのだろう。1862020190809160550 このスプリングスティーンのアルバムは、前々回のマドンナのアルバムと同じように、賛否両論だろう。特に、2曲目の"The Wayfarer"から4曲目"Western Stars"にかけてと、"Sundown"や"There Goes My Miracle"などではオーケストレーションが目立っていて、中には確かにフランク・シナトラ張りの熱唱といわれても仕方がないほどだ。
 ただ、それが似合っていないのかというと、決してそうではなくて、全体を通して聴き込めばそんなに違和感は生まれない。変な偏見が心のフィルターを汚してしまうのかもしれない。ただ、個人的には「ネブラスカ」のように、フル・アコースティック・セットで聞きたかった。あの「ネブラスカ」と比べても、メロディーや物語性などは決して遜色ないと思っている。

 そして、今後もこの方向性をたどるのかというと、決してそんなことはないだろう。あくまでも今回はジミー・ウェッブやバート・バカラックの音楽性を踏襲したもので、決してロックン・ローラーとしての自分を忘れたわけではない。思えばスプリングスティーンは、70年代の頃から数年おきに「ネブラスカ」のようなアコースティック・アルバムを発表していて、ロックン・ローラーとしての自分とシンガー・ソングライターの自分とのバランスをとってきた経緯がある。今回は、それがオーケストラをバックに歌うシンガー・ソングライターとしてのアルバムになっただけだろう。51ptop8emnl

 ちなみに、この「ウエスタン・スターズ」は全米アルバム・チャート第2位、全英アルバム・チャートでは1位を記録した。スプリングスティーンは、このアルバム用のツアーは行わずに、かわりにEストリート・バンドと一緒にスタジオでアルバムを制作し、新作を今年中にも発表するつもりでいるようだ。

| コメント (0)

2019年9月 9日 (月)

アフリカ・スピークス

 今年の上半期に発表されたアルバムの中で、気になったものを記している。今回で3回目だが、一気に知名度が上がっていく。何しろサンタナなのだから、これはもう正座をして聞いてもおかしくないだろう。800x_image  今年はウッドストックから50年目の佳節だった。本当はその聖地ウッドストックで、当時のミュージシャンやバンドを中心にニュー・フェイスも含めて大々的なイベントを行う予定だったのだが運営上うまくいかず、結局、イベント自体は取りやめになってしまった。残念なことではあるが、大物ミュージシャンが参加を避けたので集客の見込みが立たなくなったようだ。その中にはサンタナも含まれていた。ただ、サンタナやジョン・フォガティなどは、8月15日から行われる非公式のライヴ・イベントには参加すると表明していて、昔からのファンを安堵させていたが、果たしてどうなったのだろうか。

 そのサンタナだが、今年の1月には5曲入りのミニ・アルバムを発表しているし、6月には11曲入りのフル・レングスのアルバムを発表した。カルロス・サンタナ自身は72歳になるが、その創作意欲には翳りは見えないようだ。
 そのアルバム「アフリカ・スピークス」は、サンタナ・バンドにとっては25枚目のスタジオ・アルバムにあたり、ウッドストック50周年記念を祝うように発表された。全11曲、64分余りの内容になっていて、日本国内盤には2曲のボーナス・トラックが含まれていたから、それを入れると75分以上にもなる。ボリュームいっぱいのアルバムに仕上がっている。812fqut3v7l__sl1400_

 アルバム解説書には、10日間で49曲をレコーディングしたと書かれていたが、72歳にしてこのエネルギーには脱帽してしまう。まるで20代と変わらないパワーを保っているようだ。
 そして今回のアルバムのプロデューサーは、リック・ルービンだった。リック・ルービンといえば、ビースティー・ボーイズやレッド・ホット・チリ・ペッパーズ、メタリカにブラック・サバスなど、ヒップ・ホップ系からヘヴィ・メタル系まで幅広いミュージシャンやバンドと一緒にやっているが、今回はカルロス・サンタナの方から一緒に仕事をしてみたいと声をかけたようだ。

 リック・ルービンはデモを数曲聞いて感動し、ぜひ一緒にということで、リックの所有するスタジオにバンドを呼んでレコーディングを行った。このスタジオはフロリダのマリブにあり、シャングリラ・スタジオといって、ザ・バンドの「南十字星」や「ザ・ラスト・ワルツ」、エリック・クラプトンの「ノー・リーズン・トゥ・クライ」などがレコーディングされた場所としても有名だ。

 リック・ルービンというプロデューサーは、ミュージシャン側に自由に創作させようとするタイプで、曲自体についてはあまり細かな指示を与えないそうだ。カルロス・サンタの言葉を借りれば、”とても礼儀正しくて紳士的で、作業中は相手の領域というものを尊重してくれる”そうである。
 しかもほとんどの曲をワンテイクで録音していて、それだけスタジオ内の雰囲気がよく、同時にライヴの感覚を重視した音作りを目指したのだろう。また、基本的にカルロス・サンタナという人は、”即効性”と”自発性”を重視していて、あまりにアレンジ等にこだわってしまうと良い曲がつまらなくなってしまうのだという。だから最初のテイクが常にベスト・テイクだと信じているのである。何となくジャズにおける即興性重視みたいに聞こえてくるのだが、彼がジョン・マクラフリンやマイルス・デイヴィス、ハービー・ハンコックなどとコラボレーションしているのも、ジャズのような即興性を求めているのかもしれない。

 それで今回のアルバムは、タイトルからも分かるように、アフリカン・ミュージックを意識したものになっていた。カルロス・サンタナは、アフリカの音楽は癒しの音楽であり、世界が殺伐として人々が周囲の出来事に関心を持たなくなってきた現代にこそ耳を傾けるものだと述べていて、世界中の誰が聞いても気分を高揚させ、気持ちを和らげる魔法のようなものと力説していた。

 確かに人類の祖先はアフリカ大陸にあり、そこから枝分かれしているし、今のロック・ミュージックも元はといえば、アフリカから強制的に連れてこられた人たちとヨーロッパからの移民の音楽がミックスされてできたものである。ある意味、原点回帰とも言うべき音楽であろう。

 それにしても、カルロス・サンタナは弾きまくっている。72年の傑作アルバム「キャラバンサライ」の頃よりも弾きまくっているように聞こえてくる。
 まず1曲目の"Africa Speaks"だが、コンガなどのパーカッションが思わせぶりな前奏を形作り、やがて官能的なカルロス・サンタナのギターがつま弾かれる。単純な発想で申し訳ないが、密林を探索中に奥から聞こえてくる太鼓の音を頼りに中に入っていくとサンタナがいたというような感じである。この曲はまだ序章のようで、次の"Batonga"からサンタナは自己主張を始めるのだ。
 
 どの曲でもサンタナのトレードマークとも言うべきあの情熱的で官能的なギター・サウンドを聞くことができる。"Batonga"ではキーボードの掛け合いも聞くことはできるのだが、後半はカルロス・サンタナの独壇場である。3曲目の"Oye Este Mi Canto"ではカルロスのギターと同様に、ボーカルのブイカも目立っている。Buika31000x1500e1509484434754

 ブイカという女性ボーカリストが今回はフィーチャーされていて、スペインのマヨルカ島出身の47歳で、グラミー賞にもノミネートされたことのあるラテン系のジャズ・ボーカリストだ。最初声を聞いたときは、男性かと思ったほどパワフルで凄みをきかせてくれている。
 カルロス・サンタナとは面識もなかったのだが、彼が誰かいいボーカルはいないかなとyou tubeで検索していた時に、彼女を発見して声をかけたそうだ。そりゃ、カルロス・サンタナから声をかけられれば、断る人はそんなにいないでしょうというもので、ブイカは歌詞とボーカルのメロディを書き上げたそうである。さすが才能あるミュージシャンは、いつ声をかけられても即座に対応できるようだ。これにはカルロス・サンタナも感動したようで、当初の予想以上に素晴らしい楽曲に仕上がったと妻と一緒に満足したという。

 ちなみにカルロス・サンタナの妻シンディ・ブラックマンは、サンタナではドラムスを担当していて、2人は2010年に結婚している。また、このアルバムでは前妻の息子のサルバドール・サンタナが7曲目の"Breaking Down the Door"でキーボードを担当している。
 ということで、今回のアルバムはギターのカルロス・サンタナとボーカリストのブイカがフィーチャーされていて、ほとんどの曲ではスペイン語で歌われている。ある意味、”双頭的な”アルバムだと思っている。4曲目の"Yo Me Lo Merezco"でも最初はゆったりとした歌い出しだが、徐々にピッチが上がっていき、最後はカルロス・サンタナにスポットライトがあてられるのだった。

 そして英語のタイトルの曲では英語で歌われているのだが、ブイカが歌うと英語も何となくスペイン語風に聞こえてきて、そうすると全部がスペイン語で歌われているのではないかと錯覚してしまう。一応、"Blue Skies"と"Breaking Down the Door"という曲が用意され、後者はシングルとしても発売され、確かにポップで聞きやすいし、カルロス・サンタナのギターも抑え気味である。アコーディオンやトロンボーンが使われていて、メキシコの結婚式かお祝い事でみんなが集まって歌っているかのようだ。こういうポップ・センスを忘れないサンタナはやはりつわものである。Santana__buika_photo_1_by_maryanne_bilha  また、"Blue Skies"でのギター・ソロは鳥肌もので、まるで全盛期のクラプトンのようにハードなのである。カルロス・サンタナの場合は、年をとればとるほどギター・ロック路線に移行するのだろうか。

 一方で、"Los Invisibles"では、マルーン5と共作したようなフレーズも飛び出してくるし、"Luna Hechicera"では少しレゲエっぽい雰囲気も味わえる。それでもカルロス・サンタナのギターはブレずに主張しているところが素晴らしい。曲調は違っていても、どこを切ってもサンタナ節なのである。

 "Europe"や"Moonflower"のようなインストゥルメンタルはないものの、"Bembele"はテンポのよい哀愁味があって、その種の系列に含めてもいいような気がした。
 ただ、サンタナといえば"ラテン・ロック"というイメージが強いのだが、今回のアフリカにインスパイアされたアルバムを聞いて、特にアフリカン・ドラムが使われているとか、民族楽器やアフリカ独特の旋律が使用されているというわけではなく、今までのサンタナのアルバムと比べてみてもそんなに違和感はない。61ymyf9dbl

 たぶんそれは、サンタナの音楽とアフリカの音楽とが深い次元で結ばれているからだろう。深い次元というのは、陶酔感や高揚感が両者の音楽に含まれていて、聴く人の精神の覚醒や心の傷を治すヒーリング効果を秘めているからだろう。そういう意味では、今回のこのアルバムも"アフリカ"というテーマの元での癒しの旅なのかもしれない。ちょうどラクダの隊商が月の夜に砂漠をわたっていったように。

 サンタナは現在、このアルバムのプロモーションを兼ねてツアーを行っており、今年は無理だが、来年か再来年には日本に来たいといっている。できれば「ロータスの伝説」のようなライヴを期待したいし、今のサンタナならそれ以上の興奮と熱狂とパフォーマンスを発揮できるのではないかと思っている。

| コメント (2)

2019年8月19日 (月)

ジョン・サイモン

 ジョン・サイモンのアルバム「ジョン・サイモンズ・アルバム」について記すことにした。このアルバムはずいぶん昔から持っていて、幾度となく聞いてきたのが、何となくパッとしなかった。パッとしなかったというのは、自分の中で感じるものがなかったからである。
 でも最近、ジョン・セバスチャンやマリア・マルダーなどを聞き出して、再びこのアルバムに向き合ったところ、これが今までがまるで嘘であるかのように、非常に印象的なアルバムとして感じるようになってきたのだ。

 このアルバムのことは雑誌で知った。アメリカン・ロックの隠れた名盤として紹介されていて、ぜひ一度は耳を傾けてほしいというようなことが記されていたので、当時はロックおたくだった自分は(今もそうだけど)、当時あったCDショップにダッシュで走り込んで購入した記憶がある。だけど、それだけ期待して聞いたのだけれど、何となく自分には合わなかった。ロック的な躍動感や焦燥感が伝わってこなかったからではないかと、いま振り返ってみればそんな感想だったと思う。

 ところが、年老いて人生の先が見えてくると、こういうアルバムの方が合ってくるというか、落ち着いた心境に導いてくれるというか、豊饒なアメリカン・ロックの一端を感じさせてもくれるのである。だから最近はほぼ毎日1回は聞いているのだ。

 このアルバムが発表されたのは1970年の5月だから、もう50年くらい前のことになる。50年だぞ、50年。オギャーと生まれた赤ん坊が50歳の壮年になる時間だ。この50年の間に社会も変わったし、ロックという音楽もずいぶん変わった。まあそんなことはともかく、50年前のアルバムを今も聞いているのだから、いかにこのアルバムが時代の波に流されない、不朽の名作、名盤であるかが分かると思う。

 音楽的な感触は、ソロになったザ・バンド、あるいはニューヨーク近郊のウッドストック発ランディー・ニューマンといった感じだろうか。決してメロディアスといった感じではないし、ありふれたポップ・ソングではない。むしろポップから遠ざかろうとしているのではないかと思われるところもあるし、サックスやトロンボーン、アコーディオンなどのアレンジも凝っていて、一筋縄ではいかない様相を示している。そういうところが逆に新鮮に映るし、聞くたびに味わい深くなって行くのである。

 ジョン・サイモンは1941年8月11日生まれだから、ついこの間78歳になったばかりだ。コネチカット州のノーフォーク生まれで、目の前には大きな牧場がある田舎町で育った。父親は医者であると同時に、ジュリアード音楽院を卒業したセミプロ級のバイオリニストだった。地元では交響楽団のコンサート・マスターも務めた経験があったようだ。
 そういう家で育ったから、小さい頃から音楽に囲まれて育ち、4歳頃からピアノやバイオリンを学ぶようになった。最初はクラシック音楽を学んでいたが、徐々に世の流れに気づくようになり、ジャズやポップスに興味が動き、ついにはライヴ活動まで行うようになって行った。

 大学を卒業すると、当時のコロンビア・レコードに就職してプロデューサーになった。最初は映画音楽やテレビの挿入歌などを担当していたが、ザ・サークルというバンドの「レッド・ラバー・ボール」というアルバムを担当してこれがヒットし(ビルボードのアルバム・チャートの2位)、一躍彼は敏腕プロデューサーとして有名になり、以降、サイモン&ガーファンクルやレナード・コーエン、ジャニス・ジョプリン、ザ・バンドなどを手掛けるようになっていった。920x920 
 特に、ザ・バンドとの仕事はうまく行き、ザ・バンド自体も人気が出てきたし、ジョン・サイモンの名声も高くなって行った。ザ・バンドのデビュー・アルバムである「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」はニューヨーク郊外ウッドストックにある一軒家の地下室で練習やレコーディングが行われたが、これはジョン・サイモンのアイデアでもあった。そしてそのアルバムのレコーディングが終了した後に、彼自身のソロ・アルバムの制作が行われたようだ。それが「ジョン・サイモンズ・アルバム」だったのである。

 全11曲39分少々のアルバムだが、参加メンバーがすごい。ベースにリック・ダンコ、リチャード・デイヴィス、カール・レイドル、ドラムスにジム・ゴードン、ロジャー・ホーキンス、リチャード・マニュエル、ギターがレオン・ラッセルにジョン・ホール、サックスとトランペットにはジム・プライス、ボビー・キーズ、ガース・ハドソン、その他にもデラニー・ブラムレット、リタ・クーリッジ、メリー・クレイトン、ボビー・ウィットロック、サイラス・ファイヤーなどなど、つまり、ザ・バンドとレオン・ラッセルのバック・バンドのほとんどが参加しているのだ。これにエリック・クラプトンとレヴォン・ヘルム、ロビー・ロバートソンが加わらなかったのが不思議である。ちなみにアルバム中4曲目の"Davy's on the Road Again"はロビー・ロバートソンとの共作だった。

 1曲目の"Elves' Song"を聞いたとき、正直お世辞にも歌は上手ではないなと思った。これは本人も認めていて、歌はもうだめだと思っていたらしい。でもソロ・アルバムはこれ以降も発表して歌っているので、あきらめたわけではないようだ。ピアノはジョン本人が、ギターはレオン・ラッセルが演奏している。何となくイギリス人のケヴィン・エアーズの曲に似ている気がした。

 "Nobody Knows"はランディ・ニューマン風の楽曲で、ピアノの弾き語りである。これといったフレーズやメロディに乏しく、もう少しよく聴き込もうと思っているうちに曲が終わってしまう。ちょっとコメントしづらい曲だ。
 "Tannenbaum"はジョン・サイモンの故郷のことを歌っていて、かつては豊かだったが、今は荒れ果ててゴースト・タウンのようになってしまったと嘆いている曲だった。バックのギターも美しいし、ホーン・セクションも哀愁を帯びていて素晴らしい。確かに、ザ・バンドの曲だと言われても分からないかもしれないが、ジョン・サイモンも高音が時々裏返るものの、精一杯歌っている様子が伝わってきて、感動を覚えるのである。

 ロビー・ロバートソンとの共作の"Davy's on the Road Again"はややゆったりとしたテンポで歌われていて、穏やかな感じを与えてくれる。ただ個人的には、イギリスのバンドであるマンフレッド・マンズ・アース・バンドが1978年にカバーした曲の方が好きで、そちらの方が躍動感がありメロディー本来の美しさが伝わってくるからだ。このカバー曲は全英シングル・チャートで6位を記録しているので、ロックにうるさいイギリス人でもこの曲の良さは認めているようだ。

 続く"Motorcycle Man"では、リチャード・マニュエルとリック・ダンコがそれぞれドラムスとベース・ギターを担当していて、曲調もザ・バンド風でもある。マーロン・ブランドとリー・マーヴィンが主演した映画「ザ・ワイルド・ワン」をもとにして出来上がった曲らしい。
 "Rain Song"はもちろんイギリスの4人組ロック・バンドの曲ではない。長いギター・ソロやメロトロンも使用されていない。60年代のジョンが生活していたコミューンのことを歌っていて、雨が降ってほしいという雨乞いの祈りのために書いたそうである。この曲もピアノだけをバックに切々と歌っていて、味わい深い。エンディング近くのジョンのうねり声というか遠吠えが寂寥感を与えてくれるようだ。Images

 以上がレコードのサイドAに当たり、次からはサイドBになる。サイドBの1曲目は"Don't Forget What I Told You"で、これもゆっくりとした曲調で、ジョンの奥さんに対するラヴ・ソングである。オーリアンズのジョン・ホールがギターを弾いていて、これがまたなかなか流麗でカッコいいのだ。ロビー・ロバートソンならもう少し違った雰囲気になっただろう。

 続く"The Fool Dressed in Velvet"はジョンの知り合いだった知的障がい者の兄弟について書いた曲で、2人の生き方の対比を通して、人生の無常さを教えてくれているように思えた。これもゆったりとしたバラード系の曲で、途中でマンドリンに近い楽器マンドラが使用されていた。演奏しているのはジョン自身である。またエンディングにギター・ソロがあるが、これもジョン・ホールの手によるものである。

 "Annie Looks Down"はジョンの知り合いの女性について歌ったもの。バックのオルガンはバリー・ベケットが演奏していると思われる。後半はミディアム・テンポかバラード系の曲が多くて、この曲もその中の1つだ。2分50秒と短い曲だった。
 10曲目の"Did You See?"は人生の終わりについて書いた曲で、天国の門の前で迎えが来たかどうかを確認したかと歌っている。ここでもジョンはピアノとマンドラを演奏している。

 最後の曲"Railroad Train Runnin' Up My Back"は楽しそうな曲で、列車の雰囲気がよく表現されている曲でもある。バック・コーラスやハーモニーが、どことなく素朴でノスタルジックな感じを与えてくれる。ジョンは過去の旅行の中から思いついた曲だと述べているが、内容的には男女の三角関係を描いていて、そんなに楽しくはないだろうと個人的には思っている。それでもアルバムの最後を飾るにはマッチしているのではないだろうか。

 というわけで、ジョンサイモンのこのファースト・アルバムは、アメリカン・ロックの歴史的名盤といわれているのだが、今になってやっとそういうもんかなと感じた次第である。たぶんこのアルバム当時の歴史的、社会的背景や日本人にはよくわからない歌詞の部分なども含めて、アメリカ人のロック・リスナーにはかなりインパクトがあるのだろう。
 ザ・バンドのように、個々のメンバーの技量や楽曲の良さで聞かせるアルバムではなくて、アルバムのもつ雰囲気などを含めたトータルな意味での印象度なのだろう。

 また、このアルバムのジャケットも水墨画か墨絵のようで、東洋的だった。こういうミステリアスな東洋趣味みたいなものも、アメリカ人好みなのかもしれない。41xn57wbfpl
 この後ジョンは2年後の1972年にセカンド・アルバム「ジャーニー」を発表し、しばらくブランクがあったが、20年後の1992年にサード・アルバム「アウト・オン・ザ・ストリート」を発表しているし、枚数は少ないもののプロデューサー業の合間を縫って、アルバムを発表している。
 一時、ディスコ・ミュージックやヘヴィメタル・ミュージックが隆盛の頃はプロデューサー業にも嫌気を示していたようだが、1997年には日本人ミュージシャンである佐野元春のアルバム「ザ・バーン」のプロデュースも行っている。ジョンは彼のことを日本のブルース・スプリングスティーンだと思っていたようだ。

 本来のプロデューサーのみならず、ウッドストック系ミュージシャンとしても名声を得ているジョン・サイモンである。もう少し長生きしてもらって、「ジョン・サイモンズ・アルバム」以上のインパクトのあるアルバムを発表してほしいと願っている。

| コメント (0)

2019年8月 5日 (月)

ザ・ラヴィン・スプーンフル

 ジョン・セバスチャンつながりで、彼が元所属していたバンド、ザ・ラヴィン・スプーンフルについて記すことにした。前回にも同じことを書いたのだが、このバンドの曲を聞いて、ニューヨーク出身だとは気づかなかった。むしろサンフランシスコかロサンジェルスのような西海岸出身のバンドだと思ってきた。曲にひんやりとした大都会の雰囲気が備わっていなかったし、むしろ明るくて陽気な雰囲気が漂っていたからだ。

 このバンドの代表曲といえば、やはり"Do You Believe in Magic?"だろう。日本のCMにも使用されていたし、その明るくて弾むような曲調は一度耳にしたら、忘れられない印象を与えてくれるからだ。220pxdo_you_believe_in_magic_lovin_spoon
 また、この曲は彼らのデビュー曲で、1965年の8月に発表されて瞬く間にシングル・チャートを駆けのぼり、最高位9位を記録している。個人的には"サマー・オブ・ラヴ"を象徴するような曲調だったし、バックのコーラスもザ・ビーチ・ボーイズ風だったりして、軽快で躍動感あふれる曲だと思っている。
 この曲を書いたジョン・セバスチャンは、曲のイントロ部分をモータウンに所属していた女性ボーカル・グループのマーサ&ザ・ヴァンデラスの曲"Heat Wave"から思いついたとインタヴューで答えていた。またこの曲は、多くのミュージシャンからカバーされていて、特に1978年にはショーン・キャシディが歌って、ビルボードのチャートで31位を記録している。

 それから約3ヶ月後、今度は"You Didn't Have to Be So Nice"という曲がヒットした。これはビルボードのシングル・チャートの10位まで上昇した。こちらは彼らの2枚目のシングルにあたり、ジョン・セバスチャンとバンドのベーシストのスティーヴ・ブーンの共作だった。ジョンが言うには、ザ・ビーチ・ボーイズの曲"God Only Knows"からインスピレーションを受けたようだが、ザ・ラヴィン・スプーンフルの方が明るい感じがするのは気のせいだろうか。_you_didnt_have_to_be_so_nice__lovin_spo
 ちなみにこの曲もまた、ザ・グラスルーツやボサノバ歌手のアストラッド・ジルベルトなどにカバーされている。特に、エイミー・グラントとケヴィン・コスナーが主演した映画「ザ・ポストマン」ではエンドクレジットで使用されていた。

 デビューして最初の2枚のシングルのヒットのおかげで、彼らは一躍有名になり、60年代中期を代表するアメリカのバンドになった。それまでザ・ビートルズを始めとするイギリスのバンドからアメリカのチャートが席巻されていたのだが、これでようやくイギリス勢に対抗できるアメリカのバンドが誕生したというわけだった。

 ザ・ラヴィン・スプーンフルは、1964年に結成されたが、最初のドラマーのジャン・カールはすぐに脱退し、代わりにジョー・バトラーという人が担当するようになった。元々、ジョーとベーシストのスティーヴ・ブーンはザ・キングスメンというバンドで一緒に活動していたから、お互いに気心の知れた間柄だったようだ。
 ところが彼らは、最初は素人に毛の生えたような演奏テクニックしか持っておらず、あまりにお粗末な内容だったため、クラブのオーナーからもっと練習してから人前で演奏しろ、それまでここには来るなと言われたようで、それから必死になって練習していったという逸話が残されている。

 1966年は、彼らにとってはまさに全盛期と呼ばれるにふさわしい年になった。2月に発表した"Daydream"は、全英、全米ともにチャートの2位を記録した。まさに”白昼夢”というタイトルに相応しいほんわかとした曲で、ジョンの口笛がフィーチャーされていた。この曲もまたチェット・アトキンスにドリス・デイ、マリア・マルダーやアート・ガーファンクル、デヴィッド・キャシディ、リッキー・ネルソンなど数多くのミュージシャンによってカバーされている。

 そして4月には"Did You Ever Have to Make Up Your Mind?"がヒットして、これまた全米シングル・チャートの2位になった。Did_you_ever_have_to_make_up_your_mind__ そしてそれから3ヶ月後の7月には、ついに"Summer in the City"が全米チャートの首位を獲得したのである。今までの曲よりは幾分ロック寄りの激しいビートを持つこの曲は、幾分アグレッシヴでそれまでの夢見るような曲調とはかなり違うものだった。騒がしい都会の喧騒を表現しようとしたのか、車のクラクションや工事中のドリルの音が使用されていて、彼らの音楽的質の変化が表されていた。ザ・ビートルズでいえば、中期の「リボルバー」的変化に当たるだろう。この曲は3週にわたって首位を飾っている。220pxsummer_in_the_city

 そのあとフォーク・タッチの"Rain on the Roof"はシングル・チャートの10位を記録し、カントリー風の"Nashville Cats"は8位になった。とにかく出す曲出す曲すべてチャートのトップ10に入るという勢いだったから、いかに彼らの人気が高かったかが分かると思う。それに、クラブのオーナーからもっと練習して来いと言われたバンドとは思えないくらい、ポップ・ソングからロックン・ロール、カントリーにフォークと音楽的なバックグラウンドも広かった。そういう音楽性の幅広さというのも多くの人たちから支持されたいたのだろう。

 さらにバンドは、ブロードウェイのミュージカル"ヘア"にも楽曲を提供するし、ウッディ・アレンやフランシス・フォード・コッポラの映画のサウンドトラックにも協力するといった具合に、様々な分野にも進出していった。それだけ彼らの音楽性に需要が求められていたのだろう。監督が使いたいと思ってしまうような何らかの魅力を秘めていたに違いない。そんなこんなで、夢のように1966年は過ぎて行ったのである。

 で、”好事魔多し”の譬え通り、翌年の67年になると、バンドは徐々に下り坂を迎えていくのである。まず"Six O'clock"がチャートの18位までで止まってしまった。今までトップ10内に入っていたのだが、18位だった。それでも立派と言えば立派なのだが、ブラスとハードなギター・カッティングがフィーチャーされてこの曲は、ジョー・ウィザードという人がプロデュースを担当していた。のちにボズ・スキャッグスなどのアルバムのプロデュースも手掛けた人であるが、今までのプロデューサーと違う選択をしたのが、あまりうまく行かなかったのかもしれない。

 5月になると、ギタリストのザル・ヤノフスキーがドラッグで逮捕されてしまった。まるでザ・フーのピート・タウンゼントのようなハードなリフやカッティングを得意としていた人で、バンドのハードな面を担当していたギタリストだった。彼はカナダの市民権を持っていて、このまま黙秘を続けていくとアメリカに再入国できないと言われて、全面的に罪を告白してしまった。それで一旦は執行猶予がついて保釈されるのだが、結局、音楽業界から足を洗ってしまい、カナダに戻ってレストランを開いてオーナーになった。

 バンドは当然のごとく、新しいギタリストのジェリー・イエスターを迎え入れるのだが、ロック的なダイナミズムは失われてしまい、マイルドなポップ・バンドになってしまった。例えば"She is Still A Mystery"という曲があるのだが、ブラスやストリングスがバックで鳴っていて、まさに”東海岸のザ・ビーチ・ボーイズ”といった感じだった。これもジョー・ウィザードのプロデュースで、彼はこういった装飾音で飾り付けるのが得意なプロデューサーなのだろう。61k8wmcjgel__sl1200_

 バンドがポップ化するのが嫌になったのか、それともほかの理由があったのかよくわからないのだが、翌1968年には今度はジョン・セバスチャンがバンドを脱退してしまった。メイン・ソングライターを失ったバンドが長続きするはずもなく、1969年に解散してしまった。
 解散前のバンドは、基本的にギターとベースとドラムスの3人組だった。ドラムを担当していたジョー・バトラーは歌が歌えたので、彼をメイン・ボーカルにしてセッション・ミュージシャンを起用しながら演奏を続けていたようだ。ちなみにジョーが歌った"Never Goin' Back"という曲は、シングル・チャートの73位まで上昇している。
 この曲はジョン・スチュワートという人が作った曲で、この人はザ・モンキーズのあの有名な"Daydream Believer"を書いたことでも有名なソングライターだった。712vfrnypql__sl1200_

 その後ザ・ラヴィン・スプーンフルは、1979年にポール・サイモンの「ワン・トリック・ポニー」という映画の中で、オリジナル・メンバーが再結成して歌っている。また、2000年にはロックの殿堂入りを果たしていて、その時も受賞セレモニーの中で、オリジナル・メンバーが"Do You Believe in Magic?"と"Did You Ever Have to Make Up Your Mind?"を歌っている。
 それ以外は、基本はジョー・バトラーとスティーヴ・ブーン、ジェリー・イエスターの3人でザ・ラヴィン・スプーンフルを名乗って公演などを行っているようだ。また、ジェリーの弟のジムがギタリストになったり、ジェリーの娘のレナがキーボードで参加して脱退していったりするなど、メンバーの出入りが流動的でもある。

 そして、2002年にオリジナル・メンバーだったザル・ヤノフスキーが亡くなってしまうと、ジョン・セバスチャンは声明を発表し、もう二度とザ・ラヴィン・スプーンフルのメンバーとして活動はしないと述べている。バンドは今も活動はしているようだが、実質的には2002年で終わったとみてもいいのではないだろうか。

 とにかく、フォークからカントリー、映画音楽にロックン・ロールと幅広く多様な音楽性を有していたザ・ラヴィン・スプーンフルだった。あのジョン・レノンも愛聴していたし、ポール・マッカートニーも"Good Day Sunshine"は、ザ・ラヴィン・スプーンフルの"Daydream"からの影響を認めているくらいだ。活動期間は短かったものの、その功績は、まさにロックの殿堂入りに相応しいものと言えるだろう。

| コメント (0)

2019年7月29日 (月)

ジョン・セバスチャン

 マリア・マルダーつながりで、今回はジョン・セバスチャンについて書くことにした。自分の印象では、ジョン・セバスチャンは西海岸、特にサンフランシスコ周辺に関係のある人ではないかと思っていた。その音楽性が60年代後半に起きた、いわゆる”フラワー・ムーヴメント”に影響を受けた感じがしたからだった。
 例えば、"San Francisco"を歌ったスコット・マッケンジーとかに似ていると思ったのだが、実際は全く関係がなかった。ジョン・セバスチャンの方はマリア・マルダーと同様にニューヨーク生まれだった。これもまたイメージだけで語って申し訳ないのだが、ニューヨークというと大都市という印象が強くて、音楽についてもクールでモダンなものというふうに思っていた。だからジャズとか、R&Bでもどこか垢抜けたものとか、ポップ・ソングでもどこかヒンヤリとする感じがした。だから逆に、泥臭くてアーシーな音楽とは無縁だと思っていたのだ。何という浅はかな考えだろうか。まことに偏見とは恐ろしいものである。

 ジョン・セバスチャンはニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジ出身で、1944年3月生まれだから今年で75歳になる。ということは、ストーンズのミック・ジャガーと同じ年ということになる。クラプトンが45年生まれだから彼より1歳年上だ。1945年前後は、ロック・ミュージシャンの当たり年だったのかもしれない。John_sebastian

 それはともかくとして、ジョンの父親は有名なハーモニカ奏者で、母親はラジオ番組の構成作家だった。そういう家庭に育ったせいかどうかはわからないが、幼い頃から家庭には音楽が満ちていて、知らず知らずのうちにジョンもまたウディ・ガスリーやミシシッピー・ジョン・ハートなどのフォーク・シンガーやR&Bミュージシャンのレコードを聞くようになった。彼はブレア・アカデミーという私立の有名な全寮制の学校を卒業した後、ニューヨーク大学に入学したが、わずか1年で退学した。もちろん自分の音楽的キャリアを追及するためだった。

 彼は父親の影響からか、自らもハーモニカを演奏するようになった。ただし、それはブルーズ奏者がやるようなもので、父親とは全く音楽的志向が違っていた。それでも父親の紹介でライトニン・ホプキンスのニューヨークの付き人みたいなことを行うようになり、その頃流行していたフォーク・ロックと呼ばれる音楽に近いものをやるようになって行った。
 60年代半ばになると、イーヴン・ダズン・ジャグ・バンドやマグワンプスというバンドに参加したが、あまり話題になることはなかった。後者のバンドにはキャス・エリオットやデニー・ドハーティ、ギタリストのザル・ヤノフスキーがいた。キャスとデニーはザ・ママス&ザ・パパスを結成し、ジョンとザルはザ・ラヴィン・スプーンフルというバンドの母体となった。

 ザ・ラヴィン・スプーンフルについては、別の機会に譲るとして(別の機会があればのお話だが...)、とにかくこのバンドは売れた。1965年の"Do You Believe in Magic?"は全米シングル・チャートで9位、1966年の"Daydream"は2位、"Summer in the City"は堂々の首位を獲得した。そして、2000年には”ロックの殿堂”入りを果たしている。
 また、ボブ・ディランの1965年のアルバム「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」ではベース・ギターを任されて、ツアーまで参加しないかと誘われたが、断っている。理由はザ・ラヴィン・スプーンフルに専念したかったからだそうだ。それほどジョンは、バンド活動に力を入れていた。

 ところが、1967年にザル・ヤノフスキーが脱退してしまうと、新しいギタリストを入れてもうまく行かなくなり、1968年にジョン自身がバンドを去ってしまい、バンド自体も1969年に解散してしまった。ジョン・セバスチャンとしてのソロ活動が始まっていったのは、60年代後半からということになる。

 ジョン・セバスチャンは最初はブロードウェイの演劇の音楽などを担当していたが、1969年8月にウッドストック・フェスティバルに見に行こうと出かけた。ところが急な雨のせいでステージ上が濡れてしまい、サンタナの演奏準備ができずに時間が空いてしまった。観客の中にジョン・セバスチャンがいることを知った主催者側は、急遽、時間しのぎのためにジョンにステージに上がってもらうようにお願いしたところ、ジョンは了解して歌うことになった。この時彼は、ドラッグのせいでハイになっていたようだ。だから簡単にOKしたと言われているが、彼自身は単なる普通の飲み薬でナチュラル・ハイだったと言っている。真相はどうなんだろう。40eb5607436f6755beb8d201a2cd65d0

 とにかくこのパフォーマンスのせいで、再び彼に脚光が当たり始めた。このあと同じようなフェスやライヴに呼ばれるようになって行ったのだ。ちなみにウッドストックでは、自分の持ち歌を3曲、ザ・ラヴィン・スプーンフルの曲を2曲歌っていたが、この時彼のソロ・アルバムは、まだ発表されていなかった。
 最初のソロ・アルバム「ジョン・B・セバスチャン」は、1970年に発表され、ビルボードの・アルバム・チャートの20位まで上昇した。ウッドストックでの彼のパフォーマンスがセールスに結びついたのかもしれない。あるいは、クロスビー、スティルス&ナッシュが参加していたせいかもしれない。また、デヴィッド・クロスビーからはC,S&Nに参加しないかと誘われていて、ジョンも本気で考えていたようだ。もし実現していたら、C,S,N&Sになっていたかもしれない。51suw8j7aul

 ジョン・セバスチャンの音楽性は、マリア・マルダーほど幅広くはないものの、単なるフォーク・ミュージックやフォーク・ロックの範疇に収まるものではなかった。フォークからロック、ジャズ、R&Bと自身が影響を受けた音楽をまとめてジョン・セバスチャンというフィルターでろ過したようなサウンドなのである。だから多様な音楽的要素に満ちているし、どんなテイストを持った曲が出てくるかわからないという楽しみも備えている。
 例えば「ジョン・B・セバスチャン」では、ロックン・ロールの"Red-Eye Express"やストリングスが美しいバラード曲"She's a Lady"、アコースティック・ギター弾き語りの"You're a Big Boy Now"など、なかなかの佳曲で占められていて、セールス的に成功した理由も理解できた。特に、エルヴィス・コステロもカバーした"The Room Nobody Lives in"などは隠れた名曲ではないかと思っている。

 このあとジョンは、ライヴ・アルバムを発表した後、1971年にセカンド・スタジオ・アルバム「ザ・フォー・オブ・アス」をリリースした。冒頭の"Well,Well,Well"などは、名曲"Woodstock"に似た感じのロックン・ロールだし、"I Don't Want Nobody Else"はミディアムテンポで、バック・コーラスが60年代風の美しいもので、こういうところがウェストコースト風の音楽と間違えてしまった点だろう。
 また、"Apple Hill"はまさにラヴィン・スプーンフル時代のような甘くてポップなテイストで、バンジョーが使用されている点が面白い。また、ベース・ギターを演奏しているのは、グリニッジ・ヴィレッジ当時の旧友だったフェリックス・パパラルディだった。 51p3cjcehyl

 こういう佳曲が含まれていたのに、何故かこのアルバムは売れなかった。理由はよくわからないが、ひょっとしたら当時のレコードのサイドB全体を使って書かれた曲"The Four of Us"のせいかもしれない。この曲は組曲形式になっていて、"Domenica"、"Lashes Larue"、"Red Wind、Colorado"に分かれていた。カリブ風の音楽やDr.ジョンがピアノを弾いているニューオーリンズ風のロックン・ロールも含まれていて、ジョン自身の集大成的アルバムだった。こういう先進的というか、自身の趣味性を追及しすぎたせいでセールス的にはパッとしなかったのかもしれない。チャート的には93位に終わっている。

 1974年には「ターザナ・キッド」というアルバムを発表したが、これまた不発に終わっている。ただ評論家の受けは良くて、リトル・フィートの"Dixie Chicken"の再解釈やローウェル・ジョージと共作した"Face of Appalachia"など名曲も含まれていた。特に、デヴィッド・リンドレーがフィドルを担当している"Face of Appalachia"は、これまた涙なしには聞くことのできないカントリー・バラードで、70年代半ばの混沌や退廃といった風潮を受け止めながらもそれを越えていこうとする力強さと繊細さを感じさせてくれる。

 また、エヴァリー・ブラザーズもカバーした"Stories We Could Tell"もまた優しいフォーク・ソングだった。エヴァリーの曲の方は、当時ジョンが住んでいた家の居間で録音されていて、これはジョンとエヴァリー・ブラザーズに参加するというプランがあったからだという。ジョンは、そういう意味では、ミュージシャンからも愛されるミュージシャンだったのだろう。51eiz1jlakl

 1976年に発表されたアルバム「ウェルカム・バック」は、ジョンにとってもまたファンにとっても忘れられないアルバムに違いない。このアルバムからは全米No.1シングルになった"Welcome Back"が含まれていたからだ。この曲は、テレビの青春ドラマの主題歌で、テレビドラマが好評だったため、主題歌も一気にチャートを駆け上っていった。ちなみに主演はジョン・トラボルタだった。
 またこの曲以外にも、ザ・バンド風の"I Needed Her Most When I Told Her to Go"ではジョン自身がハーモニカを演奏しているし、完全なブルーズ調の"Warm Baby"、2枚目のシングルになった"Hideaway"などの優れた曲が収められていた。

 "Hideaway"などは、"Warm Baby"とは対照的に、陽気で明るい曲だし、もっと売れてよかったと思っている。また、バラード調の"She's Funny"も落ち着いた感じで、まるでソウル・ミュージックだった。こういう音楽の多様性が彼の魅力なのだが、当時の音楽ファンからすれば、つかみどころがなくて敬遠されたのかもしれない。51crs39r4pl

 その後も彼はコンスタントに活動を続けていて、ライヴ活動も行っているようだ。最近では自分のルーツに戻ったようで、60年代風のジャグ・バンドとともに活動している。513sax1jgrl
 とにかく、彼の作る音楽は彼自身の人間性を表しているようでとても親しみやすく、メロディアスで覚えやすいのが特徴だ。ちょうどウッドストックへの出演で人気に火がついたように、その時のパフォーマンスが、ドラッグのせいかどうかは別にして、彼の人間性が表出されていたからだろう。そして、人の人間性は単一のものではないから、彼の場合はロックン・ロールからR&B、ポップ・ソングにウェストコースト風音楽と、多種多様に表現されたものとして表れてくるのだろう。まさにアメリカン・ミュージックを体現したミュージシャンのひとりではないだろうか。

| コメント (0)

より以前の記事一覧