2019年4月22日 (月)

コーポレイト・アメリカ

 ボストンというアメリカのロック・バンドについて記すことにした。特に深い理由はなくて、以前からこのアルバムを聞きたくて、最近購入して聞いたからだ。

 このアルバムというのは、彼らの5枚目のスタジオ・アルバムにあたる「コーポレイト・アメリカ」のことである。2002年の11月に発表されたもので、全10曲47分余りの内容だった。
 なぜこのアルバムが聞きたかったかというと、彼らのアルバムにしては売れなかったという理由と、売れなかったのはアメリカの大企業を批判したせいで、プロモーションが十分させてもらえなかったという噂を聞いたからだった。41th8d26apl_2
 ご存知のように、ボストンは1976年にアルバム「幻想飛行」でデビューした。このアルバムは、全米のアルバム・チャートでは最高位3位どまりだったが、セールス的にはアメリカだけでも1700万枚以上、全世界で20000万枚以上の売り上げがあり、今でも30周年記念盤「幻想飛行」が発売され、売れ続けている。

 続く1978年のセカンド・アルバム「ドント・ルック・バック」、1986年のサード・アルバムの「サード・ステージ」は、連続してチャートの首位に輝き、1994年の4枚目の「ウォーク・オン」も100万枚以上売り上げ、7位になっていた。
 ところが、1997年の「グレイテスト・ヒッツ」を挟んで、2002年に発表されたこのアルバムは、チャート的には42位と低迷し、アルバム・セールスも約50万枚程度だった。まさに、70年代の往時を知る者にとっては信じられない悲劇であり、ボストンというブランドにキズがついたような出来事だったのである。

 ところがなぜ売れなかったかという理由が、半ば都市伝説のように語られていった。それが上記にもあったように、アメリカの大企業を批判したために圧力がかかり、プロモーションができなかったというものだった。また、それだけでなく、一部自主回収もされたという噂もまことしやかに流されていた。

 このアルバムの中に収められていたブックレットの裏表紙には、次のように書かれていた。ちなみに自分は輸入盤を購入して聞いたので、日本語訳はついていなかった。だから、正確な日本語ではないことをお許し願いたい。
 “化石燃料を保護しよう、ムダな資源を削減しよう、菜食主義者の生き方を学ぼう、動物製品を避けよう、銃ではなくカメラで仕留めよう、環境保護者に投票しよう、児童虐待や動物虐待を知ろう、毛皮を買うな!”2_000000002394
 そしてその後には、動物保護団体や環境保護団体、児童虐待を防ぐ委員会などにアクセスできるメール・アドレスが記載されていた。ということは、ある意味、このアルバムはプロテスタントな色合いの濃いアルバムだったということが分かる。ちなみに、リーダーのトム・ショルツ 自身も30年以上のヴェジタリアンとのことだった。

 しかし、これだけでは大企業の批判とは言えないだろう。そこで、アルバムの3曲目に収められていたアルバム・タイトル曲"Corporate America"の歌詞について調べてみた。
「誰が人類の退化を防ぐことができるのか
自分を見つめろ、みんなで協力しよう
たばこ産業やビジネスジェット機のグローバル化などは
恥ずべき事 みんなはそれを最大限に好んでいるけど
だけど結論はまだ取り出して突きつけることはできる

さあ行動を起こせ 俺は今夜少し手助けが必要なんだ
お前は何というのか
お前は何というのか
明かりが見えない時でさえも」

(訳;プロフェッサー・ケイ)

 要するに、環境保護の大切さや地球温暖化の危機のことを暗に仄めかしていて、これ以上地球がこのままいけば滅びるぞ、人類は協力してこの危機的状況を打開できるはずだと訴えている。確かに、かつてのゴア副大統領あたりが聞いたら喜びそうな曲かもしれないが、これだけで大企業批判には当たらないだろう。

 ただ最後のフレーズに、「レザー張りのメルセデスを注文して何の意味があるんだ」という言葉があり、固有名詞が出てくるのはここだけなので、ひょっとしたらこれが原因とも考えられるが、たぶん違うだろう。
 一番の問題は、このアルバムは、それまでのエピックやMCAというメジャーなレコード会社からアルテミスというマイナーな会社に移籍して発表されたものだったから、十分なサポートが受けられなかったことは言えるだろう。そこから、上記のような噂が生まれた(あるいは意図的に流された)のではないだろうか。

 肝心のサウンドはどうかというと、特徴的なギターの多重サウンド、空に突き上げるかのようなスペイシーな音の響きなど、今までのボストンを継承している。
 ただ、このアルバムではトム・ショルツ以外のメンバーが健闘していて、2曲目の"Stare Out Your Window"と6曲目の"Turn It Off"、7曲目の"Cryin'"はアンソニー・コスモという人の手による曲で、この人は同じボストンの当時のメンバーであるフランシス・コスモの息子だった。息子の書いた曲を父親のフラン・コスモが3曲とも歌っていたのだ。

 フラン・コスモは、アルバム「ウォーク・オン」から参加していた人で、ブラッド・デルプの代わりにリード・ボーカルを取っていた。ボストンにはこのアルバムとそれに伴うツアーまで参加している。アンソニーは、2002年のツアーからボストンに参加し、2006年頃まで在籍していた。ギターやベース・ギター、ドラムスにキーボードと何でもこなすマルチ・ミュージシャンでもあった。

 アルバム・タイトル曲の"Corporate America"は、何故かディスコ調の曲で、ブラッド・デルプとフラン・コスモ、新人女性ボーカリストのキンバリー・ダーマという人の3人が歌っていた。バックの演奏は、ドラムスからキーボードまで、すべてトム1人が演奏している。ディスコ調にアレンジすることで、切迫感や自堕落な様子を表現しようとしたのだろう。

 4曲目の"With You"は、女性ボーカリストのキンバリーの手による曲で、キンバリーがアコースティック・ギターを担当し、トムがエレクトリック・ギターとベース・ギターを演奏する素朴なバラードである。ウェストコースト風の爽やかなバラードなのだが、途中のエレクトリック・ギターの入り方がいかにもトム流で、ワ~といっぺんに多重録音で入ってくるのがちょっと残念だった。バラードなのだからもう少しそっと来てくれると、盛り上がっただろうに。

 キンバリーは、53歳になるアメリカ人のミュージシャンで、ボストンではベース・ギターも担当していたが、ベース・ギターに関してはボストンに加入が決まってから手ほどきを受けたようで、そんなに得意ではないようだ。基本はボーカルとギターである。3393672570_74d2a256f6_o
 "Someone"はブラッド・デルプとトム・ショルツの2人のパフォーマンスで出来ている曲で、次の"Turn It Off"とともに、ミディアム調のややダークな曲だった。
 この"Turn It Off"と"Cryin'"については、上にも述べたようにアンソニー・コスモの手によるもので、ボストンというよりは、西海岸のオルタナティブ・ロック・バンドの曲のようだ。メロディアスでありながらも刺々しい雰囲気も備えていて、個人的には好きな曲だった。トム・ショルツのギター・ソロがなければ、ボストンの曲とは誰も気がつかないだろう。

 "Didn't Mean to Fall in Love"は、珍しくトムがアコースティック・ギターのソロも演奏している。また、ハモンド・オルガンなども使用されていて初期の雰囲気を携えていた。ただ、メジャー調ではないので、明るい曲ではない。制作者はトムとカーリー・スミス、ジャネット・ミントという人たちだった。トム以外は、具体的にどんな人かはよくわからなかった。(カーリー・スミスはドラムスを演奏するようだ)

 9曲目の"You Gave Up on Love"では、再びキンバリーがメイン・ボーカルを務めており、伸びのあるボーカルを聞かせてくれる。"More Than A Feeling"の二番煎じといった感じで、フルート演奏が少しだけいい味を出している。
 最後の曲の"Livin' For You"は、ライヴ音源で、オリジナルは「ウォーク・オン」に収録されている。"Peace of Mind"をかなりスローにした感じで、フラン・コスモがリード・ボーカルを、ブラッド・デルプがハーモニーをつけている。一応、ボーナス・トラック扱いだが、そのクレジットはないようだ。

 とにかく、発表されたときは、酷評されたアルバムだったが、最近では再評価されてきている。トムのギターの音色は相変わらず独特だし、それに加えてキンバリー・ダームとコスモ親子の参加がアルバムに色どりを添えている。ディスコ調の曲には参ったけれど、冒頭の"I Had A Good Time"やアンソニーの手による"Stare Out Your Window"や"Cryin'"、バラード調の"With You"など、バラエティに富んでいて聞いていて飽きない。6q0j1u10
 このバラエティの豊かさが、従来のボストン・ファンに受け入れられるか、受け入れられないかが評価の分かれ目だろう。むしろ、ボストンのアルバムと思って聞かない方が受け入れやすいのではないだろうか。ただ、セール私的にはこのアルバムからトム・ショルツの神通力は失われてしまったようだ。

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2019年1月28日 (月)

ザ・ジェイホークス

 このバンドの名前を聞いて、てっきり日本のバンドのJ-Walkの兄弟バンドかと思っていた。アメリカのバンド、ザ・ジェイホークスのことだ。
 このバンドの最新アルバムを昨年の秋以降、よく聞いたものだ。自分でもこんなにハマるとは思ってもみなかった。

 このバンドのことは以前から気になっていたのだが、その名前やバンドの姿からカントリー系のバンドだと思っていたから、ちょっと手が出せないでいた。自分はカントリー系の音楽はちょっと苦手なのである。

 ところがある日、ラジオから彼らの最新アルバム「寂れたモーテルとズッと続く道と」の中の曲"Come Cryin' to Me"が聞こえてきて、これがまたグッとくる名曲だった。それで、このアルバムをネットで検索してみたところ、アルバム・ジャケット写真も哀愁をそそるもので、これはもう即買いだと思ったのである。71psql0czel__sl1110__2
 ちなみに、このアルバム・ジャケットの写真は、映画監督のヴィム・ヴェンダーズが撮影したものだという。そういわれれば、何となく彼の映画のワン・シーンのようだ。久しぶりにアルバム・ジャケットに魅せられてしまった。

 この2018年の最新アルバムは、彼らのスタジオ・アルバムとしては10枚目にあたり、もちろん新曲もあるが、そのほとんどは他のバンドやミュージシャンが取り上げた曲や彼らに提供した曲を自分たちで再演したものだった。というわけでもないだろうが、アルバムの充実度というか楽曲のレベルが高くて、だから1曲を聞いただけでもアルバム全体の雰囲気や様子などが伝わってきたのだろう。

 2曲目の"Everybody Knows"や4曲目の"Bitter End"などは、女性3人組のバンド、ディクシー・チックスの2006年のアルバム「テイキング・ザ・ロング・ウェイ」に収められていた。ザ・ジェイホークスのリーダーであるゲイリー・ルーリスと彼女たちで作った曲である。
 また、ディクシー・チックスのメンバーであるナタリー・メインズの2013年のソロ・アルバム「マザー」にも、"Come Cryin' to Me"が提供されていた。ザ・ジェイホークスとディクシー・チックスとは、交流が深いようだ。

 また、3曲目の"Gonna Be A Darkness"は、ボブ・ディランの息子であるジェイコブ・ディランとの共作で、アメリカのTV番組「トゥルー・ブラッド」で使用されたものだったし、7曲目の"Need You Tonight"はロサンゼルスのインディ・ロック・バンドのスコット・トーマスのソロ・アルバムで使用された曲だった。

 さらには8曲目の"El Dorado"はテキサス出身のSSWであるキャリー・ロドリゲスとの共作だし、続く"Bird Never Flies"はニューヨーク、ブロンクス出身のSSWアリ・へストの2007年のソロ・アルバム「ザ・ブレイク・イン」に収められていた曲だった。
 
 また、共作したものの、発表されないまま終わった曲もあって、今回のこのアルバムで初めて陽の目を見た曲も含まれている。5曲目の"Backwards Women"はナッシュビル出身のバンド、ワイルド・フェザーズと、6曲目の"Long Time Ago"はペンシルバニアのバンド、トニックのメンバーであるエマーソン・ハートと一緒に作った曲だった。

 ということで、全くの新曲というのは最後の2曲、10曲目の"Carry You to Safety"と11曲目の"Leaving Detroit"の2曲だけだが、それでもアルバム全体としては統一感があり、スローな曲は心に染み込んでくるし、ミディアム・テンポの曲でもしっかりとロックしているのである。ザ・ジェイホークスのリーダーであるゲイリー・ルーリスの作風が反映されているのだろう。決して歴史的な名盤とは言わないが、それでも一生に一回は耳を傾けるべき必聴盤だと思っている。71bea6jc8hl__sl1122__2
 ザ・ジェイホークスは、1985年にミネソタ州のミネアポリスで結成された。当時のメンバーは4人組だった。
・マーク・オルソン(ボーカル、ギター)
・ゲイリー・ルーリス(ボーカル、ギター)
・マーク・パールマン(ベース・ギター)
・ケン・キャラハン(ドラムス)
 バンドはマークとゲイリーの双頭バンドだった。マークが言うには、エヴァリー・ブラザーズやフライング・ブリトー・ブラザーズなどを聞きながら、ハーモニーの練習を重ねていったらしい。01fband_rehearsal_5
 日本盤でのデビューは7年後の1992年「ハリウッド・タウン・ホール~聖林公会堂」だった。全10曲で約42分、ミディアム・テンポの曲調が多くて、途中でまどろんでしまうこともあったが、確かに90年代のグラム・パーソンズあるいは丸くなったバッファロー・スプリングフィールドというか、初期のポコやイーグルスが持っていたカントリー・ロックのテイストがそのまま息づいているような内容だった。

 また、このアルバムのゲスト陣として、4曲目の"Two Angels"、5曲目の"Take Me With You"、10曲目"Martin's Song"のピアノにはニッキー・ホプキンス、それ以外の曲ではトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのベンモント・テンチがキーボードを担当している。さらにチャールズ・ドレイトンもドラムスを担当していたが、どの曲かはわからなかった。

 当時の彼らは、ブラック・クロウズのオープニング・アクトとしてツアーに同行していて、その時には、このアルバムの中の曲をもっとブルージィーに演奏していたという。ただ、このアルバムについては、同じような曲調なので、ちょっと単調に感じる人もいるかもしれない。515ae0rkmbl
 このアルバムから3年後の1995年には、彼らの最高傑作と呼ばれている「トゥモロー・ザ・グリーン・グラス」が発表された。通算では4枚目のスタジオ・アルバムになるのだが、日本では2枚目のアルバムになった。

 このアルバムではメンバー・チェンジが行われていて、ドラマーが脱退して、新しくキーボード担当に女性のカレン・グロットバーグが参加している。ドラマーに関しては、この時はまだ決まっていなくて、スタジオ・ミュージシャンなどで代用していた。
 カレンは「寂れたモーテルとズッと続く道と」でも歌とキーボードを担当しているが、最初の加入以降、途中でバンドを抜けていた時期もあったようだ。

 このアルバムは“彼らの最高傑作”と呼ばれているように、確かに前作よりもロック的で、起伏に富んだ内容になっている。たとえば3曲目のファズ・ギターが前面に出ているロック的な"Miss Williams Guitar"、5曲目の"Real Light"という曲もあれば、一転して穏やかなバラード・タイプの"Two Hearts"という曲も収められていた。
 前作に引き続き、ベンモント・テンチもキーボードで参加していて、そういえば作風がトム・ペティ風になってきたなあとも感じた。トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズが好きな人なら、このアルバムはまさに必聴だろう。

 他にも、アコースティックな色合いの強い"Blue"、"Over My Shoulder"、グランド・ファンク・レイルロードの"Bad Time"をアコースティックに改変したものなど、ロック色もあるし、スティール・ギターが目立つカントリー・タッチの曲もあるし、幅広いファン層に訴えかける内容になっていた。61r8cqf5fl
 このアルバムの11曲目"Pray for Me"と13曲目"Ten Little Kids"には、ヴィクトリア・ウィリアムスという女性がバッキング・ボーカルを務めているが、彼女は多発性硬化症という治療法も見つかっていない難病に侵されていて、視力や運動に障害を伴っていた。
 ザ・ジェイホークスを始め、他のミュージシャンも彼女を応援していたが、ザ・ジェイホークスのメンバーで中心人物の一人マーク・オルソンは、1994年に彼女と結婚したのである。

 そしてその結果、マークはザ・ジェイホークスを脱退してしまう。理由は、妻のヴィクトリアの看護をするためだった。
 彼はその後、妻と一緒にジ・オリジナル・ハーモニー・リッジ・クリークディッパーズという3人組のバンドを結成し、アルバムを定期的に発表していった。

 ただし、2005年にマークとヴィクトリアは離婚してしまい、マークはソロ活動に専念するようになった。2010年には、再びザ・ジェイホークスに戻るのだが、アルバム1枚とそれに伴うツアーを行った後、2012年にはまた脱退してしまう。マークはソロ活動の楽しさを覚えたようだった。

 自分は昨年のアルバム「寂れたモーテルとズッと続く道と」から遡って、彼らの経歴やアルバムを知っていったのだが、彼らの最高傑作は「寂れたモーテルとズッと続く道と」だと思っている。確かに「トゥモロー・ザ・グリーン・グラス」も素晴らしいのだが、哀愁感や寂寥感は最新アルバムの方が優れていると思うのだ。

 こういう良質なアメリカン・バンドが活躍できる余地のある今のアメリカのミュージック界も、まだまだ捨てたものではないと感じている。

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2019年1月21日 (月)

バランス

 自分が初めてバランスというバンドのことを知ったのは、1993年の頃だった。当時、音楽乃友社という出版社から「ロック・クラシックス」という1400円の本が出版されていた。その本の中に、「HMV渋谷が選ぶRock Classics Best 10」というコラムがあって、その第8位にバランスというバンドのアルバム「イン・フォー・ザ・カウント」がランクしていたのだ。

 そのコラムの中では、こう書かれていた。“80年代ハード・ポップ主流の中で、曲・サウンドともに優れていたと思う。ファーストよりこのセカンドが個人的に好きだった”

 どんなバンドで、どんなアルバムを発表したのか気になった自分は、さっそく探してみたのだが、当時はまだ今ほどインターネットが普及していなかったから、よくわからなかった。それで当時あった小さなCDショップ屋さんに行って、輸入盤を注文した。しばらくすると連絡が来て、受け取りに行った思い出がある。

 だから、バランスというバンドのアルバムは、セカンド・アルバムの「イン・フォー・ザ・カウント」から先に聞いたのだった。61njfmxznjl
 その時、さすが雑誌のコラムに載るだけあって、歴史の中に埋もれてしまった必聴盤のようなものだと思った記憶がある。

 このアルバムは1982年に発表されていて、一言でいうと、80年代に流行ったメロディアス・ハード・ロックといった感じで、当時のチャートを賑わせていたジャーニーやフォーリナーの亜流といったものだ。もう少し具体的に言うと、サヴァイヴァーやヨーロッパといった感じだろうか。

 曲調は疾走感あふれるハード・ロックやハードながらもメロディはしっかりしているミディアム・テンポの曲などバラエティに富んでいて、聞いていて飽きない。時間的にも全9曲中、4分台の曲が3曲で、残りの6曲はすべて3分台だった。だから全体でも35分少々と、40分にも満たないのだ。

 特に、アルバム・タイトル曲の"In For the Count"はヨーロッパの"Final Countdown"をパクったような感じだったし、"Undercover Man"でのギター・ソロは火の出るような激烈さだった。一方、"Is It Over"は疾走感あふれる佳曲だし、ミディアム・テンポの"Slow Motion"ではマイルドで、ラジオでオンエアされそうなポップ・テイストを備えていた。

 ただ、当時のこの手のアルバムには必ず挿入されていたお約束のバラード曲、"Pull the Plug"はいただけなかった。聞いていて気持ちが何となくムズムズしてくるのだ。納得できないというか、気持ちが昇華しないのである。バラード曲といっても、涙涙の涙腺が緩むようなメロディアスな部分もないし、ブルージィーなギター・ソロ(あるいはキーボード・ソロ)もない。この点は失敗だったのではないだろうか。51ipnx2jhl
 だから、徹底的にハードで押し通して、中に感動的なバラードを1曲くらい入れればもっと売れたのではないかと思っていた。ある意味、ハード・ロック路線なのかポップ・ロック路線なのか、特に後半部分の曲に進むにつれて、判別しづらいところがあった。

 とにかく当時は彼らに関して何も資料がなくて、アメリカン・バンドなのかブリティッシュ・バンドなのかもわからなかった。ただ、作曲者名を見ると、どうもヒスパニック系というか、一般的な英語名ではなかったので、これはブリティッシュ・バンドではないだろうと見当をつけていた。

 あとで分かったことなのだが、このアルバムのプロデューサーは、トニー・ボンジョヴィという人で、この人は、あのジョン・ボン・ジョヴィの叔父さんにあたる人だということだった。なるほど、世の中は広いようで狭いものだ。

 そのあと彼らのことはすっかり忘れてしまっていたのだが、昨年、タワー・レコードのネット・ショップを見ていたら、“AOR City1000”というシリーズものがあって、歴代のAORの名盤?を1000円+消費税で販売していることに気づいた。

 その中に、バランスの「ブレイキング・アウェイ」というアルバムが販売されていた。これはひょっとしてあのバランスのアルバムなのだろうか、でもなんでAORなんだろうと不思議に思い、その謎を解明すべく購入してしまった。81wh2qesnil__sl1425_
 このアルバムは、1981年に発表されたバランスのデビュー・アルバムで、2010年にリマスタリングが施され、日本初CD化されたものだった。

 解説書によると、バランスはニューヨークを拠点にして活動する3人組だったようで、当時は西海岸出身のTOTOに対抗して、“TOTOに対する東からの回答”と呼ばれていたようだ。
 でも自分はそんな話は全然聞いたことがなくて、本当にそんな話があったのかどうなのかは、よくわからない。TOTOは有名だったけど、バランスの方はそんなにメジャーなバンドじゃなかったと思う。

 3人組とは、ボーカリストのペピィ・カストロ、ギターのボブ・キューリック、キーボードのダグ・カッサロスのことで、いずれも東海岸では超有名なスタジオ/セッション・ミュージシャンだった。
 そして、このデビュー・アルバムでは、ドラムスに元スライ&ザ・ファミリー・ストーンのアンディ・ニューマークが、ベースにはドゥービー・ブラザーズにも在籍していたウィリー・ウィークスと元トッド・ラングレンズ・ユートピアのジョン・シーグラーが担当していた。この鉄壁のリズム・セクションだけなら、確かにTOTOと対抗できるだろう。

 ペピィというボーカリストは、ブルース・マグースというバンドで、1966年に全米シングル・チャート5位を記録した"Nothin' Yet"というという曲を歌っていて、このバンドには一時期シンガー・ソングライターのエリック・カズも在籍していたという。
 その後、ミュージカルに出演するなど幅広く活動の舞台を広げていったが、その過程でキーボーディストのダグと知り合った。

 ギタリストのボブもまた有名なセッション・ミュージシャンで、ルー・リードの「コニー・アイランド・ベイビー」やアリス・クーパーのツアーにも呼ばれるほどの腕前だった。
 ボブは、1978年にキッスのポール・スタンレーのソロ・アルバムのレコーディングに参加していたが、その時、ペピィはコーラスで、ダグもピアノ&コーラスでレコーディングに呼ばれていた。

 結局、それがきっかけとなって、バランスが結成された。そこから曲作りやレコーディングを行い、デビュー・アルバムにつながったのである。ちなみに、ギタリストのボブ・キューリックは、のちにキッスに参加したブルース・キューリックの実兄だった。兄弟でバンド活動という発想はなかったのだろうか。

 一聴した限りは、このデビュー・アルバムはメロディアスだし、中にはストリングスでコーティングされるような曲もあり、アレンジは凝っているし、普通のロック・バンドではなかなか表現できないほど技巧的でもあった。
 ただ、あまりにも露骨というか、売ろうとする下心が垣間見えるような気がしてならない。だから、個人的にはあまり好きではないのだ。

 このデビュー・アルバムは、全米アルバム・チャートでは133位とあまり売れなかったが、シングルカットされた"Breaking Away"はシングル・チャートで22位、続くセカンド・シングルの"Falling in Love"は58位を記録している。まあ、それなりに売れたというわけだ。5158ovcecwl
 ただ全10曲で、合計37分程度の内容だった。10曲中4分台の曲は2曲のみで、残りはすべて3分台だった。潔いといえば潔いが、それだけ売れ線に徹していたということだろう。これだけの技量を持つミュージシャンがせっかく集まったのに、何となくもったいないような気がした。

 このあとバランスは、1983年まで活動を続けた。日本の自動車ダイハツのシャレードのTVコマーシャル・ソング"Ride the Wave"も手掛けたといわれているが、自分はよく覚えていない。
 結局、契約を切られてしまったわけだが、2006年にイタリアのレーベルが「イン・フォー・ザ・カウント」の再発を決めたことから、ニュー・アルバム発表を打診され、最終的にオリジナル・メンバーで、2009年に「エクィリブリウム」というアルバムを発表した。51wflb5cqbl
 27年振りのアルバムだったが、基本的にはセカンド・アルバム「イン・フォー・ザ・カウント」をさらにハードにしたロック・アルバムだった。彼らはヨーロッパ、とくに北欧で人気が高く、2010年代に入っても散発的にスウェーデンなどでツアーを行っている。

 こういうハード・ロックながらもメロディアスな楽曲をするバンドは、北欧などでは人気が高いのだろう。でも、21世紀の今になってバランスの名前を聞くとは思ってもみなかった。“芸は身を助く”といわれるが、一芸に秀でることの重要性を、このバンドは教えてくれているようだ。Maxresdefault

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2019年1月14日 (月)

グレタ・ヴァン・フリート

 新年を迎えての実質的な第一弾に当たる今回は、昨年末にヘヴィ・ローテーションしていたこのアルバムを紹介することにした。アメリカの新人バンド、グレタ・ヴァン・フリートのデビュー・アルバム「アンセム・オブ・ザ・ピースフル・アーミー」である。

 知っている人は知ってると思うけど、あのエルトン・ジョンが大絶賛をし、ガンズ・アンド・ローゼズが自分たちのツアーのオープニング・アクトに起用し、そしてあの伝説のバンドのボーカリストであるロバート・プラントまでもが、“彼らはかつての俺たちだ”と称えたと言われているバンドだ。B020
 メンバー構成は、基本的なロックン・ロール・バンドと同じボーカル、ギター、ベース、ドラムスだが、普通のバンドと違う点は、ボーカルとギターが双子の兄弟で、ベースはその弟という点だろうか。要するに、3兄弟とその幼馴染で構成されているのだ。
 しかも、メンバーの平均年齢が20歳というのだから驚きである。現時点では、ベース&キーボード担当のサムはまだ19歳ということで、ますますこれからが期待されるだろう。

・ジョシュ・キスカ(ボーカル)
・ジェイク・キスカ(ギター)
・サム・キスカ(ベース・ギター&キーボード)
・ダニー・ワグナー(ドラムス)

 彼らはアメリカのミシガン州サギノー郡のフランケンムースという場所で結成された。2010年の国勢調査によれば、人口約4944人という小さな町で、アメリカ人の間では世界で一番大きいクリスマス専用ショップがあることで知られているという。

 とにかく田舎町で、メンバーが子どもの頃は広大な草原で走り回ったり、ザリガニを釣りながら川下りをしたりと、自由な環境の中で育っていった。また、そういう自然環境のみならず、両親もR&B やロックン・ロールのクラシック・レコードを集めて聞いていたせいか、家庭環境でも音楽的下地を形成するために役立ったようだ。

 2013年にドラマーが交代したが、その前から"Cloud Train"、"Standing On"などの曲を録音していて、中高生の時から活動を始めていたことがわかる。
 2014年に"Standing On"がデトロイト地区の車のTVコマーシャルに使われたことから徐々に口コミでうわさが広がり、2016年にはiTunesで"Highway Tune"がシングル曲として発表され、翌年にはその曲を含む4曲入りEPが発表された。

 その後は、雪玉が転がることでだんだん大きくなるように、彼らの人気はうなぎのぼり、ライヴ会場もスタンディングの小さなクラブから1200人規模のイス席のホールにまで発展していった。

 そして、待望のフル・アルバム「アンセム・オブ・ザ・ピースフル・アーミー」が2018年の10月に発表されたのだ。輸入盤では10曲、国内盤は4曲のミニアルバム「ブラック・スモーク・ライジング」を含む14曲入りだった。51wkcuemlbl
 音楽性は多様で、ロックン・ロールからブルーズ・ミュージック、フォーク・ミュージックまで幅広いものだったが、一番驚いたのは、誰がどう聞いてもイギリスの伝説的なバンドの音楽性に似ている点だった。

 似ているというか、ギターのリフや入り方、ボーカルのジョシュの高音圧の金切りシャウト、アコースティック・ギターの柔らかな響きなど、完全にパクっているのではないかと思われるほどだ。
 だから人によっては、コピー・バンドとかキングダム・カムの再来などと少し軽蔑じみた言葉を投げていた。確かに聞く人によっては、それはその通りなのだろう。

 彼ら自身は、自分たちを“第二の〇〇”などとは思っていなくて、そういう似た音が出てくるのは、子どもの頃から過去のロック・ミュージックの洗礼を浴びていたからだという。例えば、ギタリストのジェイクは、ザ・フーやザ・ビートルズなどの60年代のブリティッシュ・ロックが好きのようだし、ボーカルのジョシュは、ボブ・ディランやジョン・デンヴァー、ジャニス・ジョプリンにウィルソン・ピケット、ジョー・コッカーなど幅広いジャンルに渡って影響を受けているとインタビューに答えていた。

  そんな彼らが発表したデビュー・アルバムが「アンセム・オブ・ザ・ピースフル・アーミー」である。このアルバムのテーマは、“人類の進化の旅や歴史上の教訓、平和、愛、調和”だそうである。それが全体を繋いでいて、しかも無意識的にそれらが生まれ、自分たちが創造したかったアルバムになったそうだ。Great
 とても新人バンドとは思えないほどの上質なアルバムである。1曲目の"Age of Man"はゆったりとしたブルージーな曲だが、やはり一番耳に飛び込んで来るのは、甲高いジョシュのボーカルである。“ロバート・プラントそっくりとか、意識しすぎ”と呼ばれても仕方ないだろう。

 それがよくわかるのが"The Cold Wind"だ。“Hey”、“Mama、Mama”というかけ声だけでなく、バックのドラミングもジョン・ヘンリー・ボーナムに似せているし、ベースもうねっている。スライド・ギターの入り方もジミー・ペイジに合わせているかのように聞こえてくる。
 3曲目のシングル・カットされた"When The Curtain Falls"も伝説のバンドが甦ったようだし、間奏のギター・ソロも弾きまくっている。できればもう少し長いソロを披露してほしかった。

 次の"Watching Over"はややスローなバラードっぽい曲で、このバンド、意外にバラエティに富んだ楽曲を用意したなと感心してしまった。この曲は“グレタ・ヴァン・フリート版 Since I've Been Loving You”だろう。

 このアルバムでポップな要素を持っているのは、"Lover, Leaver(Taker, Believer)"だろう。ポップというと誤解を招きそうなので、耳に残りやすいと言った方が適切かもしれない。あの偉大な伝説のバンドの曲で例えると、"Communication Breakdown"だろうか。"Living Loving Maid"までのポップ性はないと思う。

 後半の"You're The One"はアコースティック・ギターで導かれた爽やかな雰囲気を醸し出す曲で、この曲だけ聞けば、確かにアメリカン・バンドのような感じがした。間奏にジョン・ポール・ジョーンズのようなオルガンが聞こえてくるところがやはり伝説のバンドに似ていると言われる所以だろう。

 次の曲"The New Day"にもアコースティックな曲で、こちらはややテンポが速い。しかもバックコーラスも少しは聞こえてくるので、この辺は伝説のバンドとの相違点になるのではないだろうか。
 ジミー・ペイジ的スライド・ギターが聞こえてくるのが"Mountain of The Sun"だ。これもまたメロディラインがはっきりしていて、なかなか印象的な曲に仕上げられている。それに曲のアレンジもまた例の伝説のバンドの曲に似ている。途中の演奏が止んでボーカルだけの部分や、長いシャウトなどは本当によく似ていると思う。

 "Brave New World"は、またブルージーな楽曲に戻る。アメリカのロック・バンドでここまで湿った感じの雰囲気を出せるバンドはそう滅多にいないと思う。初期のエアロスミスやマウンテン、初期のグランドファンク・レイルロードなど、70年代のロック・バンドをどうしても思い出してしまう。

 10曲目の"Anthem"は、ほとんどアコースティック・ギターとスライド・ギターがメインの曲で、ジョシュのボーカルが際立っている。歌詞の内容も、世界とは世界を成り立たせているものを指していて、それは私たち一人一人なのだというメッセージ・ソングにもなっている。20歳そこそこの若者にしては、なかなか深遠な世界観を提示していると思った。

 ここまでの10曲は全体で約46分くらいで、こういうところも70年代のクラシック・ロックの世界観にこだわっているようだ。71buoeixol__sl1170_
 国内盤ではこのあと4曲のボーナス・トラックが付属していて、上にもあるようにEP「ブラック・スモーク・ライジング」の曲なのだが、これがまた伝説のバンドそっくりなのだ。ここではあえて省略するが、確かにこのEPだけ聞けば、誰もがあの伝説のバンドの再来だと思うだろう。"Flower Power"などはまさに"Your Time Is Gonna Come"と言われても仕方ないだろう。

 逆に言えば、本編CDの1曲目から10曲目までを聞けば、このバンドがこのEP以降どれほど成長したかが分かるだろう、わずか1年の間に。ちなみにこのアルバムは、ビルボードのアルバム・チャートでは、最高位3位を記録している。英国では12位だった。

 もちろんこのまま素直に売れていく保証はない。むしろこの路線を続けて行けばいくほど、バッシングも高まるかもしれない。だから、この次のアルバムが彼らの試金石になるだろう。伝統を継承しながらも、彼らなりのオリジナリティを出して行けば、まさに2020年代を代表するバンドになっていくだろう。そんな期待を込めながら、セカンド・アルバムを待つことにしようと思っている。

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2018年12月 3日 (月)

オールマン・ブラザーズ・バンド(3)

 いよいよ師走になった。平成最後の12月になった。本来なら今年を振り返ってのアルバムなどを発表するのだが、今回と次回は、もう一度、“レコードの時はショボかったけど、CD化されてお買い得になったアルバム”について記そうと思う。

 本当は前回のチープ・トリックの項で、このシリーズは終わろうと思っていたが、もう2回分だけ、英米を代表するバンドのアルバムについては紹介した方がいいだろうと考えた。
 そして、今回はアメリカン・ロックの中から、オールマン・ブラザーズ・バンドのライヴ・アルバム「フィルモア・イースト・ライヴ」について記すことにした。81swjjuy5ql__sl1400_
 オールマン・ブラザーズ・バンドについては、以前もこのブログに書いているので、詳細は省略したいが、ごく簡単に言うと、彼らは、いわゆる“サザン・ロック”といわれるジャンルに属していて、アメリカ南部の泥臭いブルーズを洗練させ、その上で豪快で迫力のあるロックンロールを演奏していた。この“サザン・ロック”という言葉自体が市民権を得るようになったのも、このオールマン・ブラザーズ・バンドの影響といってもいいだろう。

 彼らは1969年にデビューし、2枚のスタジオ・アルバムを発表するもなかなか売れず、全米的にはまだまだ名前は知られていなかった。
 それがこのライヴ・アルバム「フィルモア・イースト・ライヴ」で一挙に全米を代表するバンドのひとつになっていき、先ほどにもあるように、“サザン・ロック”という言葉が知名度を得たのである。

 このアルバムは、1971年の発表当時では2枚組全7曲だった。当時はレコードだったから、レコード4面で7曲ということは、平均すると1面で1~2曲になる。正確に記すと、当時の曲構成は以下のようなものだった。
サイドA
1.Statesboro Blues
2.Done Somebody Wrong
3.Stormy Monday
サイドB
4.You Don't Love Me
サイドC
5.Hot 'Lanta
6.In Memory Of Elizabeth Reed
サイドD
7.Whipping Post61selz2ol_2
 このアルバムについては、全体で約78分だったから、短い曲ならもう2曲くらいは含まれていてもおかしくないと昔から思っていた。だから1989年にCD化されたときには、レコードとは違って曲数が増えているのではないかと期待していたのだが、残念ながらそうはならなかった。81ex50ndrtl__sl1411__2
 話は前後するが、このフィルモア・イーストのライヴは、彼らにとっては3度目の公演になった。一番最初は、1969年12月で、その時はブラッド、スウェット&ティアーズのオープニング・アクトだった。次が翌年の2月のグレイトフル・デッドと共演したときだった。

 ライヴ・アルバム「フィルモア・イースト・ライヴ」がレコーディングされたときは、1971年3月12日と13日の金曜日と土曜日で、週末ということもあり多くのオーディエンスが駆けつけていた。
 この時は2日間で計4回のライヴ公演が行われており、それぞれ午後8時からと午後11時30分から始まっていた。1回目と2回目の公演の間は、そんなに時間間隔があいていなかったので、午後8時からの公演は約1時間程度のコンパクトなものだった。

 ただ、13日の2回目の公演の前に爆弾予告の電話があって、ライヴは一時中断している。その後再開したのだが、最後の曲"Drunken hearted Boy"が終了したときは朝の6時を超えていたという。こういう経験はめったにないことだろう。

 彼らは1972年に、当時のレコードでは2枚組だった「イート・ア・ピーチ」というスタジオ録音とライヴ曲が混合されたアルバムを発表していて、このアルバムにも3曲のフィルモア・イーストにおけるライヴ音源が含まれていた。要するに例えていうならば、オールマン・ブラザーズ・バンド版「クリームの素晴らしき世界」だろう。61pgbqhggl__sl1400_
 そしてこの時の3曲"Mountain Jam"、"Trouble No More"、"One Way Out"が、1992年に発表された「フィルモア・イースト・ライヴ」拡大版に収録された。

 さらにこのアルバムにはそれまで収録されていなかったフィルモアでのライヴ曲、"Don't Keep Me Wondering"と"Drunken Hearted Boy"も含まれていて、全部で12曲になっていた。こうなると、確かにレコードよりは充実しているように思えるし、実際のライヴ感覚に近づいてきたように思える。

 ところが、2003年の9月に入って、このライヴ盤のデラックス・エディションが発表された。それにはもう1曲、ディスク1の最後に"Midnight Rider"という2分55秒の短い曲が収録されていて、これで全13曲という内容になった。もとのレコードから考えれば、2倍近い増量になっている。7176ppiuxl__sl1098_
 また、このデラックス・エディションでは曲順も代えられていて、実際の演奏順に近いものになっていた。ちなみに、拡大盤とデラックス・エディションの"One Way Out"と"Midnight Rider"の2曲は場所はフィルモア・イーストだが、録音時は同年の6月27日のものが使用されていた。71uiwzifkhl__sl1096_
 この6月27日というのは、この日をもってフィルモア・イーストを閉鎖するという、いわば最終公演の歴史的な日だった。出演したバンドは、オールマン・ブラザーズ・バンド以外に、J.ガイルズ・バンド、アルバート・キング、特別ゲストとして、マウンテン、エドガー・ウィンターズ・ホワイト・トラッシュ、ザ・ビーチ・ボーイズなどであった。

 そして、これでもう最終版だと思っていたのだが、ところが商魂たくましいレコード会社は、さらに「フィルモア・イースト・ライヴ」完全版を2014年の6月に発表した。これは1971年の3月12日と13日の4公演と6月27日の公演を、美しい写真集とともに6枚組のボックス・セットに収めたもので、全37曲、6時間を超える名演奏を堪能することができる。まさに歴史の目撃者を実感させるような内容になっていた。715tlbonyl__sl1295_
 とにかく長生きしてよかったと思わせるような名演奏の数々である。確かにレコードとしての音の質感や温かみなどは独特のものだし、レコードならではの味わいはあると思うのだが、せっかくの未発表の音源があるのであれば、たとえCDであったとしてもやはり聞いてみたくなるのが人情というものだ。81nrjxiu4l__sl1500_
 デュアンが亡くなってもう45年以上が経つし、弟のグレッグ・オールマンも昨年の5月に病気で亡くなった。もう再びバンドが息を吹き返すことはないだろう。"In Memory Of Allman Brothers"である。

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2018年11月26日 (月)

ライヴ・アット・武道館

 「ライヴ・イン・ジャパン」というアルバムや名称を有名にしたバンドは、やっぱりディープ・パープルだと思っている。このブログの「ライヴ・イン・ジャパン」の項でも記したけれど、彼らは最初は日本国内限定アルバムとしてしか考えていなかった。
 ところが、あまりにもこのアルバムの出来が良かったので、彼らは世界販売を決意し、その結果、2枚組ライヴ・アルバムとしては破格の売上げを記録し、結果的に「ライヴ・イン・ジャパン」という名称も広まっていったのだ。

 それと同様に、「ライヴ・アット・武道館」というアルバムや名称を有名にしたバンドは、チープ・トリックだと思っている。彼らは、ディープ・パープルと同様に、いやそれ以上に、このアルバムをきっかけに世界的なバンドに成長したからだ。

 武道館でライヴを行ったバンドやミュージシャンは、それまでにも数多く存在した。1966年にはあのザ・ビートルズも公演を行い、その模様は今でもビデオやDVD、CDなどの映像や音響作品で確認することができる。
 しかし、そのザ・ビートルズでさえも“武道館”という名前を世界的に有名にすることはできなかった。記録媒体として、公式には世界的に発表しなかったからだ。

 それをチープ・トリックは、やってしまった。彼らは1977年に、アルバム「チープ・トリック」でデビューしたものの、さっぱり売れなかった。続くセカンド・アルバム「蒼ざめたハイウェイ」は、アルバム・チャートの73位と何とか顔を出した程度だった。
 そして、日本に来る直前に発表したアルバム「天国の罠」は、バンドの良質なパワー・ポップな側面が発揮されたせいか、バンドはやっと認知されるまでになったという状況だった。

 だから、アメリカでは彼らは営業に次ぐ営業、つまり日夜を問わず、演奏できるところがあればどこでも、例えば小さなクラブやスーパーマーケットのホールでも、巡業をして回っていた。18877
 ところが、極東の小さな国では、彼らは、クィーン、キッス、エアロスミスに次いで、徐々に注目を集め始め、ついにはそれらの先輩格のバンドと並ぶほどの人気を獲得していったのである。

 当時の様子を振り帰りながら、ボーカルのロビン・ザンダーはこのように述べていた。「70年代の日本では、バンドの外見がより重要視された。バンドの個性がはっきりしている方がウケがよかった。だから個性に富んでいたチープ・トリックやキッスが日本では人気があった。彼らはすぐに僕らを受け入れてくれたんだ」

 また、当時の音楽雑誌の編集長だった東郷かおる子氏は、ローリングストーン誌の取材に対して、「それまで一番人気があったのがキッスやクィーンだったけれど、彼らはビッグになりすぎた。何か新しいものをみんなは求めていた」と答えている。

 1978年の4月下旬に、彼らは初めて日本にやってきた。もちろん日本で公演をするためだが、その中にはあの日本武道館が含まれていた。
 「エコノミークラスの窓から外を眺めていると、5000人ぐらいの人が飛行場の建物の上にいるのが見えたんだ。凄い有名人がこの飛行機に乗っているんだと思った。でも、飛行機を降りたら自分達だったいうことが分かったんだ」と、リード・ギタリストのリック・ニールセンは述べていたが、本国アメリカと異国日本との人気の違いに驚いたことだろう。

 また有名な話として、ロビン・ザンダー首刺し事件があった。手にはさみを持った女の子がロビンの髪の毛を切ろうとして、間違って首の後ろを思いっきり刺してしまったというものだった。実際はそんなに大げさなものではなくて、追いかけられたということらしかったが、怖い思いをしたことは間違いないだろう。ただロビンは、1週間はザ・ビートルズになった気分を味わうことができたとも語っていた。

 当時の日本では、CBSソニーがEPICソニーと2つに分かれるところであり、そのEPICソニー・レーベルの意向で、4月27日の 大阪厚生年金会館と、28日と30日の日本武道館の公演がライヴ・アルバム用として録音されている。
 これは余談だが、このチープ・トリックの武道館ライヴとボブ・ディランの武道館ライヴが、販売用アルバムとして、EPICソニーの設立記念のために用意されたものだった。

 そのライヴ・アルバム「ライヴ・アット・武道館」は、その年の10月に日本国内のみで発表された。このアルバムは、全10曲、約42分に編集されていて、過去3枚のスタジオ・アルバムからの曲や新曲、ジョン・レノンも歌ったファッツ・ドミノの"Ain't That A Shame"のカバー・ヴァージョンも含まれていた。81hbgtx9zl__sl1220__2
 このアルバムは、日本では当然のこと売れたが、アメリカでも最初は輸入盤がプロモーション・アルバムとして発売されて、これが7万枚以上も売れたことから、翌年の2月には正式なライヴ・アルバムとして発売された。(当時は史上最も売れた輸入盤といわれていた)
 しかもこのアルバムは、ビルボードのアルバム・チャートで4位になり、約300万枚以上も売れ、彼らの最大のヒット作になってしまった。その結果、1979年度のビルボード年間アルバム・チャートでは13位に認定されている。

 ちなみに1994年には、このアルバムの続編「ライヴ・アット・武道館Ⅱ」が発表された。実は、実際の来日公演では19曲が演奏されていて、「ライヴ・アット・武道館」に収録できなかった9曲と1979年の日本ツアーからの3曲("Stiff Competition"、"How Are You?"、"On Top Of The World")の計12曲が約52分に編集されていた。はっきりいって企画盤以外の何物でもなく、話題にはなったものの商業的な成果を得ることはできなかった。Cheap_trick_budokan_ii
 そして、1998年には「ライヴ・アット・武道館」発表20周年記念ということで、2枚組の完全盤が発表された。これは当時の来日公演における19曲をセットリスト順に並べたもので、実際のライヴと同じ雰囲気が味わえるというキャッチコピーだった。81rqx5udrql__sl1203_
 また、その10年後の2008年には今度は30周年記念ということで、4月28日の武道館における演奏を楽曲と映像の2種類にパッケージしたものが発表された。61wd7gnvnhl つまり、CDとDVDである。DVDには、当時テレビで放送されたものをDVD化したもので、まさに昇り竜のような勢いのある若い彼らを見ることができる。これぞ歴史的な記録映像といっていいだろう。81nk3jqvzl__sl1500_
 その後も、2017年にはデビュー40周年ということで、紙ジャケットの「ライヴ・アット・武道館」が発表されていて、1978年の武道館での19曲に翌79年の武道館でのライヴ3曲がボーナストラックとして追加されていた。この3曲とは、「ライヴ・アット・武道館Ⅱ」に収められた曲と同じであり、リマスタリングしたものであった。

 このように手を変え品を変え、「ライヴ・アット・武道館」は発表されている。それだけ彼らにとっては意義のあるアルバムであり、記念碑的な作品なのだ。そして、これこそがアメリカ的商業主義であり、音楽業界におけるプラグマティズムの具象化なのだろう。
 「武道館が俺たちを有名にし、俺たちが武道館を有名にしたんだ」とリックは言ったが、10年ごとに発表されるライヴ・アルバムというのも他にはないと思われる。51prmrbh2wl
 チープ・トリックの人気は、その後も毀誉褒貶というか、上昇と下降を繰り返している。80年代に入ると低迷するが、1987年に一度脱退したベーシストのトム・ピーターソンが復帰すると人気が再上昇し、「永遠の愛の炎」はチャートの16位になり、アルバムはプラチナ・ディスクに認定された。

 ところが、90年代以降は、今まで合計2000万枚以上のアルバム売上を記録したバンドとは思えないほど売れなくなってしまった。
 たぶん、バンド内の内輪もめが原因で、アルバム制作にも精彩を欠いていたのだろう。あくまでも噂ではあるが、ドラマーのベン・E・カルロスとボーカルのロビン・ザンダーの仲が悪いと言われていたが、真相はどうなのだろうか。

 ただ、最近の2作「バン、ズーム、クレイジー...ハロー」と「ウィア・オール・ライト!」では持ち直している。リックの息子のダックスがドラムを叩いていて、バンド内がまとまったからだろう。
 今年は武道館40周年記念ということで、ジャパン・ツアーを行ったが、リックの体調が悪く、医者から長距離での移動を禁止されたため、一部公演がキャンセルされ、振替公演が行われた。その時は、ロビンの息子ロビン・テイラー・ザンダーもセカンド・ギタリストとして参加していた。リックの健康面での不安があったからだろう。

 オリジナル・メンバーは、まだ60歳代の後半だ。こうなったら、“武道館50周年”の記念ライヴ、記念アルバム発表を目指して、親子2代バンドでも構わないので、まだまだ頑張ってほしいと思っている。

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2018年11月19日 (月)

ロータスの伝説

 これは何となくだけど、ブリティッシュ・ロックのアルバムよりはアメリカン・ロックのアルバムの方が、商売上手というか、金銭感覚に優れているというか、要するに金儲けが上手なような気がする。
 これはあくまでも個人的な感覚なので根拠も何もないのだが、それだけサービス精神があるというか、アメリカという国に特有のプラグマティズムの影響なのかもしれない。

 それで、“レコードの時はショボかったけど、CD化されてお買い得になったアルバム”シリーズ第10弾は、前回のバンド・オブ・ジプシーズまではいかないけれども、それでもリスナーにサービスを提供しているといってもいい3枚組アルバム「ロータスの伝説」である。317lj5nozfl
 ご存知、サンタナが1973年に来日したときのライヴ・アルバムで、7月3日と4日の大阪厚生年金会館でのステージの様子が収められていて、発表は翌74年の5月だった。
 当初は、日本限定の3枚組LPレコードとして発売されたが、あまりにもその出来栄えがよかったので、のちに欧米でも発売された。この辺はディープ・パープルの「ライヴ・イン・ジャパン」の経緯に似ている。

 この時の来日公演は、サンタナにとっては2度目であり、彼らは6月25日月曜日に福岡に到着して、27日の九電記念体育館でのライヴから7月14日土曜日に再び福岡から離陸するまで、7か所12公演を行っている。
 大阪公演は、7月2日から4日まで行われていて、来日公演のほぼ中日にあたり、彼らの演奏も慣れてきたころだと思われる。

 3枚組のLPレコードでは、サイド1の1曲目"Meditation(瞑想)"からサイド6の"Incident at Neshabur"まで全23曲が収められていた。時間にして約121分で、約2時間のサンタナの熱気あふれるステージを堪能することができた。

 ところが1991年に、このライヴ・アルバムがCD化されると、なぜか22曲になっていた。それは約1分余りの冒頭の"Meditation"がカットされていて、いきなり1973年のスタジオ・アルバム「ウェルカム」の中の曲"Going Home"で始まっていたからだ。611wf5fv9yl
 確かにこの"Meditation"は、楽曲ではなくて、その名の通りメンバー全員で“瞑想”して呼吸を合わせ、ライヴに臨もうというものだったから、無くても問題はないかもしれない。

 ただ、実際のライヴを再体験したい人や来日公演としての記録を味わいたい人にとってみれば、やはり完全版を求めるであろうし、その無音の1分間余りが、逆に緊張を高めてくれてスリリングな時間を味わえることができるのではないだろうか。

 もう一つの違いは、LPレコードでは21曲目の"Savor"が、1991年のCD化では"Mr.Udo"に代わっていた。この"Mr.Udo"とは招聘元のウドー音楽事務所の社長さんのことだった。(曲順も最後の方では1曲だけLPレコードとは違っていたけど、詳細は省略することにする)

 ということで、誠に申し訳ないのだが、今回のこのシリーズのテーマである“レコードの時はショボかったけど、CD化されてお買い得になったアルバム”は、このライヴ・アルバム「ロータスの伝説」にはそぐわないのである。

 まず、レコードの時からショボくなかった。この3枚組のレコードのデザインは、イラストレイターの横尾忠則氏が担当していて、22面体という変則ジャケットだった。カルロス・サンタナは、その22面体のアルバム・ジャケットを見た時、合掌して何も言うことはないと感激していたと言われている。それほどコンプリートな出来栄えだったのだ。71rt2vpxusl__sl1000_
 それに“CD化されてお買い得になった”かどうかは、その人の価値観によるだろう。確かに1991年のCD化については、2枚組で、1曲減とはいえほぼ完全版に近かったし、あまりこだわりがなければ、特に問題はないと思われる。

 また、2006年には3枚組紙ジャケットCD全23曲として、ジャケットも含めて、LPレコードを再現したものになっていた。
 しかし、確かに音質は向上したかもしれないが、逆に、LPレコードのアルバム・ジャケットの方が大きく迫力があって、視覚的にも優れているのではないかと感じた。

 自分は2006年の紙ジャケットCDを所有しているのだが、変則ジャケットは本当に素晴らしいし、見ごたえがあるものの、これがレコード・サイズだったらもっと印象的だっただろうと思っている。

 むしろ“CD化されてお買い得になった”といえるのは、2017年に発表された「ロータスの伝説 完全版 -Hybrid 4.0-(完全生産限定盤)」だろう。511xe5g1zl_2
 この3枚組CDは高音質SACDハイブリッド盤になっており、未発表の7曲を含む全30曲で、約36分ボリュームアップされていた。しかも、当日と同じ演奏順に収められていて、これはもう目を閉じて聞けば、目の前でサンタナが演奏しているようなものだった。

 未発表の6曲とは、以下のものである。(数字は通しでの曲順を表す)
ディスク1
  8.Japan
  9.Bambele
10.Um Um Um
ディスク2
22.Light of Life
ディスク3
26.The Creator Has a Master Plan
27.Savor
28.Conga Solo

 発表当時は8000円近くもして、なかなか高価だったが、中古盤では半額近くになっているようだ。興味関心のある方は、手に入れても損はないと思う。61ub3c6acsl_2
 最後に、このSACDの3枚組「ロータスの伝説」は、日本限定発売である。商魂たくましいのはアメリカではなくて、実は日本の方かもしれない。
 またこのCDは、アルバム・ジャケットのみならず、レコーディング方法や再生技術をも含めたトータルな意味で、日本が世界に誇れる芸術作品であり、歴史的な音響記録物だと思っている。
 日本の製造業は、いまだに世界を牽引する技術を有しているのである。

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2018年11月12日 (月)

バンド・オブ・ジプシーズ

 今回の“レコードの時はショボかったけど、CD化されてお買い得になったアルバム”シリーズ第9弾は、今までとはちょっと趣が違ってくる。「CD化されてお買い得になったアルバム」という部分は正しいかもしれないが、「お買い得になった」という前に、果たしてCD化が適切だったのかどうかが問われてくるのではないかと考えている。

 そのアルバムというのが、ジミ・ヘンドリックスの「バンド・オブ・ジプシーズ」である。ジミ・ヘンドリックスが自分名義のライヴ・アルバムとして、生前に唯一許可したライヴ盤ともいわれている。
 ただこのアルバムは、今では「ライヴ・アット・ザ・フィルモア」として知られていて、それこそ何種類も世の中に出回っているのである。51lj5mpysml
 まず最初に、ジミ・ヘンドリックスが同じアフリカ系アメリカ人のベーシスト(ビリー・コックス)とドラマー(バディ・マイルス)の3人で結成したバンド名が、“バンド・オブ・ジプシーズ”だった。
 彼らは、ジミ・ヘンドリックスが1969年8月に出演したウッドストック・コンサートの後に結成されたバンドで、それまでのリズム・セクションがヨーロッパ系アメリカ人だったのが3人ともアフリカ系アメリカ人に代わったため、今までよりもよりブルーズ色やファンキーさがサウンドに表れていた。

 それで彼らはお披露目ライヴとして、1969年の12月31日と翌日の1970年1月1日に、ニューヨークのフィルモア・イーストで行われたニュー・イヤーズ・コンサートをライヴ録音し、アルバムとして発表した。1970年の4月のことである。
 この2日間のライヴでは、1日2回の公演だったから、彼らは計4回ステージを務めたことになる。

 それでこのアルバム「バンド・オブ・ジプシーズ」には6曲が収められていて、その6曲とは次の曲だった。
1.Who Knows
2.Machine Gun
3.Them Changes
4.Power of Love
5.Message to Love
6.We Gotta Live Together
 この6曲は、すべて1月1日の2回分のステージから録音されたものである。また、この時のジミは、新メンバーに満足していて、特にドラムス担当のバディ・マイルスは曲も書けて歌も歌えるということで、このライヴ盤でも"Them Changes"、"We Gotta Live Together"を書き、"Them Changes"と"Stop"では渋いボーカルを披露している。(正確に言うと、他の曲でもジミと一緒に歌っているものもあった)

 それにこの時のステージ写真を見ればわかるように、ステージの真ん中にバディ・マイルスのドラムスがセットされて、その両サイドにギタリストのジミとベーシストのビリー・コックスが佇んでいた。だから、ジミ・ヘンドリックスのワンマン・バンドではなくて、3人が平等に存在するということをアピールしていたようだ。71sm6qaz3zl__sl1076_
 ところが、1986年には「バンド・オブ・ジプシーズ2」というアルバム(レコード)が発表されて、これはまさにジミ・ヘンドリックスの知名度を利用した便乗商法アルバムだった。

 例えば、アルバム6曲中3曲はフィルモア・イーストの音源だったが、サイドBの3曲はバンド・オブ・ジプシーズ解散後の音源で、"Voodoo Child"は1970年7月のアトランタ・ポップ・フェスティバル、"Stone Free"と"Ezy Rider"は同年5月のバークレー公演で収録されたものだった。だから、バンド・オブ・ジプシーズとはメンバーが違っていたから、正確にはバンド・オブ・ジプシーズとは関係がないのである。

 それで、CD化されたときには、最初は当初の6曲入りCDだったが、1991年にその6曲と「バンド・オブ・ジプシーズ2」の最初の3曲を収録した9曲入りのアルバムが発表された。追加された3曲は次の曲だった。
7.Hear My Train A Comin'
8.Foxy Lady
9.Stop
 この3曲は、1969年と70年のステージに演奏されたものだったから、このアルバム9曲には整合性があった。ここまでは“レコードの時はショボかったけど、CD化されてお買い得になったアルバム”シリーズに適していると思っている。51slzylpl
 さて、問題はここからである。ジミ・ヘンドリックスのアルバムの権利関係は非常に複雑で、歴代のマネージャーやレコード会社が権利関係を主張していたが、1990年代の半ばに遺族が裁判を起こし、権利関係を一本化することに成功した。そして生まれたのが「エクスペリエンス・ヘンドリックス社」で、そこで著作権などを管理するようになった。

 そして1999年に、2日間のフィルモア・イーストのライヴ曲を収録した「ライヴ・アット・ザ・フィルモア・イースト」という2枚組CDが発売された。
 このアルバムには2枚組ということで16曲が収められていて、そのうち未発表ライヴ曲が13曲も含まれていたのである。51gzvg8joul
 ただし、未発表曲といってもこの2日間の全ての曲が披露されているわけではなかった。ちなみに既発表の曲は"Hear My Train A Comin'"、"We Gotta Live Together"、"Stop"の3曲で、いずれもリマスターされており、そのうちの"We Gotta Live Together"は以前よりも4分ほど長い完全版だった。

 また、ディスク1もディスク2も12月31日と1月1日の曲が入り混じっていて、どうしてこういう構成になったのかがよくわからない。ただ、やはり初日よりも2日目の方が演奏が慣れてきていて、ジミの演奏も気合が入っているように聞こえてくる。

 確かにファンならぜひ聞きたいと思うような内容だったし、事実、自分も購入してしまった。当時のジミ・ヘンドリックスの意気込みというか、気合を知る上でも貴重な資料となるアルバムだと思う。E5b7fa508
 ただ自分もそうだけれど、ファンならばどうしても完全版を聞きたいという欲求が生まれてくる。しかもこうして未発表曲が出てくるのであれば、他の曲も収録されていたことは間違いないということで、ますます気持ちが高まってくるだろう。

 こうなると純粋に音楽を楽しむというよりは、記録を確かめるというか、その時代性を共有したいという気持ちの方が強くなるような気がしてしまう。あるいは、その両方だろう。
 そういうファン意識につけ込んで、いやいや、ファン意識に寄り添った営業方針をエクスペリエンス・ヘンドリックス社は行っているようだ。だから2枚組の「ライヴ・アット・ザ・フィルモア・イースト」が世に出たのだろう。

 しかもメインのプロデューサーはエディ・クレイマーだったから、音質的には全く問題はないし、生前のジミ・ヘンドリックスとも仕事をしていたから、ジミの意思や考え、音楽的な方向性なども理解していただろう。そのエディがプロデュースしているのであれば、ジミの思惑にも叶うはずだ。ファンならずともそう思うだろう。

 そんな期待に答えて発表されたのが、2007年の6枚組ボックス・セット「2ナイツ・アット・ザ・フィルモア・イースト」だった。これは全世界2000セットの限定販売で、日本では800セットしか割当てがないという触れ込みだったが、本当だったのだろうか。国内盤は税込み価格が12960円だった。612jy1v4sl
 これは2日間4回のステージの全48曲(MCなどを含む)が収録されていて、ファンにとっては、まさに家宝というものだろう。
 ただし、これにはエクスペリエンス・ヘンドリックス社は関わっていないため、音質はあまりよくない。ブートレッグに近いものだろうが、その分、実際のライヴの雰囲気に近くて、荒々しいジミのギター・サウンドやソウルフルなバディ・マイルスのボーカルを味わうことができる。“実況録音盤”という言葉本来の意味に近いサウンドだろう。

 こういうブートレッグまがいの商品を世に流通させないためにエクスペリエンス・ヘンドリックス社があるわけで、その対策として、2016年にはエディ・クレイマーもプロデューサーの1人としてクレジットされたアルバム「マシン・ガン:ザ・フィルモア・イースト・ファースト・ショウ」が販売された。61qjk3cwhbl
 これは12月31日の1枚目のステージの全曲を演奏順に収録した完全盤で、全11曲、時間にして約70分余りのライヴ盤だった。ちなみに収録曲は以下のとおりである。
1.Power of Soul
2.Lover Man
3.Hear My Train A Comin'
4.Them Changes
5.Izabella
6.Machine Gun
7.Stop
8.Ezy Rider
9.Bleeding Heart
10.Earth Blues
11.Burning Desire

 見てわかるように、"Hey Joe"や"Purple Haze"のような代表曲は収められておらず、彼ら3人が“新人バンド”としてデビューしたような選曲がなされている。その時はそれだけの意気込みがあったのだろう。Machinegunjimihendrixmachinegunthee
 そして、1回目のステージの完全盤が出されたのだから、当然次は2回目から4回目までの様子がCDとして順次発表されるのだろう。2回目や4回目などは曲数が多いので2枚組になるのだろう。なかなか商魂がたくましいと思うのは、私だけだろうか。

 いずれにせよ、完全盤が良質の音質で聞くことができるのであれば、ファンならずとも有り難いことだろう。
 ただ、個人的には、このフィルモア・イーストでのライヴのエッセンスは、CD化されてお買い得になったアルバムよりも、最初のレコードの6曲分だと思っているのである。

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2018年11月 5日 (月)

リトル・フィートのライヴ・アルバム

 このライヴ・アルバムは必需品だ。一家に一枚といってもいいかもしれない。しかも、オリジナル・バージョンよりもはるかにボリュームアップしているではないか。まさに必聴盤であり、必携盤だと思っているし、これは自分一人だけの思いではないと感じている。

 このリトル・フィートのライヴ・アルバムである「ウェイティング・フォー・コロンブス」のオリジナル・レコードは、1978年に発表された。リトル・フィートに詳しい人はよくわかると思うけれど、ほぼオリジナル・メンバーによるアルバムでは、最後になったものである。

 リトル・フィートは、1969年にロサンゼルスで誕生した。中心メンバーは、スライド・ギターの名手、ローウェル・ジョージだった。彼は、それまでフランク・ザッパのマザーズ・オブ・インヴェンションに所属していたから、かなりの才能とテクニックを身に着けていたことは間違いないだろう。A1qsbviwgdl__sl1000__2
 その後、多少のメンバーの出入りはあったものの、1971年にデビュー・アルバムを世に出すと、72年には「セイリン・シューズ」を、73年には「ディキシー・チキン」を発表した。
 この2枚のスタジオ・アルバムは、彼らの全盛期を象徴するアルバムだと思っていて、自分は今でも愛聴している。

 彼らの音楽性はその時々で多少の変貌を備えていて、それだけ多様な音楽性を秘めていると言えるだろう。ただ、基本はサザン・テイストを持ったロックン・ロールとニューオーリンズ・ジャズやブルーズの要素を兼ね備えていて、泥臭いようで同時に都会的なセンスも含むサウンドを奏でていた。

 ただ、リトル・フィートは、徐々にR&Bやジャズ、フュージョン色を深めていき、リーダーのローウェル・ジョージの考える音楽観とはずれが生じてきたようで、70年代の終わりに彼は、ソロ・アルバム「特別料理」を発表してバンドの解散を宣言してしまった。

 この彼のソロ・アルバムについては、以前のこのブログの中でも述べていたので重複は避けるが、当時流行していたアダルト・オリエンティッドなアメリカン・ロックをやっていて、明らかにリトル・フィートとは違う音楽観だった。
 ただ、その時にはすでにドラッグに侵されていたようで、個人的には正確な判断力も失われていたのではないかと思っている。そして、残念ながらローウェル・ジョージは、帰らぬ人となってしまったのだ。Lowell_george2_2013144c
 なので、残されたメンバーは、追悼盤の「ダウン・オン・ザ・ファーム」を発表した後、本当に解散してしまったのだが、1988年には再結成して、メンバー・チェンジを繰り返しながら現在もなお活動を続けている。

 それで、今回のお題は彼らのライヴ・アルバムなのだ。1978年の発表だから、ローウェル・ジョージの中では、これを機にバンド活動に一区切りをつけるというか、バンドの解散も視野に入れていたのだろう。

 そのライヴ・アルバム「ウェイティング・フォー・コロンブス」であるが、1978年のオリジナル・レコードでは2枚組だった。
 その後、80年代後半にCD化されたときは、1枚組になっていて、しかも全14曲74分で、レコードと比べて"Don't Bogart That Joint"、"A Apolitical Blues"の2曲がカットされていた。

 自分はもちろん所有していたのだが、レコードの方は持っていなかったので、何とか完全盤を聞きたいとかねてから思い続けていて、しばらくはそれを購入する機会をうかがっていた。
 そして、2008年に念願かなって完全盤が発表されたのだ。しかも驚くなかれ、リマスターされたうえでの2枚組、全27曲、合計約138分に増量されていて、最初のCDに比べて約2倍近くにも膨れ上がっていた。51xqyoglawl
 これはもうロック・ファンなら即購入すべきものであり、実際に購入しようと思ったのだが、3780円もするものだから、アマゾンで調べて少しでも安い中古盤を探し出してきて購入した。貧乏性は変わらない。
 しかも、未発表曲が10曲も含まれていて(ただしそのうちの3曲は1981年のベスト盤「軌跡」に収録されていた)、これはもう自分にとっては、マスト・バイ・アイテムなのである。

 そしてまたこのアルバムは、1977年のライヴ公演から収録されていて、ロンドンの当時のハマースミス・オデオンとワシントンD.C.のジョージ・ワシントン大学内にあるライズナー・オーディトリアムでの演奏が収められていた。
 また、タワー・オブ・パワーのホーン・セクションが全編にわたってバックアップしていて、迫力のある演奏とキレのあるリズムを堪能することができる。

 これはもうロック史の中でも10本の指の中に入るライヴ・アルバムだと思っているし、全盛期の彼らの様子を知るだけでなく、今でも十分に通じる最高でファンキーなロックン・ロール・ショウを味わうことができるのだ。

 1曲1曲が彼らの極上の代表曲であるとともに、それらが27曲もあるのだから、これはもうお腹いっぱい、目の前で実際にライブが繰り広げられているような錯覚に陥ってしまう。
 特に、ローウェル・ジョージのスライド・ギター、ビル・ペインのR&B感覚に満ちたキーボード・プレイ、リッチー・ヘイワードのパワフルなドラミング、そんな彼らが一丸となって演奏するから、悪かろうはずがない。そんな素晴らしいライヴ・アルバムなのだ。

 ところで、彼らのアルバム・ジャケットは、1972年の「セイリン・シューズ」以来はネオン・パークという人が主に手掛けていて、一般的にはこのアルバム・ジャケットの描かれている“ハンモックで揺られるトマトがコロンブスを待っている”というアルバム・ジャケットがアルバムのタイトルと結びついていると言われている。51ldqlr8yzl_2
 だから何なんだと言われるかもしれないが、いろいろと他にも解釈の余地があるというところに、彼らのアルバム・ジャケットの魅力みたいなものもあるのだろう。

 というわけで、もしあなたがアメリカン・ロックの、特にニューオーリンズ・サウンドやR&B、それらのミクスチャー・ロックなどが好きなら、ぜひ一度はこのライヴ・アルバムに耳を傾けた方がいいと思う。彼らは、いまのレッド・ホット・チリ・ペッパーズの元祖かもしれないのだ。

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2018年10月29日 (月)

レオン・ラッセルのライヴ

 さて10月も最後の週になった。今月も台風が来たり、地震があったりと天変地異も相変わらず起こり、落ち着かない1か月だった。人知でどうにもならないものは、どうあがいても仕方がない。しばらくは自分の好きな音楽に耳を傾けて行こうと思っている。

 さて、“レコードの時はショボかったけど、CD化されてお買い得になったアルバム”のシリーズ第7弾は、場所をアメリカに移してアメリカン・ロックの中から探してみたいと思う。
 とりあえず最初は、前回のエリック・クラプトンも夢中になったアメリカ南部の音楽から始めようと思い、やはりこの人は外せないよなあということで、レオン・ラッセルの登場である。0ad94b681b2b69e16d00d57fe73b41ea
 レオン・ラッセル本人については、昨年秋のスワンプ・ロック特集で扱ったので詳細は省くことにした。それで数ある彼のアルバムの中から、1974年に発表された「ライヴ・イン・ジャパン」を取り上げようと思う。“レコードの時はショボかったけど、CD化されてお買い得になったアルバム”というテーマに相応しいと思ったからである。

 このアルバム「ライヴ・イン・ジャパン」は、1973年の来日時に日本武道館でライヴ・レコーディングされたもので、当時は日本国内でのみの発売であった。
 レオン・ラッセルの初来日は、ハワイ、オーストラリア、ニュージーランド、香港を含む“極東ツアー”の一環だったようで、日本武道館では11月8日と9日の連続公演だった。レコードには、11月8日の音源が使用されている。51k1yxyxk4l
 1974年に発売されたLPレコードでは9曲が収められていて、約43分程度のレコードの収録時間に合わせて選曲されていた。それでも曲順はほぼ当日の演奏順になっている。ちなみに曲順は、次のとおりである。

1.Heaven
2.Over the Rainbow/God Put a Rainbow
3.Queen of the Roller Derby
4.Roll Away the Stone
5.Tight Rope
6.Sweet Emily
7.Alcatraz
8.You Don't Have to Go
9.A Song for You/Of Thee I Sing/Roll in My Sweet Baby's Arms

 とにかく一聴しただけで分かった、これは教会のゴスペル大会であると。ロック・ミュージックなかんずくスワンプ・ロックというのは、まさに黒人霊歌といわれるゴスペル・ミュージックだった。このアルバムを聞いて、あらためてこのことを認識した次第である。

 1曲目の"Heaven"という曲の作者は、レヴァランド・パトリック・ヘンダーソンという人が書いていて、彼は当時の“シェルター・ピープル”の一員だった。
 彼の演奏するピアノと3人の女性のコーラスから始まり、途中からレオン・ラッセルが登場し、パトリックが弾くピアノの上に上がり、おもむろにギターを演奏するという演出だったようだ。確かに途中から拍手が再び起こるので、その時にレオン・ラッセルが登場したのだろう。

 この3人の女性ボーカルは“ブラック・グラス”と呼ばれていて、この極東ツアーの時に選ばれたメンバーで、聖歌隊で歌っていた人たちだった。また、パトリック自身もオーディションを受けてピアノ奏者として参加していた。彼は元々は、テキサス州ダラスの聖歌隊のピアノ奏者とスタジオのセッション・プレイヤーだった。

 次のゴスペル調にアレンジされた“オズの魔法使い”で有名な"Over the Rainbow"とレオン・ラッセル作曲の"God Put a Rainbow"は"Rainbow"つながりで選ばれたのだろうか。レオン・ラッセルよりもブラック・グラスの方が絶対に目立っていると思う。完全なゴスペル・ナンバーである。

 3曲目の"Queen of the Roller Derby"から、やっとレオンの真骨頂が発揮されてくる。ここから次の"Roll Away the Stone"、"Tight Rope"までは全盛期のレオンの歌声やピアノ演奏を聞くことができる。ほとんどメドレーといっていいほど、繋がっているからだ。
 ただ残念ながら、"Tight Rope"がフェイド・アウトされていたのが残念だった。たぶんここまでが、当時のレコードのA面だったのだろう。

 レオンの歌声は、何となくミック・ジャガーに似ていると思う。決して美声ではなく、また上手でもないが、言葉の区切り方や歌い方、間の取り方などがミックに似ていて、「バングラディッシュ・コンサート」で、なぜレオン・ラッセルが"Jumpin' Jack Flash"を歌ったのかが何となくわかった。Leonrussellheaven1974ab
 後半は、“ウエスト・コーストの歌姫”エミルー・ハリスのことを歌ったバラード曲の"Sweet Emily"から始まる。
 続くレオン流のハード・ロックである"Alcatraz"では、このツアーからメンバーになったギタリストのウェイン・パーキンスのリード・ギターを聞くことができる。彼は一時ミック・テイラーの後釜としてザ・ローリング・ストーンズの加入を打診されていたギタリストでもあり、ストーンズのアルバム「ブラック・アンド・ブルー」にもクレジットされていた。ここでも歪みのある流麗な演奏を聞くことができる。

 8曲目の"You Don't Have to Go"は、1950年代から60年代にかけて活躍したアメリカのブルーズ・シンガーのジミー・リードの曲で、レオン・ラッセルのお気に入りの曲でもある。初期の彼のライヴでは必ずと言っていいほど歌われていたミディアム調の曲だ。

 最後の曲は3曲のメドレー形式で構成されていて、アカペラで"A Song for You"のサビの部分を短く歌った後、アップテンポの"Of Thee I Sing"が始まる。ここでもまたゴスペル大会だ。レオンとコーラス隊の“コール&レスポンス”が繰り広げられる。
 この3曲のメドレーはアンコール部分にあたるので、途中実際に演奏された数曲がカットされている。まさか"You Don't Have to Go"が本編最後の曲とは思えないから、もっと盛り上がる曲で最後を締めているはずだ。やはり当時のレコードでは、これが精一杯の収録だったのだろう。

 アンコール最後の"Roll in My Sweet Baby's Arms"は、アメリカのカントリー・シンガーでギタリストのレスター・フラットという人の曲で、ここでもウェイン・パーキンスのギターが目立っている。この曲もレオンのフェイヴァリット・ソングのようで、その後もカントリー・アルバムの中やライヴで歌ったりしている。

 ここで終わってしまうと、今回のテーマ“レコードの時はショボかったけど、CD化されてお買い得になったアルバム”に適さない。
 実はこのCD「ライヴ・イン・ジャパン」は世界初CD化であり、「ライヴ・イン・ジャパン」というタイトルとは裏腹に、ボーナス・トラックとして7曲のライヴ曲が収められていたのだ。51wj23e2qal
 その7曲が違う日時の日本公演のものならまだ整合性があるが、実際は1971年4月22日のアメリカテ、キサス州ヒューストンでのライヴ曲なのである。果たしてこれで「ライヴ・イン・ジャパン」と言い切っていいのかどうなのかが問われると思うのだが、アルバム・タイトル名は「ライヴ・イン・ジャパン」だった。

 まあファンから見れば、曲数も増えているし、しかも絶頂期のレオンのライヴを体験できるのだから、これはこれでいいのかもしれないが、もう少し正確に、例えば「ライヴ・イン・ジャパン'73&ヒューストン'71」としてもよかったのではないだろうか。
 ちなみに、このCDを車のCDデッキに入れると、「Leon Live '71-'73」と表示され、決して「ライヴ・イン・ジャパン」とは表示されなかった。確かにこれは、適正な表示かもしれない。

 だけど一番いいのは、「ライヴ・イン・ジャパン」の完全盤と「ライヴ・イン・テキサス(ヒューストン)」の完全盤を発表することだろう。それぞれ2枚組ぐらいにはなるだろうし、レオンの音楽を愛するファンならきっと購入するに違いない。

 日本のファンにとってみても、確かにヴォリュームアップになった「ライヴ・イン・ジャパン」は朗報だろう。でも曲のダブりもあるし、ライヴの熱気を1枚のCDに収めるのにも無理がある。日本武道館でのライヴの興奮を最初から最後まで味わいたいと思うのは、みんなに共通した感情ではないだろうか。

 ちなみに7曲のボーナス・トラックは次のようなものだった。

1.Alcatraz
2.Stranger in A Strange Land
3.Superstar
4.Roll Over Beethoven
5.Blues Power/Shoot Out on the Plantation/As The Years Go By/The Woman I Love
6.Jumpin' Jack Flash
7.Of Thee I Sing/Yes I Am

 見てわかるように、5曲目と7曲目はメドレー形式で流されている。また、この音源は世界初のお目見えだそうで、未発表ライヴ音源だった。
 ほとんどがおなじみの曲なので解説は必要ないと思うが、5曲目のメドレーでの最後の曲"The Woman I Love"の作曲者は、この当時の“シェルター・ピーポル”のメンバーでシンガー兼ギタリストのドン・プレストンだった。

 ただ、こうやって録音時の違いはあるとはいえ、日本とアメリカのライヴ演奏を聞き比べてみると、何となくアメリカの音源の方が迫力があるような気がするのだが、これは気のせいだろうか。

 いろんな意味で、楽しめるレオンのライヴ・アルバムである。彼の1973年の当時3枚組レコードだった「レオン・ライヴ」の陰に隠れて目立たないライヴ・アルバムだが、自分としてはお買い得なアルバムだと思っているのである。

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