2018年4月30日 (月)

21世紀のZZトップ

 さて、今月はZZトップについて記してきた。こんなに長く続けるつもりはなかったのだけれど、つい勢いに任せて書き綴ってしまった。
 熱狂的なZZトップ・ファンから見れば、物足りないだろうし、もっとよく知りたい人にとっては、中途半端な情報にしかならなかっただろうが、今回でとりあえず区切りをつけることにしたので、お許し願いたい。Zz
 さて、2000年代に入ってからのZZトップは、結成30周年記念のツアーを行っていて、アメリカ国内はもとより、オーストラリアやニュージーランドの英語圏を始め、ヨーロッパ各国において活動を続けていた。

 2002年に入ると、バンドはヒューストンにある自分たち所有のアルバムに集まり、新しいスタジオ・アルバムの制作に取り掛かった。そして翌年発表されたのが14枚目のスタジオ・アルバムである「メスカレロ」だった。61slnlaj0l
 アルバムのタイトルは、かつてテキサス州近辺に住んでいたネイティヴ・アメリカンのことを指していて、彼らは11月の1日と2日の2日間に、死者に弔意を示すと同時に、生前の姿を偲ぶという風習を持っていた。日本でいうところの“お盆”みたいなものだろう。だから、アルバムジャケットにも、ドクロ姿の人が手に飲み物を持って立っている。

 ひょっとしたら、バンド結成30年を過ぎて50歳代半ばを迎えた彼らもまた、過去の有名無名のミュージシャンやバンドに敬意を表すとともに、自分たちもやがては伝説化していくに違いないという自覚や自負もあったのではないだろうか。

 このアルバムには、通常の楽器だけではなく、アコーディオンやマリンバ、ペダル・スティール・ギターやハーモニカなども使用されていた。
 だからアルバム・タイトルからも想像できると思うのだが、このアルバムには地元テキサスやメキシコの音楽“テックス・メックス”、それにカントリー・ミュージックの影響が強く出ていて、通常のロック・アルバムとは少し違った印象を受けた。

 それだけ彼らの地元愛というか、自分たちを育んでくれた郷土テキサスやその風土、環境への愛情や憧憬などが込められているのだろう。まさにZZトップが地元のファンのために、ファンの皆さんと一緒に作り上げましたよとでもいいそうな、そんな感触が伝わってくるのだ。

 アルバムの冒頭は、"Mescalero"で始まる。この曲には全編にわたってマリンバが使用されていて、曲のエンディングにはソロまで用意されていた。
 このマリンバを演奏しているのは、無名の親子のメキシコ人ミュージシャン?で、たまたま彼らが昼食をとっていたレストランで演奏をしていたのを気に入って、レコーディングに招いたらしい。この親子は、他の曲("Que Lastima")でも演奏している。

 アコーディオンは3曲目の"Alley-Gator"で使用されている。この曲はワニの“アリゲーター”ではなくて、それを“アレイ・ゲイター”と譬えているようで、通りに立っている門番みたいな恐ろしい彼女のことを歌っている。

 それからペダル・スティール・ギターは、ブギー調の"Back Nekkid"やスロー・バラードの"Going So Good"で使用されている。
 特に、"Going So Good"はお涙頂戴の典型的な泣きのバラードで、久しぶりにバラードで泣ける曲を聞いた感じがした。この曲を聞くためにアルバムを購入してもおかしくないだろう、もちろん中古盤なら即買いだ。

 ギタリストのビリーがエンジニアのジョー・ハーディとゲイリー・ムーンの2人で書いた曲が6曲目の"Me So Stupid"というミディアム・ロック調の曲で、バックの“うぅっ、うぅっ”というコーラスというか囁きが面白い。

 また、スペイン語で歌われる"Que Lastima"は日本語で“残念だ”、“お気の毒に”という意味らしい。この曲には先にも述べたようにマリンバやハーモニカなどが使用されていて完全にスペイン歌謡になっている。

 さらに13曲目の"Tramp"というどこかの誰かと同じ名前のような曲は、1967年の古いブルーズ曲を録り直したもので、アルバム唯一のブルーズになっている。70年代はこういう曲が何曲もアルバムに収録されていたのだが、今は逆に珍しいといえるだろう。

 他にも爆音ハード・ロックの"Piece"、"Two Ways To Play"、80年代のコンピューターを導入した曲の感触に近い"Stackin' Paper"、"Crunchy"、ZZトップ風ポップ・ソングの"What Would You Do"等々、かなりバラエティに富んだ作りになっていて飽きさせない。5144tvx5gll
 しかもこのアルバムは曲数が多くて16曲(国内盤は17曲)も収められており、結構なボリュームなのである。時間にして1時間以上もあるし、とにかく自分たちがやりたい音楽をやりましたよという感じだった。

 ちなみに、隠しトラックとして、映画「カサブランカ」の中でも歌われた“時の過ぎゆくままに”("As Time Goes By")が収められていたが、これは国内盤だけでなく輸入盤でも歌われているのだろうか。

 そのせいか、久しぶりにこのアルバムは、ビルボードのアルバム・チャートで57位まで上昇した。それでも全盛期の成績から見れば、満足できるものではなかっただろう。
 それに、国内盤の配給については、このアルバムが最後になってしまった。アメリカでもRCAレーベルからユニヴァーサル傘下のアメリカン・レコーディングスというマイナーなレーベルに移っていた。心機一転というつもりだったのだろうか。

 さて、「メスカレロ」から約9年たって、彼らは15枚目のスタジオ・アルバム「ラ・ヒュートゥラ」を発表した。この間彼らは、2004年にはロックの殿堂入りを果たしているし、その後はベスト盤やライヴ盤を定期的に発表していた。
 このアルバム「ラ・ヒュートゥラ」はスペイン語で「未来」という意味である。ビリーは、“過去と現在を混ぜ合わしてできた結果、「未来」になった”と言っている。

 これは、昔のシンプルでブルージーなロックン・ロールと現代テクノロジーの影響を受けた音楽とを融合して、これからも新しいロックン・ロールを目指していこうという趣旨だと思われる。81hlmlmsp3l__sl1400_
 実際に、このアルバムのプロデューサーは、ビリーとともにあのリック・ルービンがあたっている。リック・ルービンといえば、アデルやジョニー・キャッシュからレッチリまで、洋の東西を問わず、数多くのミュージシャンやバンドから支持されている超有名プロデューサーである。そんな彼がZZトップとタッグを組んだのだ。これが悪かろうはずがない。

 1曲目の"I Gotsta Get Paid"は"25 Lighters"という曲のカバーで、ヒップホップの曲だと思われる。オリジナルはDJ.DMDという人の手によるもので、アルバート・ジョセフ・ブラウンⅢというミュージシャンも曲作りに参加していた。

 続く、"Chartreuse"はフランス産のシャンパンのことで、フランスでのライヴの時に楽屋に置かれていたものだ。メンバーたちが大変気に入っていたという逸話がある。
 この曲のリフは、レインボーの名曲"Long Live Rock'n'roll"とそっくりで、ひょっとしたらパクったのではないかと思ったほどだった。ただ、メロディー自体は全く違うので、訴えられることはないだろう。

 このアルバムの特徴は、10曲しか収録されていないこと。つまり昔の、70年代のフォーマットに戻ったということだ。しかも最初の3曲は、曲間がほとんどないから次々と曲が流れてきて、疾走感がみなぎっている。冒頭の3曲は本当に素晴らしい。
 さすがリック・ルービン、こういうところでも彼らの魅力を上手に引き出しているのだろう。やはりグラミー賞受賞プロデューサーは違うのだ。

 そして疾走感のある3曲の次には、渋いスロー・バラードの"Over You"が続く。この辺の押しと引きのバランスの良さなども、リックの手腕だろう。ただ何となくこの曲は、ブラック・サバスの"Solitude"に似ていた感じがした。

 続く"Heartache in Blue"はブルージーでミディアム・テンポの曲。ハーモニカも使用されていて、昔の曲を焼き直したような感じがした。こういう“古くて新しい”感触が、このアルバムの決め手なのだろう。だから、ビリーが述べたように過去と現在を融合して新しいものを生み出そうとしていたと言っていたのは、このことだったのかもしれない。

 とにかく音がクリアでシンプル、無駄のないプロデュースだと思う。"I Don't Wanna Lose, Lose, You"はシンプルだからこそカッコいいし、"Flyin' High"などは、AC/DCのようでスリム化して耳に残りやすい。

 同じスロー・バラードでもこちらの"It's Too Easy Manana"は力強く美しい。このアルバムの成功した原因は、リック・ルービンのおかげもあるが、外部ライターのサポートもあったからだろう。
 このバラードは、元はデヴィッド・ローリングスとギリアン・ウェルチという人の曲で、歌詞の一部をビリーが書き換えている。

 "Over You"と"I Don't Wanna Lose, Lose, You"はビリーとトム・ハムブリッジというミュージシャンとの共作だし、"Heartache in Blue"もトレイ・ブルースというカントリー・ミュージシャンとのものだった。

 全10曲中、ビリーひとりで作った曲は、3曲目の"Consumption"と最後の"Have a Little Mercy"の2曲だけで、あとは外部のミュージシャンや、以前も共演したエンジニアのゲイリー・ムーンなどとの制作だった。611gezbsvil
 そういう変化というか、外部からの力を借りつつも、自ら本来の音楽性に立脚した楽曲を提供することに成功して、見事このアルバムは、全米ビルボードのアルバム・チャートで6位まで上昇した。
 全米チャートで10位以内に入ったのは、1990年の「リサイクラー」以来、22年振りの出来事だった。また、イギリスでも久しぶりにアルバム・チャートに登場し、29位を記録している。復活の手ごたえ十分なアルバムになった。

 国内盤の配給は打ち切りになったものの、アメリカでは久しぶりに大成功したアルバムである。結成40周年を過ぎてもなお彼らには、このアルバムのタイトル通りに、「未来」はまだ大きく横たわっているに違いない。

 というわけで、アメリカの“至宝”ともいうべきZZトップの歴史をたどってきた。外部ライターの手を借りるなど、様々な方法を駆使して彼らはまだまだ生き延びていくだろう。結成50周年の来年には、記念のアルバムか何かが発表されるに違いない。彼らは、もはやアメリカの国民的ロック・バンドのひとつなのである。

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2018年4月23日 (月)

90年代のZZトップ

 さて、前回からの続きで、今回は90年代のZZトップである。1990年に発表された「リサイクラー」は、「テクノ3部作」の最後の作品としてだったが、その前のアルバム「アフターバーナー」よりは、テクノ色は幾分抑えられていて、むしろ70年代の原点回帰というような印象が強かった。

 個人的には、このアルバムから彼らと距離を置くようになってしまい、彼らの「グレイテスト・ヒッツ」を購入したあとは、しばらく音信不通になっていた。売れすぎてしまって興味が薄れてしまったのだ。81zufgipjnl__sl1425_
 何しろ「イリミネイター」だけでも全世界で1000万枚以上売れたというし、「アフターバーナー」は初回発売だけで200万枚以上の予約オーダーがあった。つまり予約だけでダブル・プラチナ・ディスクの認定を受けたということで、この時期の彼らの人気がいかに高かったかが分かると思う。
 その「アフターバーナー」もアメリカ国内だけで500万枚以上売れたし、「リサイクラー」も100万枚以上売れている。この時期のZZトップは、まさに向かうところ敵なしだっただろう。

 そんな彼らが、1992年にレーベル会社をワーナーブラザーズからRCAに移して、ニュー・アルバムの制作を開始した。理由は定かではないが移籍金が3500万ドルということだったから、経済的な意味合いが強かったのだろう。

 そして、1994年に「アンテナ」という11枚目のスタジオ・アルバムを発表した。これはアルバム内にある"Antenna Head"という曲名から引用されたもので、彼らにとっては曲名をアルバム・タイトルにした初めてのアルバムになった。612mhkcuol
 全11曲(国内盤は12曲)で構成されていて、テクノ路線はすっかり後退していて、ハード・ロック寄りになっていた。それは冒頭の"Pincushion"を聞けばわかると思う。ビリーのギターもフィーチャーされたノリのよい曲だ。イギリスのシングル・チャートでは15位を記録している。

 続く"Breakaway"はギターのエフェクターを効かせたスローな曲で、ブルーズの影響がうかがえるし、"World of Swirl"もミディアム調の、思わず体が動いてしまいそうな曲だ。70年代のZZトップがハード・ロック路線に走ったらこうなりましたというような曲だった。

 このアルバムには4分台の曲が多くて、11曲中8曲が4分台だ。残りは3分台が1曲、5分台の曲が2曲含まれていた。そのうちの"PCH"という曲は幾分ポップな香りを漂わせていて、時間的にも3分57秒と4分以内になっていた。
 また、"Cover Your Rig"はスロー・ブルーズで、5分49秒とアルバムの中では一番長い曲だ。ビリー・ギボンズのギターも多重録音されていて、伸びのある艶やかな音色を出している。

 このアルバムは、全米14位、全英で3位とセールス的にも申し分のない結果を残している。まだまだZZトップの魅力は衰えないぞとでもいいそうな力のこもった内容だったからだろう。また、MTVの影響力に対してラジオの復権を強く訴えているところもあり、全米のラジオ局は喜んでこのアルバムをリスナーに届けたことも影響したに違いない。

 これは余談だが、ジャーニーというバンドも「レイズド・オン・レディオ」というアルバムを1986年に発表していたが、ラジオで育った世代には音楽状況の変化に対して共通した思いがあったのだろう。ZZトップも同じ意識だったに違いない。

 このハード路線は続く1996年のアルバム「リズミーン」でも継承されていて、前作以上に音圧も高く、ギターもギンギン鳴っていた。
 特に、アルバムの最初の3曲"Rhythmeen"、"Bang Bang"、"Black Fly"は強力で、70年代のハード・ロックとR&B風のリズムのハイブリット型を提示しているようだ。
 それにただ単に音がハードだけではなくて、リフ主体の曲作りに間奏のギター・ソロとAメロ、Bメロ、サビのブリッジというスタイルもまた昔を知る者には郷愁を感じさせてくれるのである。512atvn6mrl
 また、"What's Up With That"は、ミディアム・テンポのブルーズ・ロック系で、これもまた聞き捨てならない曲だ。曲間のハーモニカはジェームズ・ハーマンという人が吹いているし、この曲自体が、ビリーだけでなくマック・ライスやルーサー・イングラムという昔のR&Bシンガーやソングライターとの共作だった。だから70年代のような昔の匂いがプンプン漂ってくるのであろう。

 そういえば、9曲目の"My Mind is Gone"には曲作りにスティーヴィー・ワンダーという名前が記載されていたが、あの盲目の天才スティーヴィー・ワンダーのことだろうか?
 他にはエンジニアのジョー・ハーディーやアシスタント・エンジニアのゲイリー・ムーンなども参加していたが、バリバリのハード・ロック・サウンドなので、そんなにメロディアスでもなくファンキーでもなかった。とてもスティーヴィー・ワンダーが参加していたとは思えないほどの重たいサウンドだ。

 他にもスロー・ブルーズの"Vincent Price Blues"やジョージ・クルーニーやクゥエンティン・タランティーノが出演した1996年のホラー映画「フロム・ダスク・ティル・ドーン」に使用された"She's Just Killing Me"、往年のノリの良さを感じさせる"Loaded"、ブルーズの影響を感じさせる"Prettyhead"など、聞きどころの多いアルバムに仕上げられている。

 ただ残念ながら、チャート的には全米で29位、全英で32位と、前作よりはあまり振るわなかった。時代の流れは、こういうハードなギター・サウンドを求めなくなっていて、わずか10年ほど前は全米を熱狂させていたとは思えないほど、徐々にその人気を失いつつあった。

 それから約3年後の1999年に、彼らは90年代では最後となるアルバム「XXX」を発表した。このタイトルは、デビューから30周年を表していて、英語ではなくローマ数字を意味していた。だから本来は“トリプルエックス”と読むのは間違っていて、“サーティ”が正しいと思うのだが、どうだろうか。

 このアルバムの素晴らしいところは、デビュー以来一貫して変わらない彼らの姿勢である。ブルーズに影響されながらも時代の流れやその時の流行を巧みに取り入れながら、ハードでノリのよいブギー・ロックを奏でている。51hv3dvvltl
 しかも、デビュー以来メンバー・チェンジのない不動の3人組で音楽活動を続けているという点も、古くて新しいZZトップ・サウンドの要なのだ。

 ただ、このアルバムではデビュー以来の付き合いだったプロデューサーのビル・ハムが参加していない。前作が最後のプロデュース作品になったわけである。ただそんなに大きな変化は見られない。基本はギタリストのビリーがプロデュースしているので、ギターがフィーチャーされている気がした。

 例えば、4曲目の"36-22-36"にはエフェクトかけまくりのギター・ソロが展開されているし、同じくシングル・カットされた"Fearless Boogie"もダビングされたギター・サウンドが強調されていた。
 また、"Made into a Movie"は典型的なスロー・ブルーズだし、しかもことさらギターが盛り上げようとするところなどは、わかっていても感動してしまったりする。

 個人的には2分48秒と短い"Beatbox"や流行りのEDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)とブギー・ロックが融合したような"Dreadmonboogaloo"などが面白いと思ったのだが、彼らのこのアルバムでの新趣向は後半のライヴ4曲だったようだ。

 ただ、この方法論は1975年の傑作アルバム「ファンダンゴ!」で試されていて、今回はそれを踏襲した形になっている。しかもこのアルバムには最初のライヴ曲の前に、30秒余りのMCによるバンド紹介から始まっていた。

 このMCは13歳からラジオのディスクジョッキー(昔はそう呼ばれていたのだ‼)を始めたという伝説のMCのロス・ミッチェルという人で、そこからアルバム「アンテナ」の中に収められていた"Pincushion"の別バージョンの"Sinpusher"、あのエルヴィスも歌った名曲"Teddy Bear"、"Hey Mr. Millionaire"、"Belt Buckle"と続いていく。

 しかも"Hey Mr. Millionaire"にはジェフ・ベックがボーカルを分け合って歌っているから、ファンにはたまらない。客席も大盛り上がりの様子が伝わってくる。ハーモニカ奏者も加わって非常に楽しそうに演奏しているのだ。

 久しぶりにスタジオ曲とライヴ音源をミックスしたアルバムを発表したのだが、“柳の下の二匹目のドジョウ”はいなかったようだ。
 個人的には大好きなアルバムなのだが、アメリカのアルバム・チャートでは100位、イギリスではチャート・インもしなかった。

 レーベル会社のRCAのプッシュが足りなかったのか、はたまた時代と合わなくなってきたのか、それともデビュー以来の盟友ビル・ハムの不在のせいだろうか、恐らくそれらの複合的な理由のせいなのだろうが、セールス的には失敗してしまった。

 ただ、ビル・ハムは「ローン・ウルフ・プロダクション」を設立して、様々なミュージシャンのプロデュースやマネジメントを手掛けているから、ZZトップと完全に関係を絶ったというわけではなかったようだ。

 このように90年代のZZトップは、音楽的な水準は決して衰えてはいなかったのだが、80年代の反動か、自ら追い求める音楽と時代の求める音との乖離からか、セールス的には下降していった。

 しかし、彼らの根強いファンは、決して彼らのことを見捨てることはなく、どこまでも彼らのことを追いかけていった。流行に左右されない不変の音楽性がそこにあったとともに、セールスの結果に左右されないファンとミュージシャンの理想的な姿もそこに存在していたと思う。2cbfe47807f74445a6fb4b2689a1bbc6
 この時、ビリー・ギボンズとダスティ・ヒル、フランク・ビアードの3人は全員ともに50歳。まだまだキャリアの追及は、終わっていなかったのである。

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2018年4月16日 (月)

80年代のZZトップ

 さて、ZZトップはまだまだ続く。今回は80年代の彼らのアルバムについて調べてみた。80年代に入って最初に発表されたアルバムは、1981年の「エル・ロコ」だった。71stbfw9t0l__sl1102_

 これは彼らにとって7枚目のスタジオ・アルバムにあたり、80年代に隆盛を迎える彼らの人気のプロローグを飾ったアルバムだった。
 このアルバムを聞いたときに思ったのは、今までのブルーズ臭のする楽曲が目立たなくなったということだった。

 冒頭の"Tube Snake Boogie"は相変わらずのブギー調の曲で、安心して聞くことができる。こういう曲を聞きながら、春の花が咲いているドライブコースを運転すれば、ご機嫌というものだろう。ディストーションのあまりかかっていないシンプルなギター・ソロが余計にかっこよく聞こえてくるから不思議なものだ。

 続く、"I Wanna Drive You Home"はミディアム調のブルーズ・ロックで、これもまた予定調和的な音楽だ。次の"Ten Foot Pole"ではエフェクターのかかったギターが印象的だった。後半のギター・ソロをもっと聞きたいと思うのだが、ビリーのギター演奏は上図なのに、いつもフェイド・アウトしてしまうような気がする。

 意外だったのは、4曲目の"Leila"だった。曲名からして、クラプトンの名曲を思い出させてくれるのだが、これがなんとまあ、超ポップな曲なのである。
 何しろスティールギターがフィーチャーされていて、70年代後半のウエストコースト風に仕上げられている。ビリーの声までソフト&メロウな感じで、シャウトすらしていない。今までのZZトップの曲から見れば、ちょっと異質な感じがしてならない。81kur02kz2l__sl1272_
 5曲目の"Don't Tease Me"では再びZZトップの音楽観を耳にできるのだが、次の"It's So Hard"では、70年代後半のイーグルスやポコのようなミディアムスローの曲になっていて、またまたビックリした。
 曲自体は悪くないのだが、何というか最初からヒットを狙っているような、あるいは、ナイトクラブで演奏されるような、そんな感じの曲なのである。

 そして"Pearl Necklace"もまたちょっと違う感じがしていて、これはチープ・トリックやカーズのようなポップ・ロックのバンドが演奏する曲だと今でも思っている。
 ちなみにビルボードのシングル・チャートでは、"Leila"が77位、メインストリームロック・チャートでは、"Pearl Necklace"は28位だった。

 一番の問題作は、2分44秒の"Groovy Little Hippie Pad"だろう。この曲に初めてシンセサイザーが使用されたからだ。正確に言えば、前作の「皆殺しの挽歌」でも少しだけ使用されていたので、初めてとは言えないのだが、でも曲全体に目立つように使用されたのはこの曲が初めてだろう。
 これはこの時のプロダクション・エンジニアだったリンデン・ハドソンのアドバイスによるもので、当時の流行りを取り入れたことと、それによって曲やアルバムが目立つことを狙ったものであった。

 そのせいか、このアルバムは、チャートで17位まで上昇して、ゴールド・ディスクを獲得した。イギリスでも88位に顔を出して、これは1975年の「ファンダンゴ!」以来のチャート・インになった。ちなみに、「エル・ロコ」とは“気のふれた人”という意味のスペイン語らしい。

 ただ、個人的にはどうしても受け入れ難かった。今までのブルーズ・ロックやブギー調の曲は、悪くいえば、どこを切っても金太郎飴っぽいワン・パターンに陥りやすかったが、それでもZZトップならではの個性的で、ノリのよい雰囲気の曲が多く、個人的に大好きだった。

 それが、急にシンセサイザーで色づけたり、ウエストコースト風のAOR軟弱路線に走ったような気がしたのだ。バラエティに富んでいると言えば聞こえはいいが、昔からのファンには方向転換したと思ったのではないだろうか。

 そんな考えを見事に吹き飛ばしたのが、1983年の「イリミネイター」だった。このアルバムは売れに売れた。どのくらい売れたかというと、当時のアメリカだけで650万枚以上、今では1000万枚以上の売上げを記録しているし、アルバム・チャートでは全英3位、全米9位、アルバム・チャート内に135週以上にわたって留まっていた。約3年近くチャート・インしていたことになる。91hxfcfciol__sl1500_

 この大ヒットのおかげで、彼らはアメリカのバンドから世界的に有名なバンドへと成長していった。
 皮肉にもヒットの要因は、ZZ風シンセサイザーやドラム・マシーンの活用、もしくはテクノ風ZZトップの曲が新鮮に響き、それまでのファンのみならず、新しいファン層の開拓にも成果があがったからだ。

 このアルバムからは5曲がシングル・カットされ、特に、1984年に発売された"Legs"には、一聴してわかるようにシンセサイザーやシーケンサーが使用されていて、大人も子どもも受け入れていき、これが全米8位にまで上昇してしまった。

 “ブルータス、お前もか”という心境だったのだけれど、でも聞けば聞くほど気持ちよくなってくるのである。ZZトップらしい疾走感というかノリの良さは備わっているし、ギター・ソロも含まれているし、オールド・ファンにも受け入れやすい要素は確かにあった。

 まあ、ZZトップがディスコ・ミュージックにだけは走らなくてよかったと胸を撫で下ろしたのだが、"Legs"や"Thug"、"TV Dinners"などのアルバム後半の曲には、正直、違和感だけは残ったのである。71d3tuzzbl__sl1262_

 そんな彼らが、さらに柳の下の二匹目のドジョウを狙ったのが1985年の「アフターバーナー」だった。
 最初の3曲を聞いただけで、これは売れると思った。実際に、"Sleeping Bag"は全米シングル・チャートで8位、"Stages"は全米21位、"Woke Up With Wood"はメインストリーム・ロック・チャートで18位まで上昇していた。

 それ以外にも、お涙頂戴のバラード"Rough Boy"、タイトル通りのロックン・ロール"Can't Stop Rockin'"、ギターよりもシンセが目立つ"Velcro Fly"、アルバムの最後を飾っている"Delirious"などもシングル・カットされていて、全曲シングル・カットされてもおかしくないと思われるほどのアルバムだった。71w5lxskh0l__sl1400_
 だから目をつぶってZZトップと思わないで聞けば、確かにすごいアルバムだと納得できたし、売れても当然と思ったのだが、これがZZトップだと思うと、何となくもの哀しくなったのである。

 例えて言えば、初めて90125イエスを聞いた時の反応に近いと思う。「危機」や「海洋地形学の物語」を聞いた後で「ロンリー・ハート」を聞くと、どういう反応をするだろうか。往年のファンと新しいファンは、当然そのリアクションは違ってくるだろう。そんな感じなのだ。

 そして、このアルバムもまた売れた。アルバム・チャートでは全英2位、全米4位、ニュージーランドでは3週にわたって1位を記録している。
 確かに当時はこういうシーケンサーを使っての打ち込みやドラム・マシーン系の音楽が全盛期だった。シカゴ、スターシップやハート、a-haなど、当時のチャートの上位を占めていたバンドの楽曲は、たいていこういう傾向を示していた。そういう時代だったのだ。71cwuafsyql__sl1256_
 そして80年代最後のアルバムが「リサイクラー」だった。これは前作から約5年たった1990年に発表された。“シンセ三部作”の最後を飾るアルバムだったものの、前作の「アフターバーナー」よりはシンセサイザー等の使用度が下がっていたため、個人的にはまあまあ気に入っている。

 ただ、このアルバムも売れた。全英アルバム・チャートでは最高8位、全米では6位を記録したし、アメリカではプラチナ・ディスクに認定されている。
 シングルもアルバム10曲中6曲もカットされていて、そのうちメインストリーム・ロックのチャートでは、"Concrete and Steel"、"Doubleback"、"My Head's in Mississippi"が1位を、"Burger Man"が2位を獲得した。91rjnz1pevl__sl1500_
 また、"Doubleback"は映画「バック・トゥ・ザ・フューチャーpart3」の主題歌にも使用され、映画のヒットとともに、シングル、アルバムともに売れるという相乗効果を発揮した。80年代はロック・ミュージックが映画音楽に使用されて映画も音楽も売れるという、わかりやすい傾向があった。ある意味、幸せな時代だったのだ。

 また、このアルバムでは、"Give It Up"のような前作のアウトテイクのような曲はあるものの、以前のような露骨なシンセサイザー等の使用は控えられていたので、オールド・ファンにも受け入れやすかったのだろう。

 同時に、"2000 Blues"のような現代的なスロー・ブルーズも収められていたことから、俺たちのZZトップが戻ってきたぞという感覚があったのだろう。ターニング・ポイントのような少しだけ原点回帰し始めたような雰囲気があった。A14j5zmuxjl__sl1500_
 とにかく、この80年代に、時流に乗ったZZトップ一行は、アメリカのバンドから世界を代表するバンドへと成長していった。それは自分のようなZZトップのファンからすれば、好き嫌いは別として、確かに喜ぶべきことには間違いないのであった。

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2018年4月 9日 (月)

ZZトップ(3)

 久しぶりのZZトップの登場である。最近、このバンドのアルバムを全部手に入れて聞いてみようと思い、徐々に集めてきた。すでに何枚かのアルバムは手に入れていて、このブログでもその感想などを綴らせてもらっている。

 それで今回は、彼らのデビュー・アルバムやライヴ・アルバムを聞いてみようと思って、早速手に入れて聞いてみた。
 本当は「70年代のZZトップ」ということで、発表順にアルバムについて書いてみようと思ったのだが、すでにセカンドやサード・アルバムについては既出しているので、今回は割愛した。

 今回も輸入盤を購入して聞いてみた。詳細についてはよくわからないところもあるのだが、個人的に耳にした音の感想を記しているので、多少異議があってもお許し願いたいと思う。

 その前に、“ZZトップ”という名前の由来について調べた。前々から気になっていたのだ。これはギタリストのビリー・ギボンズのアイデアから来たものである。
 ある時、ビリーが自分の部屋にはっていたミュージシャンのポスターを見ていた時、B.B.キングとZ.Z.ヒルのポスターに目が行った。 

 B.B.キングは有名なので今さら説明するまでもないが、Z.Z.ヒルという人は、テキサス出身のソウル&ブルーズ・シンガーだった人で、50年代後半から活動していたが、人気が出たのは80年代になってからだった。
 ただ残念ながら、1984年に自動車事故による怪我が悪化して亡くなっている。享年49歳だった。

 その2人の名前を合体させて、“Z.Z.キング”という名前を思いついたのだが、それではB.B.キングとあまり変わり映えがしないと思ったようだ。
 それで、『“キング”は頂上を意味しているだろう』と考えて、結局、“ZZトップ”という名前になったのである。

 そんなビリーは、ベーシストのダスティー・ヒルとドラマーのフランク・ビアードと一緒にバンドを結成した。1969年という昔の頃のお話だ。

 そして、プロデューサーのビル・ハムと一緒にアルバムを作り上げた。それが1971年に発表されたデビュー・アルバムの「ZZトップス・ファースト・アルバム」だった。71mr7nisdpl__sl1425_
 これがまた渋いブルーズ・アルバムで、個人的には気に入っている。アルバムはシングルカットされた"Shakin' Your Tree"で幕を開ける。ミディアム・テンポの曲で間奏のギター・ソロがキラリと光っている。

 2曲目の"Brown Sugar"はストーンズのそれとは真逆のテンポの曲で、スロー・ブルーズで始まり、2分後からノリのよいミディアム・ブルーズに変わる。5分32秒と、このアルバムの中では最も時間が長い。これも間奏とエンディングのギター・ソロがカッコいい。決して速弾きではないのだが、的確でノリがよい。ビリーのリズム感が優れているのだろう。

 3曲目の"Squank"と次の"Going Down to Mexico"にはベーシストのダスティーも曲作りに加わっているせいか、ボーカルで参加している。"Squank"にはバックアップ・ボーカルとして、"Going Down to Mexico"ではリード・ボーカルを取っていた。彼の声の方が幾分高く聞こえてくる。

 "Old Man"はカントリー・フレイバー漂うスロー・ブルーズで、多重録音されたスライド・ギターがタイトルのような雰囲気を醸し出している。

 ただこのアルバムは、こういうスローな曲やミディアム・テンポの曲がほとんどで、アップテンポの曲がほとんどというか、まったくない。強いて言えば、最初の曲"Shakin' Your Tree "と最後の曲"Backdoor Love Affair"くらいだろうか。71qsgsnyopl__sl1264_
 だからというわけでもないだろうが、セールス的には今一歩だった。ただ、3人組のシンプルなバンド構成ながら、粘っこいサウンドで注目を集めたのは間違いない。以後、毎年スタジオ・アルバムを発表して、徐々に人気、セールスともに向上していき、3枚目の「トレス・オンブレス」はビルボード8位まで上がって、ゴールド・ディスクを獲得した。

 これで自信を得たバンドが次なる作品として発表したのが、1975年の「ファンダンゴ!」だった。バンドにとって4枚目になったこのアルバムは片面はライヴ音源、もう片面はスタジオ録音による新曲で占められていて、いわゆる変則アルバムになっていた。

 最初の3曲はニューオーリンズにおける1974年4月のライヴ音源から収録されていて、最初の"Thunderbird"と次の"Jailhouse Rock"はカバー曲だった。81mnimbq4sl__sl1425_
 "Thunderbird"という曲は、元はテキサスでは有名だったローカル・バンド、ザ・ナイトキャップスの持ち歌で、ノリノリのパーティー・ソングだ。この曲の著作権をめぐってZZトップとザ・ナイトキャップス側で訴訟問題が起こったが、結局のところZZトップ側が裁判で勝訴した。

 "Jailhouse Rock"はエルヴィス・プレスリーも歌った曲なのでほとんどの人はご存知だと思う。残りの"Backdoor Medley"はオリジナルとカバーのメドレーになっていて、全体で9分25秒になっている。中身はファースト・アルバムの最後に収められていた"Backdoor Love Affair"をベースにして、その間にウィリー・ディクソンの"Mellow Down Easy"と最後にジョン・リー・フッカーの"Long Distance Boogie"が配置されていた。

 後半のスタジオ録音では、軽快でファンキーな"Nasty Dogs And Funky Kings"、レッド・ゼッペリンの"Since I've Been Loving You"のような"Blue Jean Blues"、ギターのカッティングが印象的な"Balinese"などが収められていて、どの曲も個性的で印象的だ。特に、最後の曲"Tush"はシングルカットされて全米19位まで上昇している。

 このアルバムの2006年にリマスターされたバージョンでは、1980年8月のニュージャージーにおけるライヴ音源による曲が3曲収められており、「ファンダンゴ!」のスタジオ録音曲である"Heard It on the X"と"Tush"がボーナストラックとして収録されていた。残りの1曲は"Jailhouse Rock"だった。51ofrhmfml
 確かに彼らのライヴ曲を聞けば、優れたライヴ・バンドということが分かるだろう。ファーストのようなミディアム曲中心の単調さはなく、ホットでエネルギッシュで、素晴らしくノリの良い曲が中心なので、本物のライヴを見てみたくなる。これもデビュー以来、南部を中心にアメリカ中をまわって培ったテクニックや演奏力の結果に違いない。

 彼らは、翌年にはこれまた素晴らしいアルバム「テハス」を発表し、ビルボードのチャートでは17位を記録した。前作の「ファンダンゴ!」が10位だったから、この頃の彼らはまさに第一次のピークを迎えていたことになる。

 それから約3年たって新しいスタジオ・アルバムが発表された。この間、彼らはアルバム「テハス」のプロモーションを兼ねての大掛かりなワールド・ツアー、“ワールドワイド・テキサス・ツアー”を続けた。その後、約3ヶ月にわたる完全休養期間を設けている。だからニュー・アルバム発表までに時間がかかったのであろう。

 そのアルバム「皆殺しの挽歌」は、再びZZトップのメインテーマであるスピードの速い車やゴージャスな女性、愛するテキサスの大地や音楽を反映させたものになっていた。
 タイトルはスペイン語で『虐殺』を意味するようで、これは1836年2月から3月にかけて行われた“アラモ砦の戦い”におけるスペイン軍のかけ声を意味しているという。81qv8ooxwcl__sl1079_
 肝心の内容はというと、これまたブルーズを基盤とした密度の濃いアルバムに仕上げられている。全10曲中、カバーは2曲だがこの2曲がまた素晴らしい。

 アルバム冒頭の"I Thank You"は1968年にサム&デイヴが歌ったもので、原曲はアイザック・ヘイズとデヴィッド・ポーターが手掛けている。スローな曲だが、独特の粘りと引きずるようなリズムが特徴で、非常にカッコいい。

 もう1曲の"Dust My Broom"はロバート・ジョンソンの曲。ビリーの演奏するスライド・ギターがエルモア・ジェイムズ風に演奏されていて、曲がいいから演奏も際立って聞こえてくる。
 それ以外にもシンプルなブギーの"She Loves My Automobile"、曲の途中にギターによる三連符が3回入る"I'm Bad, I'm Nationwide"などの佳曲が多い。

 これら以外にもスローなブルーズの"A Fool for Your Stockings"、語り風の、いわゆる“トーキング・ブルーズ”である"Manic Mechanic"、アルバムから最初にシングルカットされたファンキーな"Cheap Sunglasses"などもあって、どの曲もZZトップ印が付いているような彼らの特徴を示していた。

 それに、最後の曲の"Esther Be the One"は、意外とポップな曲になっていて、これをシングルカットした方がいいような気がした。大ヒットにはならないけれど、ベスト50内には入ったのではないだろうか。81qszdidfnl__sl1238_
 このアルバムから、彼らはレコード会社を移籍していて、当時のワーナーブラザーズから発売されている。大手であるワーナーのプロモーションのおかげで、チャート的には24位だったものの、セールス的にはプラチナ・ディスクを獲得している。ZZトップはアメリカでは押しも押されぬメジャーなバンドに成長したのであった。

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2017年11月27日 (月)

ジェシ・エド・デイヴィス(2)

 11月も最後の週になった。今までデラニー&ボニーを中心として、関連ミュージシャンのアルバムなどを紹介してきたが、今回はとりあえずその締めくくりとして、以前紹介したギタリストのアルバムについて簡単に記したいと思う。

 ジェシ・エド・デイヴィスについては、2007年9月29日に彼の3枚目のアルバム「キープ・ミー・カミング」を中心にこのブログの中で紹介したが、今回はそれから逆に遡って初期の作品を紹介しようと思う。

 初期といっても、彼は生前3枚のスタジオ・アルバムしか残さなかった。豊かな才能を上手に活かすことができなかったのか、それとも生きること自体に不器用だったのか、その辺はよくわからない。

 ジミ・ヘンドリックスもネイティヴ・アメリカンの血を引いていたといわれていたが、ジェシ・エド・デイヴィスもまた同様で、彼は純粋なネイティヴ・アメリカンだった。
 1944年にオクラホマ州ノーマンというところに生まれた。生きていれば、今年で73歳になったはずだ。14369134_1100690863341131_520405283
 父親はコマンチ族で、母親はカイオワ族の出身だった。父親はジャズ・バンドのドラマーで、母親はピアノ教師だったから、恵まれた音楽環境にあったといえるだろう。

 だから、3歳からピアノを始め、6歳でバイオリンを、10歳でギターを手にした。人前で初めて演奏したときの楽器はピアノだったようだが、その時はまだ中学生だった。父親がナイトクラブに連れて行ってくれたのだそうだが、子どもは入店禁止だったので、ピアノ演奏をするという名目で入店させ、実際に演奏をさせていたという。

 そして、チャック・ベリーなどのロックン・ロールの洗礼を浴びたジェシ・エド・デイヴィスは、ピアノからギターに乗り換え、15歳でラジオ局で演奏をして幾ばくかのお金を手にするようになった。やはり血筋というべきか、もって生まれた音楽的な才能が芽生えていったのだろう。

 ミシシッピー州生まれのカントリー・シンガーにコンウェイ・トゥイッティという人がいて、アメリカではかなりの有名人らしい。その人がオクラホマに来た時に、ギターの才能を見出されて、1962年から65年頃まで彼のバック・バンドのメンバーとしてツアーに出ている。
 ただ、その頃のジェシ・エド・デイヴィスは、まだ大学生だったので、休みの期間を利用して回っていた。その時にレコーディングの経験もしている。
 
 アメリカ人のロカビリー歌手にロニー・ホーキンスという人がいるが、コンウェイからロニーを紹介されたジェシ・エド・デイヴィスは、ロニーのバック・バンドにいたリヴォン・ヘルムを知り、同時に同郷のレオン・ラッセルとも親しくなり、その伝手を頼ってロサンゼルスにまで出かけて行った。
 ジェシ・エド・デイヴィスは、レオン・ラッセルがスタジオ・ミュージシャンとして成功していたことに憧れを持っていたようだ。

 実際に、カール・レイドル、レオン・ラッセルやボビー・キーズらとともに、北ハリウッドのバーで演奏していたらしい。いつもスタンディング・オベーションをもらっていたと本人は語っていたが、確かにこのメンツであれば、バーではもったいないし、ホールクラスでもいつも満員だっただろう。

 タジ・マハールというニューヨーク生まれのミュージシャンがいるが、彼との出会いも全くの偶然だった。

 タジ・マハールがレコーディングしていた時に、急遽予定されていたギタリストが来れなくなってしまい、代わりに来たのがジェシ・エド・デイヴィスだった。
 タジはソロ活動をする前は、ライ・クーダーとともにライジング・サンズというバンドを作って活動していたが、優秀なギタリストを発掘する才能にも優れていた。

 それから約4年ほどタジと一緒に活動をするのだが、タジからは音楽面だけではなくて、“Blues”という音楽に対してエモーショナルなアプローチの仕方も教えられた。
 また、タジのおかげで、渡英してエリック・クラプトンやジョージ・ハリソンとも知己を得ている。ジェシ・エド・デイヴィスは、生涯にわたってタジ・マハールに恩義を感じていたといわれている。

 セッション・ミュージシャンとして活動していたジェシ・エド・デイヴィスが、デビュー・アルバム「ジェシ・デイヴィスの世界」を発表したのは、1971年だった。このアルバムのジャケットの絵は、ジェシ・エド・デイヴィスの父親が描いたものだった。41j3wbx0n7l
 アルバムは全8曲で、36分57秒と短いものだった。ただ、最初から最後まで泥臭くて粘っこい、まさにスワンプ・ロックというべき音楽で満ちている。
 1曲目の"Reno Street Incident"のバックのピアノはレオン・ラッセルだし、エンディングのタメのあるギター・ソロは、ジェシ本人である。

 "Tulsa County"はメロディアスで軽快な曲で、むしろスワンプ流ポップ・ソングといってもいいかもしれない。
 "Washita Love Child"の"Washita"とはオクラホマを流れる川の名前のことらしい。これぞまさにスワンプ流ロックン・ロールで、バックの女性コーラスが雰囲気を盛り上げてくれるし、2分過ぎのギター・ソロは親友のエリック・クラプトンが演奏している。ただ、エンディングがブチッと切れるのがユニークというか、少々悲しかった。

 続く"Every Night is Saturday Night"も同様のロックン・ロール調の曲だが、クラリネットやコルネットの音がディキシーランド・ジャズを想起させてくれる。そういえば、父親はディキシーランド・ジャズを演奏するバンドに所属していたから、その影響もあったのかもしれない。

 "You Belladonna You"もレオン・ラッセルが好きそうなミディアム調の曲調で、ピアノもレオン・ラッセルのようだ。女性ボーカルも健闘しているし、ジェシ・エド・デイヴィスのギターも独特の音色を出している。エンディングの演奏が長いのが特徴で、ライヴならきっと盛り上がっていく曲になると思う。

 "Rock'n'roll Gypsies"はスティール・ギターやキーボードが効果的に使用されているバラード風な曲で、同じオクラホマ州出身のロジャー・ティリスンという人が書いた曲だった。この曲のお礼に、のちにジェシは、彼のアルバムをプロデュースしている。

 7曲目の"Golden Sun Goddess"は軽い感じのスワンプ・ロックで、こういう曲も書けるところが、ジェシ・エド・デイヴィスの優れているところだろう。ジェシと女声コーラスの絡みが面白いし、バックの演奏も重くなくてよい。光り輝くロサンゼルスでの生活が影響を及ぼしたような感じがする。

 最後の曲の"Crazy Love"は、アイルランドの超有名ボーカリスト、ヴァン・モリソンの曲で、ほぼ原曲通り歌っているが、何となくザ・バンドの曲"The Weight"に似ている。バックの演奏がThe Band +女声コーラスといった感じがした。
 そういえば、ジェシ・エド・デイヴィスのボーカルはそんなにうまくはない。何となくキース・リチャーズにも似ているような気がする。

 セカンド・アルバムの「ウルル」は1972年に発表されたが、このアルバムも31分57秒と短かった。415fyjgw13l
 ただ、内容的には前作よりももっと泥臭くなっていて、ジェシ・エド・デイヴィスの個性が十分発揮されている。
 1曲目の"Red Dirt Boogie,Brother"なんかはその最たるもので、ジェシのギターもさることながら、ジム・ケルトナーのドラムスとドナルド・“ダック”・ダンのベースの繰り出すリズムが、非常に呪術的で妖しい雰囲気を醸し出している。ジェシでしか作れない曲だろう。

 一転して、転がるようなピアノとスライド・ギターが明るい曲調を醸し出している"White Line Fever"、エンディングのコルネットが美しいバラード曲で、タジ・マハールとの共作曲"Farther on Down the Road"、ジョージ・ハリソンの「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」にも収められていた"Sue Me, Sue You Blues"と続く。

 この"Sue Me, Sue You Blues"曲は、ジェシがジョージ・ハリソンに何か曲を書いてくれと言って頼んだもので、当時のジェシもジョージ・ハリソンも裁判を抱えていたから、この曲をくれたといわれている。
 原曲とメロディラインはほとんど変わらないが、やや遅めで、途中のギター・ソロがカッコいい。バックのピアノはレオン・ラッセルだろう。ベース・ギターはビリー・リッチという人が担当している。

 "My Captain"は、ジェシ・エド・デイヴィスが尊敬してやまないタジ・マハールのことを歌っていて、感動的なバラードに仕上げられている。ベースはビリー・リッチ、印象的なピアノは前半がレオン・ラッセル、後半のソロがラリー・ネクテル、オルガンはドクター・ジョンである。これらの名前を聞いただけでも、ファンにとっては感動ものだろう。

 後半は"Ululu"から始まるが、この曲のオルガンもドクター・ジョンである。ギター・ソロは、アルビー・ギャルテンという人が演奏している。ゆったりとしたラヴ・ソングである。

 7曲目の"Oh! Susannah"は、アメリカ民謡の例の曲で、ジェシがアレンジしていて原曲とは全く異なっている。スワンプ流に解釈したらこうなりましたよという典型的な曲で、これを聞けばデラニー&ボニーからの流れが分かるのではないだろうか。

 "Strawberry Wine"はザ・バンドの曲で、彼らの1970年のアルバム「ステージ・フライト」に収められていたものである。ザ・バンドよりはややゆったりとした感じだろうか。
 "Make A Joyful Noise"は、ジェシのボーカルとレオンのピアノが目立っていて、ギターはさほど鳴っていないのが残念なところだ。

 最後の"Alcatraz"は、レオン・ラッセルの曲。彼の1971年のセカンド・アルバム「レオン・ラッセル&ザ・シェルター・ピープル」にも収められていたミディアム調のロックン・ロールで、ここでもレオンのピアノをバックにジェシが器用に歌いこなしている。

 デビュー・アルバよりは曲数は増えているものの、自作曲は少なくなっていた。人によっては能力の限界とか、意欲の減少などという意見を述べる人もいたが、このアルバムの内容を聞けば、決してそんなことはないということが分かるはずだ。

 このあと1973年に、先述した最後のアルバム「キープ・ミー・カミング」を発表したが、1988年の6月22日にドラッグの過剰摂取で亡くなった。43歳の若さだった。

 彼がロック・シーンの一線で活動していた時期は、70年代の最初の数年だろう。彼は美声ではないが、曲はバラエティに富んでいて、ギターの演奏には、スライド・ギターも含めて定評があった。

 それに、ジョージ・ハリソンが呼びかけた“バングラディッシュ・コンサート”にはクラプトンの代わりに参加要請されて、最終的にクラプトンも参加したものの、一緒にステージを務めている。さらには、ポール・マッカートニー以外の当時の3人のビートルのアルバムにも参加している。

 また、マーク・べノの「雑魚」やトム・ヤンシュの「子どもの目」、ジャクソン・ブラウンのファースト・アルバムなどのアメリカ人ミュージシャンのアルバムだけでなく、ロッド・スチュワートの「アトランティック・クロッシング」やエリック・クラプトンの「ノー・リーズン・トゥ・クライ」など、イギリス人ミュージシャンのアルバムにも参加していた。

 もし彼がまだ存命なら、もっと多くのミュージシャンのアルバムで演奏したり、自分のアルバムも数多く発表していたに違いない。あらためて、彼の素晴らしさを惜しまずにはいられないのである。

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2017年11月20日 (月)

デラニー&ボニー(3)

 いよいよ「デラニー&ボニー」編も終わりに近づいてきたようだ。今年の秋は、デラニー&ボニーを中心にしながら、彼らに影響を受けたミュージシャンや彼らの音楽、いわゆる“スワンプ・ロック”について述べてきた。

 “スワンプ・ロック”というコンセプトも、当時の評論家などが名付けた名前だろう。現場のミュージシャンたちは自分たちのやりたい音楽を単にやっていただけにすぎないだろうし、自分たちの音楽が何と呼ばれようとも、信念や誇りを持って取り組んでいたに違いない。

 それで、今回は「デラニー&ボニー」編の最終章である。彼らの活動が評価されていたのは、1968年から1972年頃までだった。わずか4年余りという短い期間であったが、その影響力は21世紀の現在までにも及んでいる。

 彼らは、1972年に「D&Bトゥゲザー」というアルバムを発表した。このアルバムは、もともと「カントリー・ライフ」というタイトルで、アトランティック・レコードの子会社であるアトコ・レーベルから発表されるはずだったのだが、発売が延期になり、最終的には中止されてしまった。そういういわく付きのアルバムなのである。61iu0cv8fl
 なぜ中止になったのかは定かではないのだが、アトランティック・レコードの重役だったジェリー・ウェクスラーは、アルバムの内容に不満を持っていたといわれていた。彼が直接そう命じたかはわからないのだが、世間的にはそういうふうに伝えられている。

 それで販売権利は、当時のCBSコロンビアに譲渡されたのだが、その際にデモ・トラックがカセット・テープなどでマーケットに出回ってしまった。だからこのアルバムについては、正規盤の他に、カセット・テープなどのいくつかの曲順違いのバージョンが存在している。彼らのファンにしてみれば、まさにレアものであり、貴重なコレクターズ・アイテムになっているようだ。

 最新の正規盤については、ボーナス・トラックが6曲も付いていて、これはこれでまたファンにはうれしいプレゼントである。もちろん彼らのコアなファンはまたこのアルバムも入手するに違いないだろう。

 アルバムは、デイヴ・メイソンの曲"Only You Know I Know"で始まる。この曲は1969年にはすでに録音されていたもので、1971年にはシングルとして発売されて、全米20位を記録していた。もちろんデイヴ・メイソン自身も、自分のソロ・アルバムの中でもレコーディングしていた。

 続いて"Wade in the River of Jordan"、"Sound of the City"と続く。前者はボニーのボーカルによるゴスペル風味の曲で、バックのオルガンやピアノ、女性コーラスがいい味を出している。
 後者は、ノリのよいR&Bで、ディープ・サウスの田舎臭い演奏と都会風のボニーのお洒落なボーカルが絶妙にマッチングしている。こういう感性がデラニー&ボニーの真骨頂なのだろう。

 "Well, Well"はベース・ギターが細かい音を刻んでいて、それにリズム・ギターやボーカルが重なっていく構成で、リードする楽器が見当たらないのが特徴だ。

 "I Konow How It Feels to be Lonely"は、ボニーの伸びやかなボーカルが強調されたバラード曲で、バックのストリングスが曲の美しさをさらに際立たせている。こうやって聞くと、いかに彼女のボーカルが素晴らしいかが分かると思う。

 エリック・クラプトンのギターが強調されているのが、"Comin' Home"で、この曲は1970年の「オン・ツアー・ウィズ・エリック・クラプトン」でも披露されていた。正規のスタジオ録音バージョンということだろう。ここでもクラプトンのギターが目立つようで目立たない感じの的確なサポートをしている。

 また、ボビー・キーズやジム・ホーンなどのホーン・セクションが活躍しているのが、7曲目の"Move'em Out"で、これはスティーヴ・クロッパーが作曲したもの。軽快なポップ・ソングだ。メイン・ボーカルは、ボニーが担当している。

 そしてその傾向は、次の"Big Change Comin'"でも同じで、今度はさらにリズムのノリのよい曲になっている。スワンプ・ロック流のロックン・ロールとは、まさにこんな曲のことを指すのだろう。この曲もボニーがリードを取っている。

 "A Good Thing (I'm On Fire)"のリード・ボーカルはデラニーの方がとっていて、ファンキーなロックン・ロール曲になっている。2分13秒と短いので、もう少し長く聞きたい気分にさせる。ボニーの歌い方も白人とは思えないほどパンチがあるのだが、デラニーの歌い方も黒っぽい。まるでスライ・ストーンかプリンスのようだ。

 10曲目はボニーの歌う"Groupie"で、レオン・ラッセルの曲。クラプトンのソロ・アルバムのデラックス盤には収録されていたし、ジョー・コッカーの「マッド・ドッグス&ジ・イングリッシュメン」でも歌われていた超有名な曲。1971年にはカーペンターズが"Superstar"というタイトルで歌って全米2位を記録した。

 "I Know Something Good About You"はミディアム調のR&B風の曲で、ここでもホーン・セクションが効果的に使われている。本当にデラニー&ボニーの曲にはアフリカ系アメリカ人の音楽の影響が色濃く反映されていて、何も知らされずに聞けば、多くの人はブラック・ミュージックと思ってしまうだろう。

 公式アルバムでは最後に配置されたのが"Country Life"で、アルバムのオリジナル・タイトルになっていた曲だ。タイトル通りのカントリー・ミュージック・タッチの曲で、それにストリングスが使用されるというユニークな演出が施されている。曲作りにはデラニーとボビー・ホイットロックが携わっていた。

 ここまでがオリジナル12曲の解説で、ここからは2017年バージョンのボーナス・トラックになる。810eog18ndl__sl1276_

 最初は"Over And Over"というロックン・ロールで、コンガなどのパーカッションとバックのホーン・セクションがストーンズの"Sympathy for the Devil"っぽくてカッコいい。中間のファズの効いたエレクトリック・ギターの間奏はデイヴ・メイソンだろうか。

 次の"I'm Not Your Lover, Just Your Lovee"は、オルガンが強調されたゴスペル風スロー・バラード曲で、秋の夜長に聞くと心が洗われそうな気になってくる。教会でゴスペルが生まれ、発展してきたのも、魂を掴まれ洗浄されてしまうからだろう。
 こういう曲がもう2、3曲含まれていれば、このアルバムの評価はもっと高まっていっただろう。アメリカ人のみならず、世界万国の人々の心の中に響くに違いない。

 "Good Vibrations"は、もちろんザ・ビーチ・ボーイズの曲ではない。ボニーがリードをとったミディアム調のR&Bで、本当にアングロサクソン系アメリカ人が歌っているとは思えないほど迫力があるし、ブラック・ミュージックに肉薄しているのだ。
 いや、ブラック・ミュージックとかそうでないとかいう範疇を超えたオリジナルな音楽をやっている。まさにデラニー&ボニーの音楽そのものだろう。

 続いてロックン・ロール調の"Are You a Beatle or a Rolling Stone"が始まる。この曲のスライド・ギターはもちろんデュアン・オールマンが弾いている。ノリノリの演奏なので、ライヴでは間違いなくウケるに違いない。

 一転して、"(You Don't Know) How Glad I Am"では再びオルガンがフィーチャーされたゴスペル・ソングに戻る。こういうスローなゴスペル・ナンバーではもちろんボニーがリードを取っているのだが、ボーナス・トラックではなくて正規盤に入れてほしい曲でもある。
 歌っている最後でフェイド・アウトされているところが、ボーナス・トラックになった所以なのかもしれない。

 そして最後の曲が"California Rain"である。これは珍しくアコースティック・ギターが基調になっているナンバーで、デラニーが歌うバラード曲に、徐々にピアノやホーンが絡んでくる。途中に転調してミディアム調に変わり、子どものコーラス隊やストリングスも加わってくる。
 これも途中でフェイド・アウトしてしまうのが残念だった。レコーディング自体は最後まで行われていると思うのだが、なぜかカットされている。きちんと収録されていれば、これはこれで名曲になったに違いないと思うのだが、どうだろうか。

 このアルバムには、"Only You Know I Know"や"Comin' Home"のように、既発の曲がいくつか含まれていて、そのせいか新鮮味にやや欠けるという点が見受けられた。

 このアルバムが発売中止になったのも、おそらくそのせいだろうと思う。今になってボーナス・トラックが収められたアルバムが再発されているのだから、曲数的には十分なストックがあったと思うのだが、精選したアルバムにはならなかった。

 また、このアルバム発表時には、すでに2人間には秋風が吹き始めていたのだろう。別々の生活が始まるのもそんなに先の話ではないと2人とも思っていたに違いない。
 だから、名曲になりそうな曲もアレンジを施すこともなく、そのままに置き捨てられたのだろう。ひょっとしたら彼らの代表するアルバムというか、スワンプ・ロックの名盤になったかもしれないアルバムだった。残念で仕方がない。

 最後に、1970年の「オン・ツアー・ウィズ・エリック・クラプトン」の正規盤が4枚組として発売されているのをアマゾンで知って、早速購入した。51z0xdkg1tl
 これは当時のイギリス公演から録音されたもので、合計4時間近い彼らの生のライヴがそのままパッケージされている。

 当時のイギリス公演は、7日間13公演と言われていて、そのほとんどが一日に昼夜2公演だった。ジミ・ヘンドリックスのライヴ盤でもわかるように、当時は、というか60年代では、1日2回公演は当たり前だったようだ。バンドの意向とは関係なく、それだけプロモーターの力が強かったのだろう。

 ディスク1には、1969年の12月1日月曜日のロイヤル・アルバート・ホールでの演奏が収められている。イントロやメンバー紹介も入れて全17トラックだ。

 「オン・ツアー・ウィズ・エリック・クラプトン」には8曲しか収録されていなかったが、このディスク1にはスペンサー・デイヴィス・グループの"Gimme Some Lovin'"や「オリジナル・デラニー・アンド・ボニー」の中の"Get Ourselves Together"も収められていた。

 ディスク2は12月2日火曜日のコルストン・ホールでのライヴで、ここではなぜか実質10曲しか収録されていない。最後はクラプトン・コールも起きるのだが、MCのアナウンスでは、どんなに長くここにいても、どれだけ騒いでも彼らは出てきません、公演はこれでおしまいですという強制終了の合図が出されていた。当然ブーイングも起こったのだが、フェイド・アウトされている。
 理由はわからないが、お客の態度が悪かったのか、クラプトンばかりもてるのでデラニーの方が嫉妬したのか、神のみぞ知るということだろう。

 ディスク3と4は、12月7日の日曜日の昼夜2公演がそのまま収められている。場所はフェアフィールド・ホールだから、「オン・ツアー・ウィズ・エリック・クラプトン」の収録はこの2公演の中から選曲されたのだろう。

 ファースト・ステージではイントロやメンバー紹介も入れて計10曲、セカンド・ステージではそれらも含めて計13曲だった。
 特筆すべきは、この日曜日には元ザ・ビートルズのジョージ・ハリソンも参加していて、ディスク4ではメンバー紹介で名前を呼ばれていた。もちろん「オン・ツアー・ウィズ・エリック・クラプトン」では彼の名前はカットされていた。権利関係が生じるのだろう。

 ツアーの記録なので、ほとんど同じ曲が4枚に連なって収録されているのだが、好きな人にはとってはたまらない内容だろう。ライヴのインパクトや臨場感がそのまま伝わってくるのだからたまらない。81kndvamm9l__sl1200_

 アマゾンでは送料を含めて2500円程度なのだから、これはもう本当に生きててよかったと思ったくらいだ。

 とにかく、この時のライヴはどれもリズムにキレがあるし、クラプトンやデイヴ・メイソンのギターも若々しい。アメリカ人ミュージシャンの力を借りて、さあ、これからだという勢いが伝わってくるステージングだった。今から考えれば、隔世の感がある。

 とにかく、一世を風靡したデラニー&ボニーであり、スワンプ・ロックだった。ブームは去っても、彼らが残した遺伝子は今でもアメリカン・ロックの潮流の中にしっかりと根付いている。
 決して忘れることができない偉大な夫婦デュオといえば、ブラック・ミュージックではアイク&ティナ・ターナーであり、ロック・ミュージックではデラニー&ボニーであろう。

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2017年11月13日 (月)

マーク・べノ(2)

 ずいぶん昔の話だけれども、このブログでマーク・べノのアルバム「雑魚」を紹介したことがあった。このアルバムは、知っている人は知っているけれども知らない人は誰も知らないというぐらい有名なアルバムで、個人的に隠れた名盤として載せたのである。51ozvefplrl
 いま調べたら2008年の7月14日付でこのブログに記載されていて、いかにこのアルバムが素晴らしいかを力説していた。思えば9年も前のことになるが、時の経つのは早いものだ。
. そんなことはどうでもいいのだが、当時はあまり深く考えなかったのだけれども、このマーク・べノもスワンプ・ロック関連のミュージシャンのひとりで、この1971年の名盤にも当時の関係者が多数参加していた。

 たとえば、ギター奏者ではザ・バーズに在籍していたクラレンス・ホワイト、ジェシ・エド・デイヴィス、ボビー・ウーマックにジェリー・マッギー、ベーシストにはデレク&ザ・ドミノスのカール・レイドル、ジェリー・シェフ、ドラマーにジム・ケルトナー、バック・コーラスにはリタ・クーリッジなどのミュージシャンである。いずれもデラニー&ボニー関連のミュージシャンか、その関係者だった。

 マーク・べノ自身も若き日のレオン・ラッセルとアサイラム・クワイアというバンドを結成していた。その関係からこれらのミュージシャンが参加したものと思われる。いずれもデラニー&ボニーに、直接的にしろ間接的にしろ関係しているミュージシャンばかりだ。

 マークは、テキサス州のダラスに生まれている。1947年生まれなので、今年で70歳になる。12歳でギターを手にし、15歳頃にはプロのミュージシャンとして活動を開始した。
 様々なバンドを経験した後、1966年にレオン・ラッセルと知り合い、意気投合してハリウッドに居を定め、アサイラム・クワイアというバンドを結成している。

 バンドは、「ルック・インサイド・ジ・アサイラム・クワイア」と「アサイラム・クワイアⅡ」という2枚のアルバムを発表したが、商業的には成功せず、マークは一人で地元テキサスに戻り、カントリー・ブルーズ・シンガーのマンス・リプスカムのバック・バンドで音楽活動に取り組んだ。

 1970年にはリタ・クーリッジの後ろ盾もあって、当時のA&Mレコードと契約を結び、デビュー・アルバム「マーク・べノ」を発表した。このアルバムについては後に述べることにする。

 そして翌年には、スワンプ・ロックの名盤傑作選には必ず入ると言われている「雑魚」を発表した。このアルバムについては、すでに述べているのでそちらを参照してほしい。たぶんほとんど誰も目にしないだろうけれど…

 1972年には3枚目となる「アンブッシュ」を発表して、ナイトクロウラーズという自身のバンドを結成した。このバンドには有名になる前のスティーヴィー・レイ・ヴォーンやドイル・ブラムホールなどが在籍している。

 だからというか当然というべきか、彼らは地元では大変な人気を誇っていて、ハンブル・パイやJ.ガイルズ・バンドの公演ではオープニング・アクトを務めていたが、メイン・アクトよりも観衆を沸かせていたといわれている。

 レコード会社としては、シンガー・ソングライターとしてプッシュしていたのだが、いつの間にかブルーズ・ロックをやるようになっていったマークに難色を示すようになり、1974年の4枚目のアルバムは録音されたものの、結局、発売は見送られてしまった。2005年になってこのアルバムは、「クローリン」というタイトルで発表されている。

 「ロスト・イン・オースティン」というアルバムが1979年に突如発表されたが、A&Mから発表されたアルバムは、これが最後になってしまった。
 これは珍しくロンドンでレコーディングされていて、エリック・クラプトンや彼のバンド・メンバーも参加したブルーズ色の濃いロック・アルバムに仕上げられていた。

 その後は、彼が手掛けた「ビヴァリー・ヒルズ・コップ」の挿入歌入りのサントラが1986年度のグラミー賞を受賞したり、1990年には「テイク・イット・バック・トゥ・テキサス」というアルバムを発表したりするが、無理のないコンスタントな活動を行っているようだ。
 アルバムも定期的に発表しているが、メジャーなレーベルからは出していないので、遠く離れた日本では、彼の具体的な活動は把握しにくい。

 ただ、2005年と2011年には来日しているので、日本でもコアなファンはいるはずだ。もちろん自分もそのうちの1人なのだが、残念ながら生の姿はまだお目にかかっていない。機会があればと願っているが、もう恐らく日本に来ることはないだろう。残念の一言に尽きる。

 それで、久しぶりに彼の1970年のアルバム「マーク・べノ」を聞いたのだが、これがまた「雑魚」に負けず劣らず良いので、このところ毎日聞いている。41mkdwc2zhl
 まず、参加ミュージシャンが素晴らしい。だいたいスワンプ・ロック系のアルバムには、その筋のミュージシャンが大挙して押し寄せて、勢いで制作するという傾向が強いのだが、このアルバムもその例に漏れない。

 キーボードには清志郎とも共演したブッカー・T・ジョーンズ、スライド・ギターには名手ライ・クーダー、ギターにはベンチャーズのジェリー・マギー、ベースはプレスリーやコステロとも経験のあるジェリー・シェフ、レオン・ラッセルの後ろでタイコをたたいていたジミー・カースタイン、そしてジム・ホーンにリタ&プリシラのクーリッジ姉妹と、これはスワンプ・ロックの範疇を超えた西部&南部連合軍だろう。

 アルバムには9曲が収められている。1曲目の"Good Year"はタイヤのコマーシャル・ソングではないものの、軽快なカントリー・ロックで、バックのホーンとワウワウのギターがルイジアナなどのアメリカ南部を想起させる音になっている。エンディングに向けてテンポが徐々に上がっていく。

 "Try It Just Once"はミディアム・ブルーズ風の曲だが、全編を覆うギターがカッコいい。デビュー・アルバムからしてこのレベルの高さは、正直言って素晴らしい。

 3曲目の"I'm Alone I'm Afraid"はさらにスローな曲で、まるでレオン・ラッセルのピアノとスティーヴィー・レイ・ヴォーンのギターが合体したような曲に仕上げられている。このアルバムの中でも1、2を争うほどの出来栄えだと思うし、この曲とラストの曲のためにアルバムを買っても惜しくはないだろう。

 一転して明るい曲調の"Two Day Love Affair"では、リタ・クーリッジらの女性ボーカルが曲を盛り上げていて、ポップな色どりを添えている。こういう曲も書けるところがマーク・べノの才能の大きさだろう。

 "Second Story Window"は涙が出そうなアコースティックな曲で、のちにリタ・クーリッジが自分の持ち歌の一つにするほどの素晴らしい曲。秋の夜長に聞いていると、胸が締め付けられるような感じの曲だ。ブッカー・T・ジョーンズの演奏するハモンド・オルガンもまたいい味を出している。

 アルバムの後半は、ややハードな"Teach It To The Children"で始まる。マーク・べノ流のロックン・ロールだろう。中間部のギター奏法がややサイケデリック風で、この時代の雰囲気をよく表している。

 "Family Full Of Soul"は、やや力を抜いたレイド・バック風の曲で、アメリカの南部の風を感じさせてくれる。バックのホーン・セクションにピッコロも使用されているので、明るく陽気な気持ちにさせてくれた。

 8曲目の"Hard Road"だけは、マーク・べノとグレッグ・デンプシーという人の共作だった。グレッグ・デンプシーという人は、ロサンゼルス時代のマークの友人で、レオン・ラッセルと一緒に3人で曲作りも行っていたという。
 軽快なスワンプ・ロック風のロックン・ロールで、後半のライ・クーダーによるスライド・ギターが文句なくカッコいい。

 最後の"Nice Feelin'"は、スワンプ・ロック流のゴスペル・ソングだろう。ピアノとハモンド・オルガンの共演やそれに絡むギター、クーリッジ姉妹のバック・コーラスなどが聞くものに魂の癒しを与えてくれる。
 この曲ものちにリタ・クーリッジが自分で歌っているが、やはりプロの歌手が自分も歌いたいと思わせるような魅力というか力を秘めているのだろう。
 このアルバムは全体で33分くらいしかないのだが、この曲だけは5分50秒もある大曲だった。

 いずれにしても、このアルバムもまた「雑魚」と並び称されるほどのスワンプ・ロックの名盤ということが、あらためてわかった。ただ、もう1、2曲ほど曲が多ければ、もっと充実したアルバムになったに違いない。
 それでもデビュー・アルバムでこれほどの名盤が作れるのだから、やはりマーク・べノは実力派ミュージシャンだった。Marc_benno
 今ではそんなに語られることはないかもしれないけれど、マーク・べノもまたスワンプ・ロックのみならず、アメリカン・ロックを代表するミュージシャンの1人だった。もっと評価されていいミュージシャンだと思っている。

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2017年11月 6日 (月)

デラニー&ボニー(2)

 スワンプ・ロックとは、ロックン・ロールを中心にして、それにR&Bやカントリー・ミュージック、ゴスペルなどの要素を備えた音楽であり、具体的にはロック・バンドにブラスとコール&レスポンス風のバック・コーラス、それにピアノやオルガン中心のキーボードを加えた楽曲である。

 1970年前後にアメリカを中心に流行したが、これを主導したのは、アメリカ人ミュージシャンのみならず、クラプトンやデイヴ・メイソンなどの著名なイギリス人ミュージシャンもその一翼を担っていた。

 自分なんかはクラプトンやジョージ・ハリソンが彼らと積極的に交流を図ろうとしていたのを知って、初めてこの手の音楽を知った。だからイギリス人ミュージシャンを鏡にして、アメリカの音楽の源流の一つを学んだようなものだった。

 レオン・ラッセルやドン・ニックス、マーク・べノなどのアメリカ人ミュージシャンの音楽もスワンプ・ロックの範疇に含まれるのだが、その中で一番有名で、一番影響力があったのは、やはりデラニー&ボニーであることは論を俟たないだろう。

 特に彼らが発表した4枚目のアルバム「デラニーよりボニーへ」は、まさにスワンプ・ロックを代表するアルバムである。このアルバムを聞けば、スワンプ・ロックとは何なのかを体験できる。それほど優れた名盤であり、アメリカン・ロック史の中でもまさに世界遺産級のアルバムだと思っている。61hhvjhiphl__sl1050_
 このアルバムは、1970年に発表された。前年のイギリス・ツアーは「オン・ツアー・ウィズ・エリック・クラプトン」として70年の3月に発表されていた。

 デラニーは、イギリスから帰国後、ただちにスタジオ・アルバムの録音に取り掛かろうとしたのだが、残念ながらバック・ミュージシャンのほとんどは、エリック・クラプトンやレオン・ラッセルたちと行動を共にしていて、デラニーのもとにはあまり人が残っていなかった。

 そんなときに助け舟を出してくれたのが、アトランティック・レコードの当時の重役だったジェリー・ウェクスラーだった。
 彼はデラニーとボニーにオールマン・ブラザーズ・バンドのギタリストだったデュアン・オールマンを紹介したのである。

 当初はライ・クーダーの名前も挙がったのだが、ジェリーはデュアンの方が音楽性が合うだろうと仲介してくれた。
 実際、デュアンとデラニーは意気投合して、2人で行動を共にすることが多くなっていった。当時のデュアンは自分のバンドのツアー以外は、ほとんどの時間をデラニー&ボニーと過ごすようになったと言われている。

 だからこのアルバムのクレジットを見ると、レオン・ラッセルやエリック・クラプトンの名前は既になく、代わってデュアン・オールマンのほかに、ベン・べネイ、チャーリー・フリーマン、スニーキー・ピートやメンフィス・ホーンズのメンバー等がクレジットされていた。

 また、デレク&ザ・ドミノスからは、ボビー・ホイットロックとジム・ゴードンが参加していた。ただ、ジムは本職のドラムは叩いておらず、ピアノやオルガンを担当している。

 ついでにいうと、ギター担当のチャーリー・フリーマンやリズム陣のトミー・マクルーアとサミー・クリースンなどは、マイアミにあるクライテリア・スタジオの専属ミュージシャンだった。彼らは“ディキシー・フライヤーズ”と呼ばれていて、それなりの経験を積んだベテラン・ミュージシャンたちだった。

 このアルバムの素晴らしさは、とにかくスワンプ・ロックの要素をすべて備えているところだろう。71rhuj1prbl__sl1050_
 デラニーの書いた"Hard Luck And Troubles"からアルバムは始まる。ノリのよい転がるようなテンポの曲で、途中からのホーン・セクションがR&B風でカッコいい。

 続いてアコースティック・ギターとスティール・ギターがフィーチャーされた"God Knows I Love You"が始まる。アメリカ南部から中西部に移動してきたような感じがした。1曲目と2曲目のギャップはそんな感じだった。
 蛇足として、スティール・ギター奏者のスニーキー・ピートは当時フライング・ブリット・ブラザーズに所属していたミュージシャンである。

 ボニーが本格的に登場するのは、3曲目の"Lay Down My Burden"からである。この人が歌うと迫力があるので、本当にティナ・ターナーが歌っているように感じてしまう。この曲もまた彼女の代表曲の一つだろう。

 4曲目はメドレー形式になっていて、ロバート・ジョンソンの名曲でデラニーが歌う"Come on in My Kitchen"から、ボニーが歌う"Mama, He treats Your Daughter Mean"、2人のデュエットによる"Going Down The Road Feeling Bad"へと続く。バックの演奏はアコースティック・ギター2本とコンガのみである。

 続いて、お涙頂戴のスラー・バラード"The Love of My Man"をボニーが丁寧にかつ切々と歌ってくれる。ただ、迫力がありすぎて感傷ではなく感動してしまう。バックのオルガンとホーンの絡みなどは見事なアレンジだと思った。

 一転して、ロックン・ロールになる。"They Call It Rock&Roll Music"はタイトル通りの曲で、デラニーが手掛けた曲だった。ロックン・ロールといっても、スワンプ・ロックにはホーンやバック・コーラスがフィーチャーされるので、ギター・ソロはそんなに目立たない。
 この曲のサックスは、デラニーの友人のキング・カーティスという人が担当している。この人は有名なサックス奏者だったが、翌年の8月にドラッグの密売人と口論になり刺殺されている。享年37歳だった。

 さらにアップテンポでノリノリなのが"Soul Shake"だ。たぶん当時のレコードでは、この曲がサイドBの1曲目にあたるのではないだろうか。最初から飛ばしていこうぜという感じの曲で、間奏でのデュアンのスライド・ギターと後半のサックスが目立っている。

 "Miss Ann"はピアノが目立つブギウギ調のロック・ナンバーで、誰が弾いているのかと思ったら、何とリトル・リチャードだった。ゲスト参加ということだ。この曲は5分以上もあるので、結構、彼のピアノは目立っている。

 9曲目の"Alone Together"はデイヴ・メイソンの曲ではなくて、デラニー&ボニーとボビー・ホイットロックが手掛けたもの。まさにスワンプ・ロックのお手本のような曲で、みんなでワイワイやっているようなスワンプ・ロック風パーティー・ソングである。

 そして、次の"Living On the Open Road"ではデュアンのスティール・ギターが大フィーチャーされていて、個人的には、この1曲だけでもこのアルバムを聞く価値があるのではないかと思っている。他の曲でももっと弾いてほしかったが、この曲を聞けただけでも幸福感が湧き上がってくる。

 ハードな曲の次にはスローな曲が来るのは定番で、"Let Me Be Your Man"はスロー・バラード曲。ただメイン・ボーカルはデラニーだった。タイトル曲や内容が男性用だからだろう。でも、しっかり聞きこむと、意外とデラニーの歌い方もソウルフルで情感豊かだった。もう少しエンディングを伸ばしてほしかったように思う。

 最後の曲"Free the People"はボニーが歌っていて、基本的には前半がトロンボーンとパーカッションで、後半はバンド形式になる。そしてアルバム全体を締めくくるかのように、最後はみんなで歌って終了という感じだった。

 デラニー&ボニーは、翌年の1971年に「モーテル・ショット」を発表した。これは商業的な成功を求めるために発表したものではなくて、当時の彼らの日常の音楽風景を記録として留めようと思って制作されたものだった。91c0708lh8l__sl1500_
 当時の彼らは、ライヴ終了後はモーテルに戻って、さらに一晩中、飲んで歌ってワイワイやっていたという。その中で、次のアルバムへのアイデアや曲へのイメージが浮かんで来たようなのだが、そういう演奏などを無理のない形で発表しようとしたのである。

 基本はホテル(モーテル)内でのレコーディングなので、エレクトリックな楽器は極力排除されていて、ピアノやタンバリンなどのパーカッションが主な楽器だ。

 録音時期には諸説あるが、だいたい1969年の秋以降から1970年の5月くらいまでではないかと言われている。
 このアルバムには、レオン・ラッセルやデイヴ・メイソンにデュアン・オールマン、それにジョー・コッカーまで参加していた。

 だから、デレク&ザ・ドミノス結成以前か、ジョー・コッカーの全米ツアー以前だろう。ということは、上記の時期が最も当てはまりそうで、その間のデラニー&ボニーのツアーの合間を利用して録音されたものなのだろう。

 曲の内容的には、トラディショナルや黒人霊歌的なものも含まれていて、彼らの宗教観や音楽観が伺える。デラニー&ボニーもレオンも敬虔なクリスチャンで、ショーの前後でみんなで円陣を作り、祈りを捧げていたという。

 1曲目の"Where The Soul Never Dies"古いゴスペル・ソングをデラニーがアレンジしたもので、レオン・ラッセルの弾くピアノとタンバリンで構成されている。
 続く"Will The Circle Be Unbroken"も古い讃美歌で、ここではボニーがメイン・ボーカルを取っている。

 一転して静かな"Rock of Ages"が始まる。珍しくレオン・ラッセルがリードを取っていて、これも讃美歌をアレンジしたものらしい。ピアノ1台と少しのパーカッションで成り立っている曲でもある。

 アコースティック・ギターとピアノが目立っている"Long Road Ahead"はデラニーとカール・レイドルの曲で、デイヴ・メイソンと思われるギターがかすかに聞こえてくる。これも誠実、質素、堅実といった古き良きアメリカ南部の伝統を踏襲したような内容の曲になっている。

 更にメロディアスでバラードなのは5曲目の"Faded Love"で、歌っているのはデラニー・ブラムレットだった。彼が子どもの頃に、家族でよく一緒に歌っていた曲の一つだという。素朴でセンチメンタルな曲である。

 "Talkin' About Jesus"をリードするのは、なんとまあジョー・コッカーである。彼の名前はこのアルバムにはクレジットされていないのだが、誰が聞いても彼だとわかる声が聞こえてくる。
 ジョーの次には、デラニー、ボニーと次々とコーラスが加わり、まさにゴスペルの極致に近づいてくる。彼らにはモーテルではなくて、教会で歌っているような感じだったかもしれない。もしくは、神はどこにでもおわしますという心境だったかもしれない。教会であろうが、ホテルの一室であろうが、神を身近に感じることがクリスチャンの資質なのだろうか。

 6分51秒の曲の次は、2分41秒のロバート・ジョンソンも歌った"Come on in My Kitchen"。ドブロ・ギターを弾いているのは、デュアン・オールマンのようだ。前作の「デラニーからボニーへ」とはレコーディングの時期が違う曲だった。

 続いてスロー・ナンバーの"Don't Deceive Me"が始まるのだが、この曲はボニーがリードを取っていて、ソウルフルなボーカルを聞かせてくれる。アコースティック・ギターを弾いているのは、何となくクラプトンのような気がするのだが、気のせいだろうか。ただ、クラプトンもこのアルバムにはクレジットされていない。

 "Never Ending Song of love"はデラニーのオリジナル曲。このアルバムからシングル・カットされ、全米チャートの13位まで上昇し、彼らの最大のヒット曲になった。のちにザ・ニュー・シーカーズやジ・オズモンド・ブラザーズなどもカバーしてヒットさせている。このアルバムの中では、唯一のポップ・ソングかもしれない。

 "Sing My Way Home "もデラニーのオリジナル曲で、バックのスライド・ギターはもちろんデュアン・オールマンである。アコースティック主体の爽やかな曲でもある。

 このアルバムの前半はR&Bやゴスペルの影響を受けた高揚感のある曲が占めているのだが、後半はこういうアコースティック主体の曲やポップな曲が目立っている。91b3kymkagl__sl1500_
 11曲目も前作「デラニーからボニーへ」の中でメドレーとして収められていた曲"Going Down The Road Feeling Bad"で、デュアン・オールマンのアコースティック・ギターが目立っているせいか、軽快で明るい印象を受けた。

 最後を飾るのは"Lonesome And A Long Way From Home"で、クラプトンの1970年のソロ・アルバムにも収められていた。デラニー&ボニーとレオン・ラッセルのクレジットによる曲で、フィドルなども聞こえてきて、よりアーシーになっている。最後のボーカルはスティーヴン・スティルスと言われているが、彼の名前もアルバムには記載されていなかった。

 というわけで、このアルバムについては売れることを意識して発表したわけではないようだが、なぜかシングル曲はヒットしてしまった。彼らにとっては予想外のことだっただろう。あるいは、スワンプ・ロックというブームの中での出来事だったのかもしれない。

 このあと彼らは、アルバムを制作するもレコード会社からは拒否され、夫婦仲も次第に険悪な状況になっていった。

 この「モーテル・ショット」は、1990年代にブームになった“アンプラグドもの”の先駆けとなったアルバムとも言われているが、あるいは、もしかしたら彼らの最も幸福な時間を曲に託して記録(レコーディング)したのかもしれない。

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2017年10月 9日 (月)

デラニー&ボニー(1)

 前回の「デイヴ・メイソン」編で、デイヴ・メイソンもアメリカ南部の音楽に惹かれて、アメリカに行って活動を行っていたという話を書いた。しかも、エリック・クラプトンよりも以前にアメリカで活動をしていたというから、ある意味、先見の明があったとも記した。

 逆に言うと、クラプトンの方がデイヴ・メイソンの行動を参考にしていたのかもしれない。彼とクラプトンとは同じギタリストとしても交流があったからだ。
 いずれにしても、クラプトンよりも以前にアメリカで活動していたイギリス人の有名ミュージシャンがいたというのは、自分にとっては少々ビックリする話だった。

 そして、この2人のギタリストが共通して親交を持ったアメリカ人ミュージシャンが、デラニー・ブラムレットとボニー・ブラムレットのおしどり夫婦ミュージシャンだったのである。
 それで、そんなに影響力のあったミュージシャンだったのかどうかを検証するために、家にあるCDラックから2枚のアルバムを引っ張り出して聞いてみた。以下、その感想である。

 最初に聞いたアルバムは、1969年に発表された「オリジナル・デラニー&ボニー」だった。このアルバムの表には"Accept No Subtitle"という文字があって、これがこのアルバムのタイトルだと思っていた人もいたようだ。81ycvq0l1hl__sl1018_
 全10曲だが、全体的にブラスが施されていて、曲によってはストリングスも被せられていた。当時は、こういう楽曲群をスワンプ・ロックといっていたらしい。
 でも沼から立ち上がる瘴気のようなものは感じられずに、逆に渋くてディープなR&Bテイストを持った曲が並んでいる。

 1曲目のタイトルが"Get Ourselves Together"というのが、いかにもこの時代の空気を反映している。曲の雰囲気としてはそんなに重くはなくて、ライトであっさりしている。片意地張らずに気楽に聞けるし、これくらいの距離感を持った方が物事はうまくいくような気がする。

 次の曲"Someday"も夫婦2人のデュエットを聞くことができる。デュエットだけではなく、コール&レスポンスの掛け合いも迫力がある。彼らの歌を聞いて白人とは思えなかったとアレンジャーのジミー・ハスケルが言っていたが、確かにこれはアイク&ティナ・ターナーが歌っていますと言われても疑うことはできないだろう。

 3曲目の"Ghetto"のバックのピアノは絶対レオン・ラッセルに違いないし、次の"When the Battle is Over"のそれは、ドクター・ジョンだろう。曲を作ったクレジットには、“マック・レベンナック”とあったが、これはドクター・ジョンの本名であるマルコム・ジョン・レベンナックのことだからだ。

 5曲目の"Dirty Old Man"ではボニーが独唱している。バックのコーラスにはリタ・クーリッジが加わっているようだ。
 ボニーの声は迫力があって、まるでダイナマイトのようだ。昔の日本の歌手に朱里エイ子という人がいたが、彼女のような声質をもったティナ・ターナーのようだ。アレサ・フランクリンほどはブラックではないけれど、それでもダイナミックであることは間違いないだろう。

 逆に、"Love Me A Little Bit Longer"では、旦那のデラニーがメインで歌っている。デラニーもいい声をしていると思う。
 この曲と次の"I Can't Take it Much Longer"はつながっているようで、前の曲のアンサー・ソングのようだ。

 そして忘れられない名曲が"Do Right Woman"である。アレサ・フランクリンも歌ったこのバラードは、傷ついた心に染みわたっていくビタミン剤のようなもの。ストリングスも美しいし、ボビー・ウィットロックの弾くピアノも素晴らしい。この曲を聞くために、このアルバムを購入しても間違いないだろう。何度でも聞いてみたい曲でもある。

 一方、ピアノが跳ね上がっているのが"Soldiers of the Cross"だ。このアップテンポの曲はトラディショナルらしいが、後半は"This Little Light of Mine"というゴスペル曲とメドレーになっている。

 そして最後を飾るのが"Gift of Love"という3分に満たない小曲で、この曲と"Dirty Old Man"は、デラニーとマック・ディヴィスが作っている。
 マック・ディヴィスという人は、エルヴィス・プレスリーとも共演したミュージシャンで、齢75歳というのに、いまだに現役で活躍している人でもある。

 また、このアルバムのバック・ミュージシャンも今から考えればとんでもない人も含まれていた。また、このアルバムが起点となって、デレク&ザ・ドミノスが結成されて「いとしのレイラ」が生まれ、一部のミュージシャンはジョージ・ハリソンの「オール・シングス・マスト・パス」に参加した。81oe34cxfpl__sl1156_
 まさらには、レオン・ラッセルやリタ・クーリッジなどは、のちにソロとしても成功している。チャート的には、175位と全く振るわなかったが、そんなものを超越した楽曲の素晴らしさと歴史的な意義を含んでいるのだ。

 今回聞き直してみて、あらためてこのアルバムの素晴らしさに感動した。なぜもっと早く気がつかなかったのだろうか。我ながら恥ずかしいし、自分の無能さを思い知った。こういう隠れた名盤をもっと紹介しないといけないと思うのだが、自分自身が気づいていないというのが問題である。

 あのザ・ビートルズのジョージ・ハリソンが彼らの素晴らしさに気づき、アップル・レコードと契約してアルバムを発表しようとしたところ、すでに彼らがエレクトラ・レコードと契約していたことを後になって知ったという有名なエピソードがある。
 そして、アップル・レコードでは、彼らのカタログ番号がいまだに残っているそうだ。未発売に終わった彼らのアップルでのアルバムは、レア盤として高値で取引されているという。

 エリック・クラプトンが彼らのことを知ったのも、ジョージ・ハリソン経由だろう。あるいはデイヴ・メイソン経由だったかもしれない。また一説によると、クリーム時代から彼らの存在を知っていたというが、時期的に少し合わないようだ。
 いずれにせよ、クラプトンはこのアルバムを作ったデラニー&ボニーと一緒に音楽活動をしたいと思ったのだろう。

 だから、ブラインド・フェイスのアメリカ公演では彼らをオープニング・アクトとして起用しているし、ブラインド・フェイスが解散した後は、ソロとして彼らと活動を共にするのである。
 それが記録されたのが、1970年に発表された「オン・ツアー・ウィズ・エリック・クラプトン」だった。71clgkokm5l__sl1123_
 このアルバムには、1969年12月7日のクロイドン公演の様子が収められていて、非常にエネルギッシュでダイナミックな当時のライヴの様子を堪能できるものになっている。

 何しろメンバーがすごい。ギターにエリック・クラプトンとデイヴ・メイソン、ベースやドラムスは、のちにデレク&ザ・ドミノスのメンバーたち、ブラスにはのちにローリング・ストーンズと一緒に活動したボビー・キーズやジム・プライスが加わっていた。

 また、違う公演ではジョージ・ハリソンも一緒にステージに上がって演奏している。このままのノリで「オール・シングス・マスト・パス」のレコーディングに臨んだのであろうか。とにかく豪華なメンバーだ。

 このアルバムの意義は、2つある。1つはデラニー&ボニー2人のスタジオ盤とライヴ盤の違いである。スタジオ盤では確かに迫力はあるものの、どこかゆったりとした雰囲気が漂っていた。レイド・バックというのだろうか。
 しかし、ライヴ盤では終始ファンキーでアゲアゲ、しかもボニーの方は、あのアレサ・フランクリンに優るとも劣らないパワフルでエネルギッシュなボーカルを聞かせてくれているのだ。

 やはりデイヴ・メイソンやエリック・クラプトンなどが惚れこんだだけはある。自分が言うのも変だが、彼らの眼力は間違っていなかった。デラニー&ボニーはそれだけの実力を備えていたのである。このライヴ・アルバムがそれを証明していた。

 もう1つは、このアルバムの持つ歴史的な意義だろう。上にも記したように、この時期の主な歴史的アルバム、例えば「オール・シングス・マスト・パス」や「いとしのレイラ」、「アローン・トゥギャザー」、「スティッキー・フィンガーズ」、「マッド・ドッグス&イングリッシュメン」などには、共通したミュージシャンが関わっているが、その主なメンバーは最終的にはこのデラニー&ボニーのライヴ・アルバムから派生している。71jgjteegil__sl1226_
 そういうミュージシャンの交流関係とか流れなども頭に入れて聞いてみると、このアルバムの影響力の凄さも分かるのではないだろうか。

 このアルバムは42分少々と、今のCDから考えれば短いのだが、それでも彼らの魅力は十分すぎるほど詰まっている。
 1曲目の"Things Get Better"はスティーヴ・クロッパーとエディ・フロイドの曲で、デラニー&ボニーの1969年のアルバム「ホーム」に収められていた。
 もうこの曲から彼らの魅力が爆発しており、聴衆は一挙に興奮のるつぼへと叩き込まれてしまう。

 2曲目の"Poor Elijah"はロバート・ジョンソンに捧げられた曲でメドレー形式になっている。途中でクラプトンのソロが紹介され、彼のギターがフィーチャーされていた。相変わらずこの時期の彼の演奏は惹きつけるものを持っている。

 次の曲はデイヴ・メイソンの曲"Only You Know And I Know"で、彼のアルバム「アローン・トゥギャザー」にも収められていた彼の代表曲。もちろんここでのギター・ソロはデイヴ・メイソンである。

 "I Don't Want to Discuss it"はファンキーなロックン・ロール・ナンバーで、ジェイムス・ブラウンなんかがやりそうな曲だ。途中のギター・ソロはクラプトンだろう。今では聞けないソリッドなギター・ソロをやっている。

 一転して渋いバラードになる"That's What My Man is For"では、ボニーのボーカルがフィーチャーされていて、ブルーズとゴスペルの両方の影響が伺われる曲に仕上げられている。この曲を聞けば、彼女のボ-カルはもっと評価されていいと思う人は多いはずだ。

 6曲目の"Where There's A Will, There's A Way"ではボビー・ウィットロックのボーカルも聞くことができる。この曲がボビーとデラニー&ボニーの3人で書き上げられている。
 また、途中でジム・ゴードンのドラム・ソロやクラプトンのソロも含まれている。アップテンポのロックン・ロールで気持を高ぶらさせて、次の曲"Coming Home"へとつながっていく。

 この曲はクラプトンとデラニー&ボニーが作ったもの。この曲もノリのよいロックン・ロールで、最後のブラス・セクションとの絡みがカッコいい。まさに白熱したステージングである。この時のライヴは映像化されているらしいのだが、現在では絶版となっていて入手困難のようだ。

 このアルバムの最後には、もう1つリトル・リチャードのメドレーが収められていて、約5分45秒にわたって、"Tutti-Frutti"や"Long Tall Sally"など計4曲が披露されていた。メンバー紹介も行われているので、おそらくライヴでのアンコール部分だろう。

 このアルバムには観衆のざわつきや拍手はもちろんのことMCまで含まれているので、ライヴの臨場感を味わうことができる。まさに貴重で歴史的なアルバムだろう。
 これは蛇足になるが、記録として残すという意味では、アメリカでは29位、イギリスでは39位になっていた。

 そしてこの当時の彼らのライヴを収めた豪華4枚組セットも存在する。これにはジョージ・ハリソンの演奏も含まれているという。さっそくアマゾンで購入してしまった。機会があれば、近いうちに紹介してみようと思っている。Delaneyandbonnie3
 デラニーは1939年生まれ。子どもの頃からブルーズやR&Bに傾向し、17歳で海軍を除隊後、音楽活動を始めた。1968年頃にボニーと出会い、出会って1週間で結婚し、デラニー&ボニーとして活動を始めた。

 ボニーの方は、1944年生まれの現在72歳。11月で73歳になる。彼女もゴスペルを聞いて育ち、5歳で教会などで歌っていた。12歳で本格的にプロ・デビューし、リトル・リチャードやアルバート・キング、アイク&ティナ・ターナーのバックで歌っていた。

 彼らはベスト盤を含む8枚のアルバムを残すものの、1972年に離婚して、デュオも解消した。2人とも音楽活動を続けたが、ボニーの方は女優としても活躍している。
 デラニーは2008年の12月に胆のう手術後の合併症のために亡くなった。享年69歳だった。Img_1_2
 彼らの娘のベッカ・ブラムレットは、1994年から95年にかけてフリートウッド・マックに一時在籍していたことは、すでにこのブログの中で紹介している。

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2017年9月26日 (火)

90年代のフリートウッド・マック(2)

 90年代のフリートウッド・マックは、6人編成だった。基本的な構成において、ギタリストが1人から2人に増えたからだ。
 そして、90年代の前半では、そんなに有名ではないが玄人肌のギタリストが配置されて、それなりに売れていた。特に、ライヴにおいてはどこに行ってもソールド・アウトだった。

 この時期のアルバム「ビハインド・ザ・マスク」については前回述べたが、全盛期のマックのアルバムと比べても、そんなに遜色はなかったと思う。少なくとも今年発売された「リンジー・バッキンガム/クリスティン・マクヴィー」よりはロックしている。

 むしろ、ややブルーズ色が表に出ようとしているかのようで、それが従来のソフトでポップなマックの色合いと微妙に交じり合っていて、いい感じだった。
 人によってはカントリー・フレイバーを感じたかもしれないが、そんな傾向は強くなくて、確かに"When The Sun Comes Down"はカントリー・ポップ・ソングだったが、それ以外はあまり強く感じられなかった。

 ただ、ギタリストが2人もいるのに、そのカラーがあまり出ていなかった。もう少し交互にギター・ソロを入れるとか、リックのスライド・ギターをフィーチャーした曲を入れるとかすれば、もっと印象に残り、チャート・アクションももっと伸びていったのではないかと思った。
 
 要するに、せっかくのメンバー・チェンジが活かされていない。従来のマック路線を踏襲しようとするあまりに、自らバリケードを築いてしまったかのようだった。ファンは新生マックの姿を待望していたのではないだろうか。もう少し冒険してもよかったのではないかと思っている。

 それで、前回からの続きである。ギタリストのリック・ヴィトーとスティーヴィー・ニックスが脱退して、新メンバーが2人加入したというところで終わっていたので、今回はその続きである。

 スティーヴィー・ニックスの代わりに加入したのが、ベッカ・ブラムレットだった。名前を見ればわかるかもしれないが、60年代の後半から70年代にかけてエリック・クラプトンとともにアルバムも制作したことがあるアメリカ人ミュージシャン夫妻のデラニー&ボニー・ブラムレットの娘である。

 彼女はロッド・スチュワートなどのミュージシャンのバック・ボーカルとして経験を積んでいて、1992年にはミック・フリートウッドのプロジェクト・バンドのアルバム「シェイキング・ザ・ケイジ」では見事なボーカルを披露していた。

 ベッカは1968年生まれだったので、フリートウッド・マックに加入したときは、25歳だった。それに歌のうまさだけではなくて曲も書けたので、バンドにとっては都合がよかったようだ。

 彼女は若くて美人だったから、ファンの間ではたちまち有名になり、人気になっていった。スティーヴィー・ニックスが脱退したときは45歳だったから、やはり若い方が受けがいいのは昔も今も変わらないし、洋の東西を問わないらしい。

 そして、ギタリストのリック・ヴィトーの代わりに加入したのが、元トラフィックのギタリストだったデイヴ・メイソンである。
 もうすでに名前は世界中に知れ渡っていて、今更バンドに加入しなくてもよさそうなものだが、旧知の知り合いであるミック・フリートウッドの頼みなら仕方ないということで参加したようだ。Fleetwoodmac_1995_1

 ただ、バンドには加入したものの、デイヴ・メイソンの意識としては、あくまでも“助っ人”という感じで、お手伝い、ヘルパーだった。恒久的なメンバーとしてともに活動するという感じでは最初からなかったようだ。

 この時、デイヴは47歳。確かにまだまだ現役選手として活躍できる年齢だった。70年代や80年代ではかなりの枚数のソロ・アルバムを発表していて、それなりにヒットした曲やアルバムもあったが、90年代に入ってからはあまり彼の活動は聞かれなくなっていた。

 そういう意味では、再び脚光を浴びるには良い機会になったに違いない。ミックやジョン・マクヴィーとはほぼ同年代だったから、気心も知れていただろうし、やりやすかったに違いない。

 面白いことに、この6人はアルバムを発表する前に、ライヴ活動を行い、発表後はライヴ活動を行っていない。普通は、ニュー・アルバムをプロモーションするために、アルバムを発表してからツアーに出るのだが、彼らはアルバムを発表する前にライブ活動を行っていた。日本にも1995年の4月に来日して演奏を行っている。

 そして、新生マックのニュー・アルバム「タイム」は、1995年の10月に発表された。上に書いたように、このアルバムのプロモーション・ライヴ活動は行われていない。

 ちなみに、1995年のライヴを東京の新宿厚生年金会館で見た人の話によると、ライヴの曲は昔の"Oh, well"から黄金期の"Don't Stop"、"Go Your Own Way"、それにトラフィックやデイヴ・メイソンのソロまで披露されたという。もちろん自分の曲では、デイヴ自身が歌っていたのは言うまでもない。

 また、ライヴではクリスティン・マクヴィーが不在となるので、女性ボーカルはベッカだけだったが、彼女はそれをものともせずに、彼女なりに堂々と"Gold Dust Woman"を歌い切り、それだけでなく他のマックの歌も自分の持ち歌のように、ステージ上を元気よく走りながら歌っていたという。
 さらには、ジェレミー・スペンサーも同時期に来日していて、23年振りの共演を果たしたというおまけまでついていた。当日の聴衆はさぞかし喜んだに違いない。

 それで6人制マックとして発表したアルバムが1995年の「タイム」だった。そして結論から言えば、このアルバムは見事にコケてしまった。4127atrfc0l
 全13曲のうち、クリスティン・マクヴィーが5曲、デラニー・ブラムレットとベッカの親子曲が1曲、ビリー・バーネットの曲が2曲、デイヴ・メイソンの曲も2曲、ベッカとビリーの共作が1曲、カバー曲とミック・フリートウッドの曲が1曲ずつという構成で、これはフリートウッド・マックのアルバムとして聞くよりも、まったく別のバンドのアルバムとして聞いた方が新鮮に聞こえるのではないかと思う。

 アルバム冒頭の曲は"Talkin' to My Heart"というビリー・バーネットの曲で、テンポのよい軽快な曲だった。途中からベッカのボーカルが絡んでくるところがよい結果を生んでいる。

 2曲目は"Hollywood"という曲で、ボズ・スキャッグスの曲とは同名異曲だ。サビの部分が非常にメロディアスで覚えやすい。なぜこの曲をシングル・カットしなかったのだろうか。

 3曲目は"Blow By Blow"という曲名で、もちろんジェフ・ベックとは関係はない。デイヴ・メイソンの曲で、メイン・ボーカルも本人である。バックの女性コーラスがソウルっぽい雰囲気を生んでいる。

 4曲目は超ポップな"Winds of Change"で、これはキット・ヘインという女性ミュージシャンのカバー曲だった。彼女はジュリアン・マーシャルとデュオを組んでいたのだが、それが分裂してソロになった。歌っているのはもちろんベッカ・ブラムレットだ。

 5曲目の"I Do"はクリスティン・マクヴィーの曲で、これまたシングルに相応しい曲だった。実際にカナダではシングルで発売されて、チャートの62位まで上昇している。これをヒットと呼ぶかどうかは、微妙なところでもある。

 このアルバムが売れなかったのは、シングルヒットがなかったことであり、それはとりもなおさずレコード会社のプッシュが足りなかったからでもある。
 デッカ・ブラムレットは無名でも、デイヴ・メイソンの方は有名だし、“フリートウッド・マック”というブランド名もあるので、アルバムはそれなりに売れるだろうと思っていたのではないだろうか。

 "Nothing Without You"はデラニーとデッカの親子の作品で、70年代のデラニー&ボニーの曲を聞いているような感じがした。

 "Dreamin' the Dream"はビリーとベッカの共作で、涼しげなアコースティックのバラード曲になっている。バックはストリングスとビリーの演奏するアコースティック・ギターだけで、逆にベッカのボーカルの美しさが目立つ佳曲でもある。

 "Sooner or Later"は、クリスティンの曲で、ダークな別れの曲でもある。クリスティンの凄さは明るい曲はポップでノリがよく、暗い曲は本当に悲しくなるほど情感が込められているところだろう。

 "I Wonder Why"はデイヴ・メイソンの曲で、70年代後半のデイヴを象徴するようなポップでリズミカルな曲だ。途中のベッカの絡みが何となくスティヴィー・ニックス風に聞こえてくるところが“フリートウッド・マック”というブランド名の強さでもある。
 それにデイヴ・メイソンのギターはブリティッシュ・ロック出身の割にはカラッと乾いていて、それがアメリカ西海岸の音楽にマッチするのだろう。

 続く"Nights in Estoril"も軽快な曲で、こちらはクリスティンの曲だった。これもシングル・カットされたらヒットするだろうなあという曲でもある。こういう曲があまり日の目を見ずに埋もれているのはもったいないと思うのだが、誰かリバイバル・ヒットさせてくれないかなあ。

 結構ハードな曲がベッカ・ブラムレットが単独で書いた"I Got it in For You"で、バックのスライド・ギターはビリーが、ノーマルなエレクトリック・ギターはデイヴが弾いているのだろう。この辺はなかなか良いギター・アンサンブルだと思う。Photo
 "All Over Again"もクリスティンの曲で、アルバムの最後を飾る場合や、映画のエンド・ロールに相応しいバラード曲だと思う。ただ残念ながら、このアルバムでは12曲目に配置されていて、最後ではない。

 その最後を飾っているのは、何とミック・フリートウッドが歌っている"These Strange Times"である。正確に言うと、歌っているのではなくて、語り(ナレーション)を入れているだけである。
 7分7秒もある大作で、しっかりとしたリズムの上に、ベッカのバック・コーラスとストリングス・キーボード、エレクトリック・ギターが色どりを添えている。曲を作ったのはミック・フリートウッドと、シンガー・ソングライターのレイ・ケネディだった。

 レイ・ケネディは、ザ・ビーチ・ボーイズやザ・ベイビーズのために曲を書いたり、デイヴ・メイソンの「流れるままに」の中の"Seasons"も作ったりしていた。残念なことに、2014年の2月に急死している。享年68歳だった。

 ミック・フリートウッドは、自身のミュージシャン生活の中で、3曲を書いている。1曲は1969年のアルバム「ゼン・プレイ・オン」に、もう1曲は1977年の「噂」の中に、そして3曲目がこの曲"These Strange Times"だった。ただし、「噂」の中の"The Chain"は、当時のメンバー5人全員による共作だった。

 とにかく、このアルバムは、フリートウッド・マックのイメージをまとったロック・アルバムだった。もう少しビリーとデイヴが協力しながら骨っぽい音楽を作れば、また違う結果になったに違いない。

 あるいはベッカ・ブラムレットとビリー・バーネットの共同制作アルバムとして発表すれば、もっと好意的に受け入れられたのではないかと思う。

 結局、このアルバムはイギリスでは47位まで上がったが、本国アメリカではベスト200位以内にも入ることはできなかった。良い曲がかなりあったにもかかわらず、200位以内にも入らないというのが摩訶不思議だった。話題にも上がらなかったのだろうか。

 アルバム発表後、1年もたたないうちにベッカ・ブラムレットとビリー・バーネットはフリートウッド・マックを脱退した。
 彼らがスティーヴィー・ニックスやリック・ヴィトーと違うところは、実際に2人でアルバムを制作してしまった点だろう。1997年に「ベッカ&ビリー」というアルバムを発表したが、取り上げられることは少なかった。

 逆に、同年にはリンジー・バッキンガムとスティーヴィー・ニックスがバンドに復帰して、フリートウッド・マックは再び黄金期のメンバーになり、さらなるスタジオ盤やライヴ活動を続けていくようになった。

 彼らのディスコグラフィーの中では、極めて評価の低いアルバムになったが、個人的にはそんなに悪いアルバムだとは思っていない。

 フリートウッド・マックのアルバムとして聞かなければ、かなり上質のアメリカン・ロック・ミュージックになっていると思う。思い込みや偏見が判断を誤らせてしまう良い実例アルバムなのかもしれない。

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