2017年8月14日 (月)

ディープ・パープルの新作

 夏は暑い。当たり前のことだが、ここ数年、本当に暑く感じる。日本は亜熱帯地域に移動したのだろうか。

 それで、暑い時には熱い音楽をということで、今回はハード・ロックの歴史的巨人、ディープ・パープルの新作を紹介しようと思った。

 ディープ・パープルといえば、1968年の結成以来、幾度ものメンバー・チェンジを繰り返しながら結成50年を迎えようとする老舗のブリティッシュ・ハード・ロック・バンドである。Deeppurple2016
 今更ながらこんなことを言ってもみんな知っているので仕方ないけれど、リッチー・ブラックモアを始め、亡くなったジョン・ロード、ボーカリストのイアン・ギランやデヴィッド・カヴァーデルなど、このバンドに在籍した、あるいは在籍している有名ミュージシャンは数知れない。

 そんな超有名バンドだが、いまだにニュー・アルバムを発表している。自分なんかは、彼らはもうこれ以上稼ぐ必要もないし、これ以上有名になる必要もないので、南の島に行ってゆっくりと余生を過ごしてもいいと思うのだが、いまだに頑張っている。

 イアン・ギランやロジャー・グローヴァーは71歳だし、一番若いギタリストのスティーヴ・モーズも63歳になる。
 そんな彼らが、通算20枚目のスタジオ・アルバムになる新作を今年の春に発表した。タイトルは「インフィニト」というものだった。61naz64a6tl
 自分は前作の「ナウ・ホワット?!」が予想外に良かったので、思わず輸入盤を購入してしまった。
 前作の「ナウ・ホワット?!」はボブ・エズリンのプロデュースのせいか非常に評判が良くて、北欧や東欧ではオーストリアやチェコ、ノルウェーなどでチャートの首位を飾り、母国イギリスでも19位まで上昇した。

 正式メンバーになったドン・エイリーの活躍とともに、スティーヴ・モーズの演奏も目立っていたし、何しろ曲自体もいい曲が多かった。

 それで新作の「インフィニト」だが、ひょっとしたらこのアルバムで彼らは活動を休止するのではないかと噂されていた。冒頭の"Time for Bedlam"という曲の"Bedlam"とは北ヨークシャー州にある有名な保養地のようで、ついに彼らも引退かともいわれていた。

 自分が聞いた限りでは、前作の「ナウ・ホワット?!」よりはインパクトが弱かった気がした。楽曲自体は悪くないのだが、全体的に一本調子であっという間にアルバムが終わってしまい、印象に残る曲が少ないのだ。

 確かに、普通のバンドのアルバムとして聞けば、水準以上のアルバムなのだが、“ディープ・パープル”という看板を背負ったバンドのアルバムとして聞くと、通常の平均的なアルバムになってしまう。

 決して悪いアルバムではない。3曲目の"All I Got Is You"はメロディアスな佳曲だし、6曲目の"The Surprising"ではドン・エイリーのキーボードが活躍している。スティーヴ・モーズも"Time for Bedlam"や"Birds of Prey"で弾きまくっている。
 ただ、70年代の"Highway Star"や"Burn"のような後世に残る曲が見当たらないのだ。

 ああいう名曲は、そうそうできるものではないということを逆に証明しているようだった。一方で、最後の曲"Roadhouse Blues"の方がシンプルで、シンプルがゆえに逆に際立っていて、耳に残った。

 この曲は彼らのオリジナルではなくて、このアルバムの中では唯一のカバー曲だった。カバーされたのはアメリカのザ・ドアーズの曲で、1970年のアルバム「モリソン・ホテル」に収められていたものだ。

 繰り返し言うが、このアルバムは普通のロック・バンドのアルバムとしては優れているのだが、やはりディープ・パープルという看板を掲げたバンドのアルバムとしては、平均的なものになったのではないだろうか。

 チャート的にも前作よりは下回ったようだ。彼らの熱狂的なファンのいる北欧や東欧でもアルバム・チャートの首位を飾ることはできなかった。唯一、ドイツとスイスではNo.1になり、母国イギリスでは、これが最後の作品といううわさが流れたせいか、6位を飾っている。

 ところで、1974年に彼らが発表したアルバム「嵐の使者」というアルバムがあった。いわゆる第3期ディープ・パープルの最後のアルバムで、この後、ギタリストのリッチー・ブラックモアは脱退してしまう。Mv5bztizoti3y2mtzguzzc00nwvilwiwz_2

 リッチーはこのアルバムを嫌っていて、最低のアルバムだと言っていた。理由はハード・ロック・アルバムではなくて、グレン・ヒューズやデヴィッド・カヴァーデルの意向の強いソウルフルでファンキーな路線に走ってしまったからだ。

 リッチーはこれが嫌だった。だからバンドを脱退したのだろう。ただ、自分的にはこのアルバムは結構気に入っていて、いまだに時々車の中で聞いたりしている。

 それまでのハード・ロック路線の"Stormbringer"と"Lady Double Dealer"の両曲を筆頭に、まさにファンキーなリフの目立つ"Love Don't Mean A Thing"や渋いバラードの"Holy Man"など、ディープ・パープルのイメージには似合わないところが、逆に新鮮に映ったものだ。

 アメリカのバンドの曲を聞いているようで、のちにトミー・ボーリンが加入する下地が作られたような雰囲気が漂っていた。アルバム・ジャケットもアメリカ中西部の竜巻のようで、映画やミュージカルの「オズの魔法使い」に出てくるような感じだった。

 のちにリッチーはステージの演出に「オズの魔法使い」を使用していたが、その遠因はこの辺にあったのかもしれない。51pl4eltgl
 ちなみに、"Holy Man"と"Hold On"の曲のクレジットには、リッチーの名前はなかった。ギター・ソロは残っているので、レコーディングにだけ参加したのだろう。

 それ以外の"High Ball Shooter"でも、リッチーの細かいギターの音を聞くことができるし、"The Gypsy"はリッチーが唯一このアルバムの中で気に入っていた曲だった。(でもへそ曲がりの彼のことだから、ジョークで言ったのかもしれない)

 そして、最後の曲がデヴィッドの歌とリッチーのアコースティック・ギター、ジョン・ロードのシンセサイザーで構成された"Soldier of Fortune"の感動的なバラードだった。この曲を最後に、リッチーはバンドを離れ、自分の思い通りになるバンドを結成したのである。

 とにかく、このアルバムは発表当時は評価が分かれてしまい、従来のハード・ロック路線を期待していたファンからは駄作に近い扱いを受けたし、ファンクやソウルが好きなファンや第3期ディープ・パープルを気に入ったファンからは好意的に受け入れられた。

 この傾向は今も同じようなもので、このアルバムの評価は定まっていないような気がする。ただ、当時はソッポを向いていた人たちの中には、このアルバムを受け入れようとしている人もいるようだ。

 というわけで、ディープ・パープルの新作「インフィニト」ももう少し時間がたてば、評価も高まるかもしれない。画家のゴッホの作品と同じように、偉大な人や作品については理解されるのに時間がかかるのであろう。

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2016年12月19日 (月)

マイク&ザ・メカニックス

 今年のいつだったか忘れたけれど(最近物忘れが激しくて困る、ひょっとしたら病気かもしれない)、マイク&ザ・メカニックスのライヴが放映された。もちろん録画したのだが、その時のメンバーが結成当時と違っていたのに驚いたし、困惑もした。

 ずいぶん変わったなあと思って、ひょっとしたらと思い、彼らのアルバムを探してみたところ、2011年に「ザ・ロード」というタイトルで現時点まででの最新作を発表していたことが分かった。そして、TVでの出演メンバーはその頃とほとんど変わっていないことが分かった。いつのまにかメンバー・チェンジをしていたのである。

 マイク&ザ・メカニックスといえば、ジェネシスのメンバーだったマイケル・ラザフォードが1985年に結成したバンドだった。Images
 当時は、ジェネシスと同時並行で活動をしていて、ジェネシスの活動がオフの時にレコーディングやライヴ演奏を行っていた。

 当時のジェネシスは、従来のいわゆる古典的なプログレッシヴ・ロックからメロディアスでポップなプログレッシヴ・ロックに移行していたけれども、それでもなお世界的に人気のあるバンドだった。
 ただ、一方でメンバーのソロ活動も盛んで、3人のメンバーはそれぞれ自分の活動にいそしんでいたのである。

 中でもドラマーでボーカリストだったフィル・コリンズは、英米でシングル・チャートのNo.1ヒットを記録するなど、まさに八面六臂の大活躍だった。

 それで、マイケル・ラザフォードも自分で活動しようと思ったのかもしれない。ただ、彼はフィルのようなソロ活動ではなくて、バンドを結成している。この辺は彼の性格を反映しているのだろうか。

 バンド・メンバーは5人で、そのうち2人がボーカルを担当していた。
ポール・キャラック(元エース、元スクイーズ)
ポール・ヤング(当時のサッド・カフェと掛け持ち)

 残りのメンバーは、ドラムスにピーター・ヴァン・ホーク、キーボードにエイドリアン・リーという名うてのセッション・ミュージシャンで、マイク自身はギターとベースを担当していた。

 また、ゲスト・ミュージシャンとして元カーヴド・エアのジョン・カービー、元キャラヴァンのデレク・オースティンなども参加していて、このデビュー・アルバムはポップな要素はあるものの、全体的にはプログレッシヴ・ロック的な雰囲気が漂っていた。ある意味、本家のジェネシスと同じくらいプログレッシヴ・ロック臭がしていたような気がする。516qlu9frpl
 このアルバムは好意的に迎えられ、全米アルバム・チャートでは26位を記録したし、ポール・キャラックをフィーチャーしたシングルの"Silent Running"は6位に、ポール・ヤングがメイン・ボーカルだった"All I Need is A Miracle"は5位をシングル・チャートで記録している。

 ただ、彼らがプログレッシヴ・ロックに片足を入れていたのはこのデビュー・アルバムまでで、3年後に発表されたセカンド・アルバム「リヴィング・イヤーズ」はかなりポップ色が強くなっていた。

 このアルバムも全米13位、全英では2位まで上昇して、マイクは本家のジェネシスのみならず、自分のソロ活動でも売れたのだが、父親の死のことを歌った"Living Years"が各国のシングル・チャートで軒並みNo.1を獲得したことが、その要因だったと思われる。71zwazfikl__sl1213_
 ここからは自分の勝手な想像なのだが、マイクはプログレ路線を離れ、英国版ブルー・アイド・ソウルを追及していくようになったのではないだろうか。
 あるいはサッド・カフェや10CCのような、ちょっとひねくれたポップ・ミュージック路線を目指すようになった感じがしてならない。

 もともとイエスやジェネシスのメンバーには、50年代のポップ・ミュージックや60年代のビート・ミュージックの影響を色濃く受けているという経緯があって、いくらジェネシスがポップ色を強めたとはいえ、本家にはそぐわないポップ・ソングは(あるいはブルー・アイド・ソウルは)、マイク&ザ・メカニックスの方で発表しようと思ったのだろう。

 その後、彼らは1991年の「ワード・オブ・マウス」、1995年に「黄金の浜辺にて」、1999年には「マイク&ザ・メカニックス」と、コンスタントにアルバムを発表していったが、人気も商業的なセールスも下降していった。

 理由はシングル・ヒット曲に恵まれなかったり、十分なプロモーションを受けられなかったりしたからといわれているが、アルバムは発表したものの、それに伴うライヴ活動ができなかったことが一番の原因ではないだろうか。

 マイケル・ラザフォードにとってはジェネシスのツアーの合間にマイク&ザ・メカニックスのライヴ活動を行わなければならず、年によってはマイク&ザ・メカニックスのライヴ活動を全くできないこともあったのである。(“Invisible Touch Tour”、“We Can't Dance Tour”など)
 
 それにミラクルズの"You've Really Got A Hold On Me"やスティーヴィー・ワンダーの"I Believe"などのカバー曲も挿入されるようになり、アルバム自体もますますブルー・アイド・ソウル色を強めていったことも、従来のプログレッシヴ・ロック・ファンが離れることにつながったようだ。

 そして、もともとパーマネントなバンドではなかったからだろうが、1999年当時には正式メンバーが、マイクとポール・キャラック、ポール・ヤングの3人になってしまったのである。ついにジェネシスのみならず、マイク&ザ・メカニックス自体も3人になってしまった。(正確に言うと、この当時のジェネシスはフィル・コリンズはすでに脱退していたから、ジェネシスに関しては、オリジナル・メンバーは2人だけだった)

 そして、運命はさらに皮肉な様相を見せるようになる。残念なことに、2000年にポール・ヤングは心筋梗塞で亡くなってしまったのだ。まだ53歳という若さだった。

 だから2004年に「リワイヤード」というアルバムを発表したのだが、バンド名のクレジットはは、「マイク&ザ・メカニックス&ポール・キャラック」になっていた。ボーカリストが一人になったのと同時に、正式なバンド・メンバーはマイクとポールの2人になったからだろう。51r9z05h6gl
 ただこのアルバムは、基本的には、コンピューターでプログラミングされた打ち込みサウンドにメロディアスでソウルフルなポール・キャラックのボーカルが重なっているというもので、商業的な成功は度外視していたようだ。

 それでもポール・キャラックの声を聞くと、80年代からの彼らの姿が浮かんできて、懐かしさと哀愁のあるメロディーに心を動かされてしまった。昔からのファンには受け入れることができるだろうが、今どきのリスナーには果たしてどうだろうか。

 さらには、全9曲でしかもそのうちの2曲は、プログラミングされた打ち込みビートのインストゥルメンタルというのはいかがなものかと思ったりもした。

 当然売れることはなかったのだが、なぜか国内盤は発売されていた。日本では知名度が高かったのだろうか。あるいは、売れると判断されたのだろうか。自分は買ってしまったけれど…

 それから約6年、マイクはメンバーを一新して音楽シーンに戻ってきたのである。メンバーのラインナップは1985年とほぼ同じように、2人のボーカリストと4人のバック・メンバーで、2人のボーカリストの一人はアンドリュー・ローチフォードという黒人のシンガー・ソングライター、もう一人はカナダ人の俳優でダンサーのティム・ハウワーという人だった。Mikeandthemechanics_9216

 最初に述べたように、このメンツで2011年にアルバム「ザ・ロード」を発表したのである。しかもこのアルバムは、個人的には、21世紀の「英国版ブルー・アイド・ソウル」の傑作だと思っている。

 どの曲も甲乙つけがたく、捨て曲なしのアルバムになっているし、アルバム・タイトル曲の"The Road"を始め、"I Don't Do Love"や"It Only Hurts For A While"など一度耳にしたら忘れられない曲が多い。

 また、"Hunt You Down"などは、以前どこかで聞いたような懐かしいメロディが基本になっているし、"Try To Save Me"などのテンポのよい曲もあって、バランスが取れているのだ。61nhom51ytl
 バンド・メンバーは、マイクが直接アプローチをして募ったようで、このアルバムを録音後には、全員でヨーロッパ・ツアーに出かけている。最初に触れられていたTV放送は、この時の模様を放映したのだろう。

 彼らは、2017年の来年も英国でライヴ演奏を続けるという。現時点で66歳のマイクにとっては、唯一のバンド活動になる。ツアーが終わったらスタジオにこもって、ニュー・アルバムの録音に取り掛かってほしいし、新作はぜひ国内盤として発売されることを願っている。

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2016年11月 7日 (月)

マン

 今日は朝の4時くらいに目が覚めた。冒頭から変な話で申し訳ないが、何となくウ〇コ臭くて、その匂いで目が覚めたのだ。ひょっとしたら自分が失禁ではなくて、脱糞をしたのではないかという不安が頭をよぎり、思わず自分のお尻を触ったのだが、そんなことはなくてホッと安心した。

 それでも、もし失禁を通り越して脱糞をしていたのなら、これはもう病気ではないかと思ったりしたのだが、それならこの悪臭は何なのだろうかとも考えた。でも、そんなことを考えながら再び惰眠に落ちてしまったのである。

 結局、目が覚めてテレビをつけると、ニュースで火山の噴火による噴煙が12000m以上も上がり、その影響だったということがわかった。ウ〇コ臭かったのも噴煙と同時に上がった硫黄の臭いということで、改めて自然の脅威を感じた。そして、直下型大地震や南海トラフの実現性や重大性を再認識した次第である。

 イギリスに、マンというバンドがあった。1960年代の初期から70年代にかけて活躍したバンドだが、今も散発的に活動を続けているようだ。Manslowmotion
 自分は一時、“マンフレッド・マン”と、この“マン”というバンドを混同していて、同じものだと思っていた。つまり、マンフレッド・マンが中心となって結成したバンドが、マンだと思っていたのである。

 マンフレッド・マンは、キーボーディストの個人名である。のちに、マンフレッド・マンズ・アース・バンドやマンフレッド・マン・チャプターⅢなどを結成して、優れたアルバムを次々と発表していたが、後者のマンはバンド名だった。

 彼らは、1962年にイギリスのウェールズで結成された。もともとはザ・バイスタンダーズと名乗っていて、1964年から68年の間に8枚のシングルを発表している。そのうち67年にシングル・カットされた"98.6"や68年の"Jesamine"などはヒットしているようだ。

 当時のメンバーは専任のボーカリストを含む5人で、中心人物はギタリストのミッキー・ジョーンズだろう。彼は設立当初から21世紀に至るまで、バンドに所属していたからだ。
 彼らは60年代後半から頻繁にメンバーチェンジを行っていて、68年ごろからマンと名乗るようになった。

 69年にファーストとセカンド・アルバムを発表し、メンバーを一新したあとの1971年に3枚目のアルバム「マン」を発表した。61enhitd1zl
 当初のマンは、時代の流れを反映して、ビート・バンドからサイケデリック・サウンドを追及するようになっていったが、一時期、プログレッシヴなサウンドを追及していた時があった。

 3枚目のアルバム「マン」も、そんなプログレ期へ移行していくマンのサウンドが詰め込まれていた。全5曲だが、1曲目の"Romain"は、スライド・ギターが効果的に使用されている普通のロックン・ロールだった。
 2曲目の"Country Girl"は、タイトル通りの幾分カントリーっぽい雰囲気に満ちていて、時間的も3分8秒と短い。

 3曲目の"Would The Christains Wait Five Minutes? The Lions Are Having A Draw"は、タイトルも長いが時間も長くて、12分52秒もあった。普段からライヴでは演奏していて好評なようで、それなら今回スタジオ・アルバムの中に収録しようということで、収められたらしい。

 曲は、ゆったりとした曲調で進んでいき、特にギターやキーボードが目立つということはない。インストゥルメンタルなので、もう少し起伏があって、エンディングに向けて盛り上がりがほしいところなのだが、あまりパッとしなかった。

 なぜこういう音楽がライヴで好評だったのか、よくわからない。おそらくはライティングやサウンド・エフェクトなどのステージ上の演出と相俟って、印象的だったからではないだろうか。

 "Daughter of The Fireplace"は、ピアノとギターのリフが印象的なロックン・ロールで、疾走感があってカッコいい。こういうところが、このバンドの真骨頂ではないだろうか。こんな曲をもっとやれば、すぐにメジャーになったのではないかと思われる。5分少々のよく練られた曲だった。作曲者は、もう一人のギタリストのロジャー(デューク)・レナードである。

 最後の曲"Alchemist"は20分41秒という長尺曲で、“錬金術師”というタイトルが示すように、イントロのSEか、もしくはキーボードのピコピコ音がちょっとおどろおどろしい感じがした。

 この曲も20分もある割にはまったりとし過ぎていて、面白みに欠ける。プログレッシヴ・ロックというよりは、ホークウインドのようなサイケデリック・ミュージックである。
 ただし、ホークウインドのような躍動感はなく、酩酊状態のようなトリップ感覚を呼び起こすような感じだった。

 この時のメンバー構成は、ギタリストが2名(そのうち1名はキーボードも兼任)に、キーボーディストとリズム・セクションだった。
 同じ1971年には4枚目のアルバムを発表したものの、長いライヴ活動からくる疲労で、キーボーディストのクライヴ・ジョンが脱退してしまった。上に張っている写真は、その時のものであろう。

 ただこのクライヴは、5枚目のアルバム制作時に、新しいメンバーとともにバンドに復帰している。そして新しい5人組で制作されたのが、1972年の「ビー・グッド・トゥ・ユアセルフ」だったのである。51zhmwh3j2l
 このアルバムには4曲しか収められていなくて、これらの曲が収められたアルバムを聞く限りは、プログレッシヴ・ロックのフィールドに近づいたように思えた。

 1曲目の"C'mon"から11分という長い曲になっている。“急~緩~急”という構成で、リスナーを飽きさせないようになっていた。最初と最後のパートではグニャグニャしたギター・ソロとキーボードが強調されていて、それなりに緊張感が漂っている。

 そしてシームレスで2曲目の"Keep on Crinting"に続いているが、この辺は何となくカンタベリー系のバンドのアルバムのようだった。

 前述のアルバム「マン」よりは演奏がしっかりしていて、曲構成もよく考えられている。特にこの2曲目の"Keep on Crinting"はインストゥルメンタルなので、各自の演奏技術が試されているのだが、安定したリズムの上に、ギターやキーボードがそれぞれの個性を発揮していてなかなか良い。高速道路を走るときのBGMに相応しいような8分余りの曲だ。

 オリジナルのLPレコードではこの2曲がサイドAで、3曲目の"Bananas"からサイドBになる。

 この"Bananas"は9分28秒もあり、イントロのギター・リフから始まり“俺はバナナが好きだ、骨がないから”とか“俺はマリ〇ナが好きだ、気持ちよくさせるから”などという訳のわからない歌詞がついてくる。

 歌詞は意味不明だが、曲調はノリが良くて安定感があった。まあ歌詞よりも演奏を重要視しているのであろう。ただ、それぞれの楽器のテクニカルな要素というのは少なくて、総合的な曲構成やフレーズで印象づけている。

 最後の曲の"Life on the Road"はやや遅めのブギウギ風ロックン・ロールで、これはやはりプログレッシヴ・ロックとは言えないだろう。むしろアメリカ南部のサウンドで、レナード・スキナードあたりがやってもおかしくない曲だと思う。

 だからマンは、長いバンドの歴史の中で、どの時期かによるけれども、様々な様態を持っている。
 ただ言えることは、プログレッシヴ・ロックというよりは、サイケデリック・ロックやロックン・ロール・バンドに近いということだろう。

 彼らは、1976年に一旦解散してしまうのだが、1983年に元ジェントル・ジャイアントのドラマーだったジョン・ウェザーズを迎え入れて再結成し、アルバムを発表、活動を再開した。

 ただ残念なことに、中心メンバーだったミッキー・ジョーンズは、脳腫瘍が原因で2010年に亡くなっている。現在は、ベース&ギター担当のマーティン・エースが後を引き継ぎ活動を続けていて、2015年には「リアニメイティッド・メモリーズ」を発表した。

 マンというバンドは、日本では潜在的な能力は高いがそれを十分に発揮できなかったバンドとして認知されている。もう少し商業的に売れていれば、あるいはもっとアルバム・ジャケットを工夫していれば、もっと違う立場になったであろう。

 それは噴火した火山のようなもので、内に秘めた力を発揮できたかできなかったかによる差のように思えてならないのである。

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2016年10月24日 (月)

ジュライ

 一般的に言って、“プログレッシヴ・ロック”というと、キーボードはシンセサイザーやメロトロンを使ったり、超絶テクニックを駆使したギター・ソロがあったりと、それぞれの楽器が個性を発揮しながら、同時に絶妙なアンサンブルを聞かせてくれる音楽を想像してしまう。

 だから時間的に長い曲が多くなるし、曲の特徴によっては、構築美やシンフォニック系、叙情性などがフィーチャーされてくるのだが、“プログレッシヴ”の本来の意味は、“進歩的な、急進的な”というものだろう。

 だから1970年代のプログレッシヴ・ロック全盛期を経験している人にとっては、“プログレッシヴ・ロック”といえば、イエスやピンク・フロイド、ジェネシス、キング・クリムゾンなどを思い浮かべるだろうが、60年代や70年代の同時期を生きていた人にとっては、新奇的な音楽やそれを演奏するバンドなどは、すべて“プログレッシヴ・ロック”や“プログレッシヴ・ロック・バンド”だっただろう。

 今回のバンド、ジュライも21世紀の今から思えば、サイケデリックなブリティッシュ・ロック・バンドなのだが、1968年当時は紛れもなく“プログレッシヴ・ロック”だったに違いない。Julyalanjamestomnewmantonyduhigjonf
 このジュライはマイナーなバンドで、1枚しかアルバムを残していない。それは、1968年に発表された「スーパー・サイケデリック!」というもので、商業的にも成功はしなかった。成功していれば、バンドは長続きしてもう数枚アルバムを発表していただろう。

 このバンドのキー・パーソンは、トム・ニューマンだ。彼の名前を知っている人は、きっとマイク・オールドフィールドのことも知っているに違いない。トムは、マイクの1973年のアルバム「チューブラー・ベルズ」 のエンジニアを担当していたからだ。

 このアルバムには、26種類の楽器の音が複雑に絡み合って、まるで壮大な交響曲のように構成されているが、マイク一人で多重録音を繰り返し、そのオーヴァーダビングの回数は2000回以上になったと言われている。

 マイクは当時のヴァージン・レコードが所有していたマナー・スタジオでレコーディングを行ったのだが、そこでエンジニアとして働いていたのが、トム・ニューマンだった。Maxresdefault
 トムは1943年にイギリスのロンドン郊外ぺリヴェイルで生まれている。今年で73歳になるが、若い時から音楽活動を行っていて、ドリーマーズやトム・キャッツというバンドを結成してライヴ活動を行っていた。

 トム・キャッツは1965年に解散したが、翌年にはスペインにおいてバンドを結成して、活動を始めている。当時はリズム&ブルーズなどを演奏するバンドだったようだ。
 彼らは、マドリッドやバルセロナなど、活動の拠点を移しながらレコーディングも行い、シングル・ヒットも出していたらしい。まさにボヘミアン的というか、ヒッピーというか、いかにも当時の若者らしいライフ・スタイルである。

 ところが、トムはなぜかスペインから帰国し、もう一度イギリスでの音楽活動を始めている。ホームシックに罹ったのか、はたまたスペインで何かトラブルでもあったのか、定かではない。

 ロンドンに戻ったトムは、元トム・キャッツのメンバーだったギタリストのピーター・クックとともに曲つくりをはじめ、今度は当時の流行だったサイケデリックな音楽を目指すようになった。

 間違いなく、ザ・ビートルズの「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の影響だろう。このアルバムは1967年の6月に発表されているからだ。

 彼らは、自らのバンドをジュライと名付けた。バンドの結成が7月だったからだ。たぶん1967年の7月だろう。
 彼らは1968年にシングル曲"My Clown"を発表した。サイドBは"Dandelion Seeds"というもので、前者はピーターが、後者はトムが作詞・作曲したものだった。

 これらの曲は、如何にもこの時代の空気を反映したような作風で、3分から4分少々の短い曲の中に、ポップなメロディーとテープ操作にエフェクトの効いたやラーガ・ロックのようなタムタムが施されていて、摩訶不思議な雰囲気に満ちた曲調だった。

 メンバーはトムとピーターの2人に、ドラムスのクリス・ジャクソン、ベース・ギターのアラン・ジェイムズ、もう1人のギタリストのトニー・デューグ、フルート&オルガンのジョン・フィールドの5人だった。

 この5人で先ほどのデビュー・アルバム「スーパー・サイケデリック!」を発表したのだが、シングルもアルバムも両方とも売れなかった。61ivypuwiel_sx466_
 当時は「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の影響を受けたアルバムが数多く発表されていて、ジュライのアルバムの独自性というか個性が、ほかのバンドのアルバムと区別がつかなかったからだろう。

 何しろあのローリング・ストーンズでも「サタニック・マジェスティーズ」というパクリのようなアルバムを発表しているし、他にもザ・フーやホリーズ、ゾンビーズ、アメリカでもザ・バーズやフランク・ザッパなども影響を受けたアルバムを発表していた。
 
 「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」は、プログレッシヴ・ロックそのものの歴史を生み出したアルバムだと言ってもおかしくない記念碑的存在になったし、その後のロックの歴史を塗り替えたアルバムでもあった。

 とにかく、ジュライのアルバムは、有名無名のバンドの同傾向のアルバムの中では埋もれてしまい、ロック史の中では光を放つことはできなかったのである。

 たとえばジュライのアルバムでも"Jolly Mary"のように転調が目立つ曲もあれば、弦楽器等をアレンジした"Hallo to Me"のような曲も収められている。ただ、耳に残るようなキャッチーなメロディは無いし、思わず唸らせるようなアイデアも見られなかった。

 12曲中、トム・ニューマンの手による曲は5曲で、6曲はピーターが、残り1曲はドラムス担当のクリス・ジャクソンが手掛けている。

 ピーター・クックの曲は、どちらかというとポップなメロディーが目立ち、トム・ニューマンの方はSEが使われていたりと、少々手の込んだ技巧的な曲が多いようだ。
 クリス・ジャクソンの曲である"Crying is For Writers"はどちらかというとロック寄りで、途中とエンディングのワウワウ・ペダルを用いたギター・ソロが印象的だった。Julyb
 だからバンド解散後、トムがエンジニアを目指してスタジオで働き始めたのも理解できるように思えた。彼は売れる曲を作るよりも、できた曲をアレンジしたり、プロデュースしたりする方が性に合っていたのだろう。

 ジュライは1969年に解散して、リード・ギターを担当していたトニー・デューグとフルート、キーボード担当だったジョン・フィールドは、ジェイド・ウォーリアーを結成した。

 一方のトムは、マイク・オールドフィールドやハットフィールド&ザ・ノースのアルバムのエンジニアやプロデューサーを務めるかたわら、自分のソロ・アルバムをコンスタントに発表している。

 また、1995年には「ザ・セカンド・オブ・ジュライ」という未発表曲などを収録した編集盤が発表されているが、どこまでメンバーが関与したのかはよくわからない。

 ただ、2009年には元ジュライのメンバーだったトムとピーターに、アラン・ジェイムズとクリス・ジャクソンが加わって、ジュライが再結成され、2013年には「リザレクション」という12曲入りのオリジナル・アルバムが発表されている。

 このアルバムには、トムも2曲提供しているし、バンドは新旧の曲を入り交えてのライヴ活動も行ったようである。今では活動を継続しているかどうかは不明だが、時々は集まってパブなどで演奏しているのかもしれない。

 いずれにしても、当時は“プログレッシヴ”なバンドはたくさんあっただろう。同時に、こういう音楽性を示していた新進気鋭のバンドやそのメンバーの心の中には、成功するしないにかかわらず、時代を切り拓いているという力強い意志があったに違いない。

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2016年10月10日 (月)

ラウド・ヘイラー

 「ラウド・ヘイラー」とは、“大声で呼びかける”という意味で、“いま、世界で起こっているいくつかの不快なことを目にしたときに、コメントを発表したいと考えた。そして、集会に参加し、拡声器を使って自分の見解を叫ぶというアイデアが気に入ったのさ”とアルバム制作者のジェフ・ベックは述べている。
 
 そう、今回のアルバムは、あの伝説のギタリスト、歴史に残るミュージシャンであるジェフ・ベックの11枚目のスタジオ・アルバムについてである。
 このアルバムのタイトルの由来が、冒頭にあるジェフ・ベックの言葉だった。だからジェフの“異議あり”という声が伝わるようなパワフルでエッジのきいた楽曲でまとめられている。
 
 ジェフ・ベック、今年の6月24日で72歳になった。72歳である。自分にとっては脅威の72歳だ。72歳になった人のサウンドとはとうてい思えないほど、バリバリとギターを弾き、ガンガンとでかい音を出し、ビンビンとロックしているのだ。このアルバム、彼の長いキャリアの中でも歴史的かつ画期的なアルバムになることは間違いないだろう。519drnc0fwl
 このアルバムは今年の6月に発表されているから、もういろいろなところで書かれているので、多くの人はご存知だと思うが、あえて書かせてもらうと、ボーンズというバンドからボーカリストとギタリストをゲストに招いている。
 
 それがロージー・ボーンズとカーメン・ヴァンデンバーグだった。きっかけは、クイーンのロジャー・テイラーのバースディ・パーティーで、ジェフとカーメンが出会ったことからだった。
 そのときジェフは、ガールズ・パンクか何かをやっているのだろうと思い、ちなみに誰が好きなのか聞いたところ、アルバート・コリンズだと彼女は答えたという。
 
 23歳の若い女の子が渋いブルーズ・ギタリストが好みと答えたことがジェフの興味を引いたようで、彼女たちのライヴを見に行き、さっそくその夜に彼女たちをディナーに誘い、このプロジェクトが始まったといわれている。
 実は2010年に発表されたアルバム「エモーション&コモーション」のあと、2014年にはニュー・アルバムの作品が完成していてミキシング中だったのだが、ジェフの意向により、急遽、お蔵入りになってしまった。
 ジェフが言うには、自分の言いたいこととは少し違って、レトロ過ぎるということで、ジョン・マクラフリンみたいな音楽マニア向けするような作品だったようだ。

 それはそれで聞いてみたい気がするのだが、ジェフにとっては良い思い出にはなっていないし、それをプロモーションするために時間をかけたくなかったと述べている。また、このお蔵入りになった幻のアルバムについては、自分の生前には発表する意思はないとも語っていた。Jeffbeckfb2015
 だから「ラウド・ヘイラー」の方は、全くの別物として新たに曲を書き下ろし、録音した曲群で占められているのである。
 
 冒頭の"The Revolution Will Be Televised"は、ハードなリフが特徴的なスロー・ブルーズ風味の曲で、ロージーのポエム・リーディング調の語りとバックのこれぞジェフ・ベックというギターの絡みが斬新でもある。
 続く"Live in the Dark"は21世紀のジェフ・ベック流ハード・ロックだろう。彼のフィンガー・ピッキングによる一音一音の粒が際立っていて、音のキレが素晴らしい。何度も言うようだが、とても72歳の人の感性とは思えないのだ。
 "Pull It"は1990年代後半から導入されたエレクトロニクス・ミュージックの系統をひくようなインストゥルメンタルで、"Thugs Club"も語り調のボーカルをジェフのギターが切り裂くような曲だ。
 今になっては、こういう曲はもはやジェフ・ベックしか演奏できないのではないだろうか。後半のボレロ調におけるエフェクティヴなギターは、もはや彼のトレードマークといっていいだろう。
 
 5曲目の"Sacred for the Children"は、デレク&ザ・ドミノスの"Little Wing"をバラード風に仕立て上げたような名曲だ。ジェフ・ベックには“泣きのギター”というフレーズは似合わないのだが、そういえばロッド・スチュワートと共演した"People Get Ready"という曲もあったし、久しぶりに涙腺が緩むような気がした。
 今思い出したけど、ジェフは、"A Day in The Life"をインストゥルメンタルで演奏していたけれど、あれもかなりの叙情性を秘めていて、感動的だった。原曲が良いからジェフのギターも冴えていたけれど、改めて秀逸なテクニックに裏打ちされたエモーショナルなジェフの演奏を堪能した。
 この"Sacred for the Children"という曲も、もしロッド・スチュワートが歌ったなら、"People Get Ready"以上のインパクトとポピュラリティを獲得したのではないだろうか。ジェフの久々の名曲だと思っている。
 
 ジミ・ヘンドリックスを髣髴させるようなイントロが印象的な"Right Now"、50年代のダンス・パーティー中に流されるようなスロー・バラード"Shame"、ファンキーなカッティングがカッコいい"O.I.L."など、佳曲が多いアルバムでもある。
 そういえば、このアルバムは、ニューヨークのエレクトリック・レディランドで録音されている。ジミ・ヘンドリックスの建てたスタジオだ。そういう環境でレコーディングされているので、ジミの幻影が感じられるような曲も収められているのだろう。
 8曲目の"Edna"は続く"The Ballad of the Jersey Wives"の導入曲のようで時間も1分2秒と短い。

 2001年の9月11日のテロ、いわゆる“9・11”でユナイティッド航空93便に搭乗していてテロリストの計画を阻止し、ペンシルヴァニア州郊外に墜落して亡くなった夫たちの妻のことを歌った"The Ballad of the Jersey Wives"は後半のハイライト曲だろう。
 バラードとはいいながらも実際は怒りや嘆きが込められていて、インパクトが強い。それらが乗り移ったかのようにロージーのボーカルとジェフのギターもまた激しい。
 
 ラストの曲"Shrine"は、日本語でいうと“神社”という意味になるが、自分を信じ、ロックン・ロールを信じ、そして他人を信じて生きていける世の中にするために、祈りを捧げ今を生きていこうというメッセージ・ソングだ。穏やかな曲調の中にも力強さを感じさせてくれる。ジェフの新境地なのだろうか。
 ジェフ自身は、どんなスタイルにしたらいいか最も苦労した曲と言っていて、ボブ・ディランのようなギターをどうやって曲に入れ込むかが難しかったようだ。
 
 とにかく、このアルバムは、どこをどう聞いても72歳のミュージシャンのアルバムではない。20歳代後半か30歳代前半の脂ののったミュージシャンのものだ。どうしてこんなアルバムが作れるのだろうか。
 
 彼はヴェジタリアンだが、ポール・マッカートニーもヴェジタリアンだった。ヴェジタリアンは年を取らないのだろうか。Getty621images76055600
 ただ、ジェフはレッド・ゼッペリンやピンク・フロイドで活動するような、いつも同じ演奏を繰り返すことはできないと言っていて、常に自分のやりたいことを自由にやっていきたいと述べている。要するに、わがままで自分のやりたいことをやっているから、いつまでも感性が瑞々しいのだろう。

 だから60年代から70年代はバンドを結成しても、アルバム1、2枚を発表してすぐに解散させてしまったのだろう。もちろんメンバー間の緊張感や軋轢、音楽的な相違などもあったのだろうが、いきなり解散まで行ってしまうところに、ジェフ・ベックの精神性というか、性格的な傾向が反映されているように思えてならない。
 ジェフ・ベックは、今年の11月11日に両国国技館でライヴを行う予定だ。“クラシック・ロック・アワード2016+ライヴ・パフォーマンス”というイベントのためである。

 彼はステージ上ではギターを替えないそうだ。弦が切れた時のスペア用はあるものの、通常は1本のギターで済ませるという。

 今回のレコーディングでも、テレキャスターとストラトキャスター、ブリキ缶のギターの3本しか使用しなかったという。職人肌で自分の意思を貫き通すジェフ・ベックである。彼の音楽のフレッシュネスさの原因は、こんなところにもあるのかもしれない。
 昔は三大ギタリストというのがあったが、今では、一人は過去の遺産で食っているし、もう一人はギターの上手なシンガーになってしまった。残ったジェフ・ベックだけが今もなおロックの可能性を追及しているようだ。

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2016年9月26日 (月)

アイ・スティル・ドゥ

 前回も述べたけれど、今年はベテラン・ミュージシャンのアルバムが数多く発表されていて、まるで1970年代に戻ったような感じだった。
 
 それで前回はサンタナで、今回はエリック・クラプトンの新作についてである。23枚目のソロ・スタジオ・アルバムになる「アイ・スティル・ドゥ」は、エリック・クラプトンが70歳を超えて初めてのアルバムになった。A1r4m8utp7l__sl1500_

 このアルバムはエリックの叔母のシルヴィアに捧げられている。彼女は2014年に亡くなっているのだが、エリック・クラプトンが彼女に会いに行って、幼いころ面倒を見てくれたことについて感謝の言葉を述べたとき、叔母のシルヴィアは“いえいえ、あなたのことが好きだったから。そして今でもよ”と言ったらしく、その言葉にインスパイアされてタイトルにしたようである。

 エリック・クラプトンは、祖父母夫婦によって育てられた。本当の父親はカナダ人の兵士で16歳のパトリシア・クラプトンが出産する前に、カナダに帰ってしまった。第二次世界大戦が終わったからだろう。

 
 だから最初は祖父母を両親と、叔父のエイドリアンを年の離れた兄だと思っていたようだ。だからシルヴィアとも親しくしていたようで、エリックが学校で悪いことをしても叔母はかばうこともあったらしい。ちなみに実の母のパトリシアは、別のカナダ人兵士と結婚してドイツに行ってしまった。自分の気持ちに素直というか、奔放な人だったようだ。

 基本的に学生時代のエリックは素行が悪くて、だいたいギターを始めたのも女の子にもてたいためという、まさに不謹慎というか、男の子からすれば至極まっとうな動機からだった。だからアルバムのタイトルにするほど、シルヴィアに対しては特別な思いがあったのだろう。

 また別の話題として、アルバムのプロデューサーにはグリン・ジョンズの名前がクレジットされている。グリン・ジョンズといえば、ジミ・ヘンドリックスからローリング・ストーンズ、ザ・フー、イーグルスと歴史的なミュージシャンやバンドのアルバムのエンジニアやプロデュースを行ってきた人で、本人もまた伝説的なプロデューサーでもあった。9780399163876_large_sound_man3_2
 エリック・クラプトンとは1977年の「スローハンド」、78年の「バックレス」以来の共同作業になった。(国内盤アルバムの解説には「スローハンド」以来とあったが、記載ミスだったのだろうか?)

 グリン・ジョンズは、素朴というか伝統的な音作りに固執するタイプのプロデューサーで、最新型の録音機器を使いながらも、そのミュージシャンやバンドの発する基本的な音を大事にする人だ。だからこのアルバムもあまり凝ったサウンドではなく、エリック・クラプトンらしいブルーズやロック・サウンドが鳴らされている。

 だからこのアルバムを聞いたときの最初のイメージは、70歳を超えたクラプトンらしい渋い、もしくは落ち着いた、あるいは枯れたようなサウンドというものだった。しかも全12曲(国内盤は13曲)のうち、エリックの名前がクレジットされた曲は2曲しかなく、あとはトラディショナルや他人の楽曲で占められている。


 まず最初は、リロイ・カーという人の“
Alabama Woman Blues”というスロー・ブルーズ曲で、スライド・ギターがフィーチャーされている。リロイ・カーという人は、1930年代に活躍したピアノ・マンらしい。

 2曲目の“Can’t Let You Do It”はJ.J.ケイルの曲で、シャウトすることもなく淡々と歌っている。J.J.ケイルの曲はもう1曲あって“Somebody’s Knockin’”というブルーズ・ロック曲だった。こちらでもエリックの渋いギターが披露されている。


3曲目の“I Will Be There”はアコースティックな曲で、癒されてしまうような曲調が印象的だ。このアルバムの中でも心に残る曲だと思う。

 再びスロー・バラード曲になる“Spiral”は、エリックと盟友アンディ・フェアウェザー・ロウ、キーボード担当のサイモン・クライミーの手によるもので、「フロム・ザ・クレイドル」の中のブルーズ曲を聞いているかのようだった。

 
 続く“Catch the Blues”はエリック一人によって書かれた曲で、これまたアコースティックというかドブロ・ギターがバックで目立たないように鳴らされていて、エリックは女性バック・ボーカルと一緒に歌っている。確かに70年代のアルバム「スロー・ハンド」や「バックレス」を思い出してしまい、この辺はグリン・ジョンズのアドバイスなのだろう。


 アルバムはこれでもかというかのように、さらにブルーズ曲が続く。クラプトンが子どものころに耳にしたことがあるであろう“
Cypress Grove”で、これはスキップ・ジェイムズの1930年代初期の曲。
 また、ロバート・ジョンソンの“
Stones in My Passway”も収められてる。“Crossroads”やジョン・レノンの“Yer Blues”の中のフレーズも少しだけ聞こえてきて、それらの曲のオリジナルのようにも思えてきた。


 ボブ・ディランの“
I Dreamed I Saw St. Augustine”も9曲目に収められていて、この曲は1967年のボブ・ディランのアルバム「ジョン・ウェズリー・ハーディング」からとられたもの。エンディングでは、エリックはまるで元ザ・バンドのロビー・ロバートソンのように演奏している。

 
 “Little Man, You’ve Had A Busy day”や“I’ll Be Seeing You”も恐らくエリックが子どもの頃に耳にしたり歌ったりしていた曲ではないだろうか。前者は1934年に発表され、ペリー・コモやサラ・ヴォーン、カウント・ベイシーなどが取り上げている。

 
 後者の曲も1938年に書かれたブロードウェイのミュージカル曲で、アン・マレーを始め、ビリー・ホリディ、ビング・クロスビー、トニー・ベネット、ペギー・リーにレイ・チャールズと枚挙に暇がないくらい多くのミュージシャンからカバーされている曲だ。

 
 これは自分の勝手な想像だけれど、これらは叔母さんの好きだった曲ではないだろうか。だからタイトルも含めて、このアルバムを叔母さんに捧げたのではないかと思っている。

 
 したがって、アルバム全体を貫く印象は、最初にも書いたように、落ち着いたものである。これが好きか嫌いかは、意見の分かれるところだろう。個人的にはもう少し躍動感のある曲が欲しかったのだが、これが今のエリック・クラプトンの心境の反映なのだろう。

 あるいは雑誌などでも書かれているように、指の神経損傷でギターも思うように弾けなくなったそうだから、あまりハードなものは無理なのかもしれない。20121119clapton600x1353340058


 ちなみに米国ビルボードのアルバム・チャートでは、前作「オールド・ソック」の13位
を越えて6位を記録している。内容的にはこれからの季節にはふさわしいアルバムと言えるかもしれない。

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2016年5月 8日 (日)

3人のアンディ(3)

 3人目のアンディを誰にしようかと思っていたのだが、なかなか適当な人を思いつけなかった。
 ザ・ポリスのアンディ・サマーズやデュラン・デュランのアンディ・テイラー、XTCのアンディ・パートリッジ、元フリーのアンディ・フレイザーなど、それなりに有名なミュージシャンはいるのだが、紹介するべきアルバムが思いつかなかった。

 それぞれのソロ・アルバムも発表しているのだろうが(ソロ・アルバムがあればの話だが)、どうもネーム・ヴァリューが今一歩のような気もした。アンディ・サマーズもアンディ・テイラーも、自身の所属しているバンドの方が、あまりにも有名だから、むしろそっちの方を紹介した方が良いのかもしれないとも考えた。

 そんな時に、エリック・クラプトンが来日して、武道館での公演記録を更新したというニュースを目にした。そうか、クラプトンか、それならあの人を紹介しなくてはと思い、このアンディに決めたのである。

 かつてクラプトン・バンドでギターを弾いていたアンディ・フェアウェザー・ロウ(以下、長い名前なのでAFLと略す)は、イギリスの南ウェールズ出身のミュージシャンで、今年の8月に68歳になる。Mi0001400093
 もとはエーメン・コーナーというバンドで曲を書き、歌っていた人だった。当時の彼は、アイドル並みに人気があって、イギリス中の女の子の部屋の壁には彼のピンナップが飾ってあったといわれているが、本当だろうか。時間というのは過去の出来事を美化しやすいものである。

 エーメン・コーナーは、60年代のイギリスを代表するR&Bバンドで、1966年に結成された。メンバーは7人構成で、AFLはボーカル専任だった。他には、ギターにベース、ドラム、キーボード、2人のサックス・プレイヤーがいた。

 バンド名の由来は、クラブでソウル・ミュージックをかける時間帯のことから取られていて、彼らの地元では、それが結構人気があったようで、バンド・メンバーの中の何人かは常連で、よく聞きに行っていたらしい。

 それぞれがローカル・バンドでの経験があったので、彼らは、まもなくデッカ・レコードと契約を結び、デラム・レーベルからシングルやアルバムを発表するようになった。1967年のことである。
 デビュー・シングルの"Gin House"は全英12位とヒットし、次のシングルも26位と新人バンドとしては素晴らしい門出を飾っている。

 バンドは、さらにジミ・ヘンドリックスやピンク・フロイド、ザ・ナイス、ザ・ムーヴなど、当時新進気鋭のミュージシャンやバンドとライヴ活動を行っていった。これで彼らの名前は全英中に知れ渡ることになり、翌年発表されたデビュー・アルバム「ラウンド・エーメン・コーナー」は、全英26位を記録した。

 人気を確立したバンド一行は、次のシングル"High in the Sky"をチャートの6位に送り込むと、多額の移籍金に目がくらんだのだろうか、デラム・レーベルを離れ、イミディエイト・レコードに移った。そして、最初のシングル"(If Paradise)Is Half As Nice"を発表したところ、いきなり全英No.1になってしまったのである。

 元々はイタリアのバンドが歌っていたものを、ジャック・フィッシュマンという人が英歌詞をつけた曲で、彼らにとっては最初で最後のNo.1ヒット曲になった。0690628uks28
 この時期のAFLはボーカリストと曲作りに専念していたようで、のちのギタリストというイメージは浮かんでこない。

 ただ、バンドはR&Bを基盤とするものの、どちらかといえば売れ線狙いのポップ・ロック・バンドという道を歩んでいて、ハーマンズ・ハーミッツやスティタス・クォーとツアーを重ねていた。だから、バンドの音楽的ポリシーよりも商業的成果を重視していたようで、シングルのサイドAを飾るのは、自分たちのオリジナルよりも売れるような曲ばかりが優先された。

 先ほどの"(If Paradise)Is Half As Nice"もそうだけど、"Hello Susie"はロイ・ウッドの曲だった。
 それら以外にも"Proud Mary"はC.C.R.のジョン・フォガティが、"The Weight"はご存じザ・バンドのロビー・ロバートソンの手によるものだった。

 AFLは、主にサイドBの曲を手掛けていて、全英6位を記録した"High in the Sky"のサイドBの"Run,Run,Run"や"(If Paradise)Is Half As Nice"の裏面だった"Hey Hey Girl"などは、裏面とはいえ、それなりによく練られた曲だと思う。
 "Run,Run,Run"はいかにも60年代のビートに乗ったポップ・ソングで、AFLのファルセットが印象的だった。"Hey Hey Girl"はオルガンとサックスが目立つマージー・ビート風の曲だった。

 ただ、少し凝りすぎていて、もう少しシンプルにした方が商業的には成功したのではないかと思っている。

 それでも、彼の作曲能力は他のメンバーよりは優れていたのだろう、アルバム「ファエル・トゥ・ザ・リアル・マグネフィセント・セヴン」に収められている"Mr.Nonchalant"はストリングスも使用された美しい曲だし、"Hello Susie"のサイドB"Evil Man's Gonna Win"はギター・メインの軽めの曲だった。

 1969年に、なぜかビートルズの"Get Back"のカバー・シングルを出したが、これがソウル風にアレンジされていて、カッコいいのだ。特に後半のギター・ソロと“Get Back”というコーラスが重なった部分が秀逸である。これが、最後のシングルになったとは残念だった。もう1年後ぐらいに発表していれば、もっと注目を浴びたのではないだろうか。

 エーメン・コーナーは分裂して、AFLはバンド内の何人かとフェア・ウェザーというバンドを結成し、"Natural Sinner"というシングルを発表した。

 これもAFLの手による曲で、アメリカ南部の音楽に影響を受けたような曲で、ブリティッシュ風の湿ったような印象は全くない。ちょうどロニー・レインズ・スリム・チャンスのような感じで、全英シングル・チャートの6位まで上昇している。

 確かにAFLは才能のあるミュージシャンで、曲も書け歌も歌えたのだが、フェア・ウェザーのアルバムが売れなかったせいか、70年代からソロ・キャリアを追及し始めた。
 彼は70年代に4枚のソロ・アルバムを発表したのだが、その中で作曲能力やボーカリストの才能をだけでなく、ギター演奏能力も必要に追われて身につけていったようだ。

 彼がギタリストとして正当に評価されるきっかけになったのは、1978年のザ・フーのアルバム「フー・アー・ユー」においてであった。
 このアルバムでは、ギタリストのピート・タウンゼントのサポートとして、バック・コーラスとギター演奏を行っていて、これがかなりの評判を呼んだ。

 1982年のアルバム「イッツ・ハード」では、ピート・タウンゼント自身がアルコール中毒のリハビリに応じなければならず、アルバム制作中に入院してしまった。
 その時の代役としてAFLに声がかかり、アルバムのほとんどの演奏を手掛けている。もしピートがそのまま長期の離脱になった場合には、AFLのバンド加入も真剣に考えられたといわれている。

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 ここから、彼の出しゃばらないギター・プレイやピックを使わないフィンガー・ピッキングのスタイルが好評になり、エリック・クラプトンを始め、旧友のロジャー・ウォーターズやデイヴ・エドモンズ、ジョージ・ハリソン、あのジョー・サトリアーニまでもが声をかけ、ライヴ演奏やスタジオ録音に引っ張りだこになっていった。

 今回のクラプトンのコンサートに、AFLが参加しているかどうかは不明だが(ネットの情報によると、今回も一緒に日本に来ているようだ)、とにかく非常に器用なミュージシャンである。1304191103308046862_v1
 普通なら器用貧乏で終わってしまうミュージシャンが多いのだが、彼の場合は、才能だけでなく、幸運を引き寄せるような強運も備えているようだった。
 それはおそらく、彼の人間性によるものだろう。売れても売れなくても、淡々と自分の仕事をこなすその職人肌に多くのミュージシャンが魅かれていくのだろう。自分もかくありたいものである。

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2016年4月15日 (金)

ホージア

 昨年は、この人のアルバムを、携帯音楽プレイヤーに入れてよく聞いたものだった。他の人のアルバムは、数ヶ月でニュー・アルバムに交代したが、この人のアルバムだけは、ずっとヘヴィ・ローテーションだった。

 個人的には、サム・スミスのアルバムよりもよく聞いたのではないかと思っているし、彼と同等か、それ以上の評価が与えられてもおかしくないと思っている。

 アメリカではグラミー賞にもノミネートされていたし、それなりの評価を伴っていると思うのだが、如何せん、ここ日本では、彼についての情報量が少ないせいか、なかなか評判にならない気がする。

 ホージアは、アイルランド生まれの26歳。本名は、アンドリュー・ホージア=バーンというらしい。父親が地方のブルーズ・ミュージシャンだったせいか、幼いころから音楽に親しみ、高校卒業後は、ダブリンにあるトリニティ・カレッジで音楽を専攻した。

 ただ、自分の目指す音楽と合わなかったようで、1年生の途中で退学している。在学中はオーケストラに所属していたり、退学後も2012年までは合唱団で活躍するなど、音楽の素地は培っていたようだった。

 その後、彼は2013年に5曲入りのEPを制作したが、その中の1曲"Take Me to the Church"がインターネットに流されると大ヒットし、iTunesでは1位を、アイルランドのシングル・チャートでは2位を記録した。2

 これで自信を得たホージアは、アメリカ進出を試み、数多くのフェスやクラブでのライヴ活動、テレビ出演をこなしながら、"Take Me to the Church"を始めとする自作曲を歌っていったのである。人気の出るきっかけとなったのがインターネットというのは、いかにも21世紀のミュージシャンらしい話だ。

 2014年に、13曲入りのスタジオ・アルバムが発表され、その冒頭に"Take Me to the Church"が収められていた。
 ホージアの声質は、低中音部がエルトン・ジョンのような深みのあるもので、それによく伸びる高音部が付属している。合唱団に所属してノルウェーやオランダをまわっていただけのことはあって、歌に表現力を含んでいる。

 アイルランドのシンガー・ソングライターといえば、ダミアン・ライスが有名だが、彼は正統派というか、ギター一本での弾き語りなどが主流で、全体的に静謐な印象が強い。
 一方、ホージアの方はオーセンティックな手法だけでなく、ロックやR&B、あるいはゴスペルの影響を強く受けた音楽などをやっていて、かなり音数が多いのだ。

 ホージア自身もギターにピアノ、シンセサイザー、曲によってはベース・ギターまで演奏していて、マルチな才能を発揮している。アルバムのプロデュースも共同で行っていた。まさに音楽的才能に満ち溢れたミュージシャンなのである。

 "Take Me to the Church"はピアノを基調とした力強いバラードだが、2曲目の"Angel of Small Death & The Codeine Scene"やその次の"Jackie And Wilson"などは、ボーカルがメインの力強いロック調の曲になっている。バック・ボーカルにゴスペルの風味が加えられていて曲に広がりが感じられる。3

 ホージアとエルトン・ジョンの声は似ていると書いたが、身長はかなり差があって、ホージアの方は190㎝以上の長身だ。また、写真を見ればわかると思うが、長髪でフサフサしている。エルトン・ジョンも若いときはフサフサだったけれど、だんだん減少していった。ホージアもやがてはそうなるのだろうか。
 また、アコースティックからロック、R&Bまで幅広い音楽性もホージアとエルトン・ジョンには共通しているように思う。

 ちなみに"Take Me to the Church"は、ホモセクシャルに対するカソリック教会の偏見についてホージアの不満を述べたもので、そういう点でも、エルトン・ジョンと共通しているかもしれない。

 「母は教会に育てられたんだけど、ものすごくそれに反対していた。その教理に関して僕ははっきりした意見を持っている。アイルランドでは、権力が乱用され、女性や子供たちはひどい虐待を受けてきた。あれは有害な組織なんだ。僕は子供の頃に影響は受けなかったけど、成長するにつれて、その偽善、女性の扱い方、そして同性愛嫌悪に気付いてしまった」とホージアは雑誌のインタビューに応えている。

 アイルランドにおけるカソリック教会に対する非難は、シンニード・オコナーも同じようなことを述べていて、体制側として民衆を抑圧してきたその姿勢には、多くのミュージシャンが反対の姿勢を示している。

 自分は詳しくないのでよくわからないのだが、プロテスタントが生まれてきたのも、カソリック教会の堕落からだったはず。昔も今も何らかの問題を抱えていることは否定できない事実のようだ。
 なお、この曲は2015年の第57回グラミー賞ソング・オブ・ジ・イヤーにノミネートされていた。Photo

 このアルバムの特徴は、詞と曲のバランスが良い点だろう。バランスというよりも、その両方のレベルが非常に高いところで実に巧みに調和されているところだと思う。

 "Take Me to the Church"だけでなく、セカンド・シングルの"From Eden"では、人間の原罪意識や罪と罰、現代社会における孤独感など、どのようにも受け止められる暗喩が散りばめられていて、読み手のその時の状態によって、幾重にも解釈できる。

 この特徴は、他の曲にも表れていて、こういう技術的な曲作りの高さも、多くの人の注目を集める理由になっているのだろう。

 曲調もアコースティック主体の"In A week"、"Like Real People Go"やバラード調の"Work Song"など、バラエティ豊かだし、彼のボーカルを最大限に生かせるような抑制のきいたアレンジもまた見事である。

 この辺は、父親の影響もあるかもしれない。子どもの頃からアメリカのブルーズのレコードを聞いて育ち、特にデルタ・ブルーズ、チェス・レコード、モータウンなどの音楽を始め、ビリー・ホリディ、トム・ウェイツなどのミュージシャンなどもお気に入りだったようだ。
 だから、このアルバムにもそういうレコードやミュージシャンの影響が反映されているのだろう。

 まだまだ26歳と若いし、これからのポピュラー・ミュージック界をリードしていく逸材の一人である。サム・スミスやアデルを始め、イギリスやアイルランドから世界的有名ミュージシャンが陸続と輩出されているが、ホージアもまたその中の一人であることは言うまでもないだろう。

 ただ残念なのは、イマイチ日本では人気が出ていないことだ。せめてこのアルバムだけでもいいから、国内盤が発売されてほしいと願っている。

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2016年3月 3日 (木)

 「福山ロス」という言葉が、昨年、流行語大賞の候補の一つに挙げられた。もちろんこれは、福山雅治の結婚に対して多くの女性が喪失感を覚えたことを意味する言葉だった。

 同じように、今年の1月10日に亡くなったデヴィッド・ボウイに対して、「ボウイ・ロス」という言葉を口にする人たちがいたが、自分もその中の一人だった。
 仕事は可能だし、生活も何とか送ることはできたのだが、ふとした瞬間に、ボウイのことを思い出し、ボウイの過去の曲が反芻され、ボウイのニュー・アルバムを傾聴したいという欲求が高まってくるのである。18021

 1月12日火曜日の毎日新聞でのボウイの死亡記事を読んだ。そこにはある評論家がボウイのニュー・アルバム「★」に対して、“陰々滅々の音”という全く的外れのことを言っていた。この著名な女性評論家は、いったい何を聞いてそう思ったのだろうか?自分は、この人は悲しみのあまりに、彼の音楽を正しく受け止めきれなかったのではないだろうかと思ったほどだった。

 2013年に発表された「ザ・ネクスト・ディ」は10年間のインターバルを埋めるには出来すぎの作品だったが、それはその当時のボウイというよりは、約10年の間に彼が書いてきた楽曲が並べられていた。だから、彼が何かの新しい音楽分野に挑戦したり、新しいキャラクターを作り出したというわけではなかった。

 それは、アルバムにクレジットされたミュージシャンを見てもわかるだろう。比較的新しく参加したギタリストのデヴィッド・トーンやドラマーのザッカリー・アルフォードを始め、お馴染みのトニー・レヴィンにアール・スリック、古顔のマイク・ガーソンもいた。

 ある意味、それまでのボウイの音楽観が、1枚のロック・アルバムに凝縮されていたのだ。だから、もちろん音楽的内容については期待を裏切るものではなかったけれども、ファンにとってはその内容よりも、とにかくボウイが復活したということの方が重要だったに違いない。

 そしてボウイは、2016年の1月8日、自分の誕生日に合わせて25枚目のスタジオ・アルバム「★」を発表した。(サウンドトラックやティン・マシーン時代のものを除く)51sxk8rvhsl__sl1500_
 このアルバムには創造者、表現者としてのデヴィッド・ボウイがよく表れている。ある人も言っていたけれど、ひょっとしたら70年代後半の「ベルリン三部作」の再現の第一歩を示すアルバムになったかもしれない、そんな意義のあるアルバムだった。

 先ず、ボウイは、ジャズにアプローチしている。もう少し正確に言うと、ジャズをやっているのではなくて、ジャズ・ミュージシャンを起用して、ジャズの方法論を取り入れた斬新で実験的なロック・アルバムを制作したのである。

 ジャズは、ボウイにとって音楽の原点となるものだった。彼がサックスを演奏するようになったのも、ジャズに興味を持ち、チャーリー・パーカーを崇拝していたからだった。15歳から19歳まではジャズ系のバンドでも活動を行っていたようだ。

 また、このアルバムでは、ドラマーのマーク・ジュリアナの存在が大きいと思う。彼は、超絶技巧派の奏者で、まるでサンプラーか打ち込み音楽のように、正確なビートを刻みだすことができると評価されている。

 他にも、ヒップホップからフュージョンまで幅広い分野で活躍するキーボード・プレイヤーのジェイソン・リンドナーやソロ・アルバムを何枚も出しているギタリストのベン・モンダーなどが参加していた。

 これはボウイ自身が、ヒップ・ホップのケンドリック・ラマーの音楽を聞いていたことに起因していて、ケンドリック・ラマーのようにジャンルを超えた音楽、ヒップ・ホップやソウル、ジャズ、ロックなどがミックスされたものを参考にしようとしていたからだ。

 ここからは推測が混じるので、あくまでも個人的な意見ということで理解していただきたい。

 このアルバムには7曲しか収められていない。時間にして41分13秒である。7曲の中で、先行シングル"Sue(Or In A Season Of Crime)"と"'Tis A Pity She Was A Whore"は2014年にシングルとして発表されていたが、このアルバムでは、コンパクトなエディット・バージョンになっている。

 そして残りの曲は、それ以降に書かれてアルバムに収められている。つまりこのアルバムに収められている曲は、すべてこの2年以内に書かれた新曲だったわけで、本来ならもう4,5曲作って60分ぐらいのものを発表したかったのではないだろうか。

 だからこのアルバムは、はっきりと死を自覚して、その上で制作されたアルバムだったのだ。
 たとえば1曲目の"★"には、"star"という言葉が何度も出てくるが、もちろんこれには自分の姿が投影されているに違いない。

 現在の中東情勢を暗喩で表わしているような"'Tis A Pity She Was A Whore"は、時代を反映していると言えるし、3曲目の"Lazarus"にはズバリ"Look up here, I'm in heaven"(ここを見上げるんだ、私は天国にいる)という歌詞も見られる。

 さらには"Dollar Days"には"If I never see the English evergreens, I'm running to"(もし英国庭園を二度と見ることがないのなら、走り出していくだろう)や"I'm falling down"(私は落ちていく)という言葉も見られる。

 そして極めつきは、最後の曲だろう。"I can't give everything away"(私はすべてを与えることができるというわけではない)と名付けられた涙が出るほど美しいバラード曲には、次のような歌詞が見られるのだ。

"Seeing more and feeling less
Saying no but meaning yes
This is all I ever meant
That's the message that I sent
I can't give everything"
「よく見ようとすれば感じることができなくなる
ノーということはイエスを意味する
これが私が言いたかったことのすべてだ
これが私が送ったメッセージだ
私はすべてを与えることができるわけではない」
(訳:プロフェッサー・ケイ)

 ボウイは死を自覚し、自分の誕生日にアルバム発表ができるように、アルバムの完成を急いだのだろう。だから7曲41分13秒という中途半端な形になったのだ。61wc2v45hxl__sl1200_
 しかし、その内容は、死に臨んだ人の感性とは思えないほど瑞々しく、時代に対しても自覚的で、新しい音楽的胎動を感じさせるものだった。

 本当にここから新三部作が始まったかもしれない、そんなことを予感させるアルバムでもあった。一体どこをどう聞いたら、“陰々滅々”の音楽になるのだろうか。先の音楽評論家は深くこのアルバムを聞くこともなく、とりあえず新聞発表用のコメントを用意したのだろう。

 デヴィッド・ボウイは、なぜ変化を繰り返したのか。一つは、時代の音に対して自覚的だったからだ。
 ボブ・ディランに影響されたフォーク調のデビュー・アルバムから始まり、グラム・ロックからソウル・ミュージック、ヨーロッパ流デカダンスの反映された音響音楽にパンク・ミュージックを経て、ダンサンブルなポップ・ミュージック等々、常に時代に対峙していて、その動きを見極め、消化し、取り入れていった。

 もう1つは、自分自身の自我(精神)に対して自覚的だったからだ。ボウイの母親には5人の兄妹がいたが、そのうちの3人の妹は、いわゆる統合失調症だった。
 同時に、母親と最初の夫の間に生まれた義兄のテリーも精神病院に長く入院していて、母親自身もやがて精神に異常をきたすようになっていった。

 テリーとボウイは、非常に仲が良くて、7歳年上のテリーは少年時代のボウイを溺愛していたと言われている。ただ、テリーとの仲は、ボウイがメジャーになるにつれて、だんだん疎遠になっていった。

 ボウイは、常に神経症的な不安を抱えていたのではないだろうか。自分もテリーや母親のように、やがては自分が誰なのかわからなくなり、病院に収容されて世の中から隔離されてしまうのではないかという不安である。

 「僕は精神分析医に行ったことはない。両親や兄や姉はみんな行ったけど、その結果、彼らはみんなもっと悪くなってしまった。だから僕は医者に行かない。その代りに、歌を書いて問題を解消しているんだと思う」
 のちに、ボウイはこう述べているのだが、彼がカメレオンのように好んで音楽的変化を遂げていったのも、停滞は自己崩壊の始まりだと、捉えていたのではないだろうか。

 ちなみに義兄のテリーは、1985年、ボウイがアルバム「トゥナイト」発表直後に、鉄道自殺で亡くなっている。ある意味、ボウイの創造意欲の源泉の一つだったテリーだったが、ボウイは葬儀には顔を出さなかったと言われている。

 ただ逆説的に言えば、ボウイには優れた音楽的素養や芸術的な感性が確かに備わっていたことは間違いないだろうが、それはある意味、平凡と非凡、もっと言えば正常と狂気の境界線上にあったのではないだろうか。そういう意味で、彼は母親や自分の家系に自覚的だったことが、功を奏したに違いない。

 とにかく、彼は生と死を、生涯を通じて演出していった唯一のミュージシャンだった。自分は、彼が本当にアルバム発表の2日後に亡くなったとは思えないし、信じていない。このことはやがては都市伝説につながるのではないかと思っているのだが、もし本当に2日後に亡くなったとしたら、やはりボウイは生まれながらにして特異な人間だったのだ。“神が愛でられし子”とは、まさに彼のことを言うのだろう。

 ボウイは、最初のアルバムが売れなかったときに、ミュージシャンをやめてチベット仏教の僧侶になろうと思っていたようだが、仏教でいう“諸行無常”、“輪廻転生”を亡くなるまで信じていたような気がする。Ofinalphotofacebook
 そうでないと、今年の1月8日の誕生日のこの笑顔の意味が理解できないのだ。この2日後に本当に亡くなったのだろうか。Davidbowie_1
 ボウイは、また生まれ変わって、異星の地でスターマンを演じていくに違いない。彼自身もそれを信じていたからこそ、こういう表情を出せたのだろう。そんな彼の今までのところ最後の贈り物が、「★」だったのである。

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2016年1月15日 (金)

クロスアイド・ハート

 今年は申年ということで、それにちなんだ内容のものを考えていた。それでふと“サル顔”のミュージシャンを特集してみたらどうかと思いついたのだが、よく考えたら外国人の(だけでなく日本人でも)サル顔ミュージシャンは結構いそうな気がしたので、それはやめることにした。特に、ステージで歌っているシンガーなどには、たくさんいそうな気がしたからだ。例えば、ミック・ジャガーとか…

 それでミック・ジャガーで思い出したが、同僚のキース・リチャーズが、昨年23年ぶりにソロ・アルバムを発表していたことをすっかり忘れていた。
 キースももう72歳。写真でキースの顔を見たのだが、かなりの皺くちゃで、しかもアイラインを描いているために、かなり不気味だった。また、彼や彼のファンには申し訳ないが、かなりのサル顔だと思った。

2

 というわけで、前回のロッド・スチュワートに続き、第2弾はキース・リチャーズの23年ぶりのソロ・アルバム、「クロスアイド・ハート」について書くことになった。今年2回目も高齢ミュージシャンである。別に高齢ミュージシャンの特集を行っているつもりはないのだが、これも少子高齢化、自分が高齢化したせいだろう。

 キースの言葉を借りれば、彼のソロ・アルバムは、ローリング・ストーンズの活動休止中に作られるようだ。今回のアルバムも、ストーンズの結成50周年後に発表されたのだが、よく考えたらストーンズのオリジナル・スタジオ・アルバムは、2005年の「ア・ビガー・バン」が今のところ最後になっていて、それ以来作られていない。

 それでキースは、この10年くらいの間に曲を書き溜めしていて、偶然出会った?ドラマーのスティーヴ・ジョーダンとレコーディングを開始した。だから基本はキースとスティーヴの2人で演奏している。しかもキースは、ピアノやエレクトリック・シタールなど9種類の楽器を扱っていた。

 ちなみにスティーヴ・ジョーダンとは、1988年のファースト・ソロ・アルバム「トーク・イズ・チープ」からの付き合いだから、お互い何をやりたいかが分かっていたのだろう。

 一方、ゲスト陣も豪華で、旧友のワディ・ワクテルに、歌姫ノラ・ジョーンズ、ネヴィル・ブラザーズのアーロン・ネヴィルにアイヴァン・ネヴィル、それに忘れてはならないのは多くのストーンズのアルバムやライヴで演奏していたサックスのボビー・キーズだ。

 彼は2014年の2月に肝硬変で亡くなっている。70歳だった。彼とキースは同じ生年月日(1943年12月18日)で、生まれた時間も2,3時間ぐらいしか違わなかった。キースにとっては、ボビーはソウル・ブラザーズみたいなもので、彼の死は当然のことながらショックだったし、同時に彼の貢献に対しては心から感謝しているとインタビューで語っていた。

 さて、アルバムだが、いきなりロバート・ジョンソン風の曲"Crosseyed Heart"から始まる。キースがアコースティック・ギター1本をバックに歌っているもので、まさにいぶし銀の楽曲、演奏である。1分52秒ながらキースのルーツの一端が伺えた。

 続く"Heartstopper"はストーンズ風のノリノリの曲で、ストーンズのアルバムなら間違いなくアルバムの冒頭に置かれるだろう。ワディ・ワクテルがリードを、ラリー・キャンベルがペダル・スティール・ギターとヴァイオリンを演奏している。

 "Amnesia"はミドル・テンポの曲で、サックスはボビー・キーズが担当している。これも何となくストーンズ風だった。まあ、キースのソロ・アルバムなのだから、そうなっても当然のことだろう。
 ただ、このアルバムでは、キースはとにかく歌っている。歌って、歌って、歌いまくっている。だからギタリストのアルバムというよりは、シンガーのそれに近いし、ひょっとしたらクラプトン以上ではないだろうか。Photo
 "Robbed Blind"は、"Slipping Away"のようなキース流のバラード。ある日目が覚めたら、すぐ手の届くところにあった曲らしい。あっという間に曲が完成したそうで、こういうふうにできた曲は、彼の長いキャリアでも他には"Satisfaction"しかないらしい。

 "Trouble"は、何となくジャム・セッションから生まれたような曲で、イントロからラフっぽい。途中のワディのスティール・ギターがワイルドでカッコいい。この曲がファースト・シングルで、"Heartstopper"がセカンド・シングルになっている。

 ストーンズの「ブラック&ブルー」の中にあるような曲は"Love Overdue"で、レゲエ風味がいいアクセントになっている。この曲はオリジナルではなくて、グレゴリー・アイザックスというジャマイカ人のレゲエ・ミュージシャンのものだった。彼は2010年に59歳で亡くなっている。

 "Nothing on Me"もミックが歌うと、粘っこくてストーンズ風になるのだろうが、キースが歌うとストーンズよりも黒っぽくなるところが面白い。バックにアーロン・ネヴィルが参加しているからでもないだろうに。
 このアルバムの曲は何れも3分~4分と短くて、もっとキースのギター・ソロや歌を聞きたいと思ってしまう。これも彼の作戦の一つだろう。

 また、カバー曲を除いて、ほとんどの曲はキースとスティーヴの2人で作られているが、唯一キースひとりで作った"Suspicious"もバラード曲。TOTOのデヴィッド・ペイチがオルガンを弾いている。

 "Blues in the Morning"は、タイトルを見ても分かるようなブルーズ・セッションの中から生まれたような曲で、故ボビー・キーズのサックスがフィーチャーされている。ギター・ソロはキース自身で、さすが芸歴50年のテクニックが光っている。エンディングのラフっぽさがたまらない。

 "Something for Nothing"もミックがすき好んで歌いそうな曲。ギター・ソロはワディが弾いている。ミドル・テンポの曲にゴスペルのコーラスが加わるところが斬新だと思った。

 歌姫ノラ・ジョーンズが曲作りにも参加し、デュエットしているのが、ジャズ風味のバラードの"Illusion"で、ギターとピアノはキースが弾いている。ベースは熟練セッション・ベーシストのピノ・パラディーノだ。キースとノラ2人のデュエットがフェイド・アウトされているところが、マイナス・ポイントだろう。最後まで聞きたかった。3

 続く"Just a Gift"もバラードで、ここでもキースはピアノとギターを担当している。フィドルやビオラが使用されているところが珍しい。
 このアルバムには2曲のカバー曲が含まれているが、もう1曲はアメリカのフォーク・ソング"Goodnight Irene"だった。フランク・シナトラを始め、クラプトンにライ・クーダー、トム・ウェイツなど数多くのミュージシャンが取り上げている名曲で、ここでのバージョンは5分半以上もあり、このアルバムの中では一番長い曲になっている。

 "Substantial Damage"もラフな作りになっていて、いかにもキースらしい。ボーカルも酔っ払いが歌っているような感じだ。こういうジャム・セッションから、ストーズの数々の名曲が生まれてきたのだろう。

 最後を締めくくるのは、やはりバラード曲か。"Lover's Plea"にはトランペットやトロンボーンなどの金管楽器も使われていて、ルイジアナかミシシッピーのような南部の雰囲気を漂わせてくれる。

 このアルバムは好評だったようで、全英アルバム・チャートでは最高位7位を、全米では11位を記録した。いかにもキースらしい内容だったということもあっただろうし、ストーンズの新作を待ちわびているファン心理もチャートの上昇に拍車をかけたのかもしれない。

 とにかくこのアルバムは、キースによるアメリカン・ミュージックの再解釈になっていて、ブルーズからジャズ、ロック、R&B、フォークと若かりし頃のキースに影響を与えた音楽に満ち溢れている。

 そしてそこから、再び自分の音楽を追及していくのであろう。今年はストーンズのワールド・ツアーが噂されているし、スタジオ・アルバムの制作も噂されている。願わくば、もう一度この目で生の姿を拝見したいものである。恐らくは、もう最後になるであろうから。

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