2017年10月16日 (月)

オール・シングス・マスト・パス

 今回と次回は、前回のデラニー&ボニーとの関連で、彼らと関係のあった人たちの活動やアルバムなどを紹介したいと思う。

 とにかく、1970年という年のデラニー&ボニーや彼らの友人たちの活躍は、今から考えればとんでもなく影響が強かったということがやっと理解できた。
 デラニー&ボニー自身のみならず、彼らを支えるミュージシャンたちは、デイヴ・メイソンやエリック・クラプトンなどの著名ギタリスト、クラプトンが結成したデレク&ザ・ドミノス、ジョー・コッカーなど、アメリカ南部のサウンドに興味を持ったイギリス人ミュージシャンに多大な影響力を与えている。

 今回紹介するのは、やはり1970年に発表された元ザ・ビートルズのジョージ・ハリソンのアルバム「オール・シングス・マスト・パス」である。

 このアルバムは、以前、2007年にもこのブログで一度紹介しているのだけれども、今回はデラニー&ボニーの影響力という観点で見てみたいと思う。81iccilbogl__sl1500__2
 このアルバムの素晴らしさについては、あえて繰り返す必要はないだろう。当時は、“静かなビートル”とか“ザ・ビートルズの第3の男”とか言われていたジョージ・ハリソンが、ザ・ビートルズ解散後、今までジョンとポールの陰に隠れて目立たなかった分を一気に吐き出すかのように発表した3枚組アルバムだった。(CDでは2枚組)

 全23曲、特に当時のレコードの1枚目と2枚目の楽曲群のメロディーの豊かさや曲の持つ印象度など、一聴しただけでこのアルバムの素晴らしさとジョージ・ハリソンの才能の豊かさを実感させられたものである。
 今更こんなことを言うと自体、彼のファンには失礼かもしれないが、今聞いても全く違和感のないエヴァーグリーンなアルバムなのである。

 このアルバムには"My Sweet Lord"、"What is Life"、"All Things Must Pass"などの有名な曲や、地味だけどメロディが美しい"Isn't It A Pity"、"If Not For You"、"Behind That Locked Door"などもあり、どの曲も個性があり、水準が高い。

 このアルバムを曲ごとに説明を加えていくと、2日や3日では終わらないので、今回はというか、未来永劫にわたって割愛したい。
 それで、デラニー&ボニー関係のミュージシャンは誰かというと、だいたい次のようだ。

ギター…エリック・クラプトン、デイヴ・メイソン
ベース…カール・レイドル
ドラムス…ジム・ゴードン
キーボード…ボビー・ホワイトロック
サックス・・・ボビー・キーズ
トランペット…ジム・プライス

 もちろん彼ら以外にも、ビリー・プレストンやバッド・フィンガーのメンバーなどの有名ミュージシャンは参加しているのだが、誰が見ても分かるように、ベーシストやドラマー、キーボーディストなどを集めると、デレク&ザ・ドミノスになってしまう。

 デレク&ザ・ドミノスは、同じ年の11月に、ということはこの「オール・シングス・マスト・パス」とほぼ同じ時期に歴史的名盤「いとしのレイラ」を発表しているので、自分たちの録音の合間を縫って、ジョージのアルバムに参加したことになる。

 ちなみに、ホーン関係のボビー・キーズとジム・プライスは、1971年のローリング・ストーンズのアルバム「スティッキー・フィンガーズ」にも参加しているので、彼ら両名にとってもこの時期は引っ張りだこの状態だったようだ。

 当時は、クレジットには記載されていないが、実際にはレコーディングやライヴに参加するということはよくあったようで、この「オール・シングス・マスト・パス」でも、エリック・クラプトンの名前はクレジットされていないが、実際には参加している。

 逆に、ジョージ・ハリソンの方も、自分のアルバムに参加してくれたお礼をするかのように、デレク&ザ・ドミノスの「いとしのレイラ」に参加していた。ジョージ・ハリソンは、"Tell the Truth"と"Roll It Over"(アルバム未収録)において、バックでギターを弾いていた。

 エリックの方は、アルバムの最初の曲"I'd Have You Anytime"を始め、"Wah-Wah"、"If Not For You"、"Art of Dying"、"Isn't It A Pity(Version2)"などでギターを担当していた。特に、"If Not For You"ではドブロ・ギターを演奏している。

 でも、やはり一番の聞きどころは、当時のレコードの3枚目にあたる通称"Apple Jam"だろう。71auugna1al__sl1267_
 最初の"Out Of The Blue"は11分14秒の大作で、演奏しているのはデレク&ザ・ドミノスのメンバーに、サックスにはボビー・キーズ、オルガンはゲイリー・ライト、そしてもちろんジョージ・ハリソンもギターを弾いている。

 混沌とした演奏ながらも、全体をリードするジョージのギターと、時折挿入されるエリックのギターがいい味を出している。その間を縫うように、ボビーのピアノとゲイリーのオルガンが目立っている。

 ジャム・セッションとはいいながら、後半はスリリングに盛り上がっていくところは、さすがプロ集団である。できれば、フェイド・アウトをせずに、最後まできっちり収録してほしかった。

 次の"It's Johnny's Birthday"は、わずか49秒の短い曲。曲というよりは、お遊びで歌っている感じだった。ザ・ビートルズの元ロード・マネージャーのマル・エヴァンスがクリフ・リチャードの曲"Congratulation"を替え歌にしている。

 3曲目はすぐに始まる。この"Plug Me In"というタイトルの曲では、ジョージとエリック・クラプトン、それにデイヴ・メイソンの3人のギター・バトルが3分18秒間繰り広げられている。
 最初はジョージが、次にデイヴ・メイソン、最後がエリックという順番だろう。ただ、これも3分余りでは非常にもったいない気がした。できれば、もう少し拡張してほしかったと思ったのは自分一人ではないだろう。

 次の"I Remember Jeep"の“Jeep”とは、当時のエリックの飼っていた愛犬の名前のようだ。
 曲はジョージが操作するムーグ・シンセサイザーで始まり、続いてシャッフル調の曲に移る。8分余りの曲だが、リード・ギターはエリック・クラプトン、ベースはクラウス・ヴアマン、そしてドラムはあのジンジャー・ベイカーだった。

 エリックのギターがフィーチャーされていて、ジョージのアルバムというよりは、エリック・クラプトンのソロ・アルバムに入れてもおかしくない。ピアノはビリー・プレストンが担当していて、当然のことながら、ノリのよい演奏を聞かしてくれる。

 ただ曲の途中から後半に向けて、ジョージの操作するムーグ・シンセサイザーのピコピコ音やサウンド・エフェクトが目立ってきて、調和を乱している。
 あくまでもジャム・セッションだったからいいものの、曲として完成させるためには、もう少しアレンジが必要だろう。

 3曲目の"Plug Me In"の続編にあたるのが、最後の曲"Thanks For The Pepperoni"だろうか。時間も5分31秒とやや長めだった。
 セッション・メンバーは"Plug Me In"と同じで、ギター・ソロもジョージ、デイヴ・メイソン、エリック・クラプトンになっていて、この曲ではデイヴ・メイソンのギター・ソロが目立っている。

 残念なのは、この曲もエンディングがブチッと切られていて、最後まで完奏されていない点だろう。ちょっとでもいいからもう少し長く演奏してほしかったし、あるいは曲として完成させてほしかった。

 確かにジャム・セッションだからといえば、その通りなので、多少は我慢するしかないのだが、レコードの1枚目や2枚目には珠玉の名曲ぞろいなので、セッションについても頑張ってほしかった。

 今となっては想像するしかないが、このセッション風景を見たかったと思う。映像で残っていれば、まさにプレミアものだろう。いや、プレミア以上のものに違いない。歴史的な映像記録になるだろう。

 それはともかく、ジョージ・ハリソンとエリック・クラプトンとは、ザ・ビートルズの"While My Guitar Gently Weeps"でも共演しているから、親交も厚い。たとえクレジットはなくても、お互いのアルバムでは演奏しているし、ミュージシャン同士の情報交換もあったに違いない。

 だからデラニー&ボニーのことや、彼らをバックアップしているミュージシャンのこともイギリス人ミュージシャンに知れ渡ったのだろう。
 前回も書いたけれど、エリック・クラプトンがデラニー&ボニーのことを知ったのもジョージ・ハリソンもしくはデイヴ・メイソン経由だと思われる。

 ジョージの「オール・シングス・マスト・パス」の場合は、特にアメリカ南部のサウンドを意識して制作したわけではない。ドミノスのメンバーを連れてきたのは、間違いなくエリック・クラプトンだろう。

 ただ、ジョージの心の中にはザ・ビートルズの束縛から逃れて自由に表現活動ができるという喜びがあり、その歓喜からボブ・ディランを始め、様々な英米のミュージシャンとの交流を図ったのだろう。その成果がこのアルバムの中の"Apple Jam"の中に収められているのだ。George_harrison_all_things_
 そして、エリック・クラプトンがレコーディング中のメンバーを連れてきたにしても、結果的にジョージは彼らの参加を認め、レコード1枚を使って自分たちの演奏を記録として残そうとした。
 結局、元の話に戻るのだが、それほど当時のデラニー&ボニーを始めとするアメリカ人ミュージシャンの影響力は高かったということだろう。

 次回は、同じような活動をしたもう一人のイギリス人を紹介したいと考えている。

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2017年10月 3日 (火)

デイヴ・メイソン(2)

 70年代は、デイヴ・メイソンにとっては黄金期だった。特にレコード会社を移っての1973年から1980年までは、どのアルバムも話題性に富み、セールス的にもよかった。

 また、70年代の後半にイーグルスやドゥービー・ブラザーズのようなバンドや、J.D.サウザーやジャクソン・ブラウンのようなシンガー・ソングライターの影響で、ウエスト・コースト・サウンドというものが台頭してきた。

 また、A.O.R.(アダルト・オリエンティッド・ロック)と呼ばれる心地よい、あるいは毒にも薬にもならないような“ニュー・ウェイヴ・オブ・ソフト・ロック”みたいな音楽も人気を博していた。
 “ニュー・ウェイヴ・オブ・ソフト・ロック”とはもちろん私個人の造語であって、そんな言葉はどこにもない(はずだ)。新しい時代のソフト・ロックという意味で、要するに、耳に心地よい楽曲のことである。

 この“ウエスト・コースト・サウンド”と“A.O.R.”の両方を目指していたのが、70年代のデイヴ・メイソンだったような気がする。
 もちろん、これは本人に聞いたわけではないので個人的な憶測なのだが、意図的かどうかはわからないけれども、結果的にはそういう音楽になってしまったので、これはやはり本人が、その結果を了承したと考えても間違ってはいないと思う。

 しかも時代に沿った音楽だったから、商業的にも成功した。こういう結果も、彼にとっては自信につながったに違いない。

 そして、この時代のデイヴ・メイソンを代表するアルバムを2枚だけ紹介しようと思う。なんで2枚なのかというと、だって2枚しか持っていないからである。

 これは個人のブログなので、恣意的な意見になるのだけれども、できればデイヴ・メイソンには「アローン・トゥギャザー」のようなアメリカ南部の影響の濃い音楽を追及してほしかった。

 時代に敏感なのは現役ミュージシャンとして必要な感覚だし、売れることは決して悪くはないのだけれども、元トラフィックとしての経歴や、ジミ・ヘンドリックスやジョージ・ハリソンとのレコーディング等の実績を考えれば、もっと玄人肌のギタリストとして活躍してほしかったというのが、正直な気持ちなのだ。

 まあしかし、それはあくまでも周囲の声の一つだし、あくまでも決めるのは本人である。結果的には、この当時の彼の活躍が正当に評価されて今に至っている。当時のアルバムが今でもCDで入手できるのも、70年代の彼の活躍があったからこそだろう。

 それで最初の1枚は、1975年の「スプリット・ココナッツ」である。これはもうアルバム・ジャケットを見ただけで、どんな音楽かが想像できるようなものだった。619s78ynr3l
 実は前年のアルバム「デイヴ・メイソン」はかなり評判が良くて、アルバムのチャートでも25位まで上昇していた。
 メイソン自身の曲もよかったし、それ以上に以前からライヴでも演奏されていたボブ・ディランの"All Along the Watchtower"やサム・クックの"Bring it on Home to Me"などのカバー曲も秀逸だったからだ。

 それで「スプリッツ・ココナッツ」を発表したのだが、結果的には、そんなに良い評価を得られたわけではなかった。
 音楽的には前作よりももっとファンキーでソウルフルになっているが、全体的には性急な音作りになっているようだった。

 まず最初の"Split Coconut"はファンキーなリズムが強調されていたし、次の"Crying, Waiting&Hoping"はバディ・ホリーの曲だが、ここではレゲエ調にアレンジされていた。
 このアルバムではベーシストがジェラルド・ジョンスンというアフリカ系アメリカ人に代わっていたが、メイソンの意図を汲んでの交代劇だったのだろう。

 3曲以降は、まさにウエスト・コースト・サウンドかつA.O.R.路線の曲が並んでいる。耳には心地よいのだが、ロック的なインパクトには欠けている。決して非難しているわけではないし、車でのドライブのお供には最適な音楽だと思うのだが、もっとギタリスト、デイヴ・メイソンというものを前面に出してほしかった。

 ただ、"She's A Friend"にはデヴィッド・クロスビーとグラハム・ナッシュが参加していて美しい歌声を聞かせてくれるし、"Save Your Love"ではディープでブラックなギター・ソロを聞くことができる。昔流行った“チョッパー・ベース”も耳にすることができる。ただ、エンディングのギター・ソロはカットしないで、もう少し長く流してほしかった。

 続く"Give Me A Reason Why"は哀愁のあるメロディラインで、このアルバムの中でも注目に値する。ここでのリード・ギターはバンドメイトのジム・クリューガーが演奏している。

 ジム・クリューガーは以前からデイヴ・メイソンのバンドで活動していて、メイソンと袂を分かった後も、西海岸でセッション・ミュージシャンとして活躍した。 
 1978年にはソロ・アルバムも発表したが、1993年に心筋梗塞で亡くなった。43歳だった。約18年間にわたってデイヴ・メイソンと一緒に活動してきて、このアルバムや次のアルバム「流れるままに」では彼の演奏や作った曲を聞くことができる。

 7曲目の"Two Guitar Lovers"とは、もちろんメイソンとジム・クリューガーのことを指している。そして曲の中でも2人のギター・ソロというか、爽やかなギターの絡みを聞くことができる。右チャンネルがジムで、左チャンネルがメイソンのようだ。

 次の"Sweet Music"はタイトル通りのポップでスウィートな曲だ。しかし、デイヴ・メイソンは、よくこんなポップな曲をかけるなあと感心してしまった。ただ、ギターよりもジェイ・ウィンディングのキーボード・ソロが目立っていると思う。

 そして最後の曲が"Long Lost Friend"である。最後の曲に相応しくギター・ソロが強調されていて、ギタリスト好きにはたまらないだろう。もちろん時代は“ソフト&メロウ”だったから、パープルやゼッペリンのように弾きまくっているわけではないけれども…

 「流れるままに」は1977年に発表された。「スピリット・ココナッツ」との間には2枚組ライヴ・アルバム「ライヴ~情念」が発表されていたので、スタジオ盤としては2年ぶりの作品になった。61aygvnynyl
 アルバムはいきなり"So High(Rock Me Baby And Roll Me Away)"というタイトルの曲から始まるのだが、これがまた明るくてトロピカルな雰囲気になっている。
 この曲は、のちにシングル・カットされていて、チャートの89位になった。どうせならほかの曲の方がよかったと思うのだが、どうだろうか。

 そして2曲目に名曲"We Just Disagree"が流れてくるのだが、これがバンドのギタリストであったジム・クリューガーの書いた曲なのである。これだけの曲がかけるのだから、やはり才能のあるミュージシャンだったのだろう。彼の早すぎた死が悔やまれてならない。
 ちなみに、この曲もまたシングル・カットされて、12位まで上昇した。デイヴ・メイソンの曲の中では最大のヒット曲になったわけである。

 このアルバムには捨て曲が見当たらない。それほどどの曲もレベルが高い。そしてアレンジも素晴らしくて、それぞれの曲に相応しい味付けがされている。

 3曲目の"Mystic Traveler"もそんな曲で、ストリングス・シンセサイザーを始め、ハープやホーンの音までが絶妙なブレンドで合わせられている。ムーディーでありゴージャスなのだが、逆に、基本のメロディラインを目立たせているところが素晴らしい。

 "Spend Your Life With Me"はまるでエンターテイナーの世界だろう。フランク・シナトラが歌ってもおかしくないだろう。途中のサックスがアダルトな雰囲気を高めてくれる。

 逆に、おしゃれでファンキーなのが"Takin' the Time to End"で、少しアレンジを変えればジャミロクワイが歌ってもおかしくない曲だ。やはりこういう曲が書けるデイヴ・メイソンは、才能豊かなのだ。

 6曲目が一部アルバム・タイトル曲にもなっている"Let it Go, Let it Flow"で、これも売れそうなポップ・ソングだ。シングル・チャートでは45位まで上昇した。
 続く、"Then It's Alright"もまたホーン・アレンジが施されていて、曲調を高めていた。オーヴァー・プロデュースになりそうな微妙なところなのだが、結果的にはよかったみたいだ。

 昔はこのアルバムは華麗すぎて好きになれなかったのだが、今聞けばそれなりの工夫が曲ごとに施されているのが分かってきて、なるほどなあと納得してしまった。デイヴ・メイソンもそれなりに考えたのだろう。

 8曲目の"Seasons"も爽やかなハーモニーが美しい曲だ。クレジットを見ると、スティーヴン・スティルスと当時はエリック・クラプトン・バンドに所属していたイヴォンヌ・エリマンが参加していた。どうりで美しいわけだ。

 また、このアルバムの特徴だけれども、デイヴ・メイソンの弾くギターの音は、軽くて輝いていて、変な言い方だけれど、まるでハワイアン・ソングのように聞こえてくる。
 一音一音がきれいにピッキングされていて、粒が際立っているように聞こえてくる。変なエフェクターを使っていなくて、ナチュラルなトーンを大切にしているのだろう。

 逆に、"You Just Have to Wait Now"でのギター・ソロでは、少しだけオーヴァードライヴかディストーションをかけているようだが、そんなに嫌味にならないのがよい。アルバムに統一感を持たせているのだろう。3分6秒と短い曲だった。

 そしてアルバムの最後を飾るのは、"What Do We Got Here?"という、これまた後期ドゥービー・ブラザーズのような曲だった。ストリングスやサックスが部分的に被さってくるのだが、それがブラックな感触を与えてくれる。マイケル・マクドナルド的音楽を導入したのだろうかと邪推してしまった。

 このアルバムが売れないわけがないだろうということで、チャート的には最高位37位だったものの、アルバム・チャートには49週間留まっている。ほぼ1年間チャートに顔を出していたというわけだ。

 メイソンはその後、マイケル・ジャクソンやフィービー・スノウなどとアルバムで共演を果たすものの、話題性はあったがヒットには結びつかなかった。Davemason
 フリートウッド・マック脱退後は、ソロで活動していて、DVDや過去の作品のセルフ・カバー・アルバムなどを発表している。また、以前よりは回数は少なくなったものの、今でもデイヴ・メイソン・バンドとともにライヴ活動を行っているようだ。

 実力や才能はあるものの、過小評価されているギタリストだと思っているが、本人にはあまり物欲や名誉欲はないのかもしれない。もう十分満たされていると思っているのだろう。今後も「流れるままに」活動していくに違いない。

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2017年10月 2日 (月)

デイヴ・メイソン(1)

 デイヴ・メイソンというミュージシャンほど過小評価されている人は、いないと思う。というか、1970年代の後半は知名度、人気ともに抜群だったのだが、80年代以降はアルバムを発表する機会が減り、音楽シーンの第一線から遠ざかっていった。

 だから、彼が1995年にフリートウッド・マックのアルバムに参加したと聞いて、少し驚いたのである。彼ほどの知名度と実力があれば、ソロでも新しいバンドでも活動できると思ったからだ。

 むしろ、フリートウッド・マックの残党と組んで、新しいバンドを結成してほしかったと思っている。その音楽的方向性は、フリートウッド・マックの系統を受け継ぐものの、それプラス、ブルーズ・ロックや南部サザン・ロック風のレイド・バックした音楽をやってほしかったのだ。

 デイヴ・メイソンは、今年で71歳になった。エリック・クラプトンが72歳になっているから、ほぼ同時期のギタリストといってよいだろう。0ad5d3a8ed06800d8aa408721d7e94a8
 そういえば70年代には、この2人はよく比較されたものだった。両者には共通点が多かったからだ。英国人であり、ギタリスト、そして途中まではほぼ同じような音楽的なキャリアを経験している。

 例えば、クラプトンはクリームやジョン・メイオール&ザ・ブルーズブレイカーズなどのバンド活動を経験してソロになったが、メイソンの方もトラフィックというバンドを出たり入ったりしながら、ソロ活動を開始し、クラプトンよりも早くアメリカに渡って、現地のミュージシャンとコラボを始めた。

 考えようによっては、クラプトンはデイヴ・メイソンの活動の軌跡を追っているようだった。それに人気も当時はほぼ同じようなものだったし、むしろクラプトンの方がアルコールとドラッグに溺れていて、1974年の「461オーシャン・ブールヴァード」が成功しても不安定な要素は絶えず付きまとっていた。

 一方、デイヴ・メイソンの方は、1970年に初めてのソロ・アルバム「アローン・トゥギャザー」を発表した後、所属していたレコード会社ブルー・サム・レーベルから最終的に訴えられるなどのトラブルはあったものの、1973年に当時のアメリカ・CBSレコードと契約した。ここから彼の音楽的キャリアが大きく花開き、70年代のメイソンは人気、実力ともにトップ・クラスのミュージシャンと認められていったのである。

 彼は1946年の5月10日に、イギリスのウォセスターに生まれた。子どもの頃から音楽に関心を示し、15歳でバンドを結成して音楽活動を始めるようになった。
 やがて、天才少年と言われていた元スペンサー・ディヴィス・グループのスティーヴ・ウィンウッドと出会い、ジム・キャパルディ、クリス・ウッドとともに伝説的なバンド、トラフィックを結成した。

 しかし、スティーヴ・ウィンウッドとの関係は、いわゆる“両雄並び立たず”の言葉通りにうまくいかず、バンド結成の翌年の1968年に脱退してしまった。
 ただ、セカンド・アルバム制作中やそれ以降のバンド活動には戻って来て、楽曲を提供したり、また脱退したり、ツアーには参加したりと、なかなか落ち着かなかったようだ。

 やはりミュージシャンは、自分の才能を発揮して何ぼという感覚があるのだろう。自分の表現欲求を満足させるためにも、この辺の経緯は彼にとっては必然だったのだろう。
 トラフィックは、元々ウィンウッドのR&Bフィーリングを活かしたサイケデリックなロック・バンドだったから、アメリカの南部のテイストも備えていた。

 それを持ち込んだのもデイヴ・メイソンだと言われているが、結局、彼はその音楽性をもっと追及するために、アメリカへと旅立ち、そこでのミュージシャンと一緒に音楽を作り上げていった。その第1弾が1970年の「アローン・トゥギャザー」だった。

 このアルバムは英国人ミュージシャンによる初めてのスワンプ・ロック・アルバムだと言われていたが、21世紀の今になって聞くと、そんなに泥臭いイメージは少ない。A1xbtcxysll__sl1500_
 これはデイヴ・メイソンの持つ資質の一つだといえよう。彼が加わるとブルーズやR&Bの要素が薄まり、少しロックやポップのテイストが加わってくるのだ。だから、全体として聞くと、非常に聞きやすいロック・ミュージックになってくるのである。

 個人的には、“スワンプ・ロック”というよりは、アメリカ南部の音楽に影響を受けたイギリス人によるロック・ミュージックだろう。
 曲によっては、その後の彼の歩みを暗示させるものもあるし、逆に、彼のルーツを示すようなブリティッシュな雰囲気を湛えたものもある。

 ただ1970年当時に、こういう音楽を作り上げた英国人ギタリストは彼が最初だったことは事実だし、そういう意義においては、歴史的なアルバムといっていいと思う。

 1曲目の"Only You Know And I Know"などは、最初聞いたときはドゥービー・ブラザーズの曲かと思ったほどだ。ノリは良いし、アコースティック・ギターとエレクトリック・ギターの対比も素晴らしかった。
 3曲目の"Waitin' on You"も同様のノリなのだが、バックの女性コーラス隊が艶っぽくて、ソウルフルなのだ。この曲はトラフィックというか、スティーヴ・ウィンウッドが歌った方がより黒っぽくなって適しているのではないだろうか。

 4曲目の"Shouldn't Have Took More Than You Gave"を聞くと、確かにスワンプ・ロックだろうと思う。ピアノはレオン・ラッセルっぽいし、ワウワウのエフェクトを効かせたギターが70年当初の雰囲気を醸し出している。

 それにバラードの2曲、"Can't Stop Worrying, Can't Stop Loving"と"Sad And Deep As You"はとても印象的だった。前者はややアコースティックでカントリーっぽい。ちょうどイーグルスの名曲"Take it to the Limit"を彷彿させる曲だ。後に、なぜ彼がウエスト・コースト・ミュージックに魅かれていったかがよくわかる。

 もう一つのバラード曲"Sad And Deep As You"は、哀愁を誘うバックのピアノ演奏が感涙ものである。ニッキー・ホプキンスが弾いているかと思った。
 もちろん曲自体も陰りを帯びていてなかなかのものである。強いて言えば、もう少し曲に起伏をつけてくれるともっと盛り上がったと思うのだが、どうだろうか。

 このバラードと前述の"Shouldn't Have Took More Than You Gave"は、トラフィックの1971年のライヴ・アルバム「ウェルカム・トゥ・ザ・キャンティーン」にも収められているので、聞き比べてみるのも面白いかもしれない。

 最後の曲の"Look at You Look at Me"は、最初聞いたときはボブ・ディランの"All Along the Watchtower"かと思った。それほど最初の部分が似ていたからだった。そういえば、メイソンはジミ・ヘンドリックスのアルバム「エレクトリック・レディランド」にも参加していたから、その時のことをイメージしたかもしれない。

 それにこの曲の後半の部分のギター・ソロは、エリック・クラプトンが演奏していると言われている。1分以上も延々とソロを繰り広げているし、それにメイソンの弾くようなフレージングではないようだ。
 ただ、このアルバムのクレジットには、クラプトンの名前はなかった。シークレットで参加したのだろう。

 アルバム・クレジットといえば、このアルバムに参加したミュージシャンは凄い。確かに、アメリカ南部のミュージシャンが大勢大挙して押しかけたようだった。

 例えば、ピアノ&キーボードにレオン・ラッセルやジョン・サイモン、ベース・ギターにカール・レイドル、ラリー・ネクテル、ドラマーがジム・ゴードン、ジム・キャパルディ、ジム・ケルトナー、バック・ボーカルにデラニー・ブラムレット、リタ・クーリッジとマイク・クーリッジ、アイク&ティナ・ターナーとも経験のあるクラウディア・レニアー等々、確かに錚々たるメンバーである。

 のちに、エリック・クラプトンもアメリカ南部のミュージシャンと一緒にアルバムを制作したり、ツアーを行ったりしたが、その原型はここにあったのだと思っている。クラプトンもこの時のデイヴ・メイソンの行動を参考にしたのだろう。

 とにかく、このアルバムは好評で、これからシングル・カットされた"Only You Know And I Know"は、ビルボードのシングル・チャートで42位まで上昇した。

 この当時のデイヴ・メイソンはミュージシャンからも頼りにされていたようで、ジミ・ヘンドリックスのアルバムだけでなく、ジョージ・ハリソンのアルバム「オール・シングス・マスト・パス」にも客演しているし、クラプトンのデレク&ザ・ドミノスからも参加要請を受けていた。

 また、キャパルディとクリス・ウッドなどとバンドを結成したり、親友のレイ・ケネディのアルバムにも参加している。

 話は前後するが、プロデューサーのジミー・ミラーとも親しくて、その関係でローリング・ストーンズのアルバムにもノン・クレジットで演奏したり、また、イギリスのバンド、ファミリーのデビュー・アルバムにも楽曲を提供していた。この70年前後はかなり忙しくしていたようだ。

 ただ、上にも書いたように自分の求めようとする方向性とレコード会社が要求する音楽性が一致せず、メイソンは会社から訴えられてしまった。よほど自体が紛糾したのだろう。

 最終的には、彼はこのレコード会社に4枚のアルバムを残している。「アローン・トゥギャザー」と「デイヴ・メイソン&キャス・エリオット」、「ヘッドキーパー」、「デイヴ・メイソン・イズ・アライヴ」の4枚で、最後のアルバムはライヴ盤だった。

 “キャス・エリオット”というのは、もちろん元ザ・ママス&ザ・パパスの女性ボーカリストのキャス・エリオットだ。ふたりのデュエット・アルバムという企画ものだった。
 このアルバムは企画ものというせいか、アコースティックで爽やかなアルバムに仕上げられている。曲もなかなかのものだし、一聴に値するだろう。

 また、「ヘッドキーパー」もスタジオ盤とライヴ盤の2枚組アルバムという企画だった。できれば、コンパクトにまとめてスタジオ盤1枚にした方が売れると思うのだが、この頃のメイソンはレコード会社と係争中だったから、そんなにもうけさせてやらないぞという気持ちが出ていたのかもしれない。

 しかも4枚目もライヴ・アルバムだったし、やはりレコード会社移籍の方が気になっていて、ほとんどやる気がなかったのだろう。契約消化のためのライヴ・アルバムだったに違いない。91l2ltxlvyl__sl1500_
 しかし、その問題も1973年までは片付いて、彼はアメリカ・CBSレコードと契約を結び、目指す音楽が詰まったアルバムを本格的に発表できるようになったのである。

(To Be Continued to Tomorrow)

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2017年8月14日 (月)

ディープ・パープルの新作

 夏は暑い。当たり前のことだが、ここ数年、本当に暑く感じる。日本は亜熱帯地域に移動したのだろうか。

 それで、暑い時には熱い音楽をということで、今回はハード・ロックの歴史的巨人、ディープ・パープルの新作を紹介しようと思った。

 ディープ・パープルといえば、1968年の結成以来、幾度ものメンバー・チェンジを繰り返しながら結成50年を迎えようとする老舗のブリティッシュ・ハード・ロック・バンドである。Deeppurple2016
 今更ながらこんなことを言ってもみんな知っているので仕方ないけれど、リッチー・ブラックモアを始め、亡くなったジョン・ロード、ボーカリストのイアン・ギランやデヴィッド・カヴァーデルなど、このバンドに在籍した、あるいは在籍している有名ミュージシャンは数知れない。

 そんな超有名バンドだが、いまだにニュー・アルバムを発表している。自分なんかは、彼らはもうこれ以上稼ぐ必要もないし、これ以上有名になる必要もないので、南の島に行ってゆっくりと余生を過ごしてもいいと思うのだが、いまだに頑張っている。

 イアン・ギランやロジャー・グローヴァーは71歳だし、一番若いギタリストのスティーヴ・モーズも63歳になる。
 そんな彼らが、通算20枚目のスタジオ・アルバムになる新作を今年の春に発表した。タイトルは「インフィニト」というものだった。61naz64a6tl
 自分は前作の「ナウ・ホワット?!」が予想外に良かったので、思わず輸入盤を購入してしまった。
 前作の「ナウ・ホワット?!」はボブ・エズリンのプロデュースのせいか非常に評判が良くて、北欧や東欧ではオーストリアやチェコ、ノルウェーなどでチャートの首位を飾り、母国イギリスでも19位まで上昇した。

 正式メンバーになったドン・エイリーの活躍とともに、スティーヴ・モーズの演奏も目立っていたし、何しろ曲自体もいい曲が多かった。

 それで新作の「インフィニト」だが、ひょっとしたらこのアルバムで彼らは活動を休止するのではないかと噂されていた。冒頭の"Time for Bedlam"という曲の"Bedlam"とは北ヨークシャー州にある有名な保養地のようで、ついに彼らも引退かともいわれていた。

 自分が聞いた限りでは、前作の「ナウ・ホワット?!」よりはインパクトが弱かった気がした。楽曲自体は悪くないのだが、全体的に一本調子であっという間にアルバムが終わってしまい、印象に残る曲が少ないのだ。

 確かに、普通のバンドのアルバムとして聞けば、水準以上のアルバムなのだが、“ディープ・パープル”という看板を背負ったバンドのアルバムとして聞くと、通常の平均的なアルバムになってしまう。

 決して悪いアルバムではない。3曲目の"All I Got Is You"はメロディアスな佳曲だし、6曲目の"The Surprising"ではドン・エイリーのキーボードが活躍している。スティーヴ・モーズも"Time for Bedlam"や"Birds of Prey"で弾きまくっている。
 ただ、70年代の"Highway Star"や"Burn"のような後世に残る曲が見当たらないのだ。

 ああいう名曲は、そうそうできるものではないということを逆に証明しているようだった。一方で、最後の曲"Roadhouse Blues"の方がシンプルで、シンプルがゆえに逆に際立っていて、耳に残った。

 この曲は彼らのオリジナルではなくて、このアルバムの中では唯一のカバー曲だった。カバーされたのはアメリカのザ・ドアーズの曲で、1970年のアルバム「モリソン・ホテル」に収められていたものだ。

 繰り返し言うが、このアルバムは普通のロック・バンドのアルバムとしては優れているのだが、やはりディープ・パープルという看板を掲げたバンドのアルバムとしては、平均的なものになったのではないだろうか。

 チャート的にも前作よりは下回ったようだ。彼らの熱狂的なファンのいる北欧や東欧でもアルバム・チャートの首位を飾ることはできなかった。唯一、ドイツとスイスではNo.1になり、母国イギリスでは、これが最後の作品といううわさが流れたせいか、6位を飾っている。

 ところで、1974年に彼らが発表したアルバム「嵐の使者」というアルバムがあった。いわゆる第3期ディープ・パープルの最後のアルバムで、この後、ギタリストのリッチー・ブラックモアは脱退してしまう。Mv5bztizoti3y2mtzguzzc00nwvilwiwz_2

 リッチーはこのアルバムを嫌っていて、最低のアルバムだと言っていた。理由はハード・ロック・アルバムではなくて、グレン・ヒューズやデヴィッド・カヴァーデルの意向の強いソウルフルでファンキーな路線に走ってしまったからだ。

 リッチーはこれが嫌だった。だからバンドを脱退したのだろう。ただ、自分的にはこのアルバムは結構気に入っていて、いまだに時々車の中で聞いたりしている。

 それまでのハード・ロック路線の"Stormbringer"と"Lady Double Dealer"の両曲を筆頭に、まさにファンキーなリフの目立つ"Love Don't Mean A Thing"や渋いバラードの"Holy Man"など、ディープ・パープルのイメージには似合わないところが、逆に新鮮に映ったものだ。

 アメリカのバンドの曲を聞いているようで、のちにトミー・ボーリンが加入する下地が作られたような雰囲気が漂っていた。アルバム・ジャケットもアメリカ中西部の竜巻のようで、映画やミュージカルの「オズの魔法使い」に出てくるような感じだった。

 のちにリッチーはステージの演出に「オズの魔法使い」を使用していたが、その遠因はこの辺にあったのかもしれない。51pl4eltgl
 ちなみに、"Holy Man"と"Hold On"の曲のクレジットには、リッチーの名前はなかった。ギター・ソロは残っているので、レコーディングにだけ参加したのだろう。

 それ以外の"High Ball Shooter"でも、リッチーの細かいギターの音を聞くことができるし、"The Gypsy"はリッチーが唯一このアルバムの中で気に入っていた曲だった。(でもへそ曲がりの彼のことだから、ジョークで言ったのかもしれない)

 そして、最後の曲がデヴィッドの歌とリッチーのアコースティック・ギター、ジョン・ロードのシンセサイザーで構成された"Soldier of Fortune"の感動的なバラードだった。この曲を最後に、リッチーはバンドを離れ、自分の思い通りになるバンドを結成したのである。

 とにかく、このアルバムは発表当時は評価が分かれてしまい、従来のハード・ロック路線を期待していたファンからは駄作に近い扱いを受けたし、ファンクやソウルが好きなファンや第3期ディープ・パープルを気に入ったファンからは好意的に受け入れられた。

 この傾向は今も同じようなもので、このアルバムの評価は定まっていないような気がする。ただ、当時はソッポを向いていた人たちの中には、このアルバムを受け入れようとしている人もいるようだ。

 というわけで、ディープ・パープルの新作「インフィニト」ももう少し時間がたてば、評価も高まるかもしれない。画家のゴッホの作品と同じように、偉大な人や作品については理解されるのに時間がかかるのであろう。

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2016年12月19日 (月)

マイク&ザ・メカニックス

 今年のいつだったか忘れたけれど(最近物忘れが激しくて困る、ひょっとしたら病気かもしれない)、マイク&ザ・メカニックスのライヴが放映された。もちろん録画したのだが、その時のメンバーが結成当時と違っていたのに驚いたし、困惑もした。

 ずいぶん変わったなあと思って、ひょっとしたらと思い、彼らのアルバムを探してみたところ、2011年に「ザ・ロード」というタイトルで現時点まででの最新作を発表していたことが分かった。そして、TVでの出演メンバーはその頃とほとんど変わっていないことが分かった。いつのまにかメンバー・チェンジをしていたのである。

 マイク&ザ・メカニックスといえば、ジェネシスのメンバーだったマイケル・ラザフォードが1985年に結成したバンドだった。Images
 当時は、ジェネシスと同時並行で活動をしていて、ジェネシスの活動がオフの時にレコーディングやライヴ演奏を行っていた。

 当時のジェネシスは、従来のいわゆる古典的なプログレッシヴ・ロックからメロディアスでポップなプログレッシヴ・ロックに移行していたけれども、それでもなお世界的に人気のあるバンドだった。
 ただ、一方でメンバーのソロ活動も盛んで、3人のメンバーはそれぞれ自分の活動にいそしんでいたのである。

 中でもドラマーでボーカリストだったフィル・コリンズは、英米でシングル・チャートのNo.1ヒットを記録するなど、まさに八面六臂の大活躍だった。

 それで、マイケル・ラザフォードも自分で活動しようと思ったのかもしれない。ただ、彼はフィルのようなソロ活動ではなくて、バンドを結成している。この辺は彼の性格を反映しているのだろうか。

 バンド・メンバーは5人で、そのうち2人がボーカルを担当していた。
ポール・キャラック(元エース、元スクイーズ)
ポール・ヤング(当時のサッド・カフェと掛け持ち)

 残りのメンバーは、ドラムスにピーター・ヴァン・ホーク、キーボードにエイドリアン・リーという名うてのセッション・ミュージシャンで、マイク自身はギターとベースを担当していた。

 また、ゲスト・ミュージシャンとして元カーヴド・エアのジョン・カービー、元キャラヴァンのデレク・オースティンなども参加していて、このデビュー・アルバムはポップな要素はあるものの、全体的にはプログレッシヴ・ロック的な雰囲気が漂っていた。ある意味、本家のジェネシスと同じくらいプログレッシヴ・ロック臭がしていたような気がする。516qlu9frpl
 このアルバムは好意的に迎えられ、全米アルバム・チャートでは26位を記録したし、ポール・キャラックをフィーチャーしたシングルの"Silent Running"は6位に、ポール・ヤングがメイン・ボーカルだった"All I Need is A Miracle"は5位をシングル・チャートで記録している。

 ただ、彼らがプログレッシヴ・ロックに片足を入れていたのはこのデビュー・アルバムまでで、3年後に発表されたセカンド・アルバム「リヴィング・イヤーズ」はかなりポップ色が強くなっていた。

 このアルバムも全米13位、全英では2位まで上昇して、マイクは本家のジェネシスのみならず、自分のソロ活動でも売れたのだが、父親の死のことを歌った"Living Years"が各国のシングル・チャートで軒並みNo.1を獲得したことが、その要因だったと思われる。71zwazfikl__sl1213_
 ここからは自分の勝手な想像なのだが、マイクはプログレ路線を離れ、英国版ブルー・アイド・ソウルを追及していくようになったのではないだろうか。
 あるいはサッド・カフェや10CCのような、ちょっとひねくれたポップ・ミュージック路線を目指すようになった感じがしてならない。

 もともとイエスやジェネシスのメンバーには、50年代のポップ・ミュージックや60年代のビート・ミュージックの影響を色濃く受けているという経緯があって、いくらジェネシスがポップ色を強めたとはいえ、本家にはそぐわないポップ・ソングは(あるいはブルー・アイド・ソウルは)、マイク&ザ・メカニックスの方で発表しようと思ったのだろう。

 その後、彼らは1991年の「ワード・オブ・マウス」、1995年に「黄金の浜辺にて」、1999年には「マイク&ザ・メカニックス」と、コンスタントにアルバムを発表していったが、人気も商業的なセールスも下降していった。

 理由はシングル・ヒット曲に恵まれなかったり、十分なプロモーションを受けられなかったりしたからといわれているが、アルバムは発表したものの、それに伴うライヴ活動ができなかったことが一番の原因ではないだろうか。

 マイケル・ラザフォードにとってはジェネシスのツアーの合間にマイク&ザ・メカニックスのライヴ活動を行わなければならず、年によってはマイク&ザ・メカニックスのライヴ活動を全くできないこともあったのである。(“Invisible Touch Tour”、“We Can't Dance Tour”など)
 
 それにミラクルズの"You've Really Got A Hold On Me"やスティーヴィー・ワンダーの"I Believe"などのカバー曲も挿入されるようになり、アルバム自体もますますブルー・アイド・ソウル色を強めていったことも、従来のプログレッシヴ・ロック・ファンが離れることにつながったようだ。

 そして、もともとパーマネントなバンドではなかったからだろうが、1999年当時には正式メンバーが、マイクとポール・キャラック、ポール・ヤングの3人になってしまったのである。ついにジェネシスのみならず、マイク&ザ・メカニックス自体も3人になってしまった。(正確に言うと、この当時のジェネシスはフィル・コリンズはすでに脱退していたから、ジェネシスに関しては、オリジナル・メンバーは2人だけだった)

 そして、運命はさらに皮肉な様相を見せるようになる。残念なことに、2000年にポール・ヤングは心筋梗塞で亡くなってしまったのだ。まだ53歳という若さだった。

 だから2004年に「リワイヤード」というアルバムを発表したのだが、バンド名のクレジットはは、「マイク&ザ・メカニックス&ポール・キャラック」になっていた。ボーカリストが一人になったのと同時に、正式なバンド・メンバーはマイクとポールの2人になったからだろう。51r9z05h6gl
 ただこのアルバムは、基本的には、コンピューターでプログラミングされた打ち込みサウンドにメロディアスでソウルフルなポール・キャラックのボーカルが重なっているというもので、商業的な成功は度外視していたようだ。

 それでもポール・キャラックの声を聞くと、80年代からの彼らの姿が浮かんできて、懐かしさと哀愁のあるメロディーに心を動かされてしまった。昔からのファンには受け入れることができるだろうが、今どきのリスナーには果たしてどうだろうか。

 さらには、全9曲でしかもそのうちの2曲は、プログラミングされた打ち込みビートのインストゥルメンタルというのはいかがなものかと思ったりもした。

 当然売れることはなかったのだが、なぜか国内盤は発売されていた。日本では知名度が高かったのだろうか。あるいは、売れると判断されたのだろうか。自分は買ってしまったけれど…

 それから約6年、マイクはメンバーを一新して音楽シーンに戻ってきたのである。メンバーのラインナップは1985年とほぼ同じように、2人のボーカリストと4人のバック・メンバーで、2人のボーカリストの一人はアンドリュー・ローチフォードという黒人のシンガー・ソングライター、もう一人はカナダ人の俳優でダンサーのティム・ハウワーという人だった。Mikeandthemechanics_9216

 最初に述べたように、このメンツで2011年にアルバム「ザ・ロード」を発表したのである。しかもこのアルバムは、個人的には、21世紀の「英国版ブルー・アイド・ソウル」の傑作だと思っている。

 どの曲も甲乙つけがたく、捨て曲なしのアルバムになっているし、アルバム・タイトル曲の"The Road"を始め、"I Don't Do Love"や"It Only Hurts For A While"など一度耳にしたら忘れられない曲が多い。

 また、"Hunt You Down"などは、以前どこかで聞いたような懐かしいメロディが基本になっているし、"Try To Save Me"などのテンポのよい曲もあって、バランスが取れているのだ。61nhom51ytl
 バンド・メンバーは、マイクが直接アプローチをして募ったようで、このアルバムを録音後には、全員でヨーロッパ・ツアーに出かけている。最初に触れられていたTV放送は、この時の模様を放映したのだろう。

 彼らは、2017年の来年も英国でライヴ演奏を続けるという。現時点で66歳のマイクにとっては、唯一のバンド活動になる。ツアーが終わったらスタジオにこもって、ニュー・アルバムの録音に取り掛かってほしいし、新作はぜひ国内盤として発売されることを願っている。

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2016年11月 7日 (月)

マン

 今日は朝の4時くらいに目が覚めた。冒頭から変な話で申し訳ないが、何となくウ〇コ臭くて、その匂いで目が覚めたのだ。ひょっとしたら自分が失禁ではなくて、脱糞をしたのではないかという不安が頭をよぎり、思わず自分のお尻を触ったのだが、そんなことはなくてホッと安心した。

 それでも、もし失禁を通り越して脱糞をしていたのなら、これはもう病気ではないかと思ったりしたのだが、それならこの悪臭は何なのだろうかとも考えた。でも、そんなことを考えながら再び惰眠に落ちてしまったのである。

 結局、目が覚めてテレビをつけると、ニュースで火山の噴火による噴煙が12000m以上も上がり、その影響だったということがわかった。ウ〇コ臭かったのも噴煙と同時に上がった硫黄の臭いということで、改めて自然の脅威を感じた。そして、直下型大地震や南海トラフの実現性や重大性を再認識した次第である。

 イギリスに、マンというバンドがあった。1960年代の初期から70年代にかけて活躍したバンドだが、今も散発的に活動を続けているようだ。Manslowmotion
 自分は一時、“マンフレッド・マン”と、この“マン”というバンドを混同していて、同じものだと思っていた。つまり、マンフレッド・マンが中心となって結成したバンドが、マンだと思っていたのである。

 マンフレッド・マンは、キーボーディストの個人名である。のちに、マンフレッド・マンズ・アース・バンドやマンフレッド・マン・チャプターⅢなどを結成して、優れたアルバムを次々と発表していたが、後者のマンはバンド名だった。

 彼らは、1962年にイギリスのウェールズで結成された。もともとはザ・バイスタンダーズと名乗っていて、1964年から68年の間に8枚のシングルを発表している。そのうち67年にシングル・カットされた"98.6"や68年の"Jesamine"などはヒットしているようだ。

 当時のメンバーは専任のボーカリストを含む5人で、中心人物はギタリストのミッキー・ジョーンズだろう。彼は設立当初から21世紀に至るまで、バンドに所属していたからだ。
 彼らは60年代後半から頻繁にメンバーチェンジを行っていて、68年ごろからマンと名乗るようになった。

 69年にファーストとセカンド・アルバムを発表し、メンバーを一新したあとの1971年に3枚目のアルバム「マン」を発表した。61enhitd1zl
 当初のマンは、時代の流れを反映して、ビート・バンドからサイケデリック・サウンドを追及するようになっていったが、一時期、プログレッシヴなサウンドを追及していた時があった。

 3枚目のアルバム「マン」も、そんなプログレ期へ移行していくマンのサウンドが詰め込まれていた。全5曲だが、1曲目の"Romain"は、スライド・ギターが効果的に使用されている普通のロックン・ロールだった。
 2曲目の"Country Girl"は、タイトル通りの幾分カントリーっぽい雰囲気に満ちていて、時間的も3分8秒と短い。

 3曲目の"Would The Christains Wait Five Minutes? The Lions Are Having A Draw"は、タイトルも長いが時間も長くて、12分52秒もあった。普段からライヴでは演奏していて好評なようで、それなら今回スタジオ・アルバムの中に収録しようということで、収められたらしい。

 曲は、ゆったりとした曲調で進んでいき、特にギターやキーボードが目立つということはない。インストゥルメンタルなので、もう少し起伏があって、エンディングに向けて盛り上がりがほしいところなのだが、あまりパッとしなかった。

 なぜこういう音楽がライヴで好評だったのか、よくわからない。おそらくはライティングやサウンド・エフェクトなどのステージ上の演出と相俟って、印象的だったからではないだろうか。

 "Daughter of The Fireplace"は、ピアノとギターのリフが印象的なロックン・ロールで、疾走感があってカッコいい。こういうところが、このバンドの真骨頂ではないだろうか。こんな曲をもっとやれば、すぐにメジャーになったのではないかと思われる。5分少々のよく練られた曲だった。作曲者は、もう一人のギタリストのロジャー(デューク)・レナードである。

 最後の曲"Alchemist"は20分41秒という長尺曲で、“錬金術師”というタイトルが示すように、イントロのSEか、もしくはキーボードのピコピコ音がちょっとおどろおどろしい感じがした。

 この曲も20分もある割にはまったりとし過ぎていて、面白みに欠ける。プログレッシヴ・ロックというよりは、ホークウインドのようなサイケデリック・ミュージックである。
 ただし、ホークウインドのような躍動感はなく、酩酊状態のようなトリップ感覚を呼び起こすような感じだった。

 この時のメンバー構成は、ギタリストが2名(そのうち1名はキーボードも兼任)に、キーボーディストとリズム・セクションだった。
 同じ1971年には4枚目のアルバムを発表したものの、長いライヴ活動からくる疲労で、キーボーディストのクライヴ・ジョンが脱退してしまった。上に張っている写真は、その時のものであろう。

 ただこのクライヴは、5枚目のアルバム制作時に、新しいメンバーとともにバンドに復帰している。そして新しい5人組で制作されたのが、1972年の「ビー・グッド・トゥ・ユアセルフ」だったのである。51zhmwh3j2l
 このアルバムには4曲しか収められていなくて、これらの曲が収められたアルバムを聞く限りは、プログレッシヴ・ロックのフィールドに近づいたように思えた。

 1曲目の"C'mon"から11分という長い曲になっている。“急~緩~急”という構成で、リスナーを飽きさせないようになっていた。最初と最後のパートではグニャグニャしたギター・ソロとキーボードが強調されていて、それなりに緊張感が漂っている。

 そしてシームレスで2曲目の"Keep on Crinting"に続いているが、この辺は何となくカンタベリー系のバンドのアルバムのようだった。

 前述のアルバム「マン」よりは演奏がしっかりしていて、曲構成もよく考えられている。特にこの2曲目の"Keep on Crinting"はインストゥルメンタルなので、各自の演奏技術が試されているのだが、安定したリズムの上に、ギターやキーボードがそれぞれの個性を発揮していてなかなか良い。高速道路を走るときのBGMに相応しいような8分余りの曲だ。

 オリジナルのLPレコードではこの2曲がサイドAで、3曲目の"Bananas"からサイドBになる。

 この"Bananas"は9分28秒もあり、イントロのギター・リフから始まり“俺はバナナが好きだ、骨がないから”とか“俺はマリ〇ナが好きだ、気持ちよくさせるから”などという訳のわからない歌詞がついてくる。

 歌詞は意味不明だが、曲調はノリが良くて安定感があった。まあ歌詞よりも演奏を重要視しているのであろう。ただ、それぞれの楽器のテクニカルな要素というのは少なくて、総合的な曲構成やフレーズで印象づけている。

 最後の曲の"Life on the Road"はやや遅めのブギウギ風ロックン・ロールで、これはやはりプログレッシヴ・ロックとは言えないだろう。むしろアメリカ南部のサウンドで、レナード・スキナードあたりがやってもおかしくない曲だと思う。

 だからマンは、長いバンドの歴史の中で、どの時期かによるけれども、様々な様態を持っている。
 ただ言えることは、プログレッシヴ・ロックというよりは、サイケデリック・ロックやロックン・ロール・バンドに近いということだろう。

 彼らは、1976年に一旦解散してしまうのだが、1983年に元ジェントル・ジャイアントのドラマーだったジョン・ウェザーズを迎え入れて再結成し、アルバムを発表、活動を再開した。

 ただ残念なことに、中心メンバーだったミッキー・ジョーンズは、脳腫瘍が原因で2010年に亡くなっている。現在は、ベース&ギター担当のマーティン・エースが後を引き継ぎ活動を続けていて、2015年には「リアニメイティッド・メモリーズ」を発表した。

 マンというバンドは、日本では潜在的な能力は高いがそれを十分に発揮できなかったバンドとして認知されている。もう少し商業的に売れていれば、あるいはもっとアルバム・ジャケットを工夫していれば、もっと違う立場になったであろう。

 それは噴火した火山のようなもので、内に秘めた力を発揮できたかできなかったかによる差のように思えてならないのである。

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2016年10月24日 (月)

ジュライ

 一般的に言って、“プログレッシヴ・ロック”というと、キーボードはシンセサイザーやメロトロンを使ったり、超絶テクニックを駆使したギター・ソロがあったりと、それぞれの楽器が個性を発揮しながら、同時に絶妙なアンサンブルを聞かせてくれる音楽を想像してしまう。

 だから時間的に長い曲が多くなるし、曲の特徴によっては、構築美やシンフォニック系、叙情性などがフィーチャーされてくるのだが、“プログレッシヴ”の本来の意味は、“進歩的な、急進的な”というものだろう。

 だから1970年代のプログレッシヴ・ロック全盛期を経験している人にとっては、“プログレッシヴ・ロック”といえば、イエスやピンク・フロイド、ジェネシス、キング・クリムゾンなどを思い浮かべるだろうが、60年代や70年代の同時期を生きていた人にとっては、新奇的な音楽やそれを演奏するバンドなどは、すべて“プログレッシヴ・ロック”や“プログレッシヴ・ロック・バンド”だっただろう。

 今回のバンド、ジュライも21世紀の今から思えば、サイケデリックなブリティッシュ・ロック・バンドなのだが、1968年当時は紛れもなく“プログレッシヴ・ロック”だったに違いない。Julyalanjamestomnewmantonyduhigjonf
 このジュライはマイナーなバンドで、1枚しかアルバムを残していない。それは、1968年に発表された「スーパー・サイケデリック!」というもので、商業的にも成功はしなかった。成功していれば、バンドは長続きしてもう数枚アルバムを発表していただろう。

 このバンドのキー・パーソンは、トム・ニューマンだ。彼の名前を知っている人は、きっとマイク・オールドフィールドのことも知っているに違いない。トムは、マイクの1973年のアルバム「チューブラー・ベルズ」 のエンジニアを担当していたからだ。

 このアルバムには、26種類の楽器の音が複雑に絡み合って、まるで壮大な交響曲のように構成されているが、マイク一人で多重録音を繰り返し、そのオーヴァーダビングの回数は2000回以上になったと言われている。

 マイクは当時のヴァージン・レコードが所有していたマナー・スタジオでレコーディングを行ったのだが、そこでエンジニアとして働いていたのが、トム・ニューマンだった。Maxresdefault
 トムは1943年にイギリスのロンドン郊外ぺリヴェイルで生まれている。今年で73歳になるが、若い時から音楽活動を行っていて、ドリーマーズやトム・キャッツというバンドを結成してライヴ活動を行っていた。

 トム・キャッツは1965年に解散したが、翌年にはスペインにおいてバンドを結成して、活動を始めている。当時はリズム&ブルーズなどを演奏するバンドだったようだ。
 彼らは、マドリッドやバルセロナなど、活動の拠点を移しながらレコーディングも行い、シングル・ヒットも出していたらしい。まさにボヘミアン的というか、ヒッピーというか、いかにも当時の若者らしいライフ・スタイルである。

 ところが、トムはなぜかスペインから帰国し、もう一度イギリスでの音楽活動を始めている。ホームシックに罹ったのか、はたまたスペインで何かトラブルでもあったのか、定かではない。

 ロンドンに戻ったトムは、元トム・キャッツのメンバーだったギタリストのピーター・クックとともに曲つくりをはじめ、今度は当時の流行だったサイケデリックな音楽を目指すようになった。

 間違いなく、ザ・ビートルズの「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の影響だろう。このアルバムは1967年の6月に発表されているからだ。

 彼らは、自らのバンドをジュライと名付けた。バンドの結成が7月だったからだ。たぶん1967年の7月だろう。
 彼らは1968年にシングル曲"My Clown"を発表した。サイドBは"Dandelion Seeds"というもので、前者はピーターが、後者はトムが作詞・作曲したものだった。

 これらの曲は、如何にもこの時代の空気を反映したような作風で、3分から4分少々の短い曲の中に、ポップなメロディーとテープ操作にエフェクトの効いたやラーガ・ロックのようなタムタムが施されていて、摩訶不思議な雰囲気に満ちた曲調だった。

 メンバーはトムとピーターの2人に、ドラムスのクリス・ジャクソン、ベース・ギターのアラン・ジェイムズ、もう1人のギタリストのトニー・デューグ、フルート&オルガンのジョン・フィールドの5人だった。

 この5人で先ほどのデビュー・アルバム「スーパー・サイケデリック!」を発表したのだが、シングルもアルバムも両方とも売れなかった。61ivypuwiel_sx466_
 当時は「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の影響を受けたアルバムが数多く発表されていて、ジュライのアルバムの独自性というか個性が、ほかのバンドのアルバムと区別がつかなかったからだろう。

 何しろあのローリング・ストーンズでも「サタニック・マジェスティーズ」というパクリのようなアルバムを発表しているし、他にもザ・フーやホリーズ、ゾンビーズ、アメリカでもザ・バーズやフランク・ザッパなども影響を受けたアルバムを発表していた。
 
 「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」は、プログレッシヴ・ロックそのものの歴史を生み出したアルバムだと言ってもおかしくない記念碑的存在になったし、その後のロックの歴史を塗り替えたアルバムでもあった。

 とにかく、ジュライのアルバムは、有名無名のバンドの同傾向のアルバムの中では埋もれてしまい、ロック史の中では光を放つことはできなかったのである。

 たとえばジュライのアルバムでも"Jolly Mary"のように転調が目立つ曲もあれば、弦楽器等をアレンジした"Hallo to Me"のような曲も収められている。ただ、耳に残るようなキャッチーなメロディは無いし、思わず唸らせるようなアイデアも見られなかった。

 12曲中、トム・ニューマンの手による曲は5曲で、6曲はピーターが、残り1曲はドラムス担当のクリス・ジャクソンが手掛けている。

 ピーター・クックの曲は、どちらかというとポップなメロディーが目立ち、トム・ニューマンの方はSEが使われていたりと、少々手の込んだ技巧的な曲が多いようだ。
 クリス・ジャクソンの曲である"Crying is For Writers"はどちらかというとロック寄りで、途中とエンディングのワウワウ・ペダルを用いたギター・ソロが印象的だった。Julyb
 だからバンド解散後、トムがエンジニアを目指してスタジオで働き始めたのも理解できるように思えた。彼は売れる曲を作るよりも、できた曲をアレンジしたり、プロデュースしたりする方が性に合っていたのだろう。

 ジュライは1969年に解散して、リード・ギターを担当していたトニー・デューグとフルート、キーボード担当だったジョン・フィールドは、ジェイド・ウォーリアーを結成した。

 一方のトムは、マイク・オールドフィールドやハットフィールド&ザ・ノースのアルバムのエンジニアやプロデューサーを務めるかたわら、自分のソロ・アルバムをコンスタントに発表している。

 また、1995年には「ザ・セカンド・オブ・ジュライ」という未発表曲などを収録した編集盤が発表されているが、どこまでメンバーが関与したのかはよくわからない。

 ただ、2009年には元ジュライのメンバーだったトムとピーターに、アラン・ジェイムズとクリス・ジャクソンが加わって、ジュライが再結成され、2013年には「リザレクション」という12曲入りのオリジナル・アルバムが発表されている。

 このアルバムには、トムも2曲提供しているし、バンドは新旧の曲を入り交えてのライヴ活動も行ったようである。今では活動を継続しているかどうかは不明だが、時々は集まってパブなどで演奏しているのかもしれない。

 いずれにしても、当時は“プログレッシヴ”なバンドはたくさんあっただろう。同時に、こういう音楽性を示していた新進気鋭のバンドやそのメンバーの心の中には、成功するしないにかかわらず、時代を切り拓いているという力強い意志があったに違いない。

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2016年10月10日 (月)

ラウド・ヘイラー

 「ラウド・ヘイラー」とは、“大声で呼びかける”という意味で、“いま、世界で起こっているいくつかの不快なことを目にしたときに、コメントを発表したいと考えた。そして、集会に参加し、拡声器を使って自分の見解を叫ぶというアイデアが気に入ったのさ”とアルバム制作者のジェフ・ベックは述べている。
 
 そう、今回のアルバムは、あの伝説のギタリスト、歴史に残るミュージシャンであるジェフ・ベックの11枚目のスタジオ・アルバムについてである。
 このアルバムのタイトルの由来が、冒頭にあるジェフ・ベックの言葉だった。だからジェフの“異議あり”という声が伝わるようなパワフルでエッジのきいた楽曲でまとめられている。
 
 ジェフ・ベック、今年の6月24日で72歳になった。72歳である。自分にとっては脅威の72歳だ。72歳になった人のサウンドとはとうてい思えないほど、バリバリとギターを弾き、ガンガンとでかい音を出し、ビンビンとロックしているのだ。このアルバム、彼の長いキャリアの中でも歴史的かつ画期的なアルバムになることは間違いないだろう。519drnc0fwl
 このアルバムは今年の6月に発表されているから、もういろいろなところで書かれているので、多くの人はご存知だと思うが、あえて書かせてもらうと、ボーンズというバンドからボーカリストとギタリストをゲストに招いている。
 
 それがロージー・ボーンズとカーメン・ヴァンデンバーグだった。きっかけは、クイーンのロジャー・テイラーのバースディ・パーティーで、ジェフとカーメンが出会ったことからだった。
 そのときジェフは、ガールズ・パンクか何かをやっているのだろうと思い、ちなみに誰が好きなのか聞いたところ、アルバート・コリンズだと彼女は答えたという。
 
 23歳の若い女の子が渋いブルーズ・ギタリストが好みと答えたことがジェフの興味を引いたようで、彼女たちのライヴを見に行き、さっそくその夜に彼女たちをディナーに誘い、このプロジェクトが始まったといわれている。
 実は2010年に発表されたアルバム「エモーション&コモーション」のあと、2014年にはニュー・アルバムの作品が完成していてミキシング中だったのだが、ジェフの意向により、急遽、お蔵入りになってしまった。
 ジェフが言うには、自分の言いたいこととは少し違って、レトロ過ぎるということで、ジョン・マクラフリンみたいな音楽マニア向けするような作品だったようだ。

 それはそれで聞いてみたい気がするのだが、ジェフにとっては良い思い出にはなっていないし、それをプロモーションするために時間をかけたくなかったと述べている。また、このお蔵入りになった幻のアルバムについては、自分の生前には発表する意思はないとも語っていた。Jeffbeckfb2015
 だから「ラウド・ヘイラー」の方は、全くの別物として新たに曲を書き下ろし、録音した曲群で占められているのである。
 
 冒頭の"The Revolution Will Be Televised"は、ハードなリフが特徴的なスロー・ブルーズ風味の曲で、ロージーのポエム・リーディング調の語りとバックのこれぞジェフ・ベックというギターの絡みが斬新でもある。
 続く"Live in the Dark"は21世紀のジェフ・ベック流ハード・ロックだろう。彼のフィンガー・ピッキングによる一音一音の粒が際立っていて、音のキレが素晴らしい。何度も言うようだが、とても72歳の人の感性とは思えないのだ。
 "Pull It"は1990年代後半から導入されたエレクトロニクス・ミュージックの系統をひくようなインストゥルメンタルで、"Thugs Club"も語り調のボーカルをジェフのギターが切り裂くような曲だ。
 今になっては、こういう曲はもはやジェフ・ベックしか演奏できないのではないだろうか。後半のボレロ調におけるエフェクティヴなギターは、もはや彼のトレードマークといっていいだろう。
 
 5曲目の"Sacred for the Children"は、デレク&ザ・ドミノスの"Little Wing"をバラード風に仕立て上げたような名曲だ。ジェフ・ベックには“泣きのギター”というフレーズは似合わないのだが、そういえばロッド・スチュワートと共演した"People Get Ready"という曲もあったし、久しぶりに涙腺が緩むような気がした。
 今思い出したけど、ジェフは、"A Day in The Life"をインストゥルメンタルで演奏していたけれど、あれもかなりの叙情性を秘めていて、感動的だった。原曲が良いからジェフのギターも冴えていたけれど、改めて秀逸なテクニックに裏打ちされたエモーショナルなジェフの演奏を堪能した。
 この"Sacred for the Children"という曲も、もしロッド・スチュワートが歌ったなら、"People Get Ready"以上のインパクトとポピュラリティを獲得したのではないだろうか。ジェフの久々の名曲だと思っている。
 
 ジミ・ヘンドリックスを髣髴させるようなイントロが印象的な"Right Now"、50年代のダンス・パーティー中に流されるようなスロー・バラード"Shame"、ファンキーなカッティングがカッコいい"O.I.L."など、佳曲が多いアルバムでもある。
 そういえば、このアルバムは、ニューヨークのエレクトリック・レディランドで録音されている。ジミ・ヘンドリックスの建てたスタジオだ。そういう環境でレコーディングされているので、ジミの幻影が感じられるような曲も収められているのだろう。
 8曲目の"Edna"は続く"The Ballad of the Jersey Wives"の導入曲のようで時間も1分2秒と短い。

 2001年の9月11日のテロ、いわゆる“9・11”でユナイティッド航空93便に搭乗していてテロリストの計画を阻止し、ペンシルヴァニア州郊外に墜落して亡くなった夫たちの妻のことを歌った"The Ballad of the Jersey Wives"は後半のハイライト曲だろう。
 バラードとはいいながらも実際は怒りや嘆きが込められていて、インパクトが強い。それらが乗り移ったかのようにロージーのボーカルとジェフのギターもまた激しい。
 
 ラストの曲"Shrine"は、日本語でいうと“神社”という意味になるが、自分を信じ、ロックン・ロールを信じ、そして他人を信じて生きていける世の中にするために、祈りを捧げ今を生きていこうというメッセージ・ソングだ。穏やかな曲調の中にも力強さを感じさせてくれる。ジェフの新境地なのだろうか。
 ジェフ自身は、どんなスタイルにしたらいいか最も苦労した曲と言っていて、ボブ・ディランのようなギターをどうやって曲に入れ込むかが難しかったようだ。
 
 とにかく、このアルバムは、どこをどう聞いても72歳のミュージシャンのアルバムではない。20歳代後半か30歳代前半の脂ののったミュージシャンのものだ。どうしてこんなアルバムが作れるのだろうか。
 
 彼はヴェジタリアンだが、ポール・マッカートニーもヴェジタリアンだった。ヴェジタリアンは年を取らないのだろうか。Getty621images76055600
 ただ、ジェフはレッド・ゼッペリンやピンク・フロイドで活動するような、いつも同じ演奏を繰り返すことはできないと言っていて、常に自分のやりたいことを自由にやっていきたいと述べている。要するに、わがままで自分のやりたいことをやっているから、いつまでも感性が瑞々しいのだろう。

 だから60年代から70年代はバンドを結成しても、アルバム1、2枚を発表してすぐに解散させてしまったのだろう。もちろんメンバー間の緊張感や軋轢、音楽的な相違などもあったのだろうが、いきなり解散まで行ってしまうところに、ジェフ・ベックの精神性というか、性格的な傾向が反映されているように思えてならない。
 ジェフ・ベックは、今年の11月11日に両国国技館でライヴを行う予定だ。“クラシック・ロック・アワード2016+ライヴ・パフォーマンス”というイベントのためである。

 彼はステージ上ではギターを替えないそうだ。弦が切れた時のスペア用はあるものの、通常は1本のギターで済ませるという。

 今回のレコーディングでも、テレキャスターとストラトキャスター、ブリキ缶のギターの3本しか使用しなかったという。職人肌で自分の意思を貫き通すジェフ・ベックである。彼の音楽のフレッシュネスさの原因は、こんなところにもあるのかもしれない。
 昔は三大ギタリストというのがあったが、今では、一人は過去の遺産で食っているし、もう一人はギターの上手なシンガーになってしまった。残ったジェフ・ベックだけが今もなおロックの可能性を追及しているようだ。

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2016年9月26日 (月)

アイ・スティル・ドゥ

 前回も述べたけれど、今年はベテラン・ミュージシャンのアルバムが数多く発表されていて、まるで1970年代に戻ったような感じだった。
 
 それで前回はサンタナで、今回はエリック・クラプトンの新作についてである。23枚目のソロ・スタジオ・アルバムになる「アイ・スティル・ドゥ」は、エリック・クラプトンが70歳を超えて初めてのアルバムになった。A1r4m8utp7l__sl1500_

 このアルバムはエリックの叔母のシルヴィアに捧げられている。彼女は2014年に亡くなっているのだが、エリック・クラプトンが彼女に会いに行って、幼いころ面倒を見てくれたことについて感謝の言葉を述べたとき、叔母のシルヴィアは“いえいえ、あなたのことが好きだったから。そして今でもよ”と言ったらしく、その言葉にインスパイアされてタイトルにしたようである。

 エリック・クラプトンは、祖父母夫婦によって育てられた。本当の父親はカナダ人の兵士で16歳のパトリシア・クラプトンが出産する前に、カナダに帰ってしまった。第二次世界大戦が終わったからだろう。

 
 だから最初は祖父母を両親と、叔父のエイドリアンを年の離れた兄だと思っていたようだ。だからシルヴィアとも親しくしていたようで、エリックが学校で悪いことをしても叔母はかばうこともあったらしい。ちなみに実の母のパトリシアは、別のカナダ人兵士と結婚してドイツに行ってしまった。自分の気持ちに素直というか、奔放な人だったようだ。

 基本的に学生時代のエリックは素行が悪くて、だいたいギターを始めたのも女の子にもてたいためという、まさに不謹慎というか、男の子からすれば至極まっとうな動機からだった。だからアルバムのタイトルにするほど、シルヴィアに対しては特別な思いがあったのだろう。

 また別の話題として、アルバムのプロデューサーにはグリン・ジョンズの名前がクレジットされている。グリン・ジョンズといえば、ジミ・ヘンドリックスからローリング・ストーンズ、ザ・フー、イーグルスと歴史的なミュージシャンやバンドのアルバムのエンジニアやプロデュースを行ってきた人で、本人もまた伝説的なプロデューサーでもあった。9780399163876_large_sound_man3_2
 エリック・クラプトンとは1977年の「スローハンド」、78年の「バックレス」以来の共同作業になった。(国内盤アルバムの解説には「スローハンド」以来とあったが、記載ミスだったのだろうか?)

 グリン・ジョンズは、素朴というか伝統的な音作りに固執するタイプのプロデューサーで、最新型の録音機器を使いながらも、そのミュージシャンやバンドの発する基本的な音を大事にする人だ。だからこのアルバムもあまり凝ったサウンドではなく、エリック・クラプトンらしいブルーズやロック・サウンドが鳴らされている。

 だからこのアルバムを聞いたときの最初のイメージは、70歳を超えたクラプトンらしい渋い、もしくは落ち着いた、あるいは枯れたようなサウンドというものだった。しかも全12曲(国内盤は13曲)のうち、エリックの名前がクレジットされた曲は2曲しかなく、あとはトラディショナルや他人の楽曲で占められている。


 まず最初は、リロイ・カーという人の“
Alabama Woman Blues”というスロー・ブルーズ曲で、スライド・ギターがフィーチャーされている。リロイ・カーという人は、1930年代に活躍したピアノ・マンらしい。

 2曲目の“Can’t Let You Do It”はJ.J.ケイルの曲で、シャウトすることもなく淡々と歌っている。J.J.ケイルの曲はもう1曲あって“Somebody’s Knockin’”というブルーズ・ロック曲だった。こちらでもエリックの渋いギターが披露されている。


3曲目の“I Will Be There”はアコースティックな曲で、癒されてしまうような曲調が印象的だ。このアルバムの中でも心に残る曲だと思う。

 再びスロー・バラード曲になる“Spiral”は、エリックと盟友アンディ・フェアウェザー・ロウ、キーボード担当のサイモン・クライミーの手によるもので、「フロム・ザ・クレイドル」の中のブルーズ曲を聞いているかのようだった。

 
 続く“Catch the Blues”はエリック一人によって書かれた曲で、これまたアコースティックというかドブロ・ギターがバックで目立たないように鳴らされていて、エリックは女性バック・ボーカルと一緒に歌っている。確かに70年代のアルバム「スロー・ハンド」や「バックレス」を思い出してしまい、この辺はグリン・ジョンズのアドバイスなのだろう。


 アルバムはこれでもかというかのように、さらにブルーズ曲が続く。クラプトンが子どものころに耳にしたことがあるであろう“
Cypress Grove”で、これはスキップ・ジェイムズの1930年代初期の曲。
 また、ロバート・ジョンソンの“
Stones in My Passway”も収められてる。“Crossroads”やジョン・レノンの“Yer Blues”の中のフレーズも少しだけ聞こえてきて、それらの曲のオリジナルのようにも思えてきた。


 ボブ・ディランの“
I Dreamed I Saw St. Augustine”も9曲目に収められていて、この曲は1967年のボブ・ディランのアルバム「ジョン・ウェズリー・ハーディング」からとられたもの。エンディングでは、エリックはまるで元ザ・バンドのロビー・ロバートソンのように演奏している。

 
 “Little Man, You’ve Had A Busy day”や“I’ll Be Seeing You”も恐らくエリックが子どもの頃に耳にしたり歌ったりしていた曲ではないだろうか。前者は1934年に発表され、ペリー・コモやサラ・ヴォーン、カウント・ベイシーなどが取り上げている。

 
 後者の曲も1938年に書かれたブロードウェイのミュージカル曲で、アン・マレーを始め、ビリー・ホリディ、ビング・クロスビー、トニー・ベネット、ペギー・リーにレイ・チャールズと枚挙に暇がないくらい多くのミュージシャンからカバーされている曲だ。

 
 これは自分の勝手な想像だけれど、これらは叔母さんの好きだった曲ではないだろうか。だからタイトルも含めて、このアルバムを叔母さんに捧げたのではないかと思っている。

 
 したがって、アルバム全体を貫く印象は、最初にも書いたように、落ち着いたものである。これが好きか嫌いかは、意見の分かれるところだろう。個人的にはもう少し躍動感のある曲が欲しかったのだが、これが今のエリック・クラプトンの心境の反映なのだろう。

 あるいは雑誌などでも書かれているように、指の神経損傷でギターも思うように弾けなくなったそうだから、あまりハードなものは無理なのかもしれない。20121119clapton600x1353340058


 ちなみに米国ビルボードのアルバム・チャートでは、前作「オールド・ソック」の13位
を越えて6位を記録している。内容的にはこれからの季節にはふさわしいアルバムと言えるかもしれない。

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2016年5月 8日 (日)

3人のアンディ(3)

 3人目のアンディを誰にしようかと思っていたのだが、なかなか適当な人を思いつけなかった。
 ザ・ポリスのアンディ・サマーズやデュラン・デュランのアンディ・テイラー、XTCのアンディ・パートリッジ、元フリーのアンディ・フレイザーなど、それなりに有名なミュージシャンはいるのだが、紹介するべきアルバムが思いつかなかった。

 それぞれのソロ・アルバムも発表しているのだろうが(ソロ・アルバムがあればの話だが)、どうもネーム・ヴァリューが今一歩のような気もした。アンディ・サマーズもアンディ・テイラーも、自身の所属しているバンドの方が、あまりにも有名だから、むしろそっちの方を紹介した方が良いのかもしれないとも考えた。

 そんな時に、エリック・クラプトンが来日して、武道館での公演記録を更新したというニュースを目にした。そうか、クラプトンか、それならあの人を紹介しなくてはと思い、このアンディに決めたのである。

 かつてクラプトン・バンドでギターを弾いていたアンディ・フェアウェザー・ロウ(以下、長い名前なのでAFLと略す)は、イギリスの南ウェールズ出身のミュージシャンで、今年の8月に68歳になる。Mi0001400093
 もとはエーメン・コーナーというバンドで曲を書き、歌っていた人だった。当時の彼は、アイドル並みに人気があって、イギリス中の女の子の部屋の壁には彼のピンナップが飾ってあったといわれているが、本当だろうか。時間というのは過去の出来事を美化しやすいものである。

 エーメン・コーナーは、60年代のイギリスを代表するR&Bバンドで、1966年に結成された。メンバーは7人構成で、AFLはボーカル専任だった。他には、ギターにベース、ドラム、キーボード、2人のサックス・プレイヤーがいた。

 バンド名の由来は、クラブでソウル・ミュージックをかける時間帯のことから取られていて、彼らの地元では、それが結構人気があったようで、バンド・メンバーの中の何人かは常連で、よく聞きに行っていたらしい。

 それぞれがローカル・バンドでの経験があったので、彼らは、まもなくデッカ・レコードと契約を結び、デラム・レーベルからシングルやアルバムを発表するようになった。1967年のことである。
 デビュー・シングルの"Gin House"は全英12位とヒットし、次のシングルも26位と新人バンドとしては素晴らしい門出を飾っている。

 バンドは、さらにジミ・ヘンドリックスやピンク・フロイド、ザ・ナイス、ザ・ムーヴなど、当時新進気鋭のミュージシャンやバンドとライヴ活動を行っていった。これで彼らの名前は全英中に知れ渡ることになり、翌年発表されたデビュー・アルバム「ラウンド・エーメン・コーナー」は、全英26位を記録した。

 人気を確立したバンド一行は、次のシングル"High in the Sky"をチャートの6位に送り込むと、多額の移籍金に目がくらんだのだろうか、デラム・レーベルを離れ、イミディエイト・レコードに移った。そして、最初のシングル"(If Paradise)Is Half As Nice"を発表したところ、いきなり全英No.1になってしまったのである。

 元々はイタリアのバンドが歌っていたものを、ジャック・フィッシュマンという人が英歌詞をつけた曲で、彼らにとっては最初で最後のNo.1ヒット曲になった。0690628uks28
 この時期のAFLはボーカリストと曲作りに専念していたようで、のちのギタリストというイメージは浮かんでこない。

 ただ、バンドはR&Bを基盤とするものの、どちらかといえば売れ線狙いのポップ・ロック・バンドという道を歩んでいて、ハーマンズ・ハーミッツやスティタス・クォーとツアーを重ねていた。だから、バンドの音楽的ポリシーよりも商業的成果を重視していたようで、シングルのサイドAを飾るのは、自分たちのオリジナルよりも売れるような曲ばかりが優先された。

 先ほどの"(If Paradise)Is Half As Nice"もそうだけど、"Hello Susie"はロイ・ウッドの曲だった。
 それら以外にも"Proud Mary"はC.C.R.のジョン・フォガティが、"The Weight"はご存じザ・バンドのロビー・ロバートソンの手によるものだった。

 AFLは、主にサイドBの曲を手掛けていて、全英6位を記録した"High in the Sky"のサイドBの"Run,Run,Run"や"(If Paradise)Is Half As Nice"の裏面だった"Hey Hey Girl"などは、裏面とはいえ、それなりによく練られた曲だと思う。
 "Run,Run,Run"はいかにも60年代のビートに乗ったポップ・ソングで、AFLのファルセットが印象的だった。"Hey Hey Girl"はオルガンとサックスが目立つマージー・ビート風の曲だった。

 ただ、少し凝りすぎていて、もう少しシンプルにした方が商業的には成功したのではないかと思っている。

 それでも、彼の作曲能力は他のメンバーよりは優れていたのだろう、アルバム「ファエル・トゥ・ザ・リアル・マグネフィセント・セヴン」に収められている"Mr.Nonchalant"はストリングスも使用された美しい曲だし、"Hello Susie"のサイドB"Evil Man's Gonna Win"はギター・メインの軽めの曲だった。

 1969年に、なぜかビートルズの"Get Back"のカバー・シングルを出したが、これがソウル風にアレンジされていて、カッコいいのだ。特に後半のギター・ソロと“Get Back”というコーラスが重なった部分が秀逸である。これが、最後のシングルになったとは残念だった。もう1年後ぐらいに発表していれば、もっと注目を浴びたのではないだろうか。

 エーメン・コーナーは分裂して、AFLはバンド内の何人かとフェア・ウェザーというバンドを結成し、"Natural Sinner"というシングルを発表した。

 これもAFLの手による曲で、アメリカ南部の音楽に影響を受けたような曲で、ブリティッシュ風の湿ったような印象は全くない。ちょうどロニー・レインズ・スリム・チャンスのような感じで、全英シングル・チャートの6位まで上昇している。

 確かにAFLは才能のあるミュージシャンで、曲も書け歌も歌えたのだが、フェア・ウェザーのアルバムが売れなかったせいか、70年代からソロ・キャリアを追及し始めた。
 彼は70年代に4枚のソロ・アルバムを発表したのだが、その中で作曲能力やボーカリストの才能をだけでなく、ギター演奏能力も必要に追われて身につけていったようだ。

 彼がギタリストとして正当に評価されるきっかけになったのは、1978年のザ・フーのアルバム「フー・アー・ユー」においてであった。
 このアルバムでは、ギタリストのピート・タウンゼントのサポートとして、バック・コーラスとギター演奏を行っていて、これがかなりの評判を呼んだ。

 1982年のアルバム「イッツ・ハード」では、ピート・タウンゼント自身がアルコール中毒のリハビリに応じなければならず、アルバム制作中に入院してしまった。
 その時の代役としてAFLに声がかかり、アルバムのほとんどの演奏を手掛けている。もしピートがそのまま長期の離脱になった場合には、AFLのバンド加入も真剣に考えられたといわれている。

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 ここから、彼の出しゃばらないギター・プレイやピックを使わないフィンガー・ピッキングのスタイルが好評になり、エリック・クラプトンを始め、旧友のロジャー・ウォーターズやデイヴ・エドモンズ、ジョージ・ハリソン、あのジョー・サトリアーニまでもが声をかけ、ライヴ演奏やスタジオ録音に引っ張りだこになっていった。

 今回のクラプトンのコンサートに、AFLが参加しているかどうかは不明だが(ネットの情報によると、今回も一緒に日本に来ているようだ)、とにかく非常に器用なミュージシャンである。1304191103308046862_v1
 普通なら器用貧乏で終わってしまうミュージシャンが多いのだが、彼の場合は、才能だけでなく、幸運を引き寄せるような強運も備えているようだった。
 それはおそらく、彼の人間性によるものだろう。売れても売れなくても、淡々と自分の仕事をこなすその職人肌に多くのミュージシャンが魅かれていくのだろう。自分もかくありたいものである。

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