ビー・バップ・デラックス

 B級グラム・ロック・バンド・シリーズの第6弾は、ブームの終わりにデビューしてきたバンド、ビー・バップ・デラックスの登場である。

 以前にも述べたように、イギリスのグラム・ロックは1971年から1974年までの短い期間であったが、この短期間に数多くのバンドが登場し、消えていった。
 こういう短期間での新陳代謝の激しさが、イギリスの音楽シーンを活性化し、日本とほぼおなじ国土面積なのに世界をリードしていくバンドが登場する理由だと思っている。

 そこでビル・ネルソン率いるビー・バップ・デラックスの登場である。

 このビル・ネルソンという人は、幼少の頃からギターに慣れ親しみ、デュアン・エディやハンク・マーヴィンからジミ・ヘンドリックス、ジェフ・ベックまでひたすらコピーし、マスターしていったという。だからギターに関しては、かなりのテクニシャンなのであった。後年、YMOの高橋幸宏の日本国内ツアーにギタリストとして参加しているほどだ。

 彼らは「美しき生贄」でデビューしたのだが、グラム・ロック的な雰囲気を含んでいたのは、このアルバムだけで、セカンドからは、というかアルバムごとに様相を変化させる点がまさにデヴィッド・ボウイ的であった。

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 1stアルバムに収められている"Jet Silver & the Dolls of Venus"や"Adventures in a Yorkshire Landscape"などを聞くと、ビル・ネルソンのマイルドなトーンのギターワークが目立つ。言葉で説明するのは難しいのだが、グラム・ロックといっても、金属音的でもブギー的でもなく、田舎ののどかな風景とともに描き出されるビル・ネルソンの世界という感じである。

 2ndアルバム「フュチュラマ」になると、プロデューサーがあのクイーンを有名にしたロイ・トーマス・ベイカーになったせいか、少々ハードな音作りになった。もちろんそのハードネスを牽引するのはビル・ネルソンのギターなのである。

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 3作目以降はどんどんポップ化して行き、1976年9月に発表された4作目「モダン・ミュージック」は彼らの最高傑作と評価された。

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 このアルバムは、そのタイトル通りに21世紀のいま聞いても全く古臭さを感じさせない。楽曲自体がポップで、それまでのビルのギターを控えめにして、全体のバランスが重視されて制作されている。

 とにかく曲数が多く(ということは1曲あたりの時間数が短い)、トータル・アルバム的な内容になっている。もともとビル・ネルソンにはSF趣味があり、コンサートの途中でバックに20年代等の古いSF映画の映像を流したり、歌詞の中にも登場させたりしている。

 レコードではBサイドにあたる部分に"モダン・ミュージック組曲"みたいなものを挿入し、英国の有名なDJであるジョン・ピールのSEなどを利用して構成に一工夫を見せている。また"月影の舞踏会"や"ハネムーンは火星で"、"ヒューマノイド・サム"などタイトルを見てもわかるように、極めてSF的でイマジネーションを喚起させるものになっている。

 曲的にもポップで印象的なメロディに満ちている。表題曲の"Modern Music"はもとより、"Kiss of Light"(妖しき月の女神)や"Forbidden Lovers"(恋人たちの密会)などシングル・ヒットしそうな曲が多いのも特長である。

 しかしこのアルバムが発表された1976年にはすでにグラム・ロックは終焉しており、時代はパンク/ニュー・ウェイヴ・ブームを迎えつつあった。
 ところが逆にこのアルバムの成功のおかげで、ビー・バップ・デラックスはのちに登場するマガジンやXTC、シンプル・マインズなどのニュー・ウェイブ・バンドに多大なる影響を与えることになったのである。

 だから今では彼らは、グラム・ロックとニュー・ウェイヴ・ムーヴメントをつなぐ架け橋という評価が与えられている。実際、ビル・ネルソンは日本のイエロー・マジック・オーケストラ、サンディ&ザ・サンセッツ、土屋昌巳、高橋幸宏などと活動をともにしたこともあった。
 ちなみにビル・ネルソンの奥さんは日本人という話があるが、定かではない。

 ビルは1978年にビー・バップ・デラックスを解散させて、自らのバンドのレッド・ノイズを結成した。音的にはシンセサイザーを使用したピコピコのテクノ・ポップなものである。その後もビルはソロで活動を続けているようである。

 グラム・ロックは音的には基本的にノリのよいロック・サウンドなのだが、それに装飾的なファッションが乗っかかっていたから、目新しく見えたと思うのである。
 しかしブームとはあっけないもので、飽きられてしまうと、音的には目新しいものもなかったグラム・ロックは終わりを迎えてしまった。

 ただし、このビー・バップ・デラックスは、次の世代にしっかりと遺伝子を残してくれたのである。これもビル・ネルソンのおかげである。まさに“奇才”ビル・ネルソンという異名がピッタリのミュージシャンであった。

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スレイド

 70年代のB級グラム・ロック特集もいよいよ大詰めである。今回はそのB級グラム・ロックの中で最大の人気と影響を与えたと思われるバンド、スレイドを紹介したい。

 この4人組のスレイドというバンドは、歴史の長いバンドでもある。結成は1966年というから、もう40年以上も前の話になる。ただスレイドという名前になったのは1969年頃らしい。

 結成されたのはバーミンガムで、そこからロンドンにやってきて、あのジミ・ヘンドリックスを世界に紹介したチャス・チャンドラーの力添えでアルバム・デビューすることができた。
 ちなみにチャス・チャンドラーとは、"朝日の当たる家"などのヒットを放ったアニマルズというグループのベーシストだったが、ミュージシャンよりもプロデューサーの方で有名になっている。

 “スレイド”という名前にしたのもチャスの指示だといわれているし、彼らにレコード会社との契約の橋渡しをしたのも彼だったそうである。ジミ・ヘンドリックスとスレイドではかなり違う音楽性だと思うのだが、有能なミュージシャンを発掘する嗅覚に優れていたのであろう。

 1969年のアルバム・デビュー後、最初はなかなか売れなかったようであるが、地道な活動と、おりからのグラム・ロック・ブームに便乗するような形で売れるようになってくると、イギリスを代表するグループにまで登りつめたのである。
 これにもチャス・チャンドラーのアドバイスがあったようで、ポップなメロディーや派手な衣装やステージングをメインに置いて活動を続けた結果だと言われている。

 特に1971年から74年にかけては、グラム・ロックの興隆と衰退にあわせるかのように、スレイド自身も黄金時代であった。チャート的にも12枚のシングルが連続してトップ5の中に入り、そのうち半分がNo.1になったし、アルバムもライヴ盤「スレイド・アライヴ」が2位、「スレイド?」、「スレイデスト」(ベスト盤)が連続して1位という快挙であった。

 自分が初めてラジオから彼らの音楽を聞いたのが、ジャニス・ジョップリンのカヴァー曲"Move Over"だった。実にカッコよかった。当時はまだジャニスが歌ったオリジナルの方を知らなかったので、スレイド自身の曲だと思っていた。

 そしてこの曲と"Gudbuy T'Jane"(グッバイ・ジェーン)が同じバンドが演奏しているとは思えなかった。"Move Over"の方はハードな曲だったし、途中でシンバルだけをバックに歌うところがカッコよかった。
 "Gudbuy T'Jane"の方は、シンプルで口ずさみ易かったし、子どもでもわかりやすい曲だった。だからこの落差が当時の自分には奇妙であり、かつまた刺激的でもあったのだ。

 この2曲が含まれているアルバム「スレイド?」は1972年に発表されていて、前述したとおり全英No.1を獲得している。この2曲以外にも"Mama weer All Crazee Now"(クレイジー・ママ)というヒット曲もあって、ベスト盤以外でとりあえず彼らを知るには最適のアルバムだと思っている。

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 彼らの人気が高かったのは、確かにノリのよいシンプルなメロディとリズムという点が大きいのだが、それ以外にも庶民的で労働者階級の出身というセールス・ポイントが効果的だったと思う。

 よく言われていることが、曲の表記方法で、例えば"Look at Last Night"→"Look at Last Nite"、"Goodby to Jane"→"Gudbuy T'Jane"、"Mama we're All Crazy Now"→"Mama weer All Crazee Now"などと正しい英語で書かれていないのである。
 
 これらは発音されたとおりにアルファベットを使って表記したものであり、庶民的ロッカーという受けを狙う戦略も含まれているように思える。こういうのもチャスの入れ智恵かもしれない。

 ところが当時のイギリスのティーンエイジャーたちは、喜んでこれらを受け入れたようで、まあ一種の流行になったのだろう。しかしそういう流行を作り出す影響力がスレイドにはあったのである。

 彼らはパンク・ブームの時には失速するのだが、80年代に入ってNWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル)が流行すると、スレイドを敬愛する若手バンドからリスペクトを受けて復活するのである。
 さらに1983年にはアメリカのヘヴィ・メタル・バンド、クワイェット・ライオットがスレイドの曲をカバーして、これが大ヒット。イギリスだけでなくアメリカでも一躍有名になり、曲もチャートの上位に上がった。

 とにかくスレイドは息の長いバンドであった。しかもその間、一度もメンバー・チェンジをしていないのである。活動期間が長いだけでなく、結束力も強かったのである。こういうギルド的協同組合のような雰囲気がイギリス人にはマッチしたのではないだろうか。

 メンバーのボーカル&ギター担当のノディ・ホルダーは、1991年に体力の限界という理由で脱退した。これでオリジナル・メンバーでの活動は終焉を迎えたのだが、他のメンバーは違う人を加入させ、現在でも活動しているらしい。還暦近い人たちであるが、ここまでくれば人間国宝ものである。

 とにかくB級といっては失礼に当たるかもしれないロック・バンドである。キッスのジーン・シモンズも彼らに影響を受けたといっているように、アメリカのバンドにも影響力が強かったバンドであった。まさにグラム・ロックという時流に乗って、歴史に残ったロック・バンドなのである。

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スウィート

 スウィートといっても“おめざフェア”などの甘いものではない。70年代に活躍したイギリスのロック・バンドの名前である。

 彼らをグラム・ロックに属するかどうかは、意見の分かれるところでもある。ファッション的にはもろグラム・ロックなのだが、音楽的にはそう簡単に言い切ることはできない。

 彼らは活動歴の長いバンドで、だからその音楽性も大きく3期くらいに分けられる。バンドの結成は1968年で、ボーカル担当のブライアン・コノリーとドラム担当のミック・タッカーが中心となって結成した。彼ら2人はウエィンライツ・ジェントルメンというバンドに入っていて、このバンドにはのちにディープ・パープルに加入したイアン・ギランとロジャー・グローヴァーも所属していたという。

 それでベース担当のスティーヴ・プリースト、ギター担当のアンディ・スコットが加わってスウィートとして活動を始めたのだが、最初は泣かず飛ばずだった。

 転機が訪れたのは1971年で、このときに"Funny Funny"というシングルがヒットして、彼らはポップ・バンドとして人気が出た。ただしこれは自作曲ではなく、当時一流のヒット・メイカーだったニッキー・チン&マイク・チャップマンが制作した曲だった。日本の70年代でいうと筒美京平と松本隆もしくは阿久悠といったところだろうか。あるいは宇崎竜堂と阿木燿子か。

 だからこれ以降は出す曲、出す曲ヒットするのだが、すべて他人の曲で彼らのオリジナルではなかったのである。
 この状態は1975年まで続いた。だから71年から75年までが他人様の曲で人気があった第1期に当たる。

 第2期は1975年から1979年まで、この時期はクイーンと匹敵するほど?のロック・バンドだった。まず75年に"Fox on the Run"が全英2位、全米5位というビッグ・ヒットを記録したのだが、これはメンバー全員の共作だった。
 これに自信を持ったのかどうかわからないが、続いて発表した"Action"も同じチャート・アクションを記録し、人気だけでなく実力も兼ね備えたバンドという名声を得たのである。

 1976年に発表されたアルバム「甘い誘惑」にはこれらのシングルが収められており、全米で27位という好結果を出しているし、日本でもクイーン、キッス、エアロスミス、チープ・トリックと同等もしくはそれ以上の人気だった。Music Lifeなどの音楽雑誌には写真入で記事が載っていたような気がする。Sweet
 だからこの第2期はハード・ロック・バンドといった感じであり、ファッション、格好などまさにグラム的なイメージを発散していた。

 実際に"Action"のコーラスやギターの入り方、ギミックの使い方などはクイーンぽかったし、ギタリストのアンディ・スコットは実力派のギタリストだということもわかった。

 この「甘い誘惑」には生き物に関する曲があって、"White Mice"(ネズミ)、"Fox on the Run"(キツネ)、"Cockroach"(ゴキブリ)などがあって面白い。
 "Cockroach"なんてどんな曲かと思ったら、恋人のことをゴキブリに例えていて、“君はゴキブリみたいに僕のベッドに忍び込んでくる。だけど君が大好きだ”というわけのわからない曲で、欧米人はゴキブリに例えられてうれしいのだろうかと疑問に思ったりもした。

 またハードな曲だけでなく、"Healer"などは7分以上もあるハードでスローな曲になっているし、"Lady Starlight"はアコースティックでメロディアスな曲に仕上がっている。"Keep it on"でのリード・ギターはかなり聞かせてくれる。このアルバムは彼らの代表作だと思う。

 ところが1979年にボーカリストのブライアン・コノリーがソロ・アルバムを作って、バンドを脱退してしまった。ポップ化していったバンドに嫌気が差してきたのかもしれない。
 残った3人は活動を続け、3枚ほどアルバムを発表するのだが、だんだんとAORのような音楽になってしまい、1981年に解散してしまった。だからこの3人組での活動時期が第3期にあたるのだが、この時期が一番売れなかったと思うのである。

 結局、グラム・ロックとしての時期的なズレはあるものの、第1期のポップ・バンドのときはイメージとしてのグラム・ロックを、第2期では本格的なグラム・ロックを演じていたスウィートだった。だから彼らはグラム・ロックに分類されるのだろう。

 しかしグラム・ロック勢の中では、一時はクイーンと対抗していたのだから実力を持っていたバンドだった。だから80年代まで長続きできたのだろう。

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 グラム・ロックの初期におけるB級バンドは、新聞広告などでメンバーを集め即席のメンバーで活動を始めるというパターンが多かったのだが、中期以降になると実力も備えたB級バンドの活動が目立つようになった。そうやって淘汰されたバンドが歴史に刻まれていったのであろう。

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モット・ザ・フープル

 モット・ザ・フープルという奇妙な名前を持ったバンドがあった。このバンドは一応グラム・ロックに分類されることが多いようだが、それはうまく時流に乗った結果かもしれない。ただぽっと出の新人バンドとは違って、そのライヴ演奏は定評があった。

 彼らは、最初アイランド・レコードからデビューした。あの有名なパンク・バンドのクラッシュのアルバムもプロデュースしたことのあるガイ・スティーヴンスが見つけてきてデビューさせたのだが、バンド名も彼が小説から借りてきて名づけた。何でもガイがドラッグ所持で刑務所に入れられたときに、読んだ本の中から見つけてきたということらしい。

 ところがモット・ザ・フープルは、ライヴ演奏は好評なのだが、アルバムとなるとサッパリ売れなかった。

 もともとバンドの歴史は古く、1967年までさかのぼる。のちにポール・ロジャースとバッド・カンパニーを結成するギタリストのミック・ラルフスはオリジナル・メンバーに当たる。
 彼らはガイからデビューの打診を受けるのだが、それにはボーカリストの交代という条件が付けられた。

 それで彼らは「メロデ・メイカー」にピアノの弾けるボーカリストを募集したところ、やってきたのがイアン・ハンターだった。彼は1939年6月生まれということなので、今年で70歳になる。日本の若手アイドルのように、最初は年齢を誤魔化していたらしい。どうやら年齢詐称は、洋の東西を問わず、どこでも行われているようである。

 またどうでもいい話だが、彼の父親は英国の情報部MI5の諜報部員だったという話もある。彼は大きなサングラスをかけることで有名なのだが、隠すのは目の表情だけでなく、経歴も上手なのだ。

 彼らは1969年にデビューして4枚のアルバムを出すも、いずれも失敗。それで一旦解散を決意した。それが1972年3月26日スイスのチューリッヒでの出来事だった。
 彼らの熱烈なファンならわかると思うけれど、彼らの曲"Ballad of Mott The Hoople"に、このときの情景が描かれているので日時が特定できるのである。

 しかし、そのときに救いの手が現れたのである。その手の持ち主は、デヴィッド・ボウイといった。いわずとしれたスーパー・スター、当時のグラム・ロックの盟主である。もともとモット・ザ・フープルのファンらしく、彼らを解散させるのは惜しいということで、楽曲の提供とニュー・アルバムのプロデュースを申し出たのであった。

 ということでボウイの全面協力の下、レコード会社をCBSに移し、新曲を含むニュー・アルバムを発表した。それが名盤「すべての若き野郎ども」であった。

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 新曲はアルバム・タイトルと同名曲であったが、シングル、アルバムともに大ヒットした。(シングルは全英3位、アルバムは21位)あとでボウイはこの名曲を提供したことについて、後悔しているようなことを述べている。デヴィッド・ボウイともあろうものがちょっとケチ臭い話である。

 だからモット・ザ・フープルにスポットライトが当たるのは1972年からであった。そしてその明かりは72年から74年のライヴ・アルバム「華麗なる扇動者」まで当たり続けることになる。

 アルバムは成功し、ライヴ活動の評判も高まっていったのだが、ただバンド内の人間関係は望ましくない方向に動いていった。
 まず1973年にオリジナル・メンバーのキーボーディストのヴァーデン・アレンがフラストレーションがたまって脱退し、続いてギタリストのミック・ラルフスも脱退した。ミックは自分が作曲した"Can't Get Enough"がニュー・アルバムに採用されなかったからである。しかし、この曲はバッド・カンパニーによって大ヒットし、世界中に知れ渡っていった。

 こうやって一番最後にグループに入ったイアン・ハンターがグループの実権を握るようになり、モット・ザ・フープルは彼のバンドのようになっていった。

 こうなると面白くないのは他のオリジナル・メンバーたちである。そしてついにイアンは、新ギタリストとしてボウイと一緒にやっていたミック・ロンソンをメンバーに加えようとして他のメンバーと対立し、バンドはついに崩壊してしまった。1974年12月だった。

 ここまでがモット・ザ・フープルの物語になる。この後、イアン・ハンターとミック・ロンソンは新バンドを結成しようとし、他のメンバーはバンド名をモットに変えて、1978年まで活動を続けた。オリジナル・メンバーはベースとドラムスのリズム陣だけだった。しかしこのモットになるともうグラム・ロックとは関係なくなるので、詳細は省きたい。

 やはり良くも悪くもイアン・ハンターの存在は大きかったように思う。大きな四角いサングラスとブロンドのカーリー・ヘア、肩からは自分の名前のイニシャルから取ったHという形をしたエレキ・ギターをぶらさげてラメの衣装を着てシャウトする姿は、とてもクールだった。

 また73年の"Roll away the Stone"(土曜日の誘惑)[全英8位]や74年の"The Golden Age of Rock'n'Roll"(ロックンロール黄金時代)[全英16位]という曲は、まさに彼らにピッタリの印象だった。しかしその曲を発表して、まもなく解散してしまったのだから皮肉なものである。

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 自分が最初に聞いたアルバムは「グレイテスト・ヒッツ」だった。つまり解散した後にあたるのだが、そのせいかどうか、印象としてはスローな曲が目立っていて、湿っぽいものだった。

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アーティスト:Mott the Hoople
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 モット・ザ・フープルは、もう少しストーンズのようなロックするグループと思っていたのだが、期待はずれだったのを覚えている。だから2枚目のアルバムに手が出せなかった。

 しかしさすがに「すべての若き野郎ども」は名盤だった。ルー・リードの"Sweet Jane"から始まり(この曲もデヴィッド・ボウイが録音するように勧めたらしい)、ミック・ロンソンのストリングス・アレンジがきまっている"潜水夫"まで、いい曲で占められている。

 そしてバッド・カンパニーで有名な"Ready for Love"の原曲まで収められているし、盤によってはボーナス・トラックにデヴィッド・ボウイが歌う"All the Young Dudes"まで収録されていてお買い得でもある。

 こうして見ると、モット・ザ・フープルはグラム・ロックの中ではA級に位置するものかもしれない。そしてそれは自分たちの努力もさることながら、時流や周りからのサポートに上手に乗っかって活動を続けることができたからでもある。それをうまく利用したのがイアン・ハンターであり、やはりそれなりの才能に長けていたのであろう。

 モット・ザ・フープルは、グラム・ロックの中では人気だけでなく、実力としっかりとした計算高さも備えていたバンドだったようである。

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コックニー・レベル

 グラム・ロックという時期は、いつ頃なのかを考えた。だいたい1971年頃から始まって、73年ぐらいが最盛期ではないかと思う。74年になるとブームも一段落という感じである。

 たとえばデヴィッド・ボウイで考えると、71年の「世界を売った男」から74年の「ダイヤモンドの犬」であり、T・レックスではシングル"Get It On"が3週連続全英No.1を飾ったときから、「ズィンク・アロイと朝焼けの仮面ライダー」を発表する前までだろう。

 実際に74年以降になると、イギリスではアイドル・ポップ・バンドの興隆やクイーンの人気が高まっていき、やがてはパンク/ニュー・ウェーヴに席巻されるようになる。
 アメリカでも似たような状況だった。シンガー・ソングライターのブームやファンク/ディスコ・ミュージックが台頭してきた。

 だから1973年にデビューしたコックニー・レベルなどは、遅れてきたグラム・ロッカーと言われたのであった。

 デビュー当時はコックニー・レベルといっていたが、後にスティーヴ・ハーリー&コックニー・レベルと改称したように、スティーヴ・ハーリーという人がメインのバンドである。

 1973年のデビュー・アルバム「美しき野獣の群れ」の中にも収められているのだが、シングル"Sebastian"がベルギーでヒットし、その影響でイギリスでも売れるようになった。

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 スティーヴはもともとジャーナリスト出身で、そのせいか彼の描く世界観には文学性や演劇的要素が濃厚に漂っている。だからポップ・ソングばりに軽く口ずさんで歌うということは難しい。
 "Sebastian"も邦題が“悲しみのセバスチャン”と名づけられたように、薄暗い路地にある場末のクラブで語られる物語のようで、退廃的かつ妖艶なのである。

 彼らも同時期のシルヴァーヘッドと同じように、スティーヴとバイオリニストのジャン・ポール・クロッカー以外のメンバーは、オーディションによって集められた。その中にはのちにアラン・パーソンズ・プロジェクトのドラマーとして有名になったスチュワート・エリオットもいた。

 彼らはメイクや衣装などファッションとしてはグラム・ロックしていたのだが、サウンドとしてはキラキラとしたところはなく、逆に沈鬱で暗澹としたまるでロンドンの霧のような音楽性を内蔵していた。

 1stアルバムには"Sebastian"以外にも、"What Ruthy Said"(ルーシーの言葉)や"Loretta's Tale"(ロレッタはプレイガール)、"Muriel The Actor"(俳優ミューリエル)など、やたらと人名を使用してのタイトルが目立つが、これもシアトリカルな演劇性を高める演出方法なのだろう。

 だから、まさにブリティシュ・ロック特有の陰影を持つバンドだったのである。また当然のことながら“スカッとさわやか”という音楽の対極に位置するものであり、ロックン・ロールの持つ疾走感や焦燥感とも無縁である。

 ということはつまりギターの音が目立たないということである。ギタリストが存在しないためにリード・ギターのフレーズはほとんど聞かれず、キーボードのストリングスあるいはバイオリンのリードなどが目立つ程度である。

 しかしそれがこのバンドのいいところでもある。彼らの2枚目のシングル"Judy Teen"は全英5位のヒット曲になったから、ヒット・チャートと無縁のバンドだったというわけではないのだ。この辺がジャーナリスト出身のスティーヴの狙いだったのかもしれない。

 スティーヴは1974年になると2ndアルバム「さかしま」を発表したものの、バンド内の人間関係のせいで、ドラマーのスチュワート以外全員をくびにしてしまった。

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 そして新メンバーを入れて活動を続けたのだが、新メンバーの中には後に10ccに加入したキーボード担当のダンカン・マッケイや、ギターには元ファミリーで後にロッド・スチュワート・バンドで活躍したジム・クリューガンなどがいた。

 3枚目のアルバムのプロデューサーは、アラン・パーソンズだったから、スティーヴは後にアラン・パーソンズ・プロジェクトの「アイ・ロボット」に参加するようになったのだろう。同様にスチュワート・エリオットもプロジェクトに参加するようになったのだと思われる。

 スティーヴ・ハーレー自身は現在も司会業やシンガーとして活躍中で、コックニー・レベル・マークⅢとしてツアー活動も行っているようだ。2007年にはローリング・ストーンズのポーランド公演の前座を務めたそうである。1951年生まれだから現在58歳。まだまだ現役なのである。

 ともあれ、グラム・ロックという時代背景にデビューしたのだが、その音楽性は時代とかけ離れたものを持っていたコックニーレベルであった。そのバンドの名前通り“ロンドンの反骨精神”のような独自のセンスが光ったバンドだったと思うのである。

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シルヴァーヘッド

 9月も半ばを過ぎて、日中でも日陰に行くと涼しく感じられるようになった。だんだんと本格的な秋になっていくところがうれしい。

 秋といえば“芸術の秋”であり、“音楽の秋”である。今回から7回シリーズでグラム・ロック・バンド特集を行うことにした。秋といえば“グラム・ロック”なのである、自分の中では。理由は夏にやると暑苦しいし、春先からこんなものを特集すると怪しい人になってしまう。冬ではラメの衣装が何となく寒々とした感じを与えてくれるからだ。

 何しろ“グラム・ロック”なのである。1970年代初頭のロンドンから派生し、アメリカへも飛び火した音楽である。日本では遅れて流行した。それは音楽性よりもむしろファッションの方が強かった。
 初期のサディステック・ミカ・バンドやちょっとマイナーだった日本のプログレ・バンドのノヴェラ。ロックの分野だけでなく、歌謡曲でも沢田研二などがド派手なメイクを決めていたが、似合う人がやればカッコいいと思う。

 語源は英語の"Glamorous"(グラマラス)から来たらしい。両性具有、アンドロギュノス的なメイクに衣装、かかとの高いロンドン・ブーツをはいて、ロックン・ロールを刻むのである。パッと見ただけでは男性か女性かわからないロックン・ローラーが、派手なリフを刻みながらシャウトする音楽だった。

 グラム・ロックの代表といえば、T・レックス、デヴィッド・ボウイそして初期のロキシー・ミュージックだと思う。この3つをグラム・ロック三羽烏とすれば、今から紹介する人たちはB級以下のグラム・ロッカーである。本来なら三羽烏を紹介するのが先だろうが、誰でも知っている人よりもあまり知られていない人たちの方が面白い気がすると思った。

 それで第1回はマイケル・デ・バレス率いたシルヴァーヘッドである。このバンドは1972年にデビューした。

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 リーダーのマイケルは、フランス人の貴族の血を引いているというふれ込みだったのだが、実際のところはどうだったのだろうか。彼は一人っ子で、子どもの頃は全寮制の学校に通っていたというから、上流階級の子弟だったことは間違いない。ということはやはり貴族の子どもだったのだろう。(侯爵の子どもという噂だった。のちに全寮制の学校を退学して、演劇学校に通うようになった)

 基本的にシルヴァーヘッドは、マイケルを中心にして結成されたため、1stアルバムではあくまでもマイケルと彼のバンドという感じだった。実際に、メロディ・メイカーの広告欄で『求むエロティックでリラックスしたミュージシャン』と募集し、集まった中から4人を選んだそうである。また彼の歌もかすれ声のミック・ジャガーと印象が強かった。

 ところが1973年の10月に発表された2ndアルバム「凶暴の美学」では、ストーンズとフェイセズの中間のような楽曲で占められていて、音楽性が格段に上達したことをうかがわせてくれた。

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 何しろ最初の3曲はメリハリがきいていて、なかなか聞かせてくれるものになっている。1曲目の"Hello New York"はポップでノリのよい曲になっていて、それこそストーンズが歌ってもおかしくない曲だった。

 また2曲目はミディアム・テンポのまさにフェイセズ節であり、3曲目は一転してスローなバラードになっている。この辺の展開は見事であり、いま売り出せばかなりいけると思ったのだが、どうだろう。
 そしてこのアルバムの原題だった"16 and Savaged"なんかは、静と動の対比が見事で、シングル・カットすれば、きっと売れたと思うのである。隠れた名曲といっていいと思う。

 1つにはギタリストがスティーヴ・フォレストからロビー・ブラントに交代したことが、よい結果につながったのだろう。
 このロビーさん、ボトルネックでのスライド・ギターが上手であり、よりアーシーな雰囲気を醸し出してくれる。彼は80年代になると、元ゼッペリンのロバート・プラントの片腕としてアルバムやツアーに参加しているから、いかに有能だったかがわかると思う。

 またベーシストは、これも70年代後半のニュー・ウェーブ・ブームに乗って大成功したバンド、デボラ・ハリー率いるブロンディに参加したナイジェル・ハリソンだった。この当時はグラム・ロッカーだったのである。

 さらにこのアルバムには、キーボードに元フリーのラビット、サックスには元キング・クリムゾンのイアン・マクドナルドが参加しているが、ほとんど目立っていない。残念である。

 しかしなぜこのアルバムが売れなかったのか、理解できない。配給元は、あのディープ・パープルが設立したパープル・レコードだったから、知名度はあったと思うのだが…
 事実、日本では東芝EMIの配給だったせいか、あるいはマイケルのルックスがよかったせいか、かなりの注目を集めたようだった。

 そうそう、マイケルは確かにルックスもよく、実際にロンドンの演劇学校にも通って舞台の経験もしていた。だから10代後半には映画にも出演している。そして80年代の後半、音楽業界から一時退くようなかたちで、アメリカで本格的にTVや映画に出演した。さらにはアニメの声も担当するなど、今でも幅広く活躍している。

 結局、グラム・ロックのブームは4年ぐらいだったろうか。あっという間に終わったけれどもマイケル・デ・バレスは、その後もミュージシャンと俳優の両方を掛け持ちながら今に至っている。彼にとってはアルバムは売れなくても、名前が売れた素晴らしい期間だったのかもしれない。

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ジョーディー

 さてさて70年代のブリティッシュ・ロック東芝EMI編もいよいよ最後になった。四天王の最後を飾るバンドは、ジョーディーである。たぶんこのバンド、今まで紹介した4つのバンドの中で一番売れたのではないだろうか。

 彼らの音楽はシンプルでストレート、かつノリやすく思わず立って踊り始めるような音楽だった。彼らの音楽を聞いていると、やはり難しいことをやらずに、いいメロディを単純なリズムに乗って奏でるということが一番いいのだなあと実感してしまう。

 今までゼッペリンやクイーンのフォロワーや、はたまたボンデージ衣装をイメージさせる音楽を紹介してきた。確かに個性を表現することは大事なことなのだが、それに流されてしまい、肝心な“音楽を楽しむ”ということを二の次にしてしまうと、ミューズの神は微笑んでくれないのだ。Mr.Bigやパリス、ストラップス、そしてこのジョーディーを聞いてきて、このことを痛感したのである。

 とにかくジョーディーは単純でノリがいい。歌詞も日本人でも聴いててわかるところもある。当然のことながら本国イギリスでも売れた。ただし長続きはしなかったけれど…

 中心メンバーはギタリストのヴィック・マルコムでけっこういい曲を作っている。彼らの出身地は、イギリスのニューカッスルで、ニューカッスル地域の人たちや彼らの話す言葉のことをジョーディーというのである。
 特にこの地域の言葉、ジョーディーはかなり癖のある方言らしく、同じイギリス人でも理解は難しい場合もあるという。日本でいえば東北弁か薩摩弁を使って歌うロック・バンドという感じであろう。

 彼らは1971年に結成され、72年にロンドンに進出。その年の9月にはシングル"Don't Do That"がヒットし、第2弾"Electric Lady"もチャートインした。
 その余勢をかって1973年には1stアルバム「ロック魂」が発表されたのである。この頃の彼らは国民的人気バンドとまでは行かないけれども、けっこう名前が知れるようになった。

ロック魂(紙ジャケット仕様) Music ロック魂(紙ジャケット仕様)

アーティスト:ジョーディー
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 自分はこのアルバムの中に収められている"All Because of You"(君にすべてを)をラジオで知ってビックリしてしまった。当時はこんなヘンな音楽は聞いたことがなかったのである。
 何が変かというと、最初の歌詞の途中が音につながって同調するのである。また途中で、"Hey,Hey,Hey"と合いの手やア~という叫び声が挿入されてくる。

 当時は純情な少年だった自分は、こんなヘンな音楽は聞いたことがなかったので、ますますおかしくなってしまい、以後このような音楽を求めるようになってしまったのだ。そういう意味では、よりロック・ミュージックに興味関心を持つようになるきっかけとなった曲でもあった。ちなみにこの曲は全英6位と健闘し、彼ら最大のヒット曲でもある。

 とにかく40年近くたった今でも忘れられない曲のひとつである。そして他にもまだ名曲が収められている。
 ほとんどの曲はギター担当のヴィック・マルコムという人が作詞作曲していて、一人が作った割にはバラエティに富んでいて聞きやすいし、印象的な曲も多い。

 たとえば最初の2曲はハード・ロック系なのだが、全英32位になった"Don't Do That"や"Old Time Rocker"はハード・ロックというよりロックン・ロールだし、"Oh Lord"はアコースティック・ギターを使用したメロディアスなスロー・バラードになっている。途中でキーボードとエレクトリック・ギターが加わるのだが、メロディが美しくこのアルバムの中では異色の曲になっている。
 だからジョーディーはイギリスのロックン・ロール・バンドという位置づけが正しいと思うのである。

 言い忘れたが、このグループのボーカルはブライアン・ジョンソンで、後に死亡したボン・スコットの代わりにAC/DCに加入した人である。やはり若い頃からロックしていたのである。

 ところがこの後のアルバム、74年の「ジョーディー2」、75年の「セイヴ・ザ・ワールド」とアルバムを発表するごとに、彼らの人気は急落していった。ヒット曲が出なかったことと、メンバー間の関係が悪くなっていったのが原因だと思われる。

ジョーディー2(紙ジャケット仕様) Music ジョーディー2(紙ジャケット仕様)

アーティスト:ジョーディー
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 ボーカリストのブライアン・ジョンソンはグループに在籍していながら、シングルを発表するし、他のメンバーは彼抜きでアルバムを制作し発表してしまい、もはや誰の目にも解散は時間の問題と思われた。

 結局、2つのジョーディーが活動するという危機的状態に陥ったのだが、幸か不幸かブライアン・ジョンソンは1980年にAC/DCに加入したために、ブライアンの方のジョーディーは解散し、ヴィック・マルコムの方のジョーディは1983年にニュー・アルバム「ノー・スウェット」を発表した。

 しかし一方ブライアンの方も、昔の自分のバンドのジョーディーⅡに、負けじと参加し、AC/DCと並行してライヴ活動を行っているという。なかなか対抗意識の強い人である。

 実質の活動期間は、73年から75年の2年間で、3枚のアルバム発表という質量ともに少なかったバンドであったが、一時は熱狂的な人気を誇っていた時期もあったのも事実である。
 このバンドもパンク/ニュー・ウェイヴの熱狂の前に消えていったバンドであったが、残った楽曲や思い出は、それぞれの人の胸の中にいつまでも消えないのである。

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ストラップス

 70年代当時の東芝EMIの売れなかった四天王の第3弾。今回は妖しいハード・ロック・バンドのストラップスである。4つのバンドの中で、おそらく一番知名度の低い、ということは一番売れなかったバンドだろう。

 “ストラップス”というと、今なら携帯電話のストラップスを想起させるだろうが、当時はそんなものはなかった。単なる“紐”ということだろう。
 ただアルバム・ジャケットの写真を見るとわかるように、この場合のストラップスは足首を縛っている。ということは“ある趣味”に耽る人たちには必要なストラップスなのである。

 アルバム・デビューは1976年だからMr.Bigやパリスとほぼ同時期にあたる。バンドの中心人物はロス・スタッグという美青年で、日本では若い女の子からアイドル視されていた。

 彼はオーストラリア出身で、19歳のときにイギリスに出てきて、音楽業界で働くようになった。最初は会社で音楽管理などをしていたようで、そこでモット・ザ・フープルやMr.Bigのマネージャーと知り合っている。

 そこでいろんな人と交流を重ね、やがては自分名義のシングルを発表した。やはり彼はミュージシャンになりたかったようである。
 それでバンドのメンバーを募集したところ、ドラムス担当に、あのミック・アンダーウッドがやってきたのであった。

 ミック・アンダーウッドといえば、12歳でバンド・デビューし、リッチー・ブラックモアのいたアウトロウズやピーター・フランプトンのいたハードでプレイし、後には伝説のバンド、エピソード6にも加入した。このバンドにはイアン・ギランやロジャー・グローヴァーも在籍していた。後にディープ・パープルに発展したグループであった。さらには伝説のクォーターマスやフリーを脱退したポール・ロジャースとも共演した実績があった。

 実質この2人が中心となり、あとでキーボードとベースが加入して4人組としてスタートし、1976年にアルバム「貴婦人たちの午後」を発表したのだ。
 アルバム・プロデュースはロジャー・グローヴァーとスタジオ・エンジニアだったルイ・オースティンという人が行っている。Photo

 ディープ・パープル関係者の後押しがあったようで、ディープ・パープルのイギリス最終公演の前座としてデビュー後すぐにツアーを行っている。そのせいか、ストラップスの演奏は好評で、77年には2ndアルバムも準備されるようになった。

 彼らの曲はすべてロスが作っており、ハードな曲もあれば、ボードヴィル調みたいな曲もある。だからハード・ロック・バンドというよりは、ハードな曲も演奏するロック・バンドというのが正解であろう。

 ただ歌詞の内容はR18指定の映画のようで、よくもまあ発売禁止にならなかったなあという世界観で満ちている。

 何しろムチだのロウソクだの、レザーなどのフェティッシュな世界なのである。だからストラップスもそのために存在する。団鬼六が聞いたら泣いて喜びそうな世界が展開されるのである。けっこうステージ・パフォーマンスも注目を集めたそうであるが、そりゃ注目されるよなあ。

 とにかく一時はディープ・パープルの後釜、後継者と目されていた時期もあったようだが、歌い方がときどきブライアン・フェリーしているので、それは見当違いというものだろう。たぶん当時のレコード会社の売り込み文句だったのだろう。

 今回この項を書くにあたって数回にわたって注意深く聴いたのだが、はっきりいってメインとなる曲が少なく、これでは売れないよなあと感じた。
 1曲目の"School Girl Funk"はタイトル通り、クラブでも踊れそうなファンキーな曲で、けっこうイイ線いっている。しかし続く曲がこれといってパットしないのである。

 しいて挙げれば最後の曲"Suicide"は7分以上の曲で最後を飾るにはふさわしいドラマティックな曲になっている。でもこの2曲のために2500円を払うのはつらい気がする。ベテラン・ドラマーのミックはどういう気持ちでドラムを叩いていたのか聞いてみたいものだ。

 しかし1977年には2ndアルバム「シークレット・ダメージ」を、78年と79年にはそれぞれ「愛のプリズナー」、「炎の衝撃」を発表している。イギリスの会社はなんと好意的なのだろうか。(実際は3作目と4作目は日本をマーケットにしたアルバムだったらしい。それほど日本では人気が高かったのだろう)

 そして1979年にミック・アンダーウッドがイアン・ギラン・バンドに引き抜かれたことから、バンドは崩壊していった。ベーシストのジョー・リードはブラム・チャイコフスキーに加入し、リーダーのロス・スタッグスはオーストラリアへと帰郷してしまった。

 本国イギリスではそこそこの人気だったものの、日本での方が人気が高かったストラップスであった。クイーンも最初は本国イギリスよりも日本での方が人気が高かったのだが、やがては世界的なスーパーバンドになってしまった。

 残念ながらストラップスは、日本では売れてもクイーンのようには世界に羽ばたくことができなかった。これが彼らの限界だったのかもしれない。
 しかしこうやって彼らのCDが再発されるくらいなのだから、日本のファンは今でも彼らのことを忘れてはいないのだ。オーストラリアに帰ったロスはどう思っているのだろうか。

Live At The Rainbow 1977 Music Live At The Rainbow 1977

アーティスト:Strapps
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パリス

 かつての東芝EMIというレコード会社が所有しているカタログの中から、70年代に一時的にせよ一世を風靡したアルバムを紹介するシリーズの第2弾である。

 前回は“第2のクイーン”を夢見ながら消えていったMr.Bigだったが、今回は“第2のゼッペリン”を夢見た3人組のお話である。名前をパリスといった。

 3人の中で中心人物というか仕掛け人は、元フリートウッド・マックのボーカル&ギター担当のボブ・ウェルチだった。
 彼はブルーズ・バンドだったフリートウッド・マックをポップ路線に方向転換させ、一応成功させた立役者だった。彼が加入してからのフリートウッド・マックはそれなりに売り上げを伸ばしたからである。

 彼については、このブログのポップ・ミュージックのところで述べているので詳細は避けるが、とにかくお金持ちのボンボンだったことは間違いない。フリートウッド・マックに加入する前も脱退後も、ヨーロッパを放浪していたらしい。そしてイギリスに渡り、ミュージシャンを連れてパリでバンドを結成した。だからパリスと名づけたという話を聞いたことがある。

 一方でロサンゼルスで結成されたという話もあり、どちらが正しいのかよくわからない。もう30年以上も前の話しだし、特定されたとしても大した意味もない話である。

 残りのメンバーは元ジェスロ・タルでベーシストだったグレン・コーニックとトッド・ラングレンと一緒に演奏していたドラマーのトム・ムーニーだった。いずれも力量的に優れた技術を持つミュージシャンだった。

 1976年に発表された1stアルバム「パリス」はまさに3人組のレッド・ゼッペリンという感じである。このアルバムで聞けるボブ・ウェルチのボーカルは結構高音が伸びていて金属的な質感があり、まるで線の細いロバート・プラントという感がするのだ。Paris

 ギターの音もメタリックで、後のヘヴィー・メタルを連想させる要素を持っている。ベースもドラムスもそのギターに絡みつくようにまとまっていて、いま聞くとかなり素晴らしい印象をもたらしてくれる。

 はっきりいって1976年という年が悪かったのかもしれない。前回のMr.Bigでも述べたが、時代はパンク/ニュー・ウェイヴ前夜であり、ベイ・シティ・ローラーズやその残党がミュージック・シーンをにぎわしていた頃でもあった。バンドがデビューして成功するには、それなりのものがないと厳しい状況だった。

 このアルバム1曲目から"Black Book"という曲で笑わせてくれる。タイトルからして"Black Dog"のパクリであり、音もよく似ているからだ。
 ちなみにこのアルバムもプロデューサーはジミー・ロビンソンという人で、同名の人が他のバンドをプロデュースしていて実はその人ジミー・ペイジの変名だった。だからこのアルバムもジミー・ペイジがプロデュースしているのでは、と囁かれたのだが、実は違う人だったことがわかっている。

 自分が持っている日本盤CDでは曲目の表示が間違っていて、1曲目が"Religion"、2曲目が"Black Book"となっているのだが、実際は逆である。たぶんこのアルバムが再発されることは、しばらくないだろうが、そのときは誤記をなくしてほしいものだ。

 とにかく曲はカッコいい。"Black Book"もよく聞けば、よくできている曲だし、それ以外にも"Starcage"、"Beautiful Youth"などは、ボブ・ウェルチの持ち味のはっきりとしたメロディラインを持っていて聞きやすい。バックのキーボードの演奏はグレン・コーニックと表記されている。

 また6曲目の"Narrow Gate"もこのアルバムではスローな部類に入る佳曲であり、繰り返されるギターのフレーズと時に挿入されるキーボードとアコースティックな旋律が記憶に残るものにしてくれる。

 ただ全体的に似たような曲が多く、メリハリがなかったという欠点はあるだろう。ブルーズ臭もなく、全体的にメタリックなのである。また印象的なギター・ソロが不足しているのが痛い。この辺はジミー・ペイジだったら、絶対に外さない大事なところであろう。

 だから音楽的な面と時代背景が相互に悪影響を与え、それが相乗効果を及ぼして売れなかったのだろうと思っている。
 しかし、いま聞けば、あるいは80年代に入って、NWOHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ヘヴィ・メタル)が勃興したあとにデビューすれば、きっと売れていたに違いない。ある意味早すぎた天才なのかもしれない。

 彼らは同じ年に2ndアルバム「ビッグ・タウン2061」を発表するものの、2枚とも不発に終わり活動停止状態に陥った。Paris2

 そして1977年、突然にボブ・ウェルチはソロ・アルバム「フレンチ・キッス」を発表し、あれほど嫌ったポップ/AOR路線に逆戻りしてしまった。しかもそれがアメリカでプラチナ・ディスクを獲得するという大ヒットになったものだから、グレン・コーニックはパリスを脱退してしまい、ついにパリスは解散したのである。

 ある意味、ボブ・ウェルチという人は金持ちのボンボンのせいか、わがままである。フリートウッド・マックもポップ化したから嫌ということで脱退し、ハード・ロック路線に進むも売れずに、今度は逆に一人だけポップ・アルバムを出すという節操のない音楽観だった。

French Kiss Music French Kiss

アーティスト:Bob Welch
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 だからグレン・コーニックは人間不信に陥ったのだろう。この後は音楽業界から完全に引退してしまったのである。

 ちなみにグレン・コーニックの妻のジュディ・ウォンは、以前はボブ・ウェルチのガール・フレンドだった。彼女に紹介されて、ボブは1971年にフリートウッド・マックに加入し、今度はグレンがジュディと結婚したあと、ロサンゼルスでボブがグレンと再会したあとで、パリスの結成を行ったのだ。世の中広いようで狭いものである。

 とにかくパリスの1stアルバムを聞くと評論家の渋谷陽一氏が激賞していたのを思い出す。1stも2ndも誌上で褒めちぎっていた。FMラジオでも推薦していたそうである。
 確かに音は余分なものがそぎ落とされたメタリックなもので、聞いていて快感を覚えるのは事実である。
 しかし何度も繰り返すが、なにぶん時代背景が悪かった。時代とマッチしていなかったのである。あと5年早くデビューするか、遅くデビューすれば間違いなく売れていたに違いないバンドであった。

 音楽的なセンスはありながら、中途半端に我が道を進んだバンド(というよりボブ・ウェルチ)だった。それが時代から無視された要因だったのかもしれない。

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Mr.Big

 ロックの世界では同名異人はよくある話で、古くはボビー・コールドウェル(キャプテン・ビヨンのメンバーと"風のシルエット"を歌ったシンガー・ソングライター)やロジャー・テイラー(クイーンとデュラン・デュラン)、比較的最近なのはアラン・ホワイト(イエスと元オアシス)などがいる。

 これはバンド名でも同じようなもので、日本のXが同名のバンドがアメリカにいるということでXジャパンと名前を変えたことは有名である。ただバンド名については著作権の関係があるので、同名のバンドが同時に存在するというのは難しい。しかし過去にあった名前を現在命名するのは問題ではない。

 最近、アメリカのバンドのMr.Bigがオリジナル・メンバーで復活し、日本武道館で再結成コンサートを行ったのだが、それと同名のバンドが昔イギリスに存在した。

 1975年にデビューしたこのバンド、4人組なのだが、なんとドラマーが2人もいた変則バンドだった。正確にいうとギター、ボーカル担当のディッケンという人と、ドラマー2人にベーシスト1人という構成だった。

 このバンド“クイーンの後継者”と宣伝され、イギリスが待ち望んだ新しいタイプのハード・ロック・バンドとまで言われていたのだが、アルバム2枚で1978年に解散してしまった。

 彼らが発表した1stアルバム「甘美のハード・ロッカー」には"麗しのザンビア"という迷曲が収められていて、日本では結構これがヒットしたのである。Mrbig2

 とにかく一度聞いたら忘れられないメロディ、出だしは中国風、途中からハード・ロックに展開し、ツイン・ドラムスがドタバタと鳴り響く。そしてまた中国風メロディに戻っていく。確かにこれだけを聞けば、クイーン風ロックといってもいいかもしれない。

 当時はよくラジオから流れていたので、一発で記憶に残ってしまった。まさかこの曲を含むアルバムが再発されるとは思ってもみなかった。日本は本当に再発天国である。

 それはともかく、このアルバムからは3拍子のワルツのような曲"青春の甘き日々"もヒットした(らしい)。

 リーダーのディッケンはなかなかのアイデア・マンのようで中国風の曲もあれば、ワルツやピアノによるバラード、ハード・ロックなどバラエティに富んでいる。一人でこれだけの曲群を創作したのだから、たいしたものである。

 しかし“第2のクイーン”になるには厳しすぎたようである。印象に残る曲はあるのだが、もう少しポップなフレーズなりメロディラインなりを考えてほしかった。
 またクイーンのようなコーラス・ワークはなくて、バラエティすぎて散漫な印象を与えていると思う。

 それでも彼らは強気で、さらにメンバーの補強を図り2ndアルバムを発表した。これもイギリスではまあまあヒットし、ここまではよかったのだが、3rdアルバムではレコード会社から注文を付けられて、それがもとで彼らはレコーディングを放り出してしまったのである。

 ここで紆余曲折があり、最終的にモット・ザ・フープルのイアン・ハンターがアルバムのプロデュースをして完成させたのだが、時既に遅し、アルバムの契約は切れていて発表できず、また時代はすでにパンク/ニュー・ウェイヴを迎えていて、彼らのような音は好まれなかった。彼らは甘美のハードロッカーではなく、悲劇のハード・ロッカーになってしまったのだ。

 余談だがこの3枚目のアルバムは突如2001年に発表された。今でも通販などで手に入るようである。ちなみにタイトルを「セップク」というらしい。

セップク Music セップク

アーティスト:ミスター・ビッグ
販売元:ヴィヴィッド
発売日:2003/02/25
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 リーダーのディッケンは、一時音楽業界から遠ざかっていたようであるが、80年代の終わりから活動を再開し、Mr.Big(UK)と名乗りライヴ活動を行っていたそうである。アメリカに同名のバンドがいたからであろう。なお、このバンドも解散して、今は違うバンドで活動中らしい。

 名前とは逆に、ビッグにならなかったバンドであった。70年代という時代の中で開いた徒花の一つだったのかも知れない。

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ホワイトスネイク

 私の地域の近くに、貴船城というところがあって、何でも白蛇を祭る神社だという。夜になるとライトアップされて綺麗で、カップルなどが集まったりするらしいのだが、自分は1回しか行ったことがないのでよくわからない。というかもう10年以上も前のことなので、忘れてしまった。

 果たしてそこに白蛇がいたかどうかはわからないが、たぶんいるのであろう。ただご神体のようだから、めったに人様の前には出さないのであろう。そのぶん霊験あらたかというものである。

 それで欧米のバンドにもこの“白蛇”をバンド名にしていた人たちがいた。文字通り“Whitesnake”である。洋の東西を問わず“白蛇”には神秘的な力が備わっていると信じられているのであろう。

 このグループを結成したのが、元ディープ・パープルのメンバーだったデヴィッド・カヴァーデルだった。
 自分は基本的にはディープ・パープル関係のアルバムを集めるといった趣味はない。例外はリッチー・ブラックモアだけで、唯一彼のグループ、レインボーについてはすべて揃えている。

 しかしそれ以外のメンバーのソロ・アルバムにはあまり興味がない。イアン・ギラン・バンドやペイス、アシュトン&ロード、ロジャー・グローヴァーのソロなど1枚も持っていない。特に聞きたいという欲求が起きなかったからである。ただ、このブログでも紹介したトミー・ボーリンのソロやキャプテン・ビヨンドのアルバムは持っている。理由は聞きたかったからで、我ながら単純な理由だと思っている。

 だからホワイトスネイクのアルバムはベスト盤と3rdアルバム「フール・フォー・ユア・ラヴィング」しか持っていないし、カヴァーデルのソロ・アルバムは1枚しか持っていない。

Whitesnake's Greatest Hits Music Whitesnake's Greatest Hits

アーティスト:Whitesnake
販売元:Geffen
発売日:2008/01/01
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 80年代のMTVの隆盛に乗って、またLAメタルやイギリスのネオ・ヘヴィ・メタルの成功で、ホワイトスネイクにも追い風が吹いてきたようだった。特にアメリカでの成功が大きく、MTVでもヘヴィ・ローテーションで映像が流されていた。

 それはそれでディープ・パープル・ファンとしてはうれしい出来事だったのだが、ちょっと産業ロック的で嫌だった。あまりにも完璧なサウンド・プロダクションだったし、売れ線メロディが悪魔に魂を売り渡したようで、70年代ハード・ロックを知るものにしてみれば、ちょっとコマーシャリズムに走りすぎだろうとも思ってしまった。

 そんなにいい曲が書けるのなら、なぜもっと前から書いて歌わなかったのかと不思議に思っていたし、ギタリストのジョン・サイクスやエイドリアン・ヴァンデンバーグが主に曲を書いているのなら、なぜどうして自分たちのバンドの時には売れなかったのかというのが不可思議だったのである。(ついでにこのホワイトスネイク以降も売れていないのか、あまり名前を聞かない)

 だからきっと曲のクレジットは、“カヴァーデル/サイクス”になっていても、きっと隠れたゴースト・ライターがいて、そういう職人が曲を作っているのに違いないと信じていたのである。たぶんそんなことはないだろうが…

 カヴァーデルに文句をいうつもりはないのだが、80年代中~後期のホワイトスネイクの音やカヴァーデルのボーカルを聞いていると、妙に華やか過ぎて、装飾しすぎのデコレーション・ケーキのようだ。例えていうなら、フェイセズで歌っていたロッド・スチュワートがアメリカに渡って、スタンダードを歌うようになったのと似ている。

 この当時のホワイトスネイクのアルバムは、ベスト盤しか持っていない。でも80年代のホワイトスネイクに関してはこれ1枚で十分だと思っている。もしホワイトスネイクのアルバムを聞くのなら1978年から1982年までのアルバムを聞いた方がいいと思う。

 そこでお薦めなのが1980年に発表された「フール・フォー・ユア・ラヴィング」(原題は“Ready An' Willing”)である。はっきりいってこれは名盤だと思っている。とにかく曲がいい。演奏がいい。メンバーもいいのである。

フール・フォー・ユア・ラヴィング+5 Music フール・フォー・ユア・ラヴィング+5

アーティスト:ホワイトスネイク
販売元:UNIVERSAL INTERNATIONAL(P)(M)
発売日:2008/08/02
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 キーボードがジョン・ロードで、ドラムスがイアン・ペイスとくればディープ・パープルを思い出させるのだが、そういう分かり合える仲間を中心に制作されたからいい雰囲気がアルバムにパッケージされているのであろう。

 今回あらためて聞いてみて、このアルバムがまたまた好きになってしまった。シングル・ヒットした"Fool for your Loving"は当然のこと、"Sweet Talker"、"Ready an' Willing"の頭3曲でノック・アウトされ、"Blindman"では泣きのバラードに感動してしまった。
 後半はジョン・ロードのキーボードが目立ち、"Black and Blue"ではロックン・ロール調のピアノが、最後の曲"She's a Woman"ではハードなオルガン・プレイを聞かせてくれる。

 やはり自分にとっては、この時期のホワイトスネイクの方が、アメリカでブレイクした頃よりも好きなのである。それはカヴァーデルの音楽に対する純粋さがにじみ出ているような気がしてならないからである。

 ところでカヴァーデルは、ホワイトスネイク結成前に2枚のソロ・アルバムを発表しているのだが、自分はこの2枚目1978年に発表された「ノースウインズ」を持っていて、こちらの方が意外と彼のオリジナルなブルーズ・ロック、ハード・ロックを聞くことができて、うれしくなってしまった。

Northwinds Music Northwinds

アーティスト:David Coverdale
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 アルバムのプロデューサーはロジャー・グローヴァーであり、ギターはミッキー・ムーディ、ベースはアラン・スペンサー、ドラムスはトニー・ニューマンなどが担当しているので、演奏もしっかりと安定している。

 曲調もブルーズ系のハード・ロックが中心なのだが、タイトル曲の"Northwinds"などはアメリカ南部出身のボーカリストが歌っているようである。渋くスローな曲で感動的なものになっている。
 また"Time&Again"はキーボードだけをバックに切々と歌うバラードで、AORのよう。晩夏の夕暮れ時に聞くと、何となくこちらまでしんみりとさせられてしまう。

 ギタリストのミックー・ムーディという人は、何かの雑誌で読んだのだが、スライド・ギターも得意としているらしい。そのスライドの音がアメリカ的な大陸性を感じさせる音になっているのであろう。

 とにかくこのアルバムは、デヴィッド・カヴァーデルのハードな部分とソフトな部分の両面を楽しむことができる好盤に仕上がっている。ある意味、彼の素の部分を知ることができると思うのである。

 だから彼の本来の持ち味ややりたかった音楽のもとが詰まっている。彼の本当の姿は80年代後半よりもこの時期にあったのではないだろうか。そんなことを考えさせてくれるアルバムである。
 やはり人間は売れてしまった頃よりも、売れる前が一番輝いていて感動をもたらしてくれるような気がしてならない。

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レインボー

 前回はディープ・パープルの名盤「紫の炎」についてだった。自分はディープ・パープルのメンバーの中で一番好きなのはギタリストのリッチー・ブラックモアだった。リーダーはジョン・ロードだったかもしれないが、それでもリッチーが好きだった。

 これは私の師匠にあたるK氏が、リッチー・ブラックモアが大好きだったということに影響を受けているのかもしれない。何しろアルバム「マシン・ヘッド」の中のリッチーのように左右の眉毛をつなげて一本にしようとするくらいだったから、筋金入りのファンだともいえる。

 “つなげる”というよりは、眉と眉の間を“そらない”といった方が正確である。それで結局どうなったかというと、完全にはつながらなかったように思うのだが、どうも記憶があやふやで定かではない。

 とにかく田舎の中高生の間でも人気のあったディープ・パープルであるが、その中でも一番人気はリッチーだった。

 1975年にディープ・パープルを脱退した後、リッチーは自分の意思で自由になるバンドを作ろうと思い、リッチー・ブラックモアズ・レインボーを結成した。
 正確にいうと、リッチーが気に入っていたアメリカのバンド、エルフと一緒にレコーディングして、そのままバンドに居座ったのである。たぶん彼が気に入っていたのは、バンドのボーカリスト、ロニー・ジェイムス・ディオの声だと思う。彼がバンドに加入したあと、ロニー以外を解雇しているからだ。

 自分が好きなのは1976年の「虹を翔ける覇者」のサイドBと1978年に発表された彼らの3枚目のスタジオ・アルバム「バビロンの城門」である。
 レインボーはごく大雑把に前期と後期に分けられる。ロニー・ジェイムス・ディオが在籍していた1978年までとボーカルがグラハム・ボネット、ジョー・リン・ターナーだった79年から1984年までである。

 前期がブルーズとクラシカルな様式美を追求した時期であり、後期はアメリカでの成功を期待して、コンパクトかつポップ化していった時期である。確かにポップ化していったレインボーも素晴らしいのだが、ディープ・パープルからのコアなファンは前期の方を選ぶと思う。

 セカンド・アルバムの「虹を翔ける覇者」の"Stargazer"、"A Light in the Black"はハード・ロック史上の名曲だと思う。当時はアルバムの片面すべてを使って構成されていたのだが、躍動するドラムス、疾走するギター、クラシカルな様式美など、どこをとってもリッチーの趣向が反映されていて、8分以上の曲でありながら、全く退屈させずに最後までドラマティックに聞かせてくれる。

虹を翔ける覇者 Music 虹を翔ける覇者

アーティスト:レインボー
販売元:UNIVERSAL INTERNATIONAL(P)(M)
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 ひとつはドラマーがコージー・パウエルに替わったことが挙げられるだろう。ジェフ・ベック・グループにも在籍していたコージーの迫力ある演奏はリッチーをも満足させたであろう。この時期のレインボーはリッチーのグループでありながら、ロニーとコージーの3人で運営されていた。日本ではこのことを“三頭政治”とか“三頭体制”といっていたと思う。

 そしてこの体制で、名作「バビロンの城門」が発表されるのである。ただこのアルバムから多少の軌道修正が行われた。前作のような長い曲は影を潜め、比較的短めのコンパクトな楽曲を中心に構成されていた。

Long Live Rock 'n' Roll Music Long Live Rock 'n' Roll

アーティスト:Rainbow
販売元:Universal/Polygram
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 これはリッチーのアメリカ市場を意識した結果であるといわれ、この軌道修正をめぐってロニーと対立し、最終的にロニーは交代してしまった。

 そういういわくのある作品なのだが、曲は短くなったとはいえ、"Long Live Rock'n'Roll"、"Kill the King"のようにスピーディでメロディアスな曲やストリングスを使用してロックとの融合を図った曲"Gates of Babylon"、詩情溢れるクラシカルな"Rainbow Eyes"などそれまでの方向性も踏襲していて、ファンの期待を裏切っていない。

 このアルバムも師匠の家でよく聞かされたものだが、やはり前作の「虹を翔ける覇者」とこのアルバムはいいというようなことを言っていたように思う。さすが師匠である。リッチーのことをよくわかっていらっしゃる。

 このあとリッチーはより一層ポップ化を進めていき、シング・ヒットも出すようになった。確かにアメリカ市場でも受け入れられるようになったのだが、リッチーのギターの比重はそれに反比例するかのように軽量化されていったように思える。
 
 このレインボーというバンド、よく考えてみると、リッチー以外のミュージシャンは多くがアメリカ人である。総勢20名以上のメンバーが入れ替わり立ち代り、バンドに入っては出て行ったが、その中でイギリス人は片手で足りるのではないだろうか。

 アメリカ人が多かったからアメリカで成功しようと思ったわけではないだろうが、イギリス人のリッチーがアメリカ志向で、アメリカ人のロニーがブリティッシュ志向だったというのは面白い。

 またほとんどの曲はリッチーが作曲しているのだが、中には非常にメロディアスで覚えやすいフレーズも含まれていて、彼の作曲能力の高さというか、意外とポップな要素も備えているというのも興味深い。

 自分はこのあとのアルバムも結構気に入っていて、「ダウン・トゥ・アース」や「アイ・サレンダー」などはよく聞いたし、ラジオでも頻繁に流れていた。

アイ・サレンダー Music アイ・サレンダー

アーティスト:レインボー
販売元:ユニバーサル インターナショナル
発売日:2006/08/30
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 ただのポップ・バンドとして聞いていれば問題はないのだろうけれど、そこはやはりリッチー率いるレインボーである。普通のバンドではない何かを醸し出していたし、またファン心理として、並みのバンドに堕してほしくないとも思っていた。

 リッチーは1945年生まれなのでもう64歳になるのだが、今でも現役ミュージシャンとして活躍している。ただし、かつての轟音やハードな演奏は封印してしまい、自分の愛妻とともにアコースティック・ギターで中世音楽などを演奏しているようだ。

 昨年もアメリカ・ツアーを行ったようであるが、できればもう一度、彼のトレードマークであるストラトキャスターを手にして、狂気のギタリストを演じてほしいのである。おそらく師匠もそういう気分でいるのではないかと思う今日この頃であった。

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紫の炎

 つい最近のCMでキムタクこと木村拓哉が出演しているものがあった。○○ホームという住宅販売会社のCMなのだが、そのときに使用されている曲がディープ・パープルの1974年の曲"紫の炎"(Burn)だった。

 曲の中で本来は“Burn”と歌うべきところを“ホーム”と替えて歌っているのだが、なかなかインパクトがあって面白いものになっている。これも元歌に力がある証であろう。

 それでこの"紫の炎"(Burn)という曲は、第3期ディープ・パープルの門出を祝う曲となったもので、35年もたっているのにもかかわらず、いまだにCMで使用されるくらいロックの歴史に残った曲でもある。

 ディープ・パープル(以下DPと略す)の全盛期は、やはり第2期のメンバー時だと思う。これはDPファンの90%くらいの人は同意してくれるのではないかと思っている。それほどこの第2期のメンバーは歴史に残る曲や演奏を残しているからだ。

 とにかくDPはメンバーの変遷が激しく、第2期は1969年から1973年までのわずか4年間であった。
 そして第3期は1973年から1975年までの2年間あまりである。第2期の黄金メンバーであるボーカリストとベーシストが交代して、当時無名であった新人ボーカリストのデヴィッド・カヴァーデル、ベースにはトラピーズというバンドに在籍していたグレン・ヒューズが担当するようになった。

 グレン・ヒューズはボーカリストとして加入したかったといわれていた。またギタリストのリッチー・ブラックモアは、元フリーのポール・ロジャーズを希望していたといわれる。ところがポールはバッド・カンパニーを結成したため、この計画は実現しなかった。
 個人的にはポールが加入した音を聞いてみたいが、おそらくは数年を待たずに解散か脱退していただろうと思われる。あまりにもブルーズ臭がするからである。たぶんリッチーは嫌になるだろう。

 結局4000人あまりの候補者の中から、当時はガソリンスタンドで働いていたといわれたデヴィッド・カヴァーデルに決まったのである。ただしそれには、ダイエットすることと美容整形をすることという条件が課せられたそうだ。当時の彼は太っていて、顔もよくなかったらしい。さすが天下のDPであるが、そこまで彼に投資しても損は無いという判断があったのだろう。

 それで彼らの8枚目のスタジオ・アルバムである「紫の炎」は1973年の11月にレコーディングされた。場所は歴史的名盤である「マシン・ヘッド」と同じスイスのモントルーであった。

紫の炎 Music 紫の炎

アーティスト:ディープ・パープル
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2005/06/22
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 とにかくイアン・ギランとロジャー・クローヴァーが脱退したあと、バンドはいったいどうなるのであろうか、解散するのではないかという不安がファンの間で広がっていたのだが、それをものの見事に吹き飛ばしてしまうほどの傑作アルバムだった。

 いきなり表題曲の"紫の炎"(Burn)で始まるのだが、この疾走感や躍動感がたまらない。イントロのフレーズや間奏でのソロ、チャーチ・オルガンっぽいジョン・ロードの演奏やデヴィッドとグレンのツイン・ボーカルなどなど、どれをとっても文句の付けようの無い完璧な出来具合である。
 それにちょうど6分間の曲である。当時勉強が嫌いだった自分は、授業の残り時間が6分を切ると、"紫の炎"より短いや、などと思いながら耐えたものだった。

 また"紫の炎"以外にもミドル・テンポでブルージィな"Might Just Take Your Life"やノリのよいアップテンポな"Lay Down Stay Down"、珍しくジョン・ロードがシンセサイザーを使用している"“A”200"など、それぞれの曲のレベルも高い。

 中でもひときわ印象的なのは、"Mistreated"であろう。この曲はその後のステージでも必ずといっていいほど取り上げられるようになった曲で、DPだけでなく、レインボーやホワイトスネイクなどのDP関連のグループでも歌われるようになった。ロックの歴史に残る珠玉のバラードである。ステージでもこの曲を歌えば盛り上がったものだった。

 スタジオ盤では多少盛り上がりに欠けるところもあるのだが、ライヴでは映える曲なのである。ボーカルは切々と歌い上げ、ギターは叙情的にボーカルと絡み合いながら盛り上がっていくところが感動的である。
 この曲ではデヴィッド・カヴァーデルが一人で歌っている。グレン・ヒューズには歌わせたくなかったのか、メイン・ボーカリストは自分だというプライドがあったのかもしれない。

 とにかくこのアルバム“紫の炎”は第3期DPを代表するアルバムであり、DPの歴史を通しても5本の指に入るくらい優れたアルバムでもある。

 同時に"紫の炎"(Burn)をBGMとして使用する○○ホームのCM戦略は素晴らしい着眼点を持っているといえるのではないだろうか。販売戸数が増加することは間違いないであろう。

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スティーヴ・マリオット

 最近あさったCDの中から、前回は名盤ではなかったが、今回は“これは結構いける名盤”を紹介したいと思う。それはハンブル・パイの8枚目のアルバム、1974年に発表された「サンダーボックス」である。

 以前にも述べたように、個人的にハンブル・パイのお薦めアルバムは「スモーキン」であり「イート・イッツ」と思っている。そしてそのお薦めにもう1枚加えられるのが、この「サンダーボックス」ではないだろうか。

サンダーボックス Music サンダーボックス

アーティスト:ハンブル・パイ
販売元:ユニバーサル インターナショナル
発売日:2006/06/21
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 だから1972年からこの74年頃までが彼らの全盛期だと思う。つまりギタリストがピーター・フランプトンからクレム・クレムソンに代わってから彼らの栄光の歴史が始まったのだ。ただその歴史は長く続かなかったが…

 とにかく曲が良い。まるで同時期のローリング・ストーンズのようである。1曲目のアルバム・タイトル曲"Thunderbox"、2曲目"Groovin' with Jesus"とノリの良い曲が続くのである。
 "Thunderbox"とは“携帯用便器”、“公衆便所”のことを指すらしいのだが、その猥雑な内容といい、それをモチーフにしたアルバム・ジャケットといい、1971年に発表されたストーンズの「スティッキー・フィンガーズ」のジッパー付きジャケットを想起させてくれた。

 (今回の初回限定盤ではオリジナル・ジャケットで発売されていて、トイレの鍵穴から用をたしている女性が覗けるというスケベ心いっぱいの仕様になっている。ちなみにストーンズのものは本当にズボンにジッパーがついていて、それを下げると…という作りになっている)

スティッキー・フィンガーズ(初回受注完全生産限定) Music スティッキー・フィンガーズ(初回受注完全生産限定)

アーティスト:ザ・ローリング・ストーンズ
販売元:ユニバーサルインターナショナル
発売日:2009/06/24
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 しかも全体的に黒っぽい。同時期のストーンズよりも黒人音楽の影響が強いと見た。彼のタメがきいた歌い方もさることながら、オリジナル以外のカヴァー曲の選択眼が素晴らしいと思う。
 2曲目もそうなのだが、それ以外にも"I can't Stand the Rain"、"Anna"、"Ninety-Nine Pounds"、"No Money Down"、"Drift Away"、"Oh La-De-Da"と、全12曲中7曲がカヴァー曲になっている。

 "Anna"はビートルズが歌って有名になったアーサー・アレキサンダーの曲だし、"No Money Down"はチャック・ベリーの作品、"Drift Away"は1975年に発表されたロッド・スチュワートの歴史的名盤「アトランティック・クロッシング」でも取り上げられていた。ほぼおなじ時期にこの2人が歌ったことになるのだが、このアルバムの曲の方がよりシンプルで逆に深みがあると思う。ちなみに歌っているのはベーシストのリドリー・スコット。

 オリジナル曲についてもカバー曲と甲乙付けがたく、カヴァーですよといわれても区別ができないほど水準が高い。マリオットは、本当に黒人音楽が好きな人だったのだろう。"Thunderbox"も素晴らしいし、"No Way"、"Every Single Day"あたりもロックしている。
 ただ残念なことに、売り上げ的にはよくなくて、それだけが原因でもないだろうが、下り坂を転げ落ちるかのようにバンド活動は下降線をたどり、翌年には解散状態に陥ってしまった。

 その解散後に制作したソロ・アルバムが「マリオット」だった。1976年のことである。このアルバムは全10曲、前半5曲がブリティッシュ・サイド、後半がアメリカン・サイドになっていて、ブリティッシュ・サイドではイギリス人ミュージシャンを、アメリカン・サイドではアメリカ人ミュージシャンを起用して演奏している。

 Steve Marriott/Marriott 1976 Steve Marriott/Marriott 1976
販売元:HMVジャパン
HMVジャパンで詳細を確認する


 イギリス人ミュージシャンでは、ベースに盟友グレッグ・リドリー、ドラムスは元キング・クリムゾンのイアン・ウォーレス、リズム・ギターにミッキー・フィンがそれぞれ担当している。(ミッキー・フィンとは元T・レックスのパーカッショニストのミッキー・フィンのことだろうか。同一人物かはよくわからない)
 アメリカ人ミュージシャンは、キーボードにデヴィッド・フォスター、ギターにデヴィッド・スピノザ、ベン・ベネイなど、ほとんどは自分にとってよく知らないのだが、有名なセッション・ミュージシャンが参加している。

 前半のブリティッシュ・サイドは、これはもうハンブル・パイの延長線上にある音で、オリジナル曲もいいが、レオン・ラッセルの"Help me through the Day"やヴァレンティノズのカヴァーでJ・ガイルズ・バンドもやっていた"Looking for a Love"などカバー曲も秀逸である。

 ただ後半になると、ロック色は薄れソウル・シンガーになってしまい、ファンキーだがちょっとオーヴァープロデュースのような印象が歪めない。たぶんやっている本人は気持ちよく歌っているのだが、元ハンブル・パイというイメージからはほど遠くなっている。
 本人はレイ・チャールズになりたかったそうだが、確かにファッショナブルなレイ・チャールズという気はする。

 でも自己満足だけではファンの支持は得られないのである。このアルバムもセールス的には失敗し、ソロではなく、再びハンブル・パイを結成しアルバムも発表するのだが、かつての栄光は甦ってこなかった。あとは以前述べたハンブル・パイの項と重複するので省略する。

 確かに英国を代表するソウルフルなミュージシャンだったと思う。ただ彼の悲劇はソウルフルなミュージシャンではなくて、ソウル・マンになろうとしたことだろう。あくまでも個人的な意見だが、もう少しロック寄りに立てば、彼の音楽性はもう少し伸びやかになったのではないだろうか。それがかえすがえすも残念でならない。
 しかしアルバム「サンダーボックス」は素晴らしいアルバムだと思っている。

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神様と野球王

 最近は休みの日になると、CDショップに通っているような気がする。これはもうほとんど病気みたいなもので、自分でもどうしようもないと思っている。これをやめたりすると、病気になるかもしれない。

 たとえばランナーズ・ハイみたいなもので、長距離を走り続けると脳内麻薬成分であるエンドルフィンが分泌されて気分が高揚してくるようだが、自分の場合も、面白そうなCDをあさっているときに、このような状態になっているのかもしれない。だから止められないのだと自分で勝手に解釈している。

 それでこの前あさっていたら、以前から興味のあったCDを2枚見つけてしまった。1枚はイギリスのザ・ゴッズというグループが1968年に発表したアルバム「ジェネシス」のことである。

ジェネシス(紙ジャケット仕様) Music ジェネシス(紙ジャケット仕様)

アーティスト:ゴッズ
販売元:EMIミュージックジャパン
発売日:2009/05/13
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 何でこのグループに興味があったのかというと、メンバーに有名ミュージシャンがズラリとそろっているということだったのだが、でもアルバムのライナーノートを読んで、正確にいうと自分がそう思い込んでいたに過ぎないということがわかった。

 もともと自分が思い込んでいたメンバーは次の通りであった。
ギター・・・ミック・テイラー
ベース・・・グレッグ・レイク
キーボード・・・ケン・ヘンズレー
ドラムス・・・リー・カースレイク

 なかなか豪華メンバーだと思っていたのだが、実際はちょっと違うのである。もともとこのメンバーのリーダーはキーボード&ボーカルのケン・ヘンズレーで、みんなも知っているように、彼とドラマーのリー・カースレイクは後にユーライア・ヒープを結成することになる。

 もともとケン・ヘンズレーはギターを弾いていたようで、10代の頃はB.B.キングやベン・E・キングの英国公演のバック・バンドのメンバーだったようである。だからブルーズやソウル・ミュージックに興味があったのだろう。
 ところが20歳を超えたあたりから、ロックに走り始め、1965年にザ・ゴッズを結成した。彼が21歳のときである。

 このときのメンバーは
ギター・・・ミック・テイラー
ベース・・・ジョン・グラスコック
キーボード・・・ケン・ヘンズレー
ドラムス・・・ブライアン・グラスコック

 名前を見ればわかるように、ベースとドラムのリズム隊は兄弟である。このときにギターはミック・テイラーに任せて自分はキーボードに替わったらしい。だからケン・ヘンズレーはもともとキーボードを弾いていたというわけではないのである。そういえばユーライア・ヒープでも華麗なキーボード・プレイというのはあまり覚えがないような気がする。

 このメンバーで何とあのクラプトンのいたクリームの前座を務めていたというのだから大したものである。それで1967年にシングルを出してデビューしたのだが、ギター担当のミック・テイラーがジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズに引っこ抜かれてしまった。

 代わりにジョー・コナスという人が加入し、やがてはリズム陣も新メンバーになった。そのときにグレッグ・レイクが入ってきたのだが、彼は数ヶ月しか在籍していなかったようである。

 だから自分の思い込みは間違っていた。でも在籍期間がずれていただけでメンバー的には間違っていなかった。だからザ・ゴッズのベスト・メンバーを拾い出すとこうなるのだろうと思ったりもする。
 もし可能ならこのメンバーで作ったアルバムを聞いてみたい気がする。なかなか面白そうな音になると思うのだが、どうだろうか。意外とブルースに影響を受けたロックをやっていそうな気がする。

 最終的にこの1stアルバムでのメンバーは以下の通り。
ギター・・・ジョー・コナス
ベース・・・ジョン・グラスコック
キーボード・・・ケン・ヘンズレー
ドラムス・・・リー・カースレイク  

 ベース担当のジョン・グラスコックは、後にジェスロ・タルに加入するわけだから、これはこれで小規模なスーパー・グループなのかもしれない。

 音的には当時のビート・グループの音とハード・ロックの音が混ざっていて、曲によって違ってくる。ただギタリストのジョー・コナスが結構自己主張していて、素晴らしいソロを聞かせてくれる。3曲目の"You're my Life"のソロなんかかなりカッコいいのだ。
 ユーライア・ヒープのミック・ボックスよりも上手ではないかと思ったりもした。このバンドを辞めたあとのジョーは、カナダに移住してギターを教えながら楽器店などで働いていたという。

 曲自体は短いのだが、繰り返し聞いていくと、やはり後のユーライア・ヒープの音と重なってくる気がしてきた。そういう意味ではヒープの原型バンドと言ってもいいだろう。

 もう1枚のアルバムはベーブ・ルースというイギリスのバンドで、1975年に発表された彼らの3枚目「ベーブ・ルース」である。

ベーブ・ルース(紙ジャケット仕様) Music ベーブ・ルース(紙ジャケット仕様)

アーティスト:ベーブ・ルース
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:2008/02/14
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 このバンドの1st「ファースト・ベイス」はあのロジャー・ディーンがジャケットのデザインを担当していた。昔も今も“ロジャー・ディーン”という言葉に弱い自分は、だからこのグループのことが気になっていたのである。
ファースト・ベイス(紙ジャケット仕様) Music ファースト・ベイス(紙ジャケット仕様)

アーティスト:ベーブ・ルース
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:2008/02/14
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 アルバムの帯には“演奏・楽曲ともに最も完成度が高く、ベーブ・ルースの最高作と称される超名盤!”と書かれているのだが、聞いてみて失望してしまった。これが最高傑作なら残りのアルバムは聞かない方がいいに決まっていると思った。残念ながら個人的にはそういう内容だと思っている。

 このバンドの売りは、女性ボーカリストとギタリストのアラン・シャックロックのスパニッシュ風味のある演奏なのだが、そんなに声量もないし、ギター演奏も特に印象に残るものでもなかった。マカロニ・ウエスタン映画「荒野の用心棒」のテーマをインストでやっているのだが、だから何という感じである。

 イギリスのバンドなのに、アメリカの野球選手の名前をバンド名にしたのは、ボーカル担当のジェニー・ハーンが元々アメリカで活動していて、アメリカ帰りの彼女が命名したらしい。彼女はスライ・ストーンの妹のバンドに所属していたという。

 全体的に音的にもバンド名的にも中途半端な気がする。もっとハードな楽曲とバラード系とメリハリをつければよかったように思えた。
 こんな感じで1976年頃まで活動を続けていたらしい。その頃の自分はこのバンドの名前すら聞いたことがなかったから、当時の極東ではあまり有名ではなかったのだろう。

 というわけで、最近手に入れた2枚のCDではあるが、決して名盤ではない。ただ昔から気になっていたアルバムであった。そして40年以上も前のアルバムが手に入る日本の洋楽状況については、まだまだ捨てたものではないと思っている。

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キャプテン・ビヨンド

 先日、職場の上司から「キャプテン・ビヨンドのCDを貸して」との要請があった。直接の上司ではないのだが、何しろ自分に10ccの「都市探検」をCD化して渡してくれた人である。粗略に扱う事はできない。人から何かをしてもらったら倍にして返す事を心がけているプロフェッサー・ケイである。だから自分もCD化して渡すことに決めたのだった。

 その上司A氏からは1枚だけだったが、こちらは3枚渡すことにした。3倍返しである。自分でも太っ腹だと感心してしまった!

 それでキャプテン・ビヨンドなのだが、この21世紀にこの言葉を聞くとは思わなかった。自分の中ではほとんど死語と化していて、どんな音なのか思い出せなかった。いい機会だったので、この際聞いてみたらやっぱりB級ロック・バンドの音だった。

 B級ロックといっても、3枚もアルバムを発表していたのだから、その当時ではけっこうメジャーだったようである。
 何しろボーカリストがあの第1期ディープ・パープルのボーカル担当だったのだから、世間の期待も大きかったのだろう。

 アルバムの解説を読んでみると、当時は流行語であった“スーパー・バンド”と彼らも呼ばれていたらしい。ボーカルが元ディープ・パープル、ギタリストとベーシストがアメリカのサイケデリック・ロック・バンド、元アイアン・バタフライのメンバー、ドラマーが元ジョニー・ウィンター・バンドで活躍していたということで、そう呼ばれていたらしい。

 今から考えれば、スーパー・バンドと呼ばれるには疑問があるのだが、当時としては確かにそう呼べない事はないなあと思った。いまでこそアイアン・バタフライやジョニー・ウィンターといってもイマイチピンとこないのだが、60年代終わりから70年代にかけては一世を風靡したバンドやミュージシャンだったのは間違いないからだ。

 アイアン・バタフライのCDは今も店頭に並べられているし、ジョニー・ウィンターは100万ドルのギタリストと呼ばれ、CBSソニーとの契約では当時100万ドルを支払われたとまことしやかに言われていた。

 面白いのはドラマーの名前がボビー・コールドウェルといって、70年代終わりに流行したAORのソロ・ミュージシャン、"風のシルエット"のヒットで有名なボビー・コールドウェルとは同名異人である。最初この名前をジャケットで見たときには、正直ビックリしてしまった。

 それで彼らの1stアルバム「キャプテン・ビヨンド」はブリティッシュ風味のアルバムになっている。確かに初期のディープ・パープルの風でもあるし、アルバム全体がトータル・アルバムっぽく構成されているので、クラシック・テイストを取り去った初期のディープ・パープルといった感じである。

Captain Beyond Music Captain Beyond

アーティスト:Captain Beyond
販売元:Capricorn
発売日:1997/08/19
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 確かにメンバー的にはそれぞれのバンドで活躍していただけに、問題はないのだが、残念ながらロッド・エヴァンスやギタリストのラリー・“ライノ”・ラインハルトでは“華”がないのである。

 上手なのだが、決めのフレーズやシャウトを聞くことができない。イアン・ギランなら例の金属的なシャウトが聞けるのだろうが、どちらかといえば中音域の目立つエヴァンスのボーカルはいたって普通なのである。
 あるアルバム評では“アルバム後半は、あのクィーンのセカンド・アルバムのブラック・サイドに匹敵するのではないか”というようなことが書かれてあったが、それはちょっと書きすぎというものだろう。全然そんな事はないと思う。はるかにクィーンの方が整合感がありドラマティックである。

 でもおそらく70年代初めは元ディープ・パープルという看板が光っていたのだろう。このアルバムは話題になり、2ndも制作された。ただ内容はこれが同じバンドなのかと思われるくらい、アメリカナイズドされていた。

 もともと彼らはメンバー中3人がアメリカ人であり、エヴァンスもアメリカに住んでいたからアメリカの音楽に影響されるのは当然のことである。またキャプリコーン・レコーズからデビューしたこともあって、アメリカ南部の音楽の影響も見られる音作りになっていた。

 だから2ndアルバム「衝撃の極地」はかなりアコーステイックな印象が強い。冒頭の曲からアコースティックで大陸的な響きを漂わせている。だからアメリカのロック・バンドだと割り切って聞けばそれなりに楽しめるのではないだろうか。

Sufficiently Breathless Music Sufficiently Breathless

アーティスト:Captain Beyond
販売元:Capricorn
発売日:1998/05/19
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 ただ残念ながら、オールマン・ブラザーズ・バンドやレナード・スキナードのような豪放で開放的なギター・ソロは期待できない。サザン・ロックまで行かないのである。だから中途半端な感じで、この辺がB級ロックたる所以だろう。ちょっと残念である。

 また2ndではコンガなどのパーカッショニストが参加して6人メンバーになったのだが、サンタナとまで行かないのも中途半端なものになっている。どうしてもサザン・ロックとラテン・ロックとハード・ロックを足して4以上の数で割った感じがしてしまう。
 ただ3曲目の"宇宙漂流"、6曲目"遠い太陽"などでは彼らなりのロックン・ロールを展開していて、これはこれでよいと思う。

 このアルバムは1973年に発表されたのだが、それから4年後の1977年に彼らの最後のアルバムが発表された。
 このアルバムではついにボーカリストのロッド・エヴァンスが交代し、ウィリー・ダフェレーンというよくわからないボーカリストが歌っている。でも声質はロッド・エヴァンスに似ているので、ちょっと聞いただけでは区別がつかなかった。

Dawn Explosion Music Dawn Explosion

アーティスト:Captain Beyond
販売元:One Way
発売日:2008/09/09
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 また6人メンバーからパーカッショニストとキーボーディトが抜けて、オリジナル・ベーシストとドラマーのリー・ドーマンとボビー・コールドウェルが戻ってきている。そういう意味では前作の中途半端な音からハード・ロック・バンドとして再生しましたという決意が漲った音作りになったようである。

 この4年間でメンバー間の確執が起きたのだろう。もともと“キャプテン・ビヨンド”とは、メンバーのギタリストのニックネームだったようで、確かに彼だけはオリジナル・メンバーとしてただ一人1stから3枚目までアルバム制作に携わっている。

 このアルバムはワーナー・ブラザーズから発表されていて、サザン・ロックの拠点のキャプリコーンからワーナーへの移籍は彼らの決意のほどの表れだったのだろう。だからこのアルバムがこけたら、もう二度と日の目は見ないという気持ちが充満しているような気がする。

 しかしハードな展開はいいのだが、スローな曲になるとちょっときつい。もう少し盛り上げるような展開やサビのフレーズがあるといいのだが、それが見られない。この辺に工夫が欲しかった。
 自分が好きな曲は"Midnight Memories"といい、スローな展開から徐々に盛り上げて部分が気に入っている。しかしこの曲はアメリカン・ハード・ロック・バンドが得意とする部分であり、彼らもその流儀に習ったのだろうか。

 だから初期のディープ・パープルの音を期待する人は1stを、アメリカン・ラテン・ロックを望む人は2ndを、普通のハード・ロックを聞きたい人は3thアルバムを聞けばいいと思う。ただそういう時間があるのなら、もっといいアルバムを聞いてカタルシスを得た方がメンタル的にはいいと思うのだが、どうだろうか。こんな事を書いたら、キャプテン・ビヨンドのファンからは怒られるかもしれない。

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都市探検

 この春の定期異動で職場が変わった。今まではこじんまりとした田舎の職場だったのに対して、今度の事業所は大所帯である。今までの約3倍の人数だから、そう簡単には顔と名前が一致しないのである。

 もともと人の名前をおぼえるのは苦手なのだが、こうたくさんいるとこれはもう名前を覚えるだけで一仕事である。あの田中角栄は大蔵省の平職員から事務次官まで名前と顔を覚えていたというが、そういう意味では、さすがに昭和を代表する総理大臣だと思う。決して彼の業績や行いすべてを肯定するわけではないのだが…

  それで新しい職場では、私のようにロック好きの人がいて、そういう意味では心強いものがある。
 ひとりは昔はロック小僧だったという人で、高校生のときはクィーンやエアロスミスのコンサートを見に行ったという。生きているフレディを見た貴重な生き証人である。

 もうひとりはブリティッシュ・ミュージック大好き人間で、仮にA氏としておこう。このA氏は、何とあのパンク、ニュー・ウェーヴ大好き人間、たびたびこのブログに登場しているパンクの神様K氏と高校のとき同級生であるという。世の中狭いものである。
 ただA氏はパンクとは無縁で、正統なロック愛好家である。

 それで転勤祝いとして、そのA氏がレコードからコピーして私にくれたのが、10ccの1983年のアルバム「都市探検」であった。

都市探検+7(紙ジャケット仕様) Music 都市探検+7(紙ジャケット仕様)

アーティスト:10CC
販売元:USMジャパン
発売日:2008/11/26
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 A氏が言うには、『“びっくり電話”や“オリジナル・サウンドトラック”が好きならきっと気に入るはずだし、むしろ“びっくり電話”よりもいい出来』とのことで、それこそ自分はびっくりした。一般的には、このアルバムは失敗作と言われていたからである。

 このアルバムは、10ccが5ccになって約7年、当時としては彼らの最後のアルバムになったものである。

 ゴドリー&クレームが脱退したあとも、「愛ゆえに」や「ブラディ・ツーリスト」などの素晴らしい作品を発表していたエリック・スチュワートとグレアム・グールドマンは、80年代に入ってからは不遇をかこつようになった。「ルック・ヒア」、「ミステリー・ホテル」とアルバムは発表するものの、それまでのように売れなかったのである。

 原因はアメリカナイズされたAOR路線だったといわれている。もともと10ccは一筋縄ではいかない変態的な?ポップ・ロックがウリであったし、長い曲や短い曲をまとめて構成し、一気に聞かせるというストーリー性のあるコンセプトも評価が高かった。

 だから映画音楽ではない「オリジナル・サウンドトラック」やジャスティン・ヘイワードが実際に体験したことをもとにした「ブラディ・ツーリスト」などは評価が高かったのである。

 ところが80年代に入ってからは、どうもその創作性というか独創性が今一歩になってしまったようだ。この辺がエリックとグレアムの限界だったのかもしれない。

 ここからは想像でしかないのだが、彼らはこのアルバムがこけたらもうおしまい、解散だという気持ちでアルバム制作を行ったのではないだろうか。だからひょっとして最後かもしれない(実際そうなったのだが!)という気持ちを抱えたまま、それを払拭すべく気合を入れて作ったに違いないと思うのである。

 だからこのアルバムは、音的にはAOR路線を踏襲しているかもしれないが、実際はなかなかどうして、スルメのように、味わえば味わうほどその良さが滲み出てくるのである。

 最初に聞いた感じでは、おしゃれな10cc、都会的な雰囲気を携えた10ccと思った。ちょうどポール・サイモンの「時の流れに」のような感触だった。両方ともスティーヴ・ガッドが参加しているが、それはあまり関係ないだろう。

 何しろ曲がいい。1曲目が8分を超える大作、あの"パリの一夜"を想起させるものになっていて、相変わらず素晴らしいコーラス・ワークを聞かせてくれる。また邦題は"朝~昼~夜"という。原題は"24hours"なので、一日の出来事をテーマにしているようである。最後にレゲエ風にフェイド・アウトしていくのであるが、このフレーズはアルバムの最後のところでも顔を出している。

 2曲目はサビの部分が覚えやすいポップな佳曲で、レゲエのリズムに乗って歌われている。また3曲目"Yes, I am"もポップで、綺麗なバラード。どうしても"I'm not in Love"を想起してしまうのだが、それでもメロディの美しさは相変わらずである。

 他にも珍しくロック調の"City Lights(夜こそわが人生)"、これまたレゲエのリズムの"Food for Thought(頭脳食)"など印象に残る曲が多い。聞けば聞くほど最初の印象が大きく変わってしまった。

 エリックとグレアムにとって不幸だったのは、このアルバムが、ただのAORアルバムだと片付けられてしまったことだと思う。確かにメル・コリンズやスティーヴ・ガッド、サイモン・フィリップスなど一流のセッション・ミュージシャンを起用して念入りに制作されているし、耳に残るようなポップなテイストが散らばめられている。AORといわれればそうかもしれないが、しかしそこには彼らの原点回帰の試みが行われていたのである。

 しかし彼らのその試みは不発に終わってしまった。メロディはポップで美しいし、いい曲なのだが、10ccが本来持っているユーモアや刺激が乏しかったのであろう。彼らのファンはこういうアルバムを期待していなかったのかもしれない。やはり5ccになっても、「オリジナル・サウンドトラック」を超えるものを待っていたのだろう。

 気合を入れて作った割には評価は低く、それに落胆したのかどうかはわからないが、結局このアルバムを最後に解散してしまった。この解散期間は1992年まで続いた。

 エリックもグレアムも60歳を超えているので、今から2人でアルバム制作、ライヴ活動も期待できないであろう。だからというわけではないが、オリジナル10ccとして最後のアルバムとなった「都市探検」はもう一度見直されてもいいのではないかと思うのである。

 ちなみにA氏は2005年の10cc来日コンサートに行ったという。完璧に10ccフリークである。そのA氏が薦める10ccのアルバムである。もう一度みんなに聞いてもらって、その是非を問うてみたい気がする。

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ハンブル・パイ

 ハンブル・パイとは英語で"Humble Pie"と書く。直訳すれば“粗末なパイ”、“つまらないパイ”という意味になるが、詳しくは主人が鹿を狩猟したあとの内臓で作ったパイのことで、ハンティングの記念に使用人に与えたものを指すようである。あるいはスラングでは、他の意味もあるのかもしれない。

 それでイギリスのロック・バンド、ハンブル・パイのことであるが、彼らは1969年に結成された。当時はブラインド・フェイスのように、スーパー・バンドという言い方が流行していたが、彼らもそのうちの一つに数えられたらしい。個人的にはピンとこないのだが…

 もともとバンドのギタリストであるピーター・フランプトンがドラマーのジェリー・シャーリーと計画していたところに元スモール・フェイシズのスティーヴ・マリオットと元スプーキー・トゥースのグレッグ・リドレーが参加したのであるが、こういうふうに書いても、どうしてもこれがスーパーバンドとは思えないのである。ただピーターとスティーヴの知名度はかなりあったとは思う。両方ともそれぞれのバンドでヒットを出していたからだ。

 だからこの2人にスポットライトが当たっていたと思うし、曲作りもこの2人がメインのソングライターだった。
 ただ彼らにとって不幸だったのは、2人の方向性に違いがあったことだ。ピーター・フランプトンの願いは、簡単にいうとヒットを出してもっと名声を手に入れることだったのに対し、スティーヴ・マリオットは黒人音楽を追求する事だった。はっきりいうとスティーヴはレイ・チャールズになりたかったのである。

 このことは、この2人のその後のあゆみを見ればわかると思う。実際にピーターは、77年に「カムズ・アライヴ」を出して全世界で1000万枚以上の売り上げを記録し、富と名声を一時的ではあるが手に入れたし、スティーヴはさらにR&B、ソウル路線を追求していった。
 だから初期のハンブル・パイでは大まかに言って、ポップでアコースティックな曲とソウルフルでハードな曲とに大別されているように思われる。
 
 彼らが1970年に発表した4枚目のアルバム「ロック・オン」ではピーター・フランプトンの作った曲"Shine On"や"The Light"とスティーヴ・マリオットの曲"79th And Sunset"、"A song for Jenny"、"Red Neck Jump"を聞き比べてみると、その違いが分かるかもしれない。

Rock On Music Rock On

アーティスト:Humble Pie
販売元:Universal Special Products
発売日:2000/09/19
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 71に発表された彼らのライヴ・アルバム「パフォーマンス~ロッキン・ザ・フィルモア」を聞いたときは、かなりハードで泥臭い音に驚かされた。フランプトンのギターも音数が多く、けっこう上手に弾きこなしている。もともと美形でルックスがいいために、ギターの腕はそれほどでもないのかなと思っていたのだが、全くの思い違いであった。天は二物を与えたようである。

パフォーマンス~ロッキン・ザ・フィルモア Music パフォーマンス~ロッキン・ザ・フィルモア

アーティスト:ハンブル・パイ
販売元:ユニバーサル インターナショナル
発売日:2006/06/21
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 結局、2人の路線の違いからピーターが脱退して自身のバンド、フランプトンズ・キャメルを結成した。一方のスティーヴは元コロシアムの凄腕ギタリストであるデイヴ・“クレム”・クレムソンを加入させ、さらに“黒っぽい”路線を進めていった。

 デイヴが加入したアルバム「スモーキン」を聞くと、これはもうハードなロックが基本になっている事がわかるし、スティーヴの歌い方も敬愛してやまないレイ・チャールズに近づこうとしているようだ。
 ちょうど同時期のフェイセズ、あのロッド・スチュワートが在籍していたフェイセズからポップさを取り払い、もっとハードにしてよりソウルフルにしたような感じである。

 "Hot'n'Nasty"、"C'mon Everybody"はハードでノリのよい曲であるし、"You're so Good for me""Old Time Feelin'"はアメリカ南部のR&Bとカントリーを混ぜ合わせたような感じの曲になっている。それまでのアルバムよりもリズム陣が重くなっていて、しっかりとした音作りを感じさせてくれる。

Smokin' Music Smokin'

アーティスト:Humble Pie
販売元:Universal/A&M
発売日:1990/10/25
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 自分が一番好きなアルバムは1973年に発表された「イート・イッツ」である。レコードでは2枚組だったが、CDでは1枚にまとめられている。これは絶対にお買い得、買いである。
 アルバム構成が素晴らしくよく考えられていて、最初の4曲が彼らのオリジナル曲、次の4曲がレイ・チャールズやアイク&ティナ・ターナー、モータウンなどのカヴァー、次の4曲はポップで、時にアコースティックな面ものぞかせる曲、最後の3曲がライヴ音源となっている。

イート・イット Music イート・イット

アーティスト:ハンブル・パイ
販売元:ユニバーサル インターナショナル
発売日:2006/06/21
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 どの曲も捨てがたい。最初の2曲はノリノリのロックン・ロールだし、3曲目は一転してスロー・バラードになっている。

 カヴァー曲の中では、特にレイ・チャールズの"I Believe to My Soul"が素晴らしい。この曲でのスティーヴ・マリオットの熱唱は歴史的な名演だと思う。バックのコーラスやサックスのせいもあるのかもしれないが、ポール・ロジャースやクリス・ファーロウ、ロッド・スチュワートを凌駕しているのではないだろうか。

 アルバムではこのあとアコースティックな曲が3曲続き、スタジオ録音として最後には軽快なロック曲"Beckton Dumps"で締めくくられる。そしてライブ録音が3曲続く。

 このライヴがまた素晴らしいのだ。ライヴ・アルバム「パフォーマンス」も素晴らしかったが、この3曲も負けず劣らず素晴らしいものに仕上がっている。

 何しろデイヴ・クレムソンのリード・ギターがよい。コロシアムのところでも述べたが、ライブに映えるギタリストである。
 そして何といってもスティーヴ・マリオットのボーカルは本当に魂を振り絞って歌うかのような印象を与えてくれる。曲もワイルドなロックン・ロール"Up our Sleeve"、ストーンズの"Honky Tonk Women"、モータウンの"Road Runner"とまさに汗と熱気に満ち溢れたものになっている。

 まだまだ彼らの音楽を聞きたかったのだが、残念な事にスティーヴ・マリオットは1991年4月20日に火事で亡くなってしまった。海外から帰宅して、疲労困憊?の中での寝タバコが原因だったという。享年44歳。早すぎる死であった。

 一時はピーター・フランプトンとオリジナル・ハンブル・パイを再結成しようという話もあったのだが、火事の煙とともに消えてしまった。もう二度と彼の熱唱を聞くことはできない。もっともっと評価されてもいいバンドだったと思う。

 これは余談だが、ピンク・フロイドのアルバム「おせっかい」に"シーマスのブルース"という短い曲があるが、この“シーマス”とはスティーヴ・マリオットの飼っていた犬の名前である。この犬の鳴き声も同曲に収録されている。ピンク・フロイドのメンバーとスティーヴは交流があったのだろうか。

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アトミック・ルースター

 最近は忙しすぎてなかなかアルバムを丸ごと聞き通すことができないでいるが、それでも時間を見つけては聞く努力をしている。全く自分でも飽きれたものである。本当に洋楽バカだと自分でも思う。

 それで聞いたアルバムはアトミック・ルースターの「アトミック・ルースター」と「メイド・イン・イングランド」である。前者は彼らの1stアルバムで、後の方は1972年に発表された後期のアルバムである。

 もともとバンドの母体は、“The Crazy World of Arthur Brown”というアルバムに参加していたキーボード奏者のヴィンセント・クレインとドラマーであるカール・パーマーが中心となって結成されたものである。

 1970年にベース、フルート奏者のニック・グラハムを加えた3人でデビュー・アルバムを発表した。

アトミック・ルースター・ファースト・アルバム(紙ジャケット仕様) Music アトミック・ルースター・ファースト・アルバム(紙ジャケット仕様)

アーティスト:アトミック・ルースター
販売元:ディスク・ユニオン
発売日:2005/11/25
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 この1stアルバムは当時の状況を反映しているような内容になっていて、混沌と芸術性が同居しているような印象を与えてくれる。いわゆるアート・ロックとロックン・ロールが混在しているかのようだ。

 クレインのキーボードはプログレッシヴであり、カール・パーマーのドラミングはアグレッシヴである。
 ただプログレッシヴといってもリック・ウェイクマンのような華麗さやキース・エマーソンのような攻撃性は見られない。ときにブルース・フィーリングに溢れたハード・ロック・バンドのようで、クラシカルではない。そういえばDeep Purpleのジョン・ロードに近いかもしれない。

 ただカール・パーマーのドラミングはやはり別格である。必要に応じてジャズっぽく、またロックっぽく演奏していて、やはり器用というか才能を感じさせる。
 このアルバムの中に"Before Tomorrow"というインストゥルメンタル曲があるが、ここでのクレインのオルガン・プレイとパーマーのドラミングは見事である。

 カール・パーマーはのちにキース・エマーソンとグレッグ・レイクの3人で、“エマーソン、レイク&パーマー”を結成したが、同じキーボード・トリオという構成であった。しかし、その音楽性は全く異なるものである。

 オリジナル・アルバムはトリオ演奏だったので、ギターの音はニック・グラハムが奏でているようだが、アメリカ盤ではグラハムの代わりに加入したギタリストのジョン・デュカンのオーヴァーダビングがされている。自分の持っているアルバムはどちらなのかわからないのだが、たぶんイギリス盤だろう。

 もう1枚の「メイド・イン・イングランド」は彼らの4枚目のアルバム。ジャケットがデニム地の特殊なものになっていたそうで、当時はレコードだったから、結構生地を使ったことだろう。再発されたCDでもほぼ同様の生地を使っている。

メイド・イン・イングランド(紙ジャケット仕様) Music メイド・イン・イングランド(紙ジャケット仕様)

アーティスト:アトミック・ルースター
販売元:ディスク・ユニオン
発売日:2005/11/25
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 メンバーは4人に増えていて、オリジナル・マンバーはヴィンセント・クレインだけになってしまった。
 この当時のウリは、ボーカルにクリス・ファーロウが参加したことである。この当時32歳だったクリスは、もともとはR&Bシンガーで、特に当時のストーンズのマネージャーであったアンドリュー・オールダムに気に入られ、ストーンズの"Out of Time"を歌って大ヒットさせた。

 この当時のクリス・ファーロウはコロシアムの解散後であり、ロンドンでミリタリー・グッズを売るお店などを経営していて、なかば引退状態だったらしい。
 それでバンド側からオファーを受け、一緒にセッションをする中で加入したという。本当はお金に困っていたのではないだろうかなどと余計な事を考えてしまった。

 クリスが加入したおかげで、このアルバムの音は初期のハード・ロック+アート路線からR&B路線へと変わってしまった。ミュージシャンとはいえ、やはり売れて何ぼの世界である。世の中に認められるという事は、ある程度売れなければいけないわけで、リーダーのクレインも知名度、実力ともに秀でているクリスを前面に打ち出してアルバム制作を進めていった。

 確かにこのアルバムは、そのアルバム・ジャケットの斬新さとクリスのボーカルのおかげで、新生アトミック・ルースターの飛躍に貢献したようで、その後もクリスのボーカルを活かしたアルバム作りを行っている。

 彼らは一時解散状態であったが、70年代の終わりに再結成をしてライヴ活動やアルバム制作を行った。83年にはデヴィッド・ギルモアやバーニ・トーメなどのギタリストを招いてアルバムも発表している。
 ただ残念な事に、リーダーであるヴィンセント・クレインは1989年の2月14日に病気で亡くなってしまい、アトミック・ルースターが二度と活動することは無くなった。

 アトミック・ルースターは欧米ではかなり人気があるそうで、いまだに昔のライヴ録音やコンピレーションなどがアルバムとなって発表されているが、日本ではほとんど知られていない。せいぜいあのカール・パーマーが以前いたバンドと知られている程度である。

 確かに日本では人気はないが、ロック黎明期に燦然と光り輝いたバンドとして忘れてはならないと思うのである。

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コロシアム

 コロシアムⅡ、テンペストと、段々時代をさかのぼってきたのだが、ついにジョン・ハイズマンが中心となって結成したバンド、コロシアムにたどり着いてしまった。

 前にも言ったように、ブルーズ・ロックからジャズ・ロックへの移行をジョンは望んでいたようで、1969年に1stアルバムを発表した。発表当時のメンバーは5人で、ベースはトニー・リーヴズ、ギター&ボーカルはジェイムズ・リザーランド、キーボードにデイヴ・グリーンスレイド、サックスはディック・ヘクストール・スミス、ドラムスにジョン・ハイズマンであった。

 このメンバーでのアルバム制作は1stと2ndアルバムだけで、3作目以降にはボーカルにクリス・ファーロウ、ギターにデイヴ・クレムソン、ベースがマーク・クラークに交代している。

 このうちジョンとトニー・リーヴズのリズム・セクションは、ジョン・メイオール&ブルーズブレイカーズに所属していたし、サックスのディックもブルーズ・インコーポレイティッドを経てブルーズブレイカーズにいた。だからブルーズからよりインプロヴィゼーションが期待できるジャズへと移ってきたのであろう。

 いずれのメンバーも当代一流の才能を持ったミュージシャンであったから、バンド内でのそれぞれのエゴも大変だったろうと予想される。だから途中でギタリストやベーシストが交代したのであろう。

 後にベース担当だったトニー・リーヴズはデイブ・グリーンスレイドとともに、プログレッシヴ・バンドである“グリーンスレイド”を結成しているし、ボーカリストのクリス・ファーロウもアトミック・ルースターに加入して自己のキャリア・アップを図っている。

 この3作目以降のコロシアムのギタリストであったデイヴ・クレムソンも流暢なギターを聞かせてくれている。さすがジョンが見込んだギタリストである。
 後に彼もピーター・フランプトンの後釜として、ハンブル・パイに加入し活躍した。やっぱりジョン・ハイズマンには優秀なギタリストを探してくるという嗅覚が発達しているようだ。

 一般的には、彼らの代表作は1969年に発表された「ヴァレンタイン組曲」だといわれている。前半は比較的短めで聞きやすい曲が並び、後半は約17分にわたりパワフルな演奏を聞かせてくれる。

Valentyne Suite Music Valentyne Suite

アーティスト:Colosseum
販売元:Sanctuary
発売日:2008/03/12
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 とにかくジョンのドラミングは脅威である。手数は多いし、リズムキープは正確だし、迫力はある。今は亡きレッド・ゼッペリンのドラマー、ジョン・ボーナムと元イエスのビル・ブラッフォードを足して2で割ったようだ。

 もちろんジョン・ハイズマンだけでなく、ベースのトニー・クラークやサックスのディック・ヘクストール・スミス、キーボードのデイヴ・グリーンスレイドの演奏も凄い。ただギターがちょっと目立っていないような気がした。そのせいか、次作からデイヴ・クレムソンが参加し、より一層のパワーアップを図ったのだろう。

 それでもっと彼らの演奏を堪能したい人には、1971年に発表されたライヴ・アルバム「コロシアム・ライヴ」がお薦めである。

ライヴ&ボーナス(紙ジャケット仕様) Music ライヴ&ボーナス(紙ジャケット仕様)

アーティスト:コロシアム
販売元:ディスク・ユニオン
発売日:2005/04/22
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 最新盤では2枚組、充実のボーナス・トラック付で、収録時間が約2時間になっている。これは確かに優れものなのだが、従来のCD1枚ものでも十分であろう。旧レコードでは2枚組だったのだから。

 とにかく演奏は素晴らしいし、ボーカルも英国屈指のソウル・ボーカリストのクリス・ファーロウである。あのオーティス・レディングが“Brother”と呼んだという伝説のボーカリストである。悪い要素などどこにも見られない。

 クレムソンのギターも素晴らしい。特にアンコールの"Stormy Monday Blues"やラストの"Lost Angeles"では弾きまくっている。また要所要所にはヘクストール・スミスのサックスがフィーチャーされているし、グリーンスレイドも重厚なオルガン・プレイを聞かせてくれる。

 一度彼らの演奏を見てみたいものである。2007年には来日して“奇跡の”コンサートを行っている。メンバーもほぼベスト・メンバーに近くて、クリス・ファーロウにデイヴ・クレムソン、デイヴ・グリーンスレイド、マーク・クラーク、ジョン・ハイズマンで、ディック・ヘクストール・スミスは2004年に亡くなっているので、代わりにジョン・ハイズマンの妻であるバーバラ・トンプソンが参加した。

 確かにベスト・メンバーである。たぶんこのときの様子は録画されていると思うので、いつの日か某国営放送の“黄金の洋楽ライヴ”で放送してほしいものだ。それでこそ国営放送としての責任が果たされるのではないだろうか、とひそかに思っている。

 ジョンの頭の中にはこのコロシアムのときの様子がしっかりと刻み込まれたのであろう。だからテンペストやコロシアムⅡのように、ジャズ・ロックといってもボーカル入りにこだわり、ギターやキーボードには有名無名にかかわらず、一流のテクニックを備えたメンバーを招きいれたに違いない。

 たぶんその方向性は間違ってはいなかったと思うのだが、なにぶんジョンには“忍”の一字が足りなかったと思う。もう少し我慢する気持ちがあれば、もっと名声と成功を手にすることができたに違いない。

 彼が満足するバンドであれば、必ずライヴ盤を出して世に問うているであろう。それが出せていないということは、彼(ら)にライヴの音を残そうとする気持ちがなかったのだろう。あまり成熟した演奏ではなかったということになる。
 とにかく、ジョン・ハイズマンが在籍したバンドのライヴ盤では、この「コロシアム・ライヴ」がベストではないだろうか。まさに汗と熱気が聞いている方にまで伝わってくるアルバムなのである。

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テンペスト

 ジョン・ハイズマンがコロシアムⅡ以前に結成したバンドが、テンペストであった。日本語では“暴風雨”という意味だろうか。1973、74年ごろのお話である。

 ジョンはボーカル入りのロック・バンドに執着していたようで、このテンペストもどちらかというとジャズ的要素をもったボーカル入りのロック・バンドだった。
 ちなみに、このテンペストでのメンバー構成は、ジョンとベーシストとして以前から一緒に活動していたマーク・クラーク、ギターにはアラン・ホールズワース、ボーカリストとしてポール・ウィリアムスの4人組だった。

 このバンドで2枚のアルバムを発表したが、72年に制作された1stアルバムではポールのボーカルとともに、アランの類まれな素晴らしいギター・プレイを堪能することができる。

テンペスト/テンペスト テンペスト/テンペスト
販売元:STAR RECORDS
STAR RECORDSで詳細を確認する

 1曲目の"Gorgon"では珍しくアコースティック・ギターから始まり、途中からエレクトリック・ギターが走り回っている。また最後の"Upon Tomorrow"ではヴァイオリンの演奏を耳にすることができる。

 彼の特徴はフレットの上を流れるようなフレージングであり、まさに“流麗”という言葉がぴったり来る。一度映像で見た事があるのだが、そのフィンガリングは芸術的であり、余人にはまねのできないものであった。とにかく指を広げると6フレット分以上は広がったような気がする。

 とにかくこのアルバムで一躍彼は有名になり、その後ソフト・マシーンやソロで活動するようになった。だからアランにとっては、このアルバムが世に出る第一ステップだったのである。

 ところがアランとポールは、この1枚を残して脱退してしまった。自意識の強いミュージシャンほどすぐにやめてしまうようだ。自分に自信があるからだろう。まるでどこかの化粧品のCMみたいだ。自信があるから宣伝をしないというアレである。

 翌年制作された「リヴィング・イン・フィア」では、彼ら2人の代わりにギター、キーボード、ボーカル担当にオリー・ハルソールが加入した。彼はパトゥというバンドでギターを弾いていたのだが、バンドの解散に伴ってテンペストに加入した。Photo

 どうもジョン・ハイズマンには、優秀なギタリストを発掘する、もしくは加入させるという不思議な力を持っているようで、彼が連れてきたギタリストはいずれもプロ・ミュージシャンとして素晴らしい力量を持っていた。

 この2ndアルバムでは、オリーもアランの穴を補って余りあるプレイを披露している。またこのアルバムは前作よりも熱いロックの息吹みたいなものを感じさせてくれる。
 前作ではクールな雰囲気もあったのだが、3人組になったせいか、3人で力いっぱい制作しましたという熱意みたいなものが伝わってくるのである。

 1曲目の"Funeral Empire"からその雰囲気が充満している。ソリッドでパワフルなテンペスト流ロックン・ロールである。2曲目は"Paperback Writer"で、ご存知ビートルズのカヴァーであるが、ビートルズよりもアップテンポになっており、激しいギター・ソロを聞かせてくれる。

 3曲目の"Stargazer"では、オリーのスライドギターを聞くことができるし、大作の"Dance to My Tune"、"Turn Around"では3人の見事な演奏を堪能することができる。まるで“鳴きのギター”のないクリーム、もしくはちょっとプログレがかったクリームのような感じである。もちろんテクニック的には十分クリームと対抗できる演奏だ。

 最近では未発表の音源も見つかっているようだが、彼らはこの2枚のアルバムを残して解散した。もう少しリーダーのジョンに我慢する気持ちがあれば、もっと売れていたのにと思うのだが、どうだろうか。

 コロシアムⅡでも、あのフュージョン路線を続けていれば、シーンの表舞台に出られたのかもしれない。たとえゲイリー・ムーアが脱退しても、ジョンのことだからすぐに次の優秀なギタリストを見つける事ができたであろう。

 また、このテンペストの場合でも、例え3人になったとしても、これだけ素晴らしいロック・アルバムを作ることができたのだから、あと数枚は制作できたかもしれない。かえすがえすも残念である。

 ジェフ・ベックもそうであるが、ジョン・ハイズマンもグループを作っては壊すということを繰り返している。これは職人気質のミュージシャンに共通していることなのかもしれない。やはり人間には我慢する心が大事なのである。“石の上にも三年”というではないか。

 最近では未発表音源やライヴ演奏を集めたコンピレーションも発表されている。この機会に彼らの魅力を再確認するのもいいかもしれない。知名度ではマイナーだったが、実力では超一流の音楽集団だったのである。

Under the Blossom: Anthology Music Under the Blossom: Anthology

アーティスト:Tempest
販売元:Castle Music UK
発売日:2005/08/16
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コロシアムⅡ

 先日、某中古ショップに行って読み終えた本やCDを売っぱらって来た。その時思ったのは買い叩くという事はこういうことを意味するんだなということだった。

 たとえば岡村孝子や米米クラブのベスト盤、布袋寅泰の「ギタリズム」などは10円、大黒摩季のベスト盤は50円だった。しかし個人的には安いとは思うもののまだ許せるだろう。
 ところがサザンの「世に万葉の花が咲くなり」が100円、RCサクセションの「ラプソディ」「シングル・マン」が200円、あのザッパの「フィルモア・ライヴ」紙ジャケ盤が300円ときてはこれはちょっと安すぎると思う。

 おそらく売れないCD、上記の例でいうと「ギタリズム」や岡村孝子のベスト盤などは580円くらいで、サザンやRCになると980円で売ると思う。「フィルモア・ライヴ」紙ジャケ盤になると1480円くらいだろうか。
 いずれにしても原価の5倍から50倍以上の値段で売るのだから、これはもう暴利を貪るようなものである。

 古物商という商いは、まさに言い値がそのまま通るような世界である。これはもう趣味の世界だから、他の人にとってはゴミ同然の品物がある人たちにとっては宝石のように輝くものに映る。だから欲しい人にとっては本当に欲しいわけで、原価がいくらだろうが、どういう入手経歴であろうが関係ないのである。

 話は変わって、イギリスのバンドのコロシアムⅡのアルバムを聞いた。彼らは3枚アルバムを発表しているのだが、そのうちの2枚「ストレンジ・ニュー・フレッシュ」と「ウォー・ダンス」を聞いたのである。

 コロシアムⅡというバンド名が表すように、コロシアムというバンドがあって、そこから進化発展した(?)のがコロシアムⅡであった。1976年4月のことでる。

 オリジナル・メンバーはギターにゲイリー・ムーア、ベースにニール・マーレイ、キーボードはドン・エイリー、ドラムス・パーカッションにジョン・ハイズマン、ボーカルにマイク・スターズという5人組で、リーダーはドラマーのジョン・ハイズマンだった。

 見てわかるように、いずれも当時のイギリスを代表するその道のテクニシャンばかりで構成されていた。知名度の低いマイク・スターズでさえも、その後ルシファーズ・フレンドなどマイナーながらもカルトなバンドを渡り歩いている。

 彼らのデビュー・アルバム「ストレンジ・ニュー・フレッシュ」では彼らの持てる技量を十分に発揮しようとした跡がうかがえる。何しろ1曲目から"Dark Side of The Moog"である。タイトルから見て人をおちょくっているのがわかる。
 確かにドン・エイリーのキーボード、特にムーグ・シンセサイザーは目立ってはいるのだが、ピンク・フロイドではないのだから、別に彼らのアルバム・タイトル(The Dark Side of The Moon)をパクらなくてもいいと思うのだが…これが英国的Sense of Humourなのだろう。

ストレンジ・ニュー・フレッシュ~エクスパンデッド・ヴァージョン(紙ジャケット仕様) Music ストレンジ・ニュー・フレッシュ~エクスパンデッド・ヴァージョン(紙ジャケット仕様)

アーティスト:コロシアムII
販売元:ディスク・ユニオン
発売日:2005/12/24
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 以降の曲ではマイクのボーカルも目立っているし、バックの演奏と十分渡り合っている。リーダーのジョン・ハイズマンは、ボーカル入りのジャズ・ロックをやりたかったのだろうと思うのだが、ちょっと期待外れの感がある。
 ボーカルは確かに素晴らしい。ロック調の曲だけでなく、5曲目のようなバラード系の曲も上手に歌いこなす事ができる。グラハム・ボネット以上だと思う。ただ印象的なフレーズ、魅力的なメロディラインに乏しい。せっかくの豊かな声量や艶のあるレンジを生かしきれていないと思う。

 バックの演奏陣が超豪華だけに非常にもったいないのだ。ここからは想像でしかないのだが、ジョンはボーカル入りを主張したのではないだろうか。ちょうど以前のコロシアムがメジャーになったときに、クリス・ファーロウという名ボーカリストがいたように。

 しかし彼以外のメンバーは、ボーカル入りよりもインストゥルメンタル重視を主張したのではないだろうか。だから2nd以降はボーカリストをいれずに、アルバム作りを進め、必要ならギター担当のゲイリー・ムーアがボーカルを担当した。

 ちょうど時代はフュージョンやクロスオーヴァーに焦点が当たっていた。1975年にはジェフ・ベックがオール・インストゥルメンタルの「ブロウ・バイ・ブロウ」を発表して、一躍、時の人となった。

 そういう時代の流行みたいなものもあったのだろう。2nd、3rdではインストゥルメンタル重視になり、ボーカリストの脱退で4人組になった。またベーシストも交代している。

 3rdアルバムの「ウォー・ダンス」は1977年に発表されたのだが、そういう意味でギターのゲイリー・ムーアとキーボードのドン・エイリー、それに絡むのがドラムスのジョン・ハイズマンという形になっていて、お互いが有機的に高めていこうとしているのがわかる。

ウォー・ダンス Music ウォー・ダンス

アーティスト:コロシアムII
販売元:MCAビクター
発売日:1992/08/26
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 アルバムの前半はどちらかというとキーボードが目立ち、後半はギターが目立つようである。
 アルバムの白眉は6曲目の"The Inquisition"ではないだろうか。3曲目の"Put it That Way"も捨てがたいのだが、3分少々とちょっと短いのが残念である。

 "The Inquisition"は、まるでジェフ・ベックとヤン・ハマーが「ワイヤード」で壮絶なバトルを繰り返したように緊張感の溢れる演奏を堪能することができる。ただしここでは、ゲイリー・ムーアとジョン・ハイズマンとのバトルである。
 さらに途中でゲイリーのスパニッシュ・ギターが入るのも素晴らしい。曲に彩を添えてくれている。この曲は隠れたロックのインストゥルメンタルの名曲である。

 5曲目の"Castles"ではゲイリーのボーカルを聞くことができるし、ラストの"Last Exit"では狂ったように弾きまくるゲイリーの姿を彷彿させてくれる。そういう意味ではこのアルバムはジョン・ハイズマンのコロシアムⅡではなくて、完全にゲイリーが主導権を握ったものになっている。

 このバンドを経てゲイリーは、シン・リジィに参加したり、ソロ活動を始めて、ワールドワイドな人気を獲得していった。彼にとっては自分と同等の実力を持ったバンド活動はこれが最後になった。

 このコロシアムⅡのCDも中古ショップに持って行けば、おそらく50円くらいになってしまうだろう。しかし値段は関係ないし、自分にとってはその何百倍以上の価値はあるのだ。
 もちろん中古ショップにもって行く予定はないし、もし持っていくなら、このアルバムの持つ意味を理解している人に査定してもらいたいのだ。

 そういう人から50円と言われたのなら仕方がないが、杓子定規に発売年数で判断されたくないのである。これはコレクターとしての意地みたいなものである。

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オアシス

 兄弟でバンドをやっているのはロック界では珍しくはない。古くはイギリスのジャパンやアメリカのヴァン・ヘイレン、日本の鈴木慶一とムーンライダーズ、新しいところではアメリカのブラック・クロウズやイギリスのオアシスなどがあげられるだろう。

 そのうちのオアシスのノエルとリアムのギャラガー兄弟は仲がよいのか悪いのかよくわからないほど喧嘩を繰り返してきた。もう何度も解散寸前までいったことがある。でもやはりそこは血を分かち合った兄弟、最終的には仲直りをしてはバンド活動を続けてきている。

 また兄弟間だけでなく、その歯に衣着せぬ物言いは多くの他のバンドやミュージシャンにも及んでいる。はっきり言って彼らほど品格のないミュージシャンはいないのではないかと思えるほどだ。
 特に同じイギリスのミュージシャンであるブラーやレディオヘッド、エルトン・ジョンやフィル・コリンズにロビー・ウィリアムズ、アメリカのグリーン・デイ、エミネム、ジェイ・Z、バックストリート・ボーイズなどには、かなりひどい悪口を言っている。特にバックストリート・ボーイズには“射殺すべき”といい、ブラーには“エイズになって死んでしまえ”とまで言っている。(ブラーには後に謝罪しているが、後の言動から見てもちろん本心からではないだろう)

 そんな彼らが1995年に発表したアルバム「モーニング・グローリー」は歴史的な名盤である。とにかくどの曲もいい。彼らが全曲シングル・カットを考えたことからもその素晴らしさがわかると思う。

モーニング・グローリー Music モーニング・グローリー

アーティスト:オアシス
販売元:エピックレコードジャパン
発売日:1995/10/10
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 チャート的に見てもイギリスでは当然のことながら1位、アメリカでも4位を記録しているし、全世界的にも2000万枚以上も売れたといわれている。日本では"Morning Glory"がCMソングにも使用されたほどだ。

 彼らは英国人としての、しかも労働者階級出身としてのプライドが強く、彼らのフェイヴァレット・バンドはザ・ビートルズとセックス・ピストルズである。特にビートルズからはかなりの影響を受けていて、曲の雰囲気からビートルズのあの曲とまでわかるものまである。

 ほとんどの曲は兄のノエルが作っているのだが、確かにビートルズ・ライクなところはあるものの、メロディのよさや曲作りの巧さなどは同時代の他のバンドと一線を画しているように思う。
 とにかく一緒になって歌えるところが素晴らしいし、決して偏見ではないのだが、パブで酒を飲みながら歌えるような要素も兼ね備えているのだ。この辺が彼らを国民的なバンドに押し上げたのだろう。

 彼らの最新作は昨年発売された「ディグ・オウト・ユア・ソウル」である。これは数年の不振を一気に晴らすかのような充実した内容になっている。

ディグ・アウト・ユア・ソウル Music ディグ・アウト・ユア・ソウル

アーティスト:オアシス
販売元:SMJ(SME)(M)
発売日:2008/10/01
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 ジャケットを見ればわかるように、ビートルズの「マジカル・ミステリー・ツアー」のようなサイケデリックでトリップ感覚にあふれていて、内容的にもビートルズの後期のような作風である。
 このアルバムもほぼ全曲シングル・カットされるくらいにメロディが優れているし、久しぶりにタイトで粘っこいリズムを聞くことができる。決してハード・ロックではなく、ハードなロックをやっているオアシスを堪能することができた。これは彼らの原点回帰なのだろうか。

 "The Turning"、"The Shock of the Lightning"、"I'm Outa Time"、"Falling Down"などは推薦曲である。もしジョン・レノンが生きていてビートルズが再結成したら、こういう曲を作るだろうという雰囲気に満ちている。また曲によってはメロトロンも使用されていて、これも後期のビートルズのようでもあった。

 とにかく彼らの作る曲は素晴らしいし、当然のことながら世間に認められ、アルバムも売れるだろう。
 しかしどう考えてもわからないのは、こういう素晴らしい名曲群が、他人のことを平気で罵詈雑言するような人たち(特にギャラガー兄弟)から生まれてくる不思議さなのである。この名曲とそれを作る人たちの品格とのギャップが大きすぎるのだ。

 ひょっとしたらイギリス国民はこのギャップを楽しんでいるのだろうか。それとも曲は曲、人は人と割り切って考えているのだろうか。この辺が極東の田舎に住んでいる自分にはわからない。

 オアシスは現代のビートルズであると同時に、現代のモーツァルトである。彼らは才能に満ち溢れた賞賛に値するグループであると同時に、ある人たちから見れば品格を失った憎むべき悪党どもである。
 しかし、ここは一つ心を大きくして、悪ガキどもが作った名曲たちを愛した方が私たちにとっては身のためかもしれないのだ。

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ピーター・バーデンス(もしくは2人のピーター)

 イギリスのプログレッシヴ・ロック・バンドであるキャメルのキーボーディスト、ピーター・バーデンスが1970年に発表したアルバムがある。タイトルを「ジ・アンサー」といった。

【LP】 Peter Bardens / Answer 【LP】 Peter Bardens / Answer
販売元:HMV Yahoo!店
HMV Yahoo!店で詳細を確認する

 当時の状況からして全6曲しかないのだが、なかなか素晴らしいアルバムである。何が素晴らしいのかというと、楽曲もさることながらピーターと共演しているギターの演奏が素晴らしいのだ。

 クレジットを見ると、バックでギターを演奏しているのはアンディ・ギーとある。しかしそんなギタリストは当時も今も存在しない。アンディとは何を隠そうイギリスの伝説的なブルーズ・バンド、フリートウッド・マックの元ギタリスト、ピーター・グリーンその人なのである。

 そう、このアルバムには2人のピーターが参加していたのだ。ピアノとオルガンはピーター・バーデンスが、ギターはピーター・グリーンが演奏していて、はっきりいって圧倒的にグリーンの存在感の方が目立っている。マックでの演奏より100倍はカッコいいのだ。

 1曲目の"The Answer"はオルガンのイントロがキャメルっぽい印象なのだが、一旦ギターの音が弾けると、グリーンの独壇場に変わってしまう。それほど目立つし弾きまくっている。

 曲自体の時間は比較的長く、1曲目は5分弱、2曲目は7分以上、3曲目にいたっては10分以上もある。バーデンスの方は基本的にオルガンを中心に演奏している。一方のグリーンの方は得意のブルーズのフレーズやサンタナがワウワウ・ペダルを使って演奏するようなテクニックを惜しげもなく披露している。

 まさに70年という時代の音なのであるが、それがかえって新鮮に聞こえてしまうのである。いまどきこんなに弾きまくるギタリストやキーボーディストはそんなにいないはず。だからそれが好きな人にはたまらないのである。

 そういえばピーター・バーデンスという人は、もともとブルージィな演奏をしていた人ということを思い出した。19歳のときはミック・フリートウッドと一緒にバンドを組んでいたというし、アイルランドの魂のシンガー、ヴァン・モリソンのバンド、ゼムにも参加していた。だから彼の1stソロ・アルバムがブルーズっぽいになるのもある意味当然のことなのかもしれない。

 "Let's get it on"ではニッキー・ホプキンスのようにピアノを弾きながら歌っている。ほとんどの曲でバーデンスは歌っているのだが、歌い方があくのないミック・ジャガーみたいなためあまり印象に残らなかった。
 
 最後の曲"Homage to the God of Light"は13分を超える大作なのだが、ここで初めてバーデンスのオルガン・プレイとグリーンのギター・ソロがバトルを繰り広げている。“よっ、待ってました!”と思わず声をかけたくなるほどじらされてきたのだが、この曲を聞けば両者の持つ演奏力の素晴らしさに思わず唸らされるに違いない。

 曲の前半はバーデンスのオルガンがリードをしていき、中盤からグリーンのギターが目立ってくる。
 スキャット風の女性ボーカルと絡み合いながら、グリーンのギターがフレーズを刻む様は聞いていて思わず感嘆してしまった。グリーンのギターは決して速くはないのだが、味のある演奏なのだ。それに対抗するために、バーデンスもオルガンを鳴らしているのだが、やはりどうしてもグリーンのギターに耳が行ってしまった。バーデンスはオルガンだけではどうしても分が悪そうだ。

 このアルバムはピーター・バーデンスの1stソロ・アルバムなのだが、これを聞いて、初めてピーター・グリーンが伝説のギタリストということがわかったような気がした。彼が参加したのはミック・フリートウッドとバーデンスとともに一時バンドを組んでいたからだという。

 ところでバーデンスの方はこのあともう1枚アルバムを発表したのだが、いずれも鳴かず飛ばずだったようだ。それで71年頃、メロディ・メイカー紙上にバンド・メンバー募集の広告を見てキャメルに参加した。それからの成功は以前にも述べたので省略したい。

 だからこのアルバムはプログレッシヴ・ロックというよりは、むしろ純然たるブリティッシュ・ロックの範疇に入るのである。“俺も若い頃はこんなふうにジャムってたんだぜ”とでもいいそうな雰囲気だ。天国にいるバーデンス自身にもきっと満足のいくアルバムだったに違いない。

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2008年の問題作(3)

 さてこの“問題作シリーズ”も3回目、今回で最後である。最後を飾る2008年の“問題作”はポール・マッカートニーが関わったプロジェクト、ザ・ファイアーマンの「エレクトリック・アーギュメンツ」である。

 このザ・ファイアーマンのアルバムであるが、今作が3作目で、前作の「ラッシズ」から10年ぶりの新作となる。

エレクトリック・アーギュメンツ Music エレクトリック・アーギュメンツ

アーティスト:ザ・ファイアーマン
販売元:TRAFFIC
発売日:2008/11/24
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 それでザ・ファイアーマンについて簡単に述べておくと、元ビートルズのポール・マッカートニー(御年67歳)と70年代のニュー・ウェイブ・バンド、キリング・ジョークのベーシストのユース(49歳)の2人が結成したプロジェクトで、歌や演奏は基本的にポールが、編集やプロデュースをユースが担当している。

 彼らの最初のアルバムは1993年に発表された「ストロベリーズ・オーシャンズ・シップス・フォレスト」であり、最初の2枚は完全な実験音楽、環境音楽、アンビエント・ミュージックだった。要するにブライアン・イーノのような音楽だったということだろう。

 それでこのアルバムのどこが問題作と言われるのかというと、今作ではボーカルが入っている点であり、しかも前々作、前作と比べて聞きやすくポップな音になっている点である。

 要するに昔の「マッカートニー」や比較的新しい「フレイミング・パイ」のようなアルバムなのであるが、むしろそれらより荒削りでワイルドでロックしている感覚である。まさにニュー・ウェーブ版ポール・マッカートニーという感じである。

 こういう感覚のアルバムになったのも相方のユースの影響が大きかったのだろう。もともとニュー・ウェーブ・バンド出身の彼なので、こういう感覚は得意の分野なのだろう。
 しかも前回紹介したガンズ・アンド・ローゼズの14年間で14曲録音したアルバムとは大きく異なり、1日に1曲、全13曲を13日間で録音したという。
 ただ、毎日ではなく10年間にちびちびと録りためていったということで、間が空いたようである。

  雑誌のアルバム評などを見ると、結構好意的に書いているものが多く、21世紀に入っての彼の最高傑作とまで言い切るものも見受けられた。
 しかし、自分の中ではそこまではちょっと言いすぎかもという感じである。やはり基本はアバンギャルドな環境音楽であり、あくまでも今回は聞きやすいものになっただけという感じだからだ。

 特にアルバム後半になるにつれて、段々と前衛的な傾向が強くなり、最後の曲などは10分以上もあるマイナー調のロック・ミュージックになっている。
 逆に前半は短く聞きやすいポップな曲が連なっている。"Sing the Changes"、"Travelling Light"、"Highway"あたりは、出来れば違う彼のアルバムの中で聞きたかったと思ってしまった。

 もともと80年代から、ポールは他人とコラボレートする機会を増やしてきた。決して才能が枯渇したわけではないのだろうが、ジョン・レノンという偉大なる友人かつライバルが亡くなってからそうなってきたようである。

 例えばスティーヴィー・ワンダーやマイケル・ジャクソンと「タッグ・オブ・ウォー」や「パイプス・オブ・ピース」で共演したほか、「フラワーズ・イン・ザ・ダート」ではエルヴィス・コステロと、1997年の「フレイミング・パイ」では元E.L.O.のリーダー、ジェフ・リンと一緒に制作している。
 またミュージシャンだけでなく、レディオヘッドなどを手がけたプロデューサー、ナイジェル・ゴドリッジなどとも協力して制作している。

 この分だとそのうち本当にスティーヴ・リリーホワイトやブライアン・イーノ、ロバート・フィリップあたりとコラボレートするかもしれない。

Flaming Pie Music Flaming Pie

アーティスト:Paul McCartney
販売元:Capitol
発売日:1997/05/12
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 とにかく他の人と一緒にアルバムを作った方が、刺激になっていいのであろう。確かにこのアルバムでは異様に若々しいポールを実感することができる。音の処理がそう感じさせるのかもしれないが、ともかく普通の67歳の人が出せるような音ではないことは確かである。

 そういう意味ではポールは天才なのかもしれない。でもはっきり言って、この中のいくつかは次の彼のソロ・アルバム用に取っておいてほしかった。
 でもいい曲を惜しげもなくどんどん発表していくところが、天才たるゆえんかもしれない。次回からは、このアルバムからアバンギャルドな要素を除いた楽曲の詰まったソロ・アルバムを期待しているのである。

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2008年の問題作(1)

 これから3回にわたって、2008年に発表されたアルバムの中から、個人的に問題作(話題作)となっているものを紹介していきたいと思っている。
 それで第1回目の問題作は、昨年秋に発表されたクィーン+ポール・ロジャースのアルバム「ザ・コスモス・ロックス」である。

 改めていう必要もないと思うのだがあえて言うと、クィーンのフレディ・マーキュリーがエイズという病に倒れたのが、1991年11月24日のことであった。
 その死から17年、デビュー・アルバム「戦慄の女王」発表から35年、残されたメンバーのブライアン・メイとロジャー・テイラーがUKを代表するロック・ボーカリスト、ポール・ロジャースと一緒になってアルバムを制作したのである。それが「ザ・コスモス・ロックス」だった。

ザ・コスモス・ロックス Music ザ・コスモス・ロックス

アーティスト:クイーン+ポール・ロジャース
販売元:EMI MUSIC JAPAN(TO)(M)
発売日:2008/09/17
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 はっきり言ってこのアルバム自体の出来はすこぶるよい。ポール・ロジャースのボーカルは深みがあり、バックの演奏に負けることなくしっかりと自己主張している。
 また、バック演奏も古臭さを感じさせない現代的な音処理が施され、ベテランとしての味と“キープ・オン・ロッキン”しようとする姿勢が伺え、今時の若者にも訴えかけるだけの力を備えている。

 だからロックのアルバムとしては、よく出来たアルバムなのである。決して“アルバム・オブ・ザ・イヤー”には選ばれないだろうが、それでも“2008年を代表するこの100枚”には選ばれるだろう!?

 しかし個人的には、これをクィーンの新作としてカウントしてほしくないし、間違ってもアーティスト名にQueen+Paul Rodgersという名前を入れてほしくなかった。もし入れるならポール・ロジャースの新作として、あくまでもブライアン・メイとロジャー・テイラーは全面的に協力して制作したものとして発表してもらいたかった。これをクィーンといってほしくなかったのである。

 それは自分が別にクィーンの大ファンだからとか、名前を汚してほしくないからとかいう理由ではない。クィーンという名前から受ける音のイメージとこのアルバムから受ける音のイメージは全然違うものだからである。

 やはりポール・ロジャースはロック界を代表するボーカリストである。彼が全編を通して歌うと、どうしても彼の個性や表現力が表に出てしまうのである。だからこのアルバムはブルーズ・ロック+ハード・ロックが中心の音世界になっている。

 逆に言うと、やはりフレディ・マーキュリーの存在はクィーンに欠かせなかったということになる。彼の創り出したクラシカルでオペラティックかつドラマティックな音世界があったからこそ、クィーンがここまで世界的に有名になったということができるだろう。(もちろんパフォーマーとしてのフレディも素晴らしかった!)

 ブライアン・メイのあの独特な“津軽三味線”的ギターはアルバムの冒頭と13曲目の"Surf's up...School's out!"(まるでビーチ・ボイーイズとアリス・クーパーのアルバム・タイトルのようだ)の最初でしか聞くことができない。ポールのボーカルが活かせるように、また曲を盛り上げていくことに徹しているかのようである。
 7曲目の"Call me"は3分足らずの短い曲なのだが、そこではあの名盤「オペラ座の夜」の中にあった"My best friend"のようなポップな彼のギターを聞くことができる。

 1曲目"Cosmos Rockin'"はロケンロールだし、5曲目"Warboys"はハードロックしているし、8曲目"Voodoo"は完全なブルーズ・ロックである。ミック・ラルフスの代わりにブライアン・メイが弾いているバドカンといってもおかしくない。
 また6曲目"We believe"と9曲目"Some things that Glitter"はバラードしている。そのバラードでのギターで盛り上げるところは、あのブライアン・メイ独特の印象的なギターの音色を聞くことができるのだが、結局のところそれだけで終わっている。

 12曲目の"Say it's not true"は2003年にエイズ撲滅キャンペーン用に作られたもので、最初のボーカルはブライアン・メイが歌っていて、途中からポール・ロジャースの声がかぶさってくる。また間奏のギターは確かにクィーンのブライアン・メイしている。この曲は名曲だと思う。

 だからこのアルバムはポールのソロ・アルバムとして発表してほしかったし、それがだめならプロジェクトとして発表してほしかった。例えばベック、ボガート&アピスのように…
 もしくは彼らの名前の頭文字をとって、“MRT(メイ、ロジャース、テイラー)”。これで“マート”と読むのだが、スーパーのようでよくない。それでは“RMT”はどうかと考えたのだが、何と読むのかわからない。母音が入っていないから読みづらいのである。

 とにかくこのアルバムはイギリスで5位、アメリカで47位というアルバム・チャートを記録している。これはチャートの順位だけで見るなら、1974年に発表された「クィーンⅡ」とほぼ同じチャート・アクションである。

 しかし彼らの欧米での人気は凄いようで、特にヨーロッパではどこの会場も満員御礼のようである。たぶんこの勢いをかって、北米南米ツアー、そしてやがてはおそらく日本にもやって来るのであろう。

 余談だが、ドラムス担当のロジャー・テイラーとポール・ロジャースの年齢が同じだと知って驚いた。両名とも今年で60歳である。ポール・ロジャースは60年代の終わりから、つまり10代から活動していたから芸暦は長いので、もっと年齢は上かと思っていたら、ブライアン・メイの方が年上だった。

 要するにクィーンの中で一番若かったベーシストのジョン・ディーコンだけが、一番若くて既に引退しているのである。(今年で58歳)
 そういう意味では一番賢明だったのかもしれない。“クィーン”という名前に溺れることなく、また他のメンバーを非難することもなく、世間の喧騒から離れて静かに人生を送っているからだ。

 バンドの中で一番若かったという点では、ビートルズのジョージ・ハリソンと同じであり、長く引退同然の生活を送っていたのも似ている。クィーンの中で一番ポップな音楽性を備えていたのはジョンだったのではないかと思うこともある。彼は今どんなふうにこのアルバムを聞いているのであろうか。

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トルバドール

 本当にイギリスという国は日本より小さいのに、文化的な面、特に音楽については世界をリードしていると思う。とにかく雨後のたけのこのように、次から次へと新人バンドやミュージシャンが誕生しているのだ。
 しかも新人とはいえ、それなりに音楽的な力量も備えているのだから、いかにイギリスの音楽レベルが高いかがわかると思う。

 このブログでもその一部を紹介してきたが、とてもすべてを紹介しきれるものではない。それでも何とか自分の気に入ったものについては紹介していきたいと思っている。

 それで今回は、イギリスはリヴァプール出身の4人組ザ・トルバドールズである。もうこの“リヴァプール出身の4人組”というキャッチフレーズだけで、ロックの歴史に刻まれているあの超有名な4人組と比較されてしまいがちだが、このザ・トルバドールズは、なかなかどうして、その比較に耐えうるものを持っているのである!

 彼らが今年の秋に発表したアルバム「ザ・トルバドールズ」には、キャッチーでメロディアスなロックやポップな曲が詰め込まれている。

ザ・トルバドールズ Music ザ・トルバドールズ

アーティスト:ザ・トルバドールズ
販売元:BMG JAPAN
発売日:2008/09/24
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 特に2曲目"Superstitious"や4曲目"Surrender"、シングルカットされた"Gimme Love"を聞けば、その意味するところがすぐにわかると思うのである。

①3部のコーラスを聞かせてくれる
②残響空間処理が60年代している
③サビのメロディが覚えやすい
④バラエティにとんだ楽曲で占められている
⑤'60s、'70sの雰囲気がよく出ている

 世界で最も有名な4人組といくつかの共通点があるが、とにかくそのソングライティングの巧みさは近年出た新人バンドの中では群を抜くものだと勝手に思い込んでいる。

 特に"The Scene, it keeps changin'"のようなスローなバラードタイプの曲や"Con Edison"のようなアップテンポの曲を聞くと、本当に21世紀のバンドなのだろうかと思ってしまった。まるでホリーズやハーマンズ・ハーミッツのような60年代のビート・グループを思い出させてくれるからだ。

 アルバムには11曲収められているが、そのすべてを作詞作曲しているのが、ギター&ボーカルを担当しているマーク・フリスという人である。

 イギリスの大物プロデューサーであるジョン・レッキーは、彼のことを“10年に1人の逸材”と評して早速彼らのシングルのプロデュースを買って出たし、あのポール・ウェラーも彼らのことをいたく気に入ってしまい、自分たちのツアーのオープニング・アクトに起用してしまったということらしい。

 そういうことで既に伝説は着々と作られているのである。確かに今までの“第2の~”と言われてきたグループは、確かにメロディはポップで、甘く切ない印象を与えてきたが、このグループはそれだけでない多様性というものを持っている。
 
 よく1stアルバムを聞けばそのグループの方向性や将来性が図られるといわれるが、このザ・トルバドールズは先人たちの二番煎じだけでは終わらない技巧的な側面を持っているのだ。

 確かによくプロデュースされているアルバムなので、新人としての若々しさやロックとしての疾走感には欠ける面はあると思う。だから彼らの真価が問われるのはこの次のアルバムからになると思う。

 しかし、それにしてもこのメロディセンスはそれらを補って余りある素晴らしいものがある。願わくば日本だけでなく、イギリス本国でも彼らの実力が認められて、“リヴァプール出身のあの4人組”のように、国民的人気バンドになってほしいものである。

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ザ・スクリプト

 ついに出たというか、やっぱり出たというべきか、とにかくアイルランド出身の3人組、ザ・スクリプトはアメリカのマルーン5の焼き直しなのである。

 彼らが今年の夏に発表したアルバム「ザ・スクリプト」は母国アイルランドやイギリスでは初登場1位を記録している。それほど素晴らしいアルバムなのであるが、でも自分の耳にはどうしてもマルーン5のクローンとしてしか聞こえないのだ。

ザ・スクリプト(2ヶ月限定スペシャル・プライス) Music ザ・スクリプト(2ヶ月限定スペシャル・プライス)

アーティスト:ザ・スクリプト
販売元:BMG JAPAN Inc.(BMG)(M)
発売日:2008/10/22
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 ①ボーカルの声質が類似している。
 ②メロディの起伏が激しく、曲に起承転結がある。
 ③同時に美しいサビの部分を持っている。
 ④またメロディが特長的で覚えやすい。
 ⑤演奏にストリングス等を使って厚さを加えている。
以上の点から、これはヨーロッパのマルーン5と言っていいだろう。

 でも逆にそれがどうした、と言うことはできる。確かに曲想や展開が似ているとはいえ、良いものはいいのである。車の中で聞いていると、とにかくついつい聞いてしまうのだ。そういう磁力のような力を秘めているのであるザ・スクリプトというグループは。

 3人の中の2人は若いうちからアメリカに渡って、R&Bのソングライティング・チームの中で活動していたらしい。だから彼らの音楽は黒人音楽の要素が詰まっており、黒っぽい音を出している。
 1stシングルだった"We cry"や"The end where I begin"を聞くと、ヒップホップやラップのリズム感覚を上手に取り込んで、うまく自分たちの音楽に溶け込ませている。そういう点ではマルーン5より優れているといえるだろう。

 中にはエンゲルベルト・フンパーディンクの"A place in the Sun"のようなメロディラインを持った曲もある。また、シングルカットされなかったけれど、"Before the worst"や"Talk you down"、"Fall for anything"などの曲の方がシングルよりも良いできではないかと思うのは私一人だろうか?

 とにかく彼らの曲を聞くと、本当に耳をそばだててしまい何度も何度も繰り返し聞いてしまう自分がいるのは確かである。とにかく曲の展開が見事なのである。1曲の中に2~3のサビのフレーズが含まれているのだ。このつなぎというか展開が見事なのである。

 たとえクローンだろうが、二番煎じだろうが、それが彼らのオリジナリティなのである。もっとブラック・ミュージックからの影響を前面に出した音楽を作っていけば、さらに彼らの音楽観が確立されて、もっと素晴らしい心に残る音楽が生まれてくるだろう。

 そういう意味では次作の作品が勝負かもしれない。久々に出たアイルランドからの新人バンドである。できればU2のように歴史に残るバンドになってほしいものである。

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北極の猿たち

 日本語にするとヘンだが、英語でいうとなかなかカッコいい人たちがいる。イギリスはシェフィールド出身の4人組、アークティック・モンキーズである。

 2006年に発表された彼らの1stアルバム「ホワッタエヴァー・ピープル・セイ・アイ・アム、ザッツ・ホワット・アイム・ノット」を聞くと、まさにロック・ミュージックというのは焦燥感や疾走感、反骨心や妥協との戦いというのがよくわかる。

Whatever People Say I Am, That's What I'm Not Music Whatever People Say I Am, That's What I'm Not

アーティスト:Arctic Monkeys
販売元:Domino / Hostess
発売日:2006/01/19
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 ギター2本に、ベースとドラムスというシンプルで基本的なフォーマットながら、そこから流れ出す音楽は、まさに21世紀のイギリス音楽界や日常の若者の世界を描き出すことに成功していると思う。

 当時のイギリスではオアシス以来のスーパー・グループと賞賛されていたが、確かに一本調子ではなくて、曲ごとの違いがよく表れていると思う。
 また、どうでもいいことだが、曲のタイトルが長いのも特長かもしれない。"I bet you look good on the dancefloor"や"Red light indicates doors are secured"など、"Perhaps vampires is a bit strong but..."、極めつけは"You probably couldn't see for the lights but you were staring straight at me"だと思うのだが、こういうところにも既成の価値観を打ち破ろうとする彼らの意思が伺われるのである。

 とにかくこのアルバムは本国イギリスではよく売れた。100万枚以上売れたと思う。だからその年の新人賞だけでなく、アルバム・オブ・ザ・イヤーも獲得している。(本国イギリスだけでなくアイスランド、アイルランドや日本でもアルバム・オブ・ザ・イヤーを獲得している)

 ただ自分はつい最近になってこのアルバムを手に入れた。前々から購入したかったのだが、あとであとでと、どんどん伸ばしていって聞きそびれてしまったのだ。
 ところが最近、廉価盤が発売されていたのを知って、それならばと買ったのである。同じ内容で約800円ぐらい違うのだから、どう考えてもお買い得であった。やっぱり貧乏性のプロフェッサー・ケイなのである。

 これもどうでもいい話だが、アルバム・ジャケットに写っている人は、バンドのメンバーではなく、バンドのメンバーの友人ということらしい。写真撮影前の7時間くらいから酒を飲んでいたというから、撮影当時はすでにべろんべろんの状態だったという。確かに目がイっている。バンドメンバーが写っていなくて、その友人だけが写っているジャケット写真も珍しいのではないだろうか。

 彼らは翌年に2ndアルバム「フェイヴァリット・ワースト・ナイトメア」を発表しているが、これも全英1位、全米7位を獲得している。生き馬の目を抜くようなイギリス音楽界において、ここしばらく彼らの勢いは止まらないかもしれない。

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ダーク・ホース

 11月といえば、フレディ・マーキュリーとジョージ・ハリソンの月である。11月の24日はフレディの、29日はジョージの命日である。
 というわけで今回はジョージ・ハリソンのビートルズ解散後の3枚目のアルバム「ダーク・ホース」について紹介したい。

Dark Horse Music Dark Horse

アーティスト:George Harrison
販売元:Toshiba EMI
発売日:1992/01/28
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 このアルバムは1974年に発表されたが、それまでの彼のソロ・アルバムの中では最低の売り上げを記録したアルバムになった。確かに「オール・シングス・マスト・パス」や「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」はジョージにしてみれば出来すぎの観もある。

 しかしこのアルバムもそんなに悪い内容ではないと思うのだが、結果としては全米4位だった。全米4位といえばいいのではないかと思われるかもしれないが、元ビートルズで4位というのはビートルズ・ファンからすれば考えられないのである。しかも本国イギリスではチャート・インもしていなのであるから、それまでのジョージの実績からは考えられないのだ。

 その原因は彼の私生活にあった。それまで8年間一緒に生活していた妻パティと離婚したのである。離婚だけならまだしも、離婚の原因となったのはジョージの親友エリック・クラプトンからの横恋慕だったのだから、ジョージの心中も複雑だったに違いない。

 クラプトンとジョージはビートルズ時代から、2人で一緒にジャムったりしていたし、一緒にレコーディングしたり、曲を提供したりと親友だったのである。
 それが女好きのクラプトンがこともあろうに親友の奥さんに恋心を抱き、"Layla"などと叫んでいたために、ついに破局してしまった。クラプトンにしてみれば、不倫が結婚に至ったのである。

 たぶんジョージがインド哲学や宗教に走ってしまい、奥さんを顧みなくなったせいもあるだろう。2人の間には子どもはいなかったから、パティとしてみれば淋しかったに違いない。そういう心の隙間を狙ってクラプトンは忍び込んだのである。さすがクラプトン、ギターはスローハンドだが、女に出す手は早いのである!?

 だからジョージは荒れた。このアルバムにも"So sad"、"Bye bye,love"など複雑な自分の心境を歌った曲がある。特に"Bye bye,love"なんかは原曲と全く違うアレンジで歌っている。サイモン&ガーファンクルもこの曲を歌っているが、全然受ける印象が違う。S&Gの歌は明るさがあるが、ジョージのこの曲は本当に暗くて、聞いているこちらまでふさぎこんでしまいそうになってしまう。

 しかも"Bye bye,love"にはエリック・クラプトンとパティも参加している。パティはコーラスに参加し、エリックはギターを演奏しているようだが、どうもこの辺の感覚は自分には理解できない。それだけジョージは寛容なのだろうか。これも神の御慈悲なのだろうか。

 さらに追い討ちをかけるかのように、自分のアルバム・レーベルである“ダーク・ホース”を立ち上げて、他のミュージシャンをデビューさせているし、このアルバム発表にあわせてツアーをスタートさせる準備もしなければならなかった。だから心身ともにこの時期のジョージはかなり参っていたと思うのである。

 特にアルバム・タイトル曲"Dark horse"では、これがあの"Something"、"Here comes the sun"を歌ったジョージ・ハリソンかと疑うほどの荒れた声を出している。本当に痛々しいくらいだ。

 さらに暗いニュースは続き、このときの北米ツアーは散々の出来だった。客の反応は悪いし、ツアーを重ねるたびに観客は入らなくなっていった。
 一説には前座のラヴィ・シャンカールの演奏が長すぎたとか、ツアーの最初はジョージがビートルズの曲を封印していたのが原因といわれているが、ビートルズ解散から4年たってそろそろジョージの神通力も消えかかってきたのだろうか。

 救いがあるのは"Ding Dong,Ding Dong"と"Far east man"が収められていることだろう。前者の曲は新年を祝うものとして録音されたようである。
 また後者の曲は、このアルバムの中で一番の出来と思われるほど素晴らしいバラードである。タイトルの"Far east man"とは当時ストーンズのロン・ウッドが着ていたTシャツに書かれていた文字のことで、これを見てジョージが作ったものである。

 のちにロン・ウッドの1stソロ・アルバム「俺と仲間」にも収められている。何度聞いてもいい曲はいいのである。

I've Got My Own Album to Do Music I've Got My Own Album to Do

アーティスト:Ron Wood
販売元:Warner Bros.
発売日:1999/06/18
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 というわけで11月のジョージの命日にちなんで今年は「ダーク・ホース」を紹介させてもらった。来年は次のアルバム「ジョージ・ハリソン帝国」になるだろう。ここから元ビートルズの看板を払って、一ミュージシャンとして自立していったジョージがあると思うのである。

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ロン・ウッド

 最近、有名人の死亡ニュースが頻繁にメディアから流れてくるような気がしてならない。死の連鎖みたいなものかもしれないが、ロック・ミュージシャンの中にも死に至らないまでもその一歩手前まで行った人がいる。

 一番有名なのは、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズであろう。この人は70年代から常に死の影が付きまとっていた。
 原因はドラッグ中毒である。ロックとドラッグは切っても切り離せない関係であるが、中でもストーンズは横綱格で、その中でもキースは別格であったらしい。

 真相は定かではないが、スイスの病院で血液を全部入れ替えたという噂が飛び交うほどひどかった。
 その後も薬物所持で逮捕され、強制的な社会貢献活動と引き換えに釈放されたりとやりたい放題だった。
 最近も南の島で休養中に椰子の木から落ちて、危うく一命を取り留めたりといつ死んでも不思議でない人生を送っている。

 それで天国に一番近い人がキースなら、2番目に近い人はロン・ウッドではないかと思っている。

 彼は一日30本以上タバコを吸うヘヴィ・スモーカーだったが、肺気腫でこのままいくと1年以内に死亡すると医者から宣告された。だから禁煙を始めたのだが、今度はアルコール依存症になってしまったのである。

 しかしもともと彼は、アルコールが大好きで体を切ったら、血ではなくお酒が流れてくるといわれるほどのお酒好きである。だから依存症も今に始まった話ではない。
 この数年間でも何回も禁酒していたのだが、大のパーティ好きのせいもあって、ついついお酒に手を出してしまうらしい。

 だから禁酒しても続かない。ストーンズのコンサートが続いているときは素面なのだが、ツアーが終了すると飲んでしまう。だからコンサートやレコーディングを続けてもらえばいいのだけれど、そういうわけにもいかない。なかなか困ったことである。

 2006年にもリハビリ施設に入院したが、効果はなかったらしい。最近では19歳のロシアはカザフ出身のエカテリーナちゃんと親密な関係になり、23年間連れ添った奥さんと離婚の手続きを始めたらしい。
 なんでも彼女がアルバイトしていたクラブで知り合ったらしく、お互いに結婚を前提に付き合い始めたらしい。

 こういうのもアルコール依存症からくる幻想だと思うのである。おそらく慰謝料は数十億円に上るだろうが、ロンからすればどうでもいいのだろう。こういうふうに金銭感覚がなくなるのも依存症の症状かもしれない。

 彼が1974年に発表した1st・ソロ・アルバム「俺と仲間」は隠れた名盤である。彼なりの黒人音楽に影響されたロンクン・ロールとソウルフルなバラード、ストーンズ流のミディアム・テンポのナンバーなどが絶妙なバランスを保って収められている。

俺と仲間 Music 俺と仲間

アーティスト:ロン・ウッド
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2006/05/24
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 特に1曲目の"I can feel the fire"2曲目"Far east man"はすばらしい。前者はストーンズのアルバム用に作られたものを自分のアルバムに入れたもので、同時期に作られた"It's only rock'n'roll"はストーンズのアルバムに収められている。

 "Far east man"はジョージ・ハリソンとの共作で、ジョージのアルバム「ダーク・ホース」にはジョージ・ヴァージョンが収められている。ジョージも気に入っていたほどの名バラードである。秋の夜に聞くと、胸が締め付けられそうな感傷に浸ってしまいそうになる曲である。

 これら以外にもミックやキースがつくった(とされている)"Act together"、"Sure the one you need"、ロッド・スチュワートも参加しているR&Bナンバー"If you gotta make a fool of somebody"、"Mystifies me"など佳曲が意外と多いのである。

 そして参加ミュージシャンが豪華である。上記以外にデヴィッド・ボウイ、ミック・テイラー、ミック&キース、元気だった頃のイアン・マクレガン、ウィリー・ウィークス、アンディ・ニューマークなどなど。

 決して歌は上手ではないのだが、いかにもロン・ウッドらしいノリノリのロックンロールと聞かせどころを押さえたバラードで占められたアルバムである。
 
 たぶん今の彼にはこういうアルバムは作れないであろう。残念なことである。それもこれもお酒の依存症が原因なのである。たぶん酔いがさめればロシア人ギャルともおしまいになるのだろうが、酔っている間はそれには気づかないのである。

 逆にいうと、酔っている間が幸せなのかもしれない。惜しむらくはこういうアルバムを二度と聞くことができないことである。

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ポール・ロジャースのソロ

 フリーが1973年に解散した後、ポール・ロジャースは同じフリーのドラマーであったサイモン・カークと計らって、元キング・クリムゾンのボズ・バレル、元モット・ザ・フープルのミック・ラルフスと4人でバッド・カンパニーを結成した。

 フリー時代は日英では人気のバンドだったが、アメリカではシングル・ヒットはあったものの、そんなに有名なバンドではなかった。その鬱憤を晴らそうとしたのかどうかは分からないが、バッド・カンパニーはアメリカでは売れた。

 サウンド的にはブルーズ・ロックをベースにしながらも、いかにもアメリカ受けしそうなテイストを持ったロックだった。
 何しろアメリカ国内だけで1stが500万枚、2ndアルバムが200万枚以上売り上げたのだから、フリーとは全く格が違った。

 結局アメリカでは、1stから6枚目のアルバムまでのうち、4枚までがプラチナ・アルバムと認定されたのである。
 しかし1982年にバンド内の人間関係の悪化から?ポールが脱退して、ソロ活動を始めてしまった。

 アルバムは発表したものの、自己満足的な内容だったせいか、あまり評判は良くなく、商業的にも失敗。85年には元レッド・ゼッペリンのギタリスト、ジミー・ペイジとザ・ファームを結成した。2枚のアルバムを残して解散したが、このバンドについては別の機会で詳しく語ってみたいと思う。(その機会があればの話だが…)

 90年代に入って、ポールは元スモール・フェイセズのドラマーだったケニー・ジョーンズとバンド、ロウを結成したが、これもアルバム1枚を残して消滅してしまった。

The Law Music The Law

アーティスト:The Law
販売元:Friday
発売日:2008/06/24
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 内容的にはバッド・カンパニーよりもAOR的なロックだった。本人はそういう気持ちではなかったのだろうが、時代に迎合しているかのような薄っぺらい音作りのアルバムだった。だからファンが求める音と本人がやりたい音との落差が大きかったのだろう。

 彼が再びシーンの表舞台に登場できたきっかけとなったのが、1993年に発表したブルーズ・アルバム「マディ・ウォーター・ブルーズ」である。このアルバムは、かなり売れた。しかもグラミー賞にノミネートされるほど売れてしまったのだ。

マディ・ウォーター・ブルーズ Music マディ・ウォーター・ブルーズ

アーティスト:ポール・ロジャース
販売元:ビクターエンタテインメント
発売日:2006/02/22
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 このアルバムは、企画もので、元イエスのトレヴァー・ラビンから元ガンズ&ローゼズのスラッシュ、デイヴ・ギルモアにスティーヴ・ミラー、ジェフ・ベックにゲイリー・ムーア、バディ・ガイ等々11人の錚々たる有名ギタリストが入れ替わり立ち代りリード・ギターを弾いて、彼が歌うブルーズを引き立てているのである。その中には、あのブライアン・メイもいて、彼と分かるギターを奏でている。

 結局、ファンが彼に望む音はこういうブルーズだったのである。やっとこれに気が付いたのか、それとも単なる通過点と考えていたのか、その後の彼の動きを見ているとよく分からない。

 彼はファンが望む音と時代が望む音に対してどう向き合うのか、という命題を自分に課しているのではないだろうか。
 というのも単なる商業主義に走るなら、ファンが望む音だけを出し続けていけば、お金はドンドン入ってくるだろう。

 しかし彼はそれを望んではいないのである。お金ならバドカン時代にある程度稼いでいるのだから、お金だけではない、自分が本来望む音を追求していると思うのである。そしてそれは今のところ成功しているとは言い難い。
 それは彼がその後に発表したアルバム・タイトルとその内容を見れば分かると思う。

 1997年には14年ぶりのソロ・アルバムとなる「ナウ」を発表した。時代の音と向き合いながら自分の音を追及した結果こうなりましたといわんばかりのタイトルである。

Now & Live Music Now & Live

アーティスト:Paul Rodgers
販売元:Spv
発売日:2002/02/04
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  確かに音的には若々しい。とても50歳を前にしたボーカリストとは思えないほどである。
 理由のひとつは、スタジオ・ライヴだったということもあげられるだろう。アナログの24トラックでの一発録りが基本だったようである。だからかどうか分からないが、音が驚くほどクリアだ。

 しかしどうもしっくりこないところもある。何かしら違和感を覚えるのだ。このバック演奏なら別にポール・ロジャースでなくてもいいのではないか、デヴィド・カヴァーデルが歌ってもおかしくない曲調なのである。

 バラード曲"All I want is you"、"I lost it all"などはポールらしいのだが、それ以外はギターの音が元気よすぎて、これはブルーズよりもむしろハード・ロック路線といった方がいい感じだ。そしてアルバム・プロデューサーはポール自身とエディ・クレイマー。このアルバムはクレイマーの影響が強かったのかもしれない。

 そして2年後の1999年には「エレクトリック」を発表している。これもまたタイトルが“電気の”となっているように、当然音も“電気”でいっぱいなのであった。

Electric Music Electric

アーティスト:Paul Rodgers
販売元:Msi
発売日:1999/11/29
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 しかしこれは前作よりも傑作の部類に入れられるアルバムだと思われる。音が前作よりもおとなしく渋くなっており、ポールのボーカルを活かそうとする姿勢が伺えるからだ。

 そしてポール自身も熱唱している。3曲目の"Find a way"は女性のゴスペル風バック・ボーカルが盛り上げているし、続くバラード"China Blue"はこのアルバムで一、二を争うほどのできである。フリーやバドカン時代の名曲を思い出させてくれる。
 ただ後半は似たような曲調が続き、少しダレる傾向があるのだが、そういう点も含めてポール・ロジャースらしいアルバムといえるかもしれない。

 年齢も高くなってきたせいか、少し落ち着いた観のあるアルバムであった。でもまだポールらしくはない。どうもまだしっくりこない。やはりポールにはブルーズが似合うのである。

 だからバラードかミディアム・テンポのロックが一番良い。アップ・テンポのロックは、彼のコクのある豊かな声を活かすことができないと思う。だから間違ってもそのような音楽に走ってはいけないのである。

 ポール・ロジャースには、できればヴァン・モリソンのように、年齢とともに渋みというか人間性に裏打ちされたソウルフルなボーカルを発揮してほしいと願っている。静謐ながらも力強さを感じさせる歌声である。

 クィーン+ポール・ロジャースの新作も発表されたが、アルバムを1,2枚作って解散するよりは、もっと長く続くものがほしいのである。それこそが彼を現在いる場所に導いてくれた彼自身のボーカルだと思うのである。

ザ・コスモス・ロックス Music ザ・コスモス・ロックス

アーティスト:クイーン+ポール・ロジャース
販売元:EMI MUSIC JAPAN(TO)(M)
発売日:2008/09/17
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フリー

 60年代末のイギリスはブルーズ・ムーヴメントの動きの中で、様々なグループが生まれては消えていった。エリック・クラプトンをはじめ、三大ブルーズ・バンドだけでなく、他にも有名無名のバンドたちが存在していた。

 その中で若い割には、渋くかつ重厚な音を出していたバンドがあった。その名をフリー。彼らの曲"All Right Now"は、ときどきラジオでも耳にすることができるほどの名曲である。

 フリーというバンドを構成する4人の名前は記憶にとどめるにふさわしい、いや記憶に留めおくべき名前である。

 ギター:ポール・コゾフ
 ベース:アンディ・フレイザー
 ドラムス:サイモン・カーク
 ボーカル:ポール・ロジャース

 この4人の若者の名前は、60年代終わりから70年代初めのイギリスのロック・ファンなら誰でも知っていたに違いない。それほど有名だったのである。

 何しろデビュー時の彼らの年齢自体信じられないくらい若いのである。
 ギター:ポール・コゾフ     (18歳)
 ベース:アンディ・フレイザー (16歳!)
 ドラムス:サイモン・カーク   (19歳)
 ボーカル:ポール・ロジャース (19歳)

 日本でいうとジャーニーズ事務所のメンバーくらいだろうか。全員10代で、しかもソウルフルなボーカルのポール・ロジャースや泣きのギターで有名なポール・コゾフなど、ブルーズに影響されたその音楽性は他のバンドよりもかなり抜きん出ていた。
 
 彼らが解散前に発表した唯一のライヴ盤「フリー‘ライヴ’」を聞くと、こんなシンプルなバンド構成で、どうやってこんなに“濃い”音楽ができるのだろうかと、いつも不思議に思うのである。

フリー・ライヴ+7 Music フリー・ライヴ+7

アーティスト:フリー
販売元:ユニバーサル インターナショナル
発売日:2006/06/21
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 逆にライヴ演奏だからこそ、音の一粒一粒がはっきりわかるのかもしれない。1曲目の"All Right Now"の白熱した演奏は、もう二度と聴くことのできない歴史的な名演である。
 この当時でもポール・ロジャースとサイモン・カークは21歳、ポール・コゾフは20歳、アンディ・フレイザーに至ってはまだ18歳であった。どう考えても信じられないほど若い。

 何しろベースのアンディは、あのジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズに15歳で加入しているのだから、まさに早熟の天才であった。加入のきっかけは、アレクシス・コーナーの娘サフォーと同級で、その紹介で加入したそうである。
 ブルースブレイカーズを解雇された後は、アレクシス・コーナーのバンドで活動していた。

 ボーカルのポール・ロジャースも12歳頃からバンド活動を始めている。12歳といえばまだ小学生ではないか。恐るべし、ポール・ロジャースである。

 そんな若いメンバーだったから、親代わりの気持ちでアレクシス・コーナーも彼らの面倒を見ていたのではないだろうか。活動の機会を与えたり、レコード会社を紹介したり、挙句の果てはバンド名までプレゼントしている。
 当初、彼らは“フリー・アット・ラスト”と名乗っていたが、これはアレクシス自身のかつてのバンド名だった。それを最終的に“フリー”と短くしてバンド名にしたのもアレクシスだった。

 バンド名については面白いエピソードがあって、最初レコード会社が提案したバンド名は“ヘヴィ・メタル・キッズ”だった。どうしてこんな名前が出てきてつけられそうになったのかは定かではないが、もしそんな名前だったらちょっと違和感を覚えてしまう。

 フリーはデビューから3年後の1971年に一度解散してしまう。やはり過酷なツアーや人気からくる重圧、より良いもの、より売れる作品を作らないといけないというプレシャーに負けたのであろう。何しろ20歳前後の若者である。プレッシャーに耐えられる方がおかしいだろう。

 しかし、当時すでにドラッグに走っていたポール・コゾフを救うために、アンディ・フレイザーの呼びかけで再び4人が集まることになった。そして1972年に5枚目のアルバム「フリー・アット・ラスト」というアルバムを発表した。

フリー・アット・ラスト+6 Music フリー・アット・ラスト+6

アーティスト:フリー
販売元:ユニバーサル インターナショナル
発売日:2006/06/21
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 これは彼らバンドの最初のネーミングだったのだが、当時の状況から考えると、これで最後という決意のもとに制作したに違いないと思うのである。

 そして結果的には、ポール・コゾフとアンディ・フレイザーが抜け、代わりに日本人ベーシストで福岡県出身の山内テツとアメリカはテキサス州出身のキーボーディスト、ラビット(正確にはジョン・バンドリック)が参加して、もう1枚アルバムを制作、発表した。それが「ハートブレイカー」であった。

ハートブレイカー+6 Music ハートブレイカー+6

アーティスト:フリー
販売元:ユニバーサル インターナショナル
発売日:2006/06/21
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 キーボードが加わった分、音に厚みが出てきたこととゲスト参加でポール・コゾフもアルバム・タイトル曲をはじめ、数曲でギターを演奏している。だから以前のアルバムと比べると、かなりハード・ロックよりの音に仕上がっているし、幾分ポップな音作りにもなっている。
 またアメリカ人や日本人メンバーが加わったことで、聞きやすくなったことは確かである。やはりメンバーが変われば、音も変わるのは当然なのかもしれない。

 フリーはイギリスや日本ではかなりの人気があったのだが、アメリカでは確かに"All Right Now"はシングル・ヒットしたものの、バンドとしては人気があるとはいえなかった。

 だから雪辱を期すというわけではなかっただろうが、ポール・ロジャースはアメリカでの成功を夢見ていたのではなかろうか。だからバッド・カンパニーは、イギリスよりもアメリカでの成功を目指していたものと思われる。結果、イギリスよりも人気が高かった。

 1973年にフリーは解散したが、同年にはバッド・カンパニーを結成し、翌年1stアルバムを発表した。だからバッド・カンパニーにはフリーと同じDNAが受け継がれているのであるが、それは後期フリー、つまり「ハートブレイカー」発表時のDNAだと思うのである。

 後に、ポール・コゾフは25歳の若さで心不全で亡くなっている。飛行機上での出来事だった。もちろんドラッグの過剰摂取が原因である。
 またベースのアンディ・フレイザーはHIVに感染し、現在消息はわからない。フリーのメンバーではなかったが、元バッド・カンパニーのベーシスト、ボズ・バレルも2006年の9月に心臓発作でなくなっている。
  
 ただこうしてみると、どのメンバーもブルーズの影響から逃れられない宿命みたいなものを持っている。ブルーズという音楽のせいで、彼らはバンドを結成し、曲作りを始め、人気を獲得していった。
 ジャニス・ジョップリンの歌に"生きながらブルースに葬られ"というのがあるが、彼らは生きていても死んでいてもブルーズという音楽に葬られているのではないだろうか。

 だからフリーのメンバーだったにしても、ブルーズからはまったくフリーではなかったのである。

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テン・イヤーズ・アフター

 1960年代の中頃から終わりにかけて、イギリスではブルーズを基本としたロック・ムーヴメントが流行した。
 その先駆を飾ったのは、個人的にはジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズだと思っている。そこからエリック・クラプトンやピーター・グリーン、ミック・テイラーなどが育っていったからだ。

 それで以前述べた三大ブルーズ・バンド、フリートウッド・マックやチキン・シャック、サヴォイ・ブラウンが後塵を拝し、さらにはヤードバーズを脱退したクラプトンがクリームを結成し、単なるブルーズ・ロックをもっとアーティスティックなロックへと変貌させていった。

 ここからブルーズ・ロックがアート・ロックやサイケデリック・ロック、そしてプログレッシヴ・ロックへと発展していくのであるが、そういう歴史的な流れはここでは置いておくとして、このブルーズ・ロック・ムーヴメントの中でいくつか優秀なアーティストや彼らを擁するバンドが生まれた。

 その中のひとつにテン・イヤーズ・アフター(以下TYAと略す)がある。グループ名を日本語に直訳するなら、“10年後”という意味になるのだが、これは10年後のサウンドを先取りするという説やエルヴィス・プレスリーが生まれて10年になるからという説など様々あり、これが正解というものはなさそうである。

 このTYAの原型となるバンドは、1966年にイギリスのノッティンガムで結成された。ギターはアルヴィン・リー、ベースにはレオ・ライオンズという人たちが担当し活動を始めたのである。
 そしてドイツのハンブルグでライヴ活動中に、ドラマーのリック・リーと知り合って意気投合し一緒に公演を続けていった。そのときのバンド名はJAYBIRDSというものだったらしい。

 やがてキーボードにチック・チャーチルを加え、4人編成となった彼らはバンド名をTYAに変えてロンドンに進出し、演奏活動を続けていった。
 アルバム・デビューは1967年だった。バンド名と同じタイトルのこのアルバムは、残念ながらそんなに話題にならずに消えていった。

 普通ならこれでバンド解散となるのだが、彼らには他のバンドにない特長があった。それはギタリストのアルヴィン・リーの早弾きプレイである。これは聴衆の耳目を惹きつけるには十分すぎるほどのもので、今聞いても確かにインパクトのあるプレイだと思う。
 だから彼らの2ndアルバムは「イン・コンサート」というライヴ・アルバムになったほどである。

 定評あるライヴ活動やセカンド・アルバムのヒットによって、彼らの人気は徐々に上がってきた。そして彼らの知名度を一躍世界的な規模に押し上げることが起きたのである。それが1969年8月にアメリカで行われたウッドストック・コンサートであった。
 彼らは3日目の最終日にステージに立ち、名曲"I'm goin' home"他3曲を演奏したのである。このときのプレイは音源でも映像でも確認できるが、鳥肌が立つくらいの熱気あふれる白熱したパフォーマンスであった。

ディレクターズカット ウッドストック 愛と平和と音楽の3日間 DVD ディレクターズカット ウッドストック 愛と平和と音楽の3日間

販売元:ワーナー・ホーム・ビデオ
発売日:2008/07/09
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 これで一気に人気が加速し、レーベルを移籍した彼らは4枚目のアルバム「夜明けのない朝」を発表した。このアルバムは全英4位、全米20位とそれまでの中で一番売れたアルバムになったのである。1969年のことである。

Ssssh Music Ssssh

アーティスト:Ten Years After
販売元:Toshiba EMI
発売日:2004/06/15
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 TYAが他のブルーズ・バンドと違う点は、ブルーズにジャズやロック、しかもどちらかというとハード・ロックのテイストを持ち込んだ点にあると思う。それまでどちらかというと泣かせるブルーズだったのが、音がよりタイトに、よりハードになった。

 そしてハマリング・オンやプリング・オフを多用した3連符、4連符が彼のトレードマークだった。だから当時のギタリストの中では“早弾き”のアルヴィン・リーというキャッチ・フレーズが付いたのである。

 しかし今では彼のプレイは、そんなに評価されていないようである。あるギター・インストラクターの話によると、アルヴィン・リーは右手をほとんど使っておらず、左手のハマリング・オンやプリング・オフを使って早いように聞かせているだけ、だそうである。
 むしろリッチー・ブラックモアやイングウェイ・マルムスティーンの方が、早弾きで、かつ一音一音きちんとピッキングをしているので、音がきれいに聞こえるとのことであった。

 専門的なことはあまりわからないのだが、そういわれるとそんな気がしないでもない。しかし当時としては、やはり画期的なことで、彼の存在があってリッチーやイングウェイが生まれたと思うのである。

 1971年にはアルバム「ア・スペース・イン・タイム」を発表したが、このアルバムはそれまでのエレクトリックな音作りからアコースティックな音も強調した作品になっている。これはイギリスではそこそこだったが、アメリカではミリオン・セラーを記録した。

A Space in Time Music A Space in Time

アーティスト:Ten Years After
販売元:Toshiba EMI
発売日:1990/10/25
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 1曲目はそこそこ普通のブルーズ・ロックなのだが、2曲目"Here they come"3曲目"I'd love to change the world"とアコースティックな曲になっている。
 正確に言うと、3曲目の後半はエレクトリック・ギターを使用しているのだが、そこがまた聴かせところでもある。
 また4曲目の"Over the hill"ではストリングスも使用していて、確かにそれまでのTYAとは違う一面をのぞかせている。じっくりと聴きこむとなかなかいいアルバムだと思う。

 彼らは73年頃からソロ活動が目立ち始め、結局74年に解散してしまった。その後、アルヴィンはテン・イヤーズ・レイターなるバンドを結成して活動を続けたが、長続きしなかった。またベーシストのレオ・ライオンズは、UFOの「現象」のアルバムをプロデュースするなどの、プロデューサー業に転進した。

 彼らは、時々集まっては再結成ライヴを行っているようである。そういう意味では、名前のとおり彼らは、10年後も集まっては活動をしていることだろう。

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フォガット

 “従藍而青”(じゅうらんにしょう)という言葉がある。言い換えると“青は藍より出でて藍より青し”ということである。要するに元よりも立派になるということである。弟子が師匠を超えたときによく使われるフレーズである。

 ロックの世界にもこういうケースはよく見られる。たとえばグループとして活動していたときはあまりパッとしなかったのだが、ソロ活動を始めると急に生き生きとしてきて、すばらしい曲などを残していく場合である。

 ビートルズ解散直後のジョージ・ハリソンなどは、そのよい例かもしれない。3枚組(CDでは2枚組)アルバム「オール・シングス・マスト・パス」を発表したり、バングラデシュ難民救済コンサートを企画・公演したりと、まさに八面六臂の大活躍であった。

 今回紹介するバンド、フォガットも元のバンド以上の成功を収めたバンドとして記憶されているに違いない。

 1971年にイギリスのブルーズ・バンド、サヴォイ・ブラウンからギタリストのロンサム・デイヴ、ベーシストのトニー・スティーヴンス、ドラマーのロジャー・アールの3人が一度に脱退した。そして新ギタリストのロッド・プライスを加えて4人組のバンドを結成したのである。

 彼らは元のバンドよりも、もっとノリのよいブギー調のロックン・ロールを中心としながら、アメリカ受けするように、スライド・ギターを入れたり、ツイン・リード・ギターを入れて活動するようになった。

 名前を"Foghat"=“霧の帽子”としたのは、別に深い意味があるわけではない。中心メンバーだったロンサム・デイヴが子どものころに兄とアルファベットの文字並べをしていたときに作った造語である。グループ名が決まらなかったときに、とりあえずこの言葉を提案して、認められただけの話である。

 彼らは結成当初からアメリカで成功することを願っていたようである。だからアルバム契約をするときに、アメリカのベアズヴィル・レーベルと契約を結んだ。ベアズヴィルといえば、かの有名なトッド・ラングレンも所属していたレーベルであった。そして彼らのデヴュー・アルバムのプロデューサーは、ほかならぬトッドその人だったのである。

 とにかく他人を売り出すのが得意なトッド・ラングレンは、1972年に発表された彼らの1stアルバムでもその手腕を発揮した。ブルーズの名曲、ウィリー・ディクソン作曲の"I just want to make love to you"をまったく新しい解釈によって、ハード・ロック仕立てにしてしまったのである。

Foghat Music Foghat

アーティスト:Foghat
販売元:JVC Victor
発売日:1990/10/25
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 このアルバムのヒットによって、一躍彼らは有名になってしまった。そして1972年から77年までの5年間に、ライヴ・アルバムを含む7枚のアルバムを発表している。この制作意欲というか能力というのは、只者ではない。
 やはり彼らは元のグループでは収まらないほど創作へのモチヴェーションが高かったのだろう。だから彼らのグループ離脱はよい結果を生んだのである。

 そして日本やアメリカで人気が高く、彼らの最高傑作といわれるのが1975年に発表された「フール・フォー・ザ・シティ」である。

Fool for the City Music Fool for the City

アーティスト:Foghat
販売元:JVC Victor
発売日:1990/10/25
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 このアルバムでアメリカでの評価を決定的なものにし、ブギー調のロックン・ロールやサザン・ロックのようなツイン・リード・ギターにさらに磨きがかけられるようになった。

 特に8分を超える"Slow ride"では、まるでオールマン・ブラザーズのように泥臭いブルーズ・フィーリングたっぷりのギターを聞くことができる。特に後半のスローから徐々にアップテンポに移るところやスライド・ギターはなかなかの聞きどころになっている。

 また1曲目の"Fool for the city"では彼らにふさわしいハード・ブギーなロンクン・ロールを展開しているし、4曲目ではあのロバート・ジョンソンの曲"Terraplane Blues"を彼ら流のロックン・ロールに解釈して演奏している。

 このアルバムから1977年の「ライヴ!」までが彼らの絶頂期だったのではないだろうか。その後、ギタリストのロッド・プライスが脱退し、グループは解散状態になってしまった。

Foghat Live Music Foghat Live

アーティスト:Foghat
販売元:JVC Victor
発売日:1990/10/25
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 1980年代の終わりにはドンサム・デイヴ率いるフォガットと、ドラマーのロジャー・アール率いるフォガットの2つに分裂してしまい、かなり悲惨な状態になってしまった。

 しかし90年代に入って再結成ブームが起こり、1994年にオリジナル・メンバーがそろって活動を再開し、アルバムまで発表した。

 現在も彼らは活動中であるが、ギタリストのロンサム・デイヴは2000年に癌で亡くなり、もう一人のギタリストであったロッド・プライスも2005年に階段からの転落事故が原因で亡くなってしまった。
 だからオリジナル・メンバーはドラムス担当のロジャー一人になってしまっている。

 そういうわけで元のバンドよりは有名になり、お金持ちになったバンドの話であった。しかし、それにはその結果を裏付けるだけの運と才能があったわけで、ただ偶然にそうなったわけではないのだ。

 人生にはさまざまな運命の分かれ道のようなものがあるが、結果どうなったかは神のみぞ知るわけで、要はその人がそれを選択して、満足したかどうかではないだろうか。

 そう考えれば、サヴォイ・ブラウンに残った人もフォガットを結成した人も彼ら自身がどう感じているかが大事なわけで、結果だけを見て、あれこれいってもあまり意味があるとは思えないのである。

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サヴォイ・ブラウン

イギリスの三大ブルーズ・バンドのひとつであるサヴォイ・ブラウンは、ギタリストのキム・シモンズのバンドといっていいだろう。

 このバンドについては、残念ながら2枚のアルバムしか持っていないので、その全容について語る資格はない。ただ以前述べたチキン・シャックよりも正統的なブルーズ道を追求している感じがする。

 キム・シモンズは1947年にサウス・ウェールズにニューブリッジというところに生まれた。13歳でギターを始め、15歳で学校を卒業した後は事務仕事をしながら、1966年にサヴォイ・ブラウンを結成した。
 それ以来、彼はグループの中心人物として牽引してきたのである。

 彼らが1970年に発表したアルバム「ルッキング・イン」は、それまでのブルーズ・ロックからややハード・ロックよりに移った内容のものであった。

Looking In Music Looking In

アーティスト:Savoy Brown
販売元:Dorset
発売日:1991/04/02
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 アルバムは短いインストゥルメンタルの"ジプシー"、"ロマノフ"が最初と最後に配置されていて、ややトータル・アルバムっぽい雰囲気を与えてくれている。
 内容も充実していて、ロック色の強い"プア・ガール"から泥臭い印象の"マネー・キャント・セイヴ・ユア・ソウル"、インストゥルメンタルの"サンデイ・ナイト"、"シッティング・アンド・シンキング"など幅広い音楽性を示している。

 特に"シッティング・アンド・シンキング"はアメリカでシングル・カットされている。そのせいかアルバムはチャートの39位に上がり、彼らにとって初めてのトップ40以内に入ったヒット・アルバムになった。

 しかし“好事魔多し”の喩えではないが、このヒットがきっかけで、更なるブルーズ道を追求しようとするリーダーのキムとロック寄りの方向を求める他のメンバーとの意見の対立が顕在化し、結局他の3人はサヴォイ・ブラウンを脱退し、新しいメンバーを加えてニュー・グループを結成した。

 それがフォガットという名前のグループであり、彼らはブルーズをベースに、より幅広い音楽性を求めていったのである。

 元のグループのサヴォイ・ブラウンもメンバーの脱退にもめげず、他のグループからメンバーを補充し、その後も数多くのアルバムを発表している。

 キム・シモンズは、現在もサヴォイ・ブラウンの名前でイギリスやアメリカをツアーしているようである。彼のブルーズ道追及の情熱は未だに枯れていないらしい。
 そういう彼らの軌跡を手っ取り早く知りたい人は、ベスト・アルバムが最適である。

20th Century Masters: Millennium Collection Music 20th Century Masters: Millennium Collection

アーティスト:Savoy Brown
販売元:Polydor / Umgd
発売日:2002/05/07
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これを聞くと、当初のブルーズから微妙にロック寄りになりながらも、結局ブルーズに回帰してしまう彼(彼ら)の気持ちがよくわかるのである。

 ブルーズとは、人生そのものであるかもしれない。つまりその人の生き様というものであろうか。ほかのメンバーがどうであろうと、サヴォイ・ブラウン、言い換えればキム・シモンズは、自分の信念を貫いたのである。

 彼にとって、手っ取り早く名誉やお金を求めようとすれば、もう少しハード・ロックやポップな路線を歩めば、ことは簡単だったろうと思うのだが、それをしなかった。元のバンド・メンバーは彼より有名になり、お金持ちになったが、彼はそれをどう思ったのだろうか。

 その後の彼のブルーズ道を見る限りは、そういう毀誉褒貶に惑わされずに自分の音楽を追求しているようだ。そういうひたむきさがいまだに彼やサヴォイ・ブラウンを支えているのである。

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クリスティン・パーフェクトのソロ

 クリスティン・パーフェクトは1943年7月生まれなので、今年で65歳である。日本でいうと“団塊の世代”よりも高齢ということになる。あえて日本の立場でいうこともないのだが…

 彼女はチキン・シャックというブルーズ・バンドのオリジナル・メンバーとして活動し、2枚のアルバムに参加した後、脱退した。理由は寿退社ということになるのだろうか。
 1968年に、つまり彼女が25歳という比較的に若い時期に、フリートウッド・マックのベーシスト、ジョン・マクヴィーと結婚したからだった。

 ところがチキン・シャックをやめた後、彼女が歌った"I'd rather go blind"が全英チャートで大ヒットし、メロディ・メイカー紙上で最優秀女性ボーカル賞を獲得したのである。

 これを音楽会社がそのままにしておくはずもなく、新婚早々の彼女を引っ張り出してきて、売れるうちに売っておこうと思った?のか、彼女のソロ・アルバムを制作したのであった。

 これが「クリスティン・パーフェクト」という彼女の名前を冠したアルバムで、1970年に発表された。このアルバムから大ヒットした"I'd rather go blind"、"When you say"、"I'm too far gone"などがシングルとしてカットされている。Photo

 彼女の音楽的バックグラウンドは恵まれていた。父親がヴァイオリン等を演奏する音楽家で、大学教授でもあった。だから5歳のころからピアノのレッスンを始め、16歳でファッツ・ドミノのレコードを聴くまで、それは続いていたらしい。

やがて彼女はアート・カレッジで彫刻を勉強しながら、スタン・ウェッブらと出会い、バンドを結成し、キーボート兼ボーカルとして活動を始めたのであった。

 このアルバムでは彼女の自作曲とカヴァー曲がほぼ半数ずつ収められている。たぶん急いで制作しようとしたから、すべてが自作曲にはならなかったのだろう。

 確かにロッド・ステュワートも歌った"I'd rather go blind"は名曲ではあるが、彼女の歌が一番フィットするとはいいがたい。女性ボーカリストとしてはすばらしいのかもしれないが、R&Bの他のアーティストの方がもっと感情を込めた歌い方ができるように思う。

 やはりどことなく、にわか作りのラフな印象をぬぐえないアルバムでもある。もう少し歌いこんで制作すればよかったのではないかと思うのである。

 その後、彼女はフリートウッド・マックに加入し、華々しい経歴を残した。しかし私生活では夫のジョン・マクヴィーの病的なまでの飲酒癖に悩まされ、1978年頃に離婚している。

 その間にも満たされない気持ちを他の男性とのはかないロマンスで埋め合わせようとしていたし、ビーチ・ボーイズのデニス・ウィルソンとの関係は彼が事故死するまで続いた。

 私生活ではうまくいかなかった観のあるクリスティンであるが、彼女の経験したロマンスや失望からは数多くの名曲が生まれた。"Don't stop"、"You make loving fun"などはその代表例だと思う。前者はクリントン大統領の選挙キャンペーンにも使用され、1993年の大統領宣誓式にも使用されたほどだった。

 また1982年のアルバム「ミラージュ」の"Hold on"は先ほどのデニス・ウィルソンとの関係を歌ったものであるが、全米No.5になり、アルバム自体はNo.1を獲得している。

  その2年後にはソロ・アルバム「恋のハート・ビート」を制作している。このアルバムにはフリートウッド・マックのメンバーだけでなく、エリック・クラプトンやスティーヴ・ウィンウッド、レイ・クーパーなどの一流アーティストも参加して、AORな音楽を披露している。

 Christine McVie Christine McVie
販売元: iTunes Store(Japan)
iTunes Store(Japan)で詳細を確認する

 ここから"Got a hold on me"がトップ10ヒットを記録しているが、このアルバム制作中に知り合った12歳年下のキーボーディスト、エディ・クィンテラと1986年に結婚した。

 「タンゴ・イン・ザ・ナイト」では"Little lies"を2人で共作していて、最初は仲睦まじかった用であるが、10年後に離婚したようである。誰かが言ったように、人生いろいろである。

 やはり才能ある人は、自分の身近な経験や体験から何ものかを生み出せるのであろう。たとえそれがつらい体験であってもである。
 そういう意味では1998年に完全にフリートウッド・マックから引退したが、クリスティンはパーフェクトからマクヴィーと名前を変えても、その才能は“パーフェクト”だったに違いない。 

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チキン・シャック

 自分はあまりブルーズには詳しくない。むしろよく知らないくらいだ。知っていることといえば、代表的なブルーズ・シンガーやバンド、その代表曲くらいだろう。

 だからブルーズについては、あまりえらそうなことはいえない。それで今回のチキン・シャックについてもあくまでも表面的な知識やアルバムを聞いたくらいの感想しか書けないのだが、その点は許してもらいたい。

 基本的にブルーズは黒人の音楽だと思っている。強制的にアメリカに連れて来られた黒人たちが故郷を偲びながら、あるいは奴隷という過酷な状況を一瞬でも癒すために生まれた音楽、それがブルーズだと思うのである。

 だから昔TV番組で、日本にいる黒人にブルーズとは何かとインタビューしていたところを見たことがあったが、ある若い黒人は“Pain”(痛み)と答えていた。
 そう、"Blues is Pain"なのである。現代の若者でもそう答えるのだから、約200年前の黒人たちは当然それ以上の認識があったと思う。

 そのブルーズが白人の音楽であるカントリーと結びついて生まれたのがロックン・ロールだった。当時の"ロックン・ロール"という言葉は黒人の隠語であり、性的な意味を持つ言葉だったらしい。

 そしてそのブルーズやロックン・ロールが海を渡り、イギリスに上陸してそこで再構築されていった。そしてブリティッシュ・イノヴェイジョンが生まれ、ビートルズやローリング・ストーンズなどが生まれていったのである。

 でもカントリー・ミュージックのルーツは、アイルランドとも言われているし、そういう意味では、装いも新たに生まれ変わった自分たちの音楽を進化させていったのかもしれない。何しろ岩が回転するくらいなのだから、どんどん変化していくことを宿命づけられた音楽なのだ。

 それで1960年代中頃から末で、イギリスには3大ブルーズ・バンドというのがあって、それはフリートウッド・マック、サヴォイ・ブラウン、チキン・シャックの3つであった。この中で一番有名だったのはピーター・グリーン率いるフリートウッド・マックだった。

 個人的な意見として、当時は有名なギタリストのいるバンドは、当然のことながら有名だったと思われる。何しろブルーズは曲のキーは違うものの、コード進行や歌っている内容などはあまり変わらない。
 だから持ち歌よりも、それをどう解釈して提示していくかが人気の分かれ道になったのではないだろうか。

 だからブルース・ブレイカーズやクリームは、エリック・クラプトンという稀有なギタリストが独自のブルーズの解釈を行い、一大センセーションを巻き起こした。

 クラプトンのことはまた別の機会にするとして(機会があればの話だが…)、この3大ブルーズ・バンドにもそれぞれ有名なギタリストが所属していて、チキン・シャックにはスタン・ウェッブというギタリストがいた。

 彼は1946年にサウス・ロンドンで生まれ、18歳のときにチキン・シャックを結成し、ビートルズと同じようにドイツのハンブルグで公演を重ねていった。そこでテクニックなどを学んだようである。
 彼らが1968年に発表したアルバム「O.K.Ken?」はチャートの9位まで上がり、彼らの最大のヒット作となった。

O.K. Ken? Music O.K. Ken?

アーティスト:Chicken Shack
販売元:Sony
発売日:1993/10/18
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 そして彼らをさらに有名にしたのは、スタン・ウェッブだけでなく、バンドでキーボードを担当していた女性ボーカリストのクリスティーン・パーフェクトだった。
 彼女はメロディ・メイカー紙による最優秀女性歌手にも選出されるくらい技量を伴ったアーティストだったようで、このアルバムでもスタン・ウェッブと曲を書いたり、歌ったりしている。

 その後の彼女の活躍はいうまでもない。フリートウッド・マックのベーシストのジョン・マクヴィーと結婚して、クリスティーン・マクヴィーと名前を変え、70年代のフリートウッド・マックを支えていった。

 元ジェスロ・タルや元カルメンのジョン・グラスコックがこのバンドに加入するのは70年代に入ってからで、そのときはオリジナル・メンバーはスタン・ウェッブしか残っていなかった。

 このアルバムを聞く限りでは、純粋なブルーズ・バンドとして活躍しているといった印象でしかない。確かにギターは上手なのだが、スタン・ウェッブらしいオリジナルはあまり見られない気がする。それにガンガン弾いているという感じでもない。
 女性ブルーズ・シンガーでキーボード担当のクリスティーンの印象の方が、当時の視聴者にとっては強かったのではないだろうか。そういう意味では3大ブルーズ・バンドという意味がわかるような気がする。

 ただし正確に言えば、3大マイナー・ブルーズ・バンドといったほうが正確な表現かもしれない。
 そしてスタン・ウェッブは何回目かのチキン・シャックの再結成を行い、現在でもイギリスのクラブなどで演奏しているという。ブルーズとはかくの如く息の長い音楽なのである。

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オール・アバウト・イヴ

 最近は口を開けば“暑い”、“暑い”としか言えないような、そんな日々が続いている。そんなことをいっても仕方ないのだが、でもそんなことでも言わないと気がおさまらないのだ。

 いま「徒然草」を読んでいるのだが、その五十五段に“家の作りようは、夏をむねとすべし 冬はいかなる所にも住まる 暑きころ、わろき住居はたへがたきことなり”(家を建てるには夏を基準にした方がいい 冬はどこでも住めるものである 暑い頃に住みにくい家は耐え難いものがある)〔訳プロフェッサー・ケイ〕という箇所があった。

 確かに今となって考えれば、北側に窓を作るべきだったと思うのだが、後の祭りである。こうなったら誰かさんのように豪華マンションでも買って、最上階近くにでも住もうかと思っている。儚くもヒルズ族にあこがれる今日この頃なのである。

 それで暑気払いの音楽についてだが、やはりこういうときはジャズや女性ボーカル入りの方が涼しく感じられて良いと思うし、逆に“暑いときは暑いものを”ということで、ガンガンのハードロックもいいかもしれない。サザン・ロックなんかも適しているように感じられる。

 ということで前回はコクトー・ツインズだったが、今回も女性ボーカルということで、コクトー・ツインズとほぼ同時期に活躍したイギリスのグループ、オール・アバウト・イヴについて紹介したい。

 このグループは女性ボーカリストのジュリアン・リーガンを中心とした4人組バンドだった。バンド名は50年代の映画のタイトルから借用したらしい。「イヴのすべて」という20世紀フォックス配給の映画だったらしい。
 見たことはないのだが、その年のアカデミー作品賞をはじめ6部門を受賞した名作である。主演はベティ・デイヴィス、若き日のマリリン・モンローも端役で出場しているという。監督と脚本を担当したジョセフ・マンキーヴィッツは前年もアカデミー監督賞と脚本賞を獲得しており、2年連続して4部門を獲得した人は後にも先にもこの人しかいない。

 内容はハリウッドの裏側を描いたもので、女優たちがお互いを尊敬し、なおかつ牽制し、蹴落としながら這い上がっていくというものである。

 このグループはプログレッシヴ・ロックの一派とも考えられているが、自分はやはりブリティッシュ・ロックの範疇だと思っている。1985年に結成され、88年に1stアルバム「オール・アバウト・イヴ」が発表された。

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 基本はジュリアンのクリアなボーカルとボーカル・ハーモニー、エレクトリックな面もあるが、どちらかというとアコースティックでトラディショナルな楽曲である。特にアコースティックな曲はこちらまで気持ちが和らいでしまうような曲展開を持っていて、なかなかよい。

 "Gypsy Dance"や"Like Emily"などはヴァイオリンが効果的に使用されているし、"Martha's Harbour"ではギタリストのティム・ブリチーノ一人をバックに歌っている。なかなか聞かせどころの多いアルバムに仕上がっていると思う。

 また"Apple tree man"、"Lady Moonlight"も彼女の透明感溢れるボーカルを聞くことができる名曲だと思う。こんな曲を夜中にひとりで聴いていると、思わず夢心地になってしまう。そんな曲なのである。

 よく1stアルバムは、そのグループや個人の音楽性やその他すべてが凝縮されているといわれるが、確かにこのアルバムを聴くと、彼らの方向性がよくわかる。
 1991年に発表された彼らは3作目、「タッチト・バイ・ジーザス」にはピンク・フロイドのデイヴ・ギルモアが参加して話題を集めた。こういうところがプログレッシヴ・ロックの範疇で語られた理由であろうか。

 オール・アバウト・イヴは1993年まで活動するが、まもなく解散した。しかし99年になってミッションのサポート・バンドとして復活し、以後、リイシュー盤や編集盤、アコースティック・アルバムなどを発表している。

 1stと2ndには元ヤードバーズのポール・サミュエル=スミスがプロデュースやストリングス・アレンジメントに参加している。この辺もこのアルバムが売れた原因だったのかもしれない。

 それにしてもコクトー・ツインズといいオール・アバウト・イヴといい、イギリスには幽玄な雰囲気を持ちながら、哀愁味溢れる優秀な女性ボーカリストがたくさんいるものである。今回あらためて感心してしまった。暑い夏も彼女たちの歌を聴きながら、せめて心の中は涼しくありたいものである。

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アーティスト:オール・アバウト・イヴ
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コクトー・ツインズ

 相変わらず暑苦しい毎日が続く。何しろ最高気温が35度を超えるのだから、大変である。先日も車に乗っていて車外温度を測ったら、37度もあった。直射日光のあたるところに駐車していたのだから、おそらく車内温度は60度を超えていたのではないだろうか。

 インドではバスや車は窓を閉め切って運転されているという。それはエアコンをつけているからではない。大都市ならそれも考えられそうだが、獣道のようなところを走るバスにはエアコンはついてないと思う。

 理由は気温が体温を超えると風を熱風と感じてしまうので、体感温度が上がるからだという。だから窓を閉めた方が開けるよりも良いらしいのである。そういえばイラクのような中東諸国では夏でもみんな白の長い袖や服を身にまとっている。やはり体感温度を下げているのであろうか。

 こういうときこそ涼しい気持ちにさせてくれる音楽を聴きたいものである。昨年もいくつかこのブログで取り上げたが、今年もちょっとだけ紹介させてもらうことにした。

 イギリスのバンドにコクトー・ツインズという名前のバンドがかつて存在していた。主な活動時期は1980年から90年代半ばまでであった。
 パンクの後に登場したので、パンク・バンドではないが、いわゆるニュー・ウェイヴに所属していたと当時は思っていた。

 彼らのアルバムは1枚しかもっていいないので、あまり偉そうなことはいえないのだが、そのアルバム「ブルーベル・ノール」を聴くと、少しは暑さも和らぐような気がするのだ。

Blue Bell Knoll Music Blue Bell Knoll

アーティスト:Cocteau Twins
販売元:4AD
発売日:2007/04/09
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 彼らの音楽の特徴は、よくいわれることだが“耽美的”な雰囲気を携えているということである。間違っても“イェー、カモーン、ロッケンロー”という音楽ではない。その180度逆な音楽を想像すると分かりやすい。

 さらにもう一つの特徴は、メンバーのエリザベス・フレイザーのスキャットのようなボーカルである。とにかく何と歌っているのかよく分からない。単語の一つも聞き取れない。もしあなたが英語教師なら、このアルバムを聴いて自信をなくすかもしれない。でもそういうアルバムなのである。

 歌詞カードも付いていない。意地の悪い自分なんかは、きっとスコットランド訛りを隠すためにわざとこういう歌い方をしているのだろうと勘ぐってしまった。そんなボーカルなのである。
 でも彼女の声自体は荘厳で涼やか、時に神々しい雰囲気を醸し出す、そういう素晴らしいボーカルである。例えていうなら、ケイト・ブッシュの高音をもう少し爽やかにしたような感じである。

 だから夏の夜にはこういう音楽はピッタリだと思う。特に寝る前に、部屋を暗くしてヴォリュームを押さえ気味にしながら聴くとぐっすり眠れると思うのである。
 全10曲なのだが、どの曲がどういうものとかあまり気にしなくていいし、気にするような音楽ではない。とにかくエリザベス・フレイザーのボーカルと美しいメロディ、それをバックアップしているきらびやかなサウンドに耳を傾けていけば、充分楽しめると思うのである。

 このアルバムは1988年に発表された彼らの5枚目のアルバムであるが、一般的には3枚目の「トレジャー」が名盤とされている。弾けるビートは聞けないが、それを充分に上回る満足感が湧きあがるアルバムたちである。

Treasure Music Treasure

アーティスト:Cocteau Twins
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ぜひうだるような暑い日にはコクトー・ツインズをどうぞ。ジャケットもなにやら涼しげな印象を与えてくれています。

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コールドプレイ

 コールドプレイの「美しき生命」は今年の上半期の中で、最大の話題作であるし、最大のヒット作品でもある。7月25日現在で英国ではアルバム・チャート1位を継続中だし、アメリカでもベスト10内に位置している。

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アーティスト:コールドプレイ
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発売日:2008/06/18
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 前作の「X&Y」は全世界で1000万枚以上の売り上げを記録し、いまだに売れ続けている。前作から3年、このアルバムも間違いなく1000万枚以上の売り上げを記録するだろう。これらのアルバムのおかげで、名実ともにコールドプレイは今を代表するバンドになってしまった。

 コールドプレイは1998年にデビューした。200年に発表された1stアルバム「パラシューツ」を聴くとわかるように、エレクトリックな音を奏でている割には、全体的には静謐な印象を与えるという不思議なスタイルだった。だからロック・バンド形態のフォーク・グループという感じだった。

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 実際、このバンドを知ったのは知人の外国人が教えてくれたからで、彼は“Folky”という言葉でこのバンドの印象を述べていた。なるほどアメリカ人から見れば、この手の音はそういう風に表現するのかと思った。

 どことなく静かなU2という感じがしないでもなかった。決して声を張り上げないし、シャウトもしない、ときどきファルセットを聞かせてくれるのだが、メロディがきれいで心に染み渡るという感じである。U2のアルバムからバラードを編集して1枚のCDを作ったらこんな感じになるのではないだろうか。そんなアルバムであった。
 実際アメリカだけでも200万枚以上売れ、母国イギリスでは当然のことながらアルバム・チャートNo.1、トップ10に33週連続チャート・インしている。

 2ndアルバム「静寂の世界」は2002年に発表されたが、このアルバムで叙情派ロックの代名詞格と任じられたようである。このアルバムに収められている"In my place"や"The Scientists"などを聴けば分かると思う。後者はアメリカの映画の挿入曲として使用された。映画のタイトルは忘れたが、衛星放送で見た・・・誰か知っている人がいたら教えてほしい。

静寂の世界 Music 静寂の世界

アーティスト:コールドプレイ
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 またギターよりもピアノが目立つアルバムだと思った。個人的には2ndよりも1stの音空間の方が好きだった。いい曲もあるのだが、全体的に起伏が少なく、心地よいのだがいつのまにか終わってしまうという印象が強く残っている。

 2ndから3年後、3rdアルバム「X&Y」が発表されたが、個人的には一番好きなアルバムになった。このアルバムからピアノだけでなくギターも前面に出るようになったからだ。でもギターの音は本当にU2のそれに似ている。これは各国の評論家が言っているようで、自分だけではなかった。

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アーティスト:コールドプレイ
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 それまでもコールドプレイはグラミー賞などを受賞していたのだが、このアルバムの成功で、スタジアム級のロック・バンドになったようである。このアルバム発表後のツアーの模様を衛星放送で見たことがあるのだが、演奏だけでなく場内の映像や照明にも凝った演出をしていて、結構エキサイティングなコンサートになっていた。

 4枚目のアルバム「美しき生命」でも叙情的で美しいメロディを聴くことができる。ただし意識的にファルセット(裏声)ボーカルを抑えて、曲によっては低く歌っているものもある。
 コールドプレイとしては前作までの3部作を一区切りとして、今作からまた新たな彼らのキャリアを築く予定らしい。

 もちろんこのアルバムの中にも"42"や"Lovers in Japan/Reign of Love"のように美しいメロディを持った楽曲がある。その中で一番の名曲はアルバム・タイトル曲の"Viva La Vida"であろう。ある新聞のアルバム評にはこの曲だけのために購入しても惜しくないとまで書いてあった。確かにそういう雰囲気は持っている曲である。

 コールドプレイは、メンバー個人の意思を尊重することとドラッグを絶対に使用しないことをグループの信条としている。また企業広告とタイアップしての楽曲使用も頑なに拒否している。バンドの方向性を見失ってしまうからということらしい。
 また、アムネスティ・インターナショナルやフェア・トレード推進活動に積極的で、そういう点でもU2に似ている。

 21世紀のロック・バンドは、ある意味、政治的・社会的な視点にたって、自分たちの影響力についても考慮しなければならないのであろうか。“Sex・Drug・Rock'n'roll”と叫んだかつてのロック・バンドとはかなりの変わりようである。
 ちなみにボーカルのクリス・マーティンの奥さんは、「恋に落ちたシェイクスピア」でアカデミー賞を受賞したアメリカ人の女優、グウィネス・パルトローである。

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ケイト・ブッシュ

 ケイト・ブッシュのアルバムを初めて買ったのは1980年だった。彼女の3枚目のアルバム「魔物語」である。当時はまだA面とB面に分かれているレコードだった。

 1977年当時、“天才少女現る”というキャッチフレーズがイギリスや日本の音楽雑誌の見出しを飾っていたことを思い出す。この場合の天才少女とはもちろんケイトのことである。
 何しろ当時は16歳でピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアから見出され、レコード・レビューのきっかけを作ってもらったのである。(イギリスEMIに彼女と契約をするように薦めたのは彼だった)

 そしてデビュー・シングル"嵐ケ丘"はイギリス・チャートで4週連続1位を記録し、翌年発表された1stアルバムも40万枚以上売れた。ヨーロッパ全体では140万枚以上売れたともいわれている。

天使と小悪魔 Music 天使と小悪魔

アーティスト:ケイト・ブッシュ
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:1995/05/31
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 ちなみにこのデビュー・シングル"嵐ケ丘"は13歳のときにTV番組を見ていたときに作った曲だという。

 またデビュー当時は19歳の割には、豊かな歌唱力や表現力を身につけており、デビュー前にパントマイムを習っていたことがユニークなステージングにつながっている。

 1978年に当時行われていた東京音楽祭でこの歌を歌うシーンがTV放映されたのだが、外国人にしては小柄ながらも、その歌唱力とパフォーマンスに圧倒されたのを覚えている。残念ながらその時の歌"嘆きの天使"では金賞を取らなかったと記憶している。(その後の調査によると、大賞はアル・グリーン、金賞はパット・ブーンの娘のデビー・ブーン、銀賞にケイト・ブッシュ!)

 ケイト・ブッシュは裕福な家庭に生まれた。お父さんは医者で、お母さんは看護師だった。子どもの頃から音楽が好きで、ピアノやヴァイオリン、作詞などにいそしんでいたようである。そしてついに音楽好きが高じて、16歳で学校を中退し、兄とともにバンドを結成し、パブなどで活動を行っていた。

 とにかく芸術肌で、音楽に関しては完璧主義者である。だから1st、2ndのアルバムのできに満足できずに、3rdアルバムではついに自分でプロデュースをするようになった。それが「魔物語」だった。

魔物語(紙ジャケット仕様) Music 魔物語(紙ジャケット仕様)

アーティスト:ケイト・ブッシュ
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:2005/11/02
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 とにかくプログレのアルバムのように構成からしっかりしていて、聴くものに視覚的なイメージを喚起させる音作りになっている。
 さらにまたアルバム・ジャケットもまさに“音楽を産み出した”という印象を与えるものであった。苦労して生んだ血を分けた子どもたち、これが私の曲なのよ、というのようなイメージである。これはケイト・ブッシュのメッセージではないかと思っている。

 アルバムは日本では一番売れたといわれる曲"バブーシュカ"で始まる。この"バブーシュカ"は何を指しているのかよく分からない。ロシアの農婦が頭に巻いている三角形の布をバブーシュカというのだが、ここでは違うだろう。まさか"怪獣ブースカ"のことではないと思うのだが・・・
 この歌は次の歌"ディーリアス"につながっていて、“夏の歌”という副題が着いている。この曲では兄のパディ・ブッシュがシタールやデリウスという楽器を使用している。また元パイロットのイアン・ベアンソンもコーラスに参加している。

 3曲目は"死者たち"というダークなイメージを持つ歌なのだが、ケイトが歌うと何となく爽やかな印象を与えてくれる。この曲でも自由自在に“声”を使い分けて表現している。そのボーカルがそういう印象を与えるのだろうか。
こんにちは ミニー、ムーニー
ヴィシャス、バディ・ホリー
サンディ・デニー

灯を消して
天空の笛が貴方を夕食に
招待するわ

塵は塵に 風は風に
今夜のショーのメインは
ボランとムーニーよ

(訳プロフェッサー・ケイ)

 ここでのボランとは間違いなくマーク・ボランであろう。亡くなったミュージシャンへの哀悼を込めた曲なのである。

 以下、幻想的、耽美的な曲が続く。まさにロックンロールの初期衝動とは無縁の芸術至上主義的な音である。
 でもこれがまたいいのである。聞き込んでいくとハマってしまった。夏は夜が短いので、朝方の薄明かりの中、ボーとした頭に響く彼女の曲は、私にとっては幻覚作用をもたらすような効果があった。

 "わずかな真実"では彼女のまさに変幻自在なボーカル・ハーモニーを聞くことができるし、バックのSEも真実を探し出そうとする彼女の姿勢を表現している。

 "ウェディング・リスト"は新郎を殺害された新婦の復讐譚である。ストーリーがはっきりしていて、まるで短編映画を見ているかのような気がしてくる。ここでの彼女のボーカル・ワークもまた見事の一言に尽きる。新婦の正気と狂気の紙一重のところを表現している。

 同様に"少年の口づけ"では、少年に恋をした大人の女性心理が描かれている。しかも自分の内に湧きあがる官能の嵐を抑えようとする女性心理である。まるで与謝野晶子のようだ。

 このアルバムの中で一番ノリがいいのは"ヴァイオリン"であろう。この曲での彼女の声はまさにスクリームしている。この曲のテーマはズバリ性的なものである。
身震いで私を満たして
弓を動かして
私に叫び声を聞かせて
ヴァイオリン、ヴァイオリン

(訳プロフェッサー・ケイ)

 ヴァイオリンを何に例えているか当時はよく分からなかったが、今となってはよく分かる。若干22歳でこういう歌を歌っているのだから、やはりケイト・ブッシュは早熟の天才だったのだ。
 ちなみにこの曲でのギター・ソロは、レヴェル42というグループのギタリストでもあったアラン・マーフィであった。アランはこのときから9年後に35歳の若さで亡くなっている。死因はエイズからの肺炎であった。

 また"夢見る兵士"では戦死した兵士が夢見るかのように亡くなっている様子を歌ったもの。ケイト・ブッシュ流の反戦歌であろう。ケイトも夢見るように歌っている。
 そしてアルバム最後の曲"呼吸"がエンディングを締めくくる。“Life is breathing”というフレーズが暗示的でもある。

 ケイトは、2005年に前作から12年ぶりのアルバム「エアリアル」を発表した。このアルバムの中に"バーティ"という曲があるが、これは1998年に生まれた自分の子どもアルバートのことについて歌ったものである。父親は彼女のバンドのギタリストであったダニーという人だといわれている。

エアリアル Music エアリアル

アーティスト:ケイト・ブッシュ
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:2005/11/02
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 ケイトには1970年代の半ばから90年代始めまで、半ば公然の秘密ともなっていた6歳年上の恋人がいた。名前はデル・パーマー、彼女のバンドのベーシストで、音楽面でもよいパートナーであった。
 結局、彼との恋愛関係は終わったものの、仕事は一緒に行っている。このことからゴシップ雑誌の中には、息子のアルバートは実はデル・パーマーの子どもではないかということを載せているものもあったが、事実は当事者しか分からないだろう。

 ケイト・ブッシュも今年の7月30日で50歳を迎える。寡作なので、次のアルバムが何年後になるのかは分からないが、これからも芸術的なアルバムを発表してくれるだろう。
 完璧主義の彼女のことだから、どんなアルバムになるのか今から楽しみである。

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レッツ・ダンス

 ドゥービー・ブラザーズやスティーヴィー・レイ・ヴォーンのところでも述べたけれど、デヴィッド・ボウイが1983年に発表したアルバム「レッツ・ダンス」は個人的に結構気に入っている。

レッツ・ダンス(紙ジャケット仕様) Music レッツ・ダンス(紙ジャケット仕様)

アーティスト:デヴィッド・ボウイ
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:2007/03/07
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 このアルバムの一般的な評価は・・・低い。商業的な売り上げは、おそらくそれまでのデヴィッド・ボウイのアルバムの中で一番売れたアルバムになったのではないだろうか。それほど売れたアルバムだった。

 だからついにボウイも商業主義に走ったとか、コマーシャリズムの犬に成り下がったなどと非難された。
 確かにそうかもしれないが、しかし売れることと芸術至上主義とは相反するものではないと思う。売れても芸術性の高い作品はあるし、逆に売れない芸術品はごまんとあるのだ。

 それにこのアルバムの評価が低いのは、ただ単に売れたから悪いというわけではなくて、内容がダンス系統のリズミックなアルバムだったからともいえる。

 それまでのボウイのアルバムは自身の思想を具体化し、音にしたアルバムであり、ジギー・スターダスト、アラジン・セインなど常に変化するキャラクターを体現しながら、そのキャラクター像を表現してきた。
 だからその時々で、彼の精神や思想、苦悩や喜びがアルバムにパッケージされ、ファンはその音とともに彼と一体化して音楽を楽しんできたともいえるだろう。

 また70年代末の時代や空気を反映して、終末観や世紀末思想をアルバムの中にも表現していて、時代に対する批評性も表していたのである。

 ところがこのアルバムには、彼の思想や精神性、はたまた時代に対する批評性などまるで感じられない。あるとすれば、時代に対する批評性ではなくて迎合性ではないか、と評論家筋は考えたのである。

 しかし今になって考えれば、このアルバムにはボウイの80年代という時代に対して、どう向き合えばいいのかという解答が用意されているのである。
 その答えは1曲目の"モダン・ラヴ"にすでに用意されている。
「モダン・ラヴに落ちたりはしない
モダン・ラヴが僕のそばを通り過ぎ
歩いていく
モダン・ラヴは時間とおりに僕を
教会に連れて行き
時間通りの教会は僕を脅かし
僕にパーティを開かせ
僕に神と人類を信じさせる
そこには告白もなく
宗教も存在しない
モダン・ラヴを信じてはいけない」
(訳プロフェッサー・ケイ)

 現代の人たちの宗教観や生活観を表現している曲である。モダン・ラヴとは享楽的な生き方を意味し、それが現代でのある意味宗教的な理念にまでなっているということだろう。もちろん意識的にも無意識的な意味においてもという意味であるが・・・
 自分にはそういう生き方への警鐘を鳴らしている歌とも取れるのであるが、考えすぎであろうか。

 だから80年代にふさわしいボウイの時代批評が込められたアルバムだと思うし、決してボウイを擁護するわけではないのだが、芸術性がないわけではないのである。
  音的にもリズミカルでダンサンブルな曲が多いのだが、時代に対する彼の考えをこういう踊れる音で表現したのであろう。さすがデヴィッド・ボウイ、これこそがモダン・ラヴな音なのである。

 このアルバムからは4枚のシングル・カットが生まれている。"モダン・ラヴ"、"チャイナ・ガール"、"レッツ・ダンス"そして"キャット・ピープル"である。いずれもヒットしている。

 だからこのアルバムは、芸術性と商業性がいい意味においてバランスよく保たれているアルバムであり、80年代だけでなく彼のキャリアを代表するアルバムの中の1枚だと思うのである。

 ついでに言うと、この次のアルバム「トゥナイト」こそが、二匹目のドジョウを狙った商業主義に走ったアルバムではないだろうかと密かに思っている。
 ともかくこの83年から84年にかけてのデヴィッド・ボウイは、世界的な規模で売れに売れたのであった。

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ジャミング・ウィズ・エドワード

 ニッキー・ホプキンス関連のアルバムを1枚紹介する。1972年に発表された「ジャミング・ウィズ・エドワード」である。

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 もとは1969年のアルバム「レット・イット・ブリード」制作時にジャム・セッションを行っていて、それを録音したものである。
 「レット・イット・ブリード」はブライアン・ジョーンズ脱退前後に録音され発表されたもので、今ではロックの古典として評価されているストーンズの代表的なアルバムの1枚である。

レット・イット・ブリード Music レット・イット・ブリード

アーティスト:ザ・ローリング・ストーンズ
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 その録音時にキース・リチャーズだけがなかなか来なかった。ようやく到着したものの、当時のエンジニアであるグリン・ジョーンズの言葉を借りると“アニタがキースになぜか家に帰ってきて欲しがったんだ。それでキースは帰宅した”となるらしい。

 要するに当時のキースの事実上の妻であったアニタ・パレンバーグがキース・リチャーズに電話をして家に帰らせたということだった。(ちなみにアニタはブライアン・ジョーンズと最初に付き合っていたが、破局しキースの元に走ったのだった)

 それで残ったメンバーでジャム・セッションを行った。残ったメンバーというのは、ミック・ジャガー、チャーリー・ワッツ、ビル・ワイマンのストーンズ組に、ニッキー・ホプキンス、ライ・クーダーであった。

 ジャム・セッションなので、録音状態はそんなにはよくない。CDになっているのを聴いても、特にミックのボーカルがイマイチはっきりしない状態だ。
 しかしそれを補ってあまりあるatomasphereを感じることができると思う。

 特にライ・クーダーのスライド・ギターは素晴らしいし、ニッキー・ホプキンスもまたジャム・セッションという空気のせいか、自由に伸び伸びと演奏している。

 特にエルモア・ジェイムズの曲をカヴァーした"It hurts me too"でのライのスライド・ギターは見事だと思う。もっときちんと録音しなおしてアルバムで発表してもいいと思うくらいの出来である。また4曲目の"Blow with Ry"もお見事である。後ろから聞こえてくるミックのボーカルが邪魔に思えてくるほどだ。

 彼はストーンズが俺のフレーズを盗んだと、後に息巻いて訴えたりするのだが、確かにこれほど素晴らしいジャム・セッションをすれば、この中のいくつかは借用したい気持ちになってくるであろう。さらにライ・クーダーは、"ホンキー・トンク・ウィミン"のフレーズも自分のだと主張している。

 実際、「レット・イット・ブリード」には"Love in vain"のマンドリンでのライ・クーダーのクレジットがあるだけで、一緒にセッションした割には、それだけではないだろうと素人なりに思ったりもする。

 そういうわけで、ブライアン・ジョーンズの代わりにライ・クーダーをギタリストとして加入することにはならなかったのだが、ニッキー・ホプキンスの方は相変わらずいい仕事をしているようで、3曲目"Edward's Thrump up"や6曲目"Highland Fling"での彼のプレイはさすがと言うほかはない。
 とにかくクラシックからロック、ジャズと幅広くどんな音楽にもあわせて弾ける彼の技量は本当に素晴らしいと思う。

 なぜ“エドワード”がニッキー・ホプキンスのことを指すのかは、彼が持っていた本の中にエドワード朝時代の本があったことからそういうようになったらしいのだが、彼の優雅なピアノ・プレイ自体もそういう雰囲気を持っていたのかもしれない。

 このCDは1995年に発売されたのだが、その前年に亡くなったニッキー・ホプキンスの追悼盤の意味合いもあったのだろうか。ちなみにアルバム・ジャケット表裏の絵はニッキーの作品(というよりもいたずら書き)といわれている。

 確かに、ラフで大雑把なつくりのアルバムなのだが、ライ・クーダーとニッキー・ホプキンスのプレイを聞くだけでも価値のあるアルバムだと思うのである。

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ニッキー・ホプキンス

 ニッキー・ホプキンスのアルバム「夢みる人」を久しぶりに聴いてみた。ただ何となく聴いてみようと思って聴いてみたのだけれど、初めて聴いたときの印象とは随分と違って聞こえた。Photo

 最初は何となく印象の残らないパットしないアルバムだと思ったのだが、今回聴いてみたところ、結構これがいいのである。
 ニッキー自身のボーカルも好感が持てるほどハマっているし、もちろん彼のトレードマークともいえる流麗なピアノも健在である。

 このアルバムは1973年に発表されたものであるが、前年にはニルソンやカーリー・サイモンのアルバムに参加しているし、73年にはジョージ・ハリソンやリンゴ・スター、ドノヴァンのアルバムにも参加している。

 確かに60年代後半から80年代にかけての彼は、当代一流のセッション・プレイヤーとして活躍した。1966年のキンクスの「フェイス・トゥ・フェイス」や1971年のザ・フーのアルバム「フーズ・ネクスト」にも参加しているし、リック・スプリングフィールド作の85年の「タオ」、89年のポール・マッカートニーの「フラワーズ・イン・ザ・ダート」、90年のゲイリー・ムーアの「スティル・ガット・ザ・ブルーズ」と枚挙に暇がないほどである。

 意外なところではファッツ・ドミノ、ジャイル・ジャイルズ&フィリップス、グラハム・パーカー&ザ・ルーモア、マーク・ボラン、ピーター・フランプトン、ファミリー、ストローブス、マーク・アーモンド、アンディ・ウィリアムス、アート・ガーファンクル、ベイ・シティ・ローラーズ、ロニー・ドネガン、ポインター・シスターズ、バッドフィンガー、エディ・マネー、ローウェル・ジョージ、ニルス・ロフグレン、ランディ・マイズナー、ミートローフ、日本の浜田省吾などもいる。

 まさにブラック・ミュージックからパンクまで幅広いものがある。参加していないジャンルはラップ・ミュージックくらいだろうか。それくらい多方面で引っ張りだこであった。

 彼自身が参加したグループは、初期のビート・グループを除いて、ジェフ・ベック・グループ、サンフランシスコのバンドであるクィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、短期間しか活動しなかったスィート・サーズディやマンフレッド・マンズ・アース・バンドのクリス・トンプソンのバンド、ナイトなど数えるほどしかない。

 それでこのアルバムだが、全10曲。いずれも彼のピアノを味わえる佳曲である。また彼のボーカルもいい味を出している。ふと思いついたのだが、キャラヴァンのリチャード・シンクレアの歌声に似ている気がするのだ。

 最初は1分30秒くらいの短いピアノだけのインストゥルメンタルで、このアルバムの導入曲であろう。続いて彼の持ち味である流れるようなピアノが聞こえてきて、"Waiting for the band"が始まる。これも2分程度と短い曲であるが、メロディもしっかりしていて、シングル・ヒットも充分狙えたのではないだろうか。

 3曲目もインストゥルメンタルで、タイトルは"Edward"。これはニッキー・ホプキンス自身を指すらしい。3部形式になっていて、最初と最後はアップテンポでギターがフィーチャーされ、中間部にはサックスが強調されている。

 4曲目はホプキンス版“アンジー”ともいうべきバラード、"Dolly"である。これは世界最初のクローン羊のドリーのことではなく、ニッキーの奥さんの名前である。彼女について切々と歌っている。

 この4曲目と5曲目"Speed on"、7曲目"Banana Anna"、8曲目"Lawyer's lament"はテキサス出身のブルーズ・マン、ジェリー・リン・ウィリアムスとの共作で、ボーカルにも彼が参加している。
 ちなみにジェリー・ウィリアムスはクラプトンで有名な"Forever man"や"Journeyman"を作ったことでも有名である。
 
 彼がボーカルに参加している曲は、サザン・テイスト溢れるファンキーなR&Bテイストを持っている。一方で6曲目のアルバム・タイトル曲"The Dreamer"や8曲目"Lawyer's lament"などでは叙情味のある音を出している。
 こういう叙情味溢れる楽曲にこそニッキー・ホプキンスの真骨頂が表れていると思うのである。だからこのアルバムではニッキーのピアノを生かした曲とR&B風味の曲を味わうことができる。

 ゲスト陣も豪華で、たぶん"Living in the material world"の延長だと思うのだが、ベースにクラウス・ヴアマン、サックスにボビー・キーズ、ギターにジョージ・オハラという変名でジョージ・ハリソンが参加している。
 それ以外にも、パーカッションにレイ・クーパー、ギターにミック・テイラーとクリス・スペディング、アコースティック・ギターにはクリス・レアも参加している。
 "Speed on"ではミック・テイラーがリズム・ギターを、ジョージ・ハリソンがリード・ギターを弾いているし、"Lawyer's lament"ではミックがリード・ギターを担当している。

 最終曲"Pig's boogie"ではギターがクリス・スペディングで、2分少々の短い曲ながら印象的なフレーズを弾いている。
 だからそういうわけで、聴けば聴くほどいい味わいを出しているアルバムなのである。

 ただ残念なことにニッキー・ホプキンスは1994年9月6日、アメリカのナッシュビルで亡くなった。腸の手術後の合併症によるものらしいが、もともと彼は欧米人に多いクローン病という持病を持っており、そのせいでツアーはあまりできず、スタジオでのセッション活動を行うようになったらしい。享年50歳であった。

 ちなみにクローン病とは遺伝的なものが原因で体内の消化器官に炎症や潰瘍が起こる病気であり、彼が腸の手術を行ったのも、おそらくその病気が原因だと思われる。

 生きていれば、おそらく数多くのミュージシャンとセッションを行っていたことは間違いない。どうか天国でジョンやジョージ、キース・ムーンらと豪華セッションを繰り広げていてほしいものだ。
 この「夢みる人」は、そういう思いをさせてくれる、まことに優れたアルバムなのである。

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ミック・テイラー

 ローリング・ストーンズの黄金時代を築いた名ギタリスト、ミック・テイラーのことについて記したい。
 ミック・テイラーは1948年1月生まれなので、今年でちょうど還暦を迎えた。子どもの頃から音楽好きで、9歳からギターを始めたと言われている。なるほど彼のプレイは幼いときから磨かれてきたもののようだ。

 彼のことを語るときに避けて通れない話がある。それはイギリスの伝説的バンドであるジョン・メイオール&ブルースブレイカーズに参加するきっかけになった逸話である。

 ある日、ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズがライヴを行ったのだが、バンドの中心的人物であるギタリストのエリック・クラプトンが出演していなかった。理由はよく分からないが、彼抜きで演奏を始めたらしい。
 第1部が終わって、2部の始まる前に楽屋にある少年が現れて、自分にクラプトンのパートを弾かせてほしい、彼の演奏なら完全コピーできるといったらしい。
 それで実際に弾かせてみたところ上手にできたので、第2部は彼をギタリストに据えて演奏を行ったそうである。

 この話が本当かどうかは分からないが、確かにジョン・メイオールならそれくらいのことを許す度量があるだろうし、ミック・テイラーなら実際に可能だと思わせてくれる実力を持っている。

 そして17歳でミック・テイラーは、ピーター・グリーンの後を受けて、ブルースブレイカーズに参加したのであった。
 この後、約3年間はブルースブレイカーズの一員として活動したのだが、このときが彼の修行時代だったのかもしれない。

 そして1969年に脱退したブライアン・ジョーンズの代わりに、ローリング・ストーンズに参加したのであった。このときまだ若干21歳。あの天下のストーンズから参加要請があったのだから、天にも上る心持ちだっただろうことは想像に難くない。

 そしてストーンズでの活躍は以前のブログでも述べたのでここでは割愛をする。とにかく1969年から74年までの5年間はストーンズのリード・ギタリストとしてレコーディングに、ライヴ活動にと充実した時期だったに違いないし、ストーンズ・ファンも音楽的にはこの時期が一番優れていたと認めるに違いない。

 彼がストーンズを脱退して5年後に発表したソロ・アルバムがある。「ミック・テイラー」という自分の名前を冠したアルバムであった。

ミック・テイラー ミック・テイラー

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 ここで聞かれる彼の音は、非常にリラックスして、彼自身が求める音をパッケージングしたような印象を与えてくれる。
 1曲目の"Leather Jacket"はウェストコースト風の軽いタッチの曲で、充分ヒットも狙えるようなポップな曲作りになっているし、続く"Alabama"はアコースティックなミディアム・テンポのブルーズ・ロックである。

 彼の豊かな才能をこれでもかと見せ付けている点では優れたアルバムといえるが、残念ながらブルーズからフュージョン風までと幅が広く、焦点化されていない。もう少し絞って、曲をまとめていけば、もう少し売れたに違いないと思うのである。

 特に後半になるにつれて、当時流行っていたジェフ・ベックの「ワイアード」っぽくなって行くのには、少し閉口した。ファンが彼に求めているのは、やはりストーンズでのカッコいいリード・ギター・プレイであり、ブルージィなロックだと思うからだ。

 彼としてはそういうストーンズの幻影から逃れたくて、こういう幅の広い趣味性を開示して見せたと思うのだが、周りの見方と違っていたのではないだろうか。

 そんな彼が20年の沈黙を破って1999年に発表したアルバムが「ア・ストーンズ・スロー」である。Photo
 はっきり言って、これは隠れた名盤である。まさに最初から最後までブルーズに立脚したロック・ミュージックを楽しむことができるからだ。

 3曲目の"Never fall in love again"のスライド・ギターは感動もので、曲自体も70年代のポップなストーンズのような雰囲気を漂わせてくれている。
 全体的に、アルバム「ミック・テイラー」よりもギターを弾きまくっているし、歌いまくっている。結構彼のボーカルも面白い。そんなに上手ではないのだが、一生懸命歌っているのが、聞き手に伝わってくる。

 ゲストにはキーボードにジェフ・ベックと共演したマックス・ミドルトン、ドラムスには元イースト・オブ・エデンのジェフ・アレン、ベースにはマイケル・ベイリーとスノーウィ・ホワイトとも共演した日本人のクマ原田が参加している。なかなか渋い人選である。

 そしてこのアルバムは焦点が絞られているので、聞いていて彼の音楽と一体感を味わうことができる。だから彼のファンなら安心して聴くことができるのだ。

 またボブ・ディランの1983年のアルバム「インフェデル」発表時の未発表曲だった"Blind Willy Mctell"はなかなか秀逸な曲である。ディランの作品だから悪かろうはずがない。

 日本盤のボーナス・トラックには、ミックがストーンズ時代にキースと共作した曲"Separately"とジミ・ヘンドリックスの"Red house"のライヴ・ヴァージョンが収められている。
 前者はオシャレな雰囲気を持つものであり、アルバム「刺青の男」の後半の雰囲気によく似ている。
 後者の曲ではジミ・ヘンというよりも、クラプトンのように弾きながら歌っている。

 ミック・テイラーの公認スタジオ録音アルバムは今のところこの2枚だけで、これ以外のは彼が認めていないものだそうである。それにしても寡作である。
 確かにライヴ活動はジャック・ブルースと共演したり、日本にも来日公演に来たりと結構頻繁に行っている。ライヴで忙しくてスタジオにこもれないのだろうか。

 いずれにしても元ストーンズのメンバーとして、まだまだ頑張ってほしいものである。ミック・ジャガーやキースのようにもう少し体を絞っていけば、彼もまだまだイケると思うのだがどうだろうか。

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スティッキー・フィンガーズ

 マリアンヌ・フェイスフルについて書いていたときに、ローリング・ストーンズが彼女のことについて歌った曲"シスター・モ-フィン"について、ドラッグ中毒に陥った彼女のことを偲んで作った曲というふうに書いた。

 このことが正しいのかどうか、アルバム「スティッキー・フィンガーズ」を引っ張り出して、歌詞カードを見ながら聴いてみた。実に数年ぶりのことであった。

「俺はこの病院のベッドに横たわっている
教えてくれ、シスター・モルヒネ
次はいつ回ってくるんだ
俺はそんなに長く待てねえよ
わかるだろ、俺の痛みが強いことを

救急車のサイレンが俺の耳に響いてくる
教えてくれ、シスター・モルヒネ
俺はどれくらいここにいるんだ
ここで何をしていたんだ
なぜその医者には顔がないんだ
床を這うこともできやしねえ
わかるだろ、シスター・モルヒネ
俺はただよくなろうとしているだけなんだ」
(訳:プロフェッサー・ケイ)

 見て分かるように、決してマリアンヌのことを愛しく思ったり、偲んだりしているわけではなさそうだ。むしろ、自分も含めてマリアンヌのような麻薬中毒者を皮肉っているような内容であった。ミック・ジャガーもおそらく彼女に対しては、複雑な気持ちだったのだろう。

 それにしてもこのアルバム「スティッキー・フィンガーズ」は名盤である。70年代のストーンズの快進撃のきっかけとなった大傑作アルバムではないだろうか。

スティッキー・フィンガーズ Music スティッキー・フィンガーズ

アーティスト:ザ・ローリング・ストーンズ
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:1994/08/31
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 何しろ曲がよい、ギターがよい、そして極め付きは、ファスナー付きアルバム・ジャケットが衝撃的という、すべてがインパクトの強いアルバムであった。

 このアルバムから、ストーンズは自分たちが設立した会社、ローリング・ストーンズ・レコードから発表しているのだが、アルバム・ジャケットとあの舌出しで有名なロゴ・マークを考案したのは、ヴェルベット・アンダーグラウンドのところでも述べたアンディ・ウォーホールだった。

 このアルバムをLPレコードとしても持っているのだが、アルバム棚に並べていると、このファスナー部分が次のレコードの背中の部分に当たってしまい、そのところだけくぼんでしまった。くぼんだレコードのタイトルは「山羊の頭のスープ」である。
 だからファスナーの金属部分に綿を当てたりもしたものだった。今はそんなことはしていないけれども。

 そういう素晴らしいジャケット・デザインに包まれたアルバムは本当に内容も素晴らしく、今回も聴きながら感動してしまった。
 ストーンズ独特のノリや黒人音楽の影響、ワイルドでいかがわしい歌詞など、この時期のストーンズでしか味わえない雰囲気を漂わせていて、どの曲から聞いてもいいと思う。

 実際、このアルバムに収められている曲は全てライヴで演奏されている。そういうアルバムはこのアルバムと「レット・イット・ブリード」、「女たち」、「ブラック・アンド・ブルー」だけだそうである。

 シングル・カットもされた"Brown Sugar"やアップ・テンポの"Bitich"、途中のスライド・ギターやエンディングのギターがカッコいい"Sway"など、ストーンズの定番のような曲もあるし、叙情的なカントリー・ロック的なバラード"Wild horses"、もろブルーズな"You gotta move"、"I got the blues"、アコースティックな"Dead flowers"、ジャズっぽい"Can't you hear me knocking"など聞きどころが満載である。

 もちろん"Sister Morphine"もあるのだが、初めて聞いてビックリしたのは、"Can't you hear me knocking"と"Moonlight mile"である。
 前者はこんなにストーンズは演奏が上手だったのかという素直な驚きをもたらしてくれた。後者は中国風というか東洋的な、ちょうど香港のように東洋と西洋が出会ったような音が印象的だった。こんな曲も書けるのかと、あらためてストーンズの偉大さに感服してしまった。

 また、イアン・スチュワートやビリー・プレストン、ライ・クーダーなどのゲスト陣もいい仕事をしている。自分たちの設立した会社からの最初のアルバムということで、気合を入れて制作したのだろうか。

 でも結局は、ミック・テイラーのいた頃のストーンズが、今となって考えれば、自分は好きだったのかもしれない。
 このアルバムから「メイン・ストリートのならず者」、「山羊の頭のスープ」、「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」の頃のストーンズが一番ロックしているようで大好きなのである。

 寡黙なミック・テイラーだったが、音楽に対する姿勢はストイックであり、求道的でもあった。ストーンズというグループにいて決しておごらず、自分を見失わず、自分の道を求めてストーンズを去っていったその生き様が共感を呼ぶのではないかと、自分なりにその理由を考えている。

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マリアンヌ・フェイスフル

 マリアンヌ・フェイスフルのアルバムを買った。2002年に発表されたもので、もちろん中古CDであるが、タイトルを「キスィン・タイム」という。なかなか洒落た名前ではないか。

Kissin' Time Music Kissin' Time

アーティスト:Marianne Faithfull
販売元:EMI
発売日:2002/03/12
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 ご存知のように、マリアンヌ・フェイスフルほど浮き沈みの激しい人生を送っている人は滅多にいない。日本でいうと、古いところでは内藤やすこ、新しいところでは元モー娘の加護亜依のようだ。加護亜依はこれからどんな人生を送るのか目が離せない。

 ちなみに内藤やすこは、浪曲師の両親を持つ歌手で、1975年にデビューし、その独特のハスキー・ヴォイスと歌唱力で一躍有名になったが、2年後の77年に大麻所持で逮捕され、芸能活動を一時自粛した人である。自粛後、NHK紅白歌合戦にも出場した。現在57歳だが、2006年脳内出血で倒れて以来リハビリ中である。

 マリアンヌも彼女の歌よりも、その人生の方に常に注目されてきた。アラン・ドロンとも共演した映画「あの胸にもういちど」でのマリアンヌは、ルパン3世に出てくる峰不二子のモデルになったとも言われている。その映画を見ていないのでなんともいえないのだが、確かに美しさでは峰不二子以上かもしれない。

 彼女は1941年にロンドンで生まれた。父親は大学教授で、母親はオーストリアの貴族の家系を継ぐ人であったらしい。だからデビューしたての彼女は、そのイメージが先行していて、さらにまたその清楚な印象と清らかな歌声のせいで、一躍アイドル界のトップに躍り出た。

 しかし実際は、幼い頃に両親が離婚し、彼女自身は修道院で育てられたらしい。だから決して裕福な子ども時代ではなかったのである。また、芸能界に入る前の17歳の時には、すでに結婚していたから、汚れを知らぬ少女というわけではなかったのだ。

 当時の彼女の夫とローリング・ストーンズのマネージャーであるアンドリュー・オールダムとが知り合いであり、それがきっかけとなって彼女はデビューした。

 最初のシングル曲"涙あふれて"は、もちろんジャガー=リチャーズの曲であり、ストーンズ自身も歌っている曲であるが、これがヒットして、TVや映画に出演するようにもなった。1964年のことであった。

Marianne Faithfull Music Marianne Faithfull

アーティスト:Marianne Faithfull
販売元:Deram
発売日:2000/05/02
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 彼女はローリング・ストーンズの恋人といわれていて、最初はミック・ジャガーと付き合っていたのだが、彼の子どもを流産したり、精神的に不安定になったりして酒とドラッグにハマってしまってしまい、ミック以外のメンバーやグループ外の男性とも付き合ったらしい。
 そういう自堕落な生活が続いたせいか、精神的にも追い詰められてしまい、自殺未遂やアルコールとドラッグ中毒と入院を繰り返すようになった。そしてミックと別れてからも、人間不信が続いたりしたという。

 ストーンズのアルバム「スティッキー・フィンガーズ」に収められている曲"シスター・モーフィン"(モーフィンとはモルヒネのこと)は、マリアンヌ・フェイスフルのことを歌っていて、つまりモルヒネにまで手を出してしまって、現実社会に戻って来れない彼女のことを偲んで作った曲である。(と勝手に解釈しているのだが、もう一度歌詞カードを見てみようと思う)

 それで60年代後半からの約10年間は忘れ去られた状態だった。また思い出されても“堕天使”とか“汚れた少女”、“天使の顔をした娼婦”とまで言われる始末で、スキャンダラスなイメージが常につきまとっていた。

 それが1979年のアルバム「ブロークン・イングリッシュ」で一躍脚光を浴び、再び奇跡的にも芸能界に復帰することができた。ドスのきいたしわがれた声とともに…

Broken English Music Broken English

アーティスト:Marianne Faithfull
販売元:Island
発売日:1990/06/15
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 実際は60年代後半から彼女の声は変容してきていて、あの天使のような歌声は消えてしまっていた。もちろんアルコールとドラッグ、精神的なダメージからである。だからアルバムを聞く前は、ルー・リードとスティーヴィー・ニックスを足して2で割ったような印象を持っていた。

 最近の彼女は映画「マリー・アントワネット」の女帝マリア・テレジア役やフランス映画「パリ・ジュテーム」にも出演しており、音楽界だけでなく映画界でも活躍している。

 ところでアルバム「キスィン・タイム」であるが、これが意外と聞きやすくてよかった。もっとおどろおどろしいダークなイメージを抱いていたのであるが、"Like being born"、"I'm on fire"、"Wherever I go"など、かなりポップな曲が多かった。

 このアルバムではベック、ブラー、スマッシング・パンプキンのビリー・コーガン、元パルプのジャーヴィス・コッカー、ユーリズミックスのデイヴ・ステュワートなど英米のミュージシャンが参加して、彼女とコラボレートしている。
 特にビリー・コーガンやジャーヴィス・コッカーとの共演では、マリアンヌ自身の生き生きとした歌声、ただしドスのきいた声は相変わらずだが、を聞くことができて、よかった。60歳を超えたいまでも現役として活躍していることが、特に昔を知るものにとってはうれしさ2倍以上ではないだろうか。

 とにかくこのアルバムを聞いて、マリアンヌ・フェイスフルに対する認識が変わったようだ。彼女は貫禄がついて、野太い声をしていても、歌に対する感情はピュアなままなのかもしれない。

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フランシス・ダナリー

それでイッツ・バイツを脱退したフランシス・ダナリーは、自分のソロ・キャリアを追及し始めた。ところが1991年に最初のソロ・アルバム「ウェルカム・トゥ・ザ・ワイルド・カントリー」を制作したにもかかわらず、所属レーベルの売却騒動に巻き込まれてしまい、残念ながら日本以外で販売されることはなかった。

 失意に沈んだフランシスは、翌年に元レッド・ゼッペリンのボーカリストであるロバート・プラントのバンドにギタリストとして参加し、アルバムのレコーディングやツアー活動に精力的に取り組んだのである。

 その活動が評価されたかどうかは分からないのだが、アトランティック・レコードと契約を交わすことができ、94年に2ndアルバムを発表することができた。それが「フィアレス」であった。

フランシス・ダナリー/フィアレス フランシス・ダナリー/フィアレス
販売元:ショッピングフィード
ショッピングフィードで詳細を確認する

 このアルバムでは、元イッツ・バイツのフランシスという姿を見つけることができない。完全なロック・アルバムになっている。ロック・アルバムといっても売れ線狙いのポップス寄りのロック・アルバムだといっていいだろう。

 全12曲、いずれもコンパクトな曲作りになっている。さらに彼のボーカルが全編に渡ってフィーチャーされており、ギタリスト・フランシスではなく、ボーカリスト・フランシスの姿を映し出している。

 だから華麗なギター・ソロやプログレ風味の曲構成は不在である。逆にロック寄りの曲だけでなく、アコースティックな曲やブルーズ系、ストリングスをかぶせたバラード系など、バラエティに富んだ内容になっている。

 また面白いことに、ジェスロ・タルの名曲?"リヴィング・イン・ザ・パースト"をカヴァーしており、ボーナス・トラックとしてこのアルバムに含まれている。
 フランシスは、ジェスロ・タルのリーダーであるイアン・アンダーソンとは旧知の仲であり、以前一緒にツアーで回ったときに、様々なアドヴァイスをもらったことがあったそうだ。

 だからその恩返しとして収録したのだろうか。それにしてもどうせ1曲選ぶのなら、もっと違う曲、たとえば"アクアラング"などの方がよかったのにと、ジェスロ・タルファンとしては思うのである。

 日本ではこのアルバム以降、国内盤は発売されていないようであるが、外国ではこれ以降もコンスタントにアルバムを発表し続けている。もちろん内容的には、この「フィアレス」の系統を継ぐものであるようだ。輸入盤でその内容を知ることができる。

 彼は現在もミュージシャンとして活動しており、かなり忙しいスケジュールをこなしているようである。1962年生まれの彼は今年で46歳。今が一番油がのっている時期なのかもしれないが、国内盤が発売されないのが唯一の心残りではあるのだ。

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クリミナル・タンゴ

 今となっては入手できるかどうか分からないが、マンフレッド・マンズ・アース・バンド(以下、MMEBと略す)の1986年のアルバム「クリミナル・タンゴ」は、名盤だと思っている。

 MMEBについては以前このブログでも触れた。確か昨年の8月頃だと思う。夏休みによく聴いた彼らのアルバムを紹介させてもらったのだが、春先になるとこの「クリミナル・タンゴ」を思い出してしまう。