2017年4月24日 (月)

ARWのライヴ・レポート

 日頃の行いがよいせいか、念願かなってARWのチケットを手に入れることができて、ライヴを見に行った。
 やってきたのは広島にあるライヴハウスのクラブクアトロだった。キャパが約700名ということで、ビッグ・ネームのミュージシャンにしてはかなり小さな場所になると思う。

 ARWといえば、プログレッシヴ・ロックのファンならすぐにわかると思うけれど、ジョン・アンダーソンとリック・ウェイクマン、それにトレヴァー・ラビンのことを指していて、彼らの名前の頭文字をとっている。Arwlive

 要するに、元イエスのメンバーである。ただ、現在の本家イエスには、オリジナル・メンバーは誰もいなくなってしまった。唯一のオリジナル・メンバーだったクリス・スクワイアが2015年に亡くなったからで、今はギタリストのスティーヴ・ハウが実質的なリーダーとしてバンドを率いているようだ。

 ジョンは本家イエスについてどう思っているのかわからないけれど、来日公演の直前にバンド名が、“アンダーソン、ラビン&ウェイクマン”から“イエス・フィーチャリング・ジョン・アンダーソン、トレヴァー・ラビン、リック・ウェイクマン”に変更になった。

 ということは、ジョンはこのバンドこそがイエスだと思っていることだろう。名前の変更について、ジョンはこう述べている。「それはファンも私たちも望んでいることだ。私たちには、その名目を使う権利がある。イエスの音楽は私たちのDNAの中にあるんだ」

 まさにその通りで、イエスの代表曲、特に70年代の全盛期の曲に関わっていたのは間違いのないことだし、パンク/ニュー・ウェイヴの洗礼から抜け出し、全米No.1のヒット曲を出した80年代前半においても、ジョンはまだ在籍していたからだ。

 それに、このメンバーでのライヴは2016年の10月からアメリカのフロリダから始まっていたが、そのツアー・タイトルは“An Evening of Yes Music and More”と銘打たれていた。もうこれは完全にイエスの音楽であり、1991年の8人編成で行われた「ユニオン・ツアー」の違う意味での再現だろう。

 アメリカや東京の渋谷で行われたライヴ・レポートなどがネットに挙げられているので、詳細を知りたい人はそちらをご覧になっていただくとして、ここからはあくまでも自分の個人的な意見や感想として綴っていきたい。

 こんな小さなライヴハウスになったのは何故かはわからないけれど、たぶんこのメンバーで新作が発表されていないからではないか。
 もしニュー・アルバム発表後なら、プロモーター側ももう少し大きな会場を用意したのではないだろうかなどと、勝手なことを考えたりもした。ただ、インターネットを見ると、アメリカではもう少し大きなホールなどでやっていた。

 もしくは、小さなライヴハウスから大きなホールまで、規模を変えながら演奏したいというミュージシャン側の意向があったのかもしれない。東京では約2000名、大阪や名古屋でも1000名以上のホールだった。広島だけ小さかった。 

 入場開始は午後4時、開演は午後5時ということで、普通のライブよりはかなり早い。確かに"An Evening Of Yes Music"というタイトルに相応しいと言える。

 うがった見方をすれば、ジョンももう72歳だし、高齢化したせいかとも思ったのだが、他の会場ではすべて午後7時開演だったので、広島だけこれも早かった。高齢化ではなくて、早く終わらせて、お好み焼きでも食べに出たかったのかもしれない。

 演奏はほぼ定刻の午後5時3分ごろ始まった。正確なセットリストは覚えていないので、何とも言えないのだが、だいたい次の通りだと思う。

1.Cinema
2.Perpetual Change
3.Hold On
4.I've Seen All Good People
5.And You And I
6.Rhythm of Love
7.Heart of the Sunrise
8.Changes
9.Awaken
10.Owner of A Lonely Heart
[encore]
   Roundabout

 こうしてみると、70年代の黄金期の曲と80年代の90125イエスの曲が、ほぼ半分だった。トレヴァー・ラビンが参加していることから80年代の曲も当然演奏されるだろうとは思っていたが、ここまで平等とは思わなかった。71cre2wuil__sl1500_
 トレヴァー・ラビンやリック・ウェイクマンは普通に登場してきたが、ジョンは小躍りしながら登場してきて、さすが誇大妄想型ミュージシャンだと思った。とにかく、楽しくて楽しくてたまらないという印象があった。

 リック・ウェイクマンは、黒っぽい生地に銀色のスパンコールみたいなものをつけたマントを身に着けていて、時代錯誤のように70年代に浸っていた。
 しかし、このショーマンシップというか、パブリック・イメージに徹する態度はさすがである。自分を客観的に見ることができているのであろう。“キーボードの魔術師”は、年をとっても魔術師だったのだ。

 "Perpetual Change"の時のジョンの声は、低音がややかすれていたが、高音の伸びは素晴らしく、ほとんど衰えを感じさせなかった。よほどヴォイス・トレーニングがきちんとできているのだろう。

 "And You And I"や"Heart of the Sunrise"の時も、高音の部分はどうなるのだろうかとハラハラしながら聞いていたのだが、ほとんど問題なかった。さすがベテラン、声の衰えはテクニックでカバーしていた。

 ジョンは日本の童謡が好きなようで、“どんぐりころころ”や“ぞうさん”を歌うらしいのだが、広島では“ぞうさん”の出だしを歌っていた。"And You And I"の前だっただろうか、よく覚えていないが、確かに歌ったのである。

 "I've Seen All Good People"の時のトレヴァー・ラビンは、最初はアコースティックで、後はエレクトリック・ギターを使用していたが、"And You And I"ではエレクトリック・ギター一本で通していて、中盤のアレンジもギターを使用して工夫していた。

 彼はエネルギッシュにギターを弾きまくっていて、速弾きもスローな部分も見事だった。バンドリーダーみたいに、演奏面ではバンド全体を引っ張っていたと思う。

 90125イエスの曲は当然だが、70年代の曲まで自分の曲のように弾きまくっていた。さすがイエスに引き抜かれただけある。曲も書けて演奏も一流だし、プロデューサーもできるマルチ・ミュージシャンの片鱗が伺われた。

 アルバム「究極」の後半部分を使っていた"Awaken"については、ほぼ完璧に再現していた。ジョンもハープを使用してアルバムの雰囲気を再現していたし、リックもパイプ・オルガン風のキーボードを使っていた。それにジョンも気合が入っているのか、声にもますます艶が出ているように思えた。

 最後の"Owner of A Lonely Heart"では、当然盛り上がってしまい、観客と一体になって、小さな会場がますます狭くなったような気がした。
 そして曲の終わりは、ほとんどジャム・セッション風になってしまい、リックはショルダーキー・ボードをぶら下げてステージ中央まで来るし、ついにはクリームの"Sunshine of Your Love"やクラプトンの"Crossroads"のワン・フレーズも出てきて、大いに盛り上がったのである。

 1000名以上の大きなホールでは、ここでトレヴァー・ラビンやリック・ウェイクマンが下のフロアまで降りてきて、まるでザ・ヴェンチャーズのように観客とスキンシップを行うらしいのだが、クアトロは人で密集していたので、それはできなかったようだ。

 アンコールは予想通りの"Roundabout"だったが、できればもう1曲くらい"Love Will Find A Way"か"Starship Trooper"をやってほしかった。

 時間的にはライヴハウスのせいか、約90分少々というスケールだった。アメリカやイギリスではABWHの曲"The Meeting"や、アルバム「閃光」の中の"Lift Me Up"なども演奏していたようだが、広島では残念ながら、聞くことはできなかった。だから他の会場では、約2時間のライヴになったようだ。

 サポート・メンバーとして、ベーシストはイアン・ホーナルという人で、クリス・スクワイアのようにリッケンバッカーを使用していた(途中フェンダー・プレシジョン・ベースに替えていたところもあった)

 ドラマーのルイ・モリノⅢは、トレヴァー・ラビンやYOSO(ビリー・シャーウッドやトニー・ケイ)と一緒にプレイしていた人で、イエス人脈の中に位置付けられているようだ。"And You And I"のときのウィンドチャイムをおどけて叩いていたのが忘れられない。

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 とにかく生きているジョン・アンダーソンと一緒に口ずさむことができてよかった。多分もう二度とないだろう。ジョンも次にいつ来日公演に来るかはわからないし、果たしてバンド自体が存続しているかどうかも分からない。

 何しろジョンのことだから、今までのキャリからして、いつどうなるかはわからないのだ。ひょっとしたら、スティーヴ・ハウズ・イエスに加入するかもしれないし、再び“8人編成”イエスになるかわからない。

 ただたとえどうなろうとも、この日のことは、人生最高の思い出の一つとして忘れないだろう。広島まで行って本当によかったと思っている。

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2017年3月 6日 (月)

追悼;グレッグ・レイク

 昨年の12月7日、グレッグ・レイクが亡くなった。まだ69歳だった。彼もジョン・ウェットンと同じように、癌で長い間闘病中だったそうだ。彼の死亡について、まだ追悼記事を書いていなかったので、今回、彼の活動歴を記すことで、あらためて彼の冥福を祈りたい。08greglake_w1200_h630
 グレッグ・レイクは1948年11月10日に、イギリスのボーンマスで生まれた。12歳頃からギターを弾き始め、すぐにバンド活動を行うようになった。

 1967年に、友だちのリー・カースレイクに誘われて、ゴッズというバンドに加入した。そのバンドには、ケン・ヘンズレーというキーボード・プレイヤーがいて、リーとケンはのちにユーライア・ヒープというハード・ロック・バンドを結成している。

 ちなみに、このゴッズの初代ギタリストは、のちにローリング・ストーンズでも活躍したミック・テイラーだった。今から考えればスーパー・バンドだったといえるかもしれないが、当時は、誰もそんな有名人を輩出するバンドだとは思っていなかったに違いない。

 ゴッズはレーベル契約し、アルバム録音を始めようとした矢先に、グレッグはバンドを脱退している。
 理由は、同郷の友人であるロバート・フリップに誘われたからで、ジャイルズ・ジャイルズ&フリップにボーカル&ギタリストとして参加して、やがてこれがキング・クリムゾンに発展していった。

 キング・クリムゾンは1968年に結成され、翌年、歴史的な大傑作アルバム「クリムゾン・キングの宮殿」を発表し、バンドはアメリカ・ツアーに出発した。Fd3b5248c1cf337aeedda8a72d559b8570c
 アメリカ・ツアー中にナイスと一緒になり、グレッグはナイスのキーボーディストだったキース・エマーソンと意気投合して、バンド結成を考えるようになった。

 やはり、プロのミュージシャンならば、いつかは自分のバンドを持つか、あるいは自分自身の手によってコントロールされた活動を望むようになるのだろう。
 幼馴染とはいえ、いつまでもロバート・フリップなどによって指図されたくなかったのではないだろうか。

 グレッグ・レイクは自意識が強く、またプライドも高かったようで、常に自分が前に出ないと気が済まない性格だった。
 実際は、作曲や編曲、制作面の実権はキース・エマーソンが行っていたにもかかわらず、クレジットでは、プロデュースド・バイ・グレッグ・レイクとなっていた。キースがグレッグに対して配慮していたのである。そうしないと、バンド運営が困難になるからだった。

 グレッグは、ロバート・フリップにも声をかけ、エマーソン、レイク、パーマー&フリップを結成するつもりだったが、ロバートが直前になって回避したため、結局、E,L&Pとして活動を始めたのである。Elp
 彼ら3人組は、約10年間で10枚のアルバムを発表した後に、1979年に解散してしまった。グレッグは、ソロ活動を開始し、ゲイリー・ムーアやスティーヴ・ルカサー等をゲスト・ミュージシャンに迎えて、ソロ・アルバムを発表した。

 1983年には一時、エイジアに加わるものの、すぐに脱退して、1985年にはキース・エマーソンとコージー・パウエルとともに、エマーソン、レイク&パウエルを結成し、アルバムを発表した。ただ、このバンドは長続きせず、アルバム1枚だけで解散してしまった。

 本当はもう少し長く続けるつもりだったのだが、ツアー時の費用がかかりすぎてしまい、セカンド・アルバム録音用にとっておいた予算まで使ってしまったらしい。

 ツアーの途中で続けるかどうかバンド内で協議したらしいのだが、グレッグが執拗に継続を主張したため、結局、最後までツアーを続けたということだった。長期的な展望に立つこともなく、目先の利益を追求したということだろう。

 1987年にはE,L&Pの再結成リハーサルが行われたが、何故かグレッグは元エイジアのジェフ・ダウンズとライド・ザ・タイガーというバンドを結成した。ところが、今度はジェフがエイジアの再結成に参加したため、このバンドも途中で空中分解してしまった。

 1992年になって機が熟したのか、やっとE,L&Pの再結成が行われ、「ブラック・ムーン」や「ライヴ・アット・ロイヤル・アルバート・ホール」、「イン・ザ・ホット・シート」と3枚のアルバムを発表している。

 21世紀に入ると、リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドに参加して、あの有名なクリムゾンの"The Court of the Crimson King"などを歌っていた。ちょっと微妙な気がするが、それでもオリジナル・メンバーだった人のボーカルなのだから、居合わせた人はラッキーだっただろう。今となっては、生ではもう二度と聞くことはできないのだから。

 その後は、グレッグ・レイク・バンドを結成して、ツアー活動を出向いたり、チャリティー活動を行っていたが、2010年には、キース・エマーソンと“エマーソン&レイク”を結成して、アコースティック・ライヴ活動を行っている。Greglake_2
 同年にはE,L&P結成40周年記念ということで、ロンドンで行われた“ハイ・ヴォルテージ・フェスティバル”で一度限りの再再結成を行った。このライヴの模様は、CDやDVDとしてのちに発表されている。

 その後のグレッグは、2013年までソロ・ツアーを続けた。そこでは、クリムゾンやE,L&Pの歌だけではなく、自分が子どもの頃に好きだったエルヴィス・プレスリーの曲や、この世界に足を踏み入れるきっかけにもなった好きなミュージシャンの曲なども歌っていたという。

 キース・エマーソンの言葉を借りれば、E,L&Pはお互いのエゴのぶつかり合いが激しくて、その微妙なバランスの上に成り立っていたようだ。キース・エマーソンは作曲に没頭していて、それ以外のことにはなるべく口を出さなかったらしい。

 だから楽曲のクレジットもなるべく3人が公平になるように図らった。ステージでは、キースのピアノがせり出して回転するようになれば、カールのドラム・セットも空中に浮遊し、回転するように演出した。

 スタジオでは、マスタリングの際に、カールとグレッグは自分のパートの音量が残りの2人の音量より低いと文句を言って、それぞれがボリューム・レベルを最大限まで上げようとした。
 最後は、3人とも自分の音量があとの2人以上になるようにフェーダーを上げ続けたのだが、最終的には、エンジニアが逆にマスターの音量を下げざるをえなかったといわれている。

 そんなエゴイストのグレッグが、これまたエゴ・ギタリストと組んだアルバムが1981年の「グレッグ・レイク&ゲイリー・ムーア」だった。1075143
 このアルバムは結構好評で、各国で好意的に迎えられた。時流はNWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル)だったから、この手の音楽も受け入れられやすかったのだろう。
 と同時に、80年代に入ってもグレッグの奥行きのあるテノール・ボーカルを聞くことができるというファン心理も背景にあったのかもしれない。

 とにかく、冒頭の"Nuclear Attack"や途中の"Long Goodbye"など、ゲイリー・ムーアのギターがフィーチャーされているからメタル・ファンにとっても聞き逃せないだろうし、逆にバラード調の"It Hurts"などは、グレッグのボーカルの特徴がよく出ていて、昔からのファンは涙したに違いない。

 グレッグ・レイクとゲイリー・ムーアのことだから、この1枚で終わってしまうだろうと思っていたのだが、何と2年後には2枚目のコラボレーションのアルバム「マヌーヴァーズ」を発表した。

 ただ“柳の下の二匹目の泥鰌”の言葉通りに、このアルバムはコケてしまった。内容的に散漫な印象が残ったのだろう。エイジア風の曲もあれば、AOR風な曲やゲイリー・ムーアがフィーチャーされたヘヴィ・メタルのような曲もあって、リスナーとしても戸惑ったようだ。Fc2blog_20141206072933ebc
 グレッグ・レイクのソロ・スタジオ・アルバムは、結局、この2枚だけになってしまった。結構、芸歴は長かったのだが、たった2枚とは少ない気がしてならない。

 要するにこの人は、他の人をライバル視することで自分を高めていこうというミュージシャンだったようだ。

 自分自身の表現活動がボーカルとベース・ギターだけになることを嫌ってクリムゾンを去ったが、新しいバンドでは、他の2人と競い合いながらも自分の表現欲求を満たすことができたようだった。もちろん、キース・エマーソンの寛大な思いやりがあったからだが、果たしてグレッグは、それに気づいていたかどうかは、定かではない。

 ソロ活動では十分な成果を出せなかったし、期待にも応えられなかったことが原因になったからだろう。結成40周年記念を祝うなど、最後までE,L&Pに固執していたことは間違いないはずだ。

 そのE,L&Pのうち、“E”と“L”はあの世に行ってしまった。きっと2人でアコースティック・セッションを繰り広げているだろう。アコースティックとはいえ、きっとお互いのスピーカーの音量のことでもめているに違いない。

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2017年2月27日 (月)

サーカ(2)

 Yosoというバンドは長続きしなかったが、それでも3年間近く活動し、1枚だけアルバムを残している。「エレメンツ」という名前のアルバムで、これは今でもアマゾン等で手に入れることができる。

 基本的にYosoは、2009年当時のサーカにボビー・キンボールが参加したもので、専任のボーカリストが入ったおかげで、ビリーは演奏に集中できるようになり、バンドとしてもまとまっていった。Yoso_band

 当時の彼らのライヴでは、TOTOの"Rosanna"や"Hold the Line"、イエスの"Owner of A Lonely Heart"や"Roundabout"、メドレー形式での"Yours is No Disgrace"や"Heart of the Sunrise"などもYosoのオリジナル曲と一緒に演奏されていて、それらはライヴ・アルバムとしても発表されていたようだ。自分は聞いていないので、近いうちに購入しようと思っている。

 ボビーのドラッグ癖や酒癖の悪さは昔から定評があったようで、だいたいあんなに売れていたTOTOを辞めたのも、辞めたというよりは首になったといった方が正しかった。

 結局、2011年にはサーカの再活動を始めたのだが、その時はギタリストとドラマーが不在だったので、ビリーがキーボードを除くすべての楽器を演奏した。そうしてつくりあげたのがバンドとして3枚目の「アンド・ソウ・オン」だった。

 このアルバムのジャケットには写真が掲載されていたが、それにはビリー・シャーウッドとトニー・ケイしか写っていなかった。要するに、バンドというよりは、2人のプロジェクトになっていったようだ。

 アルバムは全9曲で、1曲目のアルバム・タイトル曲からイエスっぽい雰囲気を漂わせている。61a62um7tl
 こうやってイエスの二番煎じ的なバンドの曲を聞いていると、逆に本家のイエスがどういう音楽性を持っているのかがよくわかるというものだ。

 結局、イエスの特徴は
①緩急つけた複雑でドラマティックな曲展開
②プログレにはおよそ似つかわしくないハーモニー・コーラス
③聞かせどころを押さえたそれぞれの楽器のソロ・プレイ
④アタックの効いたハードなベース音と硬質なドラム・サウンド
⑤効果的なアコースティック&スティール・ギターの使用
⑥多種多彩なキーボードの使用
⑦複雑な曲の中にも分かりやすいメロディー・ラインを含む
 等だろう。
 
 このアルバムでもビリーの演奏するベース・ギターはクリス・スクワイヤの演奏にそっくりだし、1曲目は9分弱、7曲目のややスローなイントロから徐々に盛り上がっていく曲"True Progress"も7分弱もある。途中でアコースティック・パートを挿入するあたりも本家イエスを踏襲しているようだ。

 3曲目の"'Til We Get There"では、アコースティック・ギターが導入されて牧歌的なイントロからやがてアップテンポになり、モダンな雰囲気に変わっている。こういう曲をイエス・ファンは待っているのではないだろうか。曲時間も6分35秒あった。

 4曲目の"Notorious"も素朴で分かりやすいメロディーラインを持っていて、清涼剤的な役割を持っている。こういう曲が収められている点でも、サーカは1st、2ndアルバムよりは進化してきたといえるだろう。

 サーカ的ミディアム・ハード・ロックが"Half Way Home"だ。ここではビリーの弾くエレクトリック・ギターが炸裂している。ただところどころにコーラスがついている点が、純粋な意味でのハード・ロックとは異なってくる。この辺がイエス・ファミリーのいいところではないだろうか。

 "In My Sky"はアコースティック・ギター弾き語りのバラードで、ジョン・アンダーソンが歌ったらもっと印象的になるだろうと思ってしまった。

 このサーカの弱点は3つあって、一つはボーカルの弱さだろう。せっかくの申し分のない曲が印象薄になっているのも、ボーカルが弱いからだ。そういう意味では、専任のボーカリストを入れたYosoもアイデアとしては悪くなかったと思う。

 ただ、ボビー・キンボールではポップネスさが表に出てしまって、プログレ色が薄くなってしまうと思うのだがどうだろうか。それを確かめるためにも、Yosoのアルバムは手に入れた方がいいと思っている。

 2つ目は、トニー・ケイのソロ・プレイだ。基本的にこの人はオルガニストなので、ハモンド・オルガンのソロ・プレイは素晴らしいが、それ以外のソロはほとんど稀である。このアルバムの最後の曲"Life's Offering"は10分以上もあるのだが、それでもオルガンを弾いていた。イエスでなぜリック・ウェイクマンが重宝されているかがよくわかると思う。3334
 ところで、このアルバムには「オーヴァーフロウ」というミニ・アルバム、といっても7曲40分以上もあるものが付属していて、2枚組になっていた。
 これは彼らの1stと2ndアルバムのアウトテイク集のようだ。それにしてもよくできていて、オリジナル・アルバムに収録されなかったのが不思議なくらいだった。

 このアルバムの曲は4分、5分台の曲が多いことから、どちらかというとポップな傾向が強かった。おそらくは曲の傾向と時間的な問題から、オリジナル・アルバムには収録されなかったのだろう。

 アルバムを発表するごとに、徐々にイエス色が薄れていき、ポップで耳に残りやすいメロディーを含む曲が増えていった。だからこの3枚目のアルバム「アンド・ソウ・オン」はなかなかの良盤だと思っている。

 3枚目のアルバムから約5年後、彼らは「ヴァレー・オブ・ザ・ウィンドミル~風車の谷の物語」というアルバムを発表した。
 このアルバムでは、前回までのポップな要素をやや削ぎ落として、プログレッシヴ・ロックの王道的なサウンドに回帰していた。

 全4曲(国内盤ではボーナス・トラック付きの5曲)で、最も短い曲で7分32秒、最も長い曲で18分43秒だった。4曲合計で50分20秒である。本家のイエスを凌ぐ容量だ。さすがビリー&トニーである。
 しかもこのアルバムでは、バンド編成になっていて、ベーシストとドラマーが新たにクレジットされていた。

 このアルバムでも、さすがにトニーは他のキーボードも演奏しているようだが、基本はオルガンを弾いている。また、如何せんボーカルの線が弱いのもネックのままだった。クリス・レインボウのような専任ボーカリストを入れればいいのに、といつも思ってしまう。

 それから彼らの弱点の3つ目を言い忘れていたけれども、それはギター・ソロが目立たない点である。長厚重大な曲の中に埋もれてしまっていて、せっかくのギター・ソロが目立たないのである。

 せめてソロ・プレイの時にはもう少しバックにおとなしくしてもらうとか、ギターにエフェクトを効かせるとか、あるいは際立って速いパッセージを弾くとか、何か工夫がほしいのだ。51emnfwijml

 このアルバムではボーカリストではなく、リック・ティアーニーという専任ベーシストを加入させていて、ビリーはギターにまわっている。だからギター・ソロはそこかしこに用意されているのだが、アルバムを通して聞くと印象に残らないのである。

 ある意味、器用貧乏なのかもしれない。ギターもベースもキーボードやドラムまで、何でも一通りこなすことができて、しかもレベルも高いのだが、なぜか記憶に残るようなフレーズが少ないのである。自分の感性が鈍ってきたせいだろうか。

 ちなみに、このアルバムのドラムはスコット・コナーが担当していた。彼は現在56歳で、歌も歌えるという。Yosoからの付き合いのようだ。

 確かに良いアルバムには違いないと思うのだが、繰り返し聞きたくなるかというと、ちょっとどうかなあと思ってしまう。
 自分にとってはトランスアトランティックやムーン・サファリ、スティーヴン・ウィルソンのアルバムの方に手が出てしまうのである。

 だから、もっとメジャーを目指すのであれば、
①専任ボーカリストを加入させる
②トニー・ケイにピアノやメロトロンも使用させる
③印象的なギターのフレーズを考える
 等を工夫すればいいと思っている。

 あとは曲もコンパクトにまとめればもっといいかもしれない。90125イエスで学んだことをビリーにはもっと発揮してもらいたいと願っている。そうすれば、このバンドは単なるコピー風なバンドから、オリジナリティ溢れるバンドへと変身していくだろう。

 本家のイエスは、クリスが亡くなり、アランも病気で以前のようには叩けない状況だ。まさに“スティーヴ・ハウズ・イエス”になってしまった。これをイエスと呼んでいいのかどうなのか、わからない。むしろサーカの方がよりイエスらしいだろう。

 ファンは、イエスの遺伝子を正統に受け継いでくれるバンドを欲している。ビリーはまだ51歳だ。イエスのみならず、願わくば次世代のプログレ界の牽引をしてほしいものである。

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2017年2月20日 (月)

サーカ(1)

 昨年の話であるが、何かいいアルバムはないかと探していたら、サーカというバンドに出会った。ちょうどジョン・アンダーソンとロイネ・ストルトとのアルバムが発表された後の頃だった。

 このサーカというバンドに驚いたのには、理由がある。何しろオリジナル・メンバーの4人のうち3人が元イエスに所属していたし、残りの一人もイエスのアルバムで演奏していたのである。正確に言うと、次のようなメンバーで構成されていた。

 ベース   …ビリー・シャーウッド
 ドラムス  …アラン・ホワイト
 キーボード…トニー・ケイ
 ギター    …ジミー・ハーン

 見てわかるように、トニー・ケイはイエスのオリジナル・メンバーだったし、アラン・ホワイトも2代目ドラマーとして70年代から活躍している。
 ビリーは1996年から2000年までイエスに在籍して、「オープン・ユア・アイズ」や「ザ・ラダー」制作に携わっていた。

 ギタリストのジミーもイエスの1991年のアルバム「結晶」にサポート・ミュージシャンとして参加していたし、クリス・スクワイアとビリー・シャーウッドのアルバムにもクレジットされていた。要するに、みんな“イエス・ファミリー”の一員なのである。Circa_portrait
 トニー・ケイは1994年のアルバム「トーク」に参加はしたものの、ミュージック・ビジネスに興味を失ったようで、その後は、一時、引退生活を送っていた。
 ところがピンク・フロイドのトリビュート・アルバムを制作するときにトニー・ケイにもお声がかかり、ビリー・シャーウッドと再会して、彼らはバンド結成に至ったのである。

 彼らは2006年末に正式にバンドとして活動を始め、デビュー・アルバムは翌年の1月からビリーの自宅で録音が始まり、その年の9月には発表された。
 全9曲で、一聴してわかるように、イエスのコピー・バンドといっていいようなサウンドで固められている。61oqkidr9fl
 ビリーのベース・プレイは、クリス・スクワイアのそれといっていいほど酷似しているし、アランのドラミングもまだまだ現役でも十分通じるような(今となっては考えられない程)溌溂とした切れ味のよい演奏を披露している。当時57歳だったから、まだまだ叩けたのだろう。

 イエスといってもその活動歴は50年近くなるので、彼らのサウンドといっても、その時期によって多少ニュアンスが違ってくる。
 このサーカの場合は、90125イエスにやや近い。ちょっとモダンでコンパクトな雰囲気を携えていて、それぞれのソロ・テクニックもやや控えめである。

 1曲目の"Cut the Ties"などを聞くと、1971年の3枚目のアルバムである「イエス・アルバム」の"Yours is No Disgrace"によく似たギター・フレーズやメロディが飛び出してきて、思わずニンマリしてしまった。

 また、2曲目の"Don't Let Go"と8曲目の"Look Inside"の曲のクレジットには、トレヴァー・ラビンの名前も見られる。おそらくは、90125イエスの時に作った曲群のアウトテイクではないだろうか。

 両曲ともゆったりとした曲調で、そんなに耳に残るようなメロディや、印象に残る構築美を誇るものではない。やはり当時の90125イエスの公式アルバムには収録されなかった理由がありそうな気がした。

 個人的に気になったのは、最後の曲"Brotherhood of Man"だ。この曲だけは、このアルバムの中で11分以上もあり、組曲のような形式になっていた。ただ、これも残念なことには、全体的には穏やかな曲に仕上げられていることで、最初の2分程度はアップテンポになっていて、これでグイグイ押していくと思ったら、やがてまたスローダウンしていってしまった。

 往年のイエスなら、ここでギター・ソロやピアノ、キーボード・ソロを織り交えて展開していくのであるが、ここではそうなっていない。イエス・ファンとしてはちょっと物足らないのである。

 その後、イエス本体が活動を再開したため、アラン・ホワイトはそちらの方に戻ってしまった。
 ドラマーが不在になったために、ビリーは80年代末にロサンジェルスで結成したバンド、ワールド・トレイドで一緒に活動していたジェイ・シェリンに声をかけてバンドに誘った。彼はまた、ギター担当のジミー・ハーンともロジックというバンドで活動していたので、サーカにとっては気心が知れたミュージシャンだったようだ。

 彼らは2008年から曲作りを始め、翌年にはセカンド・アルバム「HQ」を発表した。デビュー・アルバムはイエスというバンドのコピー程度のものだったが、このアルバムから徐々に彼らのオリジナリティーが芽生えてくる。61sufxiyqbl

 何しろ1曲目の"If It's Not Too Late"から10分50秒もある大作が用意されている。複雑な構成を持つこの曲は、4人のチームワークの結果から生み出されたというべきものだろう。

 2曲目はギタリスト、ジミー・ハーンによるアコースティック・ギターのインストゥルメンタル曲で、1分18秒と短い。ただ、この曲においてはテクニック的には見るべきものはなく、トレヴァー・ラビンの方が100倍は上手に聞こえてきそうだ。

 ただ、本人の名誉のために言っておくが、ジミー自体は非常に優秀なギタリストであり、テクニック的にも決して劣っているわけではない。ヴァンゲリスや日本人の喜多郎とも交流があり、最近では映画のスコアも手掛けているほどだ。
 あくまでもこの"Haun Solo"という曲においては、彼のテクニックが十分発揮されたわけではないと思っているだけである。

 また、5曲目のインストゥルメンタル曲"Set to Play"は1分49秒と短いものの、白熱したインタープレイになっていた。個人的にはこの曲をもう少し膨らませて、完全な独立した曲として扱ってほしかったと思っているのだが、でも、次の曲"Ever Changing World"とつながっていて、そういう意味では、よく考えられていると思った。

 その"Ever Changing World"はアップテンポで、ロック的なダイナミズムに溢れている。こういう曲をもっとやると、若者にも受けるのではないかと思ったりもした。

 3曲目の"False Start"の3分過ぎでは、1974年のアルバム「リレイヤー」の3曲目"To Be Over"の中に出てくるフレーズによく似たメロディ・ラインを聞くことができて、この辺はご愛嬌というか、昔のファンなら泣いて喜びそうなところだと思う。

 個人的に好きなのは8曲目の"Twist of Fate"で、このスリリングな曲展開や途中の爆発するギター・ソロなどは、とても魅力的なのである。こういう傾向の曲がもう1,2曲あれば、もっと話題になって売れたのではないだろうか。

 最後の曲"Remember Along The Way"もドラマティックな曲で、12分36秒もあった。さすがにこういう長い曲になると、ギター・ソロあり、キーボード・ソロあり、果てはアコースティックな部分やハードな部分も盛り込まれて、興味深く聞くことができた。途中のフルート・ソロはクレジットがないところを見ると、キーボードで出しているのかもしれない。

 8分過ぎにはギターとキーボードのソロを聞くことができるのだが、相互に掛け合うかと思ったら、すぐに終わってしまった。
 
 21世紀の時代には、昔のような重厚長大な楽曲は似合わないのかもしれないが、ファンとしてはもう少し引っ張ってほしかったと思っている。そうはいってもエンディングは非常に盛り上げられていて、なかなかのものであった。 

 セカンド・アルバムは、全体的にはデビュー・アルバムよりは各曲の構成が複雑になり、時間が長くなっている。そういう点では努力の跡がうかがえるだろう。

 彼らはアルバム発表後、ツアーを行ってプロモーションを行ったが、話題にはなったものの、商業的には成功しなかった。
 ただ、面白いことに、元TOTOのボーカリストであるボビー・キンボールと合体してYOSOというプロジェクトを始め、2010年にはアルバムを発表している。

 YOSOとは“Yes”と“TOTO”が合体してできたネーミングだった。彼らはアルバム発表後もツアーを行ったのだが、ボビー・キンボールはアルコール中毒だったために、途中でドロップアウトしてしまい、結局、バンドは2011年に解散してしまった。

 それでビリー・シャーウッドとトニー・ケイは、サーカに戻って活動を再開したのだが、ジミー・ハーンとジェイ・シェリンは自身の活動が忙しくなってしまい、サーカには加わらなかったのである。(To Be Continued...)

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2017年2月13日 (月)

コンスパイラシー・ライヴ

 昨年は、プログレッシヴ・ロック界でも偉大なミュージシャンが鬼籍に入った。3月にキース・エマーソンは自殺するし、年末にはグレッグ・レイクが病死している。これでE,L&Pはひとりになってしまい、もう伝説の中でしか存在しなくなってしまった。

 また、今回のブログの話題に関するイエスのクリス・スクワイアは一昨年の6月に亡くなっている。まだ67歳だった。イエスの中で唯一のオリジナル・メンバーだった。

 オリジナル・メンバーがいなくなると、普通は解散して歴史の中でしか存在しなくなるのだが、イエスの場合は代わりのメンバーを入れて、ツアーを続けていた。そのクリスの代わりに加入したのがビリー・シャーウッドだったのである。

 一説によると、クリスを見舞いに行ったビリーは、クリスからこう言われたらしい。“イエスの継続にとって、君は重要な存在だ。私の存在を意識せず、イエスで自分の役割を全うしてくれ”

 その結果、イエスのツアーに参加してベース・ギターを演奏しコーラスをつけるなど、クリスの遺志を継いだ熱いパフォーマンスを繰り広げていた。Billysherwood
 そんなビリーは1965年に、アメリカのラスヴェガスに生まれた。父親は俳優でジャズ・バンドのリーダー、母親は歌手という音楽一家に生まれていて、兄のマイケル・シャーウッドもキーボード・プレイヤーだった。ビリーがこういう人生を送るのも、ある意味、歴史の必然だったのだろう。

 このブログでも2006年に取り上げていたので、知っている人は知っていると思うけれど、クリスとビリーは昔から交流があって、1989年のビリーが中心になって結成したバンドであるワールド・トレイドのデビュー・アルバムから具体的に始まっていた。

 当時のイエスは、“90125イエス”と呼ばれていて、コンパクトでエッジのきいたプログレッシヴ・ロックをやっていた。これは当時ギタリストとして加入していたトレヴァー・ラビンの功績だったのだが、アルバム「ビッグ・ジェネレイター」発表後、そのトレヴァーとボーカルのジョン・アンダーソンが脱退してしまった。

 そのあとを埋めるために、クリスはビリーとビリーの友人だったギタリストのブルース・ゴーディに声をかけたのだ。

 結局、彼らはイエスには加入しなかったのだが、ビリーの方は「トーク」ツアーにサポート・ミュージシャンとして参加したり、1997年にはキーボード・プレイヤーとしてイエスに参加し、アルバム「オープン・ユア・アイズ」制作に加わったりしていた。これもクリスからのプッシュがあったからだろう。

 ビリーはまた、いわゆるマルチ・ミュージシャンで、ベース・ギターやキーボードだけでなく、ギターやドラムの方も達者のようだ。イエスの1999年のアルバム「ラダー」では、ギターを担当していた。

 イエスのような高度な技術を求められるバンドで、いくらサポート・ミュージシャンとはいえ、キーボードやギターを自由に操ることができたミュージシャンは、ビリー・シャーウッドしかいないのではないだろうか。(トレヴァー・ラビンもマルチ・ミュージシャンだったが、基本的にはギタリストとして参加していた)

 また楽器演奏だけでなく、それぞれのアルバム曲の作曲やアレンジも担当していて、トレバー・ラビン脱退後の90年代後半において曲の水準を一定以上に保つことができたのも、彼のおかげだといわれている。

 クリスとビリーが最初に書いた曲"The More We Live"はアルバム「結晶」に収録され、"Love Conquers All"はボックス・セット「イエス・イヤーズ」に収められている。(両曲とものちに彼らのファースト・アルバムにもアレンジされて収録された)

 話を少し前に戻すと、イエスとしてのツアーが一段落した1992年には、クリスは自身のバンド“ザ・クリス・スクワイア・エクスペリメント”を発足させ、アメリカ西海岸を中心に小規模のライヴを行った。
 ちなみにそのときのメンバーはクリスにビリー、アラン・ホワイト、ジミー・ハーン、映画音楽作曲家のジョン・ウィリアムスの息子マーク・ウィリアムス、TOTOのスティーヴ・ポーカロだった。なかなかの面子である。

 そうこうするうちにクリス・スクワイアに1975年のアルバム「未知への飛翔」以来、25年ぶりとなるソロ・アルバムの話も出てきて、結局その話がビリー・シャーウッドとの合作というかコラボレーションになったのが2000年に発表されたアルバム「コンスパイラシー」だったのである。
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 全10曲+ボーナス・トラック3曲という構成で、内容的には90年代のイエスをポップに味付けしたような音になっている。

 もともとイエスはビートルズの曲をアルバムに取り入れるなど、ポップな要素は備えていたのだが、シンフォニックなイエスになったあとも、特に80年代以降は最新テクノロジーとイエスにしては短めの楽曲を中心にアルバムを制作していった。

 このクリスとビリーのアルバム「コンスパイラシー」も“リトル・イエス”といった感じで、当時のイエスのアルバムに入っていてもおかしくない楽曲で占められていた。あるいはイエスのアウトテイク集といってもいいかもしれない。ボーカルの声質が違うだけである。
 
 それに前述したマーク・ウィリアムスやジミー・ハーン(彼はアルバム「結晶」でギターを弾いている)、アラン・ホワイトと気心の知れたミュージシャンも参加していて、リラックスして制作されたことが予想される。

 また1曲だけギターにスティーヴ・スティーヴンスが参加して流暢な演奏を聞かせてくれる。彼は80年代に有名になったギタリストで、ビリーはビリーでも、ビリー・アイドルのバンドで頭角を表し、今ではソロ・ギタリストとして活躍している。

 彼らは2枚のスタジオ・アルバムを残しているのだが、昨年は2004年のスタジオ・ライヴ盤が発表された。
 「コンスピラシー・ライヴ」というこのアルバムには、クリスとビリーをサポートする形で、キーボードにビリーの兄のマイケル・シャーウッドとスコット・ウォルトン、ドラムにジェイ・シェリンが参加していた。スコットはセッション・ミュージシャンで、ジェイは元バンドメイトだった。

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 彼らはアルバムを発表したものの、それぞれのスケジュールの調整がつかずにライヴ活動ができなかった。だからスタジオ・ライヴ盤を制作したのである。DVDの方では2004年に発表されていたが、CDでは初めてだった。

 全8曲で、彼らの2枚のスタジオ・アルバムから3曲ずつ、クリスのソロ・アルバムから1曲、イエスのアルバムから2曲("The More We Live"と"Universal Garden")収められていた。("The More We Live"はイエスとコンスパイラシーの両方に収められている)

 中でも一番の話題は、先ほどのクリスの1975年のソロ・アルバム「未知への飛翔」からメドレーで2曲選ばれていることである。
 この"Hold Out Your Hand"と"You By My Side"は「未知への飛翔」の冒頭の2曲だった。オリジナル・アルバムでもメドレーで並べられていた。

 自分の中でもこの2曲を含む「未知への飛翔」は忘れがたいアルバムで、カセット・テープに録音したものをよく聞いたものだった。イエスのように構築美というよりは、歌ものアルバムになっていて、しかも抽象的な歌詞ではなく、恋愛などのような日常的な題材も含まれていたから、ビックリしたことも覚えている。

 それにスタジオとはいえ、クリスの曲がライヴで演奏されたのはイエスの1976年のツアーにおけるアメリカ公演10回分だけだったから、こうしてアルバムの中に記録としてまとめられたのは、まさに僥倖といえるだろう。

 他の曲では、"New World"の変幻自在の転調やリズムのキレの良さ、印象的なギター&キーボード・ソロも捨てがたい。もう少しボーカルがパワフルであれば、言うことはないだろう。

 "The More We Live"はイエスの1991年のアルバム「結晶」やコンスパイラシーのファースト・アルバムにも収録されていた曲で、元々はクリスとビリーの共作曲だった。ここではやや幻想的な装飾が施されていて、イエスの長い歴史を思い出してしまうと、神妙な気持ちにさせられてしまった。

 最後の曲の"Universal Garden"もイエスの曲で、リック・ウェイクマン脱退後に加入したビリー・シャーウッドが正式にクレジットされたアルバム「オープン・ユア・アイズ」に収められていた。マイナー調からメジャーに展開するあたりが、いかにもイエスの楽曲に相応しいような気がした。

 それにしても、アルバム・ジャケットは何とかならないものか。ロジャー・ディーンにするとイエスっぽくなってしまうので、それは彼らも嫌だっただろうから、せめてメンバーの写真を使うとかライヴ風景を使用するとか、考慮してほしかった。

 今となっては、二度と実現できないプロジェクトである。おそらくビリーは、今後もクリスの遺志を引き継ぐ形で、イエスに帯同するとともに、自分の音楽道を進んでいくのであろう。それがあとに残された者の使命でもあるかのように。

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2017年2月 6日 (月)

追悼;ジョン・ウェットン

 1月31日にジョン・ウェットンが亡くなった。67歳だった。ジョン・ウェットンといえば、プログレッシヴ・ロック界のみならず、広くロック・ミュージックの分野でも、なくてはならないレジェンダリーなベーシストだった。C09eb7cd53846ea70ec1445da6415c11
 2007年頃から体調を崩していて、心臓の冠動脈のバイパス手術を受けていた。手術は成功し、体調も回復してエイジアやUKの再結成アルバムを発表していたが、2015年には結腸癌になり、翌年の5月には約1kgの悪性腫瘍摘出を行っていた。その後、容体は一進一退を繰り返していたようだが、結局、残念ながら帰らぬ人になってしまった。

 もともとお酒が好きで、一時はアルコール依存症に苦しむほどの飲みっぷりだったようだ。だからそのせいかどうかは不明だが、かなり太っていた時期もあった。Johnwetton630x420
 最後は本人も自覚したようで、長年の友人だったロバート・フリップやビリー・シャーウッドのところに赴き、今までの感謝とニュー・アルバム制作にかける意気込み等も語ったと言われている。最後まで楽天家で、彼の人柄の良さを示しているようだ。001

 ジョンは1949年6月12日に、イギリスの西部、ダービーというところで生まれている。12歳の時にボーンマスに引っ越し、そこでベーシストとして音楽活動を始めた。
 その時に参加したバンド・メイトには、ロバート・フリップやグレッグ・レイク、リチャード・パーマー・ジェイムズなどがいたというから、彼の運命はこの時に決まっていたのかもしれない。

 学校卒業後は、プロ・ミュージシャンとして1971年に、元コロシアムのメンバーがいたモーガル・スラッシュのアルバムに参加した。

 同年にはファミリーに参加して約1年活動を共にし、2枚のアルバムにクレジットされた。翌年にはキング・クリムゾンに加入して、約2年間で3枚のアルバムに参加している。あくまでも個人的意見ではあるが、日本人の間では、このクリムゾン参加の時期から名前が知られるようになったのではないかと思っている。9c88d25efee37cde7f4ce518c783d780_10
 その後は、ロキシー・ミュージック、ユーライア・ヒープ、ブライアン・フェリー・バンド、ウィッシュボーン・アッシュ等々のアルバムやツアーに加わって、誰が名付けたか“ベース・ギターを背負った渡り鳥”状態になる。

 何しろジョンは人が好いというか、頼まれたらいやといえない人柄のようで、ブライアン・フェリーやユーライア・ヒープに加わったのも、友だちのフィル・マンザネラや幼馴染のリー・カースレイクなどから声をかけられたからだった。行き当たりばったりに見えるが、友だちからの頼みと同時に、できるだけ仕事をしたかったからという理由だったようだ。

 1977年には、リック・ウェイクマンとビル・ブルーフォードとともに、ウェットン、ウェイクマン&ブルーフォードを結成しリハーサルを行ったが、リック・ウェイクマンが参加できなくなり、最終的にエディ・ジョブソンとアラン・ホールズワースを誘って、UKを結成した。

 パンク・ロック全盛期に結成されたプログレッシヴ・ロック・バンドということで、このバンドはヨーロッパや日本ではかなり好意的に迎えられた。Uk_polydor_1978
 相変わらずのメンバー・チェンジはあったものの、約3年も続き、3枚のアルバムを残している。やはり本人が中心になって結成したせいか、ジョンには責任感が伴っていたのだろう。

 音楽的な時流に乗れず、なおかつ商業的な原因もあり、UKは解散してしまう。しかし、この時の失敗を次のバンドでは見事に生かすことができたようだ。

 1979年にはリチャード・パーマー・ジェイムズらとともにジャック・ナイフを結成してアルバムを発表したが、内容的にはリハビリのようなものだった。曲の半分は古いブルーズや昔のヒット曲を再解釈したものだったからだ。

 そして1980年末には、イエスのマネージャーと契約してゲフィン・レコードに移ると、新バンドの結成を図った。それで生まれたのが、かの有名なエイジアだった。
 デビュー・アルバム「詠時感~時へのロマン」は全米で9週間アルバム・チャートの1位を独走し、全世界で1500万枚以上も売れた。

 売れた原因は、上にもあるように、パンクの洗礼を受けたプログレッシヴ・ロックをやったからだ。つまり、“4分間のプログレッシヴ・ロック”というわけである。

 それぞれのメンバーが一流のプログレッシヴ・ロックのミュージシャンであり、それぞれのソロを強調しながらも曲自体をコンパクトにまとめて、ラジオやMTVなどでのローテーションの回数を増やした。もちろん曲自体もキャッチーでメロディアス、歌謡プログレッシヴ・ロックだったということも売り上げの上昇には影響しただろう。

 もともとジョンは、4分間のポップな曲を書くのが得意だった。彼はインタビューでこう答えている。
 『70年代のプログレッシヴ・ロックは、新しいものを創造するために、既存の価値観や世界観を解体していたはずだった。ところがいつのまにか解体が目的化してしまい、様式美を再生産するだけのものに成り下がってしまったんだ。だから、もう一度原点に戻ろうとしたのさ。例えば、"Heat of the Moment"も単純には聞こえるけれど、コード進行などを分析してみると、かなり複雑な構造を持っているんだ』

 彼が言うには、クリムゾン時代の曲"The Book of Saturday"や"Starless"なども、もともとは3分から4分程度のものだったらしい。それが結局、10分から11分もある曲に仕上げられていたという。だからジョンのプログレ観によると、プログレッシヴ・ロックとは曲ではなくて、アレンジに対する名称だと言い切っている。

 ただ彼の人生は、順風満帆ではなかった。スーパー・グループにつきもののエゴとエゴのぶつかり合いの結果、ジョンの知らないところで彼は解雇されてしまったのである。

 原因はジョンのアルコール依存症といわれていたが、実際はジョンとスティーヴ・ハウとの確執からだった。
 だから1983年の武道館ライヴでは、ジョンの代わりになぜかグレッグ・レイクがテレプロンプターで歌詞を見ながら歌っていたのだ。

 この時の模様は“Asia in Asia”という企画で全米生中継されていたし、日本でもテレビ放映されている。
 ジョンとしては面白くなく、弁護士を雇って訴えようとしたのだが、公演自体をキャンセルさせられることを知ったのにもかかわらず、何もそこまでしなくてもいいだろうと思ったという。何という人の良さだろうか。

 ところが、今度はグレッグ・レイクが辞めていったために、ジェフからバンドに戻ってきてほしいと懇願されたのである。
 もちろんジョンは、喜んでエイジアに戻った。まるで何事もなかったかのように。この辺もジョンの人柄をよく表しているエピソードではないだろうか。Asia
 1986年にエイジアが一時活動休止に陥ると、ジョンはフィル・マンザネラとのプロジェクトやソロ活動にいそしむようになった。80年代後半から90年代にかけて、また2006年からもエイジアに復帰していた。

 もともと彼もまた、ワーカホリックだったのだろう。ソロ活動を続けながらもエイジアや再結成されたUKで活動を続けていた。
 また、ジェフ・ダウンズやスティーヴ・ハケットとのコラボやアニー・ハズラムのいるルネッサンスとの共演も果たしている。本当に頼めば何でもやってくれるミュージシャンだった。

 プログレ界では、クリス・スクワイア、グレッグ・レイクと今回のジョン・ウェットンと、立て続けに偉大なベーシストが亡くなっている。
 また、キング・クリムゾン関係でもボズ・バレル、グレッグ・レイクと、3人もベーシストを失ってしまった。

 でもまあ、人の好いジョンのことだから、天国に行ってもセッション・ミュージシャンとして活動していくだろうが、メンバーがまだそろっていないから、手持無沙汰なのかもしれない。ともあれ謹んでジョンの冥福を祈りたい。

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2017年1月30日 (月)

スティーヴン・ウィルソン

 今年は、日本でのプログレッシヴ・ロック生誕47周年記念ということで、これから大いに盛り上がっていくと思っている。(あくまでも個人的希望です)

 それで今回は、スティーヴン・ウィルソンの昨年のアルバムについて簡単に記してみたい。ちょっと古い話で恐縮だけど、寒い冬にはプログレッシヴ・ロックがよく似合うということで、お許し願いたいと思う。

 さて、21世紀におけるプログレ界の“ハタラキ蜂”、ワーカホリック三人衆といえば、スェーデンのロイネ・ストルト、イタリアはホストソナテンのファビオ・ズファンティ、そしてイギリスからのスティーヴン・ウィルソンだろう。Introcrop400100120080
 このスティーヴン・ウィルソン、以前にもたびたびこのブログにも登場してきているが、とにかく自分のバンドのポーキュパイン・ツリーから他のミュージシャンとコラボしたプロジェクトのブラックフィールドやノー・マン、ストーム・コロージョン、実験的な音楽を追及したインクレディブル・エクスパンディング・マインドファック、同じく実験的で前衛的なベース・コミュニオンなど紹介するだけで終わってしまいそうだ。

 それに他のバンドのプロデュースやキング・クリムゾンやイエス、ジェスロ・タル、キャラヴァン、ジェントル・ジャイアントなどの古いカタログのリマスターもあるし、一体いつ休むのだろうかと思うほどだ。

 また、ソロ・アルバムも当然のことながら発表している。そんな彼にとっては、勤勉さというのは至極当たり前のことなのだろう。

 彼は、カバー・アルバムを含めて2008年から6枚のスタジオ・アルバムを発表している。また、昨年はそれらの中から数曲をピックアップしてまとめられたベスト・アルバム「トランシェンス」が発表された。71k37p41vsl__sl1200_
 実はこのアルバム、2015年にアナログ盤で限定販売されていて、今回はそれらにボーナス・トラックとして"Happiness Ⅲ"を加え、CD化されたものである。

 またこのアルバムの曲は、発表順には収められていなくて、それぞれのソロ・アルバムから1曲から3曲ほど選ばれたものが順不同で並んでいた。

 これはスティーヴン・ウィルソンの曲作りに関する首尾一貫した姿勢を訴えているのだろうか。昔から、といっても約8年くらいだけど、それだけ自信のある証拠なのだろう。

 1曲目は2015年のアルバム「ハンド.キャンノット.イレイス」からの"Transience"。ここではシングル・バージョンになっている。シングルで発表されたのだろうか。
 タイトルの英語は、“はかなさ、一時性”という意味で、確かに儚さを感じさせるようなアコースティック・バージョンになっている。

 続く2曲目"Harmony Korine"は、2008年のファースト・ソロ・アルバム「インサージェンツ」からで、スティーヴン・ウィルソン自身によってリマスターされている。
 ピンク・フロイドがややメタル寄りになったような雰囲気を携えていて、奥行きのある音響空間からハードに畳みかける後半の変化が素晴らしい。

 ピアノをバックに歌う"Postcard"は、2011年の「グレイス・フォー・ドラウニング」から。非常にセンチメンタルで感動的な名バラードだ。ストリングス・アレンジメントは元エッグのデイヴ・ステュワートが手掛けている。

 "Significant Other"と"Insurgentes"は、2008年のソロ・アルバムからで、これまた夢幻的で浮遊感溢れる桃源郷的な感覚に満ちている曲だ。自身のバンドのポーキュパイン・ツリーとも共通性のあることが分かると思う。

 6曲目の"The Pin Drop"は2013年のソロ・アルバム「レイヴンは歌わない」からの曲で、前半はバンド・メンバーのテオ・トラヴィスのサックスが、後半はガスリー・ゴーヴァンのギターがフィーチャーされている。

 "Happy Returns"はピンク・フロイドの"Hey You"を少しだけ明るくしたような曲で、2015年のアルバム「ハンド.キャンノット.イレイス」の実質的な意味で最後を飾っていた曲。ここでは編集されたものが収録されている。

 8曲目の"Deform to Form a Star"もまた珠玉のバラードで、テオ・トラヴィスのクラリネットとメロトロンの絡みが、初期のキング・クリムゾンを髣髴させてくれる。「グレイス・フォー・ドラウニング」からの選曲。

 次の"Happiness Ⅲ"は昨年のソロ・アルバム「4/1/2」からの曲で、メロディラインだけを聞けば、かなりポップな要素を持っている。スティーヴン・ウィルソンは意外とメロディ・メイカーだということがわかるだろう。

 ちなみにこの「4/1/2」アルバムは2015年のアルバム「ハンド.キャンノット.イレイス」と次に発表するアルバムの“つなぎ”として重要な意味を持つアルバムのようで、過去の曲の再録や今までのセッションの未発表曲が収められていた。"Happiness Ⅲ"自体は、元々2003年に作られていたようだ。

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 "Thank You"はカナダのシンガー・ソングライターのアラニス・モリセットの曲で、彼女の1998年のサード・アルバム「サポーズド・フォーマー・インファチュエイション・ジャンキー」からシングル・カットされたもの。
 スティーヴン・ウィルソンは、2014年にカバー曲を集めたアルバム「カバー・ヴァージョン」を発表しているが、その中に収められていたものだ。

 11曲目の"Index"は彼の実験的な側面が発揮された曲で、プログラミングされた曲と深遠なストリングスが対照的な効果を生み出している。

 "Hand Cannot Erase"は、もちろん2015年の同名アルバムからの曲で、この曲もメロディラインが明瞭でわかりやすい。ソロ・ベスト・アルバムの中に選ばれた理由も、彼の多面的な才能が発揮されていることを示そうとしたのではないだろうか。

 "Lazarus"は、“2015レコーディング”と書かれていることからも分かるように、ポーキュパイン・ツリーの2005年のアルバム「デッドウイング」からの曲を再録したもの。バッキング・トラックを2015年3月のツアー時に録音して、オーヴァーダビングとミキシングをスタジオで加えたようだ。

 ずっと聞いていると、何となく普通の美メロ・ロック・バンドの曲のような気がしてならない。また、この曲は日本語盤の「4/1/2」にはボーナス・トラックとして収められている。

 最後の曲は"Drive Home"で、これは2013年の「レイヴンは歌わない」から選ばれている。スローな曲で、タイトルが示すような哀愁味と叙情性が抑え気味に歌われている。

 これまたバックのストリングスが美しく、アレンジの素晴らしさと後半のエフェクティヴなギター・ソロが終焉に向かっていく様は、まさに感動ものである。81y6ggymral__sl1200_
 とにかく、このアルバムは、ベスト・アルバムと侮ることなかれ、である。ただ単に良い曲を並べたのではなく、彼の才能のレンジの広さや、昔から培ってきたプログレ知識の集積がよくわかるように配慮されているようだ。

 音楽に対して求道的でストイックな姿勢を貫くスティーヴン・ウィルソンである。2015年には“キング・オブ・プロッグ・ロック”の名称を与えられている。
 そんな彼のことだから、今年の終わりまでには「4/1/2」に続くソロ・アルバムを発表するだろう。今後も彼の活動から目を離せないのである。

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2017年1月23日 (月)

師匠と弟子が語る「アンダーソン/ストルト」

弟子:あけましておめでとうございます、師匠。今回で3回目ですね。ついにメジャーになりましたね。

師匠:誰がメジャー・デビューじゃ。たまには趣を変えようというだけじゃろ。それに今までは年末じゃったが、今回は年の初めになっただけじゃ。しかももう年始の挨拶をする時期でもあるまい。最近の若い者は何も知らんな。

弟子:そんなことより、早く本題に行きましょうよ。今回はあのジョン・アンダーソンとプログレッシヴ・ロック界の異才ロイネ・ストルトのコラボですよ。これは凄い出来事ですよね。Andersonstoit
師匠:ジョンも盟友クリス・スクワイヤが亡くなって、自暴自棄になったのかもしれんな。一昨年はジャン・リュック=ポンティとアンダーソン・ポンティ・バンドを結成するわ、昨年はロイネ・ストルトとアルバムを発表するわで、もう収拾がつかんな。

弟子:何を言っているんですか、師匠。ジョンは72歳ですよ。それでもこれだけ創作意欲が溢れているのですから、精神的にはロイネと同じかもしれませんね。

師匠:お前は何も知らんな。ロイネがいくつだと思っとるんじゃ。もう60じゃぞ。昔でいえば還暦じゃ。わずか一回りしか違わんのじゃ。大して変わらんじゃろ。

弟子:ロックの歴史の中で12歳違いは、かなりのものですよ。ロイネが中学生の時は、ジョンはもう「イエス・アルバム」や「こわれもの」を発表していたんですからね。

師匠:だから何じゃい。中学生の時はそうかもしれんが、今は年齢的にも経験値でもそんなに変わらんと言いたいだけじゃ。それより、早くアルバムを紹介せんかい。

弟子:師匠がくだらないことを言うから遅くなったじゃないですか。この「インヴェンション・オヴ・ナレッジ」というアルバムは、久しぶりのジョンの力作ですよ。この高揚感、この浮遊感、圧倒的な肯定的サウンド、まさに元イエスのボーカリストという感じがしましたね。81smwfhatfl_sl1200_
師匠:わしも聞いたが、割合的にはジョンが8割、ロイネが2割といった感じじゃな。ロイネがバックに徹していて、それはそれで好感が持てるが、何もそこまで隠れんでもいいじゃろと思ったな。

弟子:いえいえ、それはどうかと思いますが…このアルバムのギターはロイネが弾いているんですよ。ノーマルな6弦&12弦ギターからラップ・スティール・ギターに、ドブロ・ギター、ポルトガル・ギターというよくわからないギターまで。
 しかも、ギターだけでなく、このアルバムのベーシック・トラックもすべてロイネが手掛けています。自宅のスタジオにあるコンピューターを使って、ベースやキーボード、ドラムを含むリズム・セクションまで作ってジョンに送ったそうです。

師匠:要するに、小難しいことは人に任せて、自分はのほほんと歌っただけじゃろ。まるで“プログレッシヴ・ロック界のラッパー”のように歌いまくっておるな。よっぽど溜まったものがあったんじゃろ。ストレス発散には良かったかもしれん。

弟子:それは違いますよ、師匠。歌詞は確かにジョンが書いていますが、それはストルトが送ってきたデモを自分のコンピューターに取り入れてアレンジを加えながら書いたわけで、ふたりとも“ロジック・プロ”というデジタル・ソフトを使っていたから互換性があったんですよ。

師匠:それにしても曲が長すぎるわ。今どき1曲目から22分を超える曲なんかありえんな。1曲目が3部形式の"Invention of Knowledge"に、2曲目が18分近い2部形式の"Knowing"、3曲目がこれまた3部形式の"Everybody Heals"で、これが13分9秒、やっと最後の曲が11分13秒の"Know..."。21世紀の現在で、こういうアナクロニズムの権化のようなソロ・アルバムに近いものを作れるのはジョンだけじゃろ。71ureuzcs4l_sl1200_

弟子:いえいえ、ジョンは最初から意図的に、こういう長い組曲形式のアルバムを作ろうとしています。本人は、リスナーを音楽的な“長い旅路”に導こうとしたと言っていますよ。それを今度はロイネが懐古趣味にならないように現代的に甦らしたんですよ。やっぱりロイネも凄いですね。

師匠:いやいや、それはジョンの病気の発露じゃな。相変わらず誇大妄想というか、自己肥大化というか、理想と現実の区分がつかんのじゃろう。ただ、それを1枚のアルバムにまとめるには手に余りすぎるので、外部の有能なミュージシャンを活用したんじゃ。
 思えば、ジョンの夢の実現のために、イエスのメンバーやヴァンゲリス、喜多郎、ジャン・リュック=ポンティなど、多くの優秀なミュージシャンが協力してきたわけじゃよ。

弟子:そこがジョンのジョンたる所以でしょうね。そうやってシンフォニックで壮大な楽曲を提供してきたわけで、それがプログレッシヴ・ロックの歴史を築いてきたんです。偉大なるプログレの伝道師と呼ばれるわけです。

師匠:誰がそう呼んどるのか知らんが、このアルバムは長いだけで、途中で眠くなってしまったわい。テンポも速くないし、「危機」や「究極」のような緊張感がもう少しほしいな。やはりジョンも年には勝てんのじゃろう。

弟子:それでもメロディー的には聞きやすく、2曲目のパート2"Chase and Harmony"なんかはもう感涙ものですよ。"Soon"の再演といってもいいかもしれませんね。

師匠:それはないじゃろ。今までのジョンのリサイクル的作品じゃ。良くいえば、ヴァンゲリスとのコラボにロック的装飾音を付け加えたようなもんじゃな。予定調和的であり、良い意味で裏切られるような展開は見られんな。ジョンのファンなら安心して聞けようが、もう少し新しい展開がほしかったな。これでは“進歩的なロック”とは言えんじゃろう。

弟子:相変わらずシビアですね。ジョンのように、もう少しポジティヴにとらえたらどうですか。ジョンは、このアルバムのテーマを“相互理解”としていて、今の世界を変えるためにはお互いに理解する手段を見つけようと呼びかけているんですよ。だから“Know”という単語が数多く使われているんです。

師匠:そこがジョンのいつもの思考回路じゃな。考えただけでは変わらんわい。まあ、呼びかけるのは結構なことじゃが、それをわかりやすく伝えんとメッセージは伝わらんぞ。今回のアルバムでは、メッセージ性は高くとも、わかりやすさという点では失格じゃな。音楽的な面では、Yes時代の方がまだわかりやすかったな。

弟子:何を言うんですか。このアルバムは久しぶりにチャートにも登場しています。英国では58位、スイスでは26位、ドイツでは18位というまずまずの結果ですね。ヨーロッパでは相変わらず人気は高いですよ。Roineanderson1
師匠:ネーム・ヴァリューだけで売れるんじゃろ。それまでの蓄積があるからな。いずれにしても21世紀の現代で、こういうダラダラとした長尺の音楽を作れるのは、いい意味でも悪い意味でも、ジョン・アンダーソンくらいかな。ロイネのトランスアトランティックの方がバンドとしてまとまっていて、構築美があるわい。

弟子:そうですかね。作ろうと思えば作れる人は、まだまだいっぱいいるとは思うのですが。でも最初に戻りますけど、72歳にして、まだ挑戦する意欲があるというのは素晴らしいと思いますけどね。ある意味、“21世紀のスキッツォイド・マン”といえるのではないでしょうか。

師匠:それはわしの言葉じゃ。お前がそれを言ってどうするんかい。

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2016年12月26日 (月)

マリリオンの新作

 さて、狂騒のクリスマス・シーズンも過ぎ、今年も残り数日になってしまった。月日が過ぎるのは早いものだ。

 それで今年の最後は、イギリスのプログレッシヴ・ロック界の至宝、マリリオンの新作についてである。

 オリジナル・スタジオ・アルバムとしては、「サウンズ・ザット・キャント・ビー・メイド」以来4年振りとなるもので、18枚目のスタジオ・アルバムである。41568
 マリリオンは、このアルバムの制作費用をクラウドファンディングで賄っている。クラウドファンディングとは、以前にもジョン・アンダーソンとリュック・ポンティがコラボレートしたときに説明したのだが、ごくごく簡単に言うと、要するにインターネットでスポンサーを集めることなのである。

 今回は、プレッジ・ミュージックという配給会社を通して資金を調達した。お金を出してくれた人には、バンドの方から一般には商品化されていないグッズやライヴ・チケットの優待などが提供されるが、今回はダウンロード専用のCDや、アルバムのメイキング映像を含むブルー・レイ盤の限定盤ボックス・セットなどが支給されたらしい。

 それでこのアルバムのタイトルだが、「F.E.A.R.」という。これは日本語の“恐れ、恐怖”という意味と、"Fuck Everyone and Run"の頭文字を取って作った造語との両方の意味を有している。91zwnkowgql__sl1500_
 内容はトータル・アルバムではない。6曲17部で構成されていて、4部から5部構成の曲が3曲、その間に独立した曲が3曲収められている。また、トータルでは68分というかなりのボリュームだ。

 1曲目の"El Dorado"は5部形式の16分34秒の曲。
ⅰ) Long-Shadowed Sun スティーヴ・ロザリーのつま弾くアコースティック・ギターに乗ってつぶやくようにスティーヴ・ホガースが歌っている。1970年代当時の斜陽する英国をイメージにして歌っているようだ。

ⅱ) The Gold 金権主義や権力の腐敗を述べているのだろうか。マリリオンを象徴するかのようなゆったりとした6分余りのドラマチックな曲である。

ⅲ) Demolished Lives 前曲から引き続いての2分余りの短い曲だ。次の曲の前奏だろう。

ⅳ) Fear おどろどろしい雰囲気を持った曲で、タイトルの"Fear"にふさわしい。ライヴではシアトリカルに演奏されるのだろうか。

ⅴ) The Grandchildren of Apes ドラマティックな曲の次には穏やかな曲を配置するのは定番だろう。"El Dorado"を締めくくるにふさわしい静寂な曲。グランドピアノとアコースティック・ギターとボーカルがメインの曲である。

 次の"Living in Fear"は独立した曲。権力者の圧政や暴挙、それらを刻んできた歴史の皮肉さなどを訴えているようだ。
 マリリオン流のバラードで、歌詞の内容以外は、いまにも壊れてしまいそうな儚げな美しさに満ちている。この曲を聞いた人は、6分25秒という時間が何と短いのかと思うだろう。

 3曲目は、"The Leavers"という19分6秒の、これまた5部形式の曲だ。内容は、“立ち去る人”と“留まる人”(Remainers)の対立を表していて、これは為政者と民衆、征服者と反逆者、保守主義と自由主義などをシンボライズしていると思われる。詳しい内容に関しては、私の頭ではついていけなかったので、よくわからない。

ⅰ) Wake Up in Music 4分余りの曲だが、キーボードを主体にした硬質なプログレッシヴ・ロックだ。最初からスティーヴ・ホガースのボーカルが前面に出てきていて、そういう意味では聞かせる音楽になっている。

ⅱ) The Remainers “留まる人”のことを静かに歌っている。1分34秒と短い曲だ。終わりの方で弦楽四重奏が使われている。

ⅲ) Vapour Trails in the Sky これまた前半はドラマティックな曲で、今度はスティーヴ・ロザリーのギターがバックで目立っている。ロザリー・ファンなら少しは気分がよくなるかもしれない。後半は、穏やかで夢見るような曲調に仕上げられている。

ⅳ) The Jumble of Days 前曲のドリーミィーな雰囲気からストリングスも交えての緩急付けた曲になっていて、エンディングが近づいたことを知らせてくれる。さすがマリリオンで、こういう曲は彼らの十八番であろう。

ⅴ) One Tonight ピアノをバックに切々と歌い、徐々に装飾音が増えていくというパターンのバラード・タイプの曲。最後は"The Leavers"と"The Remainers"が団結するのだろうか。エンディングは希望の持てるような終わり方をしていた。

 4曲目の"White Paper"は、2曲目と同じで、独立した曲。7分18秒もある大作だ。“白い紙に40もの異なる白い色を描く”とはどういう意味なのだろう。よくわからないのだが、老いていく不安や、恐怖を訴えているのかもしれない。

 このアルバムの「F.E.A.R.」には、様々な“恐れ、恐怖”が描かれているのだろう。個人の不安から社会的、政治的、経済的な不安や恐れを象徴的に訴えているようだ。
 確かに、英国のE.U.離脱や米国の新大統領誕生、グローバルな経済問題等々、今を生きる我々の世界には、不確定な要素だらけである。

 それを一番表しているのが16分43秒の5曲目"The New Kings"だろう。4部形式のこの曲もまた、マリリオン流のドラマティックな曲構成になっている。

ⅰ) Fuck Everyone And Run この曲の主題が提示され、期待感とともに、この先どういう展開になるのだろうかといった幾ばくかの不安感も掻き立てられる。

ⅱ) Russia's Locked Doors なぜロシアが出てくるのかわからないが、旧帝政ロシアをイメージしているのだろう。それを強欲な成金主義者や金権主義者としてシンボライズしているようで、株取引などの実体のない経済で金の卵を産む人たちを"The New Kings"と呼んでいるのかもしれない。

ⅲ) A Scary Sky スティーヴ・ロザリーの伸びのあるギター・ソロが突然プツンと切れて、この曲が始まる。インターネットでは真実も虚構もごちゃ混ぜになっていて、何を信じていいかわからない現代人の悲劇を述べている。

ⅳ) Why is Nothing Ever True? 2分余りの静かな曲の次には、最後にイアン・モズレイのドラムが目立つ曲になった。“なぜどこにも真実はないのか”という悲痛な叫びが、ダイナミックな演奏とともに鳴り響いている。

 そして最後の"Tomorrow's New Country"は1分47秒という短い曲で、少し希望を残した終わり方になっている。最後は"Leavers"の語りで終わっているのだが、残った人たちにも希望があるのかどうかは不明で、そういう意味では、余韻をあとに残している。

 全体的にはボーカル主体の曲で、インストゥルメンタルの見せ場(聞かせ場)はほとんどない。もう少し個人の技量を示すような設定もあってよかったのではないかと思っている。いくらジェネシス系とはいえ、個人個人はかなりのテクニシャンなのだから、少しもったいない気がした。

 また、静謐な雰囲気で統一されているわけではないのだろうが、全体的に落ち着いていて、老成したマリリオンといった感じだった。まあ、それはそれで悪くはないのだが、ドライヴのお供という訳にはいかないだろう。

 ドラムス担当のイアンは63歳だが、それ以外のメンバーは、まだ50代の半ば過ぎぐらいである。老いるにはまだ早すぎると思うのだが、どうだろうか。D27cfc0e
 それでも、このアルバムは商業的には成功して、全英アルバム・チャートの4位まで上昇し、彼らにとってこれは、1987年の「旅路の果て」以来の快挙になった。
 これをもってこのアルバムは1994年のアルバム「ブレイヴ」以来の名作といわれているが、個人的には少し納得がいかないし、いかがなものかなと思っている。

 それはともかく、世界が悪い方向に傾きかけているという警告やメッセージを発していることは確かだ。スティーヴ・ホガース自身は、自分が間違っていることを望んでいるが、と断ったうえで、実際に何かが起ころうとしているのではなくて、起こりうる何かに近づいている恐れがあると思うと述べている。

 確かに、そんなに明るいニュースがない1年だったし、今後もすぐには明るい兆しは見えて来ないだろう。このアルバムも少しペシミスティックな感じがした。
 来年こそは、世界が明るい話題で満ちていくことを願っている。

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2016年12月 5日 (月)

「水晶の世界」と「雷神」

 季節は秋から冬に移り変わってきたが、まだまだプログレッシヴ・ロック誕生46周年記念シリーズは続く。今回はイタリアのプログレッシヴ・ロックのアルバムを紹介しようと思う。しかもなぜか2枚である。普通は1枚ずつなのだが、クリスマスも近いということで、スペシャルなプレゼントにしようと思ったのだ。(といっても誰も気にしていないので、あまり意味はないだろう)

 イタリアン・プログレッシヴ・ロックを語る資格は、自分にはない。自分が最初聞いたアルバムはP.F.M.の「幻の映像」と「甦る世界」だった。ほぼ同時期に師匠の家で聞いて、感動したのを覚えている。それでカセット・テープに録音してもらって、家に帰って繰り返し聞いたものだ。

 今となっては懐かしい思い出なのだが、そのあと、ゴブリンやニュー・トロルスを聞いた。ただ、これらにはあまりついていけなかった。演奏だけならイエスやキング・クリムゾンの方が好みだったからだ。

 それ以降は、ほとんど聞いていなかった。ただ、キング・レコードのイタリアン・プログレッシヴ・ロック・シリーズがCD化されてから少しずつ集めて聞くようになった。

 だからほとんどよくわからないのだが、イギリス発のプログレッシヴ・ロックがイタリアのバンドに影響を与えたのは間違いないだろうとは思っている。
 今ならインターネットを通じて、瞬時に世界中に拡散していくのだろうが、当時はアナログの時代、影響を及ぼすまでに時間がかかったのだろう。

 今回のアルバム「水晶の世界」はラッコマンダータ・リチェヴェータ・リトルノというバンドの1972年の作品である。バンド名は長いので、以下、RRRと略することにする。

 1972年と言えば、イエスが「こわれもの」や「危機」を、ピンク・フロイドが「雲の影」を発表した年で、ちょうどプログレッシヴ・ロックが全盛期を迎えていた時だった。

 イタリアのプログレッシヴ・ロック・シーンも、ニュー・トロルスやレ・オルメなどが1971年にアルバムを発表し、翌72年にはP.F.M.も「幻想物語」で本格的なプログレッシヴ・ロック・アルバムを発表している。

 自分はイタリアのバンドに影響を与えたプログレッシヴ・ロック・バンドは、キング・クリムゾンとE,L&Pだと思っているのだが、中でもキング・クリムゾンの与えた影響は、(イタリアのみならず)かなりのものだったのではないだろうか。

 このRRRのアルバム「水晶の世界」にも、その強い影響が感じられる。メンバーは、サックスやフルートの担当を含めて6人いるし、曲調も転調が多く、叙情性と攻撃性の両方がバランスよく含まれているからだ。51czxfbkdll

 違いといえば、ボーカルが目立っている点とメロトロンの使用が見られないところだろうか。個人的にはメロトロン信者なので、プログレッシヴ・ロックにメロトロンが使用されないと悲しくなってしまうのだった。

 それでも1972年という時期に、本家にも優るとも劣らない素晴らしいアルバムを発表していることは、称賛に値するだろう。

 全7曲で、そのうち2曲はインストゥルメンタルだ。冒頭の"Nulla"は1分程度の導入なので、4曲目の"Nel Mio Quartiere"のみ、3分53秒の完全なジャズ・インストゥルメンタル曲である。

 2曲目の"Su Una Rupe"からクリムゾン的な世界観が展開されていき、メロディアスなフルートとアコースティック・ギター、それと相反するエレクトリック・ギターとボーカルの対立が本家の音楽観をモチーフにしているようだ。
 続く"ll Mondo Cade Su Di Me"も描かれる世界観は、ほぼ同じだ。ただ聞きやすさや安らぎを与えてくれるのは、こちらの方だろう。

 本作のハイライトは、ラストの2曲だろう。"Un Palco Di Marionette"は10分以上の大作で、基本はフルートやピアノ、アコースティック・ギターなのだが、それらが織りなすタペストリーは一筋縄ではいかない。よくもまあ、これほど前衛的になれるものだと感心してしまった。この曲でのボーカルはそれほど目立たず、インストゥルメンタル中心になっている。

 最後の"Sogni Di Cristallo"ではそれまでの鬱憤を晴らすかのように、最初からボーカルが目立っているが、中盤でのストリングスによるソロやピチカートなどが不穏な動きを知らせてくれる。

 ただ、その緊張感や盛り上げ方などはさすがである。最後のボーカルやアコースティック・ギターにピアノの調べが救済をもたらしそうなのだが、最後の最後に不協和音で終わってしまう。

 "Sogni Di Cristallo"とは、“水晶の夢”という意味らしいのだが、穏やかなのは水晶の中だけで、所詮、この世は乱れていて救いようがなく、最後に残るのは“虚無”だけだという内容のようらしい。だからこういうエンディングになるのだろう。

 リーダーでボーカルのルチアーノ・レゴーリは、元々画家志望だったが、のちにゴブリンを結成したクラウディオ・シモネッティのバンド、“ドリアン・グレイの肖像”にボーカリストと参加してから音楽の道を歩み始めた。

 クラウディオ・シモネッティが兵役に行ってしまうと、ルチアーノは当時17歳だったギタリストのナン二・チヴィテンガとともにRRRを結成した。

 このナン二というギタリストは、驚くことに、このアルバムの全曲を作曲している。彼はまだ現役のミュージシャンだそうだが、プレイヤーというよりもコンポーザーという意味では、天才的なミュージシャンだったに違いない。

 RRRは積極的にライヴ活動を行ったのだが、当時のイタリアにはまだプログレッシヴ・ロックは浸透していなかったようで、レコード会社からポップ路線を強制され、それが原因でメンバー・チェンジが起こり、最終的にルチアーノとナン二は1973年に新しいバンド、サマディを結成してしまった。

 バンドはアルバムを1枚発表したあと解散してしまい、その後、ルチアーノは音楽業界から足を洗い、本来の画家に戻って画集などを発表していた。

 そのときにクラウディオ・シモネッティからゴブリン参加を打診されたのだが、ルチアーノは断ったようだ。ゴブリンがインストゥルメンタル曲を演奏しているのは、ルチアーノが参加しなかったからだといわれている。

 しかし、そんな彼も2009年にRRRを再結成して、活動を再開した。まだまだ未練があったのだろうか。ちなみにRRRのバンド名の意味は、「書留郵便配達証明」という意味らしい。特に深い意味で名付けたものではないといわれている。

 さて、もう1枚のアルバムは、1975年に発表されたチッタ・フロンターレの「雷神」である。このアルバムはボーカル中心だが、バックの演奏もかなりの水準のようだ。61xahjl22ol
 メンバーのボーカル担当のリーノ・ヴァイレッティとドラムス、パーカッション担当のマッシモ・グァリーノは、もともとオザンナのメンバーだった。

 正確に言うと、チッタ・フロンターレというバンドがナポリにあって活動していたのだが、それがメンバー・チェンジをしてオザンナというバンドになった。そして1971年にはデビュー・アルバムを発表し、やがて日本でも有名になったのだが、1974年の半ばには分裂してしまう。

 その中のボーカリストとドラマーが元々のバンド名を名乗ったのである。そして、ギター担当のダニーロ・ルスティチとサックス、フルート担当のエリオ・ダンナがウーノを結成してアルバムを発表した。ウーノについては以前にこのブログで述べているので、今回は割愛したい。

 とにかくこのアルバムは、個人的に大好きである。プログレッシヴ・ロックというと身構えてしまう人もいるかもしれないが、プログレとイタリアン・ポップスの両面を備えていて、ボーカルは明るくのびやかで、演奏はタイトでまとまっているという感じがした。

 オザンナが何となくダークで混沌としている音楽とすれば、このアルバムはその正反対の要素を備えているだろう。
 それにクリムゾンやE,L&Pの影響を上手に消化していて、自分たちなりに再解釈を行っているからオリジナリティを感じさせてくれるのだ。

 1975年といえばプログレッシヴ・ロックは世界的に衰退期を迎えていたが、このアルバムに限って言えば、十分に自己主張していて、新しいタイプの動きを感じさせてくれる内容になっていると思う。

 アルバムは牧歌的なフルートとアコースティック・ギターのアルペジオで始まり、徐々に楽器が増えていく。インストゥルメンタル曲だが、何となくマイク・オールドフィールドの初期のサウンドに似ているような気がした。日本語のタイトルが“街の夜明け”なので、それをイメージしているのだろう。

 続く“心はひとつ”から明るいクリムゾン的展開が始まる。イエスのような構築美を持つこの曲は、楽器編成はクリムゾンと同じだが、雰囲気が全く違う。高機能のカンツォーネを聞いているようで、思わず魅了されてしまう。
 ドラムスを含むリズム・セクションだけでなく、ギターも素晴らしい。ギターを担当しているのは、元サン・ジュストというバンドにいたジャンニ・グァッラチーノという人らしい。

 3曲目のアルバム・タイトル曲の“雷神”もまたアコースティック・ギターと後半のサックスがフィーチャーされた佳曲である。何となくP.F.M.の“通り過ぎる人々”を思い出してしまった。

 イタリアというか地中海の気候と人々の性格の明るさがこういう曲を生み出すのだろう。この曲に典型的なイメージを持ち込んでしまったが、そう思わざるを得ない雰囲気が漂っている。確かにプログレッシヴ・ロックとは言い難い曲だ。

 6分余りの曲の次には、“重労働”というタイトルの曲が来る。タイトルの割には優しくたおやかな曲調を備えており、1分過ぎからのフルートとメロトロンの調和が感動的だった。
 途中でブレイクや転調を繰り返していて、そういう意味では確かに“重労働”といった観もなくはない。

 この曲も3分30秒あたりから大きくブレイクして、サックスやメロトロンが一斉にアタックしてくる。手数の多いドラミングもクリムゾン的ではあるが、メロディ自体はあくまでも明るくて、ドラマティックな要素を秘めている。

 こういったところにもキング・クリムゾンの影響を感じさせてくれる。1970年代のイタリアでは、いかに彼らの影響が大きかったかが分かると思う。8分を超える大曲だった。

 5曲目はインストゥルメンタル曲の“突然変異”。やはりオザンナの残党が結成したバンドは、本家にも劣らぬ凄腕ミュージシャンばかりのようだ。サックスとギターが全体をリードするジャージーな曲だが、裏で細かに動いているドラミングが素晴らしい。手八丁足八丁のようだ。

 続く、“商人‘太陽’の家”では、「太陽の家」らしい陽気な雰囲気が復活する。こうなると“歌謡曲プログレッシヴ・ロック”といった気がしてきて、まさにちょっと演奏陣が目立つカンツォーネといった感じがした。何となく聞いているリスナーまでが、明るい気分になってきそうだ。

 次は一転して、ハーモニカとピアノがボーカルを支えるバラード曲“多くの人々”になる。何を歌っているのかはわからないのだが、決して悪い内容ではないだろう。途中のサックスとコンガがアクセントになっていて、エンディングのひっそりとしたギター・ソロがさらに感動を包んでくれるようだ。

 これまでの2曲は3分から4分程度の短い曲だったが、最後の曲“神々に身をゆだねて”は最後を飾るにふさわしいアンサンブルを含む曲だ。
 伸びやかなバラード風プロローグからメロディアス・ハードな曲調に転換し、さらにコロッセウムのような壮大なアンサンブルに繋がっていく。

 途中にアコースティック・ギターのブレイクを含んで、サックスとドラミング、フルートが曲を膨らませていき、大団円を迎えるのである。6分30秒余りの曲だが、長く聞こえるのは気のせいだろうか。それほど巧みな曲で、聞き終わった後に押し寄せる満足感に思わず浸ってしまった。

 彼らはこのアルバム1枚で解散してしまい、ボーカル担当のリーノは、1978年にオザンナを再結成(正確に言うと、解散していたわけではないので再活動だろう)し、アルバムを発表した。21世紀の今になってもオザンナとして活動しているようだ。

 イタリアン・プログレッシヴ・ロックの草創期と変革期に発表された2枚のアルバムだったが、いずれも1枚のアルバムでバンド活動は終わっている。
 その2つのバンドに共通しているのは、クリムゾンの影響が見え隠れする音楽性だったが、時代が下がるにしたがって、その影響は薄れていくように思える。

 それは影響が薄れていったのではなくて、むしろ逆に、イギリスのプログレッシヴ・ロックの影響から脱却して、イタリアの伝統的な音楽性が表に出てきたからであろう。
 イタリアのプログレッシヴ・ロックの特徴の一つとしての伝統と革新の融合が、垣間見えてきそうな気がしてならないのである。

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