2017年12月18日 (月)

トゥ・ザ・ボーン

 「今年聞いたプログレッシヴ・ロック特集」の3回目は、イギリス人のスティーヴン・ウィルソンの新作である。タイトルは「トゥ・ザ・ボーン」と名付けられていた。彼の通算5枚目にあたるスタジオ・アルバムである。1200pxstevenwilson2016
 このアルバムは、今年の夏に発表されたものだが、自分はやや遅れて購入して聞いてみた。私の敬愛してやまない風呂井戸氏は、以前よりもポップな傾向が強くなったと御自身のブログの中で述べていたので、果たしてどのくらいポップ化したのだろうかと、期待と不安を半々ずつ抱きながら、このアルバムを聞いてみたのだ。

 このアルバムがポップ化したことは、スティーヴン・ウィルソン自身も認めていて、「このアルバムには、僕がこれまでに作ったものよりも、はるかに強いポップ感があるんだ。でも僕は、ポップ・レコードでありながら、同時に歌詞の面でも、あるいはプロダクションの面でも、人々がより深いレベルで向き合うものを作りたかった」と述べている。

 また、このアルバム評を載せたある音楽雑誌には、「プログレッシヴ・ポップ・ミュージックの分野において実り豊かな野心作」と書かれていて、評論家の意見の中でも好意的に受け止められていた。

 さらに、こういう音楽傾向になったのは、スティーヴン・ウィルソン自身が若い頃に聞いていた音楽、たとえばピーター・ガブリエルの「So」、ケイト・ブッシュ「愛のかたち」、ティアーズ・フォー・フィアーズ「シーズ・オブ・ラヴ」、トーク・トークの「カラー・オブ・スプリング」などの影響だとも述べていた。

 私的な感想を言えば、ポップ化といっても急にヒット・シングル満載のアルバムになったというわけでは無くて、聞きやすくなったといった方が間違いが少ないと思った。
 その中でも一番聞きやすかったのは、6曲目の"Permanating"だろうか。疾走感あふれるこの曲のサビはとてもわかりやすくて、思わず一緒に口ずさんでしまうような特徴的なメロディラインを含んでいたからだ。

 アルバムの重要なテーマは、“現代社会での生きることの困難さ”だろう。世界的に見れば、特にヨーロッパでは、いつ起こるかわからないテロリズムに対する不安や急増する移民(難民)に対する対応などの社会的な不安、そういう不透明な社会においてどのように生きるべきか等の個人としての生き方の両面を曲と歌詞を通して訴えかけている。711otzhvugl__sl1181_
 そういう意味では、間違いなく“今を生きるプログレッシヴ・ロック”といえるだろう。この時代性に対する感覚や批評性を備えているところが、他のプログレッシヴ・ロックとは違う点で、優れたプログレッシヴ・ロック・バンドはみんなこういう視点を含んだ音楽性を有しているといえよう。

 そしてこのアルバム「トゥ・ザ・ボーン」は、全11曲59分46秒の長さで、冒頭の曲"To The Bone"から不安感を煽るような女性コーラスやコンガの音が強調されている。途中のギター・ソロがカッコいいのだが、クレジットではスティーヴン・ウィルソン自身が弾いているようだ。
 また、この曲と5曲目の"Refuge"では、ハーモニカが効果的に使われている。いずれもマーク・フェルザムという著名なセッション・ミュージシャンが担当していて、曲に切迫感を与えている。

 2曲目の"Nowhere Now"を聞くと、あぁ確かにポップになったと実感できるはずだ。特に、リフレインされるフレーズのところは耳に馴染みやすい。
 この曲でもスティーヴン・ウィルソン自身がギターとベース、キーボード&ボーカルを担当している。

 牧歌的な雰囲気を持った"Pariah"は、バラード系の曲で、スティーヴンのボーカルに女性のニネット・タヤブのボーカルが絡み合い、壮大な音響空間へと突き進んでいく。
 このニネット・タヤブという人は、イスラエルとモロッコ出身の両親を持ち、彼女自身も歌手、女優、モデルで活躍している。

 また、子どもの頃からピンク・フロイドやニルヴァーナ、オアシスなどから影響を受けていて、2006年にデビュー・アルバムを発表している。現在34歳で、イスラエルを代表するミュージシャンのようだ。

 一転して、ミディアム・テンポながらもハードな曲調を持った"The Same Asylum as Before"が始まる。何となくギルモア系ピンク・フロイドの楽曲に似ているところがあると思うのだが、途中の展開はウィルソン流ハード・ロックといったところだろうか。
 カンタベリー系のミュージシャンだったデイヴ・ステュワートがアレンジしたストリングスのパートをロンドン・セッション・オーケストラが演奏している。

 "Refuge"には、静かな雰囲気を破壊するかのようにジェレミー・ステイシーのドラミングとマーク・フェルザムのハーモニカ、それとこのアルバムの共同プロデューサーでエンジニアのポール・ステイシーの演奏するギター・ソロが活躍している。
 静~動~静という構成で、5分過ぎにはピアノ演奏をバックに、つぶやきのようなボーカルで締めくくられている。

 "Permanating"は上記にもあるようにポップな要素満載な曲で、味付けを間違えれば70年代のトッド・ラングレンの曲になってしまいそうだ。
 スティーヴン・ウィルソンはこの曲ではベース・ギターは演奏しておらず、盟友ニック・ベッグスが担当している。また、バッキング・ボーカルにはイスラエルの歌姫ニネット・タヤブが担当している。3分34秒と時間的にもポップである。51bbhnn5uul
 "Blank Tapes"という曲は、スティーヴン・ウィルソンとニネット・タヤブ、ピアノ演奏のアダム・ホルツマンの3人で演奏とボーカルを担当していて、2分8秒とアルバムの中でも一番短い曲に仕上げられている。
 スティーヴン・ウィルソンは、珍しくメロトロンM4000を演奏しているようだ。ただ、そんなに目立ってはいないけれども。

 8曲目の"People Who Eat Darkness"もまた疾走感と焦燥感溢れるウィルソン流のロックン・ロールだろう。メロディはわかりやすいし、ノリもよい。こういう曲も書けるんだなあとあらためて感心してしまった。そういえば、ポーキュパイン・ツリーの「デッドウイング」というアルバムにもこんな感じの曲があったことを思い出してしまった。

 もう少しコンパクトにまとめてシングルにすれば売れたのではないだろうか。このアルバムからは6曲がシングル・カットされているようだが、この曲はその対象ではなかった。時間が6分を超えていたからだろう。

 "Song of I"はリズムに工夫が施されていて、これも不穏な雰囲気を抱いたままゆっくりと曲が進行していく。
 ここでの女性ボーカルはソフィー・ハンガーという人で、ドイツ在住のスイス人シンガー・ソングライターだ。このアルバムでは、この曲にだけ参加している。マルチ・ミュージシャンで自身のバンドももっているようだ。彼女も34歳。スティーヴン・ウィルソンは1983年生まれの人に関心があるのだろうか。

 "Detonation"でのギター・ソロは、デヴィッド・コーラーという人が演奏している。彼はまた前曲の"Song of I"でもリード・ギターを担当していた。チェコ出身の34歳で、2005年にはソロ・アルバムを発表している。この曲での雲の中を切り裂くようなギター・ソロは、なかなか目立っていた。
 この曲も幻想的な部分とメタリックで即物的な部分とを併せ持っていて、9分19秒とアルバムの中で最長尺な曲になっている。こういう雰囲気の曲は、昔からのファンには受けるのではないだろうか。

 11曲目の"Song of Unborn"は、最後に相応しい壮大なバラードで、静かなピアノのソロをバックに歌詞が吐き出されていく。
 バッキング・ボーカルにはデヴィッド・キルミンスキーという人が参加していて、この人はジョン・ウェットン・バンドやロジャー・ウォーターズとも共演歴があるギタリストで、さすがに34歳ではなくて55歳のベテラン・ミュージシャンである。

 名前からして東欧系の家系なのだろうが、生粋のイギリス人である。この曲だけでなく、冒頭の"To The Bone"や"Nowhere Now"、"The Same Asylum as Before"でも歌っている。
 惜しむらくは、最後の曲なのでもう少しエンディングを引っ張ってほしかったと思う。あるいはフェイド・アウトしていくとかエフェクティブなギター・ソロがあればよかったのではないだろうか。

 ところで、チャート・アクションを見ると、フィンランドでは1位を、ドイツでは2位、オランダで4位、本国イギリスでは3位、アメリカのビルボードでは58位だった。相変わらず英国や欧州では高い人気を誇っているようだ。Stevenwilsontrianonconcertparis
 誰が言っていたかは忘れたけれど、優れたプログレッシヴ・ロックのアルバムには必ずポップな要素を含んでいるそうだ。
 ピンク・フロイドやイエス、キング・クリムゾンのアルバムには、確かにポップなメロディー・ラインを含んでいる曲が多い。

 英語を母国語としない日本人でもメロディーラインぐらいは口ずさむことができるのだから、英語を母国語としている人はシンガロングできるはずだ。
 そうでもないと、約20分じっと静かに聞き続けることはできないだろうし、ポップな要素がなければ、途中で眠ってしまうか、もう二度とそのアルバムを聞くことはないだろう。

 現代のプログレッシヴ・ロック界の約半分をリードしているスティーヴン・ウィルソンである。このアルバムでは、彼の中に内在する思想性とそれを曲の中に具現化したポップネスが見事に止揚されている。
 さすがスティーヴン・ウィルソン。今後も彼の活躍から目を離すことはできないだろう。

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2017年12月11日 (月)

ビッグ・ビッグ・トレイン(1)

 今年聞いたプログレッシヴ・ロック特集の第2回目は、イギリスのバンド、ビッグ・ビッグ・トレインの2枚のアルバムについて記すことにした。

 21世紀の今において、1970年代に活躍したプログレッシヴ・ロック・バンドの多くは解散したか活動中止状態で、数少ない活動中のバンドのほとんどは、過去の音源の再録やライヴ音源で生き残っている。
 だから、それらのバンドを21世紀の現時点で、“プログレッシヴ・ロック・バンド”と文字通りに呼んでいいかどうかには疑問が残る。

 1980年代には、“ポンプ・ロック”という呼び名で“ネオ・プログレッシヴ・ロック”のブームが巻き起こった。その名称にはやや軽視する含みはあったものの、マリリオンやペンドラゴンなどの一部のバンドは、すでにベテラン・バンドとしての風格を漂わせながら今も活躍中である。

 ビッグ・ビッグ・トレイン(以下BBTと略す)は、1990年にイギリスのドーセット州ボーンマスで結成された。当初は、グレゴリー・スパウトンとアンディ・プールを中心としたアルバム制作集団として活動を続けていた。Bigbigtrain3
 1993年にはデビュー・アルバム制作に取り掛かるとともに、プログレッシヴ・ロックのレーベルと契約を結び、本格的な音楽活動を開始して、1995年には日本でも彼らのデビュー・アルバムがボーナス・トラック付きで発売された。

 セカンド・アルバム「イングリッシュ・ボーイズ・ワンダー」は1997年に発表されたが、3枚目のアルバム「バード」までには、それから約5年の年月を待たなければならなかった。
 BBTはスタジオ音楽集団としてスタートしたせいか、中心メンバーを除いてメンバーの流動化が激しかった。時間がかかったのも、そういう事情があったのかもしれない。

 現在のメンバーは次のとおりである。
ニック・ディヴァージリオ…ドラムス
デイヴ・グレゴリー   …ギター
デヴィッド・ロングトン  …ボーカル
ダニー・マナーズ    …キーボード
アンディ・プール     …ギター&キーボード
グレゴリー・スパウトン …ギター&ベース
レイチェル・ホール   …バイオリン
リカルド・ソーブレム  …ギター&キーボード

 このうち設立当初からのメンバーは、グレゴリー・スパウトンとアンディ・プールの2人だけだ。
 また、レイチェル・ホールは音楽の先生をする一方で、2007年から2009年にかけてスタックリッジの再結成ツアーに参加していた。スタックリッジとは1970年代の初めに活躍していたプログレッシヴ・ロック・バンドで、“田舎のビートルズ”とも呼ばれていた。もちろんこのブログでもすでに紹介している。

 一方、リカルド・ソーブロムはスウェーデン人で、2001年にビアードフィッシュというバンドを設立している。彼がBBTに加入したせいか、2016年にバンドは解散を発表した。リカルドも二足の草鞋を履くことには躊躇したのかもしれない。

 BBTは、2002年以降は、2年もしくは3年おきにコンスタントにアルバムを発表していて、11枚のスタジオ・アルバムとライヴ盤と編集盤をそれぞれ2枚ずつ発表している。

 自分は2009年のアルバム「ジ・アンダーフォール・ヤード」を聞いたのだが、70年代のプログレッシヴ・ロック黄金期のアルバムと遜色のない見事な出来栄えを誇っていた。51cdtpfzytl
 アルバムは全6曲で構成されていて、冒頭の"Evening Star"のみインストゥルメンタルで、残りの5曲はボーカル入りだった。

 "Evening Star"は、このアルバムの方向性を示しているような哀愁を帯びたスローな曲だ。通常の楽器以外にもフルートにトロンボーンやコルネット、エレクトリック・チェロ、シタール、ダルシマー、フレンチ・ホーン、チューバまで使用されている。まるで分厚い音の壁のようだった。

 2曲目の"Master James of St.George"には歌詞はついているものの、わずか5行である。あとは、それが繰り返されるだけだった。しかし、それがまるで数頁にわたる叙事詩のように聞こえてくるから不思議だ。それだけ考え抜かれたボーカリゼーションとそれを支えるドラマティックな演奏が功を奏しているのだろう。

 この曲と次の曲"Victorian Brickwork"のテーマは、メンバーのグレゴリー・スパウトンの父親についてであり、この人はこのアルバムの発表前に亡くなっている。おそらく曲の制作前には父親の容態が急変していたのだろう。

 音楽的にはイエスとジェネシスの中間的なところがあって、曲の入り方や構成はジェネシス的であり、演奏に関しては、特にリズム・セクションの音やキーボードの使い方などはイエス的である。

 また、"Victorian Brickwork"は12分33秒もあり、テーマとなるフレーズを基に曲構成が練られている。ボーカルと演奏のバランスもよく取れていると思った。7分過ぎからの演奏がフェイドアウトするところにはメロトロンが使用されていて、その後コルネットのソロが全体をリードするあたりがアイデア的に素晴らしいと思う。
 そしてエンディングは、アコースティック・ギターとボーカルのみで、静かな終わりを迎えるのである。

 6分28秒もあるが、全体としてはポップというよりも聞きやすい楽曲になっている"Last Train"には、メロトロンも使用されていて、日本人にも受けがよさそうな気がする。
 ギター・ソロはデイヴ・グレゴリーが担当していて、なかなかテクニカルでハードなサウンドを聞かせてくれている。

 この曲のモチーフは、ドーセット州とハンプシャー州の境にあった鉄道の支線の終着駅の駅長についてである。デリアという名前の駅長で、1935年に廃線になった時のその最後の一日を描いている。

 "Winchester Diver"もまた実在の潜水士のウィリアム・ウォーカーのことを描いている。彼は19世紀から20世紀の初めに活躍した潜水士で、洪水が襲ってきたときにウィンチェスター大聖堂の倒壊を防いだことで有名になった。
 約6mの水深の中を、ひとりで太い縄を大聖堂の基礎部分に巻き付ける作業を数週間にわたって取り組んだといわれていて、彼の献身的な努力のおかげで、今もなお大聖堂はそびえたっているそうだ。

 アルバム・タイトルになっている"The Underfall Yard"もまた実在の人物について表現した曲で、リチャード・フォーティーという人の書いた「隠された光景」という本が下敷きになっていた。
 この本では、19世紀のヴィクトリア朝時代に、トンネルや橋、鉄道などの公共施設建設のために尽くした技術者のイサンバード・ブルーネルの事績、特に、リチャード自身も乗車した“グレイト・ウエスト・レイルウェイ”について書かれている。

 BBTは、この本を参考にして、ビクトリア時代の合理精神と現代の混沌とした非合理性の時代を楽曲を通して対比しているようだ。
 それは緩急をつけた動~静~動という曲構成と、メロディアスで耳に馴染みやすい旋律に表れている。

 それに、1曲目と同じように、この曲でもオールキャストの豪華メンバーが演奏に参加している。トロンボーンやチューバ、フレンチ・ホルンのみならず、コルネット、チェロ、シタールを含むまさに"Wall of Sounds"である。

 この曲にはゲスト・ミュージシャンとして、ギターには元イッツ・バイツのフランシス・ダナリーが参加していて、5分前後にはテクニカルなギター・ソロを聞くことができる。
 また、6分過ぎにはシンセサイザーのソロを耳にすることができるが、これはフロスト*のジェム・ゴッドフリーが演奏している。フロスト*については、このブログでも既に述べているので、割愛したい。

 17分30秒過ぎにはメロトロンも奏でられ、大団円に向かっての序章を飾りながら、ここから一気にエンディングに進んでいく。18分過ぎにもシンセ・ソロがあるが、これもジェム・ゴッドフリーが演奏しているのかもしれない。かなり速いパッセージを弾いている。
 その後、徐々に天空を旋回するかのように、キーボードやギターがボーカルと一体になって終局していくのだが、約23分という時間を感じさせない大曲でもある。71olpnajl__sl1281_
 その後、BBTは2枚のスタジオ・アルバムを発表した後、2016年には「フォークロア」というこれまた傑作アルバムを発表した。このアルバムから上記の8人編成のメンバーとして活動を始めている。

 9枚目のスタジオ・アルバムにあたる「フォークロア」には、9曲収められている。BBTは、プログレッシヴ・ロック・バンドにしては1枚当たりのアルバムの曲数は多い方だろう。
 「フォークロア」とは、民間に伝わる説話や言い伝えなどを意味するが、音楽的に言われる、いわゆる“フォーク・ソング”とは無縁である。91mamc5slul__sl1500_
 冒頭のアルバム・タイトルと同名の曲の「フォークロア」では、炉辺での炎の揺らぎを眺めながら昔からの説話をしようと歌われており、このアルバムの方向性を位置付けているようだ。コルネットやトロンボーンでファンファーレを想起させるサウンドで始まり、それぞれの楽器がその役割を果たそうとしている。

 BBTの特徴として、ボーカルと演奏のバランスの良さが挙げられるが、2曲目の"London Plane"では、約10分にわたってその素晴らしさを堪能できる。

 ゆったりとした曲調ながらも、ボーカルに力強さを感じるし、特に5分前から急にテンポが上がり、嵐が来たかのようにハモンド・オルガンやソリスト、フルートなどが順にリードを取っていき、6分50秒くらいからもとの静けさに戻っていく。エンディングに向かう時のリード・ギターの印象度は強いものがあった。

 3曲目の"Along the Ridgeway"と4曲目の"Salisbury Giant"は独立はしているものの、曲間はないし、同じ歌詞が使われているところから、同一テーマを扱っているのだろう。
 イギリス人ならピンとくるのかもしれないけれど、“リッジウェイ”と“ソールズベリー”には地理的、歴史的に見て関連があるのかもしれない。イギリスのストーンヘンジは、ソールズベリーの近くにあるからだ。

 両方の曲には、レイチェルの演奏するバイオリンが重要な役割を果たしている。前半の6分少々の"Along the Ridgeway"では、3分過ぎにギターの代わりにリードを取っていて、次のハモンド・オルガンにつないでいる。
 後半の"Salisbury Giant"では最初から最後まで目立っていて、確かに民間伝承をリスナーに伝えようとしているかのようだ。

 "The Transit of Venus Across the Sun"という長いタイトルの曲では、フレンチ・ホルンが幕開けを告げ、優しいバイオリンの音色がそれに続く。1分33秒後にはギターのアルペジオからボーカルが入っていく。バックにはマリンバの音も聞こえてくる。

 タイトルにもあるように、人類の宇宙への憧れや宇宙旅行を譬えている曲だが、5分過ぎからフレンチ・ホルンなどでいったん盛り上がってまた収縮していく様が見事である。

 BBTは、一つ一つの楽器の使い方に無駄がなく、しかもそれが効果的に使用されているところが他のプログレッシヴ・ロック・バンドと違うところだろう。ホルンがこれほど効果的に使われているプログレッシヴ・ロックの楽曲は、他に例を見ない。

 "Wassail"とは、酒宴や乾杯の時の挨拶を意味する単語のようで、イギリスでは十二夜(イエス・キリストの生誕から12番目の日で、1月6日のこと)に健康や繁栄を願って祝杯を挙げたり、秋の収穫を願いとともに悪霊を退けるために古いリンゴの木の下で宴会を開くという文化があるそうだ。

 曲の中では、フルートの調べからボーカルによる呼び掛けが始まり、何となくトラッドな香りが漂ってきそうだ。後半はギターやキーボード、バイオリンも加わって大掛かりな酒宴を繰り広げているかのようである。

 "Winkie"は8分25秒の曲で、歌詞は7パートに分かれているが、最初はアイリッシュなダンス系の音楽で始まり、パート3から転調されて徐々に展開していく。
 この曲では、第二次世界大戦における遭難したイギリス空軍を救った伝書鳩のことを歌っている。短いキーボード・ソロの後、パート4から音楽的にも歌詞的にもテーマにつながっていく。"Winkie"というのは、この伝書鳩たちの呼び名だろう。

 パート5に入る前に、テンポを落として歌詞を強調する。鳩が空軍のレスキュー部隊の本部に伝言を伝えるために飛び立っていったということを伝え終わると、曲のテンポも元に戻っていく。
 これがパート5と6であり、バイオリンのソロの後、最後のパート7に繋がっていく。個人的には、もう少し膨らませて10分から12分程度の曲にした方がよかったのではないかと思っている。聞き手にとってはイマジネーションを膨らませやすいからだ。

 8曲目の"Brooklands"は、このアルバムの中で一番長い曲で、12分44秒あった。さすがにドラマティックな曲構成で、内容的に自動車レース場やレーシング・ドライバーのことを歌っているせいか、ギターやボーカルが目立っていて、最初から飛ばしている。

 ちなみに、“Brooklands”とは、イギリスのサリー州ウェイブリッジにかつて存在したサーキット兼飛行場で、サーキットはモータースポーツ専用に建設された世界初の常設コースだったそうである。

 4分過ぎから一度おとなしくなり、叙情的な雰囲気が表面を覆ってくるが、6分あたりから再び走り出してくる。この繰り返しで最後まで行くと思っていたのだが、基本はその通りでもリード楽器がギター、キーボード、フルート、バイオリンと、とにかく他のバンドにはない要素を備えているので、聞いてて飽きが来ない。

 9分過ぎにはグランドピアノのソロで、全体を集約させて一気にバンド演奏につながっていくところが、BBTの素晴らしさだろう。メンバーが増えたおかげで、さらにイマジネイティブな印象を与えてくれるようになった。最後はボーカルで締めるところも印象深い。

 最後の曲の"Telling the Bees"は、牧歌的な雰囲気を持った曲で、アコースティック・ギターとボーカルで始まる。前半はアメリカン・テイストの曲で、バイオリンがフィドルのように聞こえてくる。
 中盤のギター・ソロを中心としたアンサンブルが見事で、牧歌的な雰囲気に力強いボーカルが加わり、最終的にはボーカルのリフレインとコーラスで終わる。51gqqi4y5l
 イギリス人には退職後は、養蜂家になるという夢でもあるのだろうか。確かシャーロック・ホームズも引退後は、蜂を育てていたように記憶している。バラや蜂を育てることに、何か憧れみたいなものがあるのかもしれない。

 というわけで、今を生きるプログレッシヴ・ロック・バンドの中では、非常にドラマティックな曲構成を持ったアルバムを制作できるバンドで、ドラマティックということは曲展開のみならず、それを支える演奏力やボーカル力が秀でているということも意味しているだろう。

 こういうバンドがまだ存在しているところに、しかもプログレッシヴ・ロックが生誕した国において意欲的に活動を行い、世界的にも認知されるようになったところが素晴らしい。4c169123d3fb41e7b43a91afc842cfc9
 本人たちはどう思っているかはわからないけれど、1960年代末から続くプログレッシヴ・ロックのDNAは、未だ途切れることはないようだ。

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2017年12月 4日 (月)

YOSO

 いよいよ12月。1年の締めくくりの月である。締めくくりといえば、やはりプログレッシヴ・ロックだろう。今年聞いたプログレッシヴ・ロックのアルバムを紹介するのに、年末はふさわしいと勝手に思っている。この思い込みというか、わがままというか、自己欺瞞こそがこのブログにはふさわしい。どうせ誰も気にしていないのなら、自分の気持ちに素直に生きた方が自分的にすっきりするのだった。

 それで第1回は、元イエスのメンバーで結成されたYOSOの登場である。実はこのバンドについては、今年2月のサーカのところでやや詳しく述べているのだが、楽曲についてはその時はまだ未聴だった。それで、今回やっと紹介できるところまで聞きこむことができたところだ。

 YOSOは、元イエスのトニー・ケイとビリー・シャーウッド、元TOTOのボーカル担当だったボビー・キンボールの3人で結成された。2009年頃のお話である。
 バンド名も、YESとTOTOが合体したようなネーミングになっているし、アルバムに収められていた曲も、作曲はビリー・シャーウッドが、作詞をボビー・キンボールが受け持っていた。Z321000451
 以前にも同じようなことを書いていたと思うけれど、ビリー・シャーウッドは、1991年にイエスのアルバム「ユニオン」にサポート・メンバーとして参加した。この時のイエスはいわゆる“8人編成イエス”で、クリス・スクワイアのいたオリジナルのイエスとトレヴァー・ラビンの90125イエスが和解し、合体したものだった。

 詳細は省くけれど、実際のレコーディングは8人そろって制作したものではなかったが、その後のツアーでは8人がそろってステージに立っている。もちろんすべてはギャラのおかげだったが、それでもファンにとっては、うれしかったし有り難かった。

 だんだん話がそれてきたので、YOSOに戻すことにする。とにかく、ビリーの功績は大きくて、特に、クリス・スクワイアは同じ楽器を演奏するということで親近感を覚えたのか、その後も一緒にアルバムを作るなど、長く親交を続けるようになっていった。

 ビリーがそれだけ信頼されるようになったのも、それなりの才能を備えていたからである。曲も書けて歌も歌えるし、さらにマルチ・ミュージシャンでもあった。
 しかもプロデュースやミキシングの能力もあったのだから、これはもう重宝というか引っ張りだこになっても当然だろう。

 様々なミュージシャンとの交流や親交を経験しながら、ビリーは2006年にサーカを結成して、コンスタントにアルバムを発表し続けている。
 サーカのオリジナル・メンバーには、ビリーとトニー・ケイ、アラン・ホワイトがいた。当時は本家のイエスが活動休止状態だったからで、アラン・ホワイトも参加できたわけだが、のちに彼は、バンドを離れている。本家イエスが活動を始めたからだ。

 このブログ内の「サーカ」のところでも述べたのだけれど、彼らの最大の弱点はボーカルが弱いところと、印象的なフレーズに乏しい点だった。ビリーは器用で、楽器は何でも扱うことができたものの、際立って目立つところがなかった。器用貧乏ということだろうか。

 そのボーカル部分を補おうとしたのか、「アビー・ロード;トリビュート・トゥ・ザ・ビートルズ」というアルバム制作時に、ビリーとボビーが知り合ったことをきっかけに、このバンドが生まれたのである。

 本来ならサーカに誘えばよかったのだろう。もちろん、ビリーの頭の中には最初はその予定はあったようだ。なぜなら2009年のサーカのイタリア・ツアーからはボビーが参加する予定で活動が計画されていたからである。
 実際は、イタリア・ツアーはキャンセルされたものの、それ以降のツアーには参加していた。そして、ボビー自身も次のようなコメントを残している。

 『YOSOの将来についての予測は難しい。ただ、今後も何かできるような手応えだけは掴んでいるよ。自分としては、YOSOの活動を継続して、より多くのファンに音楽をエンジョイしてもらいたい。今はそんな気持ちでいっぱいさ』

 だから、あくまでも本来はメイン・ボーカリストとしてボビーに歌ってもらい、ビリーは作曲や演奏に集中したかったのだろう。そしてボビーとのコラボレーションを通して生まれた“何か”を自分たちの今後の将来に活かしていこうと思ったに違いない。

 このことは、その後の展開によって証明されている。サーカは2009年から2011年まではアルバムを発表していなくて、2016年にニュー・アルバムを発表した。そして活動は今でも続いている。一方、YOSOの方は2011年に解散していて、この1枚のアルバムで終わってしまった。

 ちなみに、このYOSOアルバムにはサーカのドラマーのスコット・コーナーや、サーカに一時的に在籍していたギタリストのジョニー・ブルーンズも参加していた。こうなると、どちらがサーカで、どちらがYOSOか分からなくなってくる。ボビーがいるかいないかの違いではないか。

 だから、ビリーとしては、この時期には、あくまでもサーカを中心としてバンド活動をしていたのだ。もしボビーとのコラボがうまくいっていれば、サーカの方が自然消滅して、YOSOの方が実績を積むようになっていったに違いない。

 なぜ、YOSOが解散したのかはよくわからないが、こうやって見てくると、やはりボビーがバンドに合わなかったからだろう。よくあるミュージシャン同士のエゴというやつかもしれない。
 元々、ボビーにはドラッグ癖やアルコール依存症のようなところがあって、それが原因でTOTOを首になったという話もあるくらいだ。

 それにビリー自身もある程度は歌えるので、ボビー抜きでもやっていけそうだという自信も生まれてきたのかもしれない。

 結局、YOSOとしての活動は3年余りで終わってしまった。人によっては、もともとYOSOはサーカから生まれたサイド・プロジェクトとか、ビリーの個人的なグループという見方をする場合もあるが、それは少し違うと思っている。うまくいくのであれば、ボビーも入れて活動を続けていただろう。

 それで2010年7月に発表された彼らのデビュー・アルバム「エレメンツ」には、彼らの音楽的ルーツにあたるようなサウンドが封じ込まれている。51froxno9xl
 自分の予想では、やはり元TOTOのメンバーもいるということもあって、ポップス系な聞きやすい音楽だと考えていた。

 時間も3分から4分程度で、たとえばアラン・パーソンズ・プロジェクトのようなポップで耳に馴染みやすく、そのくせ雰囲気的には十分プログレッシヴ・ロックしているような、そんなアルバムを予想していたのである。

 そして実際にアルバムを聞いてみると、予想通りというか想定の範囲内というか、TOTOのポップネスさの上に、少しだけプログレッシヴ・ロックというおかずをふりかけたような、そんなアルバムに仕上げられていた。

 そして、時間的にもそんなに長くはなくて、それはTOTOの延長線上にあると思えたが、演奏に関しては、アルバム後半に進むにしたがって、確かにTOTOよりはイエスっぽい部分の方が発揮されているように思えた。

 国内盤では2枚組になっていて、1枚目は通常のスタジオ盤で、もう1枚はライブ盤だった。両盤とも12曲ずつ収められている。

 アルバム冒頭は、バンド名と同じ"YOSO"という曲で、“心の旅は結果を恐れずに始まる、親しんだ道を再び渡って時間は巻き戻る”という一種の決意表明のような曲だ。雰囲気的にはTOTOの曲のようだった。

 2曲目は、ミディアムテンポの"Path to Your Heart"という曲で、これもTOTOの曲といっても納得してしまうような雰囲気を湛えている。中間部とエンディングのギター・ソロは結構速くて、意外な気がした。

 "Where You'll Stay"はアコースティック・ギターで始まるバラード・タイプの曲で、爽やかな印象を与えてくれる。よくできたAORサウンドで、ヒット性は高いと思う。ただ、プログレッシヴ・ロックとは言い難い。

 イントロなしで、いきなりコーラスで始まるのが"Walk Away"という曲。これまたメロディアスで、ミディアム・テンポに仕上げられていて、サーカの中にある曲よりもよくできていると思った。こういう曲は、90125イエスの得意分野ではないだろうか。

 "The New Revolution"では、ボビーのボーカルのうまさを味わうことができる。こういうアップ・テンポのハードな曲でも歌いこなせてしまうのが、ボビーの巧みさというところだろう。この時、ボビーは63歳。還暦を過ぎた人の声とは思えないほど伸びがある。

 イントロのギターが歌謡曲っぽくて仰々しいのが"To Seek the Truth"で、日本人にとっては、こういうスローなメロディラインには、ついつい涙腺が緩んでしまう。また、中間のギター・ソロもまた何となくゲイリー・ムーアの曲のように、艶やかで印象的でもある。

 "Only One"という曲も3分41秒と短いのだが、ベース音が強調されていて、YOSO風にアレンジされたR&Bのようだ。こういう感じの曲は、本家イエスには無縁だろう。でも、90125イエスにとっては、馴染みがありそうな作風である。

 その90125イエスがやりそうな楽曲が、"Close the Curtain"ではないだろうか。ただ、ボビーは歌い過ぎである。全体を通してもボビーのボーカルは目立っていて、専任のボーカリストだからそれはそれで仕方ないのだろうが、もうちょっとバックの演奏が目立ってもいいような気がした。

 この曲では中間部でのギター・ソロが左右に振れていて、右スピーカーや左スピーカーから交互に聞こえてくる。それにしてもビリー・シャーウッドのギター・テクニックも大したものだと改めて認識させられた。

 "Won't End Tonight"もテンポのよいボーカル主体の曲で、リズムにはキレがあり、ギターの音もクリアでエッジが効いている。何故か途中でハーモニカが使用されているのだが、これは目先を変えようとしたのだろう。でも、要らないと思った。その分、もっとギター・ソロかトニー・ケイのキーボードを聞かせてほしいと感じた。

 10曲目の"Come This Far"では、他の曲とは違ってトニー・ケイも頑張っているようだ。曲調としては本家イエスに近い。オルガンではなくて、シンセサイザー類を使用している点が珍しいと同時に、、テクノロジーの発展に伴って、多様なキーボード群に馴染んできたようだ。これを70年代から行っていれば、リック・ウェイクマンに取って代わられることはなかったのにと思ってしまった。

 "Time to Get Up"はそのタイトル通りの曲で、思わず起き上がってしまうようなノリのよい曲で、1曲目の"YOSO"や9曲目の"Won't End Tonight"と似たようなアレンジが施されている。この曲も3分台だが、90125イエスにも負けないようなパワフルさを備えている。

 ベースはアタック音の強さからして、たぶんリッケンバッカーだろう。また、珍しくオルガン・ソロとギター・ソロが配置されていて、ファンならもう少し長く聞かせてほしいとねだるに違いない。ライヴでは映える曲だと思う。

 最後の曲"Return to Yesterday"は7分19秒と、アルバムの中では一番長い曲で、本家イエスを彷彿とさせる曲構成になっている。
 最初はスローでアコースティックな雰囲気から始まり、徐々に音が絡み合っていく。イエスの楽曲の特徴の一つに、曲構成は複雑だがメロディ自体はポップで分かりやすいという点が挙げられるが、この曲もまた同じような傾向を備えている。

 3分50秒過ぎと5分過ぎからエフェクティヴなギター・ソロが入るが、その前後のコーラス部分は素朴で牧歌的でもある。そしてエンディングに向かって再びアコースティック・ギターがメインに出てくるのだが、もう少し複雑な構成にしてもいいのではないかとも思った。

 このYOSOというバンドは、ビリーのバンドということがよくわかる。ボビーも歌いまくってはいるのだが、それはビリーと話し合って決めていたのだろう。
 そして、何度も言うけれども、もう少しトニー・ケイのキーボード・ソロを聞きたかった。ビリーのギターと比較すると、圧倒的にその存在感は薄いのである。

 どうしたトニーと言いたくなってしまうのだが、そういう存在感の薄さが、逆に言えば、トニー・ケイというキーボーディストの在り様を決定づけているのかもしれない。確かにボーカリストやギタリストからすれば、的確に演奏できてしかも自分より目立たない方がありがたいに違いない。

 ディスク2はライヴ音源である。バンド結成してまだ日が浅いせいか、YOSOのデビュー・アルバムの「エレメンツ」(このアルバムのディスク1のこと)から演奏されているのは、3曲のみである。("YOSO"、"Walk Away"、"To Seek the Truth")Mi0003133946
 あとはTOTOの曲が"Rosanna"、"Good for You"、"Hold the Line"、"Gift with A Golden Gun"、"White Sister"の5曲、イエス本家の曲が"Roundabout"と"Yes Medley"で、"Yes Medley"には、"Yours is No Disgrace"、"Heart of the Sunrise"、"South Side of the Sky"、"Starship Trooper"、"I've Seen All Good People"が含まれていた。

 ライヴのベース音はクリス・スクワイアそっくりだし、リズムのキレについては、現在の本家イエスよりは格段に優れている。
 また、ボビー・キンボールのボーカルについても意外と高音が出せていた。ジョン・アンダーソンと比べることはあまり意味がないけれど、これはこれで聞き応えはあると思う。

 90125イエスでは、"Owner of A Lonely Heart"と"Cinema"の2曲が収録されている。特筆すべきは、ライヴではトニー・ケイのキーボード類が活躍している点だろう。

 いくらビリーがマルチ・ミュージシャンだといっても、ステージ上ではひとりで何でもできるわけではない。ギター・ソロの時はバックで全体を支え、必要な時はいつものようにオルガンを中心にエレクトリック・ピアノなどで貢献していたトニー・ケイである。この辺はさすがベテラン・ミュージシャンというべきだろう。自分の役割をしっかりと自覚できているようだ。

 しかし、デビュー・アルバムのボーナスCDとしてライヴが丸々一本分収録されているというのも珍しい。しかも2800円という価格である。自分は中古品だったので、その半分くらいの価格で手に入れることができた。本当にお得感満載なアルバムである。

 そんなことはともかく、YOSOは、わずか3年程度しか存在しなかったバンドだった。イエス関連でいえば傍流というか、ある意味、異色な存在だったのかもしれない。
 しかし、ビリーの頭の中には、ある時点までは、このバンドで行こうと思っていたに違いない。プログレッシヴ・ロックの本流についてはサーカで、ポップなプログレッシヴ・ロック風な楽曲はYOSOで、と使い分けることも考えていただろう。

 様々な事情でわずか3年程度で終わったバンドだったが、その演奏技術の高さや熟練したボーカリゼーションなどは、確かにイエスの遺伝子を受け継ぐに値するバンドだったと思っている。

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2017年4月24日 (月)

ARWのライヴ・レポート

 日頃の行いがよいせいか、念願かなってARWのチケットを手に入れることができて、ライヴを見に行った。
 やってきたのは広島にあるライヴハウスのクラブクアトロだった。キャパが約700名ということで、ビッグ・ネームのミュージシャンにしてはかなり小さな場所になると思う。

 ARWといえば、プログレッシヴ・ロックのファンならすぐにわかると思うけれど、ジョン・アンダーソンとリック・ウェイクマン、それにトレヴァー・ラビンのことを指していて、彼らの名前の頭文字をとっている。Arwlive

 要するに、元イエスのメンバーである。ただ、現在の本家イエスには、オリジナル・メンバーは誰もいなくなってしまった。唯一のオリジナル・メンバーだったクリス・スクワイアが2015年に亡くなったからで、今はギタリストのスティーヴ・ハウが実質的なリーダーとしてバンドを率いているようだ。

 ジョンは本家イエスについてどう思っているのかわからないけれど、来日公演の直前にバンド名が、“アンダーソン、ラビン&ウェイクマン”から“イエス・フィーチャリング・ジョン・アンダーソン、トレヴァー・ラビン、リック・ウェイクマン”に変更になった。

 ということは、ジョンはこのバンドこそがイエスだと思っていることだろう。名前の変更について、ジョンはこう述べている。「それはファンも私たちも望んでいることだ。私たちには、その名目を使う権利がある。イエスの音楽は私たちのDNAの中にあるんだ」

 まさにその通りで、イエスの代表曲、特に70年代の全盛期の曲に関わっていたのは間違いのないことだし、パンク/ニュー・ウェイヴの洗礼から抜け出し、全米No.1のヒット曲を出した80年代前半においても、ジョンはまだ在籍していたからだ。

 それに、このメンバーでのライヴは2016年の10月からアメリカのフロリダから始まっていたが、そのツアー・タイトルは“An Evening of Yes Music and More”と銘打たれていた。もうこれは完全にイエスの音楽であり、1991年の8人編成で行われた「ユニオン・ツアー」の違う意味での再現だろう。

 アメリカや東京の渋谷で行われたライヴ・レポートなどがネットに挙げられているので、詳細を知りたい人はそちらをご覧になっていただくとして、ここからはあくまでも自分の個人的な意見や感想として綴っていきたい。

 こんな小さなライヴハウスになったのは何故かはわからないけれど、たぶんこのメンバーで新作が発表されていないからではないか。
 もしニュー・アルバム発表後なら、プロモーター側ももう少し大きな会場を用意したのではないだろうかなどと、勝手なことを考えたりもした。ただ、インターネットを見ると、アメリカではもう少し大きなホールなどでやっていた。

 もしくは、小さなライヴハウスから大きなホールまで、規模を変えながら演奏したいというミュージシャン側の意向があったのかもしれない。東京では約2000名、大阪や名古屋でも1000名以上のホールだった。広島だけ小さかった。 

 入場開始は午後4時、開演は午後5時ということで、普通のライブよりはかなり早い。確かに"An Evening Of Yes Music"というタイトルに相応しいと言える。

 うがった見方をすれば、ジョンももう72歳だし、高齢化したせいかとも思ったのだが、他の会場ではすべて午後7時開演だったので、広島だけこれも早かった。高齢化ではなくて、早く終わらせて、お好み焼きでも食べに出たかったのかもしれない。

 演奏はほぼ定刻の午後5時3分ごろ始まった。正確なセットリストは覚えていないので、何とも言えないのだが、だいたい次の通りだと思う。

1.Cinema
2.Perpetual Change
3.Hold On
4.I've Seen All Good People
5.And You And I
6.Rhythm of Love
7.Heart of the Sunrise
8.Changes
9.Awaken
10.Owner of A Lonely Heart
[encore]
   Roundabout

 こうしてみると、70年代の黄金期の曲と80年代の90125イエスの曲が、ほぼ半分だった。トレヴァー・ラビンが参加していることから80年代の曲も当然演奏されるだろうとは思っていたが、ここまで平等とは思わなかった。71cre2wuil__sl1500_
 トレヴァー・ラビンやリック・ウェイクマンは普通に登場してきたが、ジョンは小躍りしながら登場してきて、さすが誇大妄想型ミュージシャンだと思った。とにかく、楽しくて楽しくてたまらないという印象があった。

 リック・ウェイクマンは、黒っぽい生地に銀色のスパンコールみたいなものをつけたマントを身に着けていて、時代錯誤のように70年代に浸っていた。
 しかし、このショーマンシップというか、パブリック・イメージに徹する態度はさすがである。自分を客観的に見ることができているのであろう。“キーボードの魔術師”は、年をとっても魔術師だったのだ。

 "Perpetual Change"の時のジョンの声は、低音がややかすれていたが、高音の伸びは素晴らしく、ほとんど衰えを感じさせなかった。よほどヴォイス・トレーニングがきちんとできているのだろう。

 "And You And I"や"Heart of the Sunrise"の時も、高音の部分はどうなるのだろうかとハラハラしながら聞いていたのだが、ほとんど問題なかった。さすがベテラン、声の衰えはテクニックでカバーしていた。

 ジョンは日本の童謡が好きなようで、“どんぐりころころ”や“ぞうさん”を歌うらしいのだが、広島では“ぞうさん”の出だしを歌っていた。"And You And I"の前だっただろうか、よく覚えていないが、確かに歌ったのである。

 "I've Seen All Good People"の時のトレヴァー・ラビンは、最初はアコースティックで、後はエレクトリック・ギターを使用していたが、"And You And I"ではエレクトリック・ギター一本で通していて、中盤のアレンジもギターを使用して工夫していた。

 彼はエネルギッシュにギターを弾きまくっていて、速弾きもスローな部分も見事だった。バンドリーダーみたいに、演奏面ではバンド全体を引っ張っていたと思う。

 90125イエスの曲は当然だが、70年代の曲まで自分の曲のように弾きまくっていた。さすがイエスに引き抜かれただけある。曲も書けて演奏も一流だし、プロデューサーもできるマルチ・ミュージシャンの片鱗が伺われた。

 アルバム「究極」の後半部分を使っていた"Awaken"については、ほぼ完璧に再現していた。ジョンもハープを使用してアルバムの雰囲気を再現していたし、リックもパイプ・オルガン風のキーボードを使っていた。それにジョンも気合が入っているのか、声にもますます艶が出ているように思えた。

 最後の"Owner of A Lonely Heart"では、当然盛り上がってしまい、観客と一体になって、小さな会場がますます狭くなったような気がした。
 そして曲の終わりは、ほとんどジャム・セッション風になってしまい、リックはショルダーキー・ボードをぶら下げてステージ中央まで来るし、ついにはクリームの"Sunshine of Your Love"やクラプトンの"Crossroads"のワン・フレーズも出てきて、大いに盛り上がったのである。

 1000名以上の大きなホールでは、ここでトレヴァー・ラビンやリック・ウェイクマンが下のフロアまで降りてきて、まるでザ・ヴェンチャーズのように観客とスキンシップを行うらしいのだが、クアトロは人で密集していたので、それはできなかったようだ。

 アンコールは予想通りの"Roundabout"だったが、できればもう1曲くらい"Love Will Find A Way"か"Starship Trooper"をやってほしかった。

 時間的にはライヴハウスのせいか、約90分少々というスケールだった。アメリカやイギリスではABWHの曲"The Meeting"や、アルバム「閃光」の中の"Lift Me Up"なども演奏していたようだが、広島では残念ながら、聞くことはできなかった。だから他の会場では、約2時間のライヴになったようだ。

 サポート・メンバーとして、ベーシストはイアン・ホーナルという人で、クリス・スクワイアのようにリッケンバッカーを使用していた(途中フェンダー・プレシジョン・ベースに替えていたところもあった)

 ドラマーのルイ・モリノⅢは、トレヴァー・ラビンやYOSO(ビリー・シャーウッドやトニー・ケイ)と一緒にプレイしていた人で、イエス人脈の中に位置付けられているようだ。"And You And I"のときのウィンドチャイムをおどけて叩いていたのが忘れられない。

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 とにかく生きているジョン・アンダーソンと一緒に口ずさむことができてよかった。多分もう二度とないだろう。ジョンも次にいつ来日公演に来るかはわからないし、果たしてバンド自体が存続しているかどうかも分からない。

 何しろジョンのことだから、今までのキャリからして、いつどうなるかはわからないのだ。ひょっとしたら、スティーヴ・ハウズ・イエスに加入するかもしれないし、再び“8人編成”イエスになるかわからない。

 ただたとえどうなろうとも、この日のことは、人生最高の思い出の一つとして忘れないだろう。広島まで行って本当によかったと思っている。

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2017年3月 6日 (月)

追悼;グレッグ・レイク

 昨年の12月7日、グレッグ・レイクが亡くなった。まだ69歳だった。彼もジョン・ウェットンと同じように、癌で長い間闘病中だったそうだ。彼の死亡について、まだ追悼記事を書いていなかったので、今回、彼の活動歴を記すことで、あらためて彼の冥福を祈りたい。08greglake_w1200_h630
 グレッグ・レイクは1948年11月10日に、イギリスのボーンマスで生まれた。12歳頃からギターを弾き始め、すぐにバンド活動を行うようになった。

 1967年に、友だちのリー・カースレイクに誘われて、ゴッズというバンドに加入した。そのバンドには、ケン・ヘンズレーというキーボード・プレイヤーがいて、リーとケンはのちにユーライア・ヒープというハード・ロック・バンドを結成している。

 ちなみに、このゴッズの初代ギタリストは、のちにローリング・ストーンズでも活躍したミック・テイラーだった。今から考えればスーパー・バンドだったといえるかもしれないが、当時は、誰もそんな有名人を輩出するバンドだとは思っていなかったに違いない。

 ゴッズはレーベル契約し、アルバム録音を始めようとした矢先に、グレッグはバンドを脱退している。
 理由は、同郷の友人であるロバート・フリップに誘われたからで、ジャイルズ・ジャイルズ&フリップにボーカル&ギタリストとして参加して、やがてこれがキング・クリムゾンに発展していった。

 キング・クリムゾンは1968年に結成され、翌年、歴史的な大傑作アルバム「クリムゾン・キングの宮殿」を発表し、バンドはアメリカ・ツアーに出発した。Fd3b5248c1cf337aeedda8a72d559b8570c
 アメリカ・ツアー中にナイスと一緒になり、グレッグはナイスのキーボーディストだったキース・エマーソンと意気投合して、バンド結成を考えるようになった。

 やはり、プロのミュージシャンならば、いつかは自分のバンドを持つか、あるいは自分自身の手によってコントロールされた活動を望むようになるのだろう。
 幼馴染とはいえ、いつまでもロバート・フリップなどによって指図されたくなかったのではないだろうか。

 グレッグ・レイクは自意識が強く、またプライドも高かったようで、常に自分が前に出ないと気が済まない性格だった。
 実際は、作曲や編曲、制作面の実権はキース・エマーソンが行っていたにもかかわらず、クレジットでは、プロデュースド・バイ・グレッグ・レイクとなっていた。キースがグレッグに対して配慮していたのである。そうしないと、バンド運営が困難になるからだった。

 グレッグは、ロバート・フリップにも声をかけ、エマーソン、レイク、パーマー&フリップを結成するつもりだったが、ロバートが直前になって回避したため、結局、E,L&Pとして活動を始めたのである。Elp
 彼ら3人組は、約10年間で10枚のアルバムを発表した後に、1979年に解散してしまった。グレッグは、ソロ活動を開始し、ゲイリー・ムーアやスティーヴ・ルカサー等をゲスト・ミュージシャンに迎えて、ソロ・アルバムを発表した。

 1983年には一時、エイジアに加わるものの、すぐに脱退して、1985年にはキース・エマーソンとコージー・パウエルとともに、エマーソン、レイク&パウエルを結成し、アルバムを発表した。ただ、このバンドは長続きせず、アルバム1枚だけで解散してしまった。

 本当はもう少し長く続けるつもりだったのだが、ツアー時の費用がかかりすぎてしまい、セカンド・アルバム録音用にとっておいた予算まで使ってしまったらしい。

 ツアーの途中で続けるかどうかバンド内で協議したらしいのだが、グレッグが執拗に継続を主張したため、結局、最後までツアーを続けたということだった。長期的な展望に立つこともなく、目先の利益を追求したということだろう。

 1987年にはE,L&Pの再結成リハーサルが行われたが、何故かグレッグは元エイジアのジェフ・ダウンズとライド・ザ・タイガーというバンドを結成した。ところが、今度はジェフがエイジアの再結成に参加したため、このバンドも途中で空中分解してしまった。

 1992年になって機が熟したのか、やっとE,L&Pの再結成が行われ、「ブラック・ムーン」や「ライヴ・アット・ロイヤル・アルバート・ホール」、「イン・ザ・ホット・シート」と3枚のアルバムを発表している。

 21世紀に入ると、リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドに参加して、あの有名なクリムゾンの"The Court of the Crimson King"などを歌っていた。ちょっと微妙な気がするが、それでもオリジナル・メンバーだった人のボーカルなのだから、居合わせた人はラッキーだっただろう。今となっては、生ではもう二度と聞くことはできないのだから。

 その後は、グレッグ・レイク・バンドを結成して、ツアー活動を出向いたり、チャリティー活動を行っていたが、2010年には、キース・エマーソンと“エマーソン&レイク”を結成して、アコースティック・ライヴ活動を行っている。Greglake_2
 同年にはE,L&P結成40周年記念ということで、ロンドンで行われた“ハイ・ヴォルテージ・フェスティバル”で一度限りの再再結成を行った。このライヴの模様は、CDやDVDとしてのちに発表されている。

 その後のグレッグは、2013年までソロ・ツアーを続けた。そこでは、クリムゾンやE,L&Pの歌だけではなく、自分が子どもの頃に好きだったエルヴィス・プレスリーの曲や、この世界に足を踏み入れるきっかけにもなった好きなミュージシャンの曲なども歌っていたという。

 キース・エマーソンの言葉を借りれば、E,L&Pはお互いのエゴのぶつかり合いが激しくて、その微妙なバランスの上に成り立っていたようだ。キース・エマーソンは作曲に没頭していて、それ以外のことにはなるべく口を出さなかったらしい。

 だから楽曲のクレジットもなるべく3人が公平になるように図らった。ステージでは、キースのピアノがせり出して回転するようになれば、カールのドラム・セットも空中に浮遊し、回転するように演出した。

 スタジオでは、マスタリングの際に、カールとグレッグは自分のパートの音量が残りの2人の音量より低いと文句を言って、それぞれがボリューム・レベルを最大限まで上げようとした。
 最後は、3人とも自分の音量があとの2人以上になるようにフェーダーを上げ続けたのだが、最終的には、エンジニアが逆にマスターの音量を下げざるをえなかったといわれている。

 そんなエゴイストのグレッグが、これまたエゴ・ギタリストと組んだアルバムが1981年の「グレッグ・レイク&ゲイリー・ムーア」だった。1075143
 このアルバムは結構好評で、各国で好意的に迎えられた。時流はNWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル)だったから、この手の音楽も受け入れられやすかったのだろう。
 と同時に、80年代に入ってもグレッグの奥行きのあるテノール・ボーカルを聞くことができるというファン心理も背景にあったのかもしれない。

 とにかく、冒頭の"Nuclear Attack"や途中の"Long Goodbye"など、ゲイリー・ムーアのギターがフィーチャーされているからメタル・ファンにとっても聞き逃せないだろうし、逆にバラード調の"It Hurts"などは、グレッグのボーカルの特徴がよく出ていて、昔からのファンは涙したに違いない。

 グレッグ・レイクとゲイリー・ムーアのことだから、この1枚で終わってしまうだろうと思っていたのだが、何と2年後には2枚目のコラボレーションのアルバム「マヌーヴァーズ」を発表した。

 ただ“柳の下の二匹目の泥鰌”の言葉通りに、このアルバムはコケてしまった。内容的に散漫な印象が残ったのだろう。エイジア風の曲もあれば、AOR風な曲やゲイリー・ムーアがフィーチャーされたヘヴィ・メタルのような曲もあって、リスナーとしても戸惑ったようだ。Fc2blog_20141206072933ebc
 グレッグ・レイクのソロ・スタジオ・アルバムは、結局、この2枚だけになってしまった。結構、芸歴は長かったのだが、たった2枚とは少ない気がしてならない。

 要するにこの人は、他の人をライバル視することで自分を高めていこうというミュージシャンだったようだ。

 自分自身の表現活動がボーカルとベース・ギターだけになることを嫌ってクリムゾンを去ったが、新しいバンドでは、他の2人と競い合いながらも自分の表現欲求を満たすことができたようだった。もちろん、キース・エマーソンの寛大な思いやりがあったからだが、果たしてグレッグは、それに気づいていたかどうかは、定かではない。

 ソロ活動では十分な成果を出せなかったし、期待にも応えられなかったことが原因になったからだろう。結成40周年記念を祝うなど、最後までE,L&Pに固執していたことは間違いないはずだ。

 そのE,L&Pのうち、“E”と“L”はあの世に行ってしまった。きっと2人でアコースティック・セッションを繰り広げているだろう。アコースティックとはいえ、きっとお互いのスピーカーの音量のことでもめているに違いない。

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2017年2月27日 (月)

サーカ(2)

 Yosoというバンドは長続きしなかったが、それでも3年間近く活動し、1枚だけアルバムを残している。「エレメンツ」という名前のアルバムで、これは今でもアマゾン等で手に入れることができる。

 基本的にYosoは、2009年当時のサーカにボビー・キンボールが参加したもので、専任のボーカリストが入ったおかげで、ビリーは演奏に集中できるようになり、バンドとしてもまとまっていった。Yoso_band

 当時の彼らのライヴでは、TOTOの"Rosanna"や"Hold the Line"、イエスの"Owner of A Lonely Heart"や"Roundabout"、メドレー形式での"Yours is No Disgrace"や"Heart of the Sunrise"などもYosoのオリジナル曲と一緒に演奏されていて、それらはライヴ・アルバムとしても発表されていたようだ。自分は聞いていないので、近いうちに購入しようと思っている。

 ボビーのドラッグ癖や酒癖の悪さは昔から定評があったようで、だいたいあんなに売れていたTOTOを辞めたのも、辞めたというよりは首になったといった方が正しかった。

 結局、2011年にはサーカの再活動を始めたのだが、その時はギタリストとドラマーが不在だったので、ビリーがキーボードを除くすべての楽器を演奏した。そうしてつくりあげたのがバンドとして3枚目の「アンド・ソウ・オン」だった。

 このアルバムのジャケットには写真が掲載されていたが、それにはビリー・シャーウッドとトニー・ケイしか写っていなかった。要するに、バンドというよりは、2人のプロジェクトになっていったようだ。

 アルバムは全9曲で、1曲目のアルバム・タイトル曲からイエスっぽい雰囲気を漂わせている。61a62um7tl
 こうやってイエスの二番煎じ的なバンドの曲を聞いていると、逆に本家のイエスがどういう音楽性を持っているのかがよくわかるというものだ。

 結局、イエスの特徴は
①緩急つけた複雑でドラマティックな曲展開
②プログレにはおよそ似つかわしくないハーモニー・コーラス
③聞かせどころを押さえたそれぞれの楽器のソロ・プレイ
④アタックの効いたハードなベース音と硬質なドラム・サウンド
⑤効果的なアコースティック&スティール・ギターの使用
⑥多種多彩なキーボードの使用
⑦複雑な曲の中にも分かりやすいメロディー・ラインを含む
 等だろう。
 
 このアルバムでもビリーの演奏するベース・ギターはクリス・スクワイヤの演奏にそっくりだし、1曲目は9分弱、7曲目のややスローなイントロから徐々に盛り上がっていく曲"True Progress"も7分弱もある。途中でアコースティック・パートを挿入するあたりも本家イエスを踏襲しているようだ。

 3曲目の"'Til We Get There"では、アコースティック・ギターが導入されて牧歌的なイントロからやがてアップテンポになり、モダンな雰囲気に変わっている。こういう曲をイエス・ファンは待っているのではないだろうか。曲時間も6分35秒あった。

 4曲目の"Notorious"も素朴で分かりやすいメロディーラインを持っていて、清涼剤的な役割を持っている。こういう曲が収められている点でも、サーカは1st、2ndアルバムよりは進化してきたといえるだろう。

 サーカ的ミディアム・ハード・ロックが"Half Way Home"だ。ここではビリーの弾くエレクトリック・ギターが炸裂している。ただところどころにコーラスがついている点が、純粋な意味でのハード・ロックとは異なってくる。この辺がイエス・ファミリーのいいところではないだろうか。

 "In My Sky"はアコースティック・ギター弾き語りのバラードで、ジョン・アンダーソンが歌ったらもっと印象的になるだろうと思ってしまった。

 このサーカの弱点は3つあって、一つはボーカルの弱さだろう。せっかくの申し分のない曲が印象薄になっているのも、ボーカルが弱いからだ。そういう意味では、専任のボーカリストを入れたYosoもアイデアとしては悪くなかったと思う。

 ただ、ボビー・キンボールではポップネスさが表に出てしまって、プログレ色が薄くなってしまうと思うのだがどうだろうか。それを確かめるためにも、Yosoのアルバムは手に入れた方がいいと思っている。

 2つ目は、トニー・ケイのソロ・プレイだ。基本的にこの人はオルガニストなので、ハモンド・オルガンのソロ・プレイは素晴らしいが、それ以外のソロはほとんど稀である。このアルバムの最後の曲"Life's Offering"は10分以上もあるのだが、それでもオルガンを弾いていた。イエスでなぜリック・ウェイクマンが重宝されているかがよくわかると思う。3334
 ところで、このアルバムには「オーヴァーフロウ」というミニ・アルバム、といっても7曲40分以上もあるものが付属していて、2枚組になっていた。
 これは彼らの1stと2ndアルバムのアウトテイク集のようだ。それにしてもよくできていて、オリジナル・アルバムに収録されなかったのが不思議なくらいだった。

 このアルバムの曲は4分、5分台の曲が多いことから、どちらかというとポップな傾向が強かった。おそらくは曲の傾向と時間的な問題から、オリジナル・アルバムには収録されなかったのだろう。

 アルバムを発表するごとに、徐々にイエス色が薄れていき、ポップで耳に残りやすいメロディーを含む曲が増えていった。だからこの3枚目のアルバム「アンド・ソウ・オン」はなかなかの良盤だと思っている。

 3枚目のアルバムから約5年後、彼らは「ヴァレー・オブ・ザ・ウィンドミル~風車の谷の物語」というアルバムを発表した。
 このアルバムでは、前回までのポップな要素をやや削ぎ落として、プログレッシヴ・ロックの王道的なサウンドに回帰していた。

 全4曲(国内盤ではボーナス・トラック付きの5曲)で、最も短い曲で7分32秒、最も長い曲で18分43秒だった。4曲合計で50分20秒である。本家のイエスを凌ぐ容量だ。さすがビリー&トニーである。
 しかもこのアルバムでは、バンド編成になっていて、ベーシストとドラマーが新たにクレジットされていた。

 このアルバムでも、さすがにトニーは他のキーボードも演奏しているようだが、基本はオルガンを弾いている。また、如何せんボーカルの線が弱いのもネックのままだった。クリス・レインボウのような専任ボーカリストを入れればいいのに、といつも思ってしまう。

 それから彼らの弱点の3つ目を言い忘れていたけれども、それはギター・ソロが目立たない点である。長厚重大な曲の中に埋もれてしまっていて、せっかくのギター・ソロが目立たないのである。

 せめてソロ・プレイの時にはもう少しバックにおとなしくしてもらうとか、ギターにエフェクトを効かせるとか、あるいは際立って速いパッセージを弾くとか、何か工夫がほしいのだ。51emnfwijml

 このアルバムではボーカリストではなく、リック・ティアーニーという専任ベーシストを加入させていて、ビリーはギターにまわっている。だからギター・ソロはそこかしこに用意されているのだが、アルバムを通して聞くと印象に残らないのである。

 ある意味、器用貧乏なのかもしれない。ギターもベースもキーボードやドラムまで、何でも一通りこなすことができて、しかもレベルも高いのだが、なぜか記憶に残るようなフレーズが少ないのである。自分の感性が鈍ってきたせいだろうか。

 ちなみに、このアルバムのドラムはスコット・コナーが担当していた。彼は現在56歳で、歌も歌えるという。Yosoからの付き合いのようだ。

 確かに良いアルバムには違いないと思うのだが、繰り返し聞きたくなるかというと、ちょっとどうかなあと思ってしまう。
 自分にとってはトランスアトランティックやムーン・サファリ、スティーヴン・ウィルソンのアルバムの方に手が出てしまうのである。

 だから、もっとメジャーを目指すのであれば、
①専任ボーカリストを加入させる
②トニー・ケイにピアノやメロトロンも使用させる
③印象的なギターのフレーズを考える
 等を工夫すればいいと思っている。

 あとは曲もコンパクトにまとめればもっといいかもしれない。90125イエスで学んだことをビリーにはもっと発揮してもらいたいと願っている。そうすれば、このバンドは単なるコピー風なバンドから、オリジナリティ溢れるバンドへと変身していくだろう。

 本家のイエスは、クリスが亡くなり、アランも病気で以前のようには叩けない状況だ。まさに“スティーヴ・ハウズ・イエス”になってしまった。これをイエスと呼んでいいのかどうなのか、わからない。むしろサーカの方がよりイエスらしいだろう。

 ファンは、イエスの遺伝子を正統に受け継いでくれるバンドを欲している。ビリーはまだ51歳だ。イエスのみならず、願わくば次世代のプログレ界の牽引をしてほしいものである。

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2017年2月20日 (月)

サーカ(1)

 昨年の話であるが、何かいいアルバムはないかと探していたら、サーカというバンドに出会った。ちょうどジョン・アンダーソンとロイネ・ストルトとのアルバムが発表された後の頃だった。

 このサーカというバンドに驚いたのには、理由がある。何しろオリジナル・メンバーの4人のうち3人が元イエスに所属していたし、残りの一人もイエスのアルバムで演奏していたのである。正確に言うと、次のようなメンバーで構成されていた。

 ベース   …ビリー・シャーウッド
 ドラムス  …アラン・ホワイト
 キーボード…トニー・ケイ
 ギター    …ジミー・ハーン

 見てわかるように、トニー・ケイはイエスのオリジナル・メンバーだったし、アラン・ホワイトも2代目ドラマーとして70年代から活躍している。
 ビリーは1996年から2000年までイエスに在籍して、「オープン・ユア・アイズ」や「ザ・ラダー」制作に携わっていた。

 ギタリストのジミーもイエスの1991年のアルバム「結晶」にサポート・ミュージシャンとして参加していたし、クリス・スクワイアとビリー・シャーウッドのアルバムにもクレジットされていた。要するに、みんな“イエス・ファミリー”の一員なのである。Circa_portrait
 トニー・ケイは1994年のアルバム「トーク」に参加はしたものの、ミュージック・ビジネスに興味を失ったようで、その後は、一時、引退生活を送っていた。
 ところがピンク・フロイドのトリビュート・アルバムを制作するときにトニー・ケイにもお声がかかり、ビリー・シャーウッドと再会して、彼らはバンド結成に至ったのである。

 彼らは2006年末に正式にバンドとして活動を始め、デビュー・アルバムは翌年の1月からビリーの自宅で録音が始まり、その年の9月には発表された。
 全9曲で、一聴してわかるように、イエスのコピー・バンドといっていいようなサウンドで固められている。61oqkidr9fl
 ビリーのベース・プレイは、クリス・スクワイアのそれといっていいほど酷似しているし、アランのドラミングもまだまだ現役でも十分通じるような(今となっては考えられない程)溌溂とした切れ味のよい演奏を披露している。当時57歳だったから、まだまだ叩けたのだろう。

 イエスといってもその活動歴は50年近くなるので、彼らのサウンドといっても、その時期によって多少ニュアンスが違ってくる。
 このサーカの場合は、90125イエスにやや近い。ちょっとモダンでコンパクトな雰囲気を携えていて、それぞれのソロ・テクニックもやや控えめである。

 1曲目の"Cut the Ties"などを聞くと、1971年の3枚目のアルバムである「イエス・アルバム」の"Yours is No Disgrace"によく似たギター・フレーズやメロディが飛び出してきて、思わずニンマリしてしまった。

 また、2曲目の"Don't Let Go"と8曲目の"Look Inside"の曲のクレジットには、トレヴァー・ラビンの名前も見られる。おそらくは、90125イエスの時に作った曲群のアウトテイクではないだろうか。

 両曲ともゆったりとした曲調で、そんなに耳に残るようなメロディや、印象に残る構築美を誇るものではない。やはり当時の90125イエスの公式アルバムには収録されなかった理由がありそうな気がした。

 個人的に気になったのは、最後の曲"Brotherhood of Man"だ。この曲だけは、このアルバムの中で11分以上もあり、組曲のような形式になっていた。ただ、これも残念なことには、全体的には穏やかな曲に仕上げられていることで、最初の2分程度はアップテンポになっていて、これでグイグイ押していくと思ったら、やがてまたスローダウンしていってしまった。

 往年のイエスなら、ここでギター・ソロやピアノ、キーボード・ソロを織り交えて展開していくのであるが、ここではそうなっていない。イエス・ファンとしてはちょっと物足らないのである。

 その後、イエス本体が活動を再開したため、アラン・ホワイトはそちらの方に戻ってしまった。
 ドラマーが不在になったために、ビリーは80年代末にロサンジェルスで結成したバンド、ワールド・トレイドで一緒に活動していたジェイ・シェリンに声をかけてバンドに誘った。彼はまた、ギター担当のジミー・ハーンともロジックというバンドで活動していたので、サーカにとっては気心が知れたミュージシャンだったようだ。

 彼らは2008年から曲作りを始め、翌年にはセカンド・アルバム「HQ」を発表した。デビュー・アルバムはイエスというバンドのコピー程度のものだったが、このアルバムから徐々に彼らのオリジナリティーが芽生えてくる。61sufxiyqbl

 何しろ1曲目の"If It's Not Too Late"から10分50秒もある大作が用意されている。複雑な構成を持つこの曲は、4人のチームワークの結果から生み出されたというべきものだろう。

 2曲目はギタリスト、ジミー・ハーンによるアコースティック・ギターのインストゥルメンタル曲で、1分18秒と短い。ただ、この曲においてはテクニック的には見るべきものはなく、トレヴァー・ラビンの方が100倍は上手に聞こえてきそうだ。

 ただ、本人の名誉のために言っておくが、ジミー自体は非常に優秀なギタリストであり、テクニック的にも決して劣っているわけではない。ヴァンゲリスや日本人の喜多郎とも交流があり、最近では映画のスコアも手掛けているほどだ。
 あくまでもこの"Haun Solo"という曲においては、彼のテクニックが十分発揮されたわけではないと思っているだけである。

 また、5曲目のインストゥルメンタル曲"Set to Play"は1分49秒と短いものの、白熱したインタープレイになっていた。個人的にはこの曲をもう少し膨らませて、完全な独立した曲として扱ってほしかったと思っているのだが、でも、次の曲"Ever Changing World"とつながっていて、そういう意味では、よく考えられていると思った。

 その"Ever Changing World"はアップテンポで、ロック的なダイナミズムに溢れている。こういう曲をもっとやると、若者にも受けるのではないかと思ったりもした。

 3曲目の"False Start"の3分過ぎでは、1974年のアルバム「リレイヤー」の3曲目"To Be Over"の中に出てくるフレーズによく似たメロディ・ラインを聞くことができて、この辺はご愛嬌というか、昔のファンなら泣いて喜びそうなところだと思う。

 個人的に好きなのは8曲目の"Twist of Fate"で、このスリリングな曲展開や途中の爆発するギター・ソロなどは、とても魅力的なのである。こういう傾向の曲がもう1,2曲あれば、もっと話題になって売れたのではないだろうか。

 最後の曲"Remember Along The Way"もドラマティックな曲で、12分36秒もあった。さすがにこういう長い曲になると、ギター・ソロあり、キーボード・ソロあり、果てはアコースティックな部分やハードな部分も盛り込まれて、興味深く聞くことができた。途中のフルート・ソロはクレジットがないところを見ると、キーボードで出しているのかもしれない。

 8分過ぎにはギターとキーボードのソロを聞くことができるのだが、相互に掛け合うかと思ったら、すぐに終わってしまった。
 
 21世紀の時代には、昔のような重厚長大な楽曲は似合わないのかもしれないが、ファンとしてはもう少し引っ張ってほしかったと思っている。そうはいってもエンディングは非常に盛り上げられていて、なかなかのものであった。 

 セカンド・アルバムは、全体的にはデビュー・アルバムよりは各曲の構成が複雑になり、時間が長くなっている。そういう点では努力の跡がうかがえるだろう。

 彼らはアルバム発表後、ツアーを行ってプロモーションを行ったが、話題にはなったものの、商業的には成功しなかった。
 ただ、面白いことに、元TOTOのボーカリストであるボビー・キンボールと合体してYOSOというプロジェクトを始め、2010年にはアルバムを発表している。

 YOSOとは“Yes”と“TOTO”が合体してできたネーミングだった。彼らはアルバム発表後もツアーを行ったのだが、ボビー・キンボールはアルコール中毒だったために、途中でドロップアウトしてしまい、結局、バンドは2011年に解散してしまった。

 それでビリー・シャーウッドとトニー・ケイは、サーカに戻って活動を再開したのだが、ジミー・ハーンとジェイ・シェリンは自身の活動が忙しくなってしまい、サーカには加わらなかったのである。(To Be Continued...)

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2017年2月13日 (月)

コンスパイラシー・ライヴ

 昨年は、プログレッシヴ・ロック界でも偉大なミュージシャンが鬼籍に入った。3月にキース・エマーソンは自殺するし、年末にはグレッグ・レイクが病死している。これでE,L&Pはひとりになってしまい、もう伝説の中でしか存在しなくなってしまった。

 また、今回のブログの話題に関するイエスのクリス・スクワイアは一昨年の6月に亡くなっている。まだ67歳だった。イエスの中で唯一のオリジナル・メンバーだった。

 オリジナル・メンバーがいなくなると、普通は解散して歴史の中でしか存在しなくなるのだが、イエスの場合は代わりのメンバーを入れて、ツアーを続けていた。そのクリスの代わりに加入したのがビリー・シャーウッドだったのである。

 一説によると、クリスを見舞いに行ったビリーは、クリスからこう言われたらしい。“イエスの継続にとって、君は重要な存在だ。私の存在を意識せず、イエスで自分の役割を全うしてくれ”

 その結果、イエスのツアーに参加してベース・ギターを演奏しコーラスをつけるなど、クリスの遺志を継いだ熱いパフォーマンスを繰り広げていた。Billysherwood
 そんなビリーは1965年に、アメリカのラスヴェガスに生まれた。父親は俳優でジャズ・バンドのリーダー、母親は歌手という音楽一家に生まれていて、兄のマイケル・シャーウッドもキーボード・プレイヤーだった。ビリーがこういう人生を送るのも、ある意味、歴史の必然だったのだろう。

 このブログでも2006年に取り上げていたので、知っている人は知っていると思うけれど、クリスとビリーは昔から交流があって、1989年のビリーが中心になって結成したバンドであるワールド・トレイドのデビュー・アルバムから具体的に始まっていた。

 当時のイエスは、“90125イエス”と呼ばれていて、コンパクトでエッジのきいたプログレッシヴ・ロックをやっていた。これは当時ギタリストとして加入していたトレヴァー・ラビンの功績だったのだが、アルバム「ビッグ・ジェネレイター」発表後、そのトレヴァーとボーカルのジョン・アンダーソンが脱退してしまった。

 そのあとを埋めるために、クリスはビリーとビリーの友人だったギタリストのブルース・ゴーディに声をかけたのだ。

 結局、彼らはイエスには加入しなかったのだが、ビリーの方は「トーク」ツアーにサポート・ミュージシャンとして参加したり、1997年にはキーボード・プレイヤーとしてイエスに参加し、アルバム「オープン・ユア・アイズ」制作に加わったりしていた。これもクリスからのプッシュがあったからだろう。

 ビリーはまた、いわゆるマルチ・ミュージシャンで、ベース・ギターやキーボードだけでなく、ギターやドラムの方も達者のようだ。イエスの1999年のアルバム「ラダー」では、ギターを担当していた。

 イエスのような高度な技術を求められるバンドで、いくらサポート・ミュージシャンとはいえ、キーボードやギターを自由に操ることができたミュージシャンは、ビリー・シャーウッドしかいないのではないだろうか。(トレヴァー・ラビンもマルチ・ミュージシャンだったが、基本的にはギタリストとして参加していた)

 また楽器演奏だけでなく、それぞれのアルバム曲の作曲やアレンジも担当していて、トレバー・ラビン脱退後の90年代後半において曲の水準を一定以上に保つことができたのも、彼のおかげだといわれている。

 クリスとビリーが最初に書いた曲"The More We Live"はアルバム「結晶」に収録され、"Love Conquers All"はボックス・セット「イエス・イヤーズ」に収められている。(両曲とものちに彼らのファースト・アルバムにもアレンジされて収録された)

 話を少し前に戻すと、イエスとしてのツアーが一段落した1992年には、クリスは自身のバンド“ザ・クリス・スクワイア・エクスペリメント”を発足させ、アメリカ西海岸を中心に小規模のライヴを行った。
 ちなみにそのときのメンバーはクリスにビリー、アラン・ホワイト、ジミー・ハーン、映画音楽作曲家のジョン・ウィリアムスの息子マーク・ウィリアムス、TOTOのスティーヴ・ポーカロだった。なかなかの面子である。

 そうこうするうちにクリス・スクワイアに1975年のアルバム「未知への飛翔」以来、25年ぶりとなるソロ・アルバムの話も出てきて、結局その話がビリー・シャーウッドとの合作というかコラボレーションになったのが2000年に発表されたアルバム「コンスパイラシー」だったのである。
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 全10曲+ボーナス・トラック3曲という構成で、内容的には90年代のイエスをポップに味付けしたような音になっている。

 もともとイエスはビートルズの曲をアルバムに取り入れるなど、ポップな要素は備えていたのだが、シンフォニックなイエスになったあとも、特に80年代以降は最新テクノロジーとイエスにしては短めの楽曲を中心にアルバムを制作していった。

 このクリスとビリーのアルバム「コンスパイラシー」も“リトル・イエス”といった感じで、当時のイエスのアルバムに入っていてもおかしくない楽曲で占められていた。あるいはイエスのアウトテイク集といってもいいかもしれない。ボーカルの声質が違うだけである。
 
 それに前述したマーク・ウィリアムスやジミー・ハーン(彼はアルバム「結晶」でギターを弾いている)、アラン・ホワイトと気心の知れたミュージシャンも参加していて、リラックスして制作されたことが予想される。

 また1曲だけギターにスティーヴ・スティーヴンスが参加して流暢な演奏を聞かせてくれる。彼は80年代に有名になったギタリストで、ビリーはビリーでも、ビリー・アイドルのバンドで頭角を表し、今ではソロ・ギタリストとして活躍している。

 彼らは2枚のスタジオ・アルバムを残しているのだが、昨年は2004年のスタジオ・ライヴ盤が発表された。
 「コンスピラシー・ライヴ」というこのアルバムには、クリスとビリーをサポートする形で、キーボードにビリーの兄のマイケル・シャーウッドとスコット・ウォルトン、ドラムにジェイ・シェリンが参加していた。スコットはセッション・ミュージシャンで、ジェイは元バンドメイトだった。

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 彼らはアルバムを発表したものの、それぞれのスケジュールの調整がつかずにライヴ活動ができなかった。だからスタジオ・ライヴ盤を制作したのである。DVDの方では2004年に発表されていたが、CDでは初めてだった。

 全8曲で、彼らの2枚のスタジオ・アルバムから3曲ずつ、クリスのソロ・アルバムから1曲、イエスのアルバムから2曲("The More We Live"と"Universal Garden")収められていた。("The More We Live"はイエスとコンスパイラシーの両方に収められている)

 中でも一番の話題は、先ほどのクリスの1975年のソロ・アルバム「未知への飛翔」からメドレーで2曲選ばれていることである。
 この"Hold Out Your Hand"と"You By My Side"は「未知への飛翔」の冒頭の2曲だった。オリジナル・アルバムでもメドレーで並べられていた。

 自分の中でもこの2曲を含む「未知への飛翔」は忘れがたいアルバムで、カセット・テープに録音したものをよく聞いたものだった。イエスのように構築美というよりは、歌ものアルバムになっていて、しかも抽象的な歌詞ではなく、恋愛などのような日常的な題材も含まれていたから、ビックリしたことも覚えている。

 それにスタジオとはいえ、クリスの曲がライヴで演奏されたのはイエスの1976年のツアーにおけるアメリカ公演10回分だけだったから、こうしてアルバムの中に記録としてまとめられたのは、まさに僥倖といえるだろう。

 他の曲では、"New World"の変幻自在の転調やリズムのキレの良さ、印象的なギター&キーボード・ソロも捨てがたい。もう少しボーカルがパワフルであれば、言うことはないだろう。

 "The More We Live"はイエスの1991年のアルバム「結晶」やコンスパイラシーのファースト・アルバムにも収録されていた曲で、元々はクリスとビリーの共作曲だった。ここではやや幻想的な装飾が施されていて、イエスの長い歴史を思い出してしまうと、神妙な気持ちにさせられてしまった。

 最後の曲の"Universal Garden"もイエスの曲で、リック・ウェイクマン脱退後に加入したビリー・シャーウッドが正式にクレジットされたアルバム「オープン・ユア・アイズ」に収められていた。マイナー調からメジャーに展開するあたりが、いかにもイエスの楽曲に相応しいような気がした。

 それにしても、アルバム・ジャケットは何とかならないものか。ロジャー・ディーンにするとイエスっぽくなってしまうので、それは彼らも嫌だっただろうから、せめてメンバーの写真を使うとかライヴ風景を使用するとか、考慮してほしかった。

 今となっては、二度と実現できないプロジェクトである。おそらくビリーは、今後もクリスの遺志を引き継ぐ形で、イエスに帯同するとともに、自分の音楽道を進んでいくのであろう。それがあとに残された者の使命でもあるかのように。

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2017年2月 6日 (月)

追悼;ジョン・ウェットン

 1月31日にジョン・ウェットンが亡くなった。67歳だった。ジョン・ウェットンといえば、プログレッシヴ・ロック界のみならず、広くロック・ミュージックの分野でも、なくてはならないレジェンダリーなベーシストだった。C09eb7cd53846ea70ec1445da6415c11
 2007年頃から体調を崩していて、心臓の冠動脈のバイパス手術を受けていた。手術は成功し、体調も回復してエイジアやUKの再結成アルバムを発表していたが、2015年には結腸癌になり、翌年の5月には約1kgの悪性腫瘍摘出を行っていた。その後、容体は一進一退を繰り返していたようだが、結局、残念ながら帰らぬ人になってしまった。

 もともとお酒が好きで、一時はアルコール依存症に苦しむほどの飲みっぷりだったようだ。だからそのせいかどうかは不明だが、かなり太っていた時期もあった。Johnwetton630x420
 最後は本人も自覚したようで、長年の友人だったロバート・フリップやビリー・シャーウッドのところに赴き、今までの感謝とニュー・アルバム制作にかける意気込み等も語ったと言われている。最後まで楽天家で、彼の人柄の良さを示しているようだ。001

 ジョンは1949年6月12日に、イギリスの西部、ダービーというところで生まれている。12歳の時にボーンマスに引っ越し、そこでベーシストとして音楽活動を始めた。
 その時に参加したバンド・メイトには、ロバート・フリップやグレッグ・レイク、リチャード・パーマー・ジェイムズなどがいたというから、彼の運命はこの時に決まっていたのかもしれない。

 学校卒業後は、プロ・ミュージシャンとして1971年に、元コロシアムのメンバーがいたモーガル・スラッシュのアルバムに参加した。

 同年にはファミリーに参加して約1年活動を共にし、2枚のアルバムにクレジットされた。翌年にはキング・クリムゾンに加入して、約2年間で3枚のアルバムに参加している。あくまでも個人的意見ではあるが、日本人の間では、このクリムゾン参加の時期から名前が知られるようになったのではないかと思っている。9c88d25efee37cde7f4ce518c783d780_10
 その後は、ロキシー・ミュージック、ユーライア・ヒープ、ブライアン・フェリー・バンド、ウィッシュボーン・アッシュ等々のアルバムやツアーに加わって、誰が名付けたか“ベース・ギターを背負った渡り鳥”状態になる。

 何しろジョンは人が好いというか、頼まれたらいやといえない人柄のようで、ブライアン・フェリーやユーライア・ヒープに加わったのも、友だちのフィル・マンザネラや幼馴染のリー・カースレイクなどから声をかけられたからだった。行き当たりばったりに見えるが、友だちからの頼みと同時に、できるだけ仕事をしたかったからという理由だったようだ。

 1977年には、リック・ウェイクマンとビル・ブルーフォードとともに、ウェットン、ウェイクマン&ブルーフォードを結成しリハーサルを行ったが、リック・ウェイクマンが参加できなくなり、最終的にエディ・ジョブソンとアラン・ホールズワースを誘って、UKを結成した。

 パンク・ロック全盛期に結成されたプログレッシヴ・ロック・バンドということで、このバンドはヨーロッパや日本ではかなり好意的に迎えられた。Uk_polydor_1978
 相変わらずのメンバー・チェンジはあったものの、約3年も続き、3枚のアルバムを残している。やはり本人が中心になって結成したせいか、ジョンには責任感が伴っていたのだろう。

 音楽的な時流に乗れず、なおかつ商業的な原因もあり、UKは解散してしまう。しかし、この時の失敗を次のバンドでは見事に生かすことができたようだ。

 1979年にはリチャード・パーマー・ジェイムズらとともにジャック・ナイフを結成してアルバムを発表したが、内容的にはリハビリのようなものだった。曲の半分は古いブルーズや昔のヒット曲を再解釈したものだったからだ。

 そして1980年末には、イエスのマネージャーと契約してゲフィン・レコードに移ると、新バンドの結成を図った。それで生まれたのが、かの有名なエイジアだった。
 デビュー・アルバム「詠時感~時へのロマン」は全米で9週間アルバム・チャートの1位を独走し、全世界で1500万枚以上も売れた。

 売れた原因は、上にもあるように、パンクの洗礼を受けたプログレッシヴ・ロックをやったからだ。つまり、“4分間のプログレッシヴ・ロック”というわけである。

 それぞれのメンバーが一流のプログレッシヴ・ロックのミュージシャンであり、それぞれのソロを強調しながらも曲自体をコンパクトにまとめて、ラジオやMTVなどでのローテーションの回数を増やした。もちろん曲自体もキャッチーでメロディアス、歌謡プログレッシヴ・ロックだったということも売り上げの上昇には影響しただろう。

 もともとジョンは、4分間のポップな曲を書くのが得意だった。彼はインタビューでこう答えている。
 『70年代のプログレッシヴ・ロックは、新しいものを創造するために、既存の価値観や世界観を解体していたはずだった。ところがいつのまにか解体が目的化してしまい、様式美を再生産するだけのものに成り下がってしまったんだ。だから、もう一度原点に戻ろうとしたのさ。例えば、"Heat of the Moment"も単純には聞こえるけれど、コード進行などを分析してみると、かなり複雑な構造を持っているんだ』

 彼が言うには、クリムゾン時代の曲"The Book of Saturday"や"Starless"なども、もともとは3分から4分程度のものだったらしい。それが結局、10分から11分もある曲に仕上げられていたという。だからジョンのプログレ観によると、プログレッシヴ・ロックとは曲ではなくて、アレンジに対する名称だと言い切っている。

 ただ彼の人生は、順風満帆ではなかった。スーパー・グループにつきもののエゴとエゴのぶつかり合いの結果、ジョンの知らないところで彼は解雇されてしまったのである。

 原因はジョンのアルコール依存症といわれていたが、実際はジョンとスティーヴ・ハウとの確執からだった。
 だから1983年の武道館ライヴでは、ジョンの代わりになぜかグレッグ・レイクがテレプロンプターで歌詞を見ながら歌っていたのだ。

 この時の模様は“Asia in Asia”という企画で全米生中継されていたし、日本でもテレビ放映されている。
 ジョンとしては面白くなく、弁護士を雇って訴えようとしたのだが、公演自体をキャンセルさせられることを知ったのにもかかわらず、何もそこまでしなくてもいいだろうと思ったという。何という人の良さだろうか。

 ところが、今度はグレッグ・レイクが辞めていったために、ジェフからバンドに戻ってきてほしいと懇願されたのである。
 もちろんジョンは、喜んでエイジアに戻った。まるで何事もなかったかのように。この辺もジョンの人柄をよく表しているエピソードではないだろうか。Asia
 1986年にエイジアが一時活動休止に陥ると、ジョンはフィル・マンザネラとのプロジェクトやソロ活動にいそしむようになった。80年代後半から90年代にかけて、また2006年からもエイジアに復帰していた。

 もともと彼もまた、ワーカホリックだったのだろう。ソロ活動を続けながらもエイジアや再結成されたUKで活動を続けていた。
 また、ジェフ・ダウンズやスティーヴ・ハケットとのコラボやアニー・ハズラムのいるルネッサンスとの共演も果たしている。本当に頼めば何でもやってくれるミュージシャンだった。

 プログレ界では、クリス・スクワイア、グレッグ・レイクと今回のジョン・ウェットンと、立て続けに偉大なベーシストが亡くなっている。
 また、キング・クリムゾン関係でもボズ・バレル、グレッグ・レイクと、3人もベーシストを失ってしまった。

 でもまあ、人の好いジョンのことだから、天国に行ってもセッション・ミュージシャンとして活動していくだろうが、メンバーがまだそろっていないから、手持無沙汰なのかもしれない。ともあれ謹んでジョンの冥福を祈りたい。

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2017年1月30日 (月)

スティーヴン・ウィルソン

 今年は、日本でのプログレッシヴ・ロック生誕47周年記念ということで、これから大いに盛り上がっていくと思っている。(あくまでも個人的希望です)

 それで今回は、スティーヴン・ウィルソンの昨年のアルバムについて簡単に記してみたい。ちょっと古い話で恐縮だけど、寒い冬にはプログレッシヴ・ロックがよく似合うということで、お許し願いたいと思う。

 さて、21世紀におけるプログレ界の“ハタラキ蜂”、ワーカホリック三人衆といえば、スェーデンのロイネ・ストルト、イタリアはホストソナテンのファビオ・ズファンティ、そしてイギリスからのスティーヴン・ウィルソンだろう。Introcrop400100120080
 このスティーヴン・ウィルソン、以前にもたびたびこのブログにも登場してきているが、とにかく自分のバンドのポーキュパイン・ツリーから他のミュージシャンとコラボしたプロジェクトのブラックフィールドやノー・マン、ストーム・コロージョン、実験的な音楽を追及したインクレディブル・エクスパンディング・マインドファック、同じく実験的で前衛的なベース・コミュニオンなど紹介するだけで終わってしまいそうだ。

 それに他のバンドのプロデュースやキング・クリムゾンやイエス、ジェスロ・タル、キャラヴァン、ジェントル・ジャイアントなどの古いカタログのリマスターもあるし、一体いつ休むのだろうかと思うほどだ。

 また、ソロ・アルバムも当然のことながら発表している。そんな彼にとっては、勤勉さというのは至極当たり前のことなのだろう。

 彼は、カバー・アルバムを含めて2008年から6枚のスタジオ・アルバムを発表している。また、昨年はそれらの中から数曲をピックアップしてまとめられたベスト・アルバム「トランシェンス」が発表された。71k37p41vsl__sl1200_
 実はこのアルバム、2015年にアナログ盤で限定販売されていて、今回はそれらにボーナス・トラックとして"Happiness Ⅲ"を加え、CD化されたものである。

 またこのアルバムの曲は、発表順には収められていなくて、それぞれのソロ・アルバムから1曲から3曲ほど選ばれたものが順不同で並んでいた。

 これはスティーヴン・ウィルソンの曲作りに関する首尾一貫した姿勢を訴えているのだろうか。昔から、といっても約8年くらいだけど、それだけ自信のある証拠なのだろう。

 1曲目は2015年のアルバム「ハンド.キャンノット.イレイス」からの"Transience"。ここではシングル・バージョンになっている。シングルで発表されたのだろうか。
 タイトルの英語は、“はかなさ、一時性”という意味で、確かに儚さを感じさせるようなアコースティック・バージョンになっている。

 続く2曲目"Harmony Korine"は、2008年のファースト・ソロ・アルバム「インサージェンツ」からで、スティーヴン・ウィルソン自身によってリマスターされている。
 ピンク・フロイドがややメタル寄りになったような雰囲気を携えていて、奥行きのある音響空間からハードに畳みかける後半の変化が素晴らしい。

 ピアノをバックに歌う"Postcard"は、2011年の「グレイス・フォー・ドラウニング」から。非常にセンチメンタルで感動的な名バラードだ。ストリングス・アレンジメントは元エッグのデイヴ・ステュワートが手掛けている。

 "Significant Other"と"Insurgentes"は、2008年のソロ・アルバムからで、これまた夢幻的で浮遊感溢れる桃源郷的な感覚に満ちている曲だ。自身のバンドのポーキュパイン・ツリーとも共通性のあることが分かると思う。

 6曲目の"The Pin Drop"は2013年のソロ・アルバム「レイヴンは歌わない」からの曲で、前半はバンド・メンバーのテオ・トラヴィスのサックスが、後半はガスリー・ゴーヴァンのギターがフィーチャーされている。

 "Happy Returns"はピンク・フロイドの"Hey You"を少しだけ明るくしたような曲で、2015年のアルバム「ハンド.キャンノット.イレイス」の実質的な意味で最後を飾っていた曲。ここでは編集されたものが収録されている。

 8曲目の"Deform to Form a Star"もまた珠玉のバラードで、テオ・トラヴィスのクラリネットとメロトロンの絡みが、初期のキング・クリムゾンを髣髴させてくれる。「グレイス・フォー・ドラウニング」からの選曲。

 次の"Happiness Ⅲ"は昨年のソロ・アルバム「4/1/2」からの曲で、メロディラインだけを聞けば、かなりポップな要素を持っている。スティーヴン・ウィルソンは意外とメロディ・メイカーだということがわかるだろう。

 ちなみにこの「4/1/2」アルバムは2015年のアルバム「ハンド.キャンノット.イレイス」と次に発表するアルバムの“つなぎ”として重要な意味を持つアルバムのようで、過去の曲の再録や今までのセッションの未発表曲が収められていた。"Happiness Ⅲ"自体は、元々2003年に作られていたようだ。

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 "Thank You"はカナダのシンガー・ソングライターのアラニス・モリセットの曲で、彼女の1998年のサード・アルバム「サポーズド・フォーマー・インファチュエイション・ジャンキー」からシングル・カットされたもの。
 スティーヴン・ウィルソンは、2014年にカバー曲を集めたアルバム「カバー・ヴァージョン」を発表しているが、その中に収められていたものだ。

 11曲目の"Index"は彼の実験的な側面が発揮された曲で、プログラミングされた曲と深遠なストリングスが対照的な効果を生み出している。

 "Hand Cannot Erase"は、もちろん2015年の同名アルバムからの曲で、この曲もメロディラインが明瞭でわかりやすい。ソロ・ベスト・アルバムの中に選ばれた理由も、彼の多面的な才能が発揮されていることを示そうとしたのではないだろうか。

 "Lazarus"は、“2015レコーディング”と書かれていることからも分かるように、ポーキュパイン・ツリーの2005年のアルバム「デッドウイング」からの曲を再録したもの。バッキング・トラックを2015年3月のツアー時に録音して、オーヴァーダビングとミキシングをスタジオで加えたようだ。

 ずっと聞いていると、何となく普通の美メロ・ロック・バンドの曲のような気がしてならない。また、この曲は日本語盤の「4/1/2」にはボーナス・トラックとして収められている。

 最後の曲は"Drive Home"で、これは2013年の「レイヴンは歌わない」から選ばれている。スローな曲で、タイトルが示すような哀愁味と叙情性が抑え気味に歌われている。

 これまたバックのストリングスが美しく、アレンジの素晴らしさと後半のエフェクティヴなギター・ソロが終焉に向かっていく様は、まさに感動ものである。81y6ggymral__sl1200_
 とにかく、このアルバムは、ベスト・アルバムと侮ることなかれ、である。ただ単に良い曲を並べたのではなく、彼の才能のレンジの広さや、昔から培ってきたプログレ知識の集積がよくわかるように配慮されているようだ。

 音楽に対して求道的でストイックな姿勢を貫くスティーヴン・ウィルソンである。2015年には“キング・オブ・プロッグ・ロック”の名称を与えられている。
 そんな彼のことだから、今年の終わりまでには「4/1/2」に続くソロ・アルバムを発表するだろう。今後も彼の活動から目を離せないのである。

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