Jay-Z

 今年も師走を迎えて、ますます街の雰囲気も何となくあわただしさを感じさせてくれるようになった。年をとると、本当に1年間があっという間に過ぎ去ってしまう。子どもの頃はもっと長く感じられたものなのだが…

 それでこのブログでも、そういう今の時期にピッタリなテーマを考えてみた。題して「今年印象に残ったベスト・アルバム選」である。
 これは今年発売されたアルバムの中から、印象に残ったものを10枚取り上げて感想を述べるものである。これには再発もの(紙ジャケ・シリーズなど)も含むものとする。

 それで今年発表されたアルバムの中で印象に残ったものの中で、まずはグリーン・ディの「21世紀のブレイクダウン」とエミネムの「リラプス」を挙げたい。

 グリーン・ディは前作「アメリカン・イディオット」から約5年、エミネムの方はベスト・アルバム「カーテン・コール」から約4年のインターバルをそれぞれ空けての新作発表であった。いずれもチャートでNo.1を記録しているのだが、それだけ全世界中のファンやリスナーが待ちに待っていたということであろう。このブログでもこの2枚のアルバムについては既に取り上げている。

 この2枚以外で今回3枚目として紹介したいのは、Jay-Zの「ザ・ブループリント3」である。基本的に自分は“ラップ・ミュージックはゴミの山”という偏見を持って生きてきたのだが、エミネムとJay-Zのこのアルバムについては別物だと認識している。それはラジカルで攻撃的であり、なおかつ歌心のあるラップを披露していると思っているからだ。

The Blueprint 3 Music The Blueprint 3

アーティスト:Jay-Z
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 自分はこのアルバムの中の曲をラジオで聞いて、即購入を決めた。それくらいインパクトがあった。逆に普段からあまりラップ・ミュージックを聞いていなかったから、かえって新鮮に感じられたのであろうか。

 Jay-Zといえばビヨンセと結婚したラッパーとしか知らなかったのだが、今年で39歳ながら、かなり危ない橋を渡ってきた人らしいということも知った。
 彼はニューヨークはブルックリン出身で、子どもの頃に両親の離婚を経験し、生活保護を受けて暮らしてきた。この辺は自分の人生と重なってきて親近感を覚える。

 しかしここからが違うところで、彼はまた3度の刑務所暮らしと3度の銃撃戦を経験してきた。1997年にラッパー仲間のノートリアス・BIGは対立するラッパー・サイドから射殺されたが、彼はJay-Zとは高校時代の親友だった。90年代の東海岸のラッパーたちは、本物のギャング並みに自分たちの勢力維持に力を注いでいたのである。

 まるでやくざがラップをしているのか、ラッパーがやくざになったのか判然としないところに、ファンやリスナーは本物のストリートの匂いを嗅ぎ、リアルな現実感を手にするのだろう。だから彼らのライムは多くの人に支持され、人気があると思うのである。

 そしてこのアルバムの素晴らしいところは、ライムの内容だけでなく、メロディ(フック)と共演しているゲストのケミストリーもまた良いのである。

 ゲストといっても自分はカニエ・ウェストとアリシア・キーズしか知らないのだが、それ以外にも数多くのミュージシャンが参加している。
 1曲目"What We Talkin' About"ではオープニングにふさわしい焦燥感のあるライムを聞くことができるし、2曲目"Thank You"は意外にソウルフルな味付けがされている。

 ラップにソウルフルとは変な感じがするのだが、手拍子にあわせてのライムが微妙にメロディアスなのである。

 このアルバムの中のお薦め曲は4曲目"Run This Town"と5曲目"Empire State of Mind"である。前者ではリアーナとカニエ・ウェストが、後者ではアリシア・キーズが共演している。
 どちらもフックの部分(メロディ)とライムの部分(ラップ)がマッチしていて、非常に聞きやすい。ラップ・ミュージックであることを忘れさせてくれるくらい歌心に満ちている。

 特に"Empire State of Mind"はまるでミュージカルの中で歌われる挿入歌のようである。タイトルのようにニューヨークという街をライムしているのだが、さすが自分が育ったところ、表も裏もすべて知り尽くしているからリアリティが違うのである。アリシア・キーズのボーカルもまた一聴の価値あり☆☆☆

 またそれ以外にも"Real As It Gets"や"A Star is Born"もよい。(前者にはヤング・ジージー、後者にはJ.コールという人が参加している)やはりこのアルバムはフックとライムが微妙なバランスで絡み合っていて、スローな曲でもそれが強いインパクトを与えてくれる。

 アルバム後半部分はまるでエミネムのアルバムを聞いているかのようなヒリヒリとした絶望感や圧迫感みたいなものを感じさせてくれる。特に"Venus vs. Mars"、"Already Home"、"Hate"には圧倒された。この辺では誰がどの曲に参加しているといったことは、本当に瑣末なことであり、まったく必要ない。どうでもいいことであり、それを知る前に曲の力に気圧されるのである。

 最終曲"Young Forever"ではすべてを一掃するかのように、"Forever Young I want to be forever young"というフックとそれを後押しするようなライムが印象的である。バックの演奏もまるで80年代を懐古させるようなシンセや音処理がされていて、エンディングにはピッタリの曲である。

 このアルバムは、Jay-Zが今まで生きてきた道のりを振り返りながら、次のステップに一歩踏み出したようなものだと思う。まさに通過点としての指標みたいなものなのだが、聞く側にとっては(もちろんやっている方も)時代を共有している息吹を感じてしまうのである。

 そして“ラップはゴミ”だと思っていた自分にとっては、そういう陳腐な認識を一変させる1枚になっているのだ。

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リラプス

 先日、日本で46年ぶりの皆既日食があった。多くの人が空を見上げてだんだんと欠けていく様子を観測したのではないだろうか。
 かくいう自分も60円で買った観測用サングラスを使って見守ったのであるが、雲が多くてサングラスを使わなくても十分見ることができた。中には携帯電話で直接太陽を撮影している人もいて、結構周りでは盛り上がっていたように見えた。

 そして皆既日食といえば、やっぱりこのアルバム、ピンク・フロイドの「狂気」であろう。きっとこの日本でも皆既日食を見ながら、フロイドの「狂気」を聞いていたり、思い出していた人が1万人以上はいたに違いないと思っているし、全世界ではおそらく100万人はいたに違いない。何しろ"狂気日食"なのだから、やはり46年ぶりの日食にはピッタリなBGMだと思うのである。

 それで46年ぶりまでは行かないのだが、約5年ぶりにアルバムを発表した世界的ミュージシャンがいる。その名をエミネム。彼のアルバム「リラプス」は数年間のブランクをまったく感じさせずに英米のチャートで1位を獲得してしまった。相変わらずの人気振りである。

 タイトルの“リラプス”とは、“(悪癖や病気の)再発”という意味らしい。約5年間の充電期間を経て、いよいよまたエミネム・ショウの始まりということだろう。
 またアルバム・ジャケットを見てもやる気が十二分に伝わってくるシロモノになっていて、よく見ると薬の錠剤が集まってエミネムの顔を形作っている。

リラプス Music リラプス

アーティスト:エミネム,ドクター・ドレー,50セント
販売元:ユニバーサル インターナショナル
発売日:2009/05/20
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 確かに数年間は薬物治療の施設に入院していたといわれているし、その後のリハビリにも頑張ったと言われている。あのイギリスの歌姫、エイミー・ワインハウスともリハビリ仲間らしく、このアルバムの"We Made You"でも彼女のことをライムしている。

 内容的にもちょっとここでは書き表すことのできないR-18指定映画のような、四文字語の連発になっている。また実名で有名ミュージシャンや女優のことを名指しして、“××しようぜ”とも歌っていて、よくこれで名誉毀損にならないなあと感心してしまうのである。

 たぶんあのエミネムからライムされちゃったという感じで、ある意味これは名誉なことなのかもしれない。全世界的に自分の名前が売れるのだから、営業努力をしないでもいいことにつながるし、商業的にもオイシイ話なのかもしれない。それほどエミネムの影響力は凄いということなのだろう。

 ラップ・ミュージックなど、どれを聞いても同じという意見もあるだろうが、自分にとってはエミネムは別口という感じである。

 何しろ攻撃的である。これほど攻撃的な音楽はロック・ミュージックにもそうそうあるものではない。ロックは現実への反抗、初期衝動や疾走感を内蔵している音楽なのだが、激しいシャウトや音の歪みを使用しなくて、単なる早口の押韻だけでこれほど社会に対してアジテーションができる音楽は他に見当たらない。
 
 その中でエミネムはやはり別格であろう。グラミー賞でエルトン・ジョンと共演したことからでもわかるように、エミネムのフックは非常にわかりやすく、かつメロディアスである。
 そして彼の紡ぎだすそのライムは誰も真似ができない。なぜならそのほとんどは彼の私小説的体験から来ているからである。

 彼の幼少時の家庭環境や、いじめを受け自殺未遂まで起こした少年時代の様子などは彼の自伝映画「8マイル」でも垣間見ることはできるし、母親との裁判や元妻キムとの再婚と再離婚、彼女との間にできた愛娘ヘイリーの養育問題など、いまだにスキャンダラスな生活を送っている。

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 これらは決して彼が自ら望んだことではないのだが、結果的にはそういう状況に落ち込まざるを得ないのである。また彼自身の薬物依存も完全に治ったわけではないのだ。

 ハリウッドに豪邸を構え、経済的には何不自由するわけではないのだが、彼の抱えている負のエネルギーは収まりがつかないほど、彼を苦しめているのであろう。彼の口から機関銃のように放射されるライムは跳ね返ったあと、彼自身を照準にしているかのようだ。

 そういう彼の生き様もまたファンにはたまらないものかもしれない。彼が今後どういうふうになるかはまったく予断を許さないからである。薬で廃人同様になるのか、それともクラプトンのように傷つき倒れながらも、そのつど這い上がっていくのか、彼の一挙手一投足、一言一言が注目されていくだろう。

 またラップ・ミュージックにも音楽的進化はあるのだ。このアルバムの5曲目"Bagpipes From Baghdad"ではタイトルのように中近東風のフックが使用されているし、17曲目"Beautiful"でもタイトル通りの非常に美しいメロディにのって彼のライムが流れている。だからワン・パターンの音楽とは違うのである。エミネムのラップは。

 噂では今年の秋にもこのアルバムの続編「リラプス2」が発売されるという。きっとそのアルバムも全世界的な話題になるだろう。皆既日食は世界の限られた地域にだけ見られる現象であるが、エミネムのことはその私生活も含めて、決して地域限定にはならない(なれない)普遍的な現象なのである。

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追悼;マイケル・ジャクソン

 6月25日は、12月8日や11月29日のように洋楽好きの人にとっては忘れられない日になるだろう。先日からTVやラジオで繰り返し流されているように、“キング・オブ・ポップス”といわれていたアメリカのエンターティナー、マイケル・ジャクソンが亡くなったからである。

 享年50歳。死因は心不全といわれているが、LAの検視局ははっきりとした死因の結果が出るのは4~6週間かかるコメントしている。結果がどうであれ、マイケルが生き返ることはない。

 確かに才能のある素晴らしいエンターティナーだったと思う。特に1980年代のマイケルは、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだったと思う。出す曲、出す曲世界中で大ヒットを記録し、彼の名前を聞かない洋楽番組はないほどであった。

 また1998年と2003年にはノーベル平和賞の候補にノミネートされるなど、音楽活動以外でも世間を賑わせていた。

 しかし最近では、様々なゴシップが彼の周りを取り囲み、まるで犯罪者か精神異常者のように扱われたりもした。有名人ならではの扱いといえばそれまでだが、かつての栄光が崩れ落ちたかのようだった。

 彼の整形疑惑や借財の規模、その評判については80年代との落差が大きくて、とても信じられなかった。どこまでが本当でどこまでが偽りだったのか、今でもよくわからない。よくわからないまま彼は亡くなってしまった。つまり伝説がまた一つ生まれたのである。

 とにかく彼は時代の流れにうまくマッチしていた。よくいえば時代の流れに敏感であり、悪くいえばそれを利用していたということだろう。

 彼が有名になったのは、子どもの頃(11歳)からの芸能活動のおかげだった。ジャクソン5として有名になり、ソロでもシングルを出してNo.1にもなった。確かに歌もダンスも子どものころから上手で、それについては誰しもが認めるところである。

 そして1979年、80年代のさきがけとしてアルバム「オフ・ザ・ウォール」が発表された。このアルバムからのシングル"Don't Stop 'Til You Get Enough"(今夜はドント・ストップ)が売れ、アルバム自体も世界中で約1900万枚売れたといわれている。

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アーティスト:マイケル・ジャクソン,クインシー・ジョーンズ,ロッド・テンパートン
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 ただ別に文句を言うわけではないのだが、このアルバムの好セールスの影には、アルバム・プロデューサーであるクインシー・ジョーンズの手腕がかなりあったのではないかと思っている。

 またMTV(ミュージック・ビデオ)という影響もまた見逃すことはできない。確かにそれまでのMTVは黒人を放映することを避けていた。その障壁を破ったマイケルの功績は見過ごすことはできないのだが、そのMTVに何度も登場することで、彼のアルバムは全世界的に売れたということもまた事実である。
 そしてあの"Thriller"のようなビデオを制作することができたのもMTV全盛時代のなせる業なのである。
  ちなみにマイケルはPV(プロモーション・ビデオ)のことをショート・フィルムといっていた。まるで短編映画のようだが、実際にジョン・ランディスやマーチン・スコセッシなどの監督が担当していた。こういうところでもマイケルのプライドみたいなものが感じられる。

 ところでまた、あのきらめくようなサウンド・メイクやヒップ・ホップの要素などの時代の動きをうまく取り入れることができたのもクインシーやアルバムの中の楽曲を提供した人たちの力だと思うのである。実際、クインシーと一緒にプロデュースしたアルバムは売れている。(「オフ・ザ・ウォール」、「スリラー」、「BAD」)
 唯一の例外は1991年に発表された「デンジャラス」だが、これも彼一人のセルフ・プロデュースではなくて、テディ・ライリーやR・ケリー、ベイビー・フェイスなどと共同制作している。

デンジャラス(紙ジャケット仕様) Music デンジャラス(紙ジャケット仕様)

アーティスト:マイケル・ジャクソン
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 彼一人で制作したアルバムはこれまで発表されていない。彼にはそういう信頼できるパートナーというかアドヴァイザーが必要だったのだろうと思っている。

 また彼自身が作詞・作曲してヒットした曲は前述の"Don't Stop 'Til You Get Enough"、アルバム「スリラー」からは"Wanna be Startin' Something"、"The Girl is Mine"、"Beat it"、"Billie Jean"の4曲、「BAD」では"BAD"、"The Way You Make Feel"、"Another Part of Me""I just Can't Stop Loving You""Dirty Diana""Smooth Criminal""Leave me Alone"であるが、「BAD」で全米No.1になったのは最初の5曲だけである。

 確かに凄いのだが、一方で他のミュージシャンや作曲家との共作も多いのである。決して彼一人の曲だけでヒットしたアルバムを作ったわけではないのだ。

 彼にとっての最後のオリジナル・アルバム「インヴィンシブル」には彼一人で作った曲は"Speechless"、"The Lost Children"の2曲だけで、この2曲はシングル・カットされていない。アルバム自体も全米・全英ともにNo.1にはなったものの、往年の頃の売り上げに及ぶことはできなかった。

インヴィンシブル Music インヴィンシブル

アーティスト:マイケル・ジャクソン
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 だから彼の黄金時代は1979年から1991年までだと思っている。しかし音楽的な進化という点で見ると、クインシー・ジョーンズとタッグを組んでいた1979年から1987年だったと思う。それはアルバム「BAD」までで、「デンジャラス」以降についてはそれまでの勢い、余勢で売れたと見ている。

 だから彼は最高のエンターティナー、パフォーマーであり、決して最高のミュージシャンではないのである。チーム・MJとして活動できたから“King of Pop”と呼ばれたのであり、彼一人では到底無理であっただろう。ただ彼には子どものころからカリスマ性があったのだろう。

 だから彼には信頼できるパートナーやスポンサーが常に必要だった。それが表面的な友だちや取り巻きになってしまったところに彼の悲劇があったのだと考えている。

 いずれにしても突然の訃報であり、まさにエルヴィス・プレスリーやジョン・レノンと同じような衝撃を与えられた。7月はロンドンのO2アリーナで50回の公演が予定されていた。最後のライヴだといわれていただけに残念な結果になってしまった。今後は何らかの追悼公演や偲ぶ会が催されるだろう。今夜は時代の流れに乗ったスーパースターに哀悼を表したい。

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ジミ・ヘンドリックス

 ジミ・ヘンドリックス(以下ジミ・ヘンと称す)はアメリカ出身のギタリストである。本来ならアメリカン・ロックに分類されてもおかしくないはずだが、個人的にはソウル・ミュージックに所属するのではないかと思っている。

 黒人だからという理由だけではない。やはりブルーズやジャズに影響されたその音楽性はソウル・ミュージックだと思うのである。

 アメリカの新しい大統領は白人と黒人のハーフであるが、ジミ・ヘンも白人の母親と黒人の父親の間から生まれている。白人の母親といってもネイティヴ・アメリカンでチェロキー族の流れを汲んだ女性だったといわれているから、彼の遺伝子には黒人と白人とネイティヴ・アメリカンが入り交ざっている。

 しかも生まれてまもなく母親は出奔してしまい、彼は祖母から育てられた。彼の曲に"Little wing"というものがある。その歌詞に“妖精”や“蝶”、“雲の上”などが出てくるが、そういう幻想的なものは、もちろんドラッグの影響もあったのかもしれないが、やはり幼少期に祖母が物語ったネイティヴ・アメリカンの伝承の影響もあったのだろう。

 自分がジミ・ヘンを知ったのは、彼の死後のことだった。彼は1970年9月に27歳で亡くなっているので、物心ついたときにはもうこの世にはいなかったのである。
 だから写真や映像でしか彼を知らない。映像といってもウッドストック・コンサートとモンタレー・ポップ・フェスティバルでしか見たことがなかった。(のちにワイト島でのコンサート映像は某国営放送で放映された)

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 だから彼の死の直後から、彼のことはすでに伝説となっていったのだと思う。彼の歯でギターを掻きむしる演奏や背中にまわして弾く姿などは子ども心にも印象的だったし、最後に火をつけてギターを燃やすところなんかは、まさに人間業ではないと思っていた。

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 そういうトリッキーなところが凄かったし、また右利き用のギターをそのまま弦を付け替えずに持ち替えて、右手でフレットを押さえ、左手でピッキングするところは何と器用な人なのだろうと素朴に思ってしまった。
 のちに野村義男が背中で弾いたりしていたが、あれはジミ・ヘンのまねだったのだろうか。また甲斐バンドの甲斐よしひろも右利き用のギターをそのまま持ち替えて弾いているという話を聞いたのだが本当だろうか。この点については真偽のほどはよく分からない。

 ジミ・ヘンのギター奏法は実はそんなに凄くはないらしい。テクニック的には他のジャズ・ギタリストやブルーズ・ギタリストの方が上といわれている。
 彼が素晴らしいのはその曲に伴うグルーヴ感を上手に表現しているところであり、曲やソロを聞けばすぐに彼とわかるところであろう。そういう独特の個性や音楽性が素晴らしいのである。

 また当時の時代背景も彼を後押ししたのであろう。ベトナム戦争を背景に若者の革命意識の高揚やその反対に厭世的な雰囲気、いわゆるヒッピー文化に象徴されるサイケデリックなサブ・カルチャーなどが時代のヒーローとして彼のような存在を求めていたのではないだろうか。

 さらにまた単なるハード・ロックやブルーズ・ロックに収まりきれない彼の才能というのもまた彼の特長である。彼が残した最大の功績だったのかもしれない。
 どこで見かけたのか忘れてしまったのだが、彼には普通の人には聞こえない音が聞こえてきたのであろう、という一節があったのだが、まさにその通りだと思う。

 彼はそういう自分だけの音や音楽を求めるために、あるいは逆にそういう音から逃れ、平穏で安逸な生活を求めるためにドラッグに手を出していったのだろう。そしてそれがうまく音源としてまとめられたのが、「アクシス:ボールド・アズ・ラヴ」であり「エレクトリック・レディランド」だったのだろう。

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 彼が生きていたら、どういう音楽をやっていたのだろうかと、よく言われるが、たぶん彼は自分にのみ聞こえる音を追及していたに違いない。そしてそれは世界中に影響を与えていったであろう。当然のことながら、ソウルやファンクやロックという範疇を凌駕していただろう。そういう意味で彼はまさに唯一無二の存在だったのである。

 しかし音楽性は様々なジャンルのものを追い求めていても、彼の心の拠りどころになっていたのは、ソウルフルな家庭であり、祖母から聞かされていた“フェアリー・テイルズ”だったのではないだろうか。
 だから自分にとっては、彼はロック・ミュージシャンというよりは、偉大なソウル・ミュージシャンと呼んだほうがしっくりくるのである。

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オーティス・レディング

 忌野清志郎はアメリカの黒人ソウル・シンガー、オーティス・レディングにあこがれてプロ・ミュージシャンになろうと思ったそうである。彼がブッカーT&the MG’sと日本公演を行っているときにそう話していた。

 オーティス・レディングは伝説となっている1967年のモンタレー・ポップ・フェスティバルに出演したのをきっかけに、白人の間でも人気がでるようになった。それまでは黒人の間では有名だったが白人の間では今一歩だった。

 彼の魂を震わせるような歌い方やステージでのMCなどは、誰も真似が出来ないほどの彼独自のパフォーマンスだった。
 オーティス自身は、リトル・リチャードとサム・クックを尊敬していて、彼らのようになろうと思ってミュージシャンの道を歩み始めた。リトル・リチャードのアップテンポなロックン・ロールとサム・クックのシルクのようになめらかなバラードを取り入れようと思ったのではないだろうか。

 だからオーティスの歌やその歌い方には両者のいいところが含まれているのだと思う。したがって彼が白人と黒人の両方から支持されたのは、ある意味当然のことなのであって、そうなるべくしてそうなったといってもいいと思うのである。

 彼はジョージア州出身なのだが、そういえばレイ・チャールズやリトル・リチャードも同じ州出身である。そういう地元ならではの雰囲気や影響もあったのだろう。

 当然のことながら60年代のアメリカ南部は人種差別の激しいところであった。バスの座席も区別され、トイレも白人用と黒人用に分かれていて、間違っても白人が黒人のところに行くことはなかったし、黒人が同様のことをしたら虐待されていたし、最悪の場合は殺されても文句は言えなかった。

 そういう状況の中で、オーティスのえらいところは、そういう垣根を取っ払って白人の曲であれ、黒人の曲であれ、彼自身が気に入った曲はどんどん録音していったという点である。
 有名なところではビートルズの"Day Tripper"やストーンズの"Satisfaction"であろう。ビートルズやストーンズ自身が黒人音楽から影響されているので、ある意味、先祖帰りしたのかもしれないが、オーティスは何度もステージで歌っている。(後にストーンズはオーティスの歌である"I've been loving you too long"をライヴで歌っている)

 また彼のバックで演奏しているブッカー・T&the MG'sは白人と黒人の混成バンドであった。リーダーのブッカー・Tは黒人だが、ギタリストのスティーヴ・クロッパーやベーシストのドナルド・"ダック"・ダンは白人である。
 人種差別の激しい南部で、このように白人と黒人が協力して音楽を作り上げてそれをヒットさせたということは、当時としてはまさに奇跡のような出来事だったに違いない。これぞまさに“神のご加護、配慮”なのかもしれない。

 音楽は、ロックン・ロールは、奇跡の音楽なのだろうか。この場合はロックではなくソウル・ミュージックなのだが、ロックン・ロールはこのように何でも飲み込む貪欲性というか、吸収力を秘めているのだ。
(というとカッコいいのだが、要するに“パクリ”の音楽なのである。“パクリ”を積み重ねてここまで成長してきたといってもいいだろう。事実、ロッド・ステュワートなんかはサム・クックやジェイムズ・ブラウンの影響を受けているし、彼らのまねをしたステージングをしている。日本の矢沢永吉もロッド・ステュワートのまねをしたといわれても仕方ない歌い方をしている)

 それでオーティスであるが、彼の本領はライヴで発揮される。それがよく現れているのがライヴ・アルバム「ヨーロッパのオーティス」である。ここではヨーロッパの白人聴衆の前で堂々の熱唱を披露している。

Live in Europe Music Live in Europe

アーティスト:Otis Redding
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 アルバムの中にもオーティスとコール&レスポンスしている聴衆の熱狂的な反応が収められていて、ロックのライヴ・アルバムよりも激しく興奮しているのがよくわかる。

 よく言われることだが、彼の歌い方こそまさに“魂(ソウル)”を揺さぶられるものである。歌っているのか叫んでいるのかよくわからない、体全体で表現する唱法は、唯一無比のものであった。
 ステージ上で縦横無尽に動き回り、時にひざを曲げ、時にジャンプしながら歌うその様子は、まさに世間の度肝を抜くものであった。

 ある意味、オーティスはキング牧師と同じように、人種差別を解消させてくれる希望の星だったのかもしれない。
 しかし人生とは皮肉なもの。キング牧師は1968年に暗殺されて亡くなり、オーティスはその前年の12月10日、ツアーに行く途中、彼の乗った自家用飛行機が墜落し、事故死してしまった。享年26歳であった。

 彼の生前に録音されていたシングル"(Sittin' on) The Dock of the Bay"は、ビルボードのチャートでNo.1を記録した。ビルボードの集計が始まってから初めて、アーティストの死後発表されて1位を記録した曲になった。

 オーティスのデビューは1962年か63年頃だったから実質の活動期間は4年余りである。しかし彼が残したものは余りにも多かった。彼以降のソウルやロックのボーカリストでオーティスの影響を受けていない人はいないといわれている。

 我が愛する日本の忌野清志郎も彼の影響を受けている。彼がライヴで歌う“ガッタ、ガッタ、ガッタ、ガッタ”はオーティスの先のアルバムの中でも聞くことが出来るし、“愛し合ってるかーい”という呼びかけも、もともとオーティスがステージ上から聴衆に呼びかけていたフレーズであった。

 アメリカは、21世紀になっていよいよ黒人大統領が誕生するくらい社会も熟成してきた。もしオーティスが生きていたならば、この様子を見てどう思うのだろうか。ひょっとしたら“湾の波止場にたたずんで”冷静に見つめているかもしれない。

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エイミー・ワインハウス

 イギリスでは若手の女性シンガーが人気である。ジョシュ・ストーン、リリー・アレンやKT・タンストールなどの名前をよく聞くのだが、いま評判なのがエイミー・ワインハウスとアデルである。

 今回はグラミー賞5部門を獲得したエイミー・ワインハウスのことを書くことにした。何しろ2006年に発表された彼女のセカンド・アルバム「バック・トゥ・ブラック」は、いまだに売れ続け全英チャート10位以内に入っているのである。

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アーティスト:エイミー・ワインハウス,ゴーストフェイス・キラー
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 第50回グラミー賞のときのブログにも書いたのだが、彼女は1983年9月生まれの24歳。父親はタクシー・ドライバー、母親は薬剤師という家庭に生まれたが、9歳の頃に両親が離婚をしたらしい。

 離婚をしたあとも、彼女は父親、母親と交流を保っていたようで、家では母親の趣味であるキャロル・キングやジェイムス・テイラーを聞き、父親からはジャズ・シンガーであるサラ・ヴォーンやダイナ・ワシントンを聞かされたという。

 結局、彼女はアメリカのシンガー・ソングラーターよりもジャズやソウル・ミュージックを選んだようで、「バック・トゥ・ブラック」を聴いても分かるように、60年代のモータウンや女性グループの影響が強い音楽を好んでいる。

 特に60年代に一世を風靡した女性3人組ロネッツの影響を濃く受けているようである。まずその髪型と化粧(アイライン)である。頭の上高く髪を巻き上げている。これをビーハイヴ・ヘアというらしい。ビーハイヴとは“蜂の巣”のことである。確かにスズメバチの巣のように見える。
 またエジプトのクレオパトラのようなアイラインはキャッツアイと呼ばれるようだ。文字通り“猫の目”のように見える。Photo

 これらはロネッツが60年代に行っていたものであるが、エイミーはそれを堂々と見習っているかのようである。

髪型やお化粧だけでなく、音楽的傾向も昔の焼き直しのようなところもある。基本はソウル・ミュージックなのだが、歌い方がロネッツのようでもあり、昔のジェファーソン・エアプレインのグレイス・スリックのようでもある。要するに可憐さと迫力を兼ね備えているのだ。

 彼女は14歳から作曲を始めたようだが、このアルバム「バック・トゥ・ブラック」でも全ての曲に関わっているから、たいしたものである。

 ただ早熟の天才は、その生き方も早熟であった。10代から酒と男に溺れ?最近ではドラッグにも手を出している。
 だから16歳で退学処分を受けているし、15歳で入れ始めた体のタトゥーは、いまでは12、13個くらい彫りこんでいるようだ。Photo_2

 音楽面では天才的なのだが、そのライフ・スタイルは自由奔放であり、要するに勝手気ままなのである。
 インタヴューやライヴをすっぽかすのは日常茶飯事。ライヴ中にもお酒を飲みながら歌うのだから、飲んだくれが歌っているようなものである。

 また昨年の5月には1歳上の音楽プロデューサーと結婚をした。人気急上昇中なので、普通なら仕事に精を出して、同棲はしても結婚はしばらく後にするのが普通だと思うのだが、ここで結婚まで一気にいってしまうところがエイミーらしいのである。

 そしてその夫とともに麻薬所持と密輸疑惑で逮捕されているし、リハビリ施設に入所もしている。シングル・ヒットになった"リハブ"では、“絶対にリハビリ施設には行かない”と歌っていたのに今年の1月にも入所したようである。

 そういう彼女の生き方が若い世代を中心に共感を呼んでいるのであろう。共感を呼ぶといっても賛成しているわけではなく、自分たちができないことをいとも簡単に行っていることが羨ましく映るのだろう。

 とにかくこのアルバムは昔のソウル・ミュージックや女性グループの曲のリメイクのようなものなのだが、結構それがハマってしまうのである。歴史は繰り返すという見本なのであろうか。
 (ロック20年周期説によると2000年代は80年代のリメイクであるし、80年代は60年代の焼き直しなのだから、彼女のような音楽が流行るのも当然なのかもしれない)

 ちなみに“ワインハウス”という名前は本名である。“名は体をあらわす”というが、彼女が“アル中”になったのも、ある意味仕方がなかったのかもしれない。

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Shai

 冬はソウル・ミュージックを聞きながら暖をとるというような生活に憧れる。しかし、だからといってブラック・ミュージックに特に造詣が深いわけでもないし、ピーター・バラカン氏のように、ブラック・ミュージックが大好きというわけでもない。

 いつ頃からかそういう傾向になったかよく分からないが、中学生の頃からラジオでロバータ・フラックやスティーヴィー・ワンダーを聴いていたから、昔からそういう傾向があったのだろう。
 またダイアナ・ロスやマーヴィン・ゲイに触れたのもこの頃であった。

 70年代の半ば頃は、ディスコ・ミュージックではなく、スタイリックスやシルク・ディグリーズ、グラディス・ナイト&ザ・ピップスなどのわりと軽めのポップス系ソウル・ミュージックを聴いていたから、知らず知らずのうちにそういう音楽を好むようになったのだろう。
 それで大きくなって90年代になっても、時々思い出したようにその手の音楽を聴いていた。

 そんな中、ShaiというR&Bのボーカル・グループがいた。いまから15年以上も前のことである。100ドルで作ったデモ・テープがきっかけで彼らは成功の階段を上っていった。
 その曲がシングル"If I ever fall in love"である。この曲が含まれていた1stアルバムは、発売日に50万枚以上売り上げ、一日でゴールド・ディスクを記録した。

...If I Ever Fall in Love Music ...If I Ever Fall in Love

アーティスト:Shai
販売元:MCA
発売日:1992/12/22
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 彼らは4人組のボーカル・グループで、当時人気絶頂だったボーイズⅡメンのように、アカペラを得意としていた。

 この1stアルバムでも、彼らの得意なボーカル・ハーモニーを堪能することができる。シングル・ヒットしたアルバム・タイトル曲だけでなく、コーラスが美しい"Together forever"、ポップな作品"Baby I'm yours"、これこそブラック・コンテンポラリーといわれそうな"Changes"など、結構いい曲が収められている。

 当時は、このCDを車の中や部屋の中でよく聴いていた。季節的に1,2月頃だったので、何となく心の中まで暖かくなってきたように思えた。
 学生時代とは違って、さすがに暖房器具は備えていたので、冒頭にあるように、このアルバムを聞きながら、ゆったりとくつろいだ時間を過ごすこともあったのである。

 それにしても黒人のシルクのようなボーカル・ハーモニーは本当にいつ聴いても素晴らしいと思う。
 このshaiというグループも、新人なのだが、作詞・作曲もできたし、自分達でプロデュースもしている。声質自体も申し分ないし、充分可能性を秘めたグループだったと思う。

 でも結局、数枚のアルバムを出して彼らは解散した(と思う)。インターネットで調べてもその後の活動や動向はよくわからない。
 あれだけ才能があっても結局数枚のヒットを出しただけで終わった。ある意味アメリカン・ドリームを体現したグループといってもいいかもしれないが、体現してすぐに消えてしまった。

 そういう意味では、アメリカのショー・ビジネスというのは非情なのかもしれない。弱肉強食、適者生存の法則が貫かれているのであろう。
 しかしグループは消えても、彼らが残したヒット・シングルは記憶の中からは消えないのである。

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サム・クック

 自分の家のアルバム棚にはサム・クックのアルバムが2枚ある。1枚はベスト・アルバム「ベスト・オブ・サム・クック」でRCAレコードから出されたもの。
 もう一枚は、輸入盤で「ライヴ・アット・ザ・ハーレム・スクウェア・クラブ、1963」というタイトルのライヴ・アルバムである。

 ベスト盤は、よくあるような普通のベスト盤である。うりはガーシュインが作曲したジャズの名曲"Summer time"の別ヴァージョンが収録されていることであろうか。全13曲というコンパクトな内容になっている。

サム・クック/ ベスト・オブ・サム・クック サム・クック/ ベスト・オブ・サム・クック
販売元:イーベストCD・DVD館
イーベストCD・DVD館で詳細を確認する

 ライヴ・アルバムの方は、これはもう歴史的な名盤といっていいほどの素晴らしい内容である。

One Night Stand: Sam Cooke Live at the Harlem Square Club, 1963 Music One Night Stand: Sam Cooke Live at the Harlem Square Club, 1963

アーティスト:Sam Cooke
販売元:RCA/Legacy
発売日:2005/09/20
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 これは1985年になって初めて公に発売されたアルバムであるが、63年当時の熱気と人気が聴く側に十分以上に伝わってくるのである。

 このアルバムで聞かれる"Cupid"は名曲である。ベスト盤に収められているスタジオ録音のものと聞き比べてみればよく分かるのだが、スタジオ録音の方は淡々と歌っているのに対して、ライヴ盤では、やはり聴衆を意識してか、感情を込めて歌っている。当たり前のことしか思いつかないのだが、とてもソウルフルな熱唱を聞かせてくれている。

 また聴衆とのやり取りがリアルに伝わってくる。次の曲は"It's alright/For sentimental reasons"と2曲続くメロディ形式の曲なのだが、歌の合間に聴衆に早口に話しかけるようなトークがライヴ感をいっそう高めている。
 こういうやり取りを聞いていると、後年ラップ・ミュージックが生まれ、黒人の間に流行し、広がっていったということがよく理解できる。

 これはたぶん教会で歌われるゴスペル・ミュージックの“コール&レスポンス”からきていると思うのだが、黒人霊歌といわれるゴスペルの影響は意外と大きいと思うのである。
 サムは牧師の家庭に生まれていて、幼い頃からゴスペルを聞き、自身も聖歌隊で歌っていたので、こういうやり取りは、肌身に染み付いていたのであろう。このアルバムでも実に余裕たっぷりに聴衆とのやり取りを楽しんでいるようである。

 このアルバムを聞いていると、ロッド・ステュワートを思い出した。いかにロッドがサム・クックの影響を強く受けているかがよく分かるのである。
 ロッドのようにハスキーな声ではないが、リズム感や聴衆とのやり取りなど非常によく似ている。似ているというよりもそっくりである。

 このアルバムでもロッドが歌った曲"Twistin' the night away"、"Bring it on home to me"が収録されているが、ロッドそっくりである。正確にいうと、ロッドのほうが彼を真似しているのだが、ロッドを先に聴いて、あとからサム・クックを知ったので、ロッドの真似をしていると思った。
 歌の途中で笑い声を入れたりするサム・クックの癖まで真似しているくらいなのだから、やはりサムの影響力は大きいとあらためて感じ入ったしだいである。

 このライヴは1963年1月12日土曜日に行われたものであり、場所はニュー・ヨークのアフリカ系アメリカ人が当時よく集まっていたクラブである。キャパは2000人程度といわれている。
 このときサムは32歳、まさにボーカリストとしてピークを迎えていた時期でもある。

 サム・クックを語るときに、避けて通れないのがその時代背景である。いまだに人種差別の残るアメリカで1930年代から60年代は公民権運動の高まりとともに、差別や偏見と闘うブラック・パワーが目立った時代だった。

 黒人歌手は、白人歌手よりも差別され搾取されて当たり前のときである。そういうときに白人並の、いやそれ以上の人気と実力を兼ね備えた彼の存在は、ある意味、黒人社会における希望の星ともいえた。

 今では当たり前のことだが、黒人の彼が自分で音楽会社を設立し、自分の著作権を自分で管理するようにしたということは、当時としては画期的であり、大げさに言うと驚天動地のようなことだったと推測される。

 そういう意味では単なる歌の上手なソウル・シンガーという面だけではなく、非常に先見の明があるエリート・ビジネスマンという面も兼ね備えていたと思う。
 そしてボクサーのマホメド・アリや社会運動家のマルコムXたちと交流を持ち、黒人運動にも貢献している。64年には"A change is gonna come"を発表し、黒人の側からのメッセージ・ソングを歌い、大きな影響を与えた。のちにこの曲は、オーディス・レディングやアレサ・フランクリンなどにカヴァーされている。

 また彼は歌も上手で、さらにハンサムでもあった。だから結構女性には、人種を問わずもてたらしい。
 しかし彼の最後は呆気ないものだった。モーテルの管理人から銃殺されたのである。警察の発表によると、モーテルから逃げ出した女性を追いかけて管理人室に入ったところを泥棒か何かと間違えられて射殺されたというのである。
 一説によると売春婦からだまされてお金と服を取り上げられ、裸で追いかけていて射殺されたともいわれている。いずれにしても黒人だからという理由で、たいした調べも行わずに簡単に捜査が終了したらしい。

 もし彼がいまも生きていたらと思うと残念でならない。はたして今のアメリカ社会が彼の満足するものかどうかはわからないが、少なくとも黒人が大統領選挙に立候補できるようになったということについては、少しは前進したと評価するのではないだろうか。

 そしてロッド・ステュワートやプリンスなど、白人や黒人を問わず彼のフォロワーたちを見て、彼らと共演することを望んだに違いないと思うのである。

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エミネムのこと

8 Mile DVD 8 Mile

販売元:ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン
発売日:2006/09/21
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 大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンに、新しいアトラクションとして「ハリウッド・ドリーム・ザ・ライド」というジェット・コースターがある。私もつい先日、それに一日2回も搭乗してしまったほどの面白さである。

 このジェット・コースターの売りは、自分のお気に入りの音楽を選択し、それを聴きながら宙を舞うことができる点だ。
 選択できる曲は洋楽が3曲、邦楽が2曲の計5曲の中から1曲だけである。洋楽はボン・ジョヴィとビートルズの"ゲット・バック"、そしてエミネムの"Lose yourself"なのだ。

 そしてジェット・コースターに乗るというこの特殊な状況にピッタリな曲をこの3曲から選べといわれれば、やはりエミネムの"Lose yourself"であろう。

 エミネムといえば、アメリカの白人ラッパーである。1972年10月生まれで、本名をマーシャル・ブルース・マザーズ3世というらしい。
 それがなぜエミネムというのかは、はっきりしていない。一番有力な説は自分自身のイニシャル“M&M”を早口に言ったらエミネムになったというものであるが、彼自身別に何とも思っていないし、気にしないと思う。そんなの関係ねえとは言わないだろうけれど・・・

 また自分自身の中に別の人格“スリム・シェイディ”が存在するともいって、自作曲の中に何度も登場させている。
 なぜそんなことになったのかというと、現実逃避である。彼は極度の貧困の中で育ったからだ。両親は離婚し、母親は2,3カ月おきに転々と引越し(というか正確には移動といったほうがいいかもしれない)を繰り返していて、学校にも通えども、いじめを受けたり、仲間はずれにされたようである。

 だから小さい頃から自分の中に違う自分を見つけて、何とか正気を保っていたのではないだろうか。
 そして14歳頃からラップ・ミュージックに興味を持ち、MCとして活動するようになった。この辺の事情は、彼の自伝的映画「8マイル」に詳しい。

 この映画にはラップ・バトルのようなものが登場し、その技量を競い合うシーンが見られるが、実際にエミネムもこういうバトルを経験して、技術を身につけたようである。

 彼は白人社会からも見離され、黒人からは白人のラッパーとして軽蔑されていた。白人にラップなどができるわけがないという偏見の目で見られていたからだ。
 だから彼は別人格を設定することで、その対象から離れ、同時に自分を客観視することができたのだと思う。何度も自殺をしようと考えたらしいが、それをしなかったのも本能的に危険を回避しようとしたのだろう。

 それで「8マイル」のなかで挿入されていた曲が"Lose yourself"なのである。この曲は2003年度のアカデミー歌曲賞を受賞している。

 それまでの私は、ラップ・ミュージックなどはゴミだと思っていた。理由は、音楽的に進化がない、ワンパターンのリズムと日本人には意味不明の歌詞、そしてその多くは社会への不満や不平、怒りなど、およそ理性とはかけ離れたものばかりだと思っていたからだ。ついでにそのファッション性、だぶだぶの腰パンツにパーカーもワン・パターンだった。

 ところがその思い込みを打破してくれたのが、エミネムの音楽だったのだ。彼のラップにはメロディやストーリーが存在しているのである。

 疑う人には"Like toy soldiers"や"Mocking bird"、"Stan"、"When I'm gone"などを聴いてみるといい。そこにははっきりとしたメロディとストーリーを発見することができる。
 またラップがこれほどまでに攻撃的になれるのかと驚いたことも事実である。エレキ・ギターのアンプで増幅された音やキーボードの技巧的な旋律などなくても、充分にロックなのである。そう、自分にはヒップ・ホップでもラップでもなく、まさしくこれはロックとして聞こえるのである。

 現実との矛盾に悩む姿や、社会批評性、疾走感などをすべてひっくるめて表現した音楽がラップなのだろう。そこには楽器を持つ必要もなく、言葉だけですべてを表現できる先進性も見られる。

 これもまたロックの進化形なのかもしれない。そんなエミネムを知りたい人は、今までのベスト・シングルを集めた「カーテン・コール~ザ・ヒッツ」がお勧めである。

カーテン・コール。~ザ・ヒッツ デラックス・エディション Music カーテン・コール。~ザ・ヒッツ デラックス・エディション

アーティスト:エミネム,ドクター・ドレー,エルトン・ジョン,ダイド,ネイト・ドッグ,ノトーリアスB.I.G.,D12,ジェイ・Z
販売元:ユニバーサル インターナショナル
発売日:2005/12/02
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ロバータ・フラック

 私は、実はロバータ・フラックが好きなのである。実は物心ついて聞いた彼女の曲"Killing me softly with his song"が大好きであった。邦題は“やさしく歌って”である。

やさしく歌って Music やさしく歌って

アーティスト:ロバータ・フラック
販売元:イーストウエスト・ジャパン
発売日:1996/10/25
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 この曲は1973年2月から3月にかけて4週連続No.1位を獲得し、その年のグラミー賞ベスト・レコード、ベスト・ソング、ベスト・ポップ・ヴォーカル部門で表彰されている。いつ聞いてもいい曲だと思う。

 ただ曲が長すぎて(4分47秒である。当時は3分30秒を越えるとカットされるのが当たり前だったのだ)、当時のAMラジオ局でのベスト10番組では、最初から最後までかかったことがなかった。いつも途中でカットされるのである。それが悔しいというか、残念でたまらなかった。
 特に“オー、オオー、オオオ、オーオオーオーオー”と終わりで盛り上がるところでカットされるときが一番辛かった。何でこんなにいいところでカットするのか、と聞くたびに怒っていた思い出がある。
 しかもそのあとで(4分17秒あたり)いったん曲が終わったかと思いきや、またすぐに始まるところがあるのだが、ながくても大体この辺で終わってしまった。

 たぶん局のプロデューサーあたりが、あまりにも終わり方がくどいと思っていたのではないかと思っているのだが・・・
 ごくまれに最後までかけてもらうことがあったが、なるほどこういう終わりになっているのかとびっくりしたと同時に感心した思いでもある。

 最初はそんな聴き方しかできなかったが(今も基本的にはそうであるが)、そこから私のロック人生の旅が始まったのかと思うと、決して単なる思い出としては済ませられないのである。結構こだわっているのだ。

 あとになってこの曲は、アメリカのSSWであるドン・マクリーンのことを歌っているのだと知って驚いた。何しろタイトルが"Killing me softly・・・"なのだから、恋愛の歌か、殺人依頼の曲か(そんなバカな!)と思っていたからだ。(こういうタイトルのサスペンス映画があったぞ)

 ドン・マクリーンといえば、あの有名な"American Pie"を歌った人だが、その人のステージを見て作られた歌だそうである。ドン・マクリーンとロバータ・フラック、どうも結びつかないのだが、これがアメリカ音楽社会のいいところであろうか。

 なぜかというと、当時は今よりも人種差別が激しかったのである。マイケル・ジャクソンのところでも述べたように、何しろMTVでさえも最初は黒人の映像を流すのを嫌がったという話である。
 80年代でもそうなのだから、70年代初めはもっと状況は厳しかった。もっというとロバータ・フラックが成功できたのも、彼女の努力と才能と分け隔てのない性格のおかげであったのだ。

 彼女の母親は教会のオルガン弾きで、父親もジャズ・ピアノを演奏していたから、彼女の才能は持って生まれたものであったらしい。
 4歳でピアノを弾き始め、13歳でクラシックのピアノ・コンテストで入賞もしている。成績も非常によく、15歳で高校を卒業して、音楽の特待生として大学に入学。18歳で学士号を取得した。

 父親が亡くなったために大学卒業を断念して、音楽教師になったのだが、アメリカの教師の地位は低く、重労働の割には低賃金というのは有名な話である。
 彼女も2800人の生徒に音楽を教えて、得られた収入は年間2800ドルだった。つまり1人年間1ドルという計算である。200ポンドあった体重が160ポンドに減ったというから、もとはどれだけ太っていたのか、ではなくて、それだけ大変な仕事だったのである。

 7年間の教職経験のあと、レストランのピアノ・プレイヤーになり、それがまたオーナーに気に入られ、結構引っ張りだこになったそうである。
 結局、慈善コンサートで演奏していたところをスカウトされて、プロ・デヴューした。1969年の事である。

 そして彼女が33歳のときに"愛は面影の中に"が映画の挿入歌として使われ、話題になり、しかもビルボードNo.1にもなったのだ。こうやって見ると彼女には幸運の女神がついているようである。

 とにかく彼女の成功が、黒人社会に与えた影響は決して少なくないのである。彼女は黒人とだけでなく、ジャニス・イアンやキャロル・キングのような白人の曲も同じように取り上げている。
 その彼女の姿勢が白人社会にも受け入れられたのであろう。ブラック・ミュージック界(当時の呼称)という限定されたフィールドの中だけで終わらなかった原因ではないだろうか。

 彼女の艶のあるボーカルをもっと楽しみたい人はベスト盤がお勧めである。

ベスト・オブ・ロバータ・フラック Music ベスト・オブ・ロバータ・フラック

アーティスト:ロバータ・フラック,ダニー・ハザウェイ
販売元:イーストウエスト・ジャパン
発売日:1993/07/25
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