デヴィッド・エセックス

 さていよいよB級グラム・ロック・シリーズも今回が最終回になってしまった。ブリティッシュ・ロックの中でグラム・ロックの占める位置はどういうものなのかはわからないが、確実に影響力はあったと思っている。
 だから1980年代に入ってもボーイ・ジョージやデュラン・デュランなど、ファッション的にはその流れを汲むバンドやミュージシャンが出てきたのではないだろうか。

 それで最後はグラム・ロックの中には入らないと思うけれど、子どもの頃に個人的に印象に残っている人に登場してもらうことにした。その人の名はデヴィッド・エセックスという。

 この人がヒット曲を出して日本でも紹介されたのが、ちょうどグラム・ロックの終わりの時期だった。それで自分は、この人も時流に乗り遅れないように一発ヒットを出したのだろうくらいしか思っていなかった。

 何しろ見た目がカッコいい。日本でも若い女性がキャーキャー言っていた覚えがあるし、ミュージック・ライフなどでも特集が組まれていたように記憶している。
 だからきっとグラマラスな衣装とメーキャップで歌っていたのだろうと思い込んでいた。

 自分が最初に聞いたシングルは「魔法のランプ」だったと思う。1973年に発表されたアルバム「ロック・オン」に収められている曲で、聞いただけで、妖艶、グラマラスな雰囲気が漂っているのがわかるし、歌い方などはデヴィッド・ボウイやT・レックスのマーク・ボランに似ていた。だからこれは間違いなくグラム・ロックの傍流だと思ったのである。

 このアルバムは後年になって輸入盤で手に入れたのだが、この「魔法のランプ」だけでなく、アルバム全体が70年代前半のロンドンの雰囲気に包まれていて、聞くたびに自分を幼い頃に連れて行ってくれるのである。

 それにけっこうよく練られているアルバムである。単なる若者向けのアイドル・アルバムというわけではなく、全11曲中、自作曲が7曲もあるのだ。シングル・ヒットした"魔法のランプ"(Lamplight)だけでなく、アルバム・タイトルにもなった"Rock on"もそうである。

Rock On Music Rock On

アーティスト:David Essex
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発売日:2008/04/01
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 この独特のメロディとリズムの“タメ”は、良い悪いを超えて記憶に残るものになっている。とても新人の作った曲とは思えないほど、イマジネーションとオリジナリティに溢れていると思う。

 バラード系の"On and On"はバックのストリングスやサックスが効果的で、まるで映画のエンドロールに使われそうな曲である。もしくはラスベガスでのステージでも歌われそうな甘い歌になっている。こうやってみると彼は才能豊かなミュージシャンだったことがわかる。

 それに"Ocean Girl"などは、スティール・ドラムが使われて、本当は陽気なカリプソ・ミュージックになるところなのだが、デヴィッドの粘っこい歌い方は、まるでロンドン特有の夜霧の中でダンスしているカリブの女の子のように聞こえてくるのである。

 それほど才能豊かなデヴィッドであるが、オリジナルでない曲もある。1959年にビルボードの9位になった"Turn me Loose"は、もとはファビアンというアメリカのアイドルが歌った曲なのだが、デヴィッドが歌うと、粘着性のあるプレスリーが歌っているように聞こえてくる。

 またトラヴィス&ボブというアメリカ人のポップ・デュオが、これも1959年にヒットさせた"Tell Him No"という曲もカバーしている。原曲を聞いたことがないので、オリジナルとの違いが分からないのだが、ここではスローなバラードとして歌われていて、なかなか味わい深いものになっている。
 さらにはS&Gの"For  Emily, Whenever I may find her"も歌っていて、意外とこの人はアメリカ志向が強かったのかもしれない。

 デヴィッドは1947年7月に生まれているから、1stアルバムでのカバー曲は、彼の少年時代の曲に当たる。子どもの頃に聞いて口ずさんだ曲を、プロ歌手になって歌いたかったのであろう。

 彼は1963年にデッカ・レコードからデビューし、2年ほど自分のバンドと一緒にツアーをしていたようである。
 そして1stアルバムを発表した翌年、翌々年、"Gonna Make You a Star"と"Hold Me Close"の2曲で全英No.1を獲得し、遅咲きながらも全英のトップ・アイドルになった。

 その後、以前からちょくちょく映画に出ていたデヴィッドは、本格的に映画俳優としても活動を始めた。二束のわらじを履いた彼は、音楽と映画、次は舞台ということでミュージカルでも成功を収めている。

 現在でも彼は、しばしばアルバムを出してはツアーを行い、ミュージカルの舞台にも立っている。やはり彼は才能溢れるミュージシャンであり、エンターテイナーだったのである。何度も言うようだが、彼はグラム・ロックの範疇には入らないが、自分の中ではグラマラスに輝いていたミュージシャンだった。

 以上でB級グラム・ロックの特集は終わるのだが、今まで紹介してきたバンドやミュージシャン以外にもゲイリー・グリッターやスージー・クアトロなど数多くいる。もしまた機会があれば紹介したいと思う。たぶんそういう機会はないと思うけれど…

 とにかく1970年代の始めのイギリスで生まれたグラム・ロックであるが、その実績と影響は、21世紀の今でも人々の記憶の中にしっかりと息づいているのである。

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マイク・マクギア

 今年はアイランド・レコード50周年ということで、70年代のアルバムが続々と紙ジャケで再発されているようである。たとえばスパークスの「キモノ・マイ・ハウス」やルネッサンスの前身バンドでキース・エルフの妹、ジェーン・エルフがボーカルを務めていたイリュージョンのアルバム、珍しいところではツトム・ヤマシタの「ゴー」や「ゴー・ライヴ」などもある。

 その中で店頭にあったマイク・マクギアのアルバム「ウーマン」を衝動的に買ってしまった。彼の作品は以前から聞いてみたかったのだが、国内盤はおろか輸入盤でさえもなかなか見つけることができなかったからだ。

 ご存知のように、マイク・マクギアとは世を忍ぶ仮の姿で、本名はピーター・マイケル・マッカートニーという。マッカートニーという名前からわかるように、あの世界で最も有名な4人組の中の一人、ポール・マッカートニーの実弟である。

 ポールとは2歳下ということだから、今年で65歳になる。今はもうミュージック・シーンから足を洗っているようだが、60年代の半ばから演劇などの芸能活動を始めていたようである。
 特にコメディが得意らしく、地元の仲間たち2人と一緒に“スキャッフォールド”と名乗り、自分たちのTV番組も持っていた。

 またTVだけでなく音楽も手がけて、1966年にあのジョージ・マーティンのプロデュースでシングルも発表している。特に6枚目のシングル"Lily the Pink"は全英No.1にもなったそうである。

 当然マスコミも、あのポールの弟を放っておくわけもなく、彼に取材が殺到してしまい、それが嫌で彼は名前をマイク・マクギアと変えて芸能活動を続けていった。そんな彼が1972年に発表したソロ・アルバムが「ウーマン」だったのである。

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 内容はポールの弟として聞くと、そんなによくはない。しかし一ミュージシャンとして聞くと私の中の水準点は越えていると思う。コメディや演劇の役者が片手間に歌いましたという印象ではなく、まじめに音楽に取り組みましたという姿勢は伺うことができるからだ。

 兄ポール・マッカートニーとは比較にはならないが、それでも音楽的な才能は一般人よりは高く、すべての曲作りにかかわっており、中には作詞・作曲というのもある。そしてプロデュースは彼自身が行っている。

 特にアルバム・タイトルにもなった"Woman"は乳癌で亡くなった母親のことを歌っているようで、印象深いものになっている。アルバムのジャケット写真も母親の写真を使用しているという事で、この兄弟は母親の死がトラウマになっているのか、家族愛が強いのか、あるいは違う意味でマザ・コンになったのではないかと思っている。(だからポールは年上のリンダと結婚したと思うのだが、マイクはどうだったのだろうか)

 また全体的に一本調子になることはなく、バラエティ豊かな内容になっている。この辺は役者としての才能が音楽面にも影響を与えたのかもしれない。

 1曲目の"Woman"はバラード系で、2曲目の"Witness"は結構渋いポップ・ソングに仕上げられている。曲間のブルーズ・ハープやブラス、アコースティック・ギターが曲に彩を添えている。

 3曲目の"Jolly Good Show/Benna"はボーカルの多重録音がパーカッシヴに聞こえる意欲的な実験作になっていて、この辺は兄譲りの非凡なアイデアだといえると思う。
 またバックの演奏も堅実で、ドラムスはフェアポート・コンヴェンションのメンバーだというし、他のミュージシャンもそれなりに実績のある人たちらしい。マイクが声をかけたというから、音楽関係の人脈もあったのだろう。あるいは兄の後押しがあったのかもしれない。

 マイクの声は兄ポールとは違って、結構中音域が目立つ。"Wishin"という曲はアップテンポのロックン・ロールでシャウトしているのだが、高い音が出ていない。ポールなら高音が伸びるのだが、マイクはそうではない。この辺が面白い。だからこのアルバムはポールの「ラム」をかなり淡白にしたような感じがする。

 "Bored as Butterscotch"という曲もこのアルバムのお薦めである。ピアノがニッキー・ホプキンスしているし、バックのコーラスがビートルズっぽい。メロディもストレートに覚えやすく非常に聞きやすい曲になっている。

 へたに凝らずに、素直に作った曲の方がよかったと思う。たぶんファースト・アルバムだからワン・パターンにならずに気を遣って制作したのだと思うが、確かに音楽的才能は弟にもあると思う。一聴に値するアルバムではある。

 個人的にはマイクの次のアルバム、1974年に発表されたセカンド・ソロ・アルバム「マクギア」を聞いてみたいと思っている。これにはポール・マッカートニー&ウィングスが全面的にかかわっており、プロデュースはポール・マッカートニーで、曲作りも弟一緒に行っているからだ。

 そして曲自体もウィングスのアルバムに入っていてもおかしくないというから、かなりポップな音だと思うのである。
 しかし、残念ながらこのアルバムは売り上げ的には悪かったようで、マイク・マクギアはこれ以降アルバムは制作していない。音楽業界から手を引いたようである。

 その後のマイクは、趣味の写真をいかして、そこから本格的な写真家として歩み始めたようだ。個展や写真集も発表しているという。やはり芸術的な才能は兄弟ともに備わっていたのだろう。

 とにかく衝動的に買った割には、結構いいアルバムだった。次は彼の2ndアルバムを手に入れようと思うのだが、果たして再発されるかどうかわからない。癌の再発は嫌だが、こういう再発はこれからどんどんやってほしいものである。

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ジェイソン・フォークナー

 ジェリーフィッシュ関連でのミュージシャンをもうひとり紹介する。それは元ギタリストだったジェイソン・フォークナーである。

 彼はジェリーフィッシュの1stアルバム「ベリーバトゥン」に参加し、ツアーに出た後、バンドを脱退したそうである。
 理由はメンバー間のトラブルだった。1stアルバムのクレジットを見てもわかるように、ジェイソンが作った曲は、残念ながら見当たらない。

 これはバンドの中心メンバーだったアンディ・スターマーとロジャー・マニングがバンドに合わないということで却下したからで、プライドを傷つけられた?ジェイソンは、バンドを去っていったということだ。

 確かに練りに練られたジェリーフィッシュの音からすれば、ジェイソンのようなロックの鼓動や躍動感を与えてくれる音作りは似合わないのかもしれない。

 それがよくわかるのがジェイソンの1996年の1stアルバム「アーサー・アンノウン(詠み人知らず)」である。

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 このアルバムで彼は全曲ひとりで演奏し、自分でプロデュースしている。彼もアンディやロジャーと同じく自宅録音主義者なのである。あらためてジェリーフィッシュというバンドがどういうバンドなのか納得してしまった。

 それでこのアルバムを聞くと、彼がどういう音を志向していたのかがよくわかる。他のメンバーの作り出すマジカルなポップ・ソングとは違って、男性的な力強い音、ロック・ミュージックの持つ疾走感というものがよく表れているのである。

 だからアンディやロジャーたちは、ジェリーフィッシュのアルバムに合わないとして採用しなかったのだろう。
 実際に、はきりいってそんなにポップではないし、売れ線メロディもあまり聞くことができない。口ずさめるようなシンガロングな曲ではないから、あまり売れなかったように思う。

 その後彼は数枚のアルバムを発表しているが、この1stアルバムの路線を追求して行っているようだ。

 21世紀になって、他のミュージシャンのアルバムに参加しているいて、特に2005年にはポール・マッカートニーの「ケイオス・アンド・クリエイション・イン・ザ・バックヤード」でギターを演奏している。

 昨年は日本のフジ・ロック・フェスティバルのロジャー・ジョセフ・マニングJrのステージに飛び入りして、ジェリーフィッシュの曲を演奏したという。客席はきっと拍手大喝采だったに違いない。

 ジェイソンは1968年生まれなので、まだまだ41歳。できるならば、もう一度ジェリーフィッシュを再結成するか、ロジャーと新しいバンドを結成して、ポップな要素とロックン・ロールの要素をうまくブレンドした作品を発表してほしいものである。

 どうも彼一人で制作すると、独りよがりな作品になってしまいそうな気がするからだ。彼の才能をうまき引き出してくれる片割れがいれば、もっと人気も出てくるだろう。頑張れ、ジェイソン。アンディやロジャーを見返してほしいものである。 

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ロジャー・ジョセフ・マニング・Jr

 ジェリーフィッシュつながりで、このバンドのオリジナル・メンバーであったキーボーディストのロジャー・マニングのソロ・アルバムについて簡単に述べたい。

 彼は自分の名前を使用してのソロ・アルバムは2枚発表していて、最初はバンド解散から13年たった2006年に発表した「ソリッド・ステイト・ウォリアー」だった。

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 この13年の間に、彼はインペリアル・ドラッグやムーグ・クックブックというバンドを結成してアルバムを発表していたし、一方でアメリカのミュージシャン,ベックやフランスのバンドAirのアルバム作りに参加して、一緒にツアーに出たりしていた。だから結構忙しくしていたと思うし、この間にソロ・アルバム用の構想を練っていたのであろう。

 それで最初のアルバム「ソリッド・ステイト・ウォリアー」なのだが、これがまたポップでファンタジックな音作りになっている。

 ポップといっても、ジェフ・リンのようなビートルズライクな音作りではなく、どちらかというと練りに練った音でポップな音空間を構築しましたという感じだ。
 アメリカのミュージシャンにマシュー・スゥイートという人がいるが、彼の音に近い。言葉を換えると、トッド・ラングレンのサウンドに近いといった方がわかりやすいだろうか。

 彼らに共通している点は、いづれもスタジオに篭って、ひとりですべての楽器を操り、サウンドメイクをして、プロデュースするというところである。だから時としてオーヴァー・プロデュースすることもあるのだが、でも全般的に様々な楽器が有機的に絡み合っているような音になる。
 だからポップであると同時に、ちょっとプログレッシヴ・ロック的なアプローチも聞こえてくる。

 このアルバムでは1曲目の"The Land of Pure Imagination"や4曲目の"Loser"などがそうであり、"The Land of~"は5分くらいの曲の中に転調が多く使用され、プログレの縮小版のようである。
 また、"Loser"のイントロはセバスチャン・ハーディの「哀愁の南十字星」の中の曲に似ている。

 だから体が自然と動くようなポップ・ソングではなく、知的な香りのするポップ・ソング、ポップ・アルバムになっている。
 でも本当によくできたポップ・ソング集なのである。カラフルできらびやかで“万華鏡のような”ポップ・センスは、ジェリーフィッシュ時代の面影を確かに受け継いでいる。

 そして2年後に彼の名義のアルバムの第2弾が発表された。それが「キャットニップ・ダイナマイト」というアルバムであった。

キャットニップ・ダイナマイト Music キャットニップ・ダイナマイト

アーティスト:ロジャー・ジョセフ・マニング・Jr.
販売元:ポニーキャニオン
発売日:2008/03/19
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 このアルバムは前作よりもよりロックのダイナニズムや“ノリ”みたいなものが表に出てきていて、1曲目なんかはチープ・トリックが演奏しているみたいだった。
 また60年代のバート・バカラックのような音楽性の曲も聞けて、彼の音楽センスの進化が伺われるようだ。

 だからはっきり断言できるけれども、“クラゲ”のDNAは確実に彼に受け継がれている。このアルバムも彼一人で制作したようだが、ロック調やカントリー調、バラードなどバラエティ豊かな曲が12曲(日本盤にはボーナス・トラック1曲含む)もずらりと並んでいる。

 こういうアルバムがもっと売れていいと思うのだが、この洋楽不況時代に売れるのは、なかなか厳しいものがあると思う。

 だからこういう状況を打破するには、一発ビッグ・ヒットを飛ばすしかないだろう。どの曲もいい曲なのだが、これはという決め手にかけるのが玉に瑕。

 もしヒット・シングルを出せば、彼だけでなく、ジェリーフィッシュ時代も見直され、やがては洋楽不況も吹き飛ばしてくれるかもしれないのだ。
 彼に期待するしかない。頼むから一発でかいヒットを飛ばしてくれ。そうすれば誰もが彼の真価に気づき、あらためて彼を見直し、そしてポップ・ミュージック史に名前を残す事ができるだろう。

 たぶん彼はそんな事なんかぜんぜん気にしていないだろうけど、一ポップ・ファンとしては、彼に売れてもらうことも夢見ているのである。

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ジェリーフィッシュ

 ジェリーフィッシュとは、英語で“くらげ”を意味する。あるいは俗語で“骨なし野郎”という意味もある。要するにつかみ所のない、自由自在に存在していく、そんなイメージであろうか。

 それでそういうバンド名を持つ4人組が90年代のアメリカ西海岸のサンフランシスコで活動していた。彼らの音楽は、今でいうパワーポップであり、70年代のラズベリーズやチープ・トリック直系のメロディアスなロック・バンドであった。

 バンドのメイン・ソングライターはアンディ・スターマーとロジャー・ジョセフ・マニングで、彼らの作り出すポップな楽曲は、この手の音楽が好きな人たちに熱狂的に迎えられた。
 彼ら2人は、90年代のレノン&マッカートニーとまで呼ばれ、確かにその音楽にはビートルズにも通じるエヴァーグリーンなポップネスが封印されているかのようである。

 もともとアンディとロジャーは高校時代からの友だちで、2人でお互いの好きなレコードを交換したり、楽器を演奏しあったりしていた。そのうちどちらからともなくバンドを始めるようになり、1989年ごろジェリーフィッシュが結成されたようである。

 彼らはアルバム2枚、シングル4枚、EP1枚を残して解散してしまった。1990年に発表された1stアルバム「ベリーバトゥン」では、まだまだシンプルな曲が多い。

Bellybutton Music Bellybutton

アーティスト:Jellyfish
販売元:Virgin
発売日:1992/06/29
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 日本編集盤ではオリジナル曲に、ライヴ演奏が追加されているが、バッドフィンガーの"No matter what"やポール・マッカートニー&ウィングスの"Let 'em in"、"Jet"などの王道ポップを直球勝負で演奏している。このライヴ音源でもわかるように、やはり彼らには70年代のポップ・ミュージックが脈々と息づいている。

 1993年に発表した2ndアルバム「こぼれたミルクに泣かないで」は、彼らのラスト・アルバムでもあるのだが、最高に充実した彼らのエンターテイメント性を味わうことができる。
 曲によってはクィーンやビーチ・ボーイズのような曲も見られる。前作よりも豪華にプロデュースされており、“万華鏡のようなポップネス”を味わえる。

Spilt Milk Music Spilt Milk

アーティスト:Jellyfish
販売元:Toshiba EMI
発売日:1993/02/09
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 1曲目の"Hush"からビーチ・ボーイズのようなコーラスを聞くことができるし、4曲目の"New Mistake"は、まるで10ccかスーパートランプのようである。また8曲目"All is forgiven"はクィーンのメンバーがコーラス・ハーモニーに参加しているといっても通じるだろう。

 ジェリーフィッシュが解散した後、ロジャー・ジョセフ・マニングとオリジナルメンバーでギタリストだったジェイソン・フォークナーは、それぞれソロアルバムを発表している。いずれもジェリーフィッシュの命脈を保つようなポップな仕上がりになっている。
 またこの2人は解散後も連絡を取り合っているようであり、お互いにライヴに飛び入り参加などもしているようだ。

 ただメインライターだったアンディ・スターマーはあまり活動をしていない。日本のPuffyの名付け親になったり、Judy and Maryの曲をプロデュースしたりと、結構日本と関係は深いようなのだが、ソロ・アルバムは発表していないようである。
 もし発表すれば、かなりポップな名盤になると思うのだが、本人にはその気がないらしい。残念な事である。

 彼らの影響を受けたバンドは多い。ヴェルヴェット・クラッシュやウィーザーなど彼らの系譜をつなぐバンドは確かに存在するし、これからも増え続けるだろう。活動期間や作品数は少なくとも、その影響力はかなりのものである。そういう意味では、疑いもなくアメリカのポップ・ミュージック史に残るバンドなのである。

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ポール・スティール

 2009年の新年にふさわしい新人を紹介したい。イギリス出身のポール・スティールという人である。
 1986年生まれということなので、今年で23歳というヤングマンであるが、この年齢にしてはなかなかどうして、今後のポップ・ミュージックの動向を左右しかねないほどの技量を持っている人だと思っている。

 はっきりいってポール・マッカートニーやブライアン・ウィルソン、ジェフ・リン直系のポップ・ミュージックを奏でてくれるミュージシャンなのである。
 それは昨年秋に発表された1stアルバム「ムーン・ロック」を聞けばわかると思うのだが、第一印象は一人ビーチボーイズなのである。

ムーン・ロック Music ムーン・ロック

アーティスト:ポール・スティール
販売元:EMI MUSIC JAPAN(TO)(M)
発売日:2008/11/12
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 特に1曲目の"In a Coma"には、ファンタジックでマジカルでキャッチーなフレーズが詰め込まれている。また2曲目以降もほぼ同様で、"I will make you disappear"なんかは多重録音の極みみたいな曲になっている。

 もともとポップ・ミュージックを志す人にはいくつかの共通点があり、この人もその例外ではない。つまり、ポップなメロディだけでなく、なんでも一人でやらないと気がすまないというか、納得できないという気質である。
 だからポール・マッカートニーやブライアン・ウィルソン、ジェフ・リンだけでなくトッド・ラングレンやマシュー・スゥイート、XTCのアンディ・パートリッジ、のように、このアルバムでも一人ですべてのボーカル・パートと楽器演奏を行っている。

 要するに“ポップおたく”なのだが、この“ポップおたく”という存在は、60年代から21世紀の現在まで、目立つ目立たないはともかくとして、常にミュージック・シーンにい続けているというのが素晴らしいと思う。

 需要と供給のバランスではないのだが、やはりそういう存在を必要としている人がいるから、マルチ・ミュージシャンや一人ビーチ・ボーイズのような人が出てくるのであろうし、その逆に、そういうエヴァーグリーンなメロディはいつ聞いても人の心の琴線を打つのであろう。

 ちなみに、このアルバムは日本では大手のEMIミュージック(元東芝EMI)から配給されているのだが、本国イギリスでは自主レーベルからリリースされたという。イギリスでは大手のレーベルから見放されているらしい。2007年に自主制作した「April&I」というアルバムが不調だったからで、今のイギリスではこの手の音は敬遠されやすいのだろうか。頑張れ、ポール・スティールである。

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ダフィー

 最近、奥歯の詰め物が取れたので、かかりつけの歯医者に行った。この医者とはかれこれ20年近くの付き合いになるのだが、医者と直接話を交わしたことはなかった。何しろ人間嫌いというか、人と話すときに直接目を見ないで、横を向いて話すようなタイプの医者であった。

 自分にとっては、逆にそういうベタベタと客に媚を売らないというか、あっさりとドライに接してくれる人のほうが良かったので、いつの間にかズルズルと付き合っていたのである。それに歯科技工士に可愛い女の子もいたし・・・

 しかし今回ばかりは頭に来たのである。詰め物はつい1年以内に処置されていたもので、もちろんこの歯医者である。
 さらにここの営業時間が午後5時30分までに受付というではないか、職場の周りの人に聞いたところ、ほとんどの人が自分のところは午後7時までが受付で、治療が終わる頃は8時を過ぎることもあるといっていた。

 そして実際に治療が終わったら、さっさと自宅に戻ってしまい、詳しい説明もなかった。最近は説明責任ということがうるさくいわれているのに、この医者はそれさえも行わなかったのである。代わりに新顔の看護士が説明をしてくれたのだが、そんなことはどうでもいいことだった。(それにここの看護士は頻繁に替わっていく。やはり医者の仕打ちに耐えられないのだろうか)

 私の中で何かが音を立てて崩れていった。もうこんなところには来ないようにしようと。別に恩や義理があるわけでもなく(逆に今まで途中何年も顔を見せなかったことはあったが)、むしろこちらが患者として今まで儲けさせてやったのだから、感謝されてもいいくらいである。

 本当はそういうサービス業に値しないへぼ医者を実名で公開してやろうかとも思ったのだが、威力業務妨害などで訴えられても困るので、実名だけは勘弁してやろうと思う。田中町のN歯科、そういうことだ。もう永遠に会うこともないだろう。バイバイangry

 永遠に会わないといえば、昔聞いた曲や音楽にはもう再び耳にすることはないだろうと思っていたのだが、21世紀の現在に再び耳にすることができた。それがイギリス出身の女性シンガー、ダフィーである。Photo

 この手の音を聞くと、今が本当に2008年なのかと思えてくるほどである。これは絶対に1960年代のモータウン時代のシュープリームスやフィル・スペクターの奥さんだったロネッツがウォール・オブ・サウンドをバックに歌っている時代の音である。

 特にストリングスの音使いやメロディの展開など、まさに半世紀も前の音なのだ。しかしなぜか新鮮で、どことなく懐かしい微妙な感覚でブレンドされているのである。
 さらにまた一番の特長は、彼女の声である。この手の音に一番似合う声質なのである。
まさにこの手の音楽を歌うためにだけ存在するようなシルキー・ヴォイスなのである。彼女のデビュー・アルバムが全世界で300万枚以上売れているのもそういう理由があるように思えるのだ。

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 彼女は18歳で田舎町からロンドンに出てきたのだが、その彼女の最大の理解者がラフ・トレード・レーベルの創設者のジャネット・リーと元スウェードのギタリスト、バーナード・バトラーであった。
 特にジャネットは同じ女性という立場もあったのかもしれないが、公私にわたって彼女をサポートしている。普通なら売れると判断したならすぐにプロデュースして、アルバムを作ってコンサート活動を行い、消耗したらすぐに捨てるのだが、ジャネットはサポート・チームを作り、時間をかけて彼女の才能が開花するまでじっくりと待ったのである。

 彼女のデビューアルバムには、そういう周りの協力と彼女の実力がうまくかみ合ったものになっている。楽曲的にも申し分なく、当然のことながら彼女の声は非常に美しくマッチしているのである。

 特に"Warwick Avenue"、"Serious"、"Stepping Stone"、"Syrup&Honey"、"Mercy"、
"Distant Dreamer"などは素晴らしいできである。彼女の声質を十二分に生かしきっている楽曲と演奏を背景に、その表現力を遺憾なく発揮している。まさに10年に一度の逸材といってもいいだろう。

 彼女は本年度のグラミー賞にノミネートされる予定である。だからTVでそのパフォーマンスを見ることができるかもしれない。
 しかし、エイミー・ワインハウスといい、アデルといい、ジョス・ストーンといい、60年代に流行したような音楽を自分流に解釈し、表現しているシンガーがイギリスにはうようよしている様だ。彼女たちに共通しているのは、その類まれな才能とそれをサポートする人たち、そして決して美しくないその美貌のようである。

 さてこういう美しい音に身を委ねながら、今度はどこの歯科医に行こうかと考えている自分である。ネーミングで選ぼうか、場所で選ぼうか、電話での対応で選ぼうか、いづれにしてもそういう選択権がこちらにあるというだけでも、何となくプチ楽しくなってくる。やはり音楽と同じように、自分の人生は自分自身に決定権があるのである。

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カーリー・サイモン

 アメリカの女性歌手にカーリー・サイモンという人がいる。カーリー・サイモンとくればかつては男性SSWのジェイムズ・テイラーの元妻であり、何といっても一番有名なのは1972年にNo.1ヒットを記録したシングル"You're so vain"(うつろな愛)であろう。

 この曲はかなり売れたし、このシングル・ヒットのおかげで、この曲が収められていたアルバム「ノー・シークレッツ」も全米No.1を記録した。とにかくこの年を代表するシングル、アルバムだったのである。

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 このシングル曲"You're so vain"にはミック・ジャガーがバック・ボーカルに参加している。一聴してミックだとわかる声が"this song is about you, don't you? don't you?"と彼女と一緒にハモっている。

 なぜミックがこの曲の録音に参加したのかよくわからない。カーリーの記憶によると、録音中のスタジオにミックが電話してきて、今からそこに行くからよろしくというようなことを言ったらしい。
 彼女は冗談だろうと思っていたら、実際にやってきてレコーディングに参加したということだった。

 当時はすでにジェイムズ・テイラーと結婚していたから、彼女とミックが恋仲だったというのは考えられない(と思うのが普通だが、70年代は何があってもおかしくない時代だった。このアルバムはロンドンでレコーディングされたので、その数ヶ月間は彼女は一人暮らしだったのだ!)。

 この歌がヒットしていたとき、この歌詞に出てくる"You"とは誰のことか話題になったらしい。当時の旦那であったジェイムズ・テイラーか昔の恋人クリス・クリストファーソンか、はたまたミック・ジャガーか等々。要するにカーリー・サイモンは恋多き女性だったのである。
「あなたは何年も前
私が純粋だった頃自分のものにし
僕たちはいい関係になれるよと
言って決して離れなかった
だけどあなたは自分が愛したものを
次々と捨てていった
その中のひとつは私だったのよ
私は夢を見ていた
まるでコーヒーの中の雲のように
ありえないことを夢見ていた

あなたは虚しい人
あなたはたぶんこの歌は
自分のことを歌っていると
思っているはずだわ
そうでしょ?そうに違いないわ」
(訳プロフェッサー・ケイ)

 70年代のアメリカの女性シンガーは自分の女性性を強調している人が多いような気がする。例えば、リンダ・ロンシュタットは可愛い女性を演じながら恋愛遍歴を行っていたし、ジョニ・ミッチェルも数多くの恋を経験しながらそれをアルバムに反映していた。(ジョニ・ミッチェルの場合は恋愛を知的な芸術まで昇華している点が素晴らしいし、その点でも多くの他のミュージシャンから尊敬も受けている)

 カーリー・サイモンの場合はもっと露骨で、アルバム・ジャケットを見てもわかるように、セクシーな女性性を表現している。このアルバムでもそうだし、他にも逆光を受けてボディ・ラインのシルエットがはっきりとわかるものや、当時としてはかなり大胆なキャミソール姿だけのジャケットもあった。

Playing Possum Music Playing Possum

アーティスト:Carly Simon
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 また歌詞にも時代を反映してかかなり大胆な表現を使用したものもある。やはり70年代の性表現の解放の影響を受けていたのであろう。今なら普通に当たり前のような内容なのだが…

 80年代に入るとマドンナやシンディー・ローパーが登場してきて、時代とともに生きる自立した女性性を表現するようになる。特にマドンナは、最初は"Toy Boy"(男の子のおもちゃ)という雰囲気を出していたのだが、それは彼女の逆説的な表現で、女性という立場を利用して既成の価値観や宗教観と堂々と対決し、自分の意見を主張するようになった。

 こうやって見ると面白いのだが、別にロック・ミュージックにおける女性の人権史を述べるつもりはないのでこの辺でこの話題についてはお終いにしたいと思う。

 このアルバムには当時の夫のジェイムズ・テイラーは当然のこと、リトル・フィートのローウェル・ジョージやビル・ペイン、ニッキー・ホプキンスにジム・ケルトナー、さらにはボニー・ブラムレット、リンダ&ポール・マッカートニーなど豪華なミュージシャンが参加していた。

 この後、1983年にジェイムズ・テイラーと離婚し、2人の子どもを育てながら音楽活動をコンスタントに続けている。一時、ドラマーのラス・カンケルと付き合っていたが、その後作詞家と再婚した。また乳癌にもなったようだが、放射線療法の効果のせいかその後の話は聞いていない。

 70年代の彼女はシンガー・ソングライターであったが、80年代以降は映画の主題歌やジャズなどのスタンダード曲を集めたものを発表している。いまだに息の長い活動を続けている女性シンガーでもある。
 彼女の人生を見ていると、典型的なアメリカ人女性のように見える。裕福な家庭に生まれ、多くの恋愛を経験しながら結婚、離婚、再婚をし、今では孫に囲まれながら悠々自適の生活を送っている。性格は明るく陽気で、些細なことにはとらわれないさばさばした気質である。
 そういう彼女の性格が彼女の作った音楽にも反映されているのであろう。気が滅入ったときにはお勧めの音楽かもしれない。

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ハード・キャンディ

 車のカー・ステレオの調子が悪くて、CDがすぐに止まってしまう。CDクリーニングをしても、どうもうまく行かない。たぶん温度が高くなりすぎると止まってしまうのではないだろうか。
 DVDは全然問題ないのだが、CDは機能しないのである。また春や冬の冬季になると、これまた問題はない。だから温度の高さではないかと判断したしだいである。

 しかたないので、CDはMDに録音して聞いている。久しぶりにMDを買って使っているのだが、でもそのMDは録音してはまた違うCDを入れているので、ラベル印字をしていない。だから時々どのMDに何を録音したのか分からなくなってしまう。

 それで最近はMDの入れ物がカラーのものを買うようにしている。だから渋い銀色はヴァン・モリソンを、緑色はコールド・プレイを録音した。そして情熱の赤はマドンナの「ハード・キャンディ」なのである。

ハード・キャンディー Music ハード・キャンディー

アーティスト:マドンナ,ジャスティン・ティンバーレイク,カニエ・ウェスト,ティンバランド
販売元:Warner Music Japan =music=
発売日:2008/04/30
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 最近はこのアルバムをよく聞いている。春先に発売されたので、結構遅れて購入した。もう世間的には流行遅れかもしれないのだが、自分的には気に入っているのだ。

 何しろ前作の「コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア」が全世界で1000万枚以上売れた。それから3年後、同様なコンセプトを持つニュー・アルバムが届けられた。

コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア Music コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア

アーティスト:マドンナ
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2005/11/16
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 80年代の終わりから彼女のアルバムが全世界的に売れるようになって、ますます意欲的に最先端の音楽を導入するようになった。一時はテクノやハウス・ミュージックと呼ばれるような音楽を取り入れて、個人的にはちょっとついていけないときもあった。

 特に90年代のアルバム「エロティカ」、「ベッドタイム・ストーリーズ」、「レイ・オブ・ライト」はどうも受け付けることができなかった。ポップでもないし、だからといって踊れるほどダンサンブルな音作りでもなかった。
 当然のことながら、売り上げにも響き、この3枚のアルバムは全米No.1にはなれなかった。(英国では「レイ・オブ・ライト」がNo.1になっている)

レイ・オブ・ライト Music レイ・オブ・ライト

アーティスト:マドンナ
販売元:ダブリューイーエー・ジャパン
発売日:1998/02/22
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 2000年以降は最先端の音と商業的な売り上げの両方を狙うかのように、バランスのよいアルバム作りを行っているように思う。
 特に前作の「コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア」ではスウェーデンのアバの楽曲をサンプリングしたこともあり、本当によく売れたし、ツアーも大成功だった。

 新作もジャスティン・ティンバーレイクやカニエ・ウエスト、ティンバーランドなどのダンス、ラップ系のミュージシャンを起用し、相変わらず流行に敏感なところを見せてくれている。
 内容的にも最初の2曲"キャンディー・ショップ"、"4ミニッツ"はそういう流行の音楽になっている。"4ミニッツ"の方はアメリカのダンス・チャートとイギリスのシングル・チャートで1位を記録した。

 しかしこのアルバムのすばらしいところは、この2曲だけでなく、それ以降の"ギヴ・イット・2・ミー"や"マイルズ・アウェイ"、"インクレディブル"、"デヴィル・ゥドゥント・レコグナイズ・ユー"などの80年代の彼女の楽曲を髣髴とさせるようなポップでメロディアスで踊れるいい曲が詰まっているのである。

 だからこのアルバムも売れている(はずである!)。全英・全米ともにアルバム・チャートNo.1を記録した。前作の影響だけでなく、今回は以外に?いい曲が収録されたアルバムだったからだと思うのである。("マイルズ・アウェイ"は木村拓也主演のTVドラマの主題歌にもなった。マドンナの曲がTVドラマの主題歌になったのは世界初である)
 
 8月16日で50歳を迎えたマドンナであるが、相変わらずメジャーの野球選手とラヴ・アフェアを行ったり、夫とアツアツぶりを見せたりして私生活でも充実している。
 この調子で60歳を過ぎても歌って踊れる世界最高の女性ミュージシャンになってほしいものだ。マドンナならそれが可能だろうし、それが許せるのである。

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ザ・フィーリング

 英語で“I know the feeling.”というと、「気持ちはよく分かるよ」という意味になるらしい。この場合の“the feeling”というのは「その感情、気持ち」ということだろう。

 それで21世紀のこの時代に、こんな正統的ポップ・グループの音を聴くことができてうれしいと思えるような「気持ち」にさせてくれるグループがイギリスから登場した。その名もズバリ“The Feeling”である。

 彼らが2006年に発表した1stアルバム「トゥエルヴ・ストップス&ホーム」を聴けば、思わずニヤリと口の端が動き、目じりはやや下がり、目に輝きが増してくると思うのである。

Twelve Stops and Home Music Twelve Stops and Home

アーティスト:The Feeling
販売元:Mca
発売日:2006/06/05
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 ましてやあなたがポール・マッカートニー&ウィングス、パイロット、10cc、バッドフィンガー、70年代のELO、モンキーズ、ラズベリーズ、ジェリーフィッシュなどの音が好きなら、文句なしに気に入るはずである。

 このグループは5人組なのだが、ギター&ボーカルのダン・ギレスピー・セルズはクィーンやエルトン・ジョン、カーペンターズがもともと大好きだったという、いまどき稀有なミュージシャンなのである。
 さらにフランスのスキー・リゾートで昼夜2回の公演をスキー客相手に毎日行っていたときに、スーパートランプのようなポップでプログレッシヴな音にも目覚めたというのだから、私に言わせるならポップ職人の優等生のような存在と言ってもいいだろう。

 それでいま毎日この1stアルバムを聴いているのだが、ギターだけ目立つとかピアノだけ目立つとか、そういうことは全くなく、全体的に非常にバランスよく曲が作られている。ギターもピアノも聞かせるときには、それぞれの特徴を見事に発揮させている。

 また音の一つひとつが粒よりで、たぶんメロディが基本となって曲ができていくのだろうと思うのだが、あまり頭の中で練られて作られたという感じはしない。素直に出てきた音を大切にして、それに肉付けをしていっている感じである。だから曲のクレジットは“The Feeling”となっている。

 それに特徴的なのは、コーラスが多用されていることもあげられる。アルバムの冒頭の"I want you now"などはそのコーラスがこ気味よく聞こえるアップテンポな楽曲である。この1曲を聴いただけで天に召されても仕方がないと思えるほどだ。
 さらに続く"Never be lonely"も3分30秒の短い曲なのだが、ポップの王道とはこういうメロディとハーモニーとあまり目立たないギター・ソロですよと教えてくれているようである。

 "Kettle's on"は壮大なバラードだし、シングルにもなった"Sewn"はラララというスキャットの部分と歌詞の部分が非常に上手くマッチしていて、このアルバムの中では5分55秒という長尺なのだが、一向に長さを感じさせない曲でもある。

 アルバムの後半になっていくと、ギターよりもピアノが中心となって作られたような曲が多くなる。"Strange"や"Rose"、"Same old stuff"、"Helicopter"などであるが、ピアノで作られた曲はバラード系かミディアム・テンポの情感豊かな曲に仕上がっている。
 そして最後の"Blue Piccadilly"では最初はピアノでゆったりと始まり、徐々に盛り上がっていく構成になっている。5分4秒くらいなのだが、要するにビートルズの"Hey Jude"のような、最後を締め括るにふさわしい曲だと思う。

 このアルバムは全英アルバム・チャートで初登場で2位を記録した。やはりイギリスという音楽的風土には、ポップな音を希求する土壌がもともと存在しているのであろう。さすがビートルズが生まれた国なのである。

 それで今年になって、彼らの2ndアルバム「ジョイン・ウィズ・アス」が発表された。

ジョイン・ウィズ・アス Music ジョイン・ウィズ・アス

アーティスト:ザ・フィーリング
販売元:ユニバーサル インターナショナル
発売日:2008/03/26
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雑誌などのアルバム評を読むと、なかなかこれもよさそうである。早く手に入れて実際にどんなものか聴いてみたいと思っている。そうすれば本当に“I know the feeling”と言えるのではないだろうか。今年の夏は彼らの1stと2ndで気持ちよく過ごせそうである。

 P.S. 
 日本での彼らの1stアルバムは12曲+ボーナス・トラック2曲、さらにノン・タイトルのヒドゥン・トラック1曲、計15曲というヴォリュームである。これらのボーナス・トラック群も決して手抜きしていないイイ曲である。

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シンプリー・レッド

 暑い、とにかく暑い。こんなに暑いと暑さのせいで何か変なことをしでかす人がでてくるようで、最近の新聞欄やテレビをみると、世の中変な人が多いなあと思ったりしてしまう。
 そういう自分もかなり変人だといわれているのだが、少なくとも犯罪には手を染めていないからいいのかなと自分を納得させたりしている。

 ちなみに変人の証拠として貧乏性ということがあげられる。ひとりで車を運転するときは、必ず窓をあけて運転するし、エアコンは絶対に使用しない。
 さらに家のエアコンでも昼間は使用しない。なるべく我慢して電気代を低く抑えるのである。たださすがに夕方は西日が当たってかなり刺激的になるので、4時以降はエアコンを入れる。でも基本は除湿である。

 こういう暑い日には、涼しくなる音楽を聴きたいと思うのが人情である。それで今回はイギリスはマンチェスター出身のグループ、シンプリー・レッドが登場するのだ。

 1985年のデビュー。最初はバンドとして活動していたのだが、現在ではリーダーのミック・ハックネルのソロ・プロジェクトとしての色合いが濃い。

 音の基本は俗にいうところのブルー・アイド・ソウルである。80年代の半ばのイギリスではこういうソウルっぽい音が流行っていた。例えば、ブロウ・モンキーズやポール・ウェラーのスタイル・カウンシルなどで、ジョージ・マイケルもその一派といってもいいだろう。

 グループ名はミックの髪の毛の色が赤毛だったため、彼のニックネイムをバンド名に使用したとのことである。あるいはまた、地元のサッカーチームであるマンチェスター・ユナイティッドの色であり、思想的に左よりだからという意味も込められているらしい。

 それはともかく1985年の1stアルバム「ピクチャー・ブック」からのシングル"マネーズ・トゥー・タイト"がヒットして、彼らは最初から人気バンドになった。

ピクチャー・ブック Music ピクチャー・ブック

アーティスト:シンプリー・レッド
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2006/01/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 その後1987年の「メン・アンド・ウーマン」、89年の「ア・ニュー・フレイム」と着実にアルバムは売れていき、シンプリー・レッドは世界中に認められる存在になった。
 ただやはりメイン・ボーカルのミックに光が当たるのはある意味仕方がないことで、他のメンバーとのひらきが出てしまい、結局1991年頃からソロ・プロジェクトに移行する。

 彼らの(彼の)特色は、オリジナルよりもカヴァー・ソングがヒットしたということであろうか。"マネーズ・トゥー・タイト"、"イフ・ユー・ドント・ノウ・ミー・バイ・ナウ"などはそのいい例である。
 だからある意味、一流のカヴァー・バンドといわれても仕方のないところもあった。その彼らが全編オリジナル曲で勝負したアルバムが1991年発表の「スターズ」である。

スターズ Music スターズ

アーティスト:シンプリー・レッド
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2006/01/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 やっと本題に入れた感じだが、個人的にこれはやはり真夏の、特に昼間の暑さがやっと収まったと思われる夜に聴くと似合うアルバムなのである。
 とにかくソウルフルで、なおかつそれほど粘っこくもないソフィストケイトされた音楽で、ある意味オシャレでもある。

 特にタイトル曲"スターズ"、"ユア・ミラー"、"ワンダーランド"などは素晴らしいメロディを含んでいる。こういう曲を聴くと、ホットな体もクール・ダウンされてしまう気がする。
 
 また、"サムシング・ゴット・ミー・スターティッド"、"スリル・ミー"などはR&Bの小刻みなリズムを感じることができる。

 そのせいかこのアルバムは2年連続年間アルバムチャート1位を獲得し、今まで全世界で2300万枚以上も売れたといわれている。本国では、最近このアルバムのリイシュー盤も発売されている。
 またこのアルバムから日本人の屋敷豪太がドラムス、パーカッションに参加するようになり、以降ミックとの関係はより緊密になり、プロデュースにも共同で携わるようになった。

 また1999年に発表された「ラヴ・アンド・ザ・ロシアン・ウィンター」も好盤である。ややアコースティックなサウンドが強調されているとはいえ、つくりは「スターズ」によく似ており、皮肉な見方をすれば“二匹目のドジョウを狙った”アルバムと言われるかもしれない。

ラヴ・アンド・ザ・ロシアン・ウインター Music ラヴ・アンド・ザ・ロシアン・ウインター

アーティスト:シンプリー・レッド
販売元:イーストウエスト・ジャパン
発売日:1999/10/27
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 しかし曲自体は、粒ぞろいのいい曲が多く、何回聴いていても飽きは来ない。ただあまりにも上品過ぎて面白みはないかもしれない。「スターズ」以降のアルバムは、一定水準以上の上質のアルバムなのだが、ややマンネリといわれかねない部分は確かにあると思う。

  2007年には10枚目のアルバム「ステイ」が発表されたが、これがシンプリー・レッドとしての最後のアルバムになりそうである。もう25年以上もやれば充分ということで、2009年のツアーを最後にシンプリー・レッドを終わらせるとのこと。以降は本格的にソロ活動を開始するのであろう。

 彼らの「スターズ」以降のアルバムを連続して聴き続けていくなら、昼間の暑さも忘れ、ホッと一息つけるのではないだろうか。そういう意味では、自分にとってシンプリー・レッドは忘れられないバンドなのである。

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ストロベリー・スウィッチブレイド

 “夏が来れば思い出す~”という歌があったが、自分にとって真夏といえば、ストロベリー・スウィッチブレイドという女性デュオの「ふたりのイエスタディ」を思い出す。1985年頃のお話である。

ふたりのイエスタディ +9 Music ふたりのイエスタディ +9

アーティスト:ストロベリー・スウィッチブレイド
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2006/11/22
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 とにかくジャケットを見る限りは、ケバイお姉ちゃん2人であった。基本的には、今で言うところのゴスロリ・ファッションである。つまり黒を基調にしたヒラヒラのフレアー・スカートに黒いストッキング、エイミー・ワインハウスのようなドギツイ化粧をしている女の子である。
 ただしゴスロリとの唯一の相違点は、彼女たちには水玉模様が入っているということだろう。

 そういえば、アン・ルイスが"ラ・セゾン"や"六本木心中"を歌っていたあの頃のファッションを思い出すと分かりやすいと思う。音楽もファッションも、歴史と同じように繰り返すものなのであろうか。

 それでこのイケイケ姉ちゃん2人組のストロベリー・スウィッチブレイド(以下SSと略す)であるが、もともとはイギリスはブラスゴー出身の4人組だった。当時は70年代後半のパンクを経て、ニュー・ウェーブなどが興隆するなどの新しい音楽状況になっていた。

 だから興味があれば誰でも音楽を志し、意欲があれば誰でも表現することのできる時代でもあった。(特にイギリスでは国民性を反映しているのか、昔も今も音楽に関してはかなり回転が速いようである)

 このSSもディスコで知り合って意気投合しバンドを始めたのだが、楽器も弾けなかったし、音符も読めなかった。それでも音楽を始められるのだから、本当にイギリスという国は不思議な国である。

 それで最初の4人組から女性2人になり、エコー&ザ・バーニーマンのギタリストの応援もあって1983年にマイナー・レーベルからアルバム・デビューした。エコ・バニもグラスゴー出身のグループだったから、SSも地元の応援があったからデビューできたともいえるかもしれない。

 1984年の暮れに"ふたりのイエスタディ"が大ヒットする。何しろ全米4位まで上昇したのだからたいしたものである。その勢いを買ってアルバムまで作ってしまった。しかもこのアルバムが隠れた名盤なのである。

 さらに全曲SSの2人が作詞・作曲をしている。楽譜もろくに読めなかったのが、作詞・作曲まで行っているのだから急成長している。そういえばジョンやポールも最初は楽譜も読めなかったのだから、イギリス人にはこういった音楽的才能が備わっているのだろうか。

 もちろんこのSSの作曲能力も素晴らしいが、それ以上にアレンジが見事である。特にストリングス・アレンジメントはマイク・オールドフィールドとも共演したことのあるデヴィッド・ベッドフォードが担当している。イギリスではこういう“異種交流”も盛んなのだ。だから音楽シーンも活発なのだろう。

 80年代当時流行していたエレクトロニクス(キーボード)中心の演奏をバックにして、2人が爽やかなボーカルを聞かせてくれている。
 それにどことなく聞いたことがあるようなメロディ、ノスタルジックなフレーズと覚えやすいメロディが微妙な感覚でブレンドされているところが素晴らしい。

 "ふたりのイエスタディ"をはじめ、"レット・ハー・ゴー"、"アナザー・デイ"、"リトル・リヴァー"などではメロディックなエレクトロ・ポップを聞くことができるし、"ディープ・ウォーター"、"ジェイムズ・オー・ストリート10番地"、"愛の疑問"などでは、逆にムーディでノスタルジックなバラードになっている。

 アルバムを通して単調になっていないところがよい。やはりこれはアレンジメントやアルバム・プロダクションの勝利ではないだろうか。
 特にラストを飾る"ビーイング・コールド"では、まるで映画のエンド・ロールに使われるクロージング・テーマのような曲調で、聞き手に様々なイメージを喚起させてくれる。単なる田舎出身のケバイお姉ちゃんが作ったありふれたアルバムではないのである。

 このバラード系の曲、"ディープ・ウォーター"や"ジェイムズ・オー・ストリート10番地"、"愛の疑問"、"ビーイング・コールド"を聴きながらまどろんでいた夏の日を思い出す。
 なぜか真夏の30℃以上の部屋の中にいても、眠ってしまった。ただ単に睡眠不足といわれればそうかもしれないが、でも自分にとっては、そういう桃源郷に誘うような不思議な魅力に溢れているアルバムだったのである。

 SSの2人組のお姉ちゃん、ジル・ブライスンとローズ・マクドゥールはこのとき23歳と24歳だった。それから約四半世紀、お姉ちゃんも立派なおばちゃんになっていることだろう。

 たった1枚のアルバムしか残さなかったSSであるが、今でもアルバムが再発されるほど人気は根強い。彼女たちの中にあった摩訶不思議なポップネスは永遠の輝きを帯びている。

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アデル

 アデルというイギリス人女性がいる。アデル・アドキンスというのが正式な名前のようだが、通称“アデル”として呼ばれているようだ。

 彼女はサウス・ロンドン出身の19歳。14歳から作曲活動やギター演奏をはじめ、エイミー・ワインハウスやリリー・アレンらが在籍していたブリット・スクール(フリー・パフォーミング・アーツ&テクノロジー)を卒業したあと、歌手デヴューした。

 彼女自身は小さい頃からエラ・フィッツジェラルドやロバータ・フラックなどをよく聴いていて、自分をソウル・シンガーと称しているが、レコード会社はポップスの分野で活動させようとしているようだ。

 実際、彼女のシングルなどは、ホワイト・ストライプスらが所属しているXLレコーディングすから発売されている。

 イギリスの各音楽雑誌などは、次のように彼女のことを評している。NME誌は「完全に、絶対的に美しい」、Qマガジンは「ボイス・オブ・ネクスト・イヤー」、サンデイー・タイムズ誌は「スターが生まれた!」エル・マガジンは「(彼女は)レナード・コーエンのような失恋ソング・ブックを持っている」、ミュージック・ダートでは「ミシシッピ・デルタとサウス・ロンドンが触れ合った」等々。

 彼女のデヴュー・アルバム「19」は全英1位を獲得しているし、アルバムが発売される前からネットでも大評判で、ブリット・アワーズ2008でもクリティクス・チョイス賞を受賞した。

19 Music 19

アーティスト:アデル
販売元:Warner Music Japan =music=
発売日:2008/03/05
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 彼女の曲"デイドリーマー"は男性を好きになった自分の恋人との別離を歌っているとのことだが、彼女の書く詞は基本的に自分の経験したことやそれから生じた感情を綴っている。だから19歳にしては豊かな感性を備えているといっていいのではないだろうか。

 ちなみに彼女もエイミー・ワインハウスやジョシュ・ストーンと同じように、自分で作詞作曲をしている。最近の女性シンガーは歌うだけでなく、演奏や作詞作曲もできるのである。

 自分は衛星放送でブリット・アワード2008を見たが、確かに見事な歌唱力と繊細な表現力が際立っていたと思った。そして見事な体型だった。Photo

 それでアルバムを購入したのだが、確かに素晴らしいアルバムである。デヴュー・アルバムとは思えないほどだ。
 彼女のボーカルを引き立てようとしているのか、バックの演奏は極めてシンプルである。中にはベースだけの曲もある。それを演奏しているのはアデル自身だ。
 ちなみに彼女はある意味マルチ・ミュージシャンで、ギター、ベース、キーボード、カウベルまで、このアルバムでこなしている。

 彼女自身の声もイギリスでは“スモーキー・ヴォイス”と呼ばれているようで、確かにソウルフルな歌声である。しかしそれ以外にも個人的に思うのだが、彼女のヘヴィ・スモーカーのせいで、そういわれているように思える。まさに“スモーキー”な彼女なのである。

 そして何度もいって申し訳ないのだが、映像を見て驚いたのは体型である。昔でいうと、ママス&パパスのキャス・エリオットのような、今でいうと森三中のメンバーのようなのだ。

 しかし歌わせるととても19歳とは思えないほどの人をひきつける魅力を持っている。この歌声と見た目のギャップがまた素晴らしいのである。要らぬお世話だが、心臓麻痺を起こさぬように、末永く活動を続けていってほしいと思う。

 とにかくこのアルバムは素晴らしい。また新たな巨星が誕生したようである。イギリスは日本より人口も少なく、面積も小さいのに、文化面(音楽面)ではいまだに世界のトップ・リーダーなのである。

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マドンナ

 前回はシンディ・ローパーのことについて書かせてもらったが、同時代に彼女と人気を分かち合った人がいた。共通点は下積み時代があり、デヴューまで時間がかかったが、デヴューしてからは80年代を象徴する時代の寵児となった。

 相違点は、シンディの方は女性の方に人気があって、彼女は男性に人気があった。またシンディは平和的で母性愛溢れる印象だったが、彼女はBoy Toyといっていたが、のちに戦闘的なまでに既成の価値観と闘う女性になっていった。

 彼女の名前は、マドンナ・ルイーズ・ヴェロニカ・チコーネ、通称マドンナ、1958年生まれなので今年で50歳になる。

 彼女の業績については、今さら書き連ねても意味がないだろう。音楽制作だけでなく、レコード会社の設立やそれに伴った新人発掘、映画や舞台活動、最近では映画監督や児童書執筆までにも携わっており、2000年のギネス・ブックでは「史上最も成功した女性アーティスト」に、2007年度版では「地球上で最も稼いだ女性アーティスト」に認定されている。
 また今年の3月にはロックの殿堂入りも果たしている。

 そんな彼女が1986年に発表した3枚目のアルバムが「トゥルー・ブルー」であった。同時期に発表されたシンディ・ローパーのアルバムが「トゥルー・カラーズ」だったので、まるで2人が競い合っているかのように宣伝されたものだ。

True Blue Music True Blue

アーティスト:Madonna
販売元:Warner Bros.
発売日:2001/05/21
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 とにかくこのアルバムは売れた。英米だけでなく、フランス、ドイツ、スイスをはじめ、カナダ、オーストラリアなど各国のアルバム・チャートでも1位を記録した。

 ヒットした原因は、やはりシングル・ヒットの存在だろうか。それとMTVでも繰り返し流されていたが、プロモーション・ビデオのおかげだろう。
 シンディ・ローパーはそのユニークなキャラクターも人気の一つだったが、マドンナの方は過激な歌詞やパフォーマンスと同時に、何しろ歌って踊れるというメリットがあった。だからMTV全盛時代にまさにピタッとハマっていたのだろう。

 マドンナは、中退したとはいえ奨学金を得てミシガン州立大学のダンス課程で学んでいたし、小さい頃からバレエ、モダンダンス、ジャズダンス等をこなしているのだ。
 またニューヨークに出てきてからも本格的にダンスを学んでいた。だから一通りの基礎は出来上がっていたのである。

 このアルバムからは"リヴ・トゥ・テル"、"パパ・ドント・プリーチ"、"オープン・ユア・ハート"が全米No.1、"トゥルー・ブルー"が全米No.3、"ラ・イスラ・ボニータ"がNo.4になっているし、そのうち"パパ・ドント・プリーチ"、"トゥルー・ブルー"、"ラ・イスラ・ボニータ"はイギリスでも1位を獲得している。

 内容的にも"リヴ・トゥ・テル"のようなバラードあり、"トゥルー・ブルー"、"ジミー・ジミー"のような60年代ポップスあり、スパニッシュ・ギターをスパイスにした"ラ・イスラ・ボニータ"のような異国情緒の曲もありといった盛りだくさんのものだった。ある意味売れても当然の内容であり、とりもなおさずマドンナが人気だけでなく、その実力を見せつけたアルバムでもあった。

 その後90年代、2000年代と、彼女は、ダンス、クラブ・ミュージックやテクノ・ミュージックの方にシフトしていき、ポップスのフィールドを大きく超えて活動するようになった。
 またある程度自分の目標が達成されると、社会活動家としての意識が芽生えてくるのであろうか。エイズ撲滅キャンペーンや反戦活動、子どもの人権を守る活動に積極的に参加するようになった。

 2006年にはアフリカの小国マラウイにエイズ孤児を支援するために500万ドル以上を投入している。子どもたちの施設を作ることが主である。
 その際、一人の男の子と養子縁組をして自分の子どもとして育てるようになった。これで3児の母となったわけであるが、この養子縁組については金持ちの道楽だという意見もあれば、アフリカの実情を知ってもらういいチャンスになったという意見もあり、世界中で論争を巻き起こした。

 2005年に発表された11枚目のアルバム「コンフェッションズ・オン・ア・ダンス・フロア」は全曲ノン・ストップのディスコ/ダンス・ミュージックで構成され、アルバムは世界40ヶ国でNo.1、シングル"ハング・アップ"は全世界41ヶ国で同様にNo.1になり、彼女にとっては久々の大ヒット・アルバムになったのである。

コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア Music コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア

アーティスト:マドンナ
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2005/11/16
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 そして新作が今月末に発表される。タイトルは「ハード・キャンディ」というもので、内容はヒップ・ホップのようである。

ハード・キャンディー Music ハード・キャンディー

アーティスト:マドンナ,ジャスティン・ティンバーレイク,カニエ・ウェスト,ティンバランド
販売元:Warner Music Japan =music=
発売日:2008/04/30
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 そう考えると、彼女がシンガーとして純粋にポップ・ミュージックの分野で一番輝いていたときが、86年からの4年間ではないかと思うのである。
 だから自分にとっては、この「トゥルー・ブルー」は、そういう意味でも80年代を代表する懐かしいアルバムなのであった。

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トゥルー・カラーズ

 80年代を代表する女性アーティストの一人にニューヨーク出身のシンディ・ローパーがいる。彼女はエキセントリックかつユーモラスな言動で、一躍時の人となった。

 もちろんそれはそのユニークな性格から来たものだけではなく、シンガーとしての確かな実力があったことはいうまでもない。
 彼女が1984年に発表したデヴュー・アルバム「シーズ・ソウ・アンユージャル」は、全米でダブル・プラチナ・アルバムとなり、翌年のグラミー賞ではベスト・ニュー・アーティストに、第1回のMTV大賞では最優秀女性ビデオ賞に輝いている。

She's So Unusual Music She's So Unusual

アーティスト:Cyndi Lauper
販売元:Epic/Legacy
発売日:2000/11/23
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 このアルバムからのファースト・シングルの「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」はヒット・チャートに急上昇して第2位に輝き、セカンド・シングルの「タイム・アフター・タイム」は全米第1位になった。

 またサード・シングルの「シー・バップ」は第3位、「オール・スルー・ザ・ナイト」が第5位となり、デビューアルバムから4曲連続トップ5入りした初の女性ソロ・アーティストとなったのである。

 そんな彼女が2年後に発表したセカンド・アルバム「トゥルー・カラーズ」がこれまた素晴らしいアルバムになっている。Photo
 1st・アルバムで自信を深めたのであろう。このアルバムには自作の曲やデビュー前に活動していたグループの曲、1965年にヒットした"アイコ・アイコ"、71年にマーヴィン・ゲイが歌ってヒットした"ホワッツ・ゴーイン・オン"などが収められていて、いずれも非常に味わい深いものがある。

 このアルバムからも1st・シングル"トゥルー・カラーズ"が2週連続No.1になっているし、2nd・シングル"チェインジ・オブ・ハート"は3位に、3rd・シングル"ホワッツ・ゴーイン・オン"は第12位になっている。

 またゲストも豪華で、バック・コーラスにはビリー・ジョエルやバングルス、ギタリストには80年代を代表するプロデューサーでもあったナイル・ロジャース、キング・クリムゾンのエイドリアン・ブリュー、ハード・ロック・バンドであったエドガー・ウィンター・バンドのリック・デリンジャーなどが参加している。

 特にリック・デリンジャーとは曲も共作したり、一緒にツアーにも同行したりしていて、当時のコンサート・フィルムでも彼の勇姿を確認することができる。当時の2人のコラボレーションはとてもうまくいっていたようである。

 話は前後したが、このアルバム・タイトルにもなっている"トゥルー・カラーズ"は確かに名曲である。この春の宵にはぴったりのバラードであるし、続く曲"嵐の中の静けさ"逆にアップ・テンポでロックしていて、隠れた彼女の名曲だと思う。この辺のバランスが見事である。

 またマーヴィン・ゲイの"ホワッツ・ゴーイン・オン"はほぼ原曲のままに歌われているのだが、それがまたマーヴィン・ゲイとは違う意味で反戦の気持ちがよくあらわれているように思える。

 彼女はまさに“アンユージャル”のように思えるのだが、内面は非常に繊細でかつ母性愛に溢れている人だと思う。
 例えば彼女はデヴュー前に“ミホ”という名前の日本レストランで働いていた。下積みの時代で音楽的にも売れずに非常に苦労したらしい。

 そのレストランの経営者は日系の鈴木サクエさんという女性で、彼女はそういうシンディに対していつかは売れるようになるから頑張るようにと何度も励ましたという。
 また彼女だけでなく、彼女のバンド仲間もそのレストランで働いていたりと何らかの形でお世話になっていたようである。

 1989年に、コンサートで来日したとき、ある番組の企画でシンディと鈴木さんが再開した。いわゆる“ドッキリ”番組のようなものなのだが、そのときシンディは涙を流して再開を喜んだらしいのだ。

 そういう一面が日本でも根強い人気となって彼女を支えているのだろうし、アメリカでも彼女は男性より女性の方に人気があるとのこと。彼女のファンは、彼女の外面よりも内面の方を支持している証拠ではないだろうかと思うのである。

 そんな彼女は44歳で初めての出産を経験し、男児を生んでいる。ちなみに夫は11歳年下の俳優デヴィッド・ソーントンである。(彼は“ホーム・アローン3”や“ジョンQ”などに出演している)

 念願の子どもを授かってから、彼女の母性愛はますます大きくなってきたようである。阪神・淡路大震災ではチャリティに協力して募金活動を行い、地雷廃止運動の一環としてのコンサートにも積極的に参加している。
 また人権擁護活動や同性愛者支援コンサートにも協力的で、そういう姿勢が男女を問わず世界的に共感を得ているのであろう。

 ヒット曲はそんなに多くはないものの、自分にとってはフェイヴァレットなミュージシャンなのである。

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ジョージ・マイケル

 季節はまさに春である。桜の花も爛漫と咲き誇り、まさに今が盛りのようである。こういう春に、ふと思い出す1枚のアルバムがある。それがジョージ・マイケルのアルバム「フェイス」である。

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 イギリスを代表するソロ・ミュージシャンとしては、例えばポール・マッカートニーやエルトン・ジョンなどがいるが、このジョージ・マイケルも彼らに劣らず立派な仕事をしてきた一流ミュージシャンであった。

 ご存知の人も多いと思うが、彼はアンドリュー・リッジリーと組んで、ワム!というデュオでデヴューし、数々のヒットを飛ばした。1982年から86年までは、まさに飛ぶ鳥を落す勢いであった。
 日本でもカルチャー・クラブやデュラン・デュランと並んで、人気の高かった2人組であった。以前にもこのブログに書いたが、さだまさしのいたグレープみたいなものだが、しかし人気、実力ともに彼らの比ではない。

 ジョージ・マイケルも、さだまさしのようにひとりで作詞・作曲し、さらにはプロデュースもするといった手腕を発揮しているが、ワム!時代もラップやディスコ、ソウルなどの黒人音楽のエッセンスを導入しながら、非常にポップな音楽を展開していた。
 "ケアレス・ウィスパー"や"ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ"などはその代表曲であろう。前者はマドンナの"ライク・ア・ヴァージン"を押さえて、1985年のビルボード年間シングル・チャートNo.1になっているほどだ。

 こんなに売れれば、やはりソロになって自分ひとりでやってみたいと思うのも仕方ないであろう。
 ただ、彼がアンドリューを見捨てて強引にひとり立ちしていったというわけではなさそうである。

 もともとジョージの父はギリシャ系の移民で、彼自身の本名も英語読みで、ジョルジオ・キリアコス・パナイトゥーというものであった。
 ジョージ・マイケルという名前は彼自身が名づけたもう一人の自分の分身のことである。彼は子どもの頃は大変人見知りで、内気な子どもだった。いつもひとりで家の中で過ごし、もう一人の自分、ジョージ・マイケルと一緒に遊んでいたらしい。

 このへんはちょっと病的なほどであるが、大きくなってもこのジョージ・マイケルが身近にいて自分が音楽で食べていくようになっても、この名前を忘れずにいたらしいのである。

 だから一人ではなくて、最初はアンドリューと2人組でデヴューしたのだった。そして約4年間のモラトリアム期間を経て、やっと一人前になったのである。だからソロで活動する決心がついたのであろう。決してアンドリューが嫌になったからとか、自分ひとりで儲けようというエゴからソロになったわけではないのである。

 そして満を持して発表されたアルバムが「フェイス」だったのである。とにかく完璧なアルバムである。その後の彼のソロ活動を見ても、このアルバムを超えるアルバムは制作していないし、たぶんもう二度と創作することは無理であろう。この時期の彼の才能がまさに爆発しようとする瞬間をパッケージした歴史的名盤だからだ。

 とにかく名曲ぞろいである。どこを切っても金太郎飴ではないが、どの曲を聴いてもマイケル様に平伏せざるをえないほどのポップさ、ブラックさ、ビートの強さを持っている。

 白人によるブラック・ミュージックでこれほどまでにポップさを兼ね備えたアルバムは今までに聴いたことがない。今もこのアルバムを聴きながら、このブログを書いているが、20年以上たった今でも充分に通用する、いや今流行っているブラック・ミュージックよりも充分素晴らしい内容なのである。

 数字で証明すると、"フェイス"、"ファーザー・フィギュア"、"ワン・モア・トライ"、"モンキー"が全米シングル1位、"アイ・ウォント・ユア・セックス"が全米2位、"キッシング・ア・フール"が全米5位になっている。
 アルバム全9曲中(ボーナス・トラック2曲を除く)、6曲がチャート・インしているのだから、まさにスーパー・アルバムなのである。

 特にシングル"フェイス"は1988年度の年間シングル・チャートで1位を獲得し、アルバム自体も年間チャートの1位、第32回グラミー賞のアルバム・オブ・ジ・イヤーを受賞している。

 自分の感想を書くと、このアルバムの価値を却って下げそうな気がするのだが、あえて書くと、1曲目の軽快な"フェイス"でアルバムの幕が開き、続く"ファーザー・フィギュア"では粘っこい彼のブラックなバラードを堪能できる。

 そして何といってもこのアルバムの白眉は"アイ・ウォント・ユア・セックス"であろう。何しろタイトルからしてもビックリであり、内容もとてもここには書けないものである。当然のことながら放送倫理の厳しいイギリスでは放送禁止になっている。でも売れたのだ。

 ジョージはワム!時代のクリーンなアイドルというイメージから、大人の男に転身しようとしたのではないだろうか。このとき彼は25歳。まさにこれからが旬という年頃であった。

 上記の曲以外にも、素晴らしいバラードが2曲ある。先生と生徒の関係を歌った"ワン・モア・トライ"、50年代のノスタルジアを感じさせる"キッシング・ア・フール"である。特に前者は分厚いキーボードの音が、後者はジャジーなピアノの音が印象的だった。

 他の楽曲群もファンキーでダンサンブルなビートの効いたもので、白人としては初めてのブラック・アルバム・レギュラー・チャート1位にもなった。

 そういう数々の輝かしい業績を築き上げたアルバムであったのだが、残念ながらこのアルバム以降は彼の才能が枯渇していったのか、自分自身の歩むべき道を見失ったのか、アルバムを出すごとに売り上げもチャート・アクションも下がっていった。

 そして1988年に例の事件が起こったのだ。公然わいせつ事件である。相手はおとり捜査中の警察官であった。つまり警察官とは知らずに、相手を公衆トイレに誘ってしまったのだ。しかも警察官は男性。ジョージは自分がゲイであることを、こういう形で全世界に公表してしまったのである。

 しかし、まあミュージシャンにはゲイは珍しくはなく、同時代のカルチャー・クラブのボーイ・ジョージやクィーンのフレディ・マーキュリー、トム・ロビンソン、エルトン・ジョンなど枚挙に暇がないほどだが、しかしマイケルほどのリッチ・マンが男を公衆トイレに連れ込まなくてもいいのではないかと思ったのは私一人ではあるまい。

 でも起きたことは仕方ないわけで、その後の彼は吹っ切れたのか、ゲイとして芸能の道を堂々と歩んでいき、同性愛者の権利を認めるような運動にも積極的に参加していた。

 ところが最近の彼は、残念なことに、ドラッグにも手を出して2006年2月に車の中で酩酊状態になっていたところを逮捕されたり、同年4月と5月には当て逃げや居眠り運転などの自動車事故を起こしている。

 だからもう「フェイス」のような素晴らしいアルバムは制作できないと思うのである。彼のピークは80年代の半ばで終わってしまった。あとはその残滓で生きていくのだろう。残念である。

 桜の花のように、彼の才能も散っていったのだろうか。自分にとっては、この「フェイス」とジョージ・マイケルは春まっ盛りを象徴するようなものなのである。

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ボブ・ウェルチ

 自分は子どものときから“友だち”と呼べる人がいなかったように思う。いまだにいないのだが、年を取ってからいないのと、子どもの頃にいないのとでは、格段に意味が違う。

 おとなになれば、友だちがいなくても他のもので気を紛らすことが出来る。例えば、こんな誰も読まないようなブログでも書いて、自己満足することはできる。
 しかし、子どもの頃に友だちがいないということは、全世界のなかで孤立しているようなものである。ほんとはそうではないのだが、子どもにとってはまさに断崖絶壁に立たされているようなもの。いるかいないかで、これほど明暗の分かれることはない。

 小学校の低学年のとき、なかなか遊び仲間に加えてもらえなかった。自分から“一緒に遊ぼう”といっても、“もう間に合っているから”と何回か断られた思い出がある。
 あるときはついに泣き出してしまった。そのときには一緒に遊んでもらったような気がする。

 でもいつも泣くわけにはいかない。そんな意気地なしかと思われてしまうだけである。そのとき校舎の違う場所で遊んでいる集団があった。その子たちに声をかけてみると、本当に仲良く遊んでくれた。

 当時、彼らは“特殊学級”と呼ばれるところで学び、過ごしていた。普通の生徒とは違う生徒たちばかりであった。要するに肢体不自由児や知的障がいを持つ子どもたちである。

 “普通の子”に相手にされなかった自分は、そういう“普通でない”子どもたちから温かく迎えられた。一緒に遊んでくれるし、好きな本を自由に読むことができた。小学校の低学年だから、読む本は普通の子であれ、特殊学級の子であれ、似たようなものである。

 また当時のお菓子についていた景品のオマケを交換してくれた。ウルトラマンの怪獣のミニチュアなどで、同じものがあれば、相手に言ってかえっこしてもらった。今でいうポケモンなどのトレーディング・カードのようなものだ。

 あるとき彼らの一人が、授業中に自分のいる教室に来て、担任の先生が授業をしている前で自分にそういうオマケをくれたことがあった。
 自分はどうしたかというと、席を立って素直にありがとうと言って受け取った。それ以来彼らは私の周りに姿を現さなくなった。

 アメリカ人のボブ・ウェルチは1946年7月31日生まれである。父親はパラマウント映画の有名なプロデューサーで、母親は歌手で女優、あのオーソン・ウェルズと舞台で共演したこともあったそうである。

 ボブ自身は最初はクラリネットを吹いていたが、そのうちギターに変え、ジャズやR&B、ロックに興味を持つようになった。
 60年代の後半にソルボンヌ大学に留学するためにフランスのパリに赴くが、途中で退学してしまう。当時全世界的に流行ったサマー・オブ・ラヴの影響を受けたのだろう。

 1971年にイギリスの伝説的ブルーズ・バンド、“フリートウッド・マック”にアメリカ人として初めて加入した。かつてのマックには有名なジェレミー・スペンサーやピーター・グリーンなどがいたのだが、当時は2人ともグループを抜けてしまっていたのだ。

 彼の加入で、グループの音楽はアメリカナイズされた。純粋なブルーズからポップなテイストをもつ音楽へと変化していったのだ。
 それに伴って彼らも徐々にではあるがセールス的に売れ始めた。やはりブルーズよりもポップなミュージックの方が需要が多いのであろう。それは今も昔も同じである。

 しかし4枚のアルバムに参加したあと、1974年の12月に彼もまたバンドを離れた。理由は精神的、身体的な疲労というものであった。彼はメイン・ライターでもあり、ボーカリスト、ギタリストを兼ねていたが、その重圧に負けたのだろうか。
 あるいはバンドのフロントマンであるにもかかわらず、リーダーはドラムのミック・フリートウッドだったために、バンドに対してリーダーシップを取れなかった歯がゆさみたいなものがあったのだろうか。

 その後彼は自身のバンド、パリスを結成するもわずか2年足らずで解散させ、ソロ・キャリアをスタートさせた。そしてあの名曲"センティメンタル・レディ"が含まれたアルバム、「フレンチ・キッス」を発表するのである。1977年のことであった。

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 バンド名の“パリス”といい、“フレンチ・キッス”といい、若かりし頃パリで学んだ経験(あるいは挫折した経験)が後々まで尾をひいていたのだろうか。
 このアルバムはプラチナ・アルバムを獲得し、ここから3曲のシングル・ヒットが生まれた。
 続くアルバム「スリー・ハーツ」もゴールド・ディスクを獲得したが、その後彼はヘロイン中毒になり音楽シーンから一時遠ざかってしまうのである。  

 ボブ・ウェルチの音楽観は首尾一貫していたのだと思う。1977年に大ヒットした"センティメンタル・レディ"も実は72年に発表したアルバム「枯れ木」のなかに収められていた。つまり5年後に大ヒットしたわけである。

 時代の流れみたいなものもあったのだろうが、彼にしてみれば何で今頃ヒットするのという不思議な気持ちもあったのではないだろうか。つまり普通にやっていたことが評価されずに、あとになって褒め称えられたのだ。彼にとっては何が何だかわけが分からず、成功に溺れて自分を見失いドラッグに走ってしまったといえまいか。

  何が普通で何が普通でないのかは相対的な価値観である。特殊学級の生徒から見れば、普通の人の方が特殊なのかもしれない。人数の多寡によって、普通といわれ、特殊といわれる。
 自分にとっては相手にしてくれなかった普通の人が特殊であり、特殊学級の生徒の方が普通だったのだ。 
 そして自分は今も当時遊んでくれた特殊学級の生徒に感謝している。自分にとっては特殊でも何でもなく普通の子どもたちだったのである。

 ロック・ミュージックとは異形の音楽である。普通の人が聴く音楽とは違う。普通は歌謡曲やJ-POPなどを聴くのだろうが、普通でない人はロックに向かうのである。ちょうど自分が普通でないといわれた人たちと一緒に遊んだように。

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マンドゥ・ディアオ

 スウェーデンの音楽シーンを語るのもこれが第3回目。最終回の今回はマンドゥ・ディアオを紹介したい。
 70年代から80年代にかけてアバが、90年代はカーディガンズやクラウドベリー・ジャムなどのスウーディッシュ・ポップが世界的に有名になった。

 21世紀になって世界を相手にスウェーデンから出てきたバンドが、ハイヴスとマンドゥ・ディアオである。
 活動期間としてはハイヴスの方がやや長いし、彼らの方がロックンロールやパンクの影響を色濃く受けている。

 一方、マンドゥ・ディアオの方はポップでビートルズやキンクスの60年代ロックンロールの影響が強いバンドである。
 このバンドのベーシスト、カール・ヨハン・フォーゲルクロウはポール・マッカートニーと同じヘフナーのベース・ギターを持っていたからバンド加入を認められたという噂もあるくらいだ。

 現時点では世界的に有名なのは、ハイヴスの方ではないだろうか。残念ながらマンドゥの方は、ヨーロッパや日本では人気があるものの、イギリスやアメリカでは知名度は今一歩である。
 そんな彼らがこれからの目標として英米を意識していることはいうまでもない。ハイヴス以上にビッグになることが当面の目標だろう。

 面白いことにハイヴスとマンデゥ・ディアオは非常にライバル意識が高く、というと聞こえはいいが、要するに仲が悪いのである。
 ハイヴスはマンドゥに対して“過去のロックンロール、それにまつわるノスタルジアだけが大切なバンド”と言い、マンドゥの方は相手を“ステージに突っ立っているだけの、ただのでくの坊”とこちらも手厳しくこき下ろしている。

 同じ国民同士だからもっと仲良くすればいいのにと思うのだが、逆に同国出身バンドだからこそ、敵意に近いようなライバル意識があるのかもしれない。

 自分は彼らのアルバムは1枚しか持っていないが、これがなかなかの傑作である。2004年に発表された彼らの2ndアルバム「ハリケーン・バー」である。

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 1曲目の"Cut the rope"からノリノリのロックンロールが始まる。まさにパーティ・ロックのような曲で、ノリもいいがメロディがしっかりしているから歌いやすい。しかも1分40秒程度とくればジェットコースターのように早く終わってしまう。もっと聴きたいと思わせる“じらし”作戦なのかもしれない。

 続く曲"God knows"も3分45秒とこれまた短い。しかしこれまた美メロの曲である。こういった短い曲が連続していて、若々しい息吹を感じさせてくれる。
 ただ逆にいうと、いくらメロディが綺麗でも短い曲が続いてしまうとワン・パターンに陥ってしまう。この辺が彼らの欠点なのかもしれない。

 だから6曲目の"Added family"のようなミドル・テンポの曲や9曲目の"Ringing bells"のアコースティック主体の曲がアルバム全体ではいいアクセントになっている。こういう曲がもっとあると、アルバム全体にメリハリが出てきてよくなると思うのだが…

 7曲目"Annie's angle"は、まさにシングル・カット向きの曲である。こういう曲が平気で?書けるところがこのグループの凄いところである。

 メイン・ソングライターはグスタフ・ノリアンとビヨルン・ディクスクウォットの2人である。2人ともギターとボーカルだが、ビートルズのレノン・マッカートニーのように、全ての曲を2人で作っている。
 どちらかというとグスタフの方がロック寄りで、ビヨルンの書く曲の方がバラエティに富んでいるようだ。

 ちなみにグループ名の“マンドゥ・ディアオ”というのは、ビヨルンの夢に出てきた言葉で、特に意味はないらしい。
 彼らの最新作は昨年秋に発表された「ネヴァー・シーン・ザ・ライト・オブ・ディ」である。

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このアルバムで打倒ハイヴスはおろか、念願であったアメリカ、イギリスを制覇してほしいものである。

 というわけでスウェーデンのポップ・シーンを代表するグループを年代別に紹介してきたが、スウェーデンの音楽シーンは日本と同じように非常に幅が広く、プログレッシヴ・ロックからポップス、イングウェイのようなヘビ・メタまで、世界的な規模で成功したグループ、個人は少なくない。

 冬は雪に閉ざされるかもしれないが、その音楽性は豊饒で、洋の東西を問わず、多くの人を惹きつけてやまないのである。それが自分をしてスウェーデンの音楽シーンを書かせたのかもしれない。

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カーディガンズ

 スウェーディッシュ・ポップを語る第2回目の今日は、90年代初頭から今も現役中のグループ、カーディガンズを紹介したい。Thecardigans

 カーディガンズは1994年にデヴューを果したが、もとはヘビメタ・バンドだった。だから当時は演奏時にブラック・サバスの曲もやっていたらしい。

 そんなヘビメタ・バンドが5人組になり、その中に女性ボーカルのニーナ・パーションが参加したところから、彼らはビッグになっていった。

 彼らが世界的に有名になったのは1995年に発表されたアルバム「ライフ」から"Carnival"が大ヒットしてからである。この浮遊感のあるメロディ・ラインこそ、このカーディガンズの魅力だと思う。

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 またボーカルのニーナのハスキーでコケティッシュな声質もヒットの要因だったように思える。音楽とは映像とは違って、イメージを喚起しやすいので、こういう声質は結構大事な要素ではないだろうか。Nina_persson

 またプロデューサーのトーレ・ヨハンソンの影響も大である。1stアルバムからの付き合いであるトーレはスウェーデンを代表するプロデューサーでもあり、自国のカーディガンズやクラウドベリー・ジャムだけでなく、イギリスのニュー・オーダーやスウェード、トム・ジョーンズ、日本の原田知代、Bonnie Pinkにル・クルプなどなど、こちらも世界的に活躍するプロデューサーでもあった。

 その次の年に「ファースト・バンド・オン・ザ・ムーン」というアルバムを発表し、ここからも"ラヴフール"というシングルがヒットした。これはレオナルド・デカプリオが出演した映画「ロミオとジュリエット」にも用いられている。

 彼らの音楽性としては、伝統的なギター、ベース、ドラムスというフォーマットにフルートやオーボエ、チェロ、トロンボーンというロックやポップスとは少し毛色の違う楽器類を用いたことだと思う。
 こういう手法は現在のホワイト・ストライプスにも受け継がれている。そういう意味では先駆的なグループだったのかもしれない。

 彼らは1998年ごろまで活動したが、その後一時バンド活動を休止した。スウェーデン本国では人気があったのだが、それ以外の外国では人気が降下したのが主な理由と見られている。

 メンバーはソロ活動を行っていたが、2003年に再び集結し、アルバムを発表。2005年にも制作し、発表しているが、残念ながら全盛期のような面影はないようだ。

 というわけで70年~80年代のアバとまではいかなかったが、キラリと光る輝きを残したスウェーデン出身のポップ・グループであった。

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アバ

 以前、スウェーデンのプログレッシヴ・ロックについていくつか紹介させてもらったが、スウェーデンの音楽状況は、もちろんプログレだけでなく、それ以外にもある。

 特にポップスについては、昔から定評があり歴史的にも長く、俗にスウィーディッシュ・ポップなどと呼ばれている。
 それで今回から3回に分けてスウェーデンのポップについて紹介をしたいと思う。まず第1回目は70年代半ばから80年代初頭にかけて世界中を席巻した男女4人組、アバについてである。

 もともとアバは、ビヨルンとベニーという男性デュオにその妻たちが合体してできたようなグループである。
 ビヨルンとベニーは、日本でも"木枯らしの少女"というヒットを持っている。作られたのは1970年だが、日本で発表されたのは1972年であった。自分はその頃まだ子どもだったのであまり詳しくは知らない。

 2人ともスウェーデンではかなり有名なグループに所属していたミュージシャンである。ビヨルンはフーテナニー・シンガーズというフォーク・グループのリード・ボーカリストで、ベニーの方は、スウェーデンのビートルズといわれたヘップ・スターズのキーボード奏者だった。

 ただ自分にとって、どちらがビヨルンでどちらがベニーかよくわからない。ギターを弾くのがビヨルンでキーボード担当がベニーなのだが、演奏でもしていない限り判断がつかない。
 だからブロンドの女性、アグネタと結婚していたのがビヨルンで、黒っぽい髪のフリーダと結婚していたのが、ベニーだと覚えていた。2組の夫婦は写真に映るときも一緒に寄り添っていたからである。

 そのアグネタは1950年生まれ。今年で58歳で孫もいるという。5歳の頃、アパートの上から流れてくるピアノの音に興味を持ち始め習い始めた。
 17歳でデビューし、スウェーデンではアイドルだったといわれている。19歳でビヨルンと出会い、1971年に結婚している。

 またフリーダの方は1945年ノルウェー生まれで、父親は妻子あるドイツ軍の将兵でよくある兵隊さんと世間知らずの17歳とのロマンスがきっかけでこの世に誕生した。
 そしてこれもよくある話で、戦争が終結するときに父親は現地を離れ母国に帰り、18歳の母は赤子を連れて隣国スウェーデンに逃げこむのである。やはり戦争の傷跡は深かったのだ。

 しかし母親の方は、ひょっとしたら父親が戻ってくるかもしれないという淡い期待を胸にノルウェーに戻ったので、祖母がスウェーデンまで行ってフリーダを育てている。だからフリーダは父親の顔も母親の顔も知らずに育った。のちにあきらめた母親はフリーダの元に身を寄せるのだが、惜しくも2ヵ月後に病に倒れこの世を去っている。

 フリーダが音楽関係に進んだのは、教会の合唱団に入ったからで、その頃から彼女の美声は有名だったらしい。13歳で学校を辞めて、年齢をごまかしてナイトクラブで歌うようになった。
 18歳で結婚し、長男を出産し、22歳で長女を出産するも24歳で離婚する。理由は更なる音楽的なキャリアを積むためであった。彼女は世界的なジャズ歌手になることを考えていたようである。子どもは父親が引き取った。
 そして音楽活動を続ける中で、ベニーと出会うことになる。1969年のことだった。

 だから"木枯らしの少女"がヒットしているときは、すでに4人そろっていたのだ。そんなアバはビヨルンとベニーがレコーディングの練習をしていたときに、バック・コーラスでアグネタとフリーダが参加したところから始まったのである。

 1974年に"恋のウォーター・ルー"が世界的に大ヒットし、ここから彼らの快進撃が始まるのである。以降"S.O.S."、"マネー、マネー、マネー"、"ダンシング・クィーン"と出す曲出す曲世界中でヒットした。

 しかし、ただ単にポップなのではない。あのディープ・パープルのリッチー・ブラックモアでさえ、“彼らの曲をヘッドフォンで聴いてごらん。複雑な曲構成にびっくりするから”と述べているように、単純な曲ではないようだ。
 また"ヴーレ・ヴー"や"ギミー!ギミー!ギミー!"のように、のちのユーロ・ディスコの原曲のような曲も作っている。そういう意味では幅広いレパートリーがあった。これらはビヨルンとベニー、マネージャーのスティグ・アンダーソンの作曲能力の高さを表している。

 2004年現在で、彼らのアルバムの公式売り上げ記録は3億5千万枚以上といわれ、今なお一日の平均売り上げ枚数は3千枚以上といわれている。これはビートルズ、プレスリーに続く数字である。

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 ビヨルンとベニーはミュージカルの作曲などを行っているようだが、アグネタとフリーダは引退している。(アグネタは2004年にアルバムを発表しているが、続ける気はないようだ) 

彼らはポピュラー・ミュージックの歴史の中の存在になってしまったが、彼らの残した音楽は今もなお生き続けているのである。

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追悼;ダン・フォーゲルバーグ

 ダン・フォーゲルバーグが亡くなった。昨年の12月16日にメーン州にある自宅で生涯を終えたとのことである。死因は前立腺ガンだった。享年56歳。

 2004年から闘病生活を送っていたらしい。自分もつい最近彼の死を知ったので、びっくりしている。先日行われたグラミー賞の中継の中で、昨年亡くなった有名ミュージシャンをビデオで紹介しているときに、オスカー・ピーターソンやパバロッティとともに彼の肖像が流されていたのだ。
 一瞬まさかと思い、インターネットで確認したところやはり間違いなかった。本当にいい人を亡くしたものである。

 ダンはイリノイ州出身であるが、ロスで活動を始めてから全米的に名前が知られるようになった。
 1974年に発表されたアルバム「スーヴィニアーズ」の中からシングル"Part of the plan"がヒットして、アルバム自体もプラチナ・アルバムになっている。
 このアルバムにはイーグルスのメンバーも参加しており、アルバムのプロデューサーだったジョー・ウォルシュとは、これをきっかけにして親しくなり、のちにジョーがイーグルスに参加する原因にもなったといわれている。

 ジョーがプロデュースしたせいかどうかはわからないが、さわやかなカントリー・ロック・タッチの小粋な曲に仕上がっている。ちょうどイーグルスの"Take it easy"からバンジョーやスティール・ギターを取り除いたような曲である。

 ダンは日本でこそ知名度は低いが、アメリカでは数々の大ヒットアルバムを出しているだけに、かなり名前が浸透しているようだ。グラミー賞でも紹介されるほどだから、やはり有名なのだと思う。

 先述の「スーヴィニアーズ」はプラチナ・アルバムで、78年の「ツインズ」はトリプル・プラチナ・アルバム、続く「フェニックス」、「イノセント・エイジ」もベスト・セラーを記録した。思えば1978年から84年までは彼の全盛期だったと思う。

 その後も寡作ながら作品を発表し続けていた。のちにコロラド州に移り住んで、大自然の中で悠々自適な生活を送っていたようだ。そういう雰囲気が彼のアルバムには漂っているという評論家もいた。

 日本では、やはりシングル"Longer"の大ヒットで有名である。この曲は79年のアルバム「フェニックス」に収められているのだが、いまだにTVCMなどに使用されていて、耳にすることができる。
 日本ではこのヒットのおかげで、AOR系のミュージシャンと見られがちだが、実際はシンガー・ソングライター(SSW)なのである。しかもギター、ピアノ、ベース、ドラムスと何でも一通り演奏することができて、マルチ・ミュージシャンなのだ。

 彼のことを知りたければ、「オリジナル・グレイテスト・ヒッツ」がお勧めである。曲数は10曲とCD時代の今からすれば少ないが、内容は充実している。Photo
 彼の代表曲は一通り網羅しているので、この1枚あれば充分だと思う。自分も実はこの1枚しかもっていないのである。
 しかも78年から81年までの黄金期から選曲されており、アルバム未収録曲も2曲含まれている。だから昔からのファンにとっても、初めて接する人にも内容的には充分満足がいくのではないかと思う。
 もちろん最近は他のベスト盤も出されているので、そちらでもいいと思う。

ベリー・ベスト・ダン・フォーゲルバーグ Music ベリー・ベスト・ダン・フォーゲルバーグ

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 昔通った中古レコード店に「フェニックス」や「ツイン・サンズ」が置かれていたのを思い出した。いま思えばあの時購入していればよかったと思う。もうあの優しい歌声も心地よいメロディも豊かなハーモニーも耳にすることができないからである。

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 とにかく、残念なことにまた素晴らしいSSWを失った。どうか天国でも心行くまで演奏活動をしてほしいものである。

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ブロンディ

 以前にも書いたが、大学時代に一時パンクやニュー・ウェーヴを聴いていた頃があった。ポリスやストラングラーズ、パティ・スミス、ケイト・ブッシュまでもひっくるめて聴いていた。

 その頃流行っていたのが、アメリカのバンド、ブロンディだった。リード・ボーカルのデボラ・ハリーはマリリン・モンローの再来とまでいわれ、音楽よりもイメージ先行の趣の方が強かった。

 もともとブロンディというグループ自体70年代半ばに起きたニューヨークのパンク・ムーヴメントの中から出てきたのである。
 デボラ・ハリーはマイアミ生まれのニュー・ジャージー育ちで、ハイスクール時代からバンド活動を行っていた。その後、ニューヨークでモデルや美容師の仕事を経験しながら並行してバンド活動を行い、アメリカ・パンク発祥の地として有名なCBGBを拠点として活動をしていた。

 彼女はのちに別れることになるのだが、当時は恋人であったクリス・スタインと出会いブロンディを結成し、76年にデヴューを果したのだが、最初はパンクのイメージで売っていたせいか、なかなか売れなかった。

 ニューヨーク・パンクの女王といえば、やはりパティ・スミスの方が人気・知名度ともに上で、どうしてもブロンディは二番煎じのような感があった。
 自分もラジオや雑誌などで、その存在は知っていても積極的に聴こうとは思わなかった。

 それが一転して聞きたくなったのは、シングル"ハート・オブ・グラス"のヒットであり、そのシングルを含むアルバム「恋の平行線」を知ったからであった。

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 78年に発表された彼らの3枚目のアルバムは彼らの代表作というだけでなく、その後に続く彼らの黄金時代を築くきっかけにもなったアルバムであった。

 このアルバムからのシングル"ハート・オブ・グラス"は米英ともに1位になり、アルバムもアメリカでは6位、イギリスでは見事1位に輝いている。
 このシングル以外にも、イギリスでは"ピクチャー・ディス"が12位、"ハンギング・オン・ザ・テレフォン"は5位、"サンデー・ガール"は"ハート・オブ・グラス"に引き続き1位を記録している。
 またアメリカでも"どうせ恋だから"が24位と中ヒットを記録しており、このアルバムはある意味では隠れた傑作、彼らの代表作のひとつといってもいいくらいの中身の濃いアルバムだと思っている。

 この後、1年おきに「恋のハートビート」、「オートアメリカン」とアルバムが大ヒットを記録し、この頃のブロンディはまさに飛ぶ鳥を落とすほどの勢いだった。

 デボラ・ハリーは1945年7月生まれといわれており、デヴュー当時すでに30歳を超えていた。
 だからどうした、ロックに年齢が関係あるのかと言われそうだが、別に深い意味はない。ただ妖艶なイメージがあったために、当時はもう少し若いかなと思ったのだ。だから今彼女は60歳を超えているが、まだまだ元気である。
 彼らは1998年に再結成し、ロックの殿堂入りを果したが、それだけで終われないとばかりに2006年にもコンサートを行っている。

 ちなみにバンド・メンバーでギタリストのクリスとデボラは恋人同士と書いたが、クリスが白血病にかかってリタイア状態になったときは、デボラ・ハリーがバンド活動を中止してまで彼の看病にあたったといわれている。

 クリスはその看病のおかげか?病気から完全に快復している。しかしのちにふたりは別れて、クリスは1999年に女優のバーバラ・シクランザという人と結婚し、アキーラとヴァレンティナという2人の娘をもうけている。

 だからこのアルバムのタイトル「恋の平行線」のように、2人の関係は平行線をたどったのである。
 この辺が日本人のメンタリティと違うところで、日本人は別れたらおしまいだが、外国人特にアメリカ人は、感情と仕事とは別ものとばかりに、別れても仕事は一緒という関係は普通のようである。

 とにかくこのアルバム「恋の平行線」は、彼らがビッグになる前のエネルギーを充填した画期的なアルバムだと思っている。だからかもしれないが、いま聴いても全然古臭さを感じさせないような音が鳴っているのである。

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ドリーム・アカデミー

 さてドリーム・アカデミーという名前のグループを知っている人は一体何人いるのだろうか。ドリーム・シアターではない、アカデミーの方である。

 このグループは1985年頃に少しだけ有名になったグループである。その年にシングル"Life in a northern town"がヒットした。ただそれだけのグループである。

The Dream Academy Music The Dream Academy

アーティスト:The Dream Academy
販売元:Wounded Bird
発売日:2007/09/18
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 ただそれ以外にプロデュースをピンク・フロイドのギタリスト、デヴィッド・ギルモアが担当しているということで話題にはなったことがある。

 アメリカでも、イギリスでもそこそこヒットしたのだが、どうしても“一発屋”という印象はぬぐえない。でも活動期間は85年から1990年までの5年間に渡っており、アルバムも3枚出している。だからそれなりに活動は展開していたのだ。

 写真で見るように、3人組でリーダーは、ニック・レアード=クルーズという白人男性である。彼がデヴィッド・ギルモアと親しくしていた関係で、彼がプロデュースを担当したようだ。
 またニック自身もピンク・フロイドの1994年のアルバム「対」にthanks to として記載されている。

 もう一人の黒人男性ギルバート・ゲイブリエルはキーボード担当で、紅一点のケイト・セント・ジョンはオーボエやサックス、アコーディオンを担当していた。

 このケイトという女性は、後にソロ・アルバムを発表したが、彼女の存在があったからこそ、このグループはヒットしたのではないかと密かに思っている。

 MTV全盛の80年代半ばにあって、このグループの名前のように、非常にクラシカルでなおかつ聴きやすいポップな展開ができたのは彼女の演奏するオーボエやアコーディオン、サックスが重要な要素になったと思うからだ。

 リーダーのニックはこう述べている。“僕たちはベースやドラムに頼らない、タイトで生な音楽をやってみたかったんだ。ドリーム・アカデミーを結成したときハープやヴァイオリン、チェロ、フルート、ちょっと変わった楽器を加えて、少しクラシック的な土台を持つグループに変身を図ろうとしたんだ”

 だから産業ロック全盛の80年代において、彼らの存在はユニークであり、逆に目立っていたと思う。
 それでシングルがそれなりにメロディアスであったために、売れたのだと考えている。全英では10位、アメリカでも10位前後にはランクされたと記憶する。

 シンプルでなおかつクラシカル、ポップな要素を持つ彼らのデヴュー・アルバムはお勧めである。ちょうど今どきの雪が積もりそうな季節に聴くのが一番である。空気の寒さも逆にこちらの精神を凛とさせてくれるような、そんな気持ちにさせてくれるアルバムなのだ。

 シングル・ヒットした曲以外にも"New light"、"New world"はお勧めである。"New light"はアップテンポの曲ではあるが、メロディラインがハッキリしているため、印象に残りやすい曲である。また"New world"はケイト・セント・ジョンの演奏するオーボエが美しい響きを奏でている。

 ただ全体的には似たような傾向の曲が並んでいるため、単調になりやすい面もある。さらに当時の音楽シーンの特徴ではあるが、薄っぺらいシンセサイザーやシンセ・ドラムの音が耳につくきらいはある。まあこれは、当時の流行のようなものだったので仕方ないことだと思う。

 とにかく"Life in a northern song"のプロモーション・ビデオを見れば分かるように、このアルバムもまた冬景色が似合うアルバムなのである。

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ジェイムス・ブラント

 今のシンガー・ソングライターのブームを作ったのは、他の誰でもないイギリス出身のジェイムス・ブラントだと確信している。それほど彼の影響力は大きかったのである。Photo

 まず彼の経歴からすでに他のアーティストとは違う。1977年2月22日に生まれた彼は、本名をジェイムス・ヒリアー・ブラウント(James Hillier Blount)という。アーティストとしてはジェイムス・ブラント(James Blunt)と短く発音できるようにしている。

 祖父、父、叔父がイギリス軍に所属していた軍人であり、彼も大学卒業後に陸軍に入隊し、近衛騎兵連隊で活動したり、大尉に昇格しNATO平和維持部隊として紛争地帯のコソボに赴任したりもしている。
 その赴任先のコソボで経験したことを歌にしたのが1stアルバムに収められている"No bravery"である。
 コソボでは戦車にギター・ケースを取り付け、移動先で作曲や歌などを歌っていたらしい。また戦地の難民になった人たちに歌を聞かせたりもしていたそうである。

 そうやって書き溜めていた曲をアルバムとして発表したのが「バック・トゥ・ベッドラム」である。
 このアルバムは売れた。スイス、デンマーク、アイルランドで1位、フランス、アメリカで2位と全世界的に売れに売れ、何と1300万枚以上という数字を挙げている。

バック・トゥ・ベッドラム Music バック・トゥ・ベッドラム

アーティスト:ジェイムス・ブラント
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2005/12/07
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 またこのアルバムからシングル・カットされた"You're beautiful"は6週連続全英1位になり、全米でも英国人ソロ男性歌手としては1997年の"Candle in the wind"を歌ったエルトン・ジョン以来9年振りのNo.1を獲得している。

 あまりにも売れすぎたためオアシスのギャラガー兄弟からは一発屋と非難されたり、イギリスのエセックス州のFMラジオ局は"You're beautiful"を当分の間自粛すると打ち出したりした。理由はあまりにもリクエストが殺到して、ラジオでかかり過ぎたために、リスナーも嫌気がさしてきたからというものであった。
 果してそれが真実かどうかは分からないが、物議をかもすくらい売れたのは事実である。

 その1stアルバムから約2年、ついに彼の2ndアルバムが昨年秋に発売された。「オール・ザ・ロスト・ソウルズ」である。

オール・ザ・ロスト・ソウルズ Music オール・ザ・ロスト・ソウルズ

アーティスト:ジェイムス・ブラント
販売元:WARNER MUSIC JAPAN(WP)(M)
発売日:2007/09/19
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 相変わらず高音でハスキーな彼の声は、美しく澄み切っている。1曲目の"1973"から涙腺も緩むほどのポップ・チューンが展開されており、それはこのアルバム全体を貫くトーンになっている。

 2曲目もまるでギルバート・オサリヴァンが歌っているかのようなミディアム・バラード曲である。"One of the brightest stars"というタイトルだが、もちろんこの“最も有望なスターの一人”とは彼自身のことを指している。
 何しろデビュー・アルバムが1300万枚以上売れたわけで、本人はそれほど意識しなくても周りが変わってしまったのである。
 先述のような売れすぎて嫌われたりもしたし、有名人になったあまりプライベートも安心して落ち着けることができなくなった。そんな周囲の状況を皮肉を込めて歌ったものである。

 やはり今回のアルバムには有名になった後の彼の心象風景が反映しているようだ。アルバム・タイトルのフレーズは10曲目の"I can't hear the music"から抜粋されたもので、“And when you sell your soul for a leading role, will the lost souls be forgot?”から来ている。
 「主役のために君が魂を売り渡すときは、魂を失ったものは忘れられるのか」というような意味だろう。つまり一時的に売れたとしても、本来の目的を失った人は忘れ去られるのだ、というようなことだと思う。

 だからこそデビュー時のピュアな気持ちを忘れずに、頑張っていこうと自分自身に言い聞かせているに違いない。

 これらの曲以外にも"Same mistake"、"Give me some love"、"Annie"の歌詞の中にはセレヴ?としての苦悩や悲しみなどが綴られている。やはり1300万枚の代償は大きかったのであろう。

 1stシングルは"1973"であり、これは1973年当時の頃を思い出しながら恋人に呼びかけているものであるが、彼が生まれたのは1977年なので、自分が生まれる前のことを歌っている。
 これはアルバム1曲目なのであるが、この1曲目がこのアルバム全体の雰囲気を決定している。そしてそれは“1970年代”ということである。
 だからこのアルバムを聴くと、何となく懐かしさを覚えるのである。ジェイムス・ブラント自身が当時の音楽が大好きであり、本当の音楽が存在していた時代とまで言い切っている。

 このアルバムもイギリスでは1位、アメリカでも7位まで上がっている。さすがに1300万枚とはいかないだろうが、それでも並のアーティストくらいは売れている。

 このアルバムが売れたおかげで、一発屋という批判は的外れになった。これで彼も少しは安心して暮らせるようになるのではないだろうか。これからも充実したアルバムをコンスタントに発表してほしいものである。

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ボズ・スキャッグス

 以前にスタジオ録音の鬼といわれる?スティーリー・ダンを紹介したが、同じように屈指のスタジオ・ミュージシャンを起用して、アルバムを作り上げたソロ・ミュージシャンがいる。

 彼の名はボズ・スキャッグス。そして彼のバック・バンドはのちにデヴューを果した。そのバンドの名前はTOTOである。

 ボズはスティーリー・ダンほど一つの音に凝るというタイプではない。もとはR&Bシンガーだったから、むしろ泥臭いブルースや伝統的な南部音楽に根ざした音を追求していた。だからどちらかというとザクッとした肌触りの音楽を目指す方だった。

 少年時代をテキサスで過ごし、高校、大学ではスティーヴ・ミラーとバンドを組んでブルースを演奏していた。
 よほどR&Bが好きだったのだろう。60年代初めにはひとりでロンドンに渡り、歌っていたそうである。プロとしてスウェーデンのポリドール・レコードからアルバムを出したらしいが、今では入手困難であり、ボズ自身もアメリカでは2人ぐらいしか持っていないだろうと述べている。

 帰国後、ハイスクール時代からの友人であるスティーヴ・ミラーとともにバンドを結成するが、2人の目指すブルースに違和感を覚えて、脱退。アメリカでソロ・デヴューを飾った。

 彼の実質的なソロ・アルバムが「ボズ・スキャッグス」である。1969年のお話である。このアルバムでは“スカイドッグ”という愛称のデュアン・オールマンがギターを弾いている。彼がデレク&ザ・ドミノスに参加する前であった。

Boz Scaggs Music Boz Scaggs

アーティスト:Boz Scaggs
販売元:Wea International
発売日:1990/10/25
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 また、このアルバムには"ローン・ミー・ア・ダイム"という12分を越える曲が収められていて、彼のギターがフィーチャーされている。

 アルバム・ジャケットに写しだされている家は、あの有名なアラバマ州にあるマッスル・ショールズ・スタジオである。ここでは数多くのミュージシャンが録音し、アルバムを制作したが、南部音楽やR&Bの聖地といっていいようなところだ。ボズもまたこの地に憧れて、アルバム制作に携わった。

 彼の原点という意味で、貴重なアルバムである。今一度聴いてみると、渋くて本当にソウルフルに歌っているという印象がある。後に聞けるような都会的で洗練された音とは程遠いような、むしろ180度違う世界が提示されている気がする。

 彼の音楽が変化したのは1976年に発表された「シルク・ディグリーズ」からである。スリー・ディグリーズではないので間違ってはいけない。このアルバムは売れに売れて、それまではサンフランシスコ地域限定だったのが、一挙に全米、全世界に名前が売れてしまった。
 全米2位、400万枚以上も売れたというからたいしたものである。このアルバムからは"ロウダウン"や"ウィ・アー・オール・アローン"などのヒット・シングルが生まれれ、この年を代表するアルバムになってしまった。そしてこのときのバック・ミュージシャンがのちにTOTOとして1978年にデヴューしたのだった。

シルク・ディグリーズ(エクスパンディッド・エディション) Music シルク・ディグリーズ(エクスパンディッド・エディション)

アーティスト:ボズ・スキャッグス
販売元:Sony Music Direct
発売日:2007/04/04
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 このアルバムと翌年に発表された「ダウン・トゥー・ゼン・レフト」は双子のようなアルバムである。前年からクロスオーヴァーなる言葉が流行した。それは従来のポップスやロックの枠にとどまらないソウルやジャズ、R&Bなど幾種類もの音楽の要素が一体となって昇華された音楽というような意味であろう。

 1977年に発表されたこのアルバムからも"ハード・タイムス"、"ハリウッド"などのヒット・シングルが生まれた。確かに都会的で洗練された音楽である。いま聴いても全然古くささを感じさせない優れたアルバムだと思う。

ダウン・トゥー・ゼン・レフト Music ダウン・トゥー・ゼン・レフト

アーティスト:ボズ・スキャッグス
販売元:Sony Music Direct
発売日:2004/12/22
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 これらの音楽は、またAORといわれていた。アダルト・オリエンティッド・ロックと呼ぶのだが、おとなのための洒落た音楽という意味である。ただしこれは日本でしか通用しない言い方で、アメリカではMORとかACとかいわれている。
 (*MORとはミドル・オブ・ザ・ロードつまり道の真ん中という意味で、当たり障りのない平均的なポピュラー音楽という意味だと推測される。またACとはアダルト・コンテンポラリーである。日本語のAORは、このACという語感に近い気がする)

 このときの私は、ラジオから流れてくるこの"ハード・タイムス"を聴きながら癒されたものだ。当時は青春を謳歌しながらも、それなりに勉強もしなければならなかったし、家庭も閉塞状況で、家でも学校でも鬱々と過していて、なかなか気持が晴れなかった。

 この曲は恋愛の虜となって行くという先の見えない状況を歌ったものであるが、自分にとっては恋愛ではなく、人生の行く先に不安を抱いていた時期だったのだ。だから歌詞の中にある“I am falling”というフレーズが自分にとっては印象的だった。

 いまでもこの曲を聴くと、そのときの状況をまざまざと思い出すことができる。確かに自分にとっては“つらい時期”だったのである。

 今ではボズも事業家に転身し、音楽業界からはほぼ引退状態である。ただ日本ではいまだに人気があるので、ときどき日本に来ては小銭稼ぎをしている。

 一度ステージを見てみたいという気もするが、もう60歳を超えたボズの姿を見てもちょっと悲しくなるような気がして遠慮している。たぶん永遠に本物には会うことはないだろうが、当時の自分を癒してくれた音楽にはいまだに感謝しているのだ。

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ジャスティン・ティンバーレイク

 最近は原油高の影響を受けて、ガソリンからカップめん、はたまたその他の商品たとえばサランラップなど、次々と値上がりを表明している。この調子で行けば間違いなくCDやDVDも値上がりをするだろう。その分の給料が上がるかといえば、決してそんなことはない。厳しい世の中になったものだ。

 それでCDを購入する際に、よく吟味して買わないと損をした気分になってしまう場合がある。だから雑誌のディスク・レヴューを参考にしたり、ラジオの新譜情報を聴いて購入を決めたりしている。
 中古CD屋にいくと、たくさんCDが並んでいる。こういうときに通常の値段ならまず絶対に買わないのだが、安くなっているとこれなら失敗してもいいや、と思って買ったりする。
 予想が外れてももともとだし、これが意外によかったりすると、随分ともうけた気がするものだ。

 それで最近買ったCDがジャスティン・ティンバーレイク(以下JTと略す)の「フューチャー・セックス/ラヴ・サウンズ」である。

フューチャー・セックス/ラヴ・サウンズ Music フューチャー・セックス/ラヴ・サウンズ

アーティスト:ジャスティン・ティンバーレイク,スヌープ・ドッグ,ティンバランド,T.I.,ウィル・アイ・アム,スリー・6・マフィア
販売元:BMG JAPAN
発売日:2006/09/20
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 まず通常価格の2548円なら絶対に買ったりはしない。確かにアメリカでは売れに売れていて、ヒットしているとは知っていたが、ポップ・グループ出身の人で今どきのダンス・ミュージックなのである。

 ところがこれが980円となれば、話は別である。ちょっと下心を出して、買ってみようと思った。実際に聴いてみると、さすがアメリカで1年以上ヒットしただけあって、大変素晴らしいものであった。

 エミネム以降ラップに対して抵抗心をなくしつつあったし、もともとプリンスのような音楽は大好きである。しかもポップな面もあるとくれば、これはもう買って大正解といえるものであった。

 もともとこの人は、イン・シンクという男性5人組のポップ・グループのメンバーであった。結成は1995年だったから、結構古い。JTも当初は14歳だったからまだ中学生だった。
 そして数々のヒットを飛ばしたあと、2001年にアルバムを発表してからは休止状態になっている。
 JTは2002年にアルバム「ジャスティファイド」でデヴューした。このアルバムも売れてビルボード初登場2位、最終的に全世界で約700万枚売れたらしい。

 それで満を持してのセカンド・ソロ・アルバムがこのアルバム「フューチャー・セックス/ラヴ・サウンズ」だったのである。
 このアルバムからは3枚連続チャートNo.1シングルが生まれた。"Sexy back"、"My love"、"What goes around......comes around"の3枚である。

 個人的な感想を言わせてもらえば、21世紀の売れ筋ポップ・ソング集である。21世紀の売れ筋とは、ダンス・ミュージック、ラップ・ミュージックとスィートなソウル・バラードである。

 このアルバムはそれらの要素がバランスよくミックスされている。ちょうど20年以上前にヒットしたジョージ・マイケルのアルバム「フェイス」を思い出した。

FAITH Music FAITH

アーティスト:ジョージ・マイケル
販売元:Sony Music Direct
発売日:2004/04/07
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あのアルバムにも"I want your sex"という曲があったが、あんな感じである。あのアルバムをさらにダンサンブルにして、ラップを混ぜた感じだ。(アルバム「フェイス」については来年の4月にプログに載せたいと思っている)

 そして定番のバラード曲もアルバムの最後の方に用意されている。"Until the end of time"や"(Another song)All over again"がそれである。これで売れないはずがないのだ。インシンク時代から名前は売れていたし、歌のうまさも定評があった。ブリトニー・スピアーズやキャメロン・ディアスとも浮名を流したこともあった。これはもう最初から売れることが約束されていたようなものであった。

現在のアメリカで、21世紀型ポップ・ミュージックというのは、こんなアルバムを指すのだろう。良くも悪くもこれが現実の音楽なのである。

 それでつまりこれが980円で日本で売られていたのだから、本人が知ったらどんな顔をするだろうか。買った私は、本当に買ってよかったと思っている。でもこれでは許してはくれないだろうけれど…

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ビリー・ジョエル

 文化祭の時期である。秋に行われるのが普通で、大学から小中学校までだいたいどこもこの時期に行われているようである。

 それで文化祭のときに英語弁論というのがあって、そのときは英語暗唱で、アメリカの作家O・ヘンリーの「20年後」というのを男子生徒が暗唱していた。

 内容は極々簡単に言うと、20年後にまた会おうと約束した男2人が実際に会ってみると、一人は警官に、もう一人は指名手配中の犯罪者になっていたというお話で、警官の方は直接自分が逮捕するのは忍びがたいので友だちの警官にその場所に行ってもらっていた、というオチがついている。

 それでその暗唱のとき、男子生徒が入場する際に、流れていたのがビリー・ジョエルの"ストレンジャー"だったのである。当然のことながら、その男子生徒はトレンチ・コートを着て、帽子を目深にかぶっていたことはいうまでも無い。ある学校での出来事だった。

 ビリー・ジョエルは1949年5月9日生まれ。ニュー・ヨークのサウス・ブロンクスというあまり治安のよろしくないところに生まれた。
 両親の勧めで4歳頃からクラシック・ピアノを習い始めた。しかし両親が離婚し、ドイツ生まれの父親は祖国に帰ってしまったため、彼は職業として音楽を選択したのである。14歳頃から、バンド活動やナイト・クラブでピアノを弾きながら家計を助けた。同時にアマチュア・ボクシングも始め、28戦22勝という戦績を残している。おかげで鼻をつぶしてしまったといわれているが・・・

 だからアルバム「ストレンジャー」のジャケットにはボクシング・グローブがぶら下がっている。まるで映画「ロッキー」の世界である。お互いに連携があったわけでもないだろうが、この年1977年にはボクシング関係のあたり年だったのだろうか。

ストレンジャー Music ストレンジャー

アーティスト:ビリー・ジョエル
販売元:Sony Music Direct
発売日:2006/04/19
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 それでいくつかのバンドを経て、アルバムも発表するが全然売れずに、彼はノイローゼになって精神病院に入院したこともあったという。

 それで当時のマネージャーであるエリザベス・ウェーバーとロスアンゼルスに行き、ピアノ・バーで生活費を稼ぎながら、チャンスをうかがっていた。またコンスタントにアルバムを発表し、そのたびに徐々に彼の知名度も上がっていった。

 そしてニュー・ヨークに戻り、満を持して発表したのが、「ストレンジャー」なのである。プロデューサーはフィル・ラモーンであり、フィル・ラモーンといえば都会のしゃれた音作りで有名なプロデューサーである。あのS&Gの「明日に架ける橋」やポール・サイモンの「時の流れに」などをプロデュースした人で、それらのアルバムとビリーとのアルバムの傾向は大きく変わっていない。

 まさにこのアルバムでビリーは、ブレイクした。このアルバムの中にある"Just the way you are"(素顔のままで)は、全米3位になり、1978年度のグラミー賞で最優秀楽曲賞と最優秀レコード賞を獲得している。

 軽快なロック調の曲と繊細なリリシズムとが同居しているアルバムである。前者では"Movin' out"や"若死にするのは善人だけ"、"最初が肝心"などが該当し、"ストレンジャー"や"素顔のままで"、"She's always a woman"、"Vienna"、"Everybody has a dream"などは後者に当たるだろう。
 また、フィル・ラモーンのアドバイスのせいか、アコーディオンやサックス、パーカッションなどが効果的に使用されており、ニュー・ヨークという大都市の持つ冷たさや、その中で暮らす人々の温かさ、アンニュイ、楽しさなどを見事に表現しきっている。

 これだけいい曲がそろっていれば売れるのは当たり前で、全米2位を記録し、その後の累計売り上げ枚数は1000万枚以上にのぼり、2003年にはダイヤモンド・ディスクに認定されたほどである。

 この頃が公私共に充実していたときであろう。その後は83年に下積み時代を支えてくれたエリザベスと離婚をしたり、交通事故にあったりと私生活ではあまり恵まれていないようである。
 音楽的には売れ続けていくも、89年に先のフィル・ラモーンと分かれてからは、No.1にはなるものの日本での売り上げは下火になっていった。

 90年代の終わりにはアルコール依存症や鬱病などで入退院を繰り返していたが、2004年に3度目の結婚をしてからは、精神的にも落ち着いてきたせいか、ライヴ活動にも精力的に取り組んでおり、今年の2月には14年ぶりにシングル・ヒットNo.1も記録している。
 やはり愛は人を元気にさせるのであろうか。ちなみにお相手は32歳年下である。

 どうでもいいことだが、世界で初めてCDとして発売された音楽作品はビリーの「ニュー・ヨーク52番街」であるといわれている。1978年のことであった。

 さらにどうでもいいことだが、シングルの"ストレンジャー"はアメリカではシングル・カットになっていなくて、日本だけでヒットした曲である。

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イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリー

 イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリーは70年代に人気のあった男性デュオである。長ったらしいので以下E&Jと略すことにした。

 最初に彼らの名前を知ったのは1972年ごろだった。"シーモンの涙"という曲がヒットしていたときだった。これは名曲だった。
 当時日本でもシモンズという女性姉妹?のフォーク・デュオがいてヒット曲を出していたのだが、最初は彼女たちのことを歌っているのかと思った。男性2人組対女性2人組の対決である。実際は全然関係なかったのだ。

 そんなバカな話は置いておいて、とにかくその"シーモンの涙"という曲はいい曲だったのである。ところがCDとしてはずっと廃盤だった。アルバムならまだしもシングルで探すのは、太平洋の中に落ちたマッチ棒を探すようなものである。

 だから半分以上あきらめていた。ところが最近のリヴァイバル・ブームの中で、オムニバス盤として、CDの中に編集されたのである。「僕たちの洋楽ヒット」シリーズである。
 素晴らしい企画ではないか。曲の版権やレーベルの枠を越えて当時のヒット曲(もちろん日本での!)を集めたもので、こんな素晴らしい企画はもう二度と出ないだろう。それほど感動したものだった。("シーモンの涙"はこのシリーズのVol.5に収められている)

僕たちの洋楽ヒット Vol.5 1971~72 Music 僕たちの洋楽ヒット Vol.5 1971~72

アーティスト:アメリカ,アルバート・ハモンド,アンディ・ウィリアムス,オージェイズ,ドン・マクリーン,テンプテーションズ,ニュー・シーカーズ,ラズベリーズ,ムーディ・ブルース,ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ
販売元:ユニバーサル インターナショナル
発売日:2002/10/09
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 それで"シーモンの涙"は手に入れたが、次に彼らのヒット曲"秋風の恋"を探そうとしたら、これは簡単に手に入った。彼らのオリジナル・アルバムに収録されていたのである。

 このアルバムは、今は無き名店「リズム・レコード」のCD棚の片隅に置かれていたのを購入したという記憶がある。たぶんこのアルバムを見るたびに、リズム・レコードのことを思い出すだろう。決して大きな店ではなかったが、一般には全然名前の知られていないCDで、好事家にはのどから手が出そうなものも置かれていて、オタクにとってはたまらないお店だった。本当にいい店を失ったものだ。合掌。

 このシングル曲は、1976年に発表され全米2位を記録した。それだけの実績があったから、ベスト・アルバムに収録されたのであろう。いまだにTVCMなどでも使用されている。
 またこのシングルが収められているアルバム「Nights are Forever」も全米17位を記録している。いわゆるAORのアルバムである。Photo

 それからこのE&Jのイングランド・ダンことダニー・シールズとシールズ&クロフツのジミー・シールズとは実の兄弟であり、ジミーの方が兄ということであった。
 シールズ&クロフツという男性2人組のデュオも70年代に活躍しており、日本ではあまり人気はなかったが、本国アメリカでは結構人気があったように記憶している。

 シールズ&クロフツの方が、無骨なゴツゴツしたボーカルを聞かせるのに対して、E&Jの方はさわやかで優しい歌声やハーモニーを聞かせてくれていた。この辺の違いが日本での人気の差になったように思える。

 E&Jは両方ともテキサスのオースティン出身で、高校生ぐらいから2人とも同じバンドで音楽活動を始めたようである。そのせいかAORでありながら、どことなくカントリー・テイストを含む音作りが目立つようである。

 ただヒットした曲は、自作曲よりも他人の曲を用いた方が多く、"秋風の恋"や全米10位を記録した"眠れぬ夜"はパーカー・マッギーというSSWの作品であった。
 "シーモンの涙"は、彼らの自作曲であるが、先ほども書いたように残念ながらこの曲は日本でしかヒットしなかった。

 現在、E&Jは別々でソロ活動をしているようである。イングランド・ダンは1950年生まれ、ジョン・フォード・コーリーは51年生まれということなので、もういい年齢なのだが、まだまだ現役とはうれしい限りである。ただニュー・アルバムは期待できそうもないので、再結成して2人でやった方がいいと思うのだが、どうだろうか。

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アルバート・ハモンド

 これを見ている人は、アルバート・ハモンドという人を知っているのだろうか。若い人は、(そんな人はいないと思うけど)ニュー・ヨーク出身のバンドであるストロークスで、ギターを担当しているアルバート・ハモンドJr.の父親であるといえば分かりやすいのであろうか。

 アルバート・ハモンドはアメリカ人だとずっと思っていた。ところが、つい最近知ったことなのだが、彼はイギリスで生まれたらしいのだ。
 CBSソニーから昔出されていた彼のベスト・アルバム(もちろんレコードだが)の解説によると、1944年イギリス生まれで、生後半年で父親の関係上スペインのジブラルタルに移住したそうである。

 だから彼は生粋のイギリス人だったのである。ただ子どもの頃のイギリス本土での生活経験はほとんど0に近いということだ。だからカリフォルニアに夢を求めてやってきたという"カリフォルニアの青い空"のような曲を作ることができたのだろう。

Music カリフォルニアの青い空(紙ジャケット仕様)

アーティスト:アルバート・ハモンド
販売元:ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
発売日:2007/12/19
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 ジブラルタルで音楽に目覚めたアルバートは、ミュージシャンになるために、なぜかモロッコへと赴く。しかし当時はまだ13歳だった。いくら才能があっても13歳じゃやっぱり甘く見られたのか、3年後にはジブラルタルへと舞い戻り、そこで弟とバンドを結成して、地道に活動するようになった。

 1963年にイギリスに戻ったアルバートは、その後不遇の時代を過したらしい。ところがふとしたきっかけで知り合った友人とテレビ用の子ども番組の音楽を担当したところ、これが大ヒットし、あのビートルズも受賞したアイヴァー・ノヴェロ賞も受賞したのである。1968年のことだった。

 ここから彼の快進撃が始まった。そして2年後の1970年にアメリカに進出し、最初のシングル"Down by the river"、2ndシングル"カリフォルニアの青い空"を発表した。特に後者のシングルは瞬く間にミリオンセラーを記録し、いまだに70年代の思い出の曲ということで、繰り返しTVCMや洋楽懐メロ番組などで流されている。

 その後も"カリフォルニアに愛を込めて"や"Free electric band"などのヒットシングルをコンスタントに発表していったが、今回のブログで推薦したいのは"落葉のコンチェルト"である。この時期にピッタリの曲である。

 原題を"For the peace of all Mankind"というのだが、直訳すると「すべての人類の平和のために」という大仰なものになるが、内容は極々私的なものである。
 1973年に発表された曲だが、アメリカよりも日本で大ヒットをした。当時29歳だったアルバートの公演時に、楽屋に訪れたのがテリー・ムーアという44歳の女優だった。この女優との恋愛?を歌にしたものである。恋愛というよりは出会いのようなものであろう。

 この"落葉のコンチェルト"と"Woman of the world"の2曲を捧げたらしい。よほど印象深かったのだろう。
 ともかくこの"落葉のコンチェルト"は名曲である。イントロのピアノと徐々に盛り上がっていくストリングスなどは、やはり何度聴いてもいい永遠の名曲である。この曲を紹介したくてアルバートのことについて調べたくらいなのだから。

Greatest Hits Music Greatest Hits

アーティスト:Albert Hammond
販売元:Epic Europe
発売日:1996/09/17
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 その後アルバートは、アート・ガーファンクルに"99miles from L.A."、レオ・セイヤーに"When I need you"、スターシップに"Nothing's gonna stop us now"など、他にもセリーヌ・ディオン、ダイアナ・ロス、ホイットニー・ヒューストンなど超有名歌手に楽曲を提供している。やはり才能豊かなSSWなのだろう。

 彼の曲を詳しく聴きたい人は、これらの曲が収められているベスト・アルバムがお得である。編集盤は結構発表されているし、特に日本編集盤では日本でヒットした曲が多い。夏には"カリフォルニアの青い空"を、秋には"落葉のコンチェルト"を聴くのが、正しいアルバート・ハモンド鑑賞法かもしれない。

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ミッシェル・ポルナレフ

 秋も深まってくると、なぜかミッシェル・ポルナレフを思い出す。特に"Tout tout pour ma cherie"(邦題:シェリーにくちづけ)を思い出してしまう。

シェリーに口づけ Music シェリーに口づけ

アーティスト:ミッシェル・ポルナレフ
販売元:ユニバーサル インターナショナル
発売日:2000/04/26
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 この曲は1971年に日本で40万枚以上のヒットを記録した。当時の40万枚というのは、今で考えれば、かなりの影響があったと思う。ただ、自分はまだこの頃は小学生だったので、直接聞いた覚えはない。

 ただ中学生になったときも、まだポルナレフは、人気絶頂期で来日公演中にファンからトレードマークのサングラスを奪われたとかいう話しは聞いた。

 当時のミッシェル・ポルナレフは、金髪のライオンのようなパーマ、白い縁取りのサングラス、それからすぐに裸になる?振る舞いなどが目立つ、エキセントリックなアーティストだった。アルバム・ジャケットに股間に帽子を被せたオールヌードの写真を載せたり、今でいうボンデージ・ファッションに近いものを身にまとったりするくらいだから、その言動は常に注目の的だった。

Michel Polnareff Music Michel Polnareff

アーティスト:Micheal Polnareff
販売元:Unknown Label
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 しかし音楽性は華麗で、ファッショナブル、印象的なメロディと明らかに日本人受けするもので、出す曲、出す曲ヒットし続けた。
 先ほどの"シェリーにくちづけ"以外にも"愛の願い"、"渚の思い出"、"愛の休日"、"忘れじのグローリア"、"火の玉ロック"、"愛の伝説"と1971年から74年にかけては、まさに飛ぶ鳥を落とすほどの人気があったのだ。

 それでなぜ秋になると"シェリーにくちづけ"を思い出すのかよく分からない。昔は秋といえば、すぐに日が落ちあたりは暗くなったものだ。今のようなネオンの灯は少なかったし、夕方は冷え込むこともあった。
 そんなときに耳に残っている"シェリーにくちづけ"のサビの部分を口ずさみながら、帰っていたのだろう。

 しかしポルナレフはフランス人で、当然のことながら曲もフランス語であった。口ずさむといっても、赤ん坊がバウバウ言っているようなものである。何を歌っているか分からないし、発音なんか全く不明だったけど、でも何となくカッコよかったのだ。やはりこのカッコよさという正体不明なものが、少年の心を刺激したのだろう。これがロックの初期衝動なのだろうか。

 おとなになって彼のCDを買おうとしても国内盤がなかったので、輸入盤を買おうとしたところ、曲名が分からないのである。自分の好きな曲が入っているのか、入っていないのか判断するのに苦労した。"忘れじのグローリア"は分かったのだが、"渚の思い出"や"愛の思い出"などはさっぱり分からない。
 だから運良く購入したCDにそれらの曲があったときは、うれしくてうれしくて飛び上がって喜んだものだ。

 彼は1944年7月3日生まれの今年63歳である。70年代の半ばにフランスからアメリカのLAに移り、活動を始めたようだが、精神的に苦しくなったのか、1990年まで、ほぼ5年おきにしかアルバムを発表していない。だから彼の最新スタジオ・アルバムは1990年に発表された「カーマ・スートラ」である。

KAMA-SUTRA KAMA-SUTRA

アーティスト:Michel Polnareff
販売元:Unknown Label
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 しかし、2007年の3月2日、フランスのパリでコンサート活動を開始したようだ。はたして60歳を越えた現在のポルナレフの容姿がどんなものなのか気になるところである。たぶん、もうヌードにはならないと思うけれど・・・

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ビューティフル・サウス

 ビューティフル・サウスはイギリスのグループである。日本ではほとんど知名度はないと思うのだが、本国イギリスでは国民的人気バンドだそうである。最新アルバム「スパービ」のキャッチ・コピーは「英国で最も綺麗なメロディーと最も卑俗な詩を持つバンド」とある。

スパービ Music スパービ

アーティスト:ビューティフル・サウス
販売元:ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
発売日:2006/11/15
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 確かにその通りで、以前のアルバム「ブルー・イズ・ザ・カラー」にも元恋人が別の女性と結婚するという話を聞いて“Don't marry her, fuck me”と歌う曲があった。しかもこれを女性ボーカリストがサラリと歌うのである。
 さらにコンサートでは聴衆を巻き込んでの大合唱になるというのだから、これはもう興奮モノである。

 自分が一番好きなアルバムは3枚目の「0898」である。前作の「チョーク」が全英でダブル・プラチナ・ディスクを獲得した勢いそのままに制作したアルバムなのである。

0898 Music 0898

アーティスト:The Beautiful South
販売元:Go Discs
発売日:1992/04/01
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 全曲シングル・カットできそうなキャッチーでメロディアス、ポップな作品に仕上がっている。特に1曲目~3曲目はメドレーではないのだが、流れるような形式になっている。"Old red eyes is back"というのはアル中男の物語であり、"We are each other"とはホモ・セクシャルな関係を歌っている。
「年老いた赤い目の男が戻ってくる
毎晩飲んだくれの赤い目の男が
まちがった酒場に入っていって
ドアの方に歩いていった

よく聞け 赤い目の男よ
お前は医者の言うことを全然聞かない
彼はこのままだと死んでしまうと言ったのに」

「兄弟や姉妹よりも近い関係
子どもと猫よりも近い関係
恋人よりも近く
僕たちはおたがい同じ

僕たちがショッピングに行った夜のことを
覚えているかい
僕は足の毛をすべてそり
君は背中に毛を生やした
誰も恋人たちの小屋に行ったものはいない
それは行き止まりのようなものだから」(訳:プロフェッサー・ケイ)

 こんな歌詞がヒット・チャートに上がったりするのだ。しかもポップなメロディだからアルバム自体も売れるのである。
 中には王室批判の歌もある。“政府は盛衰するものだが、王室はそのままである。女王や公爵が同志を刈り取ろうとしようとしても気にするな”などというのが歌詞カードに載るのだから日本では考えられない。

 さらには夜の女たちを歌ったものやビートルズの"When I'm 64"をパロッた"When I'm 84"という歌もある。内容も64歳から84歳までの内容だ。まったくどこまでが本気でどこまでが冗談かわからない。

 そして極めつけは"Bell-bottomed tears"という曲だ。
「これは私が準備した夕食
これは私が作ったドレス
これは私が育てた子ども
そしてこれはあなたが一緒に寝た女

これは私が身につけている香水
これは私たちが泊まったホテル
こうやって私は横になったのに
これはあなたが寝た女
これはあなたが一緒に寝た女

涙が 涙が 混乱からではなく
恐れからのせいで 溢れ出てくる」(訳:プロフェッサー・ケイ)

 不倫現場を見つけた、もしくは証拠写真を手に入れた女性の歌だろうか。これをスゥイートなメロディと可憐な声で歌うのだから、絶句してしまう。経験者ならもっと身につまされるだろう。

 ビューティフル・サウスは6人組で、男性2人、女性1人の男女混合3人ボーカルである。結成は1989年で、ほとんどの曲をメンバーのデイヴ・ロザリーとポール・ヒートンで作っている。
 中心人物はポール・ヒートンであるが、女性ボーカルの方は入れ替わりが激しく、現在3人目である。やっぱりこんな歌ばっかりを歌わせられると、イメージが悪くなるので、それを嫌って辞めていくのだろうか。

 現在までに10枚の公式アルバムと数枚のベスト・アルバムが発売されている。ただ残念なことに、2007年の1月に解散声明を出したとのことである。

 このアルバムはたぶん廃盤になっていると思うが、もしどこかで見つけたなら即買いだと思う。このアルバムでなくても彼らの出したアルバムは本国ではほとんどがベスト10に入っているので、どれを買っても満足できると思う。
 日本でメジャーになる前に、解散してしまうのは惜しいことである。

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WAX

 前回のアンドリュー・ゴールドつながりから、今回はそのアンドリューが10ccのグラハム・グールドマンと結成したWAXを紹介することにした。

 彼らが出会ったのは、1982年のことだった。当時のワーナー・ブラザーズの社長であったレニー・ワロンカーから10ccのアルバムのプロデュースを受けたのが、アンドリュー・ゴールドであった。

 そのアルバムは「ミステリー・ホテル」というタイトルであったが、どういうわけかどこにもそのクレジットはない。この話が本当ならこちらの方がミステリーである!

 ともかくこれを契機として、2人の交流が始まった。たぶん2人とも同じような趣味やテイストの持ち主だったのであろう。
 ちなみにアンドリューは1951年生まれで、グラハムの方は1946年生まれである。グラハムは10cc加入前に、ソングライターとして成功を収めており、ホリーズの"Bus stop"やヤードバーズの"For your love"を作曲したのは彼である。

 アンドリューのソロ・アルバムなどを聴いてみると、60年代のポップ・ミュージックの影響をかなり受けており、曲作りにそれが反映されているのがわかるが、実際に60年代を音楽産業の中で泳いできたグラハムからは、決して少なくない影響を受けたのではないだろうか。

 そんな彼らが結成したのがWAXであった。(それ以前に一時コモン・ノリッジというグループを結成していた)
 グループといっても2人組なので、正確にはデュオである。彼らはマルチ・ミュージシャンだから、おそらく2人でほとんど全ての楽器を演奏したことだろう。そういう意味では、スタジオ・ミュージシャンを雇う必要もなく、大変リーズナブルであった?

 1986年に発表された彼らの1stアルバム「マグネティック・ヘヴン」はそんな彼らのポップ・ミュージックがぎっしりと詰まっている。Wax2
 アメリカでは"Right between the eyes"がシングル・カットされ、イギリスでは"Ball and chain"がシングルになったそうである。いずれも確かに売れそうな音である。
 前者は、ちょうどジェネシスのマイク・ラザフォードが結成したマイク&ザ・メカニックスによく似た音で、彼らのアルバムに納められていてもまったく違和感はないと思われる。

 後者の音は、80年代を代表するような薄っぺらいシンセの音が中心となったダンサンブルなナンバーである。ちょうどティアーズ・フォー・フィアーズのような感じだ。ジャニス・ジョプリンの歌に同名曲があるが、似ても似つかない曲だ。

 彼らは87年に2ndアルバム「アメリカン・イングリッシュ」、89年に3rdアルバム「ア・ハンドレッド・サウザンド・イン・フレッシュ・ノート」をコンスタントに発表した。

 そして1997年には未発表曲6曲、ライヴ音源、リメイクなどを含んだコンピレーション・アルバム「ザ・ワックス・ファイル」を発表した。
 86年から97年までの音源が含まれているので、彼らの活動を俯瞰するには手ごろなアルバムだ。

 しかし聴けば聴くほど80年代の音である。やはりマイク&ザ・メカニックスやトンプソン・ツインズなどを思い出す。特にややアップ・テンポな音はその傾向が強い。
 逆に、バラード系はいいムードを醸し出している。新曲"Baby's got a gun"や89年の3rdアルバムに入っていた"Wherever you are"などは素晴らしいできである。

 また新曲の"Same boat now"やハーモニカがさわやかな60年代を印象付ける"Can anybody see you"、2人のハーモニーが美しいバラード"Touch and go"など聴きどころは多い。
 おまけに65年のマーヴィン・ゲイのヒット曲"One more heartache"やアンドリュー・ゴールド自身の78年のヒット曲"気の合う二人"のライヴ・ヴァージョンまで納められている。もちろん歌っているのは、アンドリューとグラハムの2人である。

 というわけで全17曲、これ1枚あれば、彼らの魅力を満喫できるほどの満足できるアルバムでした。

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アメリカ

 先日、ラジオでアメリカの"A horse with no name"(邦題:名前のない馬)を久しぶりに聞いて、そのあまりのよさに感動した。何年たってもいい曲はいいと思った。

名前のない馬[紙ジャケットCD] Music 名前のない馬[紙ジャケットCD]

アーティスト:アメリカ
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2007/07/11
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 だいたいこの曲を初めて聞いたのは、随分とむかしのことで、1972年のことである。もう35年も前のことだ。英語なので、当然のことながら何を言っているのかさっぱりわからなかったけれど、子ども心にも何か感じるものがあったに違いない。すっかりこのグループのファンになってしまった。

 残念ながらこのグループのオリジナル・アルバムは1枚も聞いたことがない。アルバムよりもシングルの方が有名で売れたと思う、特に日本では。
 だからアルバムを買おうとは思わなかったが、シングルはやっぱり何回も聞きたいと思った。

 この70年代の前半の彼らのヒット曲を列挙してみる。先ほどの全米No.1の"A horse with no name"、8位になった"Ventura Highway"、74年に4位の"Tin man"(魔法のロボット)、5位の"Lonely people、"75年に2曲目のNo.1になった"Sister golden hair"(金色の髪の少女)、20位と健闘した"Daisy Jane"(ひなぎくのジェーン)などなど・・・

 これ以外にも"I need you"、"Muskrat Love"、"Don't cross the river"、"Sand man"などヒットしなかった曲の中にも印象深いものは多い。まさにポップな3人組だったのだ。

 アメリカというグループ名は、イギリス在住のアメリカ人3人組によってつけられた。この3人の父親はアメリカ軍に勤務していて、そのベイス(基地)がイギリスにあったのだ。だから彼ら3人は、母国への望郷の念を込めて、自分たちのグループ名にアメリカと名づけたのである。

 最初、彼らはイギリスのクラブなどをまわっては活動していて、あのピンク・フロイドの前座まで経験したというから、当時のロンドンはまさに音楽の坩堝と化していたのであろう。
 あのアコースティックな音楽とハーモニーが、ピンク・フロイドの前座にふさわしいかどうかは微妙であるが、たぶん当時はシド・バレット在籍時のことだろうから、フロイド流のサイケデリック音楽とアメリカのアコースティックのバランスがよかったのだろう。

 "A horse with no name"の大ヒットのあとは、段々彼らの人気も下降気味になってきた。だから2年後の74年にビートルズのプロデューサーであったジョージ・マーティンをイギリスから呼び、アルバム制作を依頼したのだ。
 その2枚のアルバム、「ホリディ」と「ハート」から"Tin man"、"Lonely people"、"Sister golden hair"などの大ヒットが生まれたのである。さすがジョージ・マーティンであった。ちなみに「ハート」は彼らの最高傑作といわれている。

ハート[紙ジャケットCD] Music ハート[紙ジャケットCD]

アーティスト:アメリカ
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2007/07/11
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 そして2年後の76年にメンバーのひとり、ダン・ピークが、まさに人気がピークのときに脱退してしまった。
 以後は2人組で活動を続けていくのだが、残念ながら往時の人気を再び獲得することはなかった。

 彼らは今も2人組で活動をしているそうだ。最近は昔のアルバムが紙ジャケットとして再発されているので、興味のある方はどうぞ手にとって見てください。
 ちなみに一番売れた彼らのアルバムは、ベスト・アルバム「アメリカの歴史」である。

アメリカの歴史(ベスト)(完全生産限定スペシャル・プライス) Music アメリカの歴史(ベスト)(完全生産限定スペシャル・プライス)

アーティスト:アメリカ
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2006/03/08
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カーペンターズ

 別に真打ち登場というわけではないのだが、カーペンターズは、70年代のポップ・ミュージックを代表するようなデュオである。
 私のような年よりには、同時代を生きてきたので、あえて言わなくても感覚で理解できるのだが、若い人のなかにはよく知らない人がいるかもしれない。というわけで、あえて知ってる範囲で書くことにした。

 彼らは、1969年にビートルズの"Ticket to ride"でデビューした。兄のリチャード・カーペンターは1946年10月15日生まれで、妹のカレン・カーペンターは1950年3月2日生まれであった。
 兄は12歳からピアノを始めたという。ちょっと遅咲であるが、16歳でバンド活動を始めた。彼らはコネティカット州からカリフォルニア州に引越し、その頃から妹のカレンもドラムを叩くようになったそうである。
 そして友人と3人でジャズ・バンドを組み、コンテストに優勝した彼らは、最終的に兄妹でデビューすることになった。兄23歳、妹19歳のときである。

 70年にシングル第2弾の"Close to you"がビルボードNo.1を記録したが、それ以降、彼らはアメリカをいや世界を代表するトップ・アーティストになった。
 彼らは3枚のNo.1シングルを持っていて、"Close to you"と"Top of the world"、75年最後のNo.1になった"Please Mr. Postman"である。

 また日本国内での公式スタジオ・アルバム(編集盤を含む)は18枚あり(たぶん!)、そのうち個人的に好きなのは、72年に発表された「トップ・オブ・ザ・ワールド」と、73年に発表された「ナウ・アンド・ゼン」である。

 このうち「トップ・オブ・ザ・ワールド」は、赤地に白い♡が描かれており、リチャードは、“まるでヴァレンタインのチョコレートみたいだ”と皮肉を込めて述べていた。

ア・ソング・フォー・ユー Music ア・ソング・フォー・ユー

アーティスト:カーペンターズ
販売元:ユニバーサルインターナショナル
発売日:2007/09/05
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 曲目は"A song for you"で始まり、"A song for you(Reprise)"で終わるというトータル・アルバム形式で、途中でインターミッションも挿入されている。
 内容も"小さな愛の願い"、"愛にさよならを"、"動物と子どもたちの詩"、"トップ・オブ・ザ・ワールド"と名曲ぞろいである。(もちろん"A song for you"もだが)

 ところで蛇足だが、発売当時のタイトルは「トップ・オブ・ザ・ワールド」だったが、現在では原題の"A song for you"に代わったようである。

 そして73年に発表された「ナウ・アンド・ゼン」は、これはもう企画モノというか、1つの仮想空間として完全にパッケージされた作品である。この構想においては完全にプログレの世界である。

Now & Then Music Now & Then

アーティスト:The Carpenters
販売元:A&M
発売日:1998/12/08
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 ここから「カーペンターズとプログレッシヴ・ロック」について述べてみたい。まずこのアルバムがなぜプログレなのかというと、
①アルバム後半の"Yesterday once more"から最後の同名曲のリプライズまでが、組曲形式であるということである。
 "Yesterday once more"~"Fun, Fun, Fun"~"The end of the world"~"Da Doo Ron Ron"~"Deadman's curve"~"Johnny Angel"~"The night has a thousand eyes"~"Our day will come"~"One fine day"~"Yesterday once more(Reprise)"とノン・ステップで18分あまり続く展開は、まさに組曲であり、圧巻である。
②この組曲の中で全米1位になったのは2曲あり、"Johnny Angel"と"Our day will come"
である。また曲間をギタリストのトニー・ペルーソがDJを演じており、実際のラジオを聴いているかのように次々と曲が飛び出すという感じである。このアイデアが凄い。
③基本的にプログレッシヴ・ロックというのは、“ここではないどこか”に誘う音楽である。それは音で理想郷を提示したり、トリップ感覚であったり、技巧で圧倒したりと、方法論は様々であるのだが、基本的には違う世界や感覚を聴く者に訴えるのである。
 例えばイエスは音の構築美を示すことで、クリムゾンは即興演奏で、キャメルは叙情性で、ジェネシスは曲の展開と詩の世界で我々を誘うのである。
④当時のレコード・ジャケットが3面鏡のような特殊ジャケットだった。これもプログレのアルバムではよく見られるものである。

 それでこのカーペンターズのアルバムは、まるでオールディーズ専門局のラジオ放送を聴いているかのようにさせてくれるので、まさにこれは“ここではないどこか”に私たちを連れて行ってくれる。そういう意味でも、これはプログレなのである。

 残念ながらカレンは拒食症を治療しようと服用した薬の副作用からか心臓を痛め、結局1983年2月4日に亡くなった。まだ33歳だった。彼女自身はこの世にいなくなったけれど、その歌声は永遠に残るのである。

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キャット・スティーヴンス

 前回のブログで、アル・スチュワートの「イヤー・オブ・ザ・キャット」のことについて述べたが、「キャット」つながりということで、今回はキャット・スティーヴンスについてである。

 アルと同じように、イギリスのSSWであるキャット・スティーヴンスは、もちろん本名ではない。スティーヴン・ジョルジオというのが正しい名前であり、ちなみに父親はギリシャ人、母親はスウェーデン人だそうである。

 小さい頃に両親が離婚したが、別居状態ではなくて1階と2階に分かれて暮らしていたそうである。また母親に連れられてスウェーデンに行き、そこでしばらく暮らしたともいわれている。
 やがては両親は寄りを戻すのだが、小さい頃のそういう経験が内省的な性格に導いたのかもしれない。

 彼がデビューをしたのは1967年だが、実質的に売れ始めたのは70年代に入ってからである。
 71年に発表されたのが「父と子」でこの中にあった"Wild world"、"Father and son"がヒットした。

Tea for the Tillerman Music Tea for the Tillerman

アーティスト:Cat Stevens
販売元:Island
発売日:2000/05/23
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 特に前者は全米11位と健闘したのである。後者の曲も昔からある親子の確執や子どもの自立などをわかりやすく提示していて、聞き応えのある曲になっている。アルバム自体も全米8位まで上がり、一気にメジャーになった。

 彼の音楽はアル・スチュワートとは対照的で、ギターやピアノなどのシンプルなバック演奏に乗せて、自分の信条や想いを切々と歌うSSWである。いわゆる典型的なSSWだと思う。
 だから安心して聴くことができるし、聴いたあとでさわやかな感動をもたらしてくれるのだ。 

 同じ年に出た次のアルバム「ティーザー・アンド・ファイアキャット」は70年代を代表するアルバムの1枚だと思う。当然、彼にとっても最高傑作だと思う。

Teaser and The Firecat Music Teaser and The Firecat

アーティスト:Cat Stevens
販売元:Polygram
発売日:2000/05/23
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 このアルバムからは3枚のシングル・ヒットが生まれ、アルバム自体も全米2位にまで上がった。
 3枚のヒットのうち、"Morning has broken(雨にぬれた朝)"は、今でも日本でCMソングに使用されているし、おそらく聴けば、「あぁー、あの歌か」と多くの人が思うに違いない。

 ところでほとんどの曲は、キャットが作詞作曲しているのだが、この曲の作詞は別人の手によるものだ。エレノア・ファージョンというイギリスの女性詩人の作ったものに曲をつけているのであるが、面白いことにキリスト教を背景にした生の喜びを綴ったものである。

 何で面白いことなのかというと、彼は79年にイスラム教に改宗するのである。兄からもらったコーランを読んで感動したらしいのだ。
 その後のキャット・スティーヴンスは一切の音楽活動をやめ、宗教活動に身を挺している。現在は2つのイスラム教の学校の経営者として、ロンドンに住んでいる。

 とにかく70年代を代表するSSWだった。アメリカでは彼のアルバムは8枚連続で50万枚から100万枚売れたことからもそのことがわかる。
 しかし、たぶん二度と彼の歌声を聞くことはできないだろう。残念なことである。ちなみにアルバム・ジャケットも彼自身の手による。文字通りアーティストだったのだ。

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アル・スチュワート

 70年代のイギリスに気になっているミュージシャンたちがいる。その中にいわゆるシンガー・ソング・ライターでアル・スチュワートという人がいた。

 彼のアルバムの中で「イヤー・オブ・ザ・キャット」という名前のものがある。1976年の作品であるが、100万枚以上を売り上げ全米5位にランクされた。彼はこのアルバムで一躍有名になる。

Year of the Cat Music Year of the Cat

アーティスト:Al Stewart
販売元:Emi
発売日:2001/09/10
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 当時アメリカではAORがブームになりつつあり、このアルバムもその範疇に入れられるのであろうが、ちょっと違うような気がする。

 一般的にアメリカ人のAORアルバムは、明るくて心地よいメロディを持っている曲が多いが、イギリス人のアルバムは心地よくても、どこかウェットで、バックのサウンドが結構目立つ曲が多いと思うのである。

 このアルバムでもサックスやヴァイオリン、ハーモニカなどが効果的に使用されていて、曲にメリハリを与えている。
 声質は高音が鼻にかかっていて、ちょっとジョン・レノンに似ている。

 SSWといってもギター1本で勝負するのではなく、トータルなプロダクションで聴く人を納得させている点が、エルトン・ジョンに似ている。
 エルトン・ジョンにはガス・ダッジョンというプロデューサーがいたが、アルにはアラン・パーソンズが全面的に協力している。そういう意味では、それぞれのプロデューサーが曲のオリジナルの美しさを上手に引き出しているようだ。 

 全9曲しかないが、どの曲も美しいメロディと印象的なフレーズを持っていて、聴いていて飽きがこない。特に2曲目"On the border"、4曲目"Sand in the shoes"は覚えやすいフレーズを持った曲で、5曲目"If it doesn't come naturally, leave it"はアップ・テンポで妙に明るい雰囲気を持っている。

 6曲目"Flying soccery"はハーモニカが印象的に使われているし、7曲目の"Broadway hotel"はヴァイオリンがフィーチャーされている。こういう点がアメリカのAORと違う点ではないだろうか。
 そして最後の曲"Year of the cat"は6分以上の長い曲であるが、淡々と流れるバックのストリングスとアコースティック・ギターにのってアルの歌声も優しくさわやかに流れていくのだ。

 この不思議なタイトルはどこから来たのだろうかと常々思っていたのだが、一説によるとアルの恋人が持っていた占星術の占いの本の中に「猫の年」というのがあったので、それをそのままタイトルにしたらしい。でも十二支には猫はないし、西洋では猫年があるのかどうかはわからない。結局、不思議なタイトルである。

 アル・スチュワートは1945年9月5日に、イギリスはスコットランドのグラスゴーで生まれた。17歳で学校をやめ、バンド活動に専念を始めた。
 初期のアルバムにはフェアポート・コンヴェンションのメンバーやジミー・ペイジも参加していた。

 アルはコンスタントにアルバムを発表し続け、現在もクラブなどで演奏をしているそうだ。そして妻と長女(13歳)、次女(9歳)の4人家族で、アメリカのカリフォルニア、サン・フランシスコ近くのマリンというところに住んでいる。

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サイモン&ガーファンクル

 S&Gといえば、サイモンとガーファンクルのことであるが、彼らのベスト・アルバムを1枚挙げろといえば、誰もが「明日に架ける橋」を推すであろう。1970年に発表された彼らの5枚目のオリジナル・アルバムであり、おそらく最後のアルバムになるだろう。

明日に架ける橋 Music 明日に架ける橋

アーティスト:サイモン&ガーファンクル
販売元:ソニー・ミュージックダイレクト
発売日:2003/12/17
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 ポール・サイモンとアート・ガーファンクルは同じ年で、2人とも1941年生まれである。今年で66歳になる。ちなみに小学校の同級生にはSSWのジェシ・コリン・ヤングもいたそうである。

 2人の共通点:①ニューヨーク出身でユダヤ系中流家庭に育つ。
          ②野球ではヤンキース・ファンである。
          ③ハイスクールには1年飛び級で進学している。
          ④ラジオのロックン・ロール番組が好きだった。
          ⑤離婚と結婚を繰り返している。

 2人の相違点:①体型と性格。
          ②ポールは音楽に、アーティは映画出演に意欲的。
          ③ポールは曲つくりが、アーティは歌うのが得意。
          ④アーティはドラッグが好きで、
                    いまだに逮捕、保釈を繰り返す。
                     ⑤ポールは昔からリズミカルな音楽が好きだった。

 彼らは16歳のときに、トム&ジェリーという名義で"Hey, schoolgirl"というヒット曲を出すが、その後はヒットが出ずに2人とも大学に進学した。
 ポールは一時イギリスで暮らし、そこで作曲や演奏活動を行っていたが、折からのフォーク・ブームも手伝ってか、アメリカに戻り1964年にサイモン&ガーファンクルとしてデヴューした。

 そして1966年に"Sound of silence"が全米1位になり、彼らの名前は全世界に知れ渡るようになったのだが、ただこの曲については、彼らに無断で電気ギターや電気ベース、ドラムの音などが付け加えられたので、彼らはひどく立腹したという逸話が残っている。

サウンド・オブ・サイレンス Music サウンド・オブ・サイレンス

アーティスト:サイモン&ガーファンクル
販売元:ソニー・ミュージックダイレクト
発売日:2003/12/17
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 「明日に架ける橋」はアカデミー6部門を受賞した不朽の名作である。6部門とはアルバム賞、レコード賞、楽曲賞、コンテンポラリー賞、編曲賞、録音賞で、これは史上初だそうである。アルバムの売り上げも全世界で通算1000万枚以上ともいわれ、いわゆるモンスター・アルバムなのだ。

 ビートルズの「アビー・ロード」と同じように、このアルバムの録音時には2人の関係はうまく行かず険悪な状態だったらしいが、逆にそのような緊張関係が結果的にはすばらしいアルバムを生み出したといえるかもしれない。

 名曲で埋まっているアルバムだ。"フランク・ロイド・ライトに捧げる歌"や"ニューヨークの少年"の幻想的な曲調、"いとしのセシリア"、"手紙が欲しい"のリズム感は、のちのソロ活動でのレゲエ、ゴスペル、ジャズ、果てはアフリカ、ブラジルの音楽までつながっていったのだろう。

 また曲の配置もまさにこの順番でないといけないという順で並んでいる。"明日に架ける橋"で始まり、"ボクサー"でつなぎ、"ソング・フォー・ジ・アスキング"で終わっている。
 トータル・アルバムではないのだが、トータル性のあるアルバムであることには間違いないだろう。

 ところで"明日に架ける橋"には、実はサブリミナル効果として、ドラッグのことを歌っているという説がある。“I”とはドラッグそのものであり、“Like a bridge over troubled water”とはドラッグの切れた禁断症状を表しているという。
 さらに“silver girl”とは注射器のことを意味し、“All your dreams are on their way, See how they shine”は、ドラッグに陶酔した心境らしいのだ。
 確かに“I will ease your mind”と言われれば、そんな気もする。当時のジャンキーたちは、そんな事を思いながらこの歌を聴いていたのかもしれない。

 いろんなことが散りばめられながら、このアルバムが出来上がったのだろう。そしてこのアルバムの持つ価値は、音楽遺産として、時が経つにしたがってさらに高まっていくに違いない。

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たまにはポップ・ソングをpart2

 前回1974年当時の洋楽ヒット・シングルを羅列したが、今回も当時のことを振り返りながら有名ヒット・ソングを見てみたいと思う。

 最初は1973年末から74年にかけて2週連続No.1になったジム・クロウチの「タイム・イン・ア・ボトル」である。

The 50th Anniversary Collection Music The 50th Anniversary Collection

アーティスト:Jim Croce
販売元:Unidisc
発売日:1992/09/22
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 ズバリ名曲である。繊細なアコースティック・ギターの響きとジムの哀愁を帯びた歌声がマッチしていて、何度聞いても切なくなるのである。
 ジムは最初この曲をシングル・カットするつもりはなかったそうであるが、あるTV局のプロデューサーがTV番組の主題歌を探していて、この歌とめぐり合ったそうである。それで急遽シングル・カットされたしだいである。

 ただ残念なことに、彼はこの曲がNo.1になったことを知らない。73年の9月に乗り合わせた飛行機のチャーター便が離陸時に木に激突して、彼は30歳の若さで亡くなったのだ。彼の最後のアルバム・タイトルが「美しすぎる遺作」というのは何とも皮肉なことであった。

 いきなりジムの話で暗くなってしまったかもしれないので、次は少し明るい曲を紹介する。「そよ風のバラード」で歌っている人は、テリー・ジャックス。カナダ人である。

Music MEGA HITS’70S

アーティスト:オムニバス,ベイ・シティ・ローラーズ,トニー・オーランド&ドーン,ニルソン,テリー・ジャックス,パートリッジ・ファミリー,ドリー・パートン
販売元:BMG JAPAN
発売日:1997/05/21
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 この曲はアメリカだけでなく、イギリスやカナダでも売れ、合計600万枚以上売れたそうである。彼は、高校卒業後にバンドを結成したが、あまり売れなかったのでソロ・デヴューしたとのこと。ただこの曲は彼のオリジナル作品ではなくて、1961年の同名曲のリバイバル・ヒットであった。でもこの曲も何となく物悲しい曲ではある。

 こうなればもっと明るい曲をという事で、シェールの「悲しき恋占い(Dark lady)」とかクラプトンの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」、エルトン・ジョンの「ベニーとジェッツ」などを思い浮かべたのであるが、いずれも離婚したての歌手の歌とか保安官を射殺した歌、グラム・ロッカーを歌った曲など、あまりハッピーな曲ではなかった。残念!

僕たちの洋楽ヒット Vol.7 1973~75 Music 僕たちの洋楽ヒット Vol.7 1973~75

アーティスト:オムニバス,サイモン・バタフライ,カール・ダグラス,グランド・ファンク・レイルロード,コモドアーズ,ピエール・バシュレ
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:2002/10/09
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 せいぜいグランド・ファンクの「ロコモーション」が、これぞアメリカン・ロックという脳天気さにあふれていてとても気持いい。

グレイテスト・ヒッツ Music グレイテスト・ヒッツ

アーティスト:グランド・ファンク・レイルロード
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:2007/03/14
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 作詞作曲は、ゲリー・ゴフィンとキャロル・キングで、プロデューサーはトッド・ラングレンである。これで売れなければおかしいという人選である。
 でもよく考えたら、この曲も1962年にリトル・エヴァが歌ったリバイバルであった。当時はリバイバル・ヒットが流行していたのであろうか。そういう年だったのであろう、1974年というのは。

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たまにはポップ・ソングを

 ということで今まではアルバムやアーティスト中心に紹介してきたが、たまにはシングル、それもロックではなくポップスのヒット・シングルをいくつか紹介したいと思う。

 最初はファースト・クラスの「ビーチ・ベイビー」である。ファースト・クラスは特定のグループというよりは、スタジオ・ミュージシャンで構成されたいわば企画ものといっていいようなグループだった。

Beach Baby: Very Best Of First Class Music Beach Baby: Very Best Of First Class

アーティスト:The First Class
販売元:Collectables
発売日:1999/10/19
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 中心人物はジョン・カーターという人で、この人はハーマンズ・ハーミッツのヒット曲などを手がけていたそうである。

 そのせいかこの「ビーチ・ベイビー」も一度で覚えられそうなメロディ・ラインを持っており、1974年に全米4位まで上昇したヒット・シングルになった。いかにも今の季節向きの曲である。

 次に紹介するのは、「悲しみのヒーロー」という曲で原題は"Billy, don't be a hero"という。これは1974年の6月15日付から2週間ビルボードNo.1になった曲でもある。
 タイトルから連想されるように、南北戦争を題材にした反戦歌で、戦場に赴くビリーに対して恋人が「ビリー、ヒーローにならないで わたしのところにいて」と懇願する内容である。そして当時のアメリカでは、ベトナム戦争帰還兵の問題が社会化していた時期にもあたり、この曲はそういう意味でも話題を集めたらしい。

 ところでこの曲を歌ったのはボ・ドナルドソンとヘイ・ウッズというグループで、彼らはこの曲以外にもトップ20に入る曲を歌っており、単なる一発屋ではない。

 また、イギリスのグループのルべッツの「シュガー・ベイビー・ラヴ」も忘れがたい曲である。これは日本やイギリスではヒットしたものの(全英No.1!)、アメリカでは37位とふるわなかった。

ベスト・オブ・ルベッツ Music ベスト・オブ・ルベッツ

アーティスト:ルベッツ
販売元:ユニバーサルインターナショナル
発売日:2003/08/06
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 バック・コーラスが印象的で「ワッ、シュワリワリ」と聴こえてくるのが、60年代風の感じがしてよかった。またメンバー全員が白のスーツに白いベレー帽をかぶって演奏していたような記憶がある。何だか変な格好ではあるが、みんなそろって同じ格好だと変に統一感があり、それも人気に拍車をかけたような気がする。これも1974年のシングルである。

 最後に紹介するのは、ブルー・スウェードのウガ・チャカ(フックト・オン・ア・フィーリング)である。

The Golden Classics of Blue Swede Music The Golden Classics of Blue Swede

アーティスト:Blue Swede
販売元:Collectables
発売日:1998/01/05
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 この曲はもともとB・J・トーマスが歌い、1969年の1月に全米5位になったものであるが、それをイギリス人のジョナサン・キングという人がアレンジをして、1972年に全英23位に送り込んだ。
 さらにそれをスウェーデン人のグループが歌って1974年4月6日付のビルボードでNo.1になったという複雑な経緯を持っている。

 しかもスウェーデン人としては初の全米No.1ヒットに輝いた曲でもある。このあとアバがヒット・シングルを連発するのであるが・・・
 これも「ウガ・チャカ、ウガ・ウガ」というバック・コーラスがユニークで、当時はネアンデルタール人風のチャントといわれていたらしい。
 ちなみにこのグループも一発屋ではなく、もう1曲アソシエーションの「かなわぬ恋」を焼き直してヒットさせている。

 こうやってみると1974年という年は、この後押し寄せてくるディスコ・ミュージックの波を前にして、ポップ・ミュージックが最後の輝きを放った最後の年だったのではないだろうかと、今になってつくづく思うのである。

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パイロット

 パイロットといっても万年筆でもなければ、飛行機を操縦する人でもない。もちろん逆噴射などしてもらっては困るのであるが・・・

 "Magic"や"January"等のシングルヒットで有名なイギリスのポップ・ロック・バンドである。74年のデヴューだが、当時のメンバーはデヴィッド・ペイトン(Bass)、ビリー・ライオール(Key)、ステュワート・トッシュ(Dr)の3人だった。

 ちなみにデヴィッド・ペイトンは、エディンバラ出身でエディンバラといえば、“エディンバラの騎士”で有名なベイ・シティ・ローラーズに誘われて一時加入していたらしい。もちろんパイロットとしてデヴューする前であろうが・・・

 そのうちデヴィッドひとりで、ベースやギター、ボーカルをこなすのは困難と判断して、ギター・プレイヤーを加入させることになった。その名をイアン・ベアンソンという。

 イアンはその当時、スティーヴ・ハーリー率いるコックニー・レベルから誘われていたらしいが、彼はすでに有名なバンドよりもこれから期待できるバンドを選ぼうと思って、パイロットに参加したといわれている。当時から結構有名だったのだろう。

 ただ1stアルバムにはイアンは正式メンバーとしてはクレジットされていない。あくまでもセッション・ミュージシャンとしてであった。

Magic Music Magic

アーティスト:Pilot
販売元:See For Miles
発売日:1998/01/05
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 しかし2ndアルバムでは、しっかりと4人組としてクレジットされている。このセカンドは、彼らの最高傑作といわれていて、"January"のほか"Call me round"、インストルメンタルの"北緯55度、西経3度"など佳曲が多いのである。

 実際は売れすぎて、時間的にゆとりがなく、シングル曲の寄せ集めとなったアルバムのようであるが、結果的にはそれが吉となったのである。Pilot2_1

 彼らはアメリカやイギリスで一躍人気グループとなるのだが、幸運は長くは続かなかった。自分の曲がなかなかシングルにならないと不満をいだいて、ビリー・ライオールが76年に脱退し、その年の3rdアルバム「モーリン・ハイツ」発売1週間前にドラムのステュワート・トッシュも一身上の都合で辞めていった。

 結局、残ったのはデヴィッドとイアンの2人だけになったのだが、これ以降スタジオ・ミュージシャンなどを起用して4thアルバムを作成した。
 不思議なことにステューワートは77年に10ccのワールド・ツアーに参加し、そのままメンバーになってしまうのだ。ひょっとしたら単にパイロットというより、アイドル・グループとして騒がれるのがいやだったのかもしれない。

 彼らは喧嘩別れしたのではなくて、自分のやりたいことを追求するために分かれたのだと思う。それが証拠にソロ・アルバムではみんな集まっているからだ。
 また、1stと2ndのプロデュサーであるアラン・パーソンズの招きに応じて、アラン・パーソンズ・プロジェクトに参加したのもイアン、デヴィッドそれとビリー、ステュワートだった。結局パイロットの4人がそろったのである。

 ただ残念なことだが、ビリーは89年に36歳で亡くなった。惜しい人を亡くしたものである。

 その後パイロットの2人はアラン・パーソンズ・プロジェクトで忙しくなったのか、実質上解散してしまった。しかし2002年に25年ぶりに!自分たちの4枚目のアルバムの再録+新曲でアルバムを発表したのだ。恐るべしパイロットである。

 私は3rdアルバムが大好きである。なぜならプロデューサーがクィーンを育てたロイ・トーマス・ベイカーであり、曲と曲の継ぎ目がほとんどないロックよりのアルバムだったからだ。
 もともと彼らはアイドルの割には演奏技術が高かったのであろう。その後のアラン・パーソンズのもとでも活躍していたように、このアルバムでもイアンのギターは響き渡っている。エレクトリックだけでなくアコースティック・ギターも見事である。

 "Canada"や"Penny in my pocket"は名曲である。コーラスもクィーンっぽいのが面白い。ただ歌詞が「俺にはお金がない」とか「流れゆく水よ、オレにも希望を与えてくれ」とかいう惨めっぽい内容が多いのだ。さきほどの"Canada"にしろ、「ここから逃げ出して新天地カナダを目指すのだ」という内容なのだからちょっと悲しいものがある。
 たぶんその当時のグループ間の様子が影響したのだろう。Pilot

 メンバーの名前の頭文字をつなげるとpilotになるという話を聞いたことがある。実際はOはないのだが、ペイトンのP、イアンのI、ライオールのL、トッシュのTである。なるほど、どうでもいい話ではあるが、昔を思い出してしまった。(アラン・パーソンズのParsonsにはOが入っている!)

 自分も受験前でナーバスになっていたのだろう。夢も希望もなかった時代のことだ。
でも「モーリン・ハイツ」は名盤だと思う。

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ロボその他

 ロボといっても昔はやったジャイヤント・ロボのようなロボットではない。アメリカのシンガー・ソングライターであるロボのことである。

The Best of Lobo Music The Best of Lobo

アーティスト:Lobo
販売元:Rhino
発売日:1993/06/15
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 ロボはフロリダ州出身で、本名はローランド・ケント・ラヴォワというらしい。ロボというのは、スペイン語で“狼”を表し、ロボとは関係ないけれど、ロス・ロボスというアメリカのバンドがあるが、これは狼の複数形である。

 名前からも分かるように、フランス人とネイティブ・アメリカンとの混血で、幼い頃に両親が離婚したこともあって、小さい頃からいろいろ問題に巻き込まれたようである。
 彼は父親には一度もあったことはなく、母親にもそのことについては触れにくかったらしい。母親はクラブの歌手で、父親はバンドのギター奏者だったから、彼の才能は、両親から受け継いだものであろう。

 最初に買ったストラトキャスターで練習をつみながら、1961年18歳のときに“ザ・ルーモアズ”というロックバンドを結成し、ベンチャーズなどの曲を演奏していたらしい。
 やがて一時あのグラム・パーソンズともバンドを組んでいたらしいが、やがて1971年に「僕と君のブー」(ブーというのは犬の名前)で全米5位になり、一躍有名人になったのである。

 一番印象に残っているのは、「片想いと僕」(全米2位)で、中学生のときであり、これは日本のラジオでよく流れていたものである。70年代後半であればAORと呼ばれたであろうが、当時はそういう言葉はなく、普通のポップスの範疇で語られていた。
 この曲は一度聴いたら忘れられないメロディであり、永遠の名曲であると思う。

 その後彼は数曲のヒットを飛ばすが、80年代以降はカントリー・ミュージックに活動を移し、現在はセミリタイヤをしているようである。

  また、イギリスの2人組ヴィグラス&オズボーンはご存知だろうか。1972年の大ヒット曲「秋はひとりぼっち」も大ヒットした名曲である。これも私が中学校の頃に、よくラジオでかかっていた曲である。
 原題は"Forever Autumn"といい、日本では大ヒットしたが、本国イギリスでは今ひとつ売れなかったらしい。
 ところが、78年にあのムーディ・ブルースのジャスティン・ヘイワードが歌って全英5位のチャート・アクションを記録している。いわゆるリメイクというやつだろうか。

 彼らは2枚のアルバムを出して自然消滅するのだが、のちにオズボーンの方は、バーニー・トーピンの代わりにエルトン・ジョンと組んで、「21at23」「ザ・フォックス」「ジャンプ・アップ」というアルバムで歌詞を提供し、作詞家として成功を収めるのである。まさに人生とは先が読めないものである。

 彼らの唯一のベスト盤が1998年に発売されたが、たまたま店頭でこれを見つけた私は、おもわず狂喜乱舞して即購入した覚えがある。たぶんもう廃盤なのだろう。ここに写真を載せることができなかった。

 世の中の人は彼らを一発屋と呼ぶかもしれないが、私にとっては永遠の一発屋なのである。

 

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