金属恵比須(2)
さて、2ヵ月にわたって綴ってきた“プログレッシヴ・ロック特集”も、今回で一応終わりにしたい。ビリー・シャーウッドのバンドからムーディー・ブルースのメンバーのソロ・アルバムなどを取り上げてきたのだが、正直言って、かなりマイナーだったような気がする。
まあ、このブログ自体が超マイナーなので、別にどうでもいいことなのだが、いまや“プログレッシヴ・ロック”自体が現在のミュージック・シーンから消えかかりそうな状態なので、何とか復活してほしいという願いを込めて記してきたつもりである。
でも、昔のバンドやミュージシャンばかりだと、“温故知新”的な面もあるけれど、結局、“あの頃は良かった”的な懐古趣味に陥ってしまう危険性も考えられる。したがって、最終回の今回では、“今を生きる”プログレッシヴ・ロック・バンドについて述べることにした。
“今を生きる”といっても、2016年の12月12日付で、このバンドのことは紹介していた。日本が世界に誇るプログレッシヴ・ロック・バンドの金属恵比須である。
彼らのことは既に述べているので、彼らが昨年の8月に発表した一番新しいアルバム「武田家滅亡」について、簡単に紹介しようと思う。
このアルバムは、タイトルからも分かるように、戦国時代に実在していた武田信玄の息子勝頼のことを歌っていて、武田家の滅亡を描いた伊東潤の傑作歴史小説「武田家滅亡」をテキストにしていた。そして、音楽的には「武田家滅亡」という“小説のサウンドトラック”をイメージして作られたといわれている。
アルバム・ジャケットのスリーヴ・タイトルには、「武田家滅亡(オリジナル・サウンドトラック)」と書かれていて、まるで映画音楽のような感じがするが、実際は上にも記したように、映画ではなく小説のバックグラウンド・ミュージックなのである。
また、アルバムの裏ジャケットには、作家の伊東潤氏の次のようなコメントが記載されていた。「天正十年、戦国最強を謳われた武田家は滅亡した。その七年前の長篠合戦後から滅亡までを描いたのが拙著『武田家滅亡』だ。この作品を読んで感銘を受け、音楽で再現しようと思い立ったのが高木大地氏である。氏は文芸作品に造詣が深く、小説や民間伝承をモチーフとした作品を数多く手掛けてきた。その心の琴線に拙著の一つが触れ、こうしてアルバムとして結実したことは、作者として無上の喜びである。
このアルバムは静と動のコントラストが明確で、戦国時代の非情や悲哀が見事なまでに再現されている。これこそは、音楽、歴史、文芸作品が三位一体となった新しい試みであろう。
かくして時空を超え、ここに武田家はよみがえったのだ。」
この文を読めば、このアルバムのコンセプトが明確に伝わると思う。ここに出てくる高木大地氏とは、この金属恵比須のリーダーで、唯一のオリジナル・メンバーでもあるギタリストを指している。
アルバムは11曲で構成されていて、冒頭の"新府城"から7曲目の"天目山"までが、いわゆる組曲形式の「武田家滅亡」であり、残りの4曲はそれぞれが独立した曲になっていた。
1曲目の"新府城"は、ゼップの"Kashmir"を70年代のクリムゾンがバックアップしたような曲で、"Kashmir"のあのリフにメロトロンが覆いかぶさってくるようなサウンドが痺れさせてくれる。この曲を聞けば誰でも続きを聞きたくなるもの。この曲だけ聞いて、アルバム全体の進行をStopできる人は、真のプログレッシヴ・ロック・ファンではないと言えるだろう。
次の"武田家滅亡"は、アップテンポのプログレッシヴ・メタル・ソングだ。歌詞の中に出てくる“東奔西走”、“議論百出”、“孤軍奮闘”、“捲土重来”などの四文字熟語がこれほどマッチするメタルチックな曲は、他にない。演奏テクニックのみならず、歌詞を通してアルバム・タイトルをイメージさせるパワーを持っている。まさに“金属恵比須ワールド”を表出している曲だろう。ちなみに、この曲の歌詞制作には、小説の原作者である伊東潤氏も関わっていて、だから、入試に出るような四文字熟語が使用されたのかもしれない。
3分40秒程度しかない短い曲だが、リフレインする“武田家”、“滅亡”というところは、まさにコール&レスポンスの世界だ。ライヴだったらきっと盛り上がるだろう。
続く"桂"はインストゥルメンタル曲で、前曲とは違い、ガットギターのアコースティックな柔らかさを感じさせてくれた。ボーカルは“ラーラララ”と歌うだけで、ガットギターとたぶんメロトロンによるフルート音、ボーカルが三位一体でハーモニーを奏でている。
一転して"勝頼"では、来ましたE,L&Pの"Tarkus"の再来である。手数の多いドラミング、主旋律を導くハモンド・オルガン、間を飛び交うムーグ・シンセサイザー(最近ではモーグ・シンセサイザーというらしいが、70年代ではこう呼んでいたのだ)、後半に顔を出すフリップ風のギター・サウンド、70年代のプログレッシヴ・ロックのオマージュに溢れている。
5曲目の"内膳"は穏やかなバラードだ。この曲ではボーカルが入っていて、故郷である甲斐の国への郷土愛や国防の精神を歌っている。この曲もまた2分少々と短くて、アルバム前半は、短い曲が連続して配置されている。
次の"躑躅ヶ崎館"もまた、不協和音を交えたピアノ・ソロのインストゥルメンタル曲で、雷鳴などのSEも使用されて、武田家の将来を予感させるような不穏な曲だった。次の組曲最後の"天目山"のプレリュードなのだろう。
7曲目の"天目山"はクリムゾンのセカンド・アルバム「ポセイドンのめざめ」の中の"The Devil's Triangle"のような出だしから、アルバム冒頭の"新府城"でのフレーズへとつながり、エンディングを迎える。いわゆる“円環的な手法”が使われており、トータル・アルバムとしてのアイデンティティが示されているようだ。
ここまでが“武田家滅亡”の小説のサウンド・トラックで、短い曲が畳み込まれて編成されているから、イントロからエンディングまで、まるでジェットコースターに乗っているかのように流れて行く。強盛を誇っていた武田軍団が、奈落の底に落ちていくかの如く、滅び去るさまが見事にイメージされ音楽として表現されている。まさに圧巻の出来栄えだろう。
8曲目の"道連れ"は、金属恵比須風のライトタッチなポップ・ソングだ。ポップといっても、普通のラジオで流れるような音楽ではなくて、耳に馴染みやすいという意味でのポップであり、やっている楽曲自体は、ギター・ソロも含めて、ドリーム・シアターの日本版という気がした。3分過ぎからはメロトロンも使用されているし、プログレッシヴ・ロック・ファンなら一度は聞いておいても損はしないだろう。 ただし、この曲も3分55秒しかなかった。
続く"罪つくりなひと"もボーカル入りで、曲はメンバー全員で作っている。ミディアム・テンポの曲で、途中でメロトロンや分厚いストリングス・キーボード、テクニカルなギター・ソロを聞くことができるところがうれしい。珍しく4分57秒もあった。
10曲目の"大澤侯爵家の崩壊"は、グランド・ピアノによるソロ演奏で、荘厳で陰影に満ちている。1分53秒の短い曲で、これもまたアルバム最後の曲"月澹荘奇譚"の序曲なのだろう。
その"月澹荘奇譚"は、ハードなバラード風の曲で、これもまたメンバー5人で作った曲だった。4分25秒くらいからのムーグ・シンセサイザーで前半と後半が仕切られているようで、前半はボーカル主体のメロディアスな構成、後半はブルージィーなギター・ソロがフィーチャーされた後は、再びボーカル・パートが顔をのぞかせ、ギターとシンセサイザーとが絡み合っていく。
ボーカルがフェイド・アウトした後は、やや長いエンディングが気になるのだが、シンセサイザーの主旋律に導かれて終息へと向かっていく。この辺はスウェーデンのフラワー・キングの手法によく似ている。この曲だけは10分27秒と長かった。アルバム全体としては、41分50秒と、今どきのアルバムにしては短い方だろう。
とにかく金属恵比須は、今の日本を代表するプログレッシヴ・ロック・バンドである。できれば生きている間に一度はライヴに接してみたいと思っているのだが、地方にまで出稼ぎで来てくれない限りは無理なのかもしれない。最後に、この素晴らしいミュージシャンたちを紹介して終わりにしたい。
ギター …高木大地
キーボード …宮嶋健一
ベース・ギター …栗谷秀貴
ボーカル …稲益宏美
ドラムス …後藤マスヒロ
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