2017年3月20日 (月)

Suchmos

 最近、知人から2枚のCDが送られてきた。それには簡単なメモがついていて、テレビのCMで彼らのことを知った、デビュー・アルバムはなかなか気に入ったので、ぜひ一度聞いてほしい、というようなことが書かれていた。

 そのアルバムでパフォーマンスをしていたのは、Suchmosというバンドだった。自分はバンド名から想像して、きっとジャズか、フュージョン系のバンドだろうと思っていた。
 また、ルイ・アームストロングのような、トランペットのような管楽器もフィーチャーされているいるのだろうと、勝手に想像していた。Vhrwafie

 ところが、送られてきたCDを聞いてビックリした。全然、ジャズでもフュージョンでもなかったからだ。
 また、自分も某クルマ会社のCMに使われていた曲には興味をもっていたのだが、その曲をやっていたのが、このSuchmosだったとは知らなかった。だから、もう少し彼らのアルバムを聞いてみようと思ったし、彼らのことを調べてみようと考えた。

 それでわかったことは、バンド名の読み方が“サッチモズ”と思っていたら、実際は“サチモス”と短く読むということだ。
 しかも、最近のバンドでもあり、結成されてまだ4年程度で、平均年齢25歳程度の若者たちということも知った。

 出身は神奈川県の横浜や茅ヶ崎などで、遊び友達がそのままバンド結成に至ったようだ。そういう意味では、お互いに気心が知れた関係なのだろう。

 2013年頃からバンド活動を始め、2015年にデビューEP「エッセンス」を発表して、同年の7月にはオリジナル・アルバムの「ザ・ベイ」を発表した。
 全12曲入りのこのアルバムは、基本的には“Japanese R&B”もしくは“Japanese Funky Music”だろう。51ynob4y7l

 このCDを送ってくれた私の知人は、昔からこの手の音楽が好きだった。例えば、南佳孝とか寺尾聰などであり、ジャズはジャズでも渡辺香津美などのフュージョン・ミュージックなどだ。
 また、洋楽ではボズ・スキャッグスやボビー・コールドウェルのようなモダンなR&Bやアール・クルーのようなフュージョン系も大好きで、ビルボードライヴ大阪までよく見に行く人なのである。

 よく考えたら、70年代後半に流行した“ソフト&メロウ”や“クロスオーヴァー”系の音楽だ。私も含めて、この時代に青春を過ごした人は、なかなか70年代の呪縛から逃れられないようで、どうしても耳がいってしまう。

 それでこのアルバム「ザ・ベイ」はとてもよくできていて、当時のその手の音楽が好きな人なら、一発で虜にさせられるような雰囲気に満ちている。

 まず、けだるいボーカル・スタイルで、厭世観や終末観と少しの希望が入り混じったシンギング・スタイルは、行く先不透明な現代社会の若者の声を代弁しているようだ。

 次にファンキーなリズム・セクションとクールなギターのカッティングは、まさに70年代当時の再現だろう。
 しかも、単なるモノマネで終わっているのではなく、洋楽とも対等に勝負できる高度なレベルまでもっていっているのだから、大したものである。若者のみならず、40代、50代のシニアの心までとらえてしまうのも当然のことだろう。

 このアルバム制作当時の彼らの平均年齢は、23歳ぐらいだっただろうから、本当に素晴らしい。日本の音楽制作レベルも、世界標準まで近づいたような、そんな気もしてきた。

 セカンド・アルバムの「ザ・キッズ」は、2017年の1月に発表された。この中に収められていた"Stay Tune"が、某クルマのCMに使用されたのだ。712hy3wjnnl__sl1094_
 自分は最初、CMで流されていた曲を聞いて、これは70年代のカシオペアやスペクトラム、もしくはT-スクエアなどのフュージョン系のバンドの曲に歌詞をつけたのだろうと思っていた。それくらい昔の雰囲気に溢れていたからだ。

 特にTV-CMで使用された“Stay Tune in 東京 Friday Night”のところのフレーズは、いつまでも頭の中に、それこそ“Stay Tune”していた。

 ただ、セカンド・アルバムは、1作目よりはキーボードの音が全体的に目立っていて、無機質で、かつ空間的な広がりを演出しているようだった。ギターの音も、例えば10曲目の"We Are Alone"の後半で聞かれるように、かなり頑張っている。
 それにまた、よりダンサンブルでファンキーなサウンドや曲で占められていて、彼らの成長した姿が伺えるようだ。

 逆に言うと、ハードなロック的部分は後退していて、彼らの今後の活動方針というか、音楽的に進む道がクリアになったような気がした。

 世間では“日本のジャミロクアイ”と呼んでいるみたいだが、確かに同様な音楽性は有しているし、メンバーの内の何人かは、ジャミロクワイの音楽が好きだと公言している。

 ジャミロクアイが好きであろうがなかろうが、そんなことはあまり重要ではないだろう。それよりむしろ、「~みたいな音楽」とか「~のようなバンド」と呼ぶことが問題で、それならオリジナルのジャミロクアイやマルーン5を聞けばいい話だ。

 だから、むしろSuchmosには、日本のバンドとしてのオリジナリティを確立してほしいのだ。日本風のファンク・ミュージックやR&Bサウンドをパッケージした音楽を創造してほしいと願っている。

 例えば、もっとDJのスクラッチやミキシングを取り入れたり、管楽器やストリングスを入れた日本人好みのウェットな感覚を取り入れてみても面白いと思う。

 それに歌詞に含まれている独特の世界観というか感性は、今の若者に受け入れられていることからも分かるように、他のバンドにはない素晴らしいものがある。この辺は今後も磨いていってほしいものだ。そうすれば、世界でも通用するバンドに大きく飛躍するに違いない。1

 とにかく、日本のバンドやJ-POPもこれだけ成長しているということを証明しているような存在感のあるバンドだった。これからますます輝いていくだろうし、日本のミュージック・シーンを牽引していくことは、間違いないだろう。ひょっとしたら、バンド名以上の存在になる日も近いのかもしれない。

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2016年12月12日 (月)

金属恵比須

 今回は日本のプログレッシヴ・ロック・バンドを紹介しようと思う。あるとき、アマゾンでCDを検索していたら、金属恵比須の「ハリガネムシ」というアルバムに遭遇した。

 アルバム・ジャケットを見る限りでは、限りなく怪しくてアンダーグラウンド臭をプンプンさせていたが、ジャケットの中央を見るとロジャー・ディーンまがいのロゴが描かれていたので、これはもう即買いするしかないと思ったのである。51nnuzkv0l_3
 一聴してわかったことは、まぎれもなく日本を代表する、しかも世界にも通用するプログレッシヴ・ロック・バンドだということだった。

 同じ日本にいて、こんな素晴らしいバンドが存在していたとは、何と自分は愚か者なのだろうかと自責の念に駆られたし、同時に、これはすぐにこのブログの数少ない閲覧者に知らせないといけないと思って、紹介した次第である。

 音楽的には、ジェネシスとキング・クリムゾンのいいところ取りだろうか。それにレッド・ゼッペリンやラッシュ的なハード&ヘヴィ的な要素が散りばめられている。70年代ロックを愛する人にとっては、まぎれもなく現代社会に生きるプログレッシヴ・ロックだと憧憬の念をもって受け入れられるに違いない。

 初期のジェネシスのアルバム・ジャケット・デザインを手がけたポール・ホワイトヘッドを想起させるようなデザインが素晴らしい。
 アルバム・タイトルの「ハリガネムシ」をイメージしているのだろうけれど、カマキリに寄生している「ハリガネムシ」はまた、都会の夕暮れに浮かぶ少女にも実は寄生しているのだろう。

 歌詞の中にある“キミはボクの中にいて ボクはキミの中にある”や“ボクはキミの笑顔見て キミはボクをメチャメチャにさせる モウモドレナイ”などをイメージして描かれたと思っている。

 ジャケットも印象的なのだが、メンバー一人一人の演奏テクニックは優れているし、曲構成も複雑、もちろんメロトロンのみならず昔懐かしいフリッパトロニクスまでも使用されているということで、これはもう感涙にむせんでしまうほどだった。

 アルバムは、そのフリッパトロニクスが使用された短いインストゥルメンタル“蟷螂の黄昏”で始まる。フリッパトロニクスとはテープのギター・ループ音にさらにギターを重ねて出すような装置のことらしい。03rovertfripp
 2曲目の“ハリガネムシ”には、うねるようなベース・ラインにミニムーグが宙を舞う。それにエキセントリックなギター・ソロ、ボコーダーを使用したボーカリゼーションなどが特徴だ。基本的にヘヴィ・メタルにキーボードが重ねられていて、ドリーム・シアターかラッシュのような感じだった。

 次の“光の雪”は、これはもうジェネシスの世界観が反映されていて、ハモンド・オルガンやメロトロン、ジェネシスが使用していたプロ・ソロイストまで使われている。
 メロディーや歌詞は日本的情緒にあふれていて、曲調とよく調和されているし、外国の曲の雰囲気をパクったようなところはなく、聞いていて全く違和感はない。

 7分過ぎのギター・ソロはロバート・フリップ風で、叙情性と破壊衝動が共存している。その後を追うかのようなキーボードも見事で、8分40秒過ぎにはジェネシスの"Watcher of the Skies"のフレーズも飛び出してくるなど、エンディングに向かって収束していく様も圧巻である。

 “嵐が丘のむこうに”は、アコースティック・ギターがメインのインストゥルメンタルで1分40秒余りの短い曲。でもメロディー自体は幼い子どものころに見た夕焼け空を思い出させるような印象的なフレーズに満ちていて、なかなかのものである。次の曲“紅葉狩”のプレリュードだろうか。

 “紅葉狩”もまたドラマティックな曲で、文語調の歌詞とそれに合うようなメロディー、途中のフリップ的ギター・ソロとそれを覆うようなメロトロンの壁といった初期のクリムゾン的要素が散りばめられていて、思わず聞き惚れてしまった。

 美狂乱はもろキング・クリムゾンといった感じだったが、この金属恵比須の方は、メタル的要素やオカルティックな歌詞など彼ら流の再解釈がなされていて、それが絶妙なバランスを保っている。

 “イタコ”などはそのいい例で、曲調はベビーメタルのようなアップテンポで破壊性に満ちているが、歌詞はアングラ的で猟奇的で、トータルな意味で和洋折衷的な雰囲気が魅力的なのである。

 ラストの“川”は金属恵比須的バラードだろうか。一歩間違えてしまえば、70年代の四畳半フォーク・ソングになってしまいそうなセンチメンタルな歌詞とメロディーなのだが、バックの演奏がそれをプログレッシヴ・ロックにまで見事に昇華している。

 自分はこのアルバムを車の中で聞き続けているのだが、思わず聞き惚れてしまい何度も事故を起こしかけた。聞けば聞くほど中毒になってしまいそうだ。

 そういえば、昔聞いた新月というバンドに雰囲気が似ていると思った。新月はジェネシス系のバンドだったが、それにメタリックな要素を加えたのが金属恵比須のような気がする。新月の進化形だろうか。

 また、歌の内容は学研の雑誌「ムー」のような感じか、あるいは横溝正史や三津田信三の小説の雰囲気に似ていて、おどろおどろしさや前時代的な土俗性に満ちている。こういうところも好事家には好評だったのだろう。

 彼らのHPを見てみると、今年が結成20周年らしい。といっても20年続けてきたのはギタリストの高木大地ひとりのようで、あとはメンバー・チェンジを繰り返してきたという。1996年にバンド名を金属恵比須に、1998年には金屬惠比須に変えて活動を始めたが、2002年には一旦解散し、翌年には実質再結成して今に至っている。

 今年になって5曲入りミニ・アルバム「阿修羅のごとく」も発表されていて、これもまた冒頭からメロトロンや手数の多いドラミングを聞くことができて、感動してしまうのである。71nhgwndlml_sl1135_
 スタジオ録音曲が2曲で、残りはライヴ録音だった。1曲目の“阿修羅のごとく”は向田邦子の本やそれをドラマ化したテレビ番組からインスパイアされたもののようで、分厚い音の層とそれに負けない女性ボーカルのバランスが素晴らしい。4分40秒程度なのだがもっと長く感じられた。これも金属恵比須的効果なのかもしれない。

 次の“みつしり”は金属恵比須的ヘヴィ・メタルだろう。ドリーム・シアターかラッシュを想起させると書いたが、ギターはロバート・フリップだ。過去の再録曲でもある。

 このアルバムからドラマーが諸石和馬から後藤マスヒロに代わっていて、この後藤氏は和製サイモン・フィリップスかテリー・ボジオだろう。ドラムだけでこれだけ聞かせてくれるミュージシャンはそんなに多くはいないはずだ。

 ちなみに諸石和馬は脱退したわけではなくて、別のバンド(Shiggy Jr.)の活動が忙しくて参加できなかったようである。将来的にはダブル・ドラムスの可能性も残されているようで、今後の展開が楽しみでもある。

 ライヴの1曲目の“真珠郎”は横溝正史の小説から拝借されたもののようで、イントロを聞いたときは、ゼッペリンの“Dazed and Confused”かと思った。

 不気味なバラードだが、ライヴでもきちんとメロトロンを演奏していて、うれしかった。何しろ昔はその日の温度や湿度でピッチが狂い、あまりの使いにくさに庭で燃やしてしまったミュージシャンもいるほどだ。何とかウェイクマンという人だったらしい。 

 続いて“ハリガネムシ”のライヴ曲になるのだが、途中のソロ・パートではメンバー紹介をしていた。そういう展開になる曲なのだろう。

 最後の曲ではボーカルが男性になっていて、たぶんギター担当の高木大地が歌っていると思うのだが、どうだろうか。2001年に発表されたアルバム「箱男」からの抜粋のようで、“破戒”と2曲目のスタジオ曲“みつしり”のメドレー形式になっていた。

 とにかくこういう高水準の曲を聞かされるとライヴも見たくなるもので、ぜひ地方公演を行ってほしいものである。

 こういうバンドがもっともっとメジャーになれば、日本の音楽業界ももっと活性化されるし、CDやDVDも少しは売れるのではないだろうか。それにプログレッシヴ・ロック・ファンも長生きできるというものだ。5621deba8a18b839c7a4321764bb05e8_2
 まだまだ日本のプログレッシヴ・ロック界も捨てたものではないと思った。最後にこの素晴らしいミュージシャンたちを紹介して終わりにしたい。
ギター      …高木大地
キーボード   …宮嶋健一
ベース・ギター …多良洋祐
ボーカル     …稲益宏美
ドラムス     …後藤マスヒロ
           (諸石和馬)

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2015年3月11日 (水)

四人囃子トリビュート・ライヴ

 先週末の話だが、四人囃子のトリビュート・ライヴを見に出かけた。ロック好きの同僚が前日の夜にメールで知らせていくれたのだ。持つべきものは友であるが、こんな大事な話はもっと早く教えてほしかった。おかげで前売り券が買えずに、当日券を買ってしまった。ちょっと値段が高かった。この辺は相変わらず貧乏性というか、ジミー・ペイジ張りの吝嗇家だと自分でも思っている。

 ところで四人囃子といえば、日本の伝説的なプログレッシヴ・ロック・バンドである。1971年に20歳前後でデビューした彼らは、瞬く間に日本の代表的なバンドとして有名になっていった。

 何しろデビュー前から、ピンク・フロイドの"Echoes"を完コピできるバンドとして評判を呼んでいたくらいだった。デビュー前だから、メンバー全員まだ10代だっただろう。
  また、1975年のディープ・パープル3度目の来日の際には、ライヴの前座までこなしたバンドだった。

 自分としては1976年の森園の脱退までが、彼らの全盛期だと思っている。ここまでがジャパニーズ・プログレッシヴ・ロック・バンドとしての先駆者の役割を果たしていた彼らだったが、ギタリストの交代以降は、フュージョンやテクノ寄りのバンドに変質してしまった。
 それでも彼らの音楽的な資質は、当時のそして今でも、日本のトップレベルを保っていたことは間違いない。

 そんな彼らが、日本の僻地ともいえるこんな田舎に来るとは思えなかったので、前述の友人に確認したところ、公演を行うのは、オリジナル・メンバーのうちのドラマー、岡井大二だけで、あとはセッション・ミュージシャンだということだった。Photo
 そういえば、昨年、2代目ベーシストだった佐久間正英氏が亡くなったということを新聞の死亡欄で見た記憶があったので、今回のライヴはその追悼も兼ねてのものだろうと勝手に推測をしていたのだが、実際は、全く関係がなかった。

 何しろハコが無理して50人程度の小さなものだったし、しかもテーブルとイスが散在していたから、おそらく30人程度しかいなかっただろう。

 そして何より大事なことは、観るためのライブではなくて、参加するためのライヴだったという点だ。だから、観覧者のうちの3分の1はセッションに参加するための、もしくは飛び入りするための参加者だった。こんな自分にも、受付時に(ライヴに)参加されますかと聞かれたくらいなのだから。

 つまり2部形式で行われて、1部は四人囃子の曲を演奏し、2部はセッション大会になったのだ。
 前座は約30分だったが、ボーカルとベーシストが代ったくらいで、最初から岡井氏がドラムを叩いていた。

 1部の“四人囃子パート”では、確か4曲が披露されたと思う。曲順は、"レディ・ヴァイオレッタ"、"おまつり"、"空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ"、"一触即発"だったと記憶しているのだが、ひょっとしたら間違っているかもしれない。特に1曲目はインスト曲だったので、違う可能性もある。
 トータルの時間にして約40分少々だった。非常にタイトで濃密な時間を経験したが、少々物足りなかったのも事実である。

 基本メンバーは、上の写真にあるように4人編成だったが、ベースは頻繁に交代して演奏していた。やはり四人囃子の演奏技術に追いつくには厳しいものがあったのだろうか。
 キーボーディストは、クリスタル・キングのメンバーだった人らしい。またギタリストの稲葉政裕氏は、小田和正や森高千里、吉田拓郎などとセッションやレコーディングを行っている腕利きギタリストだった。

 このギタリストは、さすがにテクニシャンで、四人囃子の曲だけでなく、そのあとのセッションでもディープ・パープルからオールマン・ブラザーズ・バンド、往年のブルーズの名曲、ロバート・ジョンソンの"Sweet Home Chicago"などを器用に弾きこなしていた。ちょうどクロスロード・フェスティバルにおけるエリック・クラプトンのようなバンマスの役割をしていた。Bpylttcceaagetm
 時間的には7時30分から10時近くまで行われたのだが、前座で30分、休憩をはさんで第1部が約40分、また休憩を入れて2部も約50分くらいの構成だった。

 2部の方が時間的にも長く、パープルの"Highway Star"やクリームの"Sunshine of Your Love"などのセッションで確かに盛り上がったのも事実だが、でももう少し四人囃子にトリビュートしてほしかったと思っている。

 しかし、さすがに岡井氏のドラミングは素晴らしくて、和製ビル・ブラッフォードといってもいいくらい、リズムのキレやキープ力、おかずの入れ方まで他のメンバーとは一線を画していた。やはり10代後半から活躍していた人は違う。

 ギタリストがもたついても、ベース・ギターの音が聞こえなくても、キーボードが外しても、ドラムがしっかりしていれば、大抵の曲は鑑賞に堪えうるだろうが、逆に、ドラムがガタガタであれば、いくら華麗なソロを聞かせても聞くに堪えられなくなる。

 それほどドラムは大変だし、重要なのだけれど、さすがに今回のライヴについては、その点については安心して聞くことができた。位置的にはステージの右端に鎮座していたのだけれども、音楽的には、むしろ時に表に出てきて目立っていたと感じた。

 こうなればトリビュートでのライヴではなくて、本格的に準オリジナル・メンバー、特にギタリストの森園勝敏氏を加えて公演をしてほしいと思う。

 彼らのオフィシャル・ウェブサイトでは、最近は目立った活動を行っていないようだったが、戦後70年ということで(あまり関係ないけれど)、何かのイベントやフェスでもいいから、もう一度彼らの勇姿を見たいと願っている。こう思っている人は、決して自分一人ではないと思うのだが、どうだろうか。

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2014年5月 6日 (火)

浜田省吾

 自分が初めて浜田省吾を聞いたのは、大学生の頃だった。当時、同郷の後輩が近くに住んでいて、浜田省吾ファンだったのだ。

 また当時のテレビ番組に「夜のヒット・スタジオ」というものがあり、それに出演している長髪のサングラス青年を見たときに、何か歌謡曲とは違う、ちょっと周囲から浮き上がった感じが漂っているように思えた。あとになって思えば、あれが浜田省吾だったということに気がついた。

 ただ彼の声質は野太い声で、決してきれいではなかった。サングラスをしているので、表情がわからず、世の中に怒りを感じているフラストレーション満杯のシンガーのように思えた。
 しかもその声で、ラヴソングを歌うのだから、何か余計に暑苦しくなるような気がしていて、最初は好きになれなかった。

 思えば80年代の浜田省吾は、彼の全盛期だったと思う。自分も彼のライヴに3回くらいはいったような思い出がある。当時の彼はアルバムを発表するたびにツアーをしていたから、1982年の「Promised Land」、84年の「Down By The Mainstreet」、86年の「J.Boy」発表後のライヴ会場には足を運んだように思う。

 当時の彼は100か所以上演奏して回っていたから、キャパ2000くらいの地方の田舎の会場にも来てくれたのだ。有難いことである。さすが浜田省吾と当時は思っていた。

 それで生まれて初めて聞いた彼のアルバムは、ライヴ盤だった。当時はLPの2枚組だったが、2枚組といっても1枚で収まりきれなくなって、もう1枚増やしたような感じだった。Photo
 全12曲で1枚目には9曲、2枚目は12インチ・レコードで表に1曲、裏に2曲録音されていた。

 今のCDとは曲順が違っていて、LPでは1枚目の最後が"愛の世代の前に"で、12インチのサイドAが"路地裏の少年"と"Midnight Blue Train"、サイドBが"On The Road"だった。
 CDでは、"路地裏の少年"が5曲目に収められていたから、昔を知っている者としては違和感があって、できれば昔に戻してほしいと思っている。

 それで個人的には、1枚目よりも2枚目の方がよかった。特に"路地裏の少年"のファルセットの部分や"Midnight Blue Train"のリフレインのところは、将来の目標も希望もない孤独な青年の心を癒してくれたのだ。癒すというよりも、歌詞の一節が当時の心象風景とマッチしていたのだと思う。それですっかり彼の音楽が好きになってしまったのである。

 それから遡って、このLPに含まれていた楽曲を聞こうと思い、「愛の世代の前に」を聞いた。当時はレンタル・レコード業が流行っていたから、1枚300円くらいで1日借りたことがある。だから著作権保護の観点から問題になったことがあった。今となっては懐かしいが。

 それでこの「愛の世代の前に」は名盤だと思った。何しろ捨て曲なしで、どの曲を聞いても素晴らしいと思ったからだ。2  "愛の世代の前に"の疾走感、"ラストショー"の緊張感やバラードの名曲"愛という名のもとに"、"陽のあたる場所"、のちにテレビ・ドラマの挿入曲にもなった"悲しみは雪のように"、ライヴではファンとの掛け合いに使用された"土曜の夜と日曜の朝"など、どの曲もどの曲も忘れ難い印象を残してくれた。

 これですっかりファンになった自分は、続く「Promised Land」、「Down By The Mainstreet」と、今度はお金を出してアルバムを購入した。しかも合間のライブにも出かけて行った。

 「Promised land」のときはアルバム・ジャケットに使用された爆弾?みたいなものがスクリーンに映し出されていたし、「Down By The Mainstreet」のときには、アルバム・ジャケットにある“足”が、演奏前にスクリーン上で動き始めるという演出があったように思う。(記憶ミスがあるかもしれないが…)

 それで「Promised Land」の"マイホームタウン"の冒頭、いきなり“パワーシャベルで削った”という言葉が出てきたときにはビックリした。それまでの日本のロックやポップスのアルバムでは考えられないことだった。3
 それに最後の曲"僕と彼女と週末に"にも汚染された河川の描写があって、いかに頭の悪い自分でも、このアルバムは“反戦・反核”のアルバムだとわかった。そういえば浜田省吾は、広島生まれだったのだ。

 ところが「Down By The Mainstreet」では、一転して"Money"、"Dance"の歌詞で世俗的で艶めかしくなって、まだ純情だった自分は、聞いていてちょっと気恥ずかしかったし、カラオケでは絶対に歌えないだろうと思った。
 また"Hello Rock&Roll City"はライヴの定番になり、ライヴ会場では開催地名を入れて歌ってくれた。4
 だからこのアルバムは、前作の「Promised land」 と比べて、思想的な部分が薄れて、現実的に戻ったような気がした。

 彼はジャクソン・ブラウンに影響を受けているようで、アルバム・ジャケットの写真、バック・バンドや所属事務所の名前などはジャクソン・ブラウンに関連して使用されている。

 でも曲名、曲の趣向や彼のライヴでの仕草や構成、服装などは当時のブルース・スプリングスティーンに強く影響を受けていたのではないかと思っている。ブルースも反核運動に参加していたし、白いTシャツに青いジーンズが定番だった。

 躍動感のある曲と抒情的なバラードが巧みに配置されたアルバムは、ブルースの70年代のアルバムに似ているし、2枚組の「J.Boy」はブルースの2枚組アルバム「ザ・リバー」のようだった。

 さらに「Promised Land」の中の"さよならスウィート・ホーム"はシングル曲"The River"のモチーフに似ているし、「J.Boy」の中の"A New Style War"、"想い出のファイヤー・ストーム"は「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」の中の曲想に似ている。

 ところでライヴを見て驚いたのだが、浜田省吾はけっこう逞しかった。白いTシャツから出ている二の腕はかなり太かったし、上半身はわりと筋骨隆々だった記憶がある。
 確かに年間100本以上ライヴを行っていれば、かなりの体力が求められるだろうし、それがないとやっていけないだろう。

 ちなみにアルバム「J.Boy」の中の"America"では、“ロスからサンフランシスコへ続くフリーウェイを”という歌詞があったが、この歌詞に触発されて、自分はロスからサンフランシスコまで旅行した思い出がある。1989年のことだった。ただしヒッチハイクではなく、国内旅客機を使ってだったが…

 それでもこの2枚組アルバムは、傑作だろう。当時の日本で、2枚組アルバムを発表してそれをチャートの1位に押し上げることができたのは、浜田省吾くらいだろう。5

 その後彼は90年代に入ると、一時のピークからマイ・ペースに活動するようになった。この辺の動きもブルース・スプリングスティーンと連動していて、運命的な交差を感じさせてくれる。アルバムもメガ・ヒットを記録することはなかったが、コンスタントに発表され、チャートで1位を記録したものもある。相変わらず根強いファンがいるようだ。

 ともかく自分にとっては、浜田省吾は、青春の思い出の中に存在するミュージシャンである。あのころのような感性や情緒はもう戻ってこないだろうが、当時の彼のアルバムを聞くたびに、その頃の風景が浮かんでくる。

 音楽の良さというのは、いつでもどこでもタイム・スリップすることができる点だ。それを味あわせてくれる浜田省吾には、今でも感謝しているのである。

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2014年5月 1日 (木)

杉 真理

 新緑の季節を迎えて、気分はもうアウトドアである。でも自分のような貧乏人は、当然のことながら、海外旅行などはもってのほか、安い、近い、短い、の“安近短”で我慢するしかない。

 それで一番手っ取り早く休みを楽しもうと思うのなら、とりあえず身近なところにドライブに出かけようと考えている人が多いのではないだろうか。そんな時にお勧めなのが、杉 真理が1983年に発表したアルバム「スターゲイザー」だ。Photo_5

 これはもう名盤である。日本が誇るポップ職人の杉 真理の魅力がギュウギュウ詰めで、どこを切っても金太郎飴のように、どの曲もどの曲も充実している。捨て曲なしの傑作アルバムといっても間違いではない。

 1曲目の"Show Goes On"は、わずか52秒の短い曲なのだが、これがこのアルバムのテイストをよく表している。今から始まる“真理ワールド”を象徴しているかのようだ。

 続く"スキニ―・ボーイ"、"素敵なサマー・ディズ"と、この冒頭の3曲は、何度聞いても素晴らしい。楽曲に無駄がなく、流れるような展開が“真理マジック”を発揮している。

 4曲目の"Oh Candy"で一旦ブレイクしたあと、名バラード"風の季節"が始まる。この曲のバックでエレクトリック・シタールを弾いているのは、元はっぴいえんどの鈴木 茂だ。

 そういえば、このアルバムには豪華なゲスト陣が参加していて、鈴木 茂を始め、次の曲の"内気なジュリエット"には佐野元春がコーラスに参加している。

 知っている人は知っていると思うけど、杉と佐野と亡くなった大瀧詠一の3人は、アルバム「ナイヤガラ・トライアングルVol.2」を1982年に発表している。
 当時の杉と佐野は、大瀧詠一から認められるほどメロディ・メイカーとしての才能を発揮していたのである。確かにこのアルバムを聞けば、誰もが納得するだろう。

 後半の"サスピション"のバック・コーラスには、浜田省吾が参加している。杉と佐野の交友は知っていたが、浜田省吾まで親交があるとは知らなかった。それとも同じレーベルメイトだから参加したのだろうか。彼の声は特徴があるので、一発でそれとわかるところがご愛嬌だ。
 ちなみにこの曲の英詩の部分の冒頭の1文字をつなぐと、それぞれ“MADCAT”(気がふれた猫)、“IBMLTD”(アメリカの有名なコンピューター会社)という言葉になる。これも杉による言葉遊びだろう。

 続く"懐しき80'S"は音符の高低が著しい曲で、杉 真理の本領発揮といったところだろう。こういう飛び跳ねるような曲は、聞いているこちらまでウキウキしてくる。

 後半にもバラード曲が収められていて、"春がきて君は…"は4月の桜の季節になると、いつも思い出される。2分台の短い曲ながらとても印象的だ。

 そしてお菓子のCMにも使用された"バカンスはいつも雨(レイン)"である。これは今でも時おり口ずさんでいるほどで、彼をというよりも、80年代を代表する日本のポップ・ソングである。ハンド・クラッピングには浜田省吾も参加している。

 疾走感のある"スクールベルを鳴らせ"でも鈴木 茂がエレクトリック・ギターを演奏しているし、映画のエンドロールに使用されそうな、ムーディな雰囲気の"君は天使じゃない"が、アルバム最後を締めくくっている。曲の配置構成も十分に考えられたアルバムだと思う。

 杉 真理は福岡県生まれ。自分と同郷とは知らなかった。ただしあちらは都会の福岡市生まれであるが…。1_2
 今年で60歳、還暦らしいが、いまだ現役のミュージシャンである。ビートルズに憧れて、ミュージシャンを志し、ヤマハのポプコンで佐野元春らと出会って、今の彼があるらしい。

 ビートルズに憧れているのは、ビートルズライクな彼の楽曲を聞けばよくわかる。上のアルバムも全曲、杉 真理による作詞・作曲で、いずれも魅力的なメロディラインを備えているからだ。彼の曲には、まさにはじけるような“バブルガム”的要素が溢れかえっていると思う。

 ポールもミックもボブ・ディランも70歳を超えて、いまだ現役ミュージシャンだ。杉 真理も「スターゲイザー」を超えるようなアルバムを発表してほしいし、いちファンとして小さなライヴ・ハウスでもいいから、彼の音楽を身近に感じたいと思っている。

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2014年4月15日 (火)

Queeness(2)

 先日、雨の中をQueenessのライヴを見に行った。Queenessとは、知る人ぞ知るイギリスの国民的バンド、クィーンのトリビュート・バンド(コピー・バンド)のことだ。このブログでは約1年前の2013年4月15日付でアップしているので、バンド・メンバーの詳細については、今回は割愛したい。

 それでも何度でも言うが、単なるコピー・バンドではないのである。メンバーそれぞれがプロとしての活動経験もあるし、当然、演奏については全くもって不安はない。自分は昨年に続き今回が2回目に当たるのだが、前回も今回も安定した演奏を聞かせてくれた。Cimg0441

 ただ毎回話題になるのは、ボーカルのフレディ・エトウの容姿である。本家のフレディ・マーキュリーもデビュー当時の貴公子然とした姿から、やがては短髪、短パンのマッチョな姿まで、かなり異形なミュージシャンだったが、こちらのフレディも優るとも劣らず、一度見たら忘れられないミュージシャンだ。

 写真を見れば一目瞭然、自分は子泣きじじいがフレディに化身したと思っているのだが、このルックスを最大限に生かしているフレディ・エトウなのである。

 以前にも書いたが、彼は高校生の時にヤマハのポプコンで入賞しているほどの実力者だった。実際、ステージでもギターやピアノを披露しているし、フレディのようにファルセットで歌うこともできる。
 この見た目と実際のパフォーマンスとのギャップが、彼をしてまさにフレディのように、いやフレディ以上に強烈なインプレッションを与えてくれるのだ。Cimg0434
 また彼を取り巻くバンド・メンバーの演奏も素晴らしかった。レッドスペシャルを華麗に弾きまくるブライアン・“ちゃーり~”・ヨシカワは相変わらず山本恭司のようなルックスとテクニックを披露していたし、ベース担当のジョン・ヤマムラとドラム担当のロジャー・“アミーゴ”・マツザキは、時間は短いながらも、それぞれソロ演奏を見せてくれた。Cimg0447
 さらにはツアー・サポート・メンバー?のキーボーディスト、スパイク・ヨコタの"Crazy Little Things Called Love"でのピアノ演奏は忘れられないハイライト・シーンのひとつだ。

 前回はこのブログで、バス・ドラにクィーンのそれぞれのメンバーの星座をイラストしたロゴがなくて残念だったというようなことを書いたのだが、今回の凱旋公演では、写真を見てもわかるように、きちんとロゴが入っていた。さすがQueeness、ファンを大事にする姿勢も本家に劣らないようだ。Cimg0442

 そんな彼らの姿勢もライヴ会場を訪れた約200名のファンたちも知っているようで、最初の曲からスタンディング状態、中には会場内で1000円で売られていたQueeness公認のタオルを掲げて声援している人もいた。ひょっとしたら高校時代の幼馴染みの人たちなのかもしれない。

 会場は満席状態で、入り口付近には立ち見の人もいた。Queeness自身も言っていたが、市内にあるスタジアムを満員にする日も遠からずやってくるかもしれない。ちなみに日曜日はJ2の試合があるので、土曜日でないと会場予約ができないだろう。ただチームがJ1に上がれば別の話だが…

 ライヴは前回と同じく前後半に分かれていて、前半は70年代中心、後半は80年代から90年代とわかりやすい構成になっていた。そしてフレディの後半のステージ衣装が赤タイツだった。これにはビックリで、まるでスパイダーマンが登場したのかと思った。でも糸はすぐに切れるだろうけれど…Cimg0445
 前回は"Mustapha"や"Somebody to Love"が演奏されたが、今回はそれらの代わりに、フレディ自身も言っていたが、本家もステージではあまり演奏しなかった"My Melancholy Blues"が演奏された。

 次回は、できればメンバーのソロ演奏をもっと聞きたい。“ちゃーり~”の"Brighton Rock"やロジャーのドラム・ソロに"Sheer Heart Attack"、"I'm in Love With My Car"、"A Kind of Magic"などの歌ものも聞きたい。まだまだやっていない曲はあるはずだから、どんどん挑戦していってほしいものだ。Cimg0451

 もう今となっては見られない本家クィーンの楽曲を、こうして疑似体験できるだけでもうれしいし、有難いというものだ。
 見かけはコミック・バンドかもしれないが、中身は本物のエンターティナーたちなのである。次回の凱旋公演を今から楽しみにしている。
 

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2013年4月15日 (月)

Queeness

 先日、Queeness(クィーンネスと読むらしい)をライヴハウスに見に行った。素晴らしく感動的なライヴだった。

 読んで字のごとく、このバンドは英国の国民的バンドであるクィーンのコピー・バンドである。バンド・メンバーは次の通りだ。

フレディ・エトウ(ボーカル&ピアノ)
ブライアン・“ちゃ~り~”ヨシカワ(ギター)
ジョン・ヤマムラ(ベース)
ロジャー・“アミーゴ”・マツザキ(ドラムス)
スパイク・ヨコタ(キーボード)
 本家よりもキーボーディストが1名多いのだが、そこはライヴ活動を行う上での必要があったのだろう。

 リーダーはボーカルのフレディ・エトウで、1980年にアメリカはダラスでクィーンのライヴを見て以来、彼らのファンになったそうだ。それで本家のマネをするようになり、フレディが亡くなった後、本格的なコピー・バンドKweenを結成してライヴ活動を行うようになったという。Queeness3

 本人には失礼かもしれないが(実際失礼だろう!)、本物のフレディ・マーキュリーとはまさに正反対の容姿である。寸胴、短足、いわゆるチビ、デブ、ハゲの三拍子なのだが、それを補って余りあるほどの迫力、自信、実力が備わっている。
 Kween時代には、英国でのライヴやBBC放送への出演を果たし、ブライアン・メイ本人からも直接激励の手紙を受け取ったという。いわば本家公認のコピー・バンドだった。

 ところが何があったのか、2008年11月にフレディ・エトウがKweenを脱退して、新たなバンドQueenessを立ち上げたのである。
 自分はKweenのことは噂には聞いていたが、実際には見たことはなかった。名古屋あたりを中心に活動しているということだったので、九州の片田舎では実態に触れることはなかったのだ。

 それで今回、フレディの凱旋公演ということで初めてお目にかかることができた。題して"Don't Stop Us Now" Japan Tour 2013である。キャパ200に満たない小さなハコだったが、場内は満員で、始まってもいないのに汗をかくような状態だった。

 照明がコンピューターで操作されていて、まるでUFOに乗っているような雰囲気の中、映画「フラッシュ・ゴードン」のテーマ曲が流れ、メンバーが登場してきた。噂通りのフレディの姿に思わず笑ってしまった。子泣き爺がタイツをはいているようだ。
 1曲目は少しアレンジされた"We Will Rock You"だ。続いて"Let Me Entertain You"とメドレー形式でつながっていく。Queeness2_2
 ステージは2部構成に別れていて、前半1時間はデビュー・アルバムから「ジャズ」くらいまで、15分の休憩を経た後半1時間は「ザ・ゲーム」から「イニュエンドゥ」までの曲が中心だった。ほとんどの代表曲を、彼らは演奏してくれた。
 中にはデヴィッド・ボウイとの共作曲"Under Pressure"やアラビア風の"Mustapha"など、本家のライヴではおそらくほとんど聞くことのできなかった曲まで披露してくれた。この辺はコピー・バンドの面目躍如といったところか。

 ただしコピーだといって馬鹿にしてはいけない。本家のメンバーは高学歴で、イケメン、実力を備えたミュージシャンだったが、このQueenessも本物のミュージシャンの集まりだから、全くひけを取らないのだ。
 ギタリストのブライアン・“ちゃ~り~”ヨシカワは15歳からエレキを始めたプロ・ミュージシャンで、あのZIGGYや三好鉄生と共演歴がある。パッと見ると、VOWWOWの山本恭司のようだった。

 キーボード担当のスパイク・ヨコタは、米軍キャンプで実力を磨き、国立音楽大学で学びながらオペラ歌手のピアノ伴奏も行うというキャリアの広さと深さを備えている。インディーズ時代のいきものがたりとの活動歴もある。

 ドラマーのロジャー・“アミーゴ”・マツザキにも華々しい活動歴があり、ブライアン・メイとは旧知の間柄で、ほかにスティーヴ・ルカサー、ポール・ギルバート、ロバート・パーマー、エイドリアン・ブリュー(キング・クリムゾン)等ともセッション歴がある。また自分自身でドラマー・スクールも開設しているという。

 ベーシストのジョン・ヤマムラはジャズ畑出身で、ノーマン・シモンズ、デューク・ジョーダン、ハンク・ジョーンズ、日野皓正、田村翼、北村英二、世良譲、辛島文雄、マルタ、伊藤君子、中本マリ、赤坂由香利等々、数多くの内外著名ミュージシャンとの共演経験を持っていて、あの世界のナベサダとも演奏したことがあるらしい。今回のライヴでは見事なチョッパー・ベースを披露してくれた。ひょっとしたらジョン・ディーコンの上をいくのではないだろうか。

 そして泣く子も黙るフレディ・エトウに至っては、幼少の頃よりピアノやギターに慣れ親しみ、高校時代にはヤマハ・ポピュラー・ソング・コンテスト九州大会で入賞している。ライヴで弾いていたエレクトリック・ピアノの腕前は、実は筋金入りだったのだ。
 しかもMCの90%は英語だった。さすがアメリカ留学経験者?は違う。どこかのコピー・バンドのボーカル担当は、ヘンなアクセントをつけた日本語で話しているが、エライ違いである。Queeness4

 そういうプロ・ミュージシャンの集合体なのである、彼らは。
 同じようなバンドにシナモンがいる。彼らはレッド・ゼッペリンのコピー・バンドなのだが、シナモンの場合は、聞いている聴衆までもが金縛りにかかったかのように、彼らのサウンドに集中している。

 ライヴでもアルバムの中のゼップの音そのもののように、非常に濃縮され、抽出されたサウンドに酔いしれているのだが、Queenessの場合はやはり本家クィーンのように、過剰に装飾されたサウンドと聴衆を喜ばせようとする娯楽性や大衆性、悪くいえば猥雑さを反映している。
 コピー・バンドも本家と同じような音楽性を有していることがわかった。逆に言えば、それがなければコピーとしては成立できないのだろう。

 だからその夜に集った人たちは、自分も含めて、大いに楽しもうとする気持ちが強かったようだ。最初は全員椅子に座っていたが、後半になると前列の女性が立って踊りだし、それが伝染するかのように最後は全員で"Radio Ga Ga"や"We Are the Champions"を振り付きで歌っていた。やはり芸歴20年以上のつわものぞろいだけに、お客をのせるのは得意なのだろう。Queeness5
 ただ欲を言えば、もう少し細部にまでこだわってほしかった。例えばバスドラのロゴは会場名が入っていて、いかにもここで借りましたという感じだった。できれば「オペラ座の夜」のジャケットのような紋章を入れてほしかったし、ギター・ソロももう少し原音に忠実であってほしかった。ちょっと端折っていたのが残念!その点、シナモンは一音一音忠実に再現している。彼らを少し見習ってほしい。

 しかし、本当によい人たちのようで、ライヴ終了後、旅館の仲居さんのように入り口でお客さんを見送ってくれた。自分はスパイク・ヨコタとロジャー・“アミーゴ”・マツザキの2人に握手をお願いしたのだが、彼らは快く受け入れてくれた。フレディは何人かのお客さんと記念撮影にも応じていた。

 本家クィーンがデビューしたとき、英国の音楽評論家はこぞって“時代遅れのグラム・ロッカー”とか“ションベン桶”などと評して、彼らの音楽を真っ当に評価しようとはしなかった。中にはやつらが売れたら帽子でも何でも食ってやると息巻いていた評論家もいたというから、あいた口がふさがらない。その人は本当に食ったのだろうか。

 Queenessを取り巻く状況もまた、同じようなものかもしれない。彼らを見かけだけで判断してしまうと、それこそ70年代の英国評論家の二の舞を演じてしまいかねない。彼らのライヴを体験して初めて、彼らの本当の素晴らしさが理解できるのである。
 今後も彼らの活動を見守っていきたいし、200人のキャパからドーム公演が可能になるくらい、本家クィーンのように頑張ってほしいものである。

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2013年1月23日 (水)

チャボのこと

 先日、チャボのライブに行った。チャボといっても鶏のことではない。あの有名な日本のロック・ギタリスト&ボーカリストの仲井戸麗市のことだ。

 知っている人は知っていると思うけど、70年代はフォーク・デュオの古井戸の一員として、80年代に入ると、かの有名な日本のロック・バンド、RCサクセションで忌野清志郎と組んでいた人である。そのチャボがわざわざ九州の片田舎まで、しかもキャパ100名くらいの小さなハコに来てくれるというのだから、これは是が非でも行かなければと思い、ひとりで出かけたのだった。

 自分が着いたときは、すでに19時をまわっていて座るところもなかった。それでも2階の片隅に何とか一人分の場所を確保して割り込み、モスコミュールを頼んでチビリチビリやっていると、脇を通ってチャボがひとりでステージに降りてきた。以外と小柄で飄々としていて、とても62歳には見えなかった。

 さっそくアコースティック・ギターを抱えて、数曲を歌った。今回は新旧とりまぜて歌うぜといいながら、次々と歌っていった。
 今回のツアー・タイトルは「
Fighting Guitar MAN TOUR2013」というもので、今年の1月10日から3月18日まで、北は北海道苫小牧から南は九州熊本まで、たった一人のアコースティック・ライヴを行っているのだ。

 もともとがギタリストだから、アコースティック・ギターの腕前も当然のことながら素晴らしい。流れるようなフィンガリングや的確なピッキングは流石と唸らせるものがあるし、ボトルネックを小指にはめて演奏した曲もあった。Photo

 洋楽のカバー曲も歌った。ジョン・レノンの曲は演奏のみだったが、キャロル・キングの“You’ve Got a Friend”やブルース・スプリングスティーンの“Hungry Heart”などを、自分で意訳して歌っていた。

 曲の合間にチャボは、よくしゃべった。彼の音楽的な原点はアメリカン・ミュージックやブルーズだと自分は思っていたのだが、彼自身のコメントによると、最初のロック体験は、やはり60年代のブリティッシュ・ビート・バンドだったようだ。ビートルズ、ストーンズはもとより、キンクス、アニマルズ、ゼムなど、ラジオを通して当時の最先端の音楽から影響を受けながら、それからヤードバーズやロバート・ジョンソンに走ったと言っていた。当時の曲のワン・フレーズを奏でながら、チャボはそんなロック原体験を語ってくれたのである。

 
 彼やRCの歌詞の中に“ラジオ”という言葉がよく出てくるが、子どもの頃からラジオを通して音楽を耳にしていたようで、その影響がミュージシャンになっても残っているのだろう。

 
 また初めてギターを買ったのもその頃のようで、とあるデパートの楽器店に毎日通いつめて、お小遣いが貯まるまで待ってから、やっと手にしたのだという。毎月貯めて10ヶ月くらいかかったらしい。当時で6000円程度だったと言っていたような気がしたが、詳しいことは忘れてしまった。

 カバー曲以外にも、昨年結成したTHE DAYというバンドのことや、交流のあるミュージシャンについても話してくれた。THE DAYにはチャーや金子マリの息子も参加しているらしく、ある意味スーパー・バンドかもしれない。そんなことを言いながら1曲だけポエトリー・リーディングをやってくれた。

 夏木マリに贈った曲“キャデラック”も歌った。日本のジャニスにふさわしい曲を作ろうとしたみたいで、何でも夏木マリがキャデラックに乗っていたので、そういうタイトルにしたそうである。
 ちなみに彼女はパーカッショニストの斉藤ノブと結婚していて、その関係から曲を作り、レコーディングにも参加したと言っていた。レコーディングには村上ポンタや後藤次利、高中正義にミッキー吉野も参加したそうで、想像するだけで涎が出そうな風景だと思った。

 それから“さなえちゃん”は歌わなかった。正確には鼻歌交じりで、本当の初恋の人はさなえちゃんではなくて、担任のノブコ先生だったとか、どうでもいいエピソードを教えてくれたのだが、最初からリストには上がっていなかったようだった。

 最後に1回だけのお決まりのアンコールをやってくれたけれど、やはりこの歌は欠かせない。“雨上がりの夜空に”である。清志郎が、ストーンズのようなカッテイングがカッコいい曲がほしいねといって2人で作ったという。この曲だけはエレクトリック・ギターを使って歌った。しかも歌いながら2階まで来てくれた。

 もちろん聴いているお客のためでもあるが、天井を仰ぎながら
まだ歌い続けるぜとシャウトしていた。58歳で逝った盟友、清志郎のためでもあるのだろう。忘れられない感動的なシーンだった。2

 結局7時過ぎから10時近くまで、2時間半以上の熱いライヴだった。60を過ぎて、手を抜くことを覚えたぞと言いながらも、微塵もそんなそぶりが見られない熱演だった。
 こういうライヴでは、音楽を楽しめることは当然のことながら、それを演奏するミュージシャン自身の背景や生き様が垣間見えてくる。そこもまた醍醐味というところだろう。まだまだ現役感覚一杯のチャボだと思った。

 終わったあと、40分かけて歩いて帰った。帰りは寒かったけれども、心の中は何となく温かかったのを覚えている。

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2011年10月11日 (火)

Charのライヴ

 とにかくカッコいいのだ、Charのライヴは。ギターを弾きまくり歌いまくる。ロックはこうでないといけねえという典型的なものだった。

 初めてCharのライヴに行ったのだが、これがまた何とも素晴らしいライヴで、完全に圧倒された。だいたいCharのような日本を代表するギタリストが、なんでキャパ200ぐらいの小さなハコに来たのかわからない。もっと大きなホールでもいいと思うのだが、おかげでオーディエンス的には身近に見れてありがたかった。

 Char自身もお客さんと身近に触れ合えたり、コール&レスポンスができてうれしそうだった。やはりトップを極めた人であっても、かえってこういう小さいライヴハウスの方に惹かれるのかもしれない。

 とにかく出てきたときからカッコいい。だいたいこの人、デビュー当時から帽子をかぶっているのだが、ライヴでも羽飾りのついた帽子をかぶっていて、これがまたキマッている。まるで和製スティーヴィー・レイ・ヴォーンのようだった。2
 体型的もお腹は出ていなくて、やはりロック・ミュージシャンはこうでないといけねえという感じだ。御年56歳、MCでは孫がいるといいながらも、全然年齢を感じさせない演奏や容姿。普段から音楽面だけではなくて、それ以外にも気をつけているのだろう。一流のミュージシャンとはこういう人を指すのだ。

 演奏した曲数は数え切れないくらい多かった。20曲以上はいっているだろう。オリジナル曲半分、カバー曲半分といったところか。
 だいたい今回のライヴは、“TRADROCK by Char 2011”ということで、彼自身が子どもの頃に影響を受けた音楽のカバーを披露するというものだった。

 だから小学校3,4年生頃に聞いてコピーしたザ・ベンチャーズの曲やザ・ビートルズから始まって、エリック・クラプトンやジェフ・ベック、レッド・ゼッペリンなどの曲を演奏してくれた。

 Char自身“助けてくれ”といって紹介したビートルズの"Help"はレゲエっぽく処理されていたし、終りの方に演奏した"Come Together"はハードロック風にアレンジされていて、原曲がほとんど連想されないほどだった。
 また、ベンチャーズの"Caravan"はいっぱいいっぱいの演奏と言っていたし、クリームの"Badge"や"Crossroad"も演奏した。"Crossroad"はクリームの演奏通りの完コピだった。またジミ・ヘンドリックスの"All Along the Watchtower"もレゲエ風味を加えて演奏してくれた。

 バンドはギター、ベース、ドラムスの3人で構成され、エレクトリック~アコースティック~エレクトリックというセットで進行し、アコーステイック・セットでは自身のヒット曲"気絶するほど悩ましい"やベンチャーズの作った"京都慕情"、はたまたお客さんのリクエストに応える形でゼッペリンの"I'm Gonna Leave You"のイントロだけ演奏するなど、ユーモア精神、遊び心満載の楽しいものだった。

 他にもクラプトンの"Wonderful Tonight"をアレンジを変えて演奏したり、本番最後の曲では、何という曲かはわからなかったが、"Superstition"や"Purple Haze"などのフレーズが飛び出すなど、非常に盛り上がった。

 しかもお約束のアンコールが終わったあと、客電がつき、BGMが流れる中、興奮したお客が更なるアンコールを求めて拍手をしていると、約5分ぐらいして、2回目のアンコールに応えてくれたのである。何という優しいファン・サービスだろう。ステージ中に何度も焼酎飲みたいと言っていたにもかかわらず、それを我慢して応えてくれたのである。そして最後の曲は"Smoky"だった。

 結局、午後7時から9時半まで、約2時間半のライヴだった。充分満足のいくライヴだった。しかも学割があって、2300円の返金までしてくれた。このときほど放送大学の学生でよかったと思ったことはない。

 ここまで書いてお恥ずかしい限りだが、自分はCharの代表曲をほとんど知らないのだ。知っている曲名といえば"気絶するほど悩ましい"や"闘牛士"などで、そういえば"逆光線"や"Smoky"などがあったなあという程度である。
 だからCharの大ファンとはいえないのだが、少なくとも彼が70年代の日本のロック・シーンを牽引してきた人で、日本のみならず世界に通用する数少ないギタリストだという認識は持っている。

 自分が持っているChar関連のアルバムは1枚だけで、「Free Spirit」という。クレジットはJohnny, Louis & Charとなっている。Photo
 このアルバムは3人名義のデビュー・アルバムにあたるのだが、1979年7月14日日比谷の野外音楽堂でライヴ・レコーディングされたものである。
 まるでジミ・ヘンドリックスのように“君が代”をアレンジした"Introduction"から始まり、全8曲歌いまくり、弾きまくっている。

 Charの音楽にはブルーズ臭もなく、ハード・ロック一辺倒という雰囲気もない。だから日本の音楽独特の湿った感じもなく、逆にカラッと乾燥しているというものでもない。
 だから湿りすぎず乾きすぎず、まるで高機能のギター・サウンド・マシーンを聞いているような気がして、非常に気持ちがいいのである。

 たぶん彼自身もそれに気がついていて、最近の“TRADROCK”シリーズのように、演奏することに徹しているのではないかと思っている。本当はもう1,2発ヒット曲を出してほしいと個人的には願っているのだが、本人にはその気になればたやすいのだろうけれども、そういうつもりはないのだろう。
 今さら世の中に媚びずとも、ミュージシャンCharとして充分世の中を渡っていけるのである。日本国内ばかりでなく、世界中どこにいってもギター一本あれば、彼なら生きていけるはずだ。

 これからも自分の信念を貫き通しながら、ロック・スピリットを感じさせる作品を世にもたらせてほしいし、世界中の一流ギタリストとの共演を果たしてほしいと願っているのだ。Charならそれが可能だと思っている。

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2011年8月 7日 (日)

フラワー・トラヴェリング・バンド

 自分はフラワー・トラヴェリング・バンド(以下FTBと略す)のアルバムを2枚持っていて、1枚は「サトリ」、もう1枚は「メイド・イン・ジャパン」である。

 自分は彼らのことはよく知らなかった。FTBは1970年の大阪万国博覧会のときに、出演してライヴ演奏を行ったらしいが、自分はまだ小学生だったし、大阪は自分にとっては異国のようなものだった。
 また、1974年に郡山で行われたワンステップ・フェスティバルには彼らは出演していない。そのときはもう解散していたからだ。2

 だからFTBの実際の活動期間は3年余りと実に短かった。しかし彼らの残した足跡は、21世紀の現在までくっきりと記されている。当時の外国のミュージシャン、なかにはあのデヴィッド・ボウイまでもが彼らの音楽に魅了され、海外進出を積極的に働きかけていたという。

 自分はそういうわけで、現役時代の彼らのことは知らなかったが、やはり1977年の映画「人間の証明」の主題歌を歌っているジョー・山中がFTBのメンバーだったことを知り、そこから遡って、彼らの音楽に接するようになった。

 FTBは、ロック後進国の日本で、当時としては世界水準の音楽性を持っていた。だから1970年の万博で知り合ったカナダのバンド、ライトハウスと意気投合し、彼らの誘いでカナダで演奏活動を行うようになったのである。それだけの実力があったのであろう。

 そして最終的にアトランティック・レコードと契約してアルバムを発表した。それが1971年に発表された彼らの2ndアルバム「SATORI」だったのである。ひょっとしたら日本のバンドとして、初めて海外のレーベルでアルバムを発表したのがFTBだったのではないだろうか。

サトリ Music サトリ

アーティスト:フラワー・トラベリン・バンド
販売元:ダブリューイーエー・ジャパン
発売日:1998/05/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 このアルバムはジョーのよく伸びる高域ボーカルと石間秀樹の演奏するギターが目立っていて、どことなくアメリカのバンド、クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスの2ndアルバムの音楽に似ている。クィックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスの音楽に少し東洋的スパイスをふりかけたような感じで、サイケデリックでアシッドなロックなのだ。

 歌詞はすべて英語で歌われていて、これはプロデューサーの一人、内田裕也のアドバイスらしい。やはり彼らは、当初から世界進出を睨んでいたのだろう。
 実際、このアルバムはカナダとアメリカで発売され、シングルの"SATORI part2"はカナダで30位くらいにチャート・インしているし、先のライトハウスやE,L&P、チェイスなどとコンサート活動も行っていた。

 もう一枚の「メイド・イン・ジャパン」は、カナダに滞在中に録音されたもので、発表は1972年になっている。前作の「サトリ」はパート1からパート5までのトータル・アルバムだったが、これは8曲で構成されている。
 作詞はバンド関係者のNomura Yokoという人が担当し、作曲はギタリストの石間秀樹が全曲行っている。

メイド・イン・ジャパン Music メイド・イン・ジャパン

アーティスト:フラワー・トラベリン・バンド
販売元:ダブリューイーエー・ジャパン
発売日:1998/05/25
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 ここでのジョーのボーカルは素晴らしく、低音から高音までしっかりと声が出ていて、特に高音の伸びは確かに外国人ミュージシャンと比較しても決して見劣りしない。
 特に"Kamikaze"、"Hiroshima"など日本に関係する曲は、気合いの入れ方が違うのか、インパクトが強烈である。
 また"That's All"は歌謡曲的なメロディと英詞というユニークな雰囲気をもっていて、何回も聞いていくと、妙にハマッてくる。ジョーの途中からファルセットするボーカルが印象的だ。

 もともとジョー・山中は、日本人とジャマイカ人とのハーフだった。英語が上手なのは、あるいは独特のリズム感や感性はそこから由来しているのかもしれない。
 また複雑な家族関係や母親の病死などから、少年時代は養護施設で生活していた。この辺は村八分のギタリスト、山口富士夫に似ている。

 また運動神経が優れていて、一時はプロ・ボクサーの道を歩もうとしたようだ。先述したように1977年に「野生の証明」でヒットを飛ばし、テレビにも出演するようになったのだが、同年薬物所持で逮捕されて一時表舞台から姿を消した。せっかくこれからさらにメジャーになっていくと思えたのだが、残念だったことを覚えている。Photo

 当時は大麻などは芸能界の流行だった。井上陽水や研ナオコもやっていたし、美川憲一も手を出したと思う。せっかくの豊かな才能がマスコミのバッシングで消えていくのは、非常に残念なことである。

 ジョーは1990年代からチャリティ活動やボランティアに積極的に関わるようになった。今回の東日本大震災でも、さっそく募金活動に参加して、チャリティ・コンサートを行っている。
 そんな彼も肺癌には勝てなかったようだ。64歳という短すぎる彼の人生は何とも無念である。FTBも2007年に再結成されていて、ソロでもバンドでもまだまだ活動の余地はあったのに。いまごろ彼はどんな「SATORI」を得ているのだろうか。

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