2018年8月23日 (木)

カメラを止めるな

 いま話題の映画「カメラを止めるな」を見に行った。この映画は独立系の映画館で上映されていて、本当は3日間の限定上映だったのが、テレビや雑誌、SNS等でたびたびとりあげられたことから1週間に延長されていたのだ。

 しかも今日は木曜のメンズディということで、1000円で見ることができた。何というラッキーなことだろう。本当に生きていてよかったと思った。相変わらず貧乏性なのである。

 それで、映画自体は大変よく練られた脚本と、それにぴったり当てはまったキャスティング、タイトル通りのユニークなカメラワークと3拍子揃った優れものだった。O1512201614227966429

 〔ここからはネタバレがあるので、内容を知りたくない人は読まない方がよいと思います]

 基本はコメディ映画である。内容は、ゾンビ映画の製作中に本物のゾンビが現れてきて、撮影が中断されるとともに、悲劇的な展開になるというものだったが、それは冒頭約37分の実際のワンカットで撮影しているシーンのことだった。

 そして、そのシーンはいわゆる“劇中劇”というもので、そこから1か月前に戻って、この映画が製作された経緯が示されるのである。
 その中でゾンビ・ステーションという企画で、ゾンビの生放送ドラマを作る、その際のポイントは①30分の生放送番組になること、②カメラ1台を使ってのワンカットだけで撮影することの2点だった。

 自分は最初の37分間は退屈で退屈で、本当にしょうもない自主製作映画といった感じがして、半分眠りつつあった。
 しかし、それは完全なトラップともいうべきもので、前半のゾンビ映画のからくりが後半に明かされて行く。その過程がもうこれは笑いの連続だった。

 後半の撮影シーン(といっても生放送のゾンビ番組という設定だが)のこの部分は、前半のゾンビ映画のあの部分に当てはまるということが、観客に分かるにつれて、笑いの声は爆笑に変わっていった。

 それに無名の役者がほとんどと言われていたのだが、どうしてどうして、演技と配役が絶妙にマッチしていて、見るにつれてどんどん映画の中に引き込まれて行った。“魅入られる”とは、こういうことを言うのだろう。久しぶりの爽快な体験だった。867326_615
 特に、劇中の監督がなぜあれほど激昂していたのか、その監督とメイク役の女性との関係、監督の娘の性格、録音マンの軟水しか飲めない特徴などが、ジワジワとボディブローのように効果的に響いてくるのだ。

 また、主演女優や男優などのそれぞれの役柄が、何となく実際の俳優のキャラクターや現実の撮影現場の雰囲気を表しているようで、なるほどそういう人もいるのだろうなあとか、実際の現場は大変だなあとかも感じてしまった。そういう細かな演出も見事だった。

 そして、ラストの4m上からの撮影の際に、機材が壊れていて使えない中をどういうふうに撮影するかも見ものだし、最後に監督と仲の悪い娘の子どもの頃に父親の監督と一緒に写った写真が意味するもの、これがまた感動的で、単なるコメディ映画ではなくて、ハート・ウォーミングな映画に変化していくのである。

 だから、この映画は、ホラー映画からコメディ映画に変わり、そして心温まるドラマに変化していく。一粒で3度もおいしさを味わえることができるのである。これが1000円で見られたのだから、なんか申し訳ないという思いがして、このブログを綴ってしまった。

 とにかく、久しぶりに面白い日本映画を見て興奮してしまった。しかもこの映画は、約300万円くらいの低予算映画だと言われていて、低予算でも脚本や演出がしっかりしていれば、十分に面白いということが分かった。

 ところで、この映画には元ネタというのがあって、元々、演劇で上演されていた「ゴースト・イン・ザ・ボックス」というものを参考にして作られている。このことは実際の監督の上田慎一郎氏もテレビで述べていた。
 この監督、何となく宮藤官九郎に似ているような気がしたが、気のせいだろうか。でも、新感覚を備えた監督の登場だと思う。これからの活躍が期待できるだろう。Main
 とにかく、1週間で上演終了するのは、まことに惜しい映画でもあった。できればもっと長く上演してもらいたいし、メジャー系列の映画館でも配給されてもおかしくない映画だと思っている。まだまだ邦画も、素晴らしい可能性を秘めているようだ。

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2018年5月16日 (水)

ホース・ソルジャー

 久しぶりに映画について書く。今までそれなりに映画を見てきたのだが、なかなかコメントする機会が得られなかった。「スター・ウォーズ;最後のジェダイ」、「オデッセイ」、「ゼロ・グラヴィティ」などのSF洋画や「破門 ふたりのヤクビョーガミ」、「三度目の殺人」、「ユリゴコロ」などの邦画など、気の向くままに見てきた。

 書こうと思ったものの、なかなかその時間がなかったというところが本音である。ところが、なぜか今回は短いながらも書こうと思った。それはあまりにも期待が外れたからだ。

 この映画「ホース・ソルジャー」は、原題を"12 Strong"といって、12人の勇敢なアメリカ軍兵士のことを意味している。A2ub7950
 この映画は実話に基づいたもののようで、今まで表ざたにならなかったのは、計画自体が極秘だったかららしい。

 12人の兵士は、陸軍の特殊部隊に所属していて、イラクの軍閥と協力して、約5万人のタリバン部隊と戦うという内容だった。

 これは、2001年の「9・11」に対して、アメリカ軍が極秘に行った最初の反撃と言われていて、この功績を讃えるための馬に乗った陸軍兵士の銅像が、グラウンド・ゼロの跡地に建てられているそうだ。744af604
 ここからはネタバレになるので、まだ見ていない人は、読まない方がいいと思う。一応、注意しておきます。

 この映画は、国策映画である。どこをどう見ても、アメリカの国威発揚と正統性を示しており、逆に、宿敵アルカイダを徹底的に悪者として描いている。
 だから、勧善懲悪主義であり、結果的に、アメリカ軍兵士の英雄的行為が描写されている。したがって、非常にわかりやすく、しかも面白く展開していて、安心してみていられるのである。

 映画の冒頭では、アメリカにおける「9・11」のニュースやそれを受けての人々の対応などが描かれているし、一方のアフガニスタンでは、自分の娘たちに勉強をさせた母親が、公開処刑されるシーンがあった。アルカイダは、8歳以上の女子には教育は必要ないと考えていて、その決まりを破った母親が処刑されたのだろう。

 この辺は、誰が正しくて誰が悪いというのが一方的に示されているので、非常にわかりやすい。しかし、アフガニスタンに旧ソ連からの共産主義が広がるのを防ぐために、1979年からのアフガン戦争時に、現地のゲリラに武器を供給したのはアメリカだった。
 また、アメリカは、中東の地にアメリカの威光を示すために、当時のサウジアラビアと仲良くして、武器や資本を供与したのだ。そういう歴史的な経緯は置いといて、一方的にアフガニスタンの一部の人たちを悪者として描くのもどうなのかなあと思った。

 また、途中で投降してきた兵士たちの中に、自爆テロを行うものがいたが、彼らの宗教というか思想では、死んだ方が豊かで幸せに過ごせるというのだから、生きていても毎日が戦争状態なら、むしろ死を選んで報われたいと願うだろう。

 これは価値観の違いなので、否定も肯定もできないが、もし彼らが、今の日本のように豊かな環境の中で生活していたら、果たして死を選ぶだろうかとも思った。(でもやっぱり死を選ぶだろう。先進国と呼ばれている欧米社会の各国でも、たびたび自爆テロが行われているからだ。宗教的価値観こそ絶対的基準なのである)

 確かに、アルカイダは暴力的で独善的だし、少なくともテロリズムも容認するつもりはない。それはないものの、もう少し批判的に描いてほしかった。世界で一番大切な人の命を奪っているのは、アメリカもアルカイダも同じだからだ。Horsesolider_jpg_pagespeed_ce_tikby
 だからこの映画には、批評性がない。自分はロック・ミュージックが大好きで、今でも聞いているのだが、ロックには批評性が備わっている。カントリー・ミュージックとブルーズやゴスペルが融合して、ロックン・ロールが生まれた。だから、ロック・ミュージックには、旧来の音楽、音楽のみならず社会体制への批判が内包されていると考えている。

 批評性のない音楽などの表現活動には、興味がわかない。それは映画も同じ。ただ、興味がわかないだけで、その存在までは否定するつもりはない。
 それはともかく、だからと言ってこの映画は、全くつまらないというわけではない。アメリカ映画の素晴らしい点は、良い意味でも悪い意味でも、娯楽性が備わっている点だ。

 この映画でも、21世紀の戦争という状況の中で、空からピンポイントで攻撃するところと、馬に乗って戦闘するシーンがあった。この対比が面白かった。まるで、日中戦争のさなかに、満洲国を馬に乗って戦う馬賊のような、そんな感じなのだ。張作霖と関東軍の戦いが、そのままタイムスリップしたような、現代に置き換えられている感じがした。あるいは、戦国自衛隊ともいうべきか。

 それに現代のテクノロジーを集結した最先端の兵器と馬に乗った兵士という、ある意味、ミスマッチというか落差が、この映画を一層面白くさせている。
 また、戦闘シーンは確かに迫力があって、ワクワクさせてくれた。この辺のカメラワークというか、描き方は素晴らしいと思った。Hs10332src
 ただし、突っ込みどころは満載で、12人のうち1人は重傷を負ったものの、それ以外は無傷に近かったというのは信じられなかった。相手の敵陣の中を馬に乗って突っ込んでいくのである。アルカイダから集中砲火を浴びているのである。それでも主人公は無傷だった。
 まるで、織田信長が今川軍の中に突っ込んでいった桶狭間の戦いのようだった。日本でも起きたのだから、アフガニスタンでも起こりえるのだろう。

 正確に言えば、1人は負傷したので、残りは11人だったが、2人は狙撃手として別の場所にいたので、戦闘に参加したのは最大でも9人だ。実際は、後方に位置していた人もいたので、ひょっとしたら5~6人だったのではないだろうか。8fb85322
 映画の最後で、主題歌らしきものが流れた。ザック・ブラウンという人が歌っていて、この人は、アメリカのカントリー・シンガーらしい。この辺もまさに国策映画というような気がしてならなかった。昔の日本でも、さだまさしなどの歌手が戦争映画の主題歌などを歌っていたが、当時は、ニュー・ミュージックの歌手が映画とタイアップしていた。当時というのは、1980年代初頭の頃だ。

 ちなみに、ザック・ブラウンはバンドで活動していて、ザック・ブラウン・バンドはグラミー賞も受賞している人気バンドのようで、ジョージア州アトランタを中心に活動している。彼自身はまだ40歳である。Zacbrownbandrealthing
 いずれにしても、何も考えないで観るだけなら、何の問題もない映画である。むしろハラハラするし、兵士たちは勇敢だし、ある意味、感動するだろう。ただ、それで満足するかどうかは、また別の問題だと考えている。

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2017年1月 9日 (月)

SWストーリー:ローグ・ワン

 最近見た映画は、「スター・ウォーズ・シリーズ:ローグ・ワン」というスピン・オフ的な映画だった。

 これは前宣伝が有名なので、多くの人は知っていると思うけれど、スター・ウォーズの「エピソード3」と「エピソード4」をつなぐ「エピソード3.5」的な作品だった。Lr101
 要するに、帝国軍が最終兵器であるデス・スターの開発に成功し、それを使って銀河系を征服しようとするのだが、そのデス・スターの弱点が記された設計図がどういう経緯で作られ、それを反乱軍がどのようにして入手することができたのかが描かれていたのだ。

 確かに面白かったのだが、今までのSWシリーズと違っている点がいくつかあった。例えば、ジョン・ウィリアムスによって作曲されたあの有名なテーマ曲は、映画本編では使用されていなかった。

 同様に、映画の冒頭シーンで登場していた英字のオープニング・ロールも、今回は使用されていなかった。やはり、シリーズものとは違いますよと区別しているようで、ある意味、強いメッセージを発しているかのようだった。

 また、戦闘シーンが非常にリアルだった。後半に主人公のグループが相手の基地に侵入し、ゲリラ戦を展開していくあたりは、何となく現在の中東の紛争を想起させるものがあった。Rogueonecast640x427
 映画を見ながら、現在でもシリアやイラクでは、様々な勢力がお互いに戦闘をし合っているのだろうと思ったし、映画のような戦術で相手と戦っているのだろうとも考えてしまった。

 戦時中の自己犠牲は、太平洋戦争中の日本軍の代名詞だとばかり思っていたが、実際には、味方を助けるために自分を犠牲にすることは、戦争時では当たり前のことだったのかもしれない。
 アメリカ映画では、例えば「エイリアン」シリーズでも見かけたし、実話に基づいた戦争映画なら(例えば「大脱走」とか「プライベート・ライアン」とか)よく挿入されているエピソードだった。

 この「ローグ・ワン」でもそういうシーンがあったが、自分がその立場になったときには、果たしてそういう行為が取れるかどうか、よくわからない。ただ、現実的にそういう状況にはならないように、考えて行動しなければならないと思っている。

 また映画では、基本的にはブラスター銃?を使った戦闘シーンが多いし、ストームトルーパーが手榴弾みたいなものを使用したときは、白いストームトルーパーがまさにアメリカ軍に見えてしまった。

 それに、デス・スターから攻撃された惑星のシーンも非常にリアルだった。確かにCGで作成されているとはいえ、実際に核攻撃をされたり、彗星が地球にぶつかったときには、こういう様子が展開されていくのだろう。Af38123f341247e0b1947a114f59527a
 ところでこの映画には黒いストームトルーパーも登場していたのだが、あれは何だったのだろうか。20297_main01
 SWシリーズの「エピソード4」では、R2-D2にインストールされたデス・スターの設計図が描写されているが、その作成のいきさつが分かるという点では面白かった。

 最後に、「エピソード4」に出てきたレイア姫役のキャリー・フィッシャーとターキン提督の
ピーター・カッシングが出演していたことには、とてもビックリしてしまった。

 でもよく考えたら、ピーターは1994年に81歳で、キャリーの方は昨年の12月27日に60歳で亡くなっていたから、ピーターの方は絶対に出演は不可能だし、キャリーの方もいくら若作りをしたとはいえ、かなり難があったはずだ。Img_1
 あとでよく調べたら、両方ともよく似た俳優を探し出して出演させ、それに多少のCGを合成させていたらしい。だからよく似ていたのだろう。これはこれでいいと思うのだが、これからは、こういう手法がポピュラーになるのかもしれない。20160704232804_2
 いずれにしても、スピン・オフとはいえそれなりの力作になっていることは間違いない。そして、ルーク・スカイウォーカーやハン・ソロなどのメジャーなキャラクターだけに光が当てられるのではなく、革命のような大業を遂行するためには、こういう名もなき人々の行動が必要なのだということを訴えているようだった。

 最後に、こういう戦争や戦闘シーンは、映画や小説などの仮想空間の中だけで、起きてほしいと切に願っているのである。

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2016年12月31日 (土)

ガール・オン・ザ・トレイン

 昨日は、久しぶりに映画を見に行った。時間的にゆとりがあったので、映画館に足を運んだわけだ。

 すると、昨日は1000円で映画を見ることができた。木曜日ということで、メンズ・デーだったようだ。自分はそんなことは知らず、しかもメンズ・デーという制度はとっくの昔に終わっていると思っていたので、非常に得をした気分だった。

 ところで何を見たかというと、「ガール・オン・ザ・トレイン」というサスペンス映画だった。この映画は、イギリスのベストセラー作家であるポーラ・ホーキンズという人の小説をベースにしたもので、諸外国では小説も映画も話題になったそうである。Ac6d4aff50619ee0

 主人公の女性は、離婚が原因でアルコール中毒(アルコール中毒で離婚された?)になっていて、しかも住むところもなく、友だちの家に居候している。さらには仕事を首になったとも言えず、仕事に行くふりをして電車に乗っている日々を送っていた。

 そんな彼女が電車から見える家に住んでいる人の生活の様子を見ては、妄想を膨らませるわけだが、彼女自身も2年前までは一軒家に住んで結婚生活を送っていたのである。しかし、彼女の酒癖の悪さに嫌気がさしたのか、夫は他の女性と不倫をして離婚してしまい、その女性と結婚してしまうのである。いわゆる略奪婚だった。

 この映画(原作)の優れているところは、主人公の女性がアルコール中毒でしかも一時的な記憶喪失があるということと、主に6人の登場人物しかいないのにもかかわらず、それぞれの関係性が、時間がたつにつれて徐々にわかってくるところだった。

 一時的な記憶喪失という女性の言動が、もつれた糸を解きほぐしていくのである。イギリス版「ゴーン・ガール」という触れ込みだったが、ちょっと違うような気がした。それなりのインパクトがあるという点では共通点があるのかもしれない。

 ただ自分にとっては、途中から犯人が分かってしまうのがつまらなかった。まあ刑事役等を除いて6人しか登場人物がいなくて、しかもそのうち1人は殺害されてしまうので、5人から主人公を除いて4人しかいなければ、誰だって犯人がわかってしまうだろう。

 まあ、ラストシーンがちょっと意外といえば意外かもしれない。その辺は面白かった。でも犯人を擁護するわけではないけれども、奥さんがアル中になれば誰だって家庭が面白くないだろうし、離婚も視野に入れる可能性はあるだろう。

 日本ではあまりないかもしれないけれど、(それでも年間の離婚組数は結婚した組の約3分の1までに及ぶようになった)外国、特にアメリカなら即離婚に至ってもおかしくない理由だと思われる。

 さらに子どもが生まれて、妻が子どもにかかりっきりになってしまって、相手にされなくなってしまったら、やはり内心面白くないだろうし、そばに魅力的な女性がいれば、ついつい慰めてもらおうという気持ちが出てくるのに同情してしまうのである。Gallery013949_3
 男の我がままといえばそうなのだが、男だけに責任を負わされても困ってしまう。ただ、それと犯罪に手を染めるのは違うだろう。

 というわけで、面白かったけれど、途中で犯人が分かってしまう点と、ラストシーンが期待していた割にはちょっと弱かった点が気になったが、自分的には十分満足するものだった。

 自分が見た映画館は独立系の映画館だったので、ちょっともったいないような気がした。もう少し全国的な映画興行にしてもよかったような気がした。

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2016年1月22日 (金)

SWフォースの覚醒

 もうネタバレしてもいいだろう。スター・ウォーズ・シリーズの第7作目を見てきた。見てきたといっても、実際に見たのは、昨年の12月19日土曜日と今年の元日だった。2回見たのだが、1回は通常の、もう1回は3Dの字幕版だった。3D字幕版はなかなかの迫力だった。Starwarsepisode7image

 見た後で、すぐに内容などを書いてしまうとネタバレになってしまい、まだ見ていない人や見ようと思っている人にとって迷惑になると思ったので、今まで書かなかった。

 でも、もう公開されて1ヶ月以上になるし、内容についてもあちこちでネタバレも起きているようなので、もうこの辺でいいだろうと思った。だから以下は当然のことながら大ネタばらしになっているので、知りたくない人は読まない方がいいだろう。

 みんなが言っているけれど、スター・ウォーズ(以下SWと略す)は、家族、特に父親と息子の物語である。また、善と悪、師匠と弟子、戦争と平和や帝国主義と民主主義との拮抗も表現しているだろう。だけど、自分にとってはやはり家族愛や父親と息子の物語なのである。

 当時国際的な映画俳優だった日本の三船敏郎は、SWは子ども向けの単純なSF映画だと思って、ダース・ヴェイダー役を断ったが、後になって後悔したと言われている。確かに誰もこういう歴史的な映画になるとは、予想もしていなかっただろう。 

 SWは3部作の3部構成、つまり合計9作品から成り立っている。最初の3部作は、1977年(日本公開は1978年)から1983年までで、エピソード4からエピソード6まではルーク・スカイウォーカーが中心となってのいわゆるルーク3部作だった。ここではルークとレイア姫の兄妹とその父親であるダース・ヴェイダーの物語だった。Starwars4

 次の3部作、1999年から2005年までのエピソード1からエピソード3までは、アナキン・スカイウォーカーを中心に描かれたアナキン3部作で、いかにしてアナキンがダース・ヴェイダーになったのかが描かれていた。また、ルークとレイアの2人の子どもの誕生も描かれていた。2a91g5d
 今回は2015年から2019年まで、2年ごとに発表されるようで、通称レイ3部作と呼ばれている。エピソード6から約30年後の世界が描かれていて、レイという強力なフォースを持った女性が新しい共和国軍のレジスタンスたちと協力して、銀河帝国の残党のファースト・オーダーと戦っていくというストーリーだ。8194392_9775e1c3a20b196d43fff4fd57a

 今後は、このレイを中心に物語は進んでいくのだろう。レイの両親は誰なのか、なぜ強力なフォースを宿しているのか、ルーク・スカイウォーカーは、これからどのような関わり方をしていくのかなど、興味は尽きない。

 ただ、今回のエピソード7に関しては、いい意味では“輪廻転生”、悪くいえば“過去の焼きまわし”という印象も残った。
 確かに“サーガ”だから、長い間語り継がれていくものだし、その年月の風化にも耐えうる内容が求められるだろう。

 中心テーマは家族愛だし、また弟子と師匠の相克も含まれるだろう。しかし、フォースの継承を遺伝的な面だけでとらえると、あまりにも物語が単純化しないだろうかと、不安に思ってしまう。

 たとえば、エピソード5でダース・ヴェイダーがルークに向かって、"I am Your Father"というシーンは衝撃的だったが、今回もハン・ソロと新しい悪のキャラクター、カイロ・レンが親子だったという点では、確かに驚いたものの、ああそういう流れなのかと急に覚めてしまった。

 たぶん、この調子でいくと、次回のエピソード8ではレイの両親の謎解きが出てくると予想されるが、レイとカイロ・レンが兄妹だったとか(ということはレイの父親もまたハン・ソロなのか?)、レイの父親はルークだったとか、そういうことも考えられる。

 さらには、エピソード6で、一応は帝国軍に勝利したはずなのだが、なぜか30年後にはまたレジスタンス運動に従事しているレイアがいた。姫ではなく将軍になっていたが。
 しかもデス・スターよりも巨大で強力なスターキラーベースが新共和国軍の惑星たちを破壊するのだが、この展開もエピソード4とほぼ同じで、上っ面をなぞっているようだった。

 だから、確かに新しいサーガが始まってワクワクしたし、ハン・ソロとカイロ・レンの親子対決にも驚いたのだが、全体的なストーリー展開が陳腐で、でてくるキャラクターもそんなに目新しく感じられなかった。要するに、このエピソード7はエピソード4と5を濃縮させた内容のように感じられた。私の感性が劣ってきたのだろうか。

 それにまた、SWはエディプス・コンプレックスの象徴だと思う。ドイツの精神科医のフロイトが提唱したこの学説は広く欧米社会に流布されていてるが、子どもが父親を殺す、もしくは父親を越えていくというSWの親子関係も、この学説に影響されている気がしてならない。

 ということは、次はレイが父親を殺すということになるのだろうか。でも女性がそういうことはしないだろうから、次作からは少し違った展開になるのだろう。
 たぶん、師匠と弟子という関係において、弟子が師匠を殺す(師匠を越えていく)という流れになるのかもしれない。なぜならそれもまた、違う意味でのエディプス・コンプレックスの反映だからだ。心理学でいう投射というものなのかもしれない。

 だいたいの流れは、次の映画でレイの家系が明らかになり、ルークも活躍するだろうし、最後のエピソード9では、カイロ・レンやレイなどの主だった登場人物が登場して、善と悪、新共和国とファースト・オーダーの決着など、シリーズのエンディングに向かうだろう。
 私のようなお馬鹿でも流れは予想できるのだから、ディズニー映画関係者にとって、次の2本の映画はかなりハードルが高くなったのではないだろうか。8ccab7a5

 できることなら、もう一ひねりしたシナリオを考えてほしい。若い人や新しくファンになった人には、今回のストーリーは受け入れられるだろうが、昔からのファンにとっては、先の展開が読めてしまうのは、困ったことなのだ。ぜひとも斬新なアイデアに溢れた新3部作を期待したい。

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2013年9月 5日 (木)

ワールド・ウォー・Z

 1週間くらい前に映画を見に行った。あの泣く子も黙るブラッド・ピット主演の映画「ワールド・ウォー・Z」だった。

 結論から言うと、自分にとっては駄作だった。制作費2億ドル以上という前宣伝だったが、その割にはストーリー展開が陳腐で、別にブラッド・ピットが主演するほどのものではないと思った。役者はA級だったが、作品自体はB級だったと思う。

 基本的には“ゾンビ映画”である。普通ゾンビは腕を前に出して、ゆっくりと歩いていくのだが、この映画では超速い。まるでボルトのように走り、駆け抜けていく。だから女、子どもあるいは老人の足では簡単に追いつかれて噛まれてしまう。結果、感染が拡大していったのだろう。

 しかも噛まれてからゾンビ化するのも早い。だいたい12秒くらいでゾンビになってしまうようだった。それに生身の人間を食することが目的ではなく、ゾンビ化を促進することが目的のようで、噛んだらすぐに次の獲物を探しに行くのだ。だから残酷なシーンは極めて少なく、ファミリーで見に行っても安心な映画だったと思う。さすがブラッド・ピット、その辺の配慮は万全なのである。Photo_2
 たぶん映画の中の設定としては、原因不明のウィルスの影響で感染が拡大したということだから、感染症の類だったのだろう。いわゆるパンデミックである。だから今までの映画の中のゾンビとは違うのだった。

 それで自分が納得できなかったのは、“ラスト・ホープ”とまでいわれた若き細菌学者が銃の暴発?でほとんどセリフを発することもなく簡単に死んでしまうところや、飛行機が爆発して墜落しても、主人公とその警護の女性兵士が生き残るところだった。ちょっと出来すぎの感が強い。

 確かに主人公が死んでは映画が制作できないのはわかるが、もう少し工夫があってもいいのではないかと思った。
 また、映画のクライマックスの演出も不足していて、ゾンビの群れの中から役立ちそうなワクチンを持ち帰るシーンは盛り上がりに欠けていた。もっと派手にしてもよかったのではないかなあ。

 個人的には、イスラエルの壁をよじ登っていくゾンビの大群やゾンビ対策のヒントに気がつくところなどが面白かった。
 一説によると、原作からかけ離れたストーリーになっているようで、幾度かシナリオも書き替えられたといわれている。2
 また興行収益としてはかなりいいようで、封切り後2週目で5億ドル以上稼いだようだ。プロダクション側は「バイオハザード」のような続編も考えているという。日本人の私から見たらそんなに期待できないと思うのだが、外国人(特にアメリカ人)からすれば面白いのだろう。ゾンビ映画は外国人受けがいいと言われているが、安心して鑑賞できるワン・パターンさがお手軽さを増しているのであろう。

 ロック・ミュージック的には、この映画のテーマ・ソングをイギリスのロック・バンド、ミューズが手がけていることだ。
 ミューズは3人組のバンドで、現在のイギリスでNo.1のライヴ・バンドといわれている。ロンドン・オリンピックのフィナーレでビートルズの曲を演奏していたし、キンラメのかなり目立ったファッションをしていた。日本のサマソニでもライヴを披露している。

 個人的にはライヴ映像は所持しているのだが、公式アルバムを1枚通して聞いたことはない。これから勉強しようと思っている。
 彼らは最新アルバムは2012年に発表された「ザ・セカンド・ロウ」で、シンセサイザーを多用した分厚いロックを展開している。Photo_3
 いずれにしても夏休み最後の映画にしては、ちょっと残念だったように思う。最近は洋画よりも邦画の方が勢いがあるが、もう少し見ごたえのある映画が出てくることを期待しているのだった。

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2013年6月 9日 (日)

オブリビオン

 “オブリビオン”という英語は、“忘却”という意味らしい。確かにトム・クルーズ演じる主人公のジャック・ハーパーは大切なことを忘却していたようだ。

 あまり詳しく書くと、ネタがばれてしまうので詳細は省くが、異星人から攻撃された後の地球に残された人類最後の男の物語である。Photo_2

 どうでもいい話だが、あるクイズ本にこういう問題があった。“核戦争後の地球に、たった一人だけ人類最後の男が生き残った。その男の家で、ある夜ノックをする音が聞こえてきた。これは一体どういうことなのか。宇宙人かそれとも亡霊なのか”

 答えは、“人類最後の男は一人だけだが、女はいた。つまりノックは女性がしたのだ”という人を食ったものだった。

 ちなみにこの映画でも、人類最後の男性ジャックと、そのパートナーである最後の女性が登場している。自分はそれを見たときに、上記のようなクイズを思い出した。確か多湖輝の「頭の体操」シリーズの中にあったと思う。このクイズ問題は“忘却”していなかったようだ。

 それで映画の話に戻るけど、その一人しかいないと思われた女性以外に、もう一人の女性が空から降ってきたのである。彼女は、60年前に地球を飛び立った宇宙船の乗員だった。その女性を救助するところから、一気にストーリーがあわただしくなっていく。3

 そのヒロインは“007シリーズ”にも出演したウクライナ出身のオルガ・キュリレンコという人だった。主人公のパートナーはアンドレア・ライズボローというイギリス人女優で、知的でセクシーさも兼ね備えている(ように見えた)。自分はその乗船員のヒロインよりも、ジャックのパートナーだった女性アンドレアの方が気に入った。ちなみにアンドレアは31歳。彼女の方がオルガよりも2歳若い。

 いろんな映画評を読んでもわかるように、この映画は過去の映画作品へのオマージュとしても楽しめるようで、例えば“地球最後の男”といえば、「アイ・アム・レジェンド」を思い出すし、“過去を忘れた男”といえば、シュワルツネガー主演の「トータル・リコール」だろう。

 また“妻を思い出す男”はショーン・コネリー主演の「未来惑星ザルドス」を髣髴させるし、“反乱軍に加担する男”といえば「スター・ウォーズ」だろう。

 確かに主人公と敵対するエイリアンのスカヴの最初の登場の仕方は「スター・ウォーズ」のタトゥイーンに住むジャワ族に見えるし、スカヴを攻撃するドローンは帝国軍の攻撃機にも見えてくる。また、地上1000mにあるスカイタワーは、「帝国の逆襲」のクラウド・シティだろう。それ以外にも、荒廃した地球のシーンは「猿の惑星」のパクリだったし、探せばまだ他にもあるに違いない。

 そういう意味では、この映画は何回も見て楽しむべきものかもしれない。最初はストーリー展開を楽しみ、2回目以降はそういう過去の映画との対比を楽しめばいいだろう。

 それでロック・ミュージック的には、この映画の中で2曲、有名な?曲が使用されていた。1曲はレッド・ゼッペリンの"Ramble On"で、もう1曲はプロコル・ハルムの"A Whiter Shade of Pale"だ。
 前者は1969年の彼らのセカンド・アルバムに収められていた曲で、後者は1967年に発表されたもの。いずれも60年代の曲というのが興味深い。

 プロコル・ハルムの曲は、今でも日本のCMで使われているくらい有名なもので、この曲が使用されるのは理解できるけれど、"Ramble On"がなぜ使われたのかわからない。

 2007年のO2アリーナでのライヴがDVD化されたからか。それまでこの曲のフル・バージョンがライヴで演奏されたことはなかったからだ。
 
 唯一考えられるのは、この曲の歌詞はトールキンの「指輪物語」に影響されているということだろうか。作品中でのこの曲は、主人公ジャックの心が唯一休める場所、湖畔のうらぶれた小屋でリラックスするところで使用されていたが、ジャックがファンタジーの世界に没頭していると考えれば、何となく理解はできた。2

 全体的にこの映画は、約2時間という時を忘れるくらい面白かったし、最近の劇場の音響効果の素晴らしさも体験できるほど、迫力もあった。それにどこまでが実写で、どこまでがCGなのか、最近の映画は本当にわからないということを痛感した。実写は主にアイスランドで撮影されたという話を聞いたが、本当に不思議な光景だった。

 またその日はメンズ・デーだったので、1000円というロー・コストで観れたことが何よりも一番よかった。相変わらず貧乏性だけは忘れようとしても忘れられないようだ。

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2013年5月31日 (金)

シュガーマン 奇跡に愛された男

 久しぶりに映画館に足を運んだ。映画のタイトルは「シュガーマン 奇跡に愛された男」というドキュメンタリー映画だった。

 この映画は2012年に制作されていて、日本の大きな都市では3月に公開されていた。また世界各地の各種の映画祭や映画会では、数多くの高い評価を受けている。ざっと数えてみると、以下の通りになった。

第85回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞
サンダンス映画祭 ワールドシネマ 観客賞
サンダンス映画祭 ワールドシネマ ドキュメンタリー部門 審査員特別賞
ロサンゼルス映画祭 最優秀国際映画観客賞
トライベッカ映画祭 観客賞
モスクワ映画祭 最優秀ドキュメンタリー賞
ターバン国際映画祭 ドキュメンタリー部門観客賞
メルボルン映画祭 観客賞
キャンベラ映画祭観客賞
アテネ映画祭 Golden Athena賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー ドキュメンタリー映画賞
セントルイス映画批評家協会賞 ドキュメンタリー映画賞
インディアナ映画批評家協会賞 ドキュメンタリー映画賞
フェニックス映画批評家協会賞 ドキュメンタリー映画賞
ダラス-フォートワース映画批評家協会賞 ドキュメンタリー映画賞
オクラホマ映画批評家協会賞ドキュメンタリー映画賞
ヴァンクーヴァ―映画批評家協会賞 ドキュメンタリー映画賞
ブロードキャスト映画批評家協会賞 ドキュメンタリー映画賞
ノースカロライナ映画批評家協会賞 ドキュメンタリー映画賞
アメリカ製作者組合賞 ドキュメンタリー映画賞
アメリカ監督組合省 監督賞(ドキュメンタリー)
英国アカデミー賞 ドキュメンタリー映画賞
アメリカ編集監督組合省 編集賞(ドキュメンタリー)
アメリカ脚本家組合賞 ドキュメンタリー脚本賞

 ノミネートだけでも44部門と言われているので、これはもう世界的な一大ブームといっていいだろう。Photo
 テレビでも特集が組まれていたので、もうストーリーを知っている人も数多くいると思うが、ごく簡単にいうと、デトロイト出身のシンガー・ソングライターのロドリゲスの数奇な運命についてのドキュメンタリーである。

 1968年にデトロイトのクラブで歌っていたロドリゲスは、第2のボブ・ディランとしてめでたくレコード・デビューした。そしてアルバム「コールド・ファクト」を発表したのだが、これがものの見事に売れず、続くアルバムも商業的に失敗して、3枚目のアルバム制作中に契約を打ち切られ、音楽業界から消えていってしまった。

 ここまではよくある話なのだが、ところが彼の楽曲は、海を越えた南アフリカの反アパルトヘイト活動家の間で話題になり、その活動を支えるシンボルとして大流行したのである。
 その曲を歌ったロドリゲスは、エルヴィス・プレスリーより人気があるといわれるようになり、南アフリカではビートルズやローリング・ストーンズよりも影響力があると言われるようになったのである。

 そういえば、80年代の半ばにクィーンやエルトン・ジョンなどが南アフリカのサンシティで公演をしてバッシングを受けたことがあった。クィーンなんかはアルバムの不買運動なども受けて、辛い時期を過ごしたように記憶している。

 元ジェネシスのボーカリスト、ピーター・ガブリエルの"Biko"は1980年に作られたが、南アフリカの人権活動家スティーヴ・ビコに捧げられたものだった。
 E・ストリート・バンドのスティーヴ・ヴァン・ザントが中心となって発表したアルバム「サンシティ」は1985年に発表された。当時はこのような反アパルトヘイトが、音楽業界でも世界的な潮流のひとつだった。

 これらの動きの中で、ロドリゲスの曲は現地で歌い継がれていったようだ。公式には1994年にアパルトヘイトは撤廃されているので、その間は世代を超えて彼の歌は支持されていったのだろう。

 しかし一方で、母国アメリカでは、彼は音楽業界から引退して、労働者として建設業界などで家族を養うために働きはじめていた。ところがいつの間にか、彼は失意の中で病死したとか、ステージ上で焼身自殺を図った、行方不明になったなどという根拠のない噂話が半ば都市伝説化してしまうのである2_2 そしてついに彼の歌で人生が変わってしまった南アフリカのファンたちが、ネット上で彼の行方を捜し始めるのだが…

 テレビでは結末まで放送していたし、地方の映画館以外はこれから封切るところも少ないようなので、自分は結末まで書くことにした。それでここからはネタバレになるので、結末を知りたくない人は読むのをやめたほうがいいと思う。

 結論からいえば、彼は生きていた。しかし音楽業界からはすっかり足を洗って、労働者の一人として普通に生活を送っていた。そして南アフリカの熱心なファンの誘いで、デビューしてから30年後の1998年に、南アフリカでライヴを行ったのだ。5000人以上の人を前にして5回の演奏を行った。そして、その後もたびたび南アフリカを訪れてはライヴ演奏を展開している。

 この映画を見てビックリしたのは、彼の存在の重みとその落差の大きさである。アメリカでは6枚しかアルバムは売れなかったというこれまた都市伝説が囁かれているが、南アフリカでは50万枚以上は間違いなく売れているのだ。
 そのほとんどは海賊盤なので、印税収入は全くなかったが、この人気の差は大きいだろう。

 また引退後、人前ではまったく歌う機会もなかったはずなのに、いきなり南アフリカに行って、リムジンに乗せられ、高級ホテルに滞在し、数回のサウンドチェックの後、5000人以上の前で歌うことができたというところも凄いと思う。普通の人ならとても歌うことはできないだろうし、歌ったとしても観客を充分満足させるレベルには届かないだろう。やはり彼は生まれながらのミュージシャンだったのである。3
 彼は現在もデトロイトに住んでいて、労働者として生計を立てている。アカデミー賞の授賞式にも出席せずに、建設労働者として普段のように働き、普通の生活を送ったという。ただし映画のサウンドトラックの印税は彼に支払われているようだ。

 ちなみに彼の声はニール・ヤングよりも低く、ボブ・ディランよりは澄んでいる。誰かの声に似ているのだが、誰かは思い出せなかった。映画のサントラ盤を聞きながら、ゆっくりと思い出すことにしよう。

【追記】

 彼は、デトロイトの市長選に何度か立候補した。もちろん当選はしなかったが、彼の世の中に対する信念みたいなものが感じられるエピソードだ。
 また、南アフリカの高級ホテルに滞在したときもベッドでは眠らずに、ソファーで夜を過ごしたそうだ。理由はベッドメイキングの人が大変だからというもので、これもまた彼の人柄を示すエピソードの一つだろう。

 そうそう、やっと思い出した。彼の歌声はジム・クロウチに似ていると思うのだが、どうだろうか。 

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2012年12月13日 (木)

007スカイフォール

 今日、久しぶりに映画を見に行った。公開されて間もない007シリーズ第23作の「スカイフォール」である。結論から言って、なかなかよい映画だったと思う。また、今年がシリーズ開始から50周年ということもあり、事前の期待もそれなりに高かったせいもあっただろう。007_2

 ジェームズ・ボンドを演じるダニエル・クレイグはこれが3作目の出演なのだが、2006年の「カジノ・ロワイヤル」以来、人間的なジェームズ・ボンドを効果的に演じているところが素晴らしいと思う。

 一時、宇宙に出ていったり、超人間的、まるでスーパーマンのような活躍をする007の映画も作られたことがあったが、ここ最近の数作ではその点は控えられていて、見ていて違和感がない。
 特にダニエルに代わってからは、喜怒哀楽を表面に出して行動する、非常に人間臭い007が見れてうれしい。また今までのボンド役では、一番蝶ネクタイの似合う007ではないだろうか。007_3

 今回も元MI6の諜報部員と戦っていくのだが、本部や長官のMを守ろうとする気持ちや子どもの頃を回想するシーンなどにその特長が出ていたように思う。

 それで「スカイフォール」というのは、べつに空が落ちてくるのではなくて、ボンドが子どもの頃に過ごした実家のことだった。またボンドは、スコットランド出身で、子どもの頃に両親を亡くしていることも紹介されている。そういう意味では、今まで触れられなかった彼のプライバシーなども垣間見ることができた。

 また長官Mの去就問題も映画の焦点のひとつになっているし、今回はまた非常に若いQも登場して、007に秘密兵器を授けている。007シリーズも50年を迎え、若返りを図るつもりなのかもしれない。

 さらには本国イギリスはもちろんのこと、中国の上海やマカオ、トルコのイスタンブールなど今回も世界各地でフィルムが回されている。珍しいところでは日本の長崎にある通称“軍艦島”でも撮影が行われていて、悪役が初めて登場するシーンは、そこで撮影されている。全くの廃墟なので、見ればすぐに分かると思う。Photo_2

 この悪役、ハビエル・バルデムという人が演じているのだが、後半の部分でヘリコプターに乗ってボンドたちを殺そうと、「地獄の黙示録」のように音楽をガンガンかけながらやってくる。そのときの音楽がロック・ミュージックだったのだが、何の音楽だったのか忘れてしまった。
 聞いたことはあったのだが、はっきりしない。ひょっとしたらエリック・バードンのいたアニマルズの"Boom Boom"だったかもしれない。

 ロック的にはあまり聞くべきものはなかったかもしれないが、これはあくまでも007映画なので、音楽は刺身のツマ程度にしておいた方がいいだろう。なお、恒例のテーマ・ソングは昨年から今年にかけて全世界を席巻したミュージシャン、アデルが歌っている。彼女はいま出産の準備で忙しいということだが、このテーマ・ソング後は一休みとのこと。 Photo_3

 いずれにしても落ち着いたおとなの007映画である。最近の洋画はあまり元気がないので、せめて007の映画くらいは健闘してほしいと願っている。

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2012年9月 2日 (日)

プロメテウス

 先日、映画「プロメテウス」を見に行った。予告編などを見ていたので、また監督がリドリー・スコットということでもあり、この映画が“エイリアン”シリーズに連なるものということが分かっていた。

  結論から言えば、この映画は“エイリアン”誕生の謎を解明するものだったし、これまたシリーズ化されるのは間違いないといえるような内容だった。確か映画の宣伝が“人類誕生の謎に迫る”だったと思うのだが、人類誕生の謎はお預け、逆に人類が宇宙人から狙われていたというオチまで付いていて、その理由を探りに一人の女性が一台の人造人間とともに宇宙人の母星に出かけるというところで終わっているからだ。Photo
 ごく大雑把に内容を述べさせてもらうと、宇宙船プロメテウス号が向った先の惑星は、宇宙人の最終兵器開発地域であり、そこにおそらく宇宙人から開発されたであろうエイリアンの卵がいくつも見つかる。

 これは自分の推論なのだが、宇宙人たちは、最終兵器を開発するためにエイリアンをなぜか培養というか交配させていたようである。

 映画の途中部分で、密かにエイリアンの卵を持ち帰ったアンドロイドが乗員のひとり、しかも主人公であるヒロインの恋人、に卵に付いていた液体を飲ませ宇宙人化?させてしまうし、結果的にヒロインの体内でエイリアンが育っていくのであるが、お腹を食いちぎって出てくる前に、ヒロイン自らが人工手術マシーンを使って運良く取り出すことに成功する。ちなみにここで目にするエイリアンはヘビ型ではなくて、4本足のイカ型エイリアンだった。エイリアンはおそらく自分が寄生した生物のDNAを自分のものにしてしまうのだろう。だから手足4本分あるエイリアンに変化したのだろう。

 人類誕生の謎を探りに来た地球人たちは、そこで冷凍睡眠中であった唯一の宇宙人とコンタクトをとるのだが、なぜかその宇宙人は激怒し、地球人を殺して宇宙船で地球に向っていく。もちろんエイリアンの卵を乗せたままである。
 
 そうはさせじと主人公のヒロインは、このままいけば地球は滅びてしまうので、プロメテウス号の船長にカミカゼ特攻隊になってほしいというようなことを示唆し、結局、宇宙人の乗った宇宙船は撃沈されるのだが、ヒロインが戻った脱出用ポッドに残っていたイカ型エイリアンと宇宙船から奇跡的に生き残った宇宙人が戦うようになり、結局イカ型エイリアンが宇宙人に寄生してしまうのである。

 一人残ったヒロインと一台のアンドロイドはなぜ彼らが最終兵器であるエイリアンを創造するようになったのかを探りに旅立つのである。ここからパート2につながるのだろう。

 要するにエイリアンは元々は宇宙人が開発した最終兵器であり、それが人間に寄生して4本足のイカ型エイリアンになり、ラストの部分でそこからさらに宇宙人に寄生して生まれてきたものであるということが分かった。ラストシーンであの特徴的な頭の形をしたエイリアンが見られるからだ。

 ただよくわからないことがいくつかあって、たとえば人間と宇宙人のDNAは同じだと言っているにもかかわらず、ヒロインの体内から出てきたエイリアンの形は、宇宙人の体内から出てきたエイリアンの形とは異なっている。エイリアンが寄生した生物のDNAを取り込むのであれば、同じ形になるのではないか。そしてどう見ても宇宙人の方が地球人よりも優れているように見えるのだが、あれも本当に同じDNAを持っている生物なのだろうか。

 また映画の冒頭のシーンで、宇宙人が原初の地球に来て、黒い液体を飲み拡散していくのだが、あれは何を意味しているのであろうか。地球を第2の母星化するべく我が身を犠牲にしたのだろうか。ならばその後60億年もの長きにわたって彼らが地球に訪問しないのは、その間に宇宙人が滅びたということだろうか、エイリアンによって。2

 たぶんそういう疑問は、このあとのシリーズ化で徐々に明らかにされていくのであろう。

 最後にロック的な立場から見ると、途中で船長がスティーヴン・スティルスの曲"Love the One You're With"の一部を口ずさむところがあった。これは1970年に発表された彼の最初のソロ・アルバムからシングル・カットされた曲で、邦題では“愛の讃歌”と呼ばれていたと思う。Photo_2
 ビルボードのチャートでは最高位14位で彼の最大のヒット曲だったし、アルバム自体も3位まで上昇している。しかし、なぜこの曲になったのか、1970年の曲が2093年という設定の映画の中で使われたのかよくわからない。いずれにしても100年以上も経ってまだ記憶の中にあるだろうということを知って、スティーヴンもきっと満足するに違いない。

 ところでこのアルバムにはデヴィッド・クロスビーやグラハム・ナッシュ、リンゴ・スターやリタ・クーリッジなどの豪華なミュージシャンが参加していて、ちなみにエリック・クラプトンとジミィ・ヘンドリックスが共演している唯一のアルバムでもある。ジミィはこのアルバムの発表前に亡くなっているので、このアルバムは彼に捧げられたものになっている。

  次回作のパート2では誰の曲が使われるのだろうか。デヴィッド・クロスビーなどのC,S,N&Y関連か違うミュージシャンなのか、そういう意味でも話題は尽きない。(かもしれない)

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